ハリム・ハンダルと対面します
アンの言った言葉は静かな部屋によく響き、皆が息を呑む。……事情を知らない一人を除いて。
「パパ? アンは父親と対立しているの?」
「……うん。パパはライさんのこと……ううん、ライさんだけじゃなくて、地上の人類みんな殺そうとしているから」
あまりにもスケールの大きい発言に、ファジル様も驚いた。
……そうだよな、あの悪鬼王が敵対している範囲は、間違いなく人間と、魔人族。それでいて、デーモンの生き残りがおらず、娘でデーモンのアンを殺そうとしているというのなら、間違いなくその対象は全ての人類だ。
「嘘は、言ってないですよ。人類に敵対する魔族の最後の生き残りが悪鬼王で、アンはその娘です」
「……そう、なのね。私が思っている以上に、ライの旅って大きなスケールだったんだ」
その悪鬼王国から人類を救うために……というのは大げさではあるけど、せめて僕と僕の周りの人の生活のために、そして連れ去られたお姫様もとい、近所の姉の友人のために旅をしている。
それにしても、悪鬼王は今のリンデさんとアン相手だと、逃げを選ぶんだな。僕一人を狙う手もあっただろうけど、それはしなかったわけか。
それだけリンデさんが、脅威になったということだろう。
……相手はこちらの実力を分かっているということか。だとすると、油断を誘うわけにはいかないな。
「ファジル様。僕とアンの間に入ってください。悪鬼王が裏から手を引いている以上、相手がどういうものを出してくるかわかりません。何も用意がないとはとても思えない」
「……わかったわ」
自分を襲ってきた相手の存在の大きさを意識して、ファジル様は真剣な顔で僕の後ろに来る。恐らく襲われることはないだろうけど、アンなら後ろを任せても大丈夫だろう。
ユーリアに索敵の確認をして、僕たちは屋敷の広場へと向かった。
屋敷の広場はそれなりに広く、軽くスポーツでもできそうな感じになっていた。
「……来たな」
その中央には白い布を被った、肌の黒いビスマルク十二世並に太った男がいる。
この食料も少ないであろう砂漠の大地で、あそこまで太れるということは、それは裕福な暮らしをしているのだろう。……さっきの少年二人はあんなに痩せていたのにな。
「ハリム・ハンダル。あなたの行ったことは全て割れているわ」
「おや、ファジル様ともあろうものが、何の証拠もなしに突然相手を罪人扱いするなど」
「カリムとモハメドという可愛らしい少年二人が、私にいろいろなことを教えてくれたのよ。ちゃんと真っ直ぐ育てれば、いい子になるわね」
「……あの無能どもが!」
悪態をついた。ってことは、二人の言ったことは全て正解だと言っていいだろう。
ファジル様ももちろんそれに気付いた。
「……事業を失敗したとは聞いていたけど、まさか殆どの事業で裏目に出ているとは思わなかったわ」
「くっ……」
「だからといって、王家の財産の後釜を狙うのは、短絡的なのではなくて?」
ファジル様の発言に対して、ハリムは目をいからせて怒鳴りつける。
「黙れ……黙れ! 生まれからずっと裕福で苦労も知らなかった箱庭の女がッ! この儂の苦労も知らずにッ!」
「そうね、確かに私は苦労知らず。でもね……それでもやってはいけない一線ぐらいは分かっているつもりよ。あなた……あのドラゴンは、悪魔と取引してしまったのね」
ドラゴン。
そう、あのドラゴンが急に襲ってきたのは、間違いなくファジル様を狙ってのことに違いない。
そして、結果的に四人の戦士達が命を落とした。
「アブドゥラ、セリム、シャイマ、スーハ……皆いい人だった。私の大切な国民だった。我が国の自慢できる戦士達だった。それを、あなたという人は……!」
……四人とは、護衛の中でもそれなりに親しかったのだろう。
あの時、四人の火葬を見守ったファジル様は一見冷静だったけれど、相当な激情が内側で暴れていたに違いない。
「全く勘違いも甚だしい。ドラゴンなど召喚できるわけがない……あんな平民生まれ、何人いなくなっても同じこと——」
「それを先ほど王家を非難したあなたが言いますかね」
「——なに?」
僕は、ファジル様の前に出る。
……ちょっと今のは、自然に声が出てしまった。我慢できなかったというやつだ。
「生まれの血なんて、何の意味も成さないですよ。生きていく上で、何を成したか。それだけが自分を証明できることになるんです」
「……何者だ、新しい護衛か」
「そうです、新しい護衛の平民です。さて、あなたはドラゴンを召喚したわけですが、一体何を媒介にしたか分かりませんが……それを灰色の魔族から受け取りましたね」
「どこの無能だ、随分といい加減なことを言うヤツだな」
「というかさっき、その魔族当人と会ってきたばかりなんですけどね」
「っ、そんなハッタリを」
そう、ハッタリだ。
ハッタリだが、相手は僕が『デーモンの容姿を知っている』という基本的な情報を知らない。
だから容姿を言い当てられたのなら、直接出会ったはずだと勘違いする。
「だって、あなたは……不思議なぐらい、ここの魔人族達に驚いていない。そりゃそうですよね、デーモンと比べたら、よっぽど人間に近いですからね、魔人族。態度が不自然すぎて誰でも分かるんだって」
「……」
「悪鬼王からのドラゴンを、随分頼りにしていたようだ。だけど失敗に終わった」
ハリムは……返事をしない。
交渉事なら沈黙は金だが、今返事をしないのは悪手だ。結構ぶっとんだ質問だから、さっさと否定した方がいいに決まっている。
「悪鬼王は、さっき屋敷を破壊して魔方陣ごと吹っ飛ばして帰った。お前はもうおしまいだ」
「おしまい? おしまい、だと……」
「そう、おしまい。平民に戻る……いや、囚人になる時間だ。カリムとモハメドみたいに、手加減をしてやるつもりはない」
ハッキリと宣言し、リンデさんに頷く。
リンデさんは剣を構えると、ハリムの方を向く。
ハリムは……笑い出した。
「クク……ククク……!」
「『フィジカルプラス・クイント』っ……『シールド・トリプル』」
間違いない————相手に切り札がある。
そう判断したら、わざわざ会話に付き合ってやる必要はない。『何が可笑しい!』と聞く意味などないのだ。
相手を眠らせようにも、恐らくもう発動している。ならばやることは一つ。リンデさんの強化だ。
僕の様子に、アンもユーリアもすぐにファジル様を後ろに誘導し、武器を出す。
「……切り札は、とっておくものだよ!」
「その切り札を出すまでに準備されたわけだから、遅かったね」
「……認めよう、お前は平民の分際で優秀なようだ」
「そりゃどうも」
返事をしつつも、僕も相手の切り札を見極めようとしていた。
そしてハリムの足元から出て来たものは————!
「————ゴーレム!」
そこには、真っ黒いゴーレムがいた。
異様な雰囲気の……しかし、ここ最近よく見慣れたゴーレムだ。
その所有者であるリンデさんが真っ先に反応する。
「あれ、あれは……!」
「アダマンタイトゴーレム!」
名前を叫んだ瞬間、アダマンタイトゴーレムは一瞬でリンデさんと剣を重ねていた。確かにこれは、速い……!
同時に、相手の不意打ちをあっさり受け止めるリンデさんはさすがの反応速度だ。
「クク、ハハハ……! もうおしまいだ、こいつは暴れ出したら止まらないと聞いたからな!」
「ハリム、あなたはなんてことを……!」
「儂が終わるぐらいなら、この国ごと終わってしまえばいい! ファジル様も、アブラハム様も、今日が命日ですよ! ハハハハハ!」
ハリムの耳に付く嗤い声に顔を顰めながら、アダマンタイトゴーレムの攻撃を防ぐリンデさん。
スピードでは上回っているので、相手の動きの隙を突きながら、関節に剣を入れる。
————ギィン! という音と共に、リンデさんの剣が弾かれる。
その攻防は、鉄塊の盾相手に鉄の剣では不利という当然の関係を思わせるような、そんな音だった。
……もしかして……!
「リンデさんのあの意味不明なぐらいに頑丈な剣って、アダマンタイトか……!」
だとすると、極めてまずい。
あのアダマンタイトゴーレムの関節をリンデさんの剣で破壊するのは、恐らく不可能だ。
それこそクラーラさん並の怪力でなければいけないが、リンデさんがいくら剣術がクラーラさんと打ち合えるほど強くなったといっても、クラーラさんの怪力まで鍛え上げたわけではない。
クラーラさんがここにいれば……いや、今は姉貴の側を離れてほしくはない。
最強の女性二角であるレーナさんとクラーラさんは、姉貴とマーレさんの護衛を続けてほしい。間違いなく悪鬼王と……恐らくアルマは、二種族の友好の証であるクリストハルトの存在を厄介に思っているはず。
しかし、このままでは全く活路が見いだせない。
リンデさんは圧倒的な動体視力と剣術で相手の攻撃をいなしているけど、もしもあの攻撃を一度でも受けるとと思うと、嫌な汗が背に伝う。
どうすればいい……!?
こんな時、こういう相手にはあの人がいればいい。
姉貴とともにマーレさんを助ける時にも、ゴーレム相手には一番活躍したと聞いた。
一度戦った時も、ずっと時間を稼いでくれたのはあの人だ。
だけど……そんなに都合良くいくわけがない。あの人はここにはいないのだ。
助けがほしかったら呼んでほしいと、確かに言ってはいたけど……!
それでも……!
僕は、心から祈る気持ちで呟いた。
「助けてください……ビルギットさん————」
「はい」
「————え?」
砂漠の国の、中庭に降り注ぐ熱い陽射しが遮られる。
正面を見ると……盛り上がった背筋を、一緒に買いに行ったキトゥンがかかった背中が見える。
「リベンジの機会をいただき、感謝します」
そこには、いるはずのないビルギットさんがいた。




