僕たちの家を託されました
村を出る前日の夜。すっかり元気になった姉貴は、腕にクリストハルトを抱えてレオンと一緒に一階に下りてきて、開口一番にこう告げた。
「この家、ライ……っつーかリンデちゃんね。持ってっていいわよ」
家を持っていく、などというスケールの大きい発言を許せてしまうのは、リンデさんのアイテムボックスの魔法の能力によるものだ。
容量無制限っていうぐらい、何でも入る。
しかしそのことが気がかりなのではない。せっかく赤ん坊が産まれたのだから、やはり自分の家で育てるべきだろう。
「私もそう思ったのよ。でもさ、この子ってある意味ではあたしとレオンの愛の結晶であると同時に、誰よりもマーレにとっての希望であってほしいの。だから、昨日レオンと相談して、魔人王国のあの屋敷で育てることにした」
「そう、か。姉貴が決めたのなら僕が言うことはない、有難く使わせてもらうよ」
「ええ。それに、ライがいなくなって使われないキッチンを見続けるのも、いい加減もう嫌だからね」
「姉貴……」
そうだった、姉貴はずっと半年間、僕がさらわれてシレア帝国にいた時間、この家で過ごしていたんだ。
久々に使ったキッチン道具の保存状態は良かったけど、放置していてあんなに汚れたり痛んだりしないものではない。……姉貴はきっと、不定期でも拭いてくれていたんだろう。
僕がすこし視線を下げて考えていると、正面から「はいはい」と呆れ気味な声が聞こえてきた。
そこには、子供をあやしつつもおかしそうに笑う姉貴の姿。
少し見ないうちに、母親らしさを備えた、僕の知らない姉貴。
「あんたは一人でも十分活躍して、マーレの役に立った上で戻ってきた。だから湿っぽいのはナシよ、こんな家なんて所詮道具、生きてる人間より重要なもんじゃないの。だったら活用できるヤツが使うのが一番いいのよ」
「そう、だな。ああそうだ。子供のためにも二階で暮らすより、あの屋敷で過ごした方が安全だろうし子供も気持ちいいだろうから」
「そういうこと。あー、これであたしの荷物も軽くなるわー」
姉貴はそんなことを冗談半分に言いつつ、子供を抱えてすぐに出て行ってしまった。これからは、マーレさんと住むんだろう。
レオンは姉貴がドアの外に行ったのを見送ると、僕の方に振り返った。
「ミアは、本当に家族が大切なんだね」
「ん? どうしたんだ急に」
「ここだけの話、本当に弱ってたからさ」
ドアの近くに姉貴がいないのを確認して、レオンはこっそり僕に教えてくれた。
「妊娠してから……ベッドで安静にしていればいいものを、一階に下りてはずっとキッチンを見られる場所の椅子に座って。溜息もつかず、一日中コンロを眺めている日も少なくなかった」
「姉貴が……?」
「そうだよ、あのミアがね。だからライは返ってきてくれた初日は、本人はさらっと流したつもりだっただろうけど、じっとしてても窓の外を眺めてはニヤニヤしっぱなしで、ああ本当に嬉しいんだろうなって」
あの姉貴が、僕が居なくなっていた頃はそんなことになっていたなんて……。
……なんだよ姉貴……随分と可愛い反応じゃないか……。
「これ言ったのは秘密だ、それじゃミアのところへ行ってくるよ」
「ああ、ありがとう。それにしても強化魔法のことといい、レオンには本当に世話になりっぱなしだなあ」
「ライの役に立つことで結果的にミアを支えられるのなら、それだけで僕にとっては一番のことだよ。今も世界一可愛い女性に愛してもらえている身としてはね」
爽やかに恥ずかしいことをさらりと言い放って、レオンは振り返らずに部屋を出ていった。……姉貴、本当にいい男を捕まえたよ。
姉貴のことを世界一可愛いと断言するレオンは、あの姉を見続けていた弟にとって、世界一の男前だ。
同時に、思う。
レオンは魔法も背丈も、男のプライドとしてはとても納得できないような勢いで抜かれた妹のユーリアのために、強化魔法を訓練し続けていた。
その強化魔法は、優秀な妹さえ追い抜いて魔人王国の代表に選ばれるほどとなった。
レオンの強化魔法によるユーリアの攻撃魔法の凄さは、レノヴァ公国で存分に見させてもらった。二人の相性は抜群だ。
そんなレオンが、ユーリアを僕に託した。
そして強化魔法を僕に教えてくれた。
任せてくれ、レオン。
君の分までユーリアを支えてみせるよ。
…………。
……そして、姉貴。
レオンの発言のニュアンスから察するに、どう考えても子供寝かしつけた後、今も襲ってるよな……?
……僕が帰ってきた時に、子供五人ぐらいになっていないか心配だよ……。
-
「それじゃ行きますよー」
リンデさんが翌朝、いつかのようにアイテムボックス内に自宅を収める。
ふっと一瞬で消えた木造建築の家と、日陰にいた夏の虫が日光の下に晒されて動き出す。
「わーっ……」
アンが興味津々に虫をつついて……リンデさんもついていく。
アンはともかくリンデさんの体格でそれをやると、本当に身体はグラマラスな大人なのに中身は好奇心の塊の子供そのものって感じだ。ちなみにユーリアは虫に若干引き気味。こういうところもユーリアは女の子らしい女の子って感じだ。
二人の仲が良さそうなことを微笑ましく思いつつ、リンデさんの隣に行く。
「まずは、昨日の今日だけど姉貴のところに行ってこようと思います。マーレさんとも挨拶したいですし」
「そですねー」
マーレさんには、リリーを探しに行くと言ったその翌日から、探索の指標をずいぶんと相談してもらっていた。
それからはレーナさんのしごきがメインになっていってたけど、よく姉貴のところへ遊びに行くので、顔は毎日合わせていた。
皆と一緒に屋敷の中に入ると、廊下ですれ違ったレーナさんが口元に指を上げてていた。……なんだ? 沈黙?
僕は皆と顔を見合わせて、レーナさんの指示通りに黙ってこっそりとサロンのドアの隙間を空けると……。
「ん〜〜っ! クリストハルトちゃんおっきした? きれいなおめめでちゅね〜!」
「そろそろ出すものとかあるだろうから、代わるわよ」
「も〜っ、クリストハルトちゃんの汚い部分なんてないんだから、ミアは母乳あげるまではゆっくりしてていいのよ?」
「いつも思うけど、この世界のどこに他人のおしめ喜んで代える女王がいるのよ……」
「ここよぉ〜っ! クリストハルトちゃん、たくさんしーしーする? 健康的でかっこいいでちゅね〜! すくすく育っ……て……」
あ、マーレさんと目があった。
いつの間にか音を消してレーナさんがドアを大きく開けていて、部屋の外に立っていた僕とリンデさんは、クリストハルトの小さな手に指を握らせているマーレさんをしっかり見ていたわけで……あ、マーレさん完全に顔に血が上ってる。肌の青色が一気に濃くなった。
……マーレさんはふらふらと後ろによろけて、姉貴の背中に隠れるようにしがみついた。
「……もぉやだぁ……」
「アンタここ一ヶ月こうだし、今更じゃん……」
「ばらさないでぇ……」
マーレさんの新たな一面を見てしまった。
魔王様の新たな一面を見てしまった僕たちはもちろん……マーレさんに対してますます親近感を覚えるのであった。




