シレア帝国に別れを告げます
ダニオと顔を見合わせながら、港に着いた船を再び見る。
レーナさんはいつの間にか消えていて、代わりにオフェーリアがやってきた。
「一応説明受けたけど、どういう状況なのこれ……」
「よおオフェーリア……驚きすぎてちょっと困惑してるけど、あのでっかい魔人族の女がさっき来てた時の話が本当なら『魔王様がライに会いたくて来た』って話みたいだぜ……?」
「マジなのそれ……? なんかさあ、私らが思ったより遥かに大物だったわね、ライ君……」
「私もびっくりだよ……」
三人の感想に謙遜しようと思ったけど、とてもではないけどここまで大事になってしまっては、最早嫌味にすらならないだろう。
曖昧に笑って返すしかない。ほんと、笑うしかない。
「あの、えっと、話にあった魔人族っていうの……」
「そういえばアウローラは初めてだったか。あれが魔人族、マグダレーナさんだよ」
「随分親しそうに愛称で呼び合ってたけど、あれが帝都で魔法を使った人なんだよね?」
「見ての通り、一瞬で移動したりするのも魔法だったね。最後は気軽に話しかけてくれたけど、本当にそれでいいのか僕自身が困惑するぐらい凄い人だよ……」
僕達がのんびり話している間も船はこちらに移動してきていて、それでも高速で動かしたりできそうなものなのにまだ到着してない限り、慎重にやってきているように見えた。
港の前では、当然のように警戒心露わに冒険者と侯爵の兵士が装備を調えて待機している。
「あのままややこしくなったらいけないし、僕達も行くか」
「そうだな。そろそろ到着しそうだし、ライが一番前に居た方がいいだろ」
「私も魔王様というの、近くで見てみたいわ」
「うん。ライがそれだけ信頼する魔王様、私も興味ある」
三人の返事に頷いて、人垣の中へと足を進めた。
-
魔人王国の船は、やはりビスマルク王国が交易で使っていたもののようだ。
これを正式にマーレさんが取り扱っているということは、やはり魔人王国がビスマルク王国を呑み込んだというのは本当なのだろう。
港に着いた船から顔を出したのは、カールさんだった。カールさんが、まずは先頭でやってきている。
カールさんはぐるりと周りを見るように首を動かすと、僕のところで止まった。……人垣の中にいるんだけど、もしかしてこっちに気付いて……いるっぽいよな、あれは。
あ、カールさんが船の中に向かって大声を上げている。そして僕に向かって指差す。これ、まずくないか?
「すみません! 通ります! すみません!」
僕は大声を上げて、集まっている人達を掻き分けて前に行こうとした。
「——おいっ、開けろ!」
そこへ、ダニオが僕の前に出て手助けしてくれた。ダニオはよく通る声で、周りの人もダニオと付き合いがあるからか「開けるぞ!」「通せ通せ!」と協力してくれた。やっぱりダニオの顔の広さは頼りになる。
四人で人垣を抜けたと同時に、船から顔を出したのは……マーレさん!
カールさんが、マーレさんに話しかけて僕を指差し、そしてマーレさんと僕の目が合って————
————マーレさんが、次の瞬間僕に抱きついていた。
「わ、わっ!? マーレさん……!」
胸に顔を埋めて、紫の頭頂部を僕に見せるマーレさん。
無言で、顔を上げてこない。
……そうか、そうだよな。
僕は眠っている期間の記憶がないけれど、マーレさんにとって僕は「半年間、生死不明」の人だった。
「心配を、おかけしました」
「……まったくですよ……」
「また会えて、嬉しいです」
「私もです……っ!」
マーレさんが顔を上げると、金色のあの瞳と目が合った。
服は、少し濡れていた。
「……あー、いいですかな?」
「————ッ!?」
マーレさんが、驚いて後ろを振り向くと、そこにはちょっと緊張、そしてちょっと呆れ顔のウンベルト様、そして半笑いの皇帝がいた。
「熱烈なところ悪いが、話をいいかな? 二十三代皇帝、サンドロ・シレアだ」
「ウンベルト・メルクリオ侯爵です。……あれだけ海で会っていたので、今更自己紹介をする必要はないと思いますが……」
「海で……。……ええ、そうですね。私が魔人王国女王アマーリエです。この度は私たちの願いである和平交渉を受け入れていただき、嬉しく思います」
「……あなたは、怒らないのですか? 一方的にこちらから攻撃していたというのに」
マーレさんは、いつかの時のように、しっかりと皇帝を見据えて言った。
「私は、人間の味方でありたいと思っています。たとえあなたたちに襲われても、私たちからは襲いません。そして私たちは、あなたたち人間が危機に陥った時、いつでも、いつまでも助け続けるつもりです。魔人王国の魔人族は、全員が私と同じ気持ちを共有していると信じています」
皇帝も、侯爵も、さすがに面食らっていた。
僕もマーレさんの隣に立ち、その発言を補強する。
「確かにレノヴァ公国でも全く同じことを言いましたし、ずっとそれを守っていますよ、魔王様は」
皇帝は、なんとも大きな溜息をつき、ウンベルト様は目を閉じて腕を組んでいた。
「……これは、確かに……この相手が人類の敵とはちょっと考えづらいな……」
皇帝の発言にウンベルト様も頷いた。
「しかしそれだけの条件だ、当然魔人王国からも要求はあるだろう。シレア帝国へ圧倒的な武力で和平を締結するんだ、何が条件だ?」
皇帝は、帝国の全ての民の生活を握っている。
それに対してマーレさんは、あっさりと言い放った。
「え? ないですけど……」
「……ない?」
「はい。敢えて言うのなら、お互いに重い税は課さずに交易したいですね。食料品なんてどうですか? あと美術品、宝飾品もあると私が嬉しいなーって……あっ、すみません」
街の様子をちらちら見ながら思いっきり本音を漏らしてしまって、さすがに恥ずかしそうに頭を掻くマーレさん。
そんなマーレさんに、皇帝は再び大きな溜息をついて、ウンベルト様を見た。
「なあ」
「はい」
「うまく言葉に出来ないんだけどよ、ここまで凄い肩すかしも人生初めてだぜ……ドラゴンの討伐だと気負ってみれば、リザードしか出なかったみたいな……」
「はい……」
皇帝は、マーレさんに向き直ると、右手を差し出した。
「じゃあ、ほらよ」
「……はい?」
「その条件、税の軽い交易ってことでいいぜ。つってもビスマルク王国とは普通に交易してたからな」
「あっ! ありがとうございます!」
マーレさんは笑顔で、皇帝の差し出した手を両手で握り、頭を下げた。
「女王様がそんなに頭を下げるもんじゃねえよ、みんなを背負ってるんだぜ?」
「背負ってるから、です。私たち魔人族は強い、反撃すれば必ず勝ってしまうし、それを人間が知っているからこそ人間は魔人族に威張ったりはできない。だからこそ、立場が上であるなどと驕ってはならないと皆に示したいのです」
「……まったく、よくできた女王だことだ。前任のビスマルク王よりよっぽど話しやすいな」
「まあ! それなら嬉しいです」
笑顔で微笑むマーレさんは、すぐにカールへ向き直ると大きな声を出した。
「すぐに報告を持ち帰るぞ!」
「御意っす!」
「それでは……ライさんも」
「ええ」
僕も、マーレさんについて船へと足を運ぼうとしたところで、後ろ手を引かれる。
そこには……アウローラがいた。
「行って、しまうんだね」
「……うん」
僕が立ち止まったところで、マーレさんが振り返りやってくる。
「あなたは……」
「あっ、えっと、私はその、ライを助けて、その……住まわせていました……いろいろと、お世話になったりもして……」
マーレさんは、アウローラの顔を見て何かを察したのだろう。
アウローラの近くに行くと……その体を両腕で抱きしめた。
「ひゃっ……!?」
「彼を救っていただき、ありがとうございます。そして、ごめんなさい……。彼は、ライムント様は、私たち魔人族にとって希望の架け橋なの。あなたを蔑ろにしたいわけじゃないけど……彼はどうしても、私たちのところにいてほしいのです」
「……分かっています。ライにはお姉様もいるって聞きましたから……家族、でもない私が……ついていくわけにはいきませんし、私にはこの街の孤児院の子たちがいますから……」
マーレさんは腕を放し、自分の胸に手を当てて上目遣いにアウローラを見る。
「そう、なのですね。あなたには感謝の言葉だけでは足りない。必ず、あなたの恩義に報いますから。だから、どうか……」
「……本当に、ライから聞いたとおり、とても丁寧で腰の低い魔王様なんですね。わかりました。……必ず、ですよ」
「この魔人王国女王アマーリエの名にかけて」
そして、二人はようやく笑顔で頷き合った。
……船に、乗り込む。
港と船との橋が、閉まっていく。
「————ライーっ!」
アウローラが、ダニオとオフェーリアの間から一歩出て、港の端に立つ。
両手を口に当てて、船に向かって叫ぶ。
「必ずーっ! 会いに行くからーっ! みんなでーっ! 行くからねーっ!」
「っ! ああ! 必ず……!」
僕の声が、届いているかはわからない。
だけど、返事が聞こえたと伝えるために、僕は両手を振った。
アウローラと、そしてその両隣に来た二人。更に皇帝、侯爵、見てみればエラルドさんやレジーナさん。みんなが手を振っていた。
皆さん、本当にお世話になりました。
アウローラ、君に助けてもらえたのは、僕にとって本当に幸運だった。
また、会おう。
-
「ところで……」
「何でしょうか?」
「マーレさんやカールさんの他に、来てはいないんですか?」
そうだ、ここには姉貴もリンデさんもいない。
僕はマーレさんに質問すると、マーレさんは少し難しそうな顔をした。
「……そう、ですね。いいことも悪いことも含めて、とにかくいろいろありすぎて……。順を追って説明したいのです。到着してからでいいですか?」
「到着してから、ですか。わかりました」
「助かります」
マーレさんがそこまで言うのなら、すぐに説明はしづらいことなのだろう。
僕は一抹の不安を覚えながらも、早くみんなに会いたくて……そして疲れで、船底ですぐに眠りに就いた。
-
久々に、村に帰ってきた。
村は……とても開拓されていて、南の森がほとんど街になっていた。
僕の家があった場所は、元々村の南側だったのに、これだとかなり北側だ。
ようやく家に辿り着いた。
家があるということは、リンデさんもいるはず……!
「帰りました!」
勢いよく扉を開けて、家に入る。
最初に出て来たのは……姉貴でもリンデさんでもなく、レオンだった。
「ライ! 待ってたよ!」
「レオン! あれ、姉貴は?」
「あ、えっと、いるんだけど……部屋に……まあその、会ってくれ」
……? なんだか珍しく煮え切らない態度だ。
レオンは二階を指している、ということは部屋か。
気になって、すぐに二階の部屋へと向かう。
姉貴は、ベッドに寝ていた。
「やっほ」
「あ……姉貴……それ……」
「うんうん。それよそれ。あたしはライが驚く顔をずーっと楽しみにしていたんだから。アンタのそのツラ見られただけで満足だわ」
と、笑ったけど……いや、もう驚くしかない。
ベッドに寝ていた姉貴を一目見て分かる。
お腹が、膨れている。
僕の驚いた顔に笑う反応から、その予想が確信へと変わる。
姉貴、なんと妊娠していた。




