皇帝は、ついに決断しました
マグダレーナ。
それは僕が魔人族と出会ってから、最も聞く名前だった。
レオンに強化魔法を教えた先生。
ユーリアに魔法を教えた師匠。
エファさんに回復魔法を教えた人。
そして……リンデさんに魔法を教えようとした人。
クラーラさんが、自分よりも強い可能性を示唆した人。
「……マグダレーナさん」
「ああ」
「今、あなたは何の魔法を使ったんですか……?」
少し先ほどと比べて雰囲気の変わったマグダレーナさんは、空を指差した。
「隕石は知ってるか?」
「時々、雲の上から石が落ちてくる現象ですよね。原因はよくわからないんですが、神の怒りと言われています」
「そうだ。正確には空の上、宇宙から星の破片が落ちてくるわけだが……その説明は不要だな。要するに、それを落としたのがメテオだが……そんな大層な魔法を使う必要もなかったな」
神の怒りを、魔法で落とした。
いや、待て。十……?
今の説明で、この惨状を説明できるのか?
表情を変えず、息切れも何もしていないマグダレーナさんに、今度は皇帝が質問する。
「落とした、と言ったな」
「ああ」
「……いくつ、落とした?」
そうだ。この土地が滅んでしまったかのような状況が、今の一言ではとても説明がつかない。予想するに……十はあるのだろう。
その恐ろしい想像に、マグダレーナさんは何でもないかのように答えた。
「最低十個だが、まあ三十は超えているだろう。数える必要がなかったので知らんが、百はあるんじゃないのか?」
「————」
皇帝は、さすがにその異常なまでの強さに絶句していた。
百? 神の怒りを百落として、まるで疲れてさえいない?
この人は、どこまで強いんだ……?
……いや、まだ気になることがある。
「マグダレーナさん」
「ああ、いくらでも質問していいぞ」
「……今のシールド・ディッセって、帝国軍全員にかけましたか?」
「帝国領土全部だ、かけておかないと街の人間に被害が出るからな。……怪我をさせかけると、マーレのやつがうるさくてかなわん」
今度こそ、僕は予想を超えた回答をもらった。
あの魔法、ここの全員じゃなくて、帝国の領土そのものをカバーしたのか……。
そして、もう一つ気になることがある。最後に小さく、ぼそりとつぶやいたそれの衝撃で、僕は心臓が早鐘を打つのを止められない。
————マーレのやつ。
この中で、その発言の持つ意味が分かるのは僕しかいない。
マーレは愛称であり、どちらかというとアマーリエはビスマルク王国側の名前付けだ。魔王の略称だと帝国側の人間は誰も気付いていないだろう。
そこから導き出される答えは一つ。
この人、他の魔人族と違って魔王の命令に絶対服従していない。
魔人王国を知らず、ハイリアルマ教の教えを守っている状態なら、魔王を尊重していないという意味合いは好意的に捉えられるだろう。
しかし……マーレさんを知っている僕にとって、マグダレーナさんのスタンスは恐怖以外の何者でもない。
だから、これは僕から伝えなくてはいけない。
そして恐らく、マグダレーナさんはそれを望んで、耳が遠くてよく聞き逃す僕にも、敢えてはっきり聞こえるように言った。
「皇帝陛下、お伝えしなければならないことがあります」
「あ、ああ……何だ」
「僕自身、あまりの展開に少しついていけていないのですが……ここにいる魔人族のマグダレーナさんは、僕が知る限り『魔人王国で一番強い』と噂されている四人の内の一人です。更に言うと、人間を大切にしている魔王様と全く考え方が違う可能性があります」
「魔王と、考え方が……ど、どういう意味だ……」
「僕が話した『魔人族は皆優しい』という前提条件の例外です。逆らうと命の保証はできません。本当に、一日で帝国が滅びます」
皇帝が再び絶句し、息を呑みながらマグダレーナさんを見る。
それに対して、再び腕を組んで一言。
「一日も要らんぞ、さっきの防御魔法を使わなかったら、それだけでも帝国領の建造物はかなり損壊しているはずだからな」
……本当に、恐ろしい人だ。能力はもちろんのこと、そんな事実を何の感慨もなく言ってしまえる感覚が。
「それにしても、未だに剣を向けているのだから失礼な連中だな」
ふと、それまで黙っていた帝国軍の方に視線を向ける。
帝国軍は皆、マグダレーナさんに向かって剣を構えていた。……その気持ちは、わからなくもないが……。
「……フン」
マグダレーナさんは突然、指を鳴らした。
その瞬間……帝国兵の構えていた剣が、全て根本から折れて落ちた。
立て続けに剣が地面にドサドサと落ちる音と、跳ねた剣身同士がぶつかる金属音がそこらじゅうからけたたましく鳴り響く。
「私は剣など最も苦手な分野だが、魔法使いが剣を使えて悪いことなどあるまいと思って嗜んでいた程度に過ぎなかったのだがな。それでも人間の剣士がこの程度とは失望したよ」
そして、その指を鳴らした手を、軍団長へと向ける。
軍団長は手の平を凝視して震えていた。
「これが現実だ。————ところでお前は、やられたらやり返す方か? 先制攻撃されたら、相手の強さにかかわらず正当防衛を主張できると思うか?」
「……あ……」
「私はできると思う方だ」
先制攻撃されたら正当防衛を主張できる。
当たり前の内容だが、今の状況でのその発言の意味を、軍団長は震える膝で聞いていた。いや、今膝を突いた。
ここでなんと、軍団長の前に皇帝が割って入った。
この人、こういった皇族らしくないというか随分前に出てくる人だなと思う。ビスマルク王国とはいろいろと立場や成り立ちなどが違うのかもしれない。
危なっかしいけど、悪い印象はしないな。
「ま、待て待て!」
「ッ! 陛下!」
「こうなった以上、俺が話を付ける必要がある」
皇帝はマグダレーナさんの正面に立つと、少し渋い顔をしてそれまで展開に飲まれていたウンベルト様の方をちらりと見る。
「ウンベルト。魔人王国は、和平をいつも望んでいたと言っていたな?」
「……そうです、陛下」
「……。……はーっ。まさか今、俺の判断一つで帝国領の人間全ての命が握られているとはな……ここまで緊張するのは、何十年ぶりか」
大きく息をつくと、マグダレーナさんの方に向き直った。
「二十三代皇帝、サンドロ・シレアとして、貴殿に伝言をお願いしたい」
「ああ」
「魔人王国女王と、和平を結ぶことを受け入れよう」
マグダレーナさんは、その発言を受けてようやく口元に笑みを浮かべると、一歩引いて頭を下げた。
「英断、女王に代わって感謝しよう」
そしてすぐに頭を上げると、僕の方に来た。
「彼はもう、メルクリオの港町まで返しても問題ないな?」
「もちろんだ。君も、すまなかったな。元々ビスマルク王国の者なのに、シレア帝国の問題に突っ込ませて」
「いえ、結果的に魔人王国と仲良くしてくれるのなら来てよかったです。でも本来はただの村人なので、皇帝や侯爵と話すのは緊張しますね」
「ハハハ、お前のような肝の据わった村人がいてたまるか」
最後、皇帝は笑っていた。
周りと見ると、血気盛んだった兵士達も、さすがに命拾いしたと分かったのかへたり込んでいた。
そして皇帝は、改めて防御魔法の及ばなかった荒れ地を見て呟く。
「まったく、本当に現実を見せてもらったよ。我々人間の戦争が、なんと狭い世界なのかと。思い上がりも甚だしかったな……」
皇帝は、「そうだ、訓練場の魔石の破片は、ほしければ持って帰ってくれて構わん」と言ってくださったので、お礼を言って遠慮無く回収して帰ることにした。
-
疲れた。
長い一日だった。
馬車に乗る前、マグダレーナさんが二人っきりで会いたいと言ってきたので、報告書をまとめているレジーナさんに断りを入れて誰もいない場所まで来た。
マグダレーナさんと二人きりだ、緊張する……。
「————はぁ〜〜っ、やっぱり緊張するわ」
「……え?」
「もーこういう疲れるの嫌よね」
マグダレーナさん、それまで纏っていた雰囲気を取り去って、両腕を上に伸ばして肩をほぐし始める。
……もしかして。
「そっちが素なんですか?」
「そうよ、あんなカタイ言葉遣い、普段からやってるわけないでしょ」
「じゃあ、リンデさんとか、ユーリアに対しては……」
「真面目に先生しないと、なかなか潜在能力のある子も本気を出してくれなくてね。あ、あと」
皆から怖いと聞かされていたマグダレーナさんは、両手を腰の後ろに、首を傾げながらウィンクをした。
「レーナってのが愛称なの。リンデもマーレもライって呼んでるらしいし、私もいいかしら?」
……マグダレーナさん、思った以上に軽い人だった。
「もちろんですよ!」
「よかったわ!」
そしてレーナさんは、すぐに報告に戻るからと手を振って、一瞬で目の前から消えた。
……ふと、あることに気付いた。
性格は、どちらかというとレナさんのままだったけど。
「あの人、魔王様のことをさっきも『マーレ』って呼んだな……」
最後まで、謎の多い人だったな。




