第七扉 「人形の家」
ある丘の小さな家に人形の女の子が住んで居ました。その人形は、ある人が大地の土を練り、そして人を模り聖なる光の中で魂を吹き込んで造った人形です。ですから人形の肌も髪も衣装も、全てが煌めき輝いました。
彼女は丘の上の小さな家のその窓から、平穏に過ぎる時の流れを延々と眺めていました。人形を造った人形の主は、彼女が家から出ることを固く禁じていたからです。しかし彼女はそれを一度も苦にしたことはありません。何故なら、その家の中の全ては見事に調和がとれており、人形もその美しく整えられた世界の一部だったからです。ですから女の子は、自分がそこに居続けることに何も違和感を覚えることはなく、それを当然のことだと心から思っていたのです。
ところがある日、一人の人間がやってきました。雪が深々と降る真っ白な丘の上を、その人間は凍えそうに歩いていました。
その姿を見た女の子は、家の窓のカーテンを外し、それを生地にして暖かいコートを瞬く間に縫い上げました。
彼女は家の扉を開き大声でその人間を呼び、コートを手渡しました。
すると不思議なことに、そのコートは雪の寒さを一切感じさせず、寒さに凍えた人間の体と心をいつまでも温め続けたのです。人間は丘を下りながら何度も何度も振り返り、頭を下げて女の子に感謝をしました。
人形の女の子はそれを見て、言葉ではうまく言い表せない初めて感じる不思議な気持ちを体験しました。
やがて春になると、別の人間がやってきました。
体は痩せ細り足取はおぼつかなく、貧しくて食べるものが無く困っているとのことでした。
人形の女の子は、家にあった食べ物を分けてあげました。
人間は何度も何度もお礼を言いながら嬉しそうに去ってゆきます。
人形の女の子は、自分の中で目覚めたある感情が、少しずつ大きくなっていくのを感じていました。
夏が近づいたある日、悲しく疲れた顔をした家族が、丘に向かって歩いてきました。人形の女の子が事情を聞くと、山火事で住んでいた家も村も失い、新しく生活する場所や家を探しながら旅をしているのだけれども、なかなか受け入れてもらえるところがなく困っているという話でした。
その話を聞いて、人形の女の子はある決心をしました。
家を失くし住む場所も失くしてしまった人間の家族に、自分の住んでいる家を譲り、自分は人間たちの住むこの世界をもっと観てみたいと思ったのです。
人形は丘の上の小さな家の前で、両手を天に伸ばし心の中で念じました。この家が人間の家族が住むに相応しい家になるようにと。すると不思議なことに、丘の上の小さな家は、まるで生き物が大きく成長するように姿を変えてゆきました。部屋の数が増え家畜小屋もでき家の裏は広い畑となったのです。
人形の女の子は、幸せそうになった人間の家族の顔を見て、自分の身体が不思議と温かくなるのを感じました。そして、住み慣れた丘の上の小さな家から旅立つことに、身体がとても軽くなることを感じていたのです。
人形の女の子が山を幾つも越えると、ある村で左腕の無い人間の男性に出会いました。山で狩りをしている時に獣に襲われ、手を食いちぎられてしまったそうです。
人形の女の子は躊躇うことなく自分の左腕を肩から外しました。その瞬間、女の子の身体を初めて経験する感覚が襲いました。それは「痛み」でした。ただの痛みではありません。気が遠くなるような激痛でした。それでも彼女は自分の腕を、男の腕が本来あるべき場所にそっと添えたのです。すると不思議なことに、彼女の腕が男の元の腕へと変わっていったのです。
女の子はその様子を見るととても満足し、間もなく気を失ってしまいました。
その後、人形の女の子はしばらく男の山小屋で一緒に暮らしました。男は人形の女の子とずっと一緒に暮らすことを望みましたし、女の子も同じ気持ちでした。それでも人形の女の子は、もっと人間の住む世界を観てみたいという誘惑に勝てませんでした。
ですから、彼女はまた一人で旅を始めたのです。
山を幾つか越えると、海が見えてきました。海の近くには人間の住む街が見えます。でもよく見ると様子が変です。そうです、この街は戦争に巻き込まれて、建物の大半が瓦礫となっていたからです。そんな街で人形の女の子は、松葉づえをつく幼い少女と出会いました。少女は戦争で右足を失くしたのでした。
人形の女の子は自分の右足を片手で掴むと、渾身の力を込めて体から自分の右足を引き抜きました。人形の女の子はあまりの激しい痛みで体の全ての感覚が麻痺してしまいそうでした。いえ、実際に麻痺していたのかもしれません。女の子は何も考えず、何も感じることができず、ただ自分の右足を少女の右足へと差し出したのです。すると少女の体と人形の女の子の右足は淡く光る薄紅の光に包まれ一つにと繋がりました。
幼い少女は両足で歩けるようになると、それはそれは喜びました。
しかし、目の前の女の子……片腕と片足を失くした人形の女の子を目の前にして、とても怖くなりました。自分の身に起きたことが信じられず、目の前で気を失って倒れている女の子の存在も信じられなかったのです。ですから少女は、そこから走って逃げだしてしまいました。
人形の女の子は、何かが頬を叩く感覚で目を覚ました。
それは雨でした。
冷たい雨でした。
女の子は微笑みました。「冷たい」という感覚を初めて感じたからです。
人形の女の子は、幼い少女が置いて行った松葉杖を使って、再び歩き始めました。街を抜け、海岸沿いを随分と歩きました。
すると、人だかりのする場所が見えてきました。海へと突き出した崖に塔みたいなものが見えます。そしてそれを囲む様に大勢の人が居ます。村人の男や女、年寄りや子供、色んな人たちが居ました。そして人々が口々に叫んでいたのです。
「魔女を殺せ」
「魔女を生かしておくな」
「魔女は死をもって罪を償え」
人形の女の子が人垣の隙間から様子を覗くと、塔の様に見えたのは巨大なギロチンでした。そのギロチンに一人の美しい女性が縛りつけられています。そしてその女性の周りには綺麗な服を着飾った人間が数人いました。そのうちの一人が女性に向かって何かを喋りかけていますが、女性はそれに対して首を横に振るだけでした。やがて彼らは女性に話しかけるのを諦め、彼女から離れると集まって何かを相談しました。それはすぐに終わり、彼らのうちの一人が前に進み出て手を天にかざしました。
そして、その手が地面に振り下ろされると、ギロチンの巨大な刃が女性の首を切断したのです。
人々は女性の体から衣服を脱がすと、肉の塊となったその体を海へと投げ入れました。そして女性の頭のみが人垣の向こうへと運ばれたのです。そこにはなんと断頭された人間の頭が幾つも並べてありました。白骨化した頭や、干からびた肉がまだ残っている頭、様々な頭が海の風に晒されています。
人々が居なくなると、人形の女の子はさきほど断頭された女性の頭のもとへと近づいてゆきました。そして、彼女にそっと話しかけたのです。
「あなたは、魔女なんですか?」
「いいえ。私は魔女なんかではありません。私は特別な力など何も持たない、ただの哀れな女です」
「あなたは、まだこの世で生きたいですか?」
「わかりません。でも私には恋人がいます。彼は私が魔女でないと信じてくれてました。ですから私はもう一度、彼に会いたいです」
「わかりました。では私の身体でよければ、あなたに差し上げましょう。片腕と片足がありませんので、とても申し訳ないのですが、それでもよろしいですか?」
「そんなことが、できるのですか……。できることなら、ぜひお願いします」
その言葉を聞いて、人形の女の子は、なんと自分の頭を片手で体から引き抜いてしまいました。そして自らの身体に女性の頭を据えたのです。すると不思議なことに、人形の身体を得た女性は、まるで自分の手足の様にそれを動かすことがでるようになりました。そればかりか、土色だった女性の死顔には生気が甦っていったのです。
女性は涙を流して感謝をしました。しかし、人形の女の子にその気持ちをなんと言葉で表現したらいいのかわかりません。
その想いを察したのか、女の子は女性に言いました。
「大丈夫です。何も言わなくていいですから、すぐに恋人のもとへ行ってください」
女性は溢れる涙を止めることができず、女の子の頭を強く抱きしめました。そして女の子の言う通り、恋人のもとへと去っていったのです。
人形の女の子は、海に沈む夕日を静かに眺めていました。
自分は自分の創造主との約束を守って、あの丘の小さな家にずっと居れば良かったのか、それとも……。
人形の女の子が自分の行いに想いを馳せていると、ある人物が現れました。
女の子は恐る恐る尋ねました。
「あなたは私を造られた方ですか?」
「いや、違う。私はあの方に試される者、あの方を試す者だ。そして私は、この世でお前が願う全てを叶えてやれる存在」
「私の願いですか?」
「そうだ」
「私の願いは……この世界の人間が幸せに暮らせるようになることです」
「その為に、自らのどんな犠牲も厭わないと?」
「はい」
「それほどまでにこの世を愛するのなら、私がお前の新しい主となろう」
そい言うと、その人物は足元の土から人を模した人形を造り上げました。そしてその人形に女の子の頭を添えたのです。すると女の子の身体が真っ赤な焔に包まれました。
陶器のように無垢で真っ白な肌、それとは対照的に黄金色に眩く輝る髪、そして人の業を映すように鮮血に染められた真紅のドレス。
焔の中でそっと目を閉じていた彼女は、今までにない穏やかさを感じていました。それはまるで揺り篭の様に母親に抱かれ、安らかに眠る赤子の様です。
悪から善が生じない様に
偽りが真実に成らない様に
私の体も心も
永久に不浄なのでしょうか
あなたに抱かれて見る夢は
こんなにも美しく
こんなにも私を穏やかにさせる
私が目醒める時
それは終わりの始まり
私があなたに出逢う時
それは定めの無い時まで続く
愛の始まり
そして彼女は、そっと目を開きました。
それが彼女の、この世での目醒めとなったのです。
人形の家・完
2017年10月31日 誤字を修正しました。




