禁断の果実の味は味噌と醤油
大和と椿は賢者の塔にそれぞれ部屋をもらい、とりあえずこの世界のしきたりや礼儀、言葉などを教えられることになった。
リリーのふりをするなら指輪ははずさなければならない。
そこでナリスが目をつけたのが、椿が持ち込んだ百科事典の翻訳である。異世界の言葉を知らなければ、こちらの世界の言葉に直すのも難しいという理由である。
「なんとも難解な言葉ですね。四種類の文字を使い、それでひとつの文を作るとは」
「四種類? ひらがな、カタカナ、漢字の三種類じゃないの?」
「これは?」
「ああ句読点、記号の類ね。これも文字に入れちゃうの?」
「あ、これも別系統ですね。いったい幾つの文字があるのですか?」
「ローマ字というか、アルファベットね。言われてみればややこしいかも。日本語は何でも取り入れちゃうから」
「あるふぁべっと?」
「別の国の言葉よ」
椿は五十音をひらがなカタカナで書き、さらに思い出せるだけ漢字を綴っている。
ナリスによればこの国の文字の種類はひとつであるらしい。
「なぜここまで文学が複雑なのですか?」
「最初に漢字が海外から入ってきたのよ。形象っていうか、形で意味を持たせた文字ね。でも、画数が多くて書き辛いでしょ? 省略したり続き文字にしたりしているうちに、ひらがな、カタカナという日本独特の文字ができたのよ。それらが長いあいだかかって独特の文学ができたのよね。わたし達にとってはこれが当たり前なんだけど、わたし達の世界でも珍しい文学みたい。新語もどんどん生まれているし。でも、海外のオタクは日本の漫画やアニメを原語で見たいがためにこの複雑な文学に挑戦しているのよ。宮廷魔法使いのナリスさんならできるわよね?」
「まんが? あにめ? おたくとはなんなのかよく理解できませんが、やってみせましょう。こちらの言葉に翻訳してみせます」
大和も同じ机についているが、百科事典を翻訳してしまっていいのだろうかと悩んだ。
発明や発見は偶然の要素が強い。気がつけば活用され発展していくが、そうでなければそのままだ。別の世界で見つけた法則や発明はこの世界を捻じ曲げてしまうのではないか。
「……いいのだろうか? 本当にその必要があるのか?」
「わたし達が言葉を覚えるのにも通訳できないとだめでしょう?」
「ヤマト殿、翻訳はわたしとツバキ嬢で進めます。ヤマト殿は遠い異国から来たと説明してありますので、王宮の中なら比較的好きなところに行かれてもかまいません」
リリー王女が言葉を話せないのはおかしいので、椿はある程度言葉を覚えるまで事情を知っている人間の前にしか出られない。事実上の軟禁である。
それを不自由と思うかどうかは別として。
「ディアボロ殿が明日にでも鍛錬場に御案内すると申しておりましたが」
「ああ、約束したからな」
「では、今日はこのくらいにしておきましょう。お食事の準備もできていると思います」
ナリスが宣言し食事の時間となった。
食堂に案内され二人はそれぞれ用意された席についた。ロディシアの食事は二人の感覚から言えば洋食に似たものだった。あきらかにフォークとナイフと思われるものがある。ナリスにこちらの食事の作法を聞きながら食べる事となった。
「どうでしょう? お口に合いますか?」
「うん。わたし達の世界でも似たような食べ物があるわ」
「それはよかった。ヤマト殿、食が進みませんか? お口に合わないものでも?」
「いや、それは大丈夫だが……」
「兄さん、たぶんこの世界にお箸はないと思うわ。和食も……ないかも。兄さんにはつらい世界かもね」
「…………」
大和は和食党だった。醤油と味噌のない世界はつらい。
「あ、でも、塩焼きぐらいは再現できるわよ。塩あるみたいだし。塩があれば干し魚も作れるわ。大豆に似たものがあれば、もしかしたら味噌や醤油も似たものが作れるかも?」
砂糖、塩があるのは確認できている。酒、みりん、味噌、醤油があれば和食が作れる。
「鰹に似た魚がいれば鰹節っぽいものなら作れるかもね」
和食の決め手は出汁である。昆布と鰹節があれば作れる。
「いや、郷に入れば業に従えというし……」
「なんですか? それは」
「わたし達の国の調味料よ」
椿と大和は隣同士の部屋をもらっていた。
なかなか豪華な内装だ。椿にはシーリアがついていたが、大和にもシオンという付き人がつけられていた。
「こんなにそろえてもらって申し訳ないな」
「いえ、大丈夫ですよ。費用は気にしないでください」
シオンがにこにこしている。費用はたぶん全てロジニア公から出るのだろう。
寝巻きも用意されていた。着替えを手伝おうというシオンを断り、大和は早々にベッドにもぐりこんだ。
こちらの世界に少しでも慣れておかなければならないだろうと大和は思う。下手をしたらこちらの世界で生きていかなければならないのだから。
今はロジニア公の懐から生活費が出ているが、いずれ何かで身を立てなければならない。なにが自分にできるのか。そんな不安が消えなかった。
翌日、朝食の後すでにこちらの礼儀作法と挨拶の勉強を始めた。数時間の後、迎えが来た。
「ディアボロ殿が迎えに来ました。鍛錬場に御案内するそうです」
「そうか」
「こっちはわたしとナリスさんでやるから、いってらっしゃい」
「いってくる……」
こうしてこの日から数時間ずつ兵士と一緒に鍛錬するのだが、この後椿とナリスを二人っきりにしたことを後悔することになるのだった。