巫女は太陽と月に詠う
鮮血が宙に舞った。崩れ落ちるたおやかな乙女は──椿がランカを抱きとめた。
「ランカさん! ランカさん! しっかりして」
「動かさないで! 止血します。助けてみせますから!」
ナリスが治癒の呪文を唱える。癒しの魔法がランカを包み込んだ。
「あーはははは、これで陽月祭も終わりだ! 魔界との扉が開く!」
凶刃をふるった男が狂ったように笑う。
リアンガの雇った組織は軍の強襲を受けてはいたが、それ以前に新たな刺客を送り出していた。すでに配置してある駒に目標変更の指令を出すには遅すぎるとして囮にしたのだ。刺客を捕らえたと安堵した警備の隙をつかれた。
「きさまあぁああああ!」
電光が閃いた。火が走り、風が刃となって荒れ狂う。地から水が吹き出し、鉱石が飛び出しつぶてとなって降りそそいだ──全ての余波をくらいひるんだ男に電光をまとった大和が踏み込み──白刃が男を打ち据えた。
「よくも──よくも」
まだ怒りが冷めぬ大和の回りで火、風、水、砂──四元素すべてと電光がまとわりつく。
「な、なんだ、あれは」
ウィルがもらした呟きに答えを返したのはナリスだった。
「霊力です。なんという霊力……四元素すべてを統べるとは……」
力ある魔法使いが激昂したとき魔力がもれることがある。しかし大和が我を忘れて放出しているのは生の霊力だ。それに引き寄せられ精霊が騒いでいる。四元素すべてを操れる可能性があるということ。
かつてカンナギという姓について「神を鎮める」という意味があると椿は言っていた。神に仕える家系にありそうな名前なので聞いてみたがわからないという。霊力魔力を測ってみようという試みは忙しくて後回しにしていた。
「あれほどの力を持つ人は……記憶にありません」
ならば同じ血をひく椿も──
再び悲鳴が観客席から起きた。
「みろ、空が! 空が割れる!」
そういったのは誰だったのか。
かつてナリスが示した部分──なにもないはずの空間に黒いしみのようなものが現れた。それは見る間に広がっていき──
「いけません、封印のほころびです。このままなら──」
──魔界との道が開く。舞台でのごたごたで詠を捧げるべき時間が来てしまっていたのだ。封印をとじようにも、巫女をつとめられる王族の姫がいない。リリー王女は異世界に飛ばされ、ランカ姫は傷ついて臥している。あと巫女の資格があるのはもう一人だけ。子育てのため巫女を降りたその女性を今から連れてくるには時間が無い。
「……手のうちようが……ない……」
愕然とナリスが呟いた。
魔界との道が開く。魔界に封じられた魔物、魔獣、瘴気、それらがこちら側の世界を侵す。暗黒の時代が再来する──
「兵を集めろ! 観客を避難させる。魔物がこっちに出しだい撃ち落せ! 弓兵を配置しろ! 他なんぞ、ほっとけ!」
ディアボロが吼えるように指示する。
空間が軋んだ──拳ほどの空間の穴からぞっとするほど淀んだそれが零れ落ちるように広がっていく。瘴気──あちら側の空気に値するものだ。
「なんということだ……」
この事態だけは防がなければならなかったのに。
弓がなり、小さな魔物が射落とされる。
「なんだ……いったいなにが……」
あるはずのないことだった。
ロディシアの巫女──あるいはセラフィナが襲われ、魔界との道が開こうとしている。それはもはや疑いようがない。
「詠を! 巫女さま、詠を!」
最初に誰が叫んだものか、それは会場に広がっていった。
「巫女さま」
「巫女さま、詠を!」
そこにいるのがリリーではないと知らぬ観衆がランカのそばにいる椿に懇願した。
椿は顔をあげ──
「ナリスさん、ランカ姫を頼んだわ」
「いけません! あなたはリリー王女ではないのですよ!」
ナリスの言葉はどれだけの人に届いたか?
髪の長さが違う──それ以前に椿は椿。姿かたちは同じでも芝居をやめた椿に違和感を覚えるものもいるだろう。
巫女の衣装をまとった少女は立ち上がり凛とした姿をみせる。気丈にもおぞましい何かが蠢く空間の穴を見据えた。
ナリスはぞっとした。王族の血をひいていなければ、たとえどれだけの霊力があろうと契約の水晶球は反応しない。異世界の少女が詠っても意味が無いのだ。詠に効力が無ければ──最悪興奮した観客に引き裂かれる。
可憐な少女の肢体が暴徒と化した群集に飲み込まれる未来図が脳裏をよぎった。
椿は通訳する指輪をはずし、大きく息を吸って詠い始めた。
我らは忘れじ その加護を
陽は天にあり我らをはぐくみ
闇はその腕に我らを抱き癒す
契約の水晶球が輝いた。
木々は実りを与え 水は渇きを癒す
我らは恩恵なくして生きられず
一抱えあるボールほどにひらいていたほころびから鳥のような形をした魔物が出ようとしていたが──水晶球の輝きにてらされ急速に縮んだほころびに引っかかってはさまれた。首だけがこちらの世界にある。魔物が苦しそうに鳴いた。
ディアボロをはじめ事情を知る兵士が舞台を振り返った。
我らは忘れじ その加護を
火は穢れを払い 風は不浄なるもの払う
天は見守り 地は支える
そこにいるのは紛れもなく巫女。少なくとも一度聞いただけ、それも全歌詞を聞いたとも思えないのに、椿は発音も音程も完璧な詠を詠っていた。
迷いの無い美しい声が響く。
「ツバキ……嬢?」
我らは忘れじ その恩恵を
我らは恩恵なくして生きられず
我らはささげん この祈りを
我らはささげん 感謝を
空間にあった封印の綻びが締めなおされた。鳥の形をした魔物が絶叫とともに首を絶たれ、首だけが地に落ちる。
再封印はなされたのだ。契約は続行された。
歓声と拍手が会場に溢れた。
「どういうことです……ヤマト殿」
ナリスが傍らにいた大和に尋ねた。
「ナリスさん、もし個人を召喚する魔方陣で、その人が亡くなっていた場合、誰を召喚する?」
聞き返され、ナリスは即答した。
「その人の子供です。第一世代の直系子孫のみ……まさか!」
「そういうこと……なんだろうな」
固定してなかったとはいえ、ナリスの作った召喚陣は正しく機能したのだ。
「あの歌は……母が子守唄代わりに聴かせていた歌なんだ。母の故郷の歌だといっていた。リリーの花は、あちらにもある百合の花に似ている。言葉の通じない世界に放り込まれた母が庭にあった百合を指差して自分を示せば──百合とよばれても不思議じゃない」
「……五ヶ月……五ヶ月前ですよ、リリー王女が消えたのは!」
「我々の国に浦島太郎という御伽噺がある。竜宮城という場所で過ごした数日は、地上に戻ってみれば百年のも月日だったという──そういうことだろう。あちらとこちらでは時間の流れが違う」
認めたくないことだった。それを認めてしまえば──大和と椿が元の世界に帰っても何年も──何十年もたっている恐れがある。
だが事実は認めなければならない。椿が詠い契約の水晶球はそれに反応した。再封印を成し遂げたということが王族の血をひく何よりの証拠である。
「どういうことだか、わかっていますか?」
「帰れない──帰っても何十年もたっているということだ」
母が父と知り合い、二人のあいだに産まれた子供が同じ歳になるぐらいには──
「返すわけないじゃないですか! 巫女ですよ! 直系のお子様はリリー様のみ! あなた皇太孫にあたります!」
「……そうなるのか?」
それは正直想定外だった。
「なるんですよ! なら、ロディシアはどうあってもあなた方を放しません!」
「……面倒だな」
王女の子だとしても、異世界の人間との子である。正直、身分は認めてもらえないだろうと思っていた。また、認めてもらっては困るのである。
王になるための教育も受けていない異世界人を次世代の王にしようなどと誰が思うものかと。貴族が騒ぐことは間違いない。
つくづく面倒だと大和は溜息をついた。