不思議の国 Ⅳ
「ねえ、カイは恋人とかいるの?」
横に座っていたアリスが年相応の女の子のような質問をしてくる。
後ろから着いてきているクラムが驚いたような心配するような「こいつ頭大丈夫か?」というような複雑な表情を浮かべている。
先ほどまで血に染まっていた少女の口から出てくる言葉にしては意外性がある。
「恋人はいませんね・・・。ははは、こないだフラれちゃいました。」
つい先日、大学にも慣れてきた頃合い。
高校の頃から付き合い、同じ大学に進学した彼女にフラれた。
自分は何にも入らなかったが彼女が入ったのはテニスサークル。
所謂、テニサーと呼ばれるものではなくまじめな経験者向けのサークルのようだがそこで出会った年上の先輩のことが気になるとフラれてしまった。
この年代の女子なら年上の包容力とやらに弱いものなのだろう。
よく聞く話だった。
そして、自分の彼女も例外ではなかった。
それだけのことだ。
それだけのことで1週間授業をサボり、1月ほど友達に心配されるほど落ち込んでしまっていたが。
まあ、3年も付き合ってた彼女があっさりと他の男に行ってしまったのだから別におかしくはない、と思う。
「えーひどい彼女だね。カイかっこいいのに。」
「アリスは恋人とかいないの?」
「ははは、いないいない。だって、この世界にいるのってあんな卵男とかイカレタ帽子男とかばっかりだよ?いいなー憧れちゃうよ。ねえ、外の世界はどんなことして遊ぶの?」
こうして普通の会話をしていると普通の少女にしか見えない。
それもとびきりの美少女。
外の生活のことを離すと目を輝かせ、出てくる話一つ一つに興味を示す。
「なんだかおいしそうなものいっぱいだね~。この世界で食べるのなんて紅茶とクッキーと動物の丸焼きくらいだからさあ。いいなー私も食べてみたい。よし。新しい世界は外の世界の新しいもの一杯取り入れないと!」
それまで黙っていたクラムが口を開く。
「ねえ、アリスはこの世界が嫌いになったわけじゃないんだよね?」
「何度も言ってるじゃない。愛してるわよ。だから殺すの。ちゃんとあんたも蘇らせるわよ。私は負けないから安心して待ってなさいよ。」
「でも、僕はこの世界だからいいとも思うんだ。」
小さな、物音ひとつで掻き消えそうな声でクラムが呟く。
「ねえ、クラムは<生きて>みたくない?自分の役から離れた自分の人生を。私はこのワンダーランドで生きれる世界がいいと思うの。もう物語を読む人は殆どいないから。だったらみんながこのワンダーランドで生きればいいのよ。はい、この話おしまい。それよりそれより、カイはどんな女の子が好き?ショートカット?ロング?どっちのが好き?」
アリスが腕に絡みつくと花のようないい香りがする。
そして微かな鉄の匂い。
後ろでまとめられた長い髪が揺れる。
「ロ、ロングかな?」
アリスがうれしそうな笑顔を浮かべ髪を解く。
「じゃあ、こんな感じ?」
解かれた髪が風に揺れて光で煌めいて見える。
「はあ・・・」
クラムの呆れたような諦めたようなため息が森の中で木霊する。
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「はい、できたよ。食べなよ。」
クラムに差し出された器にはキノコのスープが盛られている。
「食べてみて。このキノコおいしいからさ。安心していいよ。これは変な効果ないから。」
色鮮やかなキノコをスプーンで掬い、スープと一緒に口に運ぶ。
「ん、おいしい。これすごい美味しいよクラム。」
「へへ、でしょ。おいら弱っちいけどさ、隊では一番料理上手なんだよ。」
自分の分のスープを入れながら得意げに答える。
「あら、いいにおい。私の分は?」
果物を手にしたアリスが戻ってくる。
自分も何か探すと森の中に果物を取りにってたが両手に大量に抱えて帰ってきたようだ。
「ちゃんとあるから待っててよ。これは僕のだからね。」
「はいはい。カイこれ美味しいから食べてみて。」
アリスに渡されたのは紫色の毒々しいリンゴのような果実。
恐る恐る口に含むとその甘みが口の中を駆け回る。
見た目からは想像できない甘い味に戸惑いながら更にもう一口齧る。
今度は甘みの中に酸っぱさも感じる。
「それ色んな味がするんだ。面白いでしょ?」
一口齧るたびに味が変化していき楽しい。
「うん。すごくおいしいよ。ありがとうアリス。」
「へへへ。」
アリスは少し照れたように顔を紅潮させてクラムからスープを受け取る。
「はあ、そんな普通の女の子みたいなのやめてよ。なんだか余計に気味が悪いよ。」
アリスに悪態をつきながらクラムが座り食事を勧める。
「なによ。私が女の子みたいで当然でしょ?女の子なんだから。ねえ、カイ?」
なぜそこで自分に話を振るのかは分からないが肯定しておく。
現に目の前にいるのは女の子なのだ。
目の前の少女がこの世界を壊そうとしているとは想像がつかないような。
食事を終え。火のそばでそれぞれ休息をとる。
日は落ち、周囲は闇に包まれている。
「あれ、クラムどこか行くの?」
クラムが立ち上がり森の中に行こうとしている。
「うん、この辺h魔獣が出るからね。罠を確認してくるよ。ああ、シンも一緒に来てもらえる?手伝ってもらえると嬉しいな。」
アリスはすでに眠たそうに眼をこすりながら火を見つめている。
クラムに付き添い、火から離れる。
「さて、そろそろかな。」
アリスをギリギリ視認できるくらいの距離でクラムが呟くと嗚咽が聞こえる。
その先ではアリスが体を震わせながら剣に手を伸ばしていた。
「アリス?」
アリスのもとに戻ろうとするとクラムに手を掴まれる。
「危険だよ。魔獣に囲まれる。」
火の周囲の闇の中に輝く瞳が見える。
獲物を狙いゆっくりと近寄り、徐々に火の明かりにその姿を現していく。
「バンダースナッチ。毒で動きが鈍っていればさすがにアリスでも。。。」
アリスが化け物に向かい剣を構えるのが見えるが、その姿は弱弱しく今にも倒れそうだ。
「クラムがやったの?」
「僕たちは敵同士だよ?あんな簡単に僕の料理を食べると思わなかったよ。さあ、ここにいると巻き込まれるかもしれない。僕らは逃げよう。」
クラムが森の反対へと走り出す。
この世界のことを考えるとここでアリスが死ねば喜ぶ人が多いのだろう。
化け物に対峙する毒で苦しむ表情の少女と先ほどまで年相応に笑っていた少女の顔が交差する。
「カイ!早く、あいつには理性なんてないんだ。ここにいたら僕らも危ないよ。」
クラムが叫びながら走っていく。
そして、なぜかそれとは逆のほうに走る自分がいた。
なぜ?
と聞かれても理由はわからない。
アリスの考えに賛同したわけでもない。
実際、まだこの世界のこともきちんと理解できていない。
ただ、化け物に殺される少女を見たくないと思った。
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化け物の頚部が伸び鋭い牙がアリスを狙う。
毒に侵された体をひねりなんとか一撃を躱す。
剣を振るおうにも持ち上げるのが精いっぱいで力が入らない。
油断した。
あの弱虫に私の食事に毒を含む度胸があるとは思わなかった。
狂った化け物バンダースナッチ。
ああ、なんでこの世界はやっかいな生き物しかいないのだろうか。
化け物の口元から燻るような煙と炎が漏れ出す。
まずい。
口から放出された激しい炎が迫る。
その範囲は広く躱せそうにない。
やり直しか・・・。
クラムなんかに嵌められてやられると考えると悔しい。
それにここで時間を無駄にすることも。
私たちにはどれだけの時間があるのかわからないのだから。
悔しさと怒りに歯を食いしばりながら迫る炎を見つめる。
「ホワイトラビット!!」
カイの声。
その声と同時になにかに捕まる。
炎と化け物から一瞬で大きく離れる。
抱えられたままその姿を見つめる。
カイの顔がそこにあった。
顔が、胸が熱くなる。
心臓の鼓動が破裂しそうに早くなる。
「このまま離れよう。しっかり捕まって!!」
その言葉に甘えて抱き着くようにしがみつく。
お姫様のように抱えられ、高速で駆け抜けていく。
ピンチに颯爽と助けてもらう。
必死に走るカイの顔を見つめる。
ああ、これが恋なのか。
なんて素晴らしい感情なのだろう。
世界を変えるに相応しい理由が増えた。
私は彼がほしい。
新しく生まれた感情に喜びが溢れ出す。
お読みいただきありがとうございます。他にも「クソステ冒険者の冒険記」と「凡人はもとの世界に戻りたい」というのも書いているのでよければよろしくお願いします。