エルフの森には危険がいっぱい
道に迷った──
キャスナはすぐに座り込む。
無理もない。キャスナは転生に失敗して、魔獣の姿になっていた。
俺はというと、キャスナと同じく転生に失敗して、魔獣の姿をしていた。
「トウジョウさん、ここどこですかぁー?」
「ベドロア付近なんじゃないかなー」
「あからさまに顔逸らさないでくださぁーい」
二人とも、先ほど道に落ちていた木の実を食べてお腹を壊していた。
「トウジョウさん、一人にしないでくださぁーい」
「トイレまで一緒に居るわけにはいかないだろー」
「でもでもでもー」
キャスナの言っていることを一々気にしても仕方がない。
ウッソウと茂るヤブを進み、適当な木の根元で俺は用を足す。
一度目はバーチャルの世界で転生権を手に入れ、巻き込まれる形で転生した。
二度目は近未来の世界で古代の転生権を手に入れ、またまた巻き込まれて転生した。
この世界でも、一メートルを超える巨大な体躯の狼に転生していた。
すっかり慣れた用を足す行為は、この世界でも違和感がなかった。
小説冒頭から下ネタ全開であるが、魔獣の文明はまだまだ未開で、カラダを売る行為は目と鼻の先にある。
カラダ=魔獣の固有能力を売らなければ、生きていけない最下層の世界。奴隷も当たり前にあった。
一度目のバーチャル世界では魔獣剣士として、王の近衛兵にまで上り詰めた。
二度目の近未来の世界では、国際警察として、AAAクラスの評価を得るまでに至った。
いずれも獣の粗野な姿から、人として認められるまで努力した結果だった。
俺はなにも他者に影響を与えるために努力した訳じゃない。ましてや世界を救うだとか、獣の地位を向上させるとか、転生するとか、そういう英雄になりたい訳じゃない。
ただ当たり前の日常を過ごして、当たり前に生きていきたいだけだ。
俺は首を振る──
そうなってしまったものはしょうがない。言うだけ無駄だ。
後ろ脚で土を掘って、先ほど“した”痕跡を消す。
「ファンダム、ファンダム」
俺は前脚に着けた、ブレスレット型魔法発生装置に思念を飛ばす。
──やっぱり出ない。
ファンダムはひどく怠け者の魔獣で、容姿はグリフォンにそっくりだった。
俺が頼れるのはこいつだけで、損得感情なしに動いてくれる唯一の親友だった。
致命的な欠陥としては、彼が魔獣に人権を与えることへ、関心がまるでないことだけだ。
生まれたときのことは、おぼろげながら記憶している。転生前の記憶が薄ぼんやり覚醒していたので、無意識に目の前の世界に色を付けていた。
衛生観念などまるでない、真っ黒な泥水の中に産み落とされた俺は、その村でファンダムと出会った。
ファンダムは言葉にするのもためらわれるような環境にいた。今日のファンダムの怠け癖を作った原因だった。
子供の俺が出来ることは高が知れていて、数年かかってようやく二人でその村を抜けた。
携帯電話なんて科学的なものは、魔獣に合わせて作られていない。
この広大なレドルフの山脈で、GPSもなしに来たことが間違いだった。
だが、エルフに会う条件としては、人工物を持ち込まないことは必須条件だった。
おそらく遠くまで魔法の思念が飛ばないとなると、頑張って歩くしかない。
俺はキャスナの元へと帰ると、キャスナは仰向けになって眠っていた。
小柄だが一回りも大きい狐の姿で、キャスナは転生していた。
転生に失敗したと言っても、キャスナは裕福な家庭で生まれた。
未だに無防備になることがあり、その度に注意しているのだが……。
「キャスナ、起きろ」
「トウジョウさん、もう朝ですかぁー」
「もうすぐ夜になるぞ、野宿の準備をしろ」
キャスナは獣ということで、もちろん全裸なので、仰向けになると色々と見えてしまう。
俺より数年年下で妹のようなキャスナへも、さすがに性欲を感じて興奮してしまう。
狐の乳は複数あり、キャスナは標準的な数だった。さらにその下には──
俺はキャスナの裸から顔を背けて、野宿の支度をする。
青柳そよかぜ──天馬このは──彼女とは腐れ縁もいいところだった。
彼女の生まれた環境に寄らない部分、生来の天真爛漫さは、俺には毒にしかならない。
いつか世界を渡る魔女に言われた言葉を、心の中で反芻する。
“あなたは無意識のうちに闇を見てしまう。それはあなたが光だから”
光と光は違いに交わることなく自分を主張し続ける。
キャスナは無垢に夢や理想を語るが、俺は現実的にしか考えられない。
そのせいで俺はキャスナの手を引っ張り、逆にキャスナに引っ張られる形で、二度も転生してしまった。
たとえ雌に飢えていても、キャスナを愛しても、キャスナとは別れてしまうだろう。
それにキャスナは、俺が元居た世界の妹とダブる。本当に、最後の最後まで、和解することができなかった妹に──
「キャスナ、見回りしてくる」
「何かあったら遠吠えするよ、コーンスープだけに」
キャスナはコトコト煮立ち始めたコーンスープの前で、軽く鳴く。
「エルフは内向きだが、テリトリーに入ったら何をするかわからない。気をつけろ」
「もー心配性なんだからぁー。転生でガツンと変わっちゃえばいいのに」
「お互い、変われないから転生したんだと思うぞ」
「?」
変わってしまったときが、本当に死ぬときなんだろうな──
人生は何かに気付くためにあるのだと、どこかの啓発本に書いてあった。
俺はキャスナの見えないところまで行くと、周囲に高度の結界を貼る。
古の呪詛と現代の言語、狼族の声帯から成る、オリジナルの結界だった。
魔獣はとてつもなく長い間、人間に虐げられて生きてきた。
だから魔法ですら、魔獣が発明したものは極端に少ない。
いくらでも開発の余地はあったし、前世で国際警察にまで上り詰めたのだ。
あとは頭の中に広がるロジカルを一つづつ試していけば、オリジナル魔法が──引いては魔獣の人権獲得に繋がる。
さしものエルフの警備兵ごときでは、この結界を破ることはおろか、結界が存在することすらわからないだろう。
一息ついて、俺は背中の荷物や脚に着いた装飾を外す。
こうなってしまえば、本当に全裸も同然だった。
軽くストレッチを済ませて、寝心地のいい場所をくるくると回る。
そうして雄としては不本意だが、手早く済ませてしまう。
先ほど見たキャスナの腹を想像する──
キャスナの発情期で熟れた身体を想像する──
俺の言葉に首を傾げるかわいいキャスナを想像する──
「なーにヤラシイことしてんだ、この狼は」
聞き覚えのある声がして、目の前にエルフの女リーダーが腰を屈めていた。
(あっ──)
俺は心の中で“やってしまった”ことに声を上げる。
「あー……すまねえ」
女リーダーは髪を搔き上げる。
俺は自分の液体に顔を濡らしていた──
そのまま茫然自失する俺の股間を、女リーダーはまじまじと見つめる。
「へぇー、狼ってこうなってるんだ」
露出の多いアマゾネスのような服は、エルフには珍しい浅黒の肌を晒す。
分かりにくいが、その浅黒の肌は少しづつ赤みを帯び、紅潮していく。
「なんでこのタイミングで来たんですか、レィンさん」
俺は気怠くガルっと唸ってみせる。
さすがに隠す気力もなく、レィンの見るがままに任せる。
「いやーハルが透視で見えたって言うものだから」
「まさか今の終始をハルに?」
「──うん」
うなずくレィンは、「どうした?」と続ける。
終わった、確実に嫌われる。
ハルは俺の弟子で、ハルにとって俺は師匠であり、命の恩人である。
そしてハルはどう思っているのか知らないが、俺はハルに片想い中だった。
プレイングミス、ゲームオーバー。
もう転生はこりごりだと思っていたのに、今すぐ転生してやり直したい気分だった。
ハル──
「でも、俺の結界を抜けるくらい強くなったんだな──」
俺は立ち上がって独りごちる。
「なに泣いてんだ?」
はぐれ女エルフ達をまとめていたレィンは、男心に鈍感らしい。
「いや、こっちのハナシです。それより近くに川はありますか?」
俺は真顔に戻り、液体に濡れた顔でレィンに尋ねる。
川に映った俺の顔は、実に男らしかった──