挿話 三年前
崇ノ国、帝都。
その年の冬、珍しく帝都に雪が降った。しんしん……という程でもなかったが、市民は慣れない雪かきにおわれている。西部、北部出身者にとっては郷愁を誘う光景。それ以外の者にとっては、雪に覆われた町は幻想的で、気分を高揚させた。
「珍しいよな、雪なんて。俺は初めて見た。」
陽が、いつもの気の抜けた声で言う。どんな状況でもこの調子なので、ある意味無表情かもしれない。それに、真が答えた。
「お前、帝都出身だったか?」
「いんや。離島の兎餌島だよ。あそこは雪どころか雨も降らない。」
「へえ、意外だな。都会出っぽい顔してるが。」
飛行学校三年の遠野雄一、宗谷真、雨宮陽の三人は、帝都の中央通りをブラブラと歩いていた。
休日を過ごすにあたって、これ程いい場所もない。幅数十メートルもある通りには、商店がそこかしこに並び、大いに人で賑わう。路面電車の警笛、八百屋や肉屋の呼び込み、芝居の口上、ガヤガヤとした雑踏の音。それが尽きる事は無かった。文房具店、書店、雑貨店もあり、ここで何でも揃えられる。
今日は西部民族の祭日なので、彼らの店は大方閉まっていた。
「よう、雄一君達じゃないか。しばらくぶりだな。」
そんな中、彼らに声を掛ける者があった。雄一が驚いた声を出す。
「クガイさん。今日は休みじゃないんですか?」
「何、こう貧乏だと休んでもいられんよ。儂は今日も平常運航だ。」
クガイは高齢の西部人。彼の店では古本を売っており、多少安くなるので学生は重宝していた。三人も、そんな学生の一部である。
「学校じゃ今何を?」
「後期の操縦訓練に向けて、総復習に入っています。来年の春には、郊外の飛行場へ移動になると思いますよ。」
真が真面目に答えると、クガイは微笑み労いの言葉を掛ける。商売人とは思えない程、人のいい人物だった。
崇ノ国は三つの民族を内包する。それぞれの民族は国会でも、三つの派閥に分かれていた。
便宜上、西部民族の爽王が国を治め、東部民族の西園寺高清東院議長、北部民族のチョ・ベクヨン西院議長がそれを補佐する、といった体制をとっている。
しかし実際は、東西両院の間で苛烈な権力闘争が繰り広げられ、帝王の行政権は形だけの物になりつつあった。そういう事情もあり、三民族の仲は好いと言えない。
それでも、西部人、東部人、北部人、それぞれ善人も居れば悪人もいる。同じ国に住むもの同士、理解できないこともあるが、何とか上手くやっていた。
「どうする、何か買っていくか?」
「そうですね……あの本の続きは有りますか?」
雄一は、お気に入りの歴史小説を購入することにした。
その後。
二人と別れた雄一は、通りを抜けて寮に帰ろうとしていた。午後はこれを読み、のんびり過ごそう。これから数時間の計画を立ててみる。
(確か、前の巻は賽王朝が倒れて、群雄割拠の時代に戻ったところか。)
中央通りが終わり、広場に出る。この先の道は五本に分かれ、寮へは右端の道を通ればよい。
実際にそうしようとした、その時。
「……?」
広場中心の大噴水。その傍にあるベンチに腰掛ける、一人の少女を目にした。息を切らしているのは、足元の紙袋を担いで来たからだろう。その中には、馬鹿みたいな量のリンゴが詰まっている。歳は雄一より四歳は下か。マフラーを首に巻き、西洋風のウシャンカを被っている。
雄一は、一瞬戸惑った。
少女を見た瞬間、心臓の鼓動が高まるのを感じたのである。
「……よし!」
少女は何やら気合いを入れ、立ち上がる。そのまま紙袋を抱え、ヨロヨロと歩き始めたが……。
見ていられない。雄一がそう感じる程、危なっかしい足取りだった。
「わっ!」
転んだ。
リンゴが、辺り一面に散らばる。
慌てて右往左往する少女。雄一はハッとして、手伝いに走った。方々の方向に転がるリンゴを、一つ一つ拾い上げていく。ゴロゴロと転がるリンゴ。意外と拾いにくい。
「すみません!」
少女が、申し訳なさそうに言った。
見かねてか、周りの親切な人達も加わり、紙袋にリンゴが戻っていく。そんな騒動の後、大量のリンゴは無事、全て回収された。
(それにしても、こんなに買って何をするつもりなんだろう。)
雄一は、ふとそう思った。
「あ、ありがとうございました。」
手伝った人々に、少女が礼を言っている。紙袋は破けてしまったようで、両手で抱きかかえるようにしてリンゴを持っていた。
「あの、貴方も……。」
少女が雄一に話しかける。彼は、とんでもないと手を振った。
「大丈夫ですよ。それよりリンゴは無事でしたか?」
「はい!良かったです。店長に怒られるところだった……。」
安心した様子で、少女は笑う。花の咲いたような笑顔。雄一は、思わずそう考えていた。慌てて首を振り、その邪念を打ち払う。
「……?どうかしましたか?」
「い、いえ。」
雄一は恥ずかしくなり、話題を変えた。
「そのリンゴ、良ければ半分持ちましょうか?」
「えっ、いいんですか?デラン通りの喫茶店までなんですが。」
彼は、ようやく合点がいった。リンゴはその喫茶店で使うのだろう。
「構いませんよ。どうせ暇ですし。」
結構勇気のいる言動だった、と彼が気付いたのは、かなり後だった。
広場を抜け、デラン通りへ。
少女は楽しそうに、雄一はやや緊張しつつ、言葉を交わしていく。そんな二人の数メートル後ろ、それを監視する影があった。
「間違いない。やはり、生きておられたか。」
「宗旨国に連絡せねば。王国の復興は、必ず成る。」
人影は、すぐに路地裏に消えた。
それが、雄一と少女…香菜野ユウの出会いだった。