第二十六話 シウアン島戦5
シウアン島。五カ国同盟軍陣地。
予定より多少長引いたとはいえ、上陸作戦は概ね順調に進んでいた。後は首府に総攻撃を掛けるだけ、今はその為に、休息を兼ねて各部隊の整備を行っている段階だった。
敵の夜襲を警戒し、兵士達が眠れない夜を過ごした後。シウアン島に、戦場に似つかわしくない気持ちのいい朝が訪れた。起床時間、様々な国籍の陣地から、これだけは変わらない士官の怒号が響き渡る。それを目覚まし時計代わりに、当直でなかった兵士らがノソノソと起き上った。
そのすぐ後。
「おお、偉大なる空の神よ……罪深きこの身をお許し下さい。」
オッヘンバッハ軍第三空挺団所属のトマスは、頭を垂れてそう祈りを捧げた。陣地内での朝食はこれで二度目。シウアン島に降り立った彼らの声は、空飛ぶ島という「聖域」で飲食する罪悪感からか、かなり真剣味を帯びていた。尤も、崇軍の兵士らは全く意に介した様子も無いが。それを苦々しく思いつつ、彼は乾パンをかじった。
あの夜の激闘の後、シウアン島に居るナチャーロ軍の抵抗は下火になっている。先行した崇軍の一部隊は首府まで後一歩、という所まで迫っていた。早々と制空権を握れた事もあるし、敵側の増援が不気味な程全く無いのも一因だった。
厳格なフェデオ教の信者であるトマスは、神罰を恐れつつ今日まで戦い、もうじき島が占領できそうな事に安堵を覚えている。
「しっかし、なんか釈然としねえよなぁ。」
そんな彼に声を掛けるのが、同じく空挺隊員のコンラート。レーションの不味さに顔をしかめているが、貴重な食料なので文句は言わない。
「何だ?モーネ陸軍への愚痴なら、昨日も散々聞かされたぞ。」
作戦開始段階の混乱で幾つものトラブルが発生したが、その出来事は最大の物である。上陸に失敗したモーネ軍のせいで包囲網に穴が開き、何度もナチャーロ軍の反撃を許したのだ。
「……ほら、見てみろよ。」
コンラートは、答える代わりに一部の新聞を差し出した。
「ブラウン社の作った変な飛行機なら、確かにおかしいが……だからどうしたと。」
紙面のトップに出ているのは、オッヘンバッハの航空機メーカーであるブラウン社の発表した、最新型の戦闘機。こうでかでかと宣伝しては軍機も何も無いが、どうやら士気高揚も兼ねているらしく、この機体が如何に素晴らしいか、かなりの分量で喧伝されている。航空機に疎いトマスにはよく分からないが、大型のグライダーの翼に葉巻を取り付けたような形状だ。
「違う、その下だ。」
そこには、「西大陸戦線、動き無し」「当分は安泰か?」などと見出しが出ている。十数行の小記事である。
「よく考えてもみろ。俺ら、開戦前はあれだけ古代兵器にビクついてたのに、何の動きも無かったろう。戦力が大陸に移動したままなのかと思ったら、この記事を見る限りそうでも無いらしい。」
「戦力を温存してるだけじゃないのか?」
「何故温存する?この前のように、大型魔法やガーゴイル部隊で強襲すれば、寡兵でも十分こちらと渡り合える。戦争の長期化は、向こうも望まないはずだ。」
トマスは適当に流しつつ、よく物を考える奴だな、と思った。
シウアン島の真下、B艦隊旗艦「シュトラッサ」
第二水雷戦隊が行方不明となり、もう数日が経つ。常識的に考えれば、敵残存兵力……護衛を九割方失った空母機動艦隊……相手に、宗旨国軍精鋭部隊が全滅したと見るべきだろう。
「しかし、どうすればそのような事が起こる?」
ブラウナーは不可解さを感じつつ、一先ず作戦が順調に進んでいる事に安堵した。もうじき、ソ・ヒョング中将隷下のA艦隊も、本命であるズナーク島攻撃に移る。そちらの情報は無線封鎖で一向に入ってこないが、まあ大丈夫だろう。
「しかし、敵空母を逃したのは痛手だった。」
「全くですな。ここで、中央海東部の制空権を手中にしたかったのですが……。」
シビスが、心底悔しそうに答えた。
「心残りだが……当面は問題無いだろう。」
定期哨戒飛行に飛び立つ偵察機を眺めつつ、ブラウナーはそう結んだ。
「あの、艦長。」
見張り員の声に、シビスが反応した。
「どうした?」
「いえ、その……海面に大量の砂が。」
「何?」
新米の見張り員のしどろもどろな報告。操舵手も気付いているようで、怪訝な表情を浮かべている。シビスが何か言うより先に、ブラウナーが窓際に近付き、遠くを凝視した。
「確かに……水平線が、まるで砂漠のようだ。」
ぼそり、と心で思った事をそのまま口にした。こちらに向かって流れてくる砂により、海面が赤黒く濁り出していた。
「おかしい、潮の向きに逆らっている……?」
航海長の言葉に、ブラウナーは嫌な予感を覚えた。何か、只ならぬ物が近付いてくる。
「……不味いな。」
「司令官?」
シビスの疑問に、誰も答えられなかった。
見張り員が悲鳴を上げ、どよめきが艦橋を包んだ。砂は艦隊の目の前で飛翔を始め、徐々に人の形を形成している。明らかに古代兵器だった。
一瞬の沈黙の後、ブラウナーが叫ぶように命令する。
「撃ち落とせ!巡洋艦と戦艦は砲撃用意!空母は攻撃機を至急上げろ!」
「りょ、了解!」
艦橋が再び慌ただしくなった。空母の格納庫ではブザーが鳴り響き、戦艦の巨大な砲塔はギリギリと回転し、「砂」を指向した。各主力艦艇が攻撃準備を行う間、補助巡洋艦は手早く機関銃や高角砲を雨あられと浴びせる。が、効果は無い。
僅か五分程で、全艦艇が対古代兵器戦闘に向け展開し終えていた。臨戦態勢だった事もあるが、この艦隊の錬度の高さが窺える。
「何なんだ、あれは?」
「ゴーレムにしては大きいですが……それに類する物と見て間違い無いかと。しかし……何て大きさだ、目測で全長五百メートルはあります!」
誰もが唖然としていた。一体、あの巨体を崩壊させずに保持するだけで、どれ程の魔力が消費される事だろう?
「巨人に動きは無いな!?戦艦及び巡洋艦部隊は砲撃始め!補助駆逐艦は水雷攻撃!」
「了解!」
戦艦群の主砲が、咆哮した。発射煙がもうもうと立ち込め、「巨人」は巨弾の直撃を受けて炎に包まれる。その爆炎が消えない内に、補助駆逐艦部隊が数十本の魚雷を叩き込んだ。水柱が林立し、「巨人」は煙と蒸発した海水の中に消えた。
「あれだけの集中攻撃、仕留め損なうはずも無い。」
参謀の一人が安堵しつつそう漏らす。
「危なかった。敵の古代兵器にここまで進入を許すとは、哨戒は何をしていたのだ?」
ブラウナーは口の中でぼやき……それを見た。
「敵、健在!」
「何っ?」
「馬鹿な!」
それどころか、「巨人」は大型空母二隻分程もある足を振り上げ、歩行を開始した。たちまち、荒れ狂う波が艦隊を襲う。
「こちらに来ます!」
「……?何だ、あの戦艦は!陣形の外へ……まさか!」
戦艦「オイゲン・デ・ソルド」
「進めえ!至近距離で本艦の主砲を打ち込めば、アイツとて唯では済まん!」
艦橋で檄を飛ばすのは、艦長アロイス・バッハマン。「オイゲン・デ・ソルド」は「ルートヴィヒ・フォン・ヴェストハーレン」級の二番艦で、この戦闘が初陣だった。だからこそ、若き大佐アロイスは戦果を焦ってしまったのである。
「主砲、射撃準備良し!」
同じく、軍学校を出たばかりの若手将校が報告した。彼らの目には、危険な程の至近にある「巨人」の右足が映っていた。「この偉大な戦艦で、そいつを土砂に戻してやる」……そんな空気が、艦橋を支配していた。
「良し、撃……。」
言い終わらない内に、アロイスは巨大な揺れを受けてその場に踏みとどまった。しかし、一部の乗員はその場に転倒してしまう。横に、縦に艦体は揺れ続ける。
「何だ?」
狼狽したアロイスが叫ぶも、周りからは同じく、困惑した声が返ってくるのみ。
そこで、彼らは気付いた。自分らの艦は、浮いている。
旗艦「シュトラッサ」
「オイゲン・デ・ソルド」は「巨人」に持ち上げられ、艦体が自壊し出していた。声も出ず、その時は砲撃さえ止まって、水兵達はその光景を茫然と眺めた。本国の軍港で合流した時は全員が歓喜し、祝砲まで撃たれた、あの最新鋭戦艦が。三十六センチ砲はダラリと下を向き、その艦は力尽きようとしていた。
腕が振り下ろされる。「オイゲン・デ・ソルド」は宙を舞い、「シュトラッサ」に激突した。




