第十九話 大戦の前夜
中央海。ツァ環礁泊地。
ここは空飛ぶ島に属さず、それでいて最前線。五カ国同盟軍艦隊の集結地としては、最適な場所であった。軍がこの場所に執着したのも、それが理由である。ツァ環礁航空隊、母艦航空隊が飛び交う眼下には、凶悪な数の大艦隊が結集していた。
崇ノ国。マズルナズ宗旨国。オッヘンバッハ王国。イヨマンテ連合。モーネ王国。
それぞれ国力に違いは有れど、本土には僅かな戦力のみ残し、この艦隊に全てを賭け、自軍を投入している。
崇ノ国からは戦艦六、空母五、重巡八、軽巡十二、駆逐艦十八、その他二十。
マズルナズからは戦艦二、空母一、巡洋艦五、補助巡洋艦六、その他十。
オッヘンバッハからは戦艦七、空母三、巡洋艦六、補助巡洋艦十、その他十二。
残り二国からは戦艦一、空母二、巡洋艦二、補助巡洋艦二、その他三。
合計は戦艦十六、空母十一、巡洋艦三十三、駆逐艦(西側の補助巡洋艦は駆逐艦に相当)三十六。
航空機は五百八十機を数えた。更に、数十隻の輸送船の中には陸上戦力数十万が詰まっている。
そんな大艦隊の只中。オッヘンバッハ軍旗艦の艦橋で、トルマン提督はマズルナズ艦隊の陣営を眺めていた。
「……よくよく、あれを動かす気になったものだ。」
あれを見た時の崇軍将兵の顔は見物だったが、正直自分も同じ気持ちだった。
彼の立つ露天艦橋からは、泊地に集う艦艇を一望できる。戦艦のそびえ立つ姿も勇壮だが、信じられない数の空母も、また頼もしい。その姿はさながら海に浮かぶ長方形のようであった。その長方形の中に、一際異彩を放つ艦が一隻ある。
マズルナズ聖堂空母「セイント・マキシム」。
正教会から洗礼を受けた由緒正しき航空母艦。この艦が港から出た姿を、西側の人間でも誰一人見た事が無かった。
そりゃそうだろう。全長四百メートル、排水量百万トンの「セイント・マキシム」は、動かすだけで大蔵大臣を気絶させる代物。国の威信を賭けて建造されたが、実戦向きでは無かった。一年中港に引き籠って、飛行場の代わりをしている方が似合っている。それがはるばる中央海の真ん中まで来たのだから、マズルナズの本気が感じられた。
「提督。時間です。」
副長が声を掛け、彼の意識は空母から離れた。
「ああ、今行くよ。」
崇戦艦「塔城」、作戦司令室。
各国の提督達が集結し、総司令官であるソ・ヒョング大将の言葉に耳を傾けている。ヒョングはこの人事の為に、一時的に大将へ抜擢されていた。「五カ国同盟軍」は文字通り、史上初にして最大の作戦を行おうとしているのである。
「では、最終確認です。」
ヒョングは壁に掛かっている中央海の地図を、指し棒で指示した。
「休戦期限まで後五日。我々の攻撃は向こうも察知しているでしょう……しかし、先手を打つ意味でも、多少の犠牲は覚悟し、ナチャーロ軍と大立ち回りを演じねばなりません。
今のところ、ナチャーロの主要艦艇はズナーク島に集結しており、動きはありません。向こうの結成した「連合国軍」に参加したのは、二国とも巨大な陸軍国。この艦隊を叩けば、連合軍の海軍力は激減するでしょう。……我が軍が先に撃滅した戦艦群は、どうやら囮だったようです。」
ヒョングは最後の一言に、多少の悔しさを滲ませた。提督達は、そんな彼に憐みの視線を送る。あの大戦果の油断が、後の大敗を招いたと言っていい。敵の攻勢に弱気になった彼は消極論を唱えたが、その事実が彼の立場を危うくしている。どうにかして今回で挽回しなければ、今度こそ海軍に彼の居場所は無い。
「さて、具体的な作戦内容ですが……久我君、頼む。」
「了解しました。」
ヒョングから指し棒を受け取ったのは、参謀総長の久我嚇輝。「十年に一度の天才」と呼ばれる切れ者で、今回の作戦の立案も彼が行っていた。ただ、ヒョングは彼を偏愛する余り、他の参謀達を蔑ろにしている面がある。
「説明、代わります……その前にズナーク島の地形について、説明させて頂きたい。」
久我はズナーク島の地形図を、中央海の地図上に貼りつけた。
「ナチャーロ軍の主要艦艇は、この中央の窪み……仮にA湾とします……そこに密集しています。更に、その横に伸びたB湾にも多少の艦艇が。狭い湾口には防潜網やレーダー設備、湾内には既にある対空陣地に加え、軍艦の両用砲や高角砲があります。湾内は水深が浅く、せいぜい十二メートルです。
本題に入りますと……我が軍の目的は単純、連合国の海軍を叩きつぶし、少なくとも一年間は、活動不能にする、というモノ。これにより、長期化が予想される戦いを、より有利に進める事ができます。
それには勿論、艦艇に全滅に近い損害を与える。補給施設、軍港設備、石油タンクを徹底的に破壊する。といった行動が必要です。」
「ですがそこで、前述したズナーク島の地形が問題になります。水深が浅く、魚雷攻撃が不可能なのです。魚雷は航空機から投下すると、数十メートルは沈みます。ですが両湾の水深は十二メートルしかない。これでは海底に突き刺さって終わりでしょう。
皆さんご存じの通り、爆弾だけでは大型艦を撃沈できない……魚雷がどうしても必要です。よしんば降爆の爆弾で撃沈できたとしても、これだけ水深が浅ければ引き上げられ、戦場に復帰してしまいます。
なら、どうするか?
簡単です、湾内で撃沈しなければ良い。」
今度はシウアン島の絵が、ズナーク島地形図の上に重ねられる。
「作戦第一段階として、先ずはこのシウアン島をB艦隊が攻撃します。ここはナチャーロ軍にとっても要所……必ず艦隊を差し向けて来るでしょう。」
艦隊は予め、本隊であるA、囮役のBの二つに分けられていた。
「敵は我が方の規模を憂慮し、必ずや出撃してきます。例え全艦艇が出て来なくても、対空砲火はその分減る。こうして敵の戦力を分散させた上で、本隊がズナーク島を襲います。島に対する航空攻撃、艦砲射撃、洋上での艦隊戦の後、輸送船団はCの砂浜に上陸、そのままズナ-ク島攻略に移ります。連合国軍の補給線の要でもあるズナーク島が陥落すれば、彼の国により不当な占領を受ける空飛ぶ島々は孤立し、以後の作戦も立てやすくなるでしょう。
我が五カ国同盟艦隊は、総数において敵の二倍近い。よって、このような荒業が可能となる訳です。とにかく、本作戦は、B艦隊がどれだけ時間を稼げるかに懸かっております。
五カ国同盟軍は、この作戦で余り被害を出したくなかった。これだけ大胆な作戦を立てておいて、おかしな話かもしれないが。五カ国同盟軍の戦力の要たる崇ノ国が、先の紛争で本土を空爆され、工業地帯の受けたダメージが大きいせいでもある。
今回ばかりは、本当に後が無い。
「敵がこちらの意図を読み、湾口から出なかった場合は?」
誰かが疑問を呈した。
「問題ありません。その場合はA艦隊を下げ、そのままシウアン島の攻略に移せば良いのですから。ここでナチャーロ艦隊を撃破せずとも、優勢な我が艦隊がある限り、敵は制海権を握れない……その状況を打破すべく、その内敵の方から出てくるでしょう。」
ここまで聞き、提督達は一斉に眉を顰めた。久我の立てた作戦のちぐはぐぶりに、ようやく気付いたのである。
久我自身、苦しい思いをしていた。「攻一号」と命名されたこの作戦には、軍上層部の意向が色濃く反映されている。
「攻一号」には、二つの目的があった。一つは本来の目的である「連合国海軍の撃滅」、もう一つはヒョングによって付け足された「シウアン島の奪還」。彼は戦果を焦る余り、「一つの作戦に二つ以上の目的を持たせてはならない」という戦術の基本を忘れていた。この二つの要求を実現させる為に、久我の立てた作戦は酷くあやふやな物になっていたのである。
とはいえ、これだけの大軍。「まさか負ける事はあるまい」という気持ちが、提督達……それどころか、全艦隊で支配的であった。




