第七章 日本国内でのグローバル化後の暦の重要性
序
文化も芸術も、三歩進んで二歩下がり、一歩進んだら三歩下がる事も珍しくない。
中国は秦の始皇帝の墓にある兵馬俑の発掘の時、像に押し潰されていて曲がっていた剣が、しばらく目を離した隙に真っ直ぐに戻ったという話がある。
合金でもないのに、形状記憶を持っていた剣を当時は造り出せていたのかと思うと、断絶した技術や知識がどれほどあるのか。
音楽の世界で、世界でも有名な作曲家に夢を語らせると、流行曲(流れてゆくモノ)ではなく、百年後、二百年後に一曲でもイイ、世界中で愛されるようなそんな曲を作りたい。
しかし、現代にそんな曲を作りだせる人材は存在しない。
つまり、書物が残れば情報は残る。しかし、そこに導くまでの知識は残らないと云う事だ。
『応仁の乱』では、その書物さえ残らなかった。
詳細は省くが、要は京の都にあった人も建物も書物も全て燃えたのだ。
まあ、村落で万単位の餓死者が出ているのに、何も生産してない筈の京では飽食の限りを尽くしていたのだから、鬱憤の溜まっていた庶民にとっては気持ち良い光景だったのだろう。
自業自得であるとは思うが、それでも勿体ないと思うのは、歴史が好きな人間のサガだと言えますね。
太「おーい、お久しぶり~~」
錬「ていっ!」
太「あたっ、何するんですか? いきなり」
錬「どうして、あんたが来てるの? ソフィアはどうした」
太「彼女なら……あの……逃げました。それから此処では『伝記者』さんと呼びましょう」
錬「うぎゃ~~、ワタシの何がダメなの~~~っ! ソフィア~~~~っ!」
太「………一通り、叫び終わりましたか?」
錬「ええ、ちょっとスッキリしたわ」
太「アホな事やってないで、本番にいきます」
錬「分かったわ。演技ぐらい、天才のワタシに掛かれば造作ない」
太「こらこら、昔の悪い癖が出てますよ、錬金さん」
錬「ソフィアがいないから。彼女と出会う前の自分を演じてみた。真に迫っていたか?」
太「どちらかといえば、地が出てましたね」
第七章 日本国内でのグローバル化後の暦の重要性
(時代背景は、江戸時代の初めの頃)
太「おーい、お久しぶり~~」
錬「ていっ!」
太「あたっ、何するんですか? いきなり。伝記者さんなら今日は―――」
錬「遅いわっ。約束の時間に何日遅れたんだっ!」
太「えっ、ああ。そうか演技なのか。本気に見えたわ。……何日も遅れましたか? せいぜい、五時間ぐらいだと思いますけど?」
錬「それでも遅いわっ。お前は一体、ドコの暦を使っている?」
太「どこの暦を使っているって、京の奴を使ってますよ。―――三年前の」
錬「三年前だと? それに、江戸の奴を使用していないのか?
バカかお前は。応仁の乱により、朝廷の権威は完全に失墜し、朝廷の権限で暦の制作は、各藩で作られるようになった。
しかし、天体観測技術は未熟過ぎたあまり、誤差を修正する事が出来ず、結果、それぞれが好き勝手に日時を決めた為、他藩との約束事では一日、二日ズレる事など珍しくなかったのだが………」
太「無かったけど?」
錬「三年前の暦を使っているのにもビックリしたが、この前江戸で発明された、中国の授時暦を使った新しい暦、貞享暦を知らんのか?」
太「江戸―――と云うと、武士が新しい暦を作ったんですか?」
錬「それも、太陰暦ではなく太陽暦を使ったモノらしい」
太「へえ、時代は変わるんですね。昔の武士は力を持ってるけど、無知で野蛮人な印象が強かったですけど、文化的に優れている筈の京よりも先にですか」
錬「現在でも、京で暦を制作していると思うけど、使用する藩は減っていくかもね」
太「全ての藩が同じ暦を使用すれば、約束事も簡単になりますものね」
錬「その昔、暦は農耕の為に生み出されたが、それが何時しか人の世界(行動範囲)が広がると同時に、細かい約束事をする為に使われ始めたな」
太「せせこましいと云うか、細かいと云うか。窮屈な世の中ですよね。暦が生まれなければ、もっと緩い世界になっていたんでしょうね」
錬「他人に自分の作った暦を使用させるのは、精神的支配の原則だったんだがな。京は実権だけでなく、さらに権威までも失いそうだな」
太「未来からのお便りによりますと、現在使用されているのはグレゴリオ暦だそうです」
錬「グレゴリオ? 他国の暦を使っているのか? だとしたら、未来の日本は何処かの国の属国になっているのか?」
太「かも知れませんね。
さらに追加情報です。江戸初期まで日本で使用されていた宣明暦は誤差が大きすぎて、1年で二日もズレ込んでいたそうです」
――――――――
太「御苦労さまでした」
錬「んっ? 収録は終わったのか」
太「はいっ、何というか今までで一番迫真の演技でしたね」
錬「当たり前だ。ワタシは天才だからな」
太「何なんだろう? この人って適当に凹ませる位が丁度良いよね」
錬「次回は誰が来るんだ?」
太「次回は………雪辱に燃えている伝記者さんが来ます」
錬「何だと、お前、次も出るんだろう? 代われっ!」
太「無理ですよ! キャラ的に生徒役が務まるのがボクしかいないんですから」
錬「良いじゃないか、生徒役。ワタシにピッタリだろっ!」
太「ドコがですか~~~~~っ!」
…………
(何故かVが止まりました)
暦の入門本を読むと、暦とは人と約束する為に使用すると、序文で書いている人が多いですね。
私の場合は、歴史をメインに据えているので、どうしても農耕の方から話し始めます。
話に上った貞享暦を誰が作ったのか、きっと皆さんは御存じだと思います。
あの小説や映画、漫画にもなった作品の主人公、渋川晴海ですね。
この暦は日本で70年ほど使用され、のちに改暦されたモノよりも精度が高かった事も彼の優秀さを伺えさせます。
しかし、その観測記録を現代科学で分析した所、彼は星や惑星の運行を球体ではなく平面で捉えていた節があり、僅かな誤差を生じさせていたそうです。
星の運行もまた、『球面三角法』で計算する必要があったそうですが、そこまでの知識はなかったそうです。
それでは、当時の日本にそれを可能にする知能は無かったのかと云えば、実はあったりします。
その方とは、不世出の算術の天才 関孝和です。
算術の聖人、算聖と呼ばれたこの男もまた改暦に挑んでいました。
『球面三角法』を用いた、詳細な観測結果を見る限り、精度の高さは渋川晴海を超えていたそうですが、役人への根回しが下手で採用されませんでした。
恐らく彼は、渋川と自分の奴を見比べて、自分の方が優れているから絶対に採用される筈だと、たかを括っていたんだじゃないかと私は勝手に想像しましたね。
どちらが優れているかなんて、お役人様に分かる訳ないのに………
天才ゆえの、悪い癖が出たとしか言いようがありません。
個人的に、とても好きな憧れの偉人の一人で、技術大国日本を形作った方ですね。
あらすじでも書きましたが、
算数が商業によって生み出されたのなら、
数学は天文学によって生み出されたのだと、そう私は勝手に信じています。
天文学は、暦と云う槍を創り、数学と云う盾を創り出し、技術と云う頑強な身体を創る。
――――次回は、天文学から派生した、算術と測量の二人の偉人。関孝和と伊能忠敬について書きたいと思います。
幕末、中国を始め、次々と植民地を造っていたイギリスなどの海外列強の植民地化から、日本を守った盾と身体を創った二人の物語です。