第二章 太陰暦と太陽暦
今回はサブタイトルの内容の他に、歴史色が強い回になります。
ただ個人的には、一番見て欲しい回です。
序
前回、暦の制作が大国の礎になった。その理由を説明しましたが、その結果、二つの存在が世界で初めて生み出されました。
それは、『もつ者』と『もたざる者』。
狩猟を生業にしていた時、確かに狩りの腕の差はありました。しかし、それは努力で何となる分野であり、例え不得意でも身の丈に合った仕事をすれば、餓死する訳じゃない。
しかし、天文学を始め、高度な知識は努力で何とかなるモノじゃない。独力で編み出すには並外れた天才でなければ、不可能。
その上、農耕はより良い土地を持っている者が、どうしても裕福になる性質がある。
『知識』と『土地』。この二つはやがて人々に身分の上下、階級というモノを生み出しました。
そして、富める者は『自分は偉いんだ』と増長し、より富めようと他者を虐げ、
貧しい者は、富める者を羨み、武器を持って彼らから奪おうとする。
その結果、日本は百年余りにおいて、内乱を続けました。
一定の知能を持つ生き物で、同族で殺し合うのが人間だけなのは、知識と農耕を生み出した事から始まったのです。
本来であれば、誰もが飢えて死なない為に生み出した技術が、人を殺す為の動機にされたのは皮肉としか思えませんね。
しかし、そんな終わらない内乱に終止符を打ったのもまた、『知識』だったのです。
当時の最先端の天文学と占いを融合した、『鬼道』を持って、男の王たちを束ねた女傑の中の女傑。『卑弥呼』が歴史に登場するのです。
第二章 太陰暦と太陽暦
太「あれっ、今日は巫女さんですか? 伝記者さんは?」
巫「彼女なら、前回自分の演技力に絶望して、自己レッスンに出かけた」
太「……そうですか。ボクなんかはもう途中で開き直りましたけど」
巫「あまりの絶望に、途中で段取り無視して切り上げてた」
太「最後はもの凄い早口で捲し立ててましたね」
巫「………」
太「………次に行きますか」
(内乱が終わり、卑弥呼がいた頃の話)
巫「ぼ~~~~~~」
太「……棒を地面に突き立てて、何やってるんですか?」
巫「おお、『太陽』ちゃんか。いや、この棒でさ太陽の角度を測ってたんだ。一応言っておくけど、あなたの事じゃないからね」
太「判ってますよ、そんな事は。太陽の角度ですか。それで?」
巫「より正確には、そこから伸びている影の長さを測ってるの」
太「影ですか。ああ、確かに時間や季節によって長さが変わりますけど、何で?」
巫「その記録を収録して、パターンを掴めれば太陽暦でも作れないかなと思って」
太「太陽暦ですか? 確か、西の大陸からもたらされた暦は月の満ち欠けを基準に、一日目を新月。十五日を満月にして、大体、29日から30日で一周して、それを一月。十二か月で一年にした太陰(月)暦で、現在(弥生から江戸初期まで)使っている奴ですよね」
巫「随分、説明臭いセリフね」
太「台本にそう書いてあるんだから仕方ないじゃないですか」
――――
巫「……やっぱり駄目ね。もう何か月もやってるけど、数値が細かすぎて体系化出来ない」
太「……今はまだ、算術の概念自体が、小学校低学年レベルですからね。それを作れるようになるには、千百年以上は掛かりますよ」
巫「小学校とか、千百年とか、意味不明な事言わないの」
太「は~い」
――――
太「いや~、それにしてもあの卑弥呼様だっけ。あの人って具体的に何をやったんですか?気がついたら争いがなくなりましたね」
巫「一言で云えば、西の大陸で一番強そうな国を情報収集して見極め、その国と国交を結んで、国を統治するのを認めてもらい、優先的に鉄鋼技術(青銅の鍛造など)や鉱物資源、ずれ込む暦の修正案、を確保する事で他の部族にこれが欲しかったら争いをやめろと呼びかけた」
太「つまり彼女は、争いを続ける為の原動力を掌握したんだ。そりゃあ、争うどころじゃないですよね。もしも、それでも卑弥呼と闘えば、その大国からの支援が完全に途絶えますものね」
巫「性別の差が出たよね。これが男だったら、その力を使ってさらに争いを拡大させてた」
太「そうですね。女って打算的っていうか合理的に物事を考えて、感情はべっこにおいて、どの方法が得なのか冷静に判断する」
巫「だからといって、男が劣った存在なわけじゃないけどね。女はちょっと周りの空気を読まずにマイペースに突き進むきらいがある」
太「今回はそれが良い方向に進みましたけどね。話は変わりますけど、あの鬼道って何なんですか?」
巫「占いと天文学を融合したモノだと思うけどね。占いはまあ、大衆向けのパフォーマンス。この前だって皆既日食を言い当てて周りが騒いでいたけど、あれぐらいなら私だって出来る」
太「人心掌握をしながら、実利的なモノを提供する術。本当に合理的な考えですね」
巫「この国を代表する女傑と呼べるわね」
学者を目指す者が決して忘れてはならない。知識が持つ猛毒。
知識には麻薬に似た高揚感と全能感をもたらす代わりに、それに酔えば他者との軋轢を生み、争いを起こすキッカケになってしまう。
実際内乱が続いた要因は他にも、天災により収穫量が減少した事による飢餓も原因らしいですが。
あれはそう、私の兄が警察官になった時でしたか、警察学校で法律について強くなったと聞いたから、前から気になっていた問題を訊いた時です。
彼はこう言っていました。
「お前、そんな事も判らないのか? バカじゃないか」
――――私は二度と、彼からモノを教わろうとする事はありませんでしたね。
最終的に、ネットで調べました。
卑弥呼の偉業を考えると、おそらく彼女はその毒に打ち勝った、日本で最初の人物だと思いましたね。
類い稀な外交能力と、天文学の知識、そして心理学を研究した占い。
それらをすべて、自分の為だけじゃなく国の為に使ったのは、本当に素晴らしい。
今回は歴史色が強いのですが、やはりこの『知識が持つ毒』を知らねばいけないと思い書きました。
話を戻し、太陰暦と太陽暦についてその概要を説明しましょう。
話の中にあった通り、世界で初めて使われたのは太陰暦です。これは太陽暦よりも観測がしやすい。暦の入門編のような存在。
利点は潮の満ち引きが日数で理解出来るので、漁師などには判りやすいんですが、とにかく季節からはずれる。現在の太陽暦よりも11日短い。帳尻を合わせる為に、不定期に閏月(閏日ではない)を設ける必要があり、毎年計算しないと狂いやすい。
ちなみに閏月が導入されたのは、平安時代に入って中国から導入した宣明暦を用いてからである。
これに対して、太陽暦は地球がどのあたりを公転しているかを計算して作られたモノ。
棒の影の先端に、棒の先端から伸ばした紐を付け、紐の角度を測ると、太陽の角度を測れる。
考え方としては、中学の事に勉強した、『平行な二本の線に斜めに線を引いた時、それぞれが交差する時の角度は同じである』。
この原理を応用したモノですね。ちなみに二本の平行な線とは、棒と天球(空)の事です。そして、斜めの線は太陽光線の事ですね。
空は本来球面として計算する方が正しいのですが、計算式が難しく私にも判らないので線と表現します。
季節を測る事に掛けては、太陽暦の方が優れているのですが、とにかく難しい。
巫女
天文学者が占いなどの大衆向けパフォーマンを覚えた存在。
日本では部族の長になる事が可能。
スキルとして『鬼道』を覚える。
キメ台詞は『知識を得ただけでは偉くなりませんよ。その知識を使って何をなしたかで、周りが決める事です』