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一つの魂  作者: 黒部雅美
3/3

後編「罰火」

挿絵(By みてみん)

 不意に熱が頬を擽った。

 宙をひらひらと舞う脆弱な火の粉が、俺の顔に染みついたのだ。

 遅れて何かの焦げる悪臭、慌ただしい喧噪、そして――。

 

「起きてください、先生」

 古い莢人の声が、俺の意識を覚醒させた。

「蒙火……?」

 そこは自室のベッドの上では無く、

 崩壊しかけた尖塔の屋上だった。

「蒙火、これは一体?」

 俺の体は椅子に鉄紐で雁字搦めにされ、まったく動けない。

 腹の歩肢も根元から紐で固定され、ただ無為に体の前で振う事しかできない。

「落ち着いてください先生、私は危害を加えるつもりはありませんから」

 そう言って椅子の背もたれに手を載せ、そっと俺の耳にその口を近づけた。

「先生は黙ってみていてくれれば良い、この世界の魂の覚醒を」

 彼の囁きで、俺はようやく気付く。

 目の前、はるか前方で燃えゆく物の正体を。

 何が焼け、何が崩れ、何が起きようとしているのかを。

 工場だ。

 鍾鎚の工場が燃えている。

 黒い炎、嘗て地上を焼き尽くした、禍つ焔。

「あれは、あれはお前がやったのか」

 言葉が震える。

 意識が歪み、熱烈な感情の起こりが体を走る。

 喧噪が大きくなる。

 下層の莢人達の悲鳴が、炎への恐怖から、絶望の嗚咽へと塗り替わっていく。

「えぇ、綺麗な物でしょう。彼方では全てが燃えているのです」

 醜い魂も、美しい魂も。

 汚れた思想に犯された工場長も、愚かな計画の贄となった老莢人も。

 

 ――そして、自由を夢見た幼き男娼も。


「蒙火、お前がそんな命令は……」

「命令? はは、貴方がそんな事を言うとはね」

 彼は笑っている。

 こんな状況でも、こんな常軌を逸した事態の中でも、こんな災禍の中心だというのに。

 彼は酷く楽しそうだった。

「君は、自分が何をしたのか判ってるのか」

 工場が燃える。

 この世界、分化による闘争が始まりつつあった莢人を、一つに纏め上げつつあった工場が。

 この下層の救世主が、この世界の希望が。

「先生こそ、私の真意をご理解なされていますか?」

 彼は到って冷静で。

 動揺を隠せず激昂する俺を、嘲笑するかのようで。

「お前は滅茶苦茶だ、この世界を混沌に貶めて、それが楽しいのか!」

 このままでは再び人の分化が始まる。

 人の遺伝子の乱れは濃くなり、殺し合いが始まり、人類は駄目に為る。

「駄面な莢人というのは、此処下層の人々ではない。上層の人々を指してこそ相応しい」

 彼は淡々と言葉を紡ぎ続ける。

 煌々と輝く炎を全身にうけ、まるでそれを自身の力とするかのように。

「何を言ってる……」

「爭わず、愛し合わず、殺さず、憎まず、変化せず、そんな物は生き物ではない」

 私はね、人の持つ魂が燃え盛るのをもっと見たいんだ。

 たった一つの魂が、燃え上がるその瞬間。

 その究極的な美を魅ていたい。

「蒙火、君は何を言っているんだッ!」

「分化を阻止する? 物理交雑を禁ずる? 争いを回避する? 駄目だ。駄目だそんなのは」

 そんな事の先に何がある?

 魂を押さえつけ、種全体を生きながらえる事ばかり見据えて。

 抑制される必要なぞ何もない。

 制御する意義なぞない。

 たった一つの命だ、好きなように燃え、好きな様に輝き、好きな様に尽き果てる。

 それがもっとも美しい。

 それ以上に美しい魂が、存在しようか?

「君はバカか蒙火ッ、滅びるんだぞ。工場が消え、分化が進めば、全ての人が爭いによって死に絶えるんだぞ」

「それの何が悪いというんだ先生」

 蒙火の声は一段と高く、強く、大きく、より意志の濃い物へと変貌して行く。

 世界を燃やす黒い炎にも劣らぬような、激しい熱の籠った言葉。

 人の心を焼き尽くさんとする、啓蒙の焔。

「何も悪くないのだよ先生。爭い爭え、混ざり混ざれ、愛し愛しあえ、憎み憎みあえ、殺し殺しあえ、それが人の真の有り様だ」

 もしそれで、その結果滅びを迎えたというのなら。

 

 

 ――それは、とても美しい瞬間だと思わないか?



 燃える世界を背景に

 蒙火は瞳を輝かせ

 世界の終わりを夢見ていた

 一つの魂が盛り

 その黒炎と照応を保つように

 全ての魂がきらめきを放って

 この世界を焼き尽くす事を夢見ていた



 ――嗚呼、なんと美しいのだろう

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