第4話 追憶と剣舞
東京から帰ってきて翌日の日曜日、合一者との慣れない戦闘で疲れていたのか目が覚めたのはいつもより遅い時間だった。先に起床したクロエは、机の上で本を読んでいた。自分の体よりも大きなページをめくるのが少し大変そうだ。
「おはよ。何読んでんの?」
「おはよう。これは、さくらの現代文の教科書だ」
「げっ。面白いのか?」
「芥川龍之介の羅生門、人間のエゴについて考えさせられる作品だな。私の考えは作者の解釈と少し違うがな」
腕を組んだクロエがまじめな顔で答えた。
「俺はそういうの苦手だな。もっぱらラノベしか読まないし……」
「さくらはエンターテイメント要素の強い作品が好みなのであろう。私も好きだぞ。私の場合は物語であれば何でも読むがな」
クロエはそう言うといつもの定位置である俺の左肩に腰を下ろした。階段を下りて洗面所へ。顔を洗い、歯磨きをしてテーブルにつく。
「母さん、おはよ」
「めずらしく遅かったね。さくら、休みでもあんまり寝坊しないじゃない」
母さんがテーブルに朝食を並べる。
「昨日は遠出したから疲れたみたい」
「ふ~ん」
母さんが意味ありげな笑みを浮かべる。
「なに?」
「なんでもないわよ。あ、そ~だ。食パン無くなったから一香ちゃんちで買ってきといて」
「は!? なんでそーなる? 近くのスーパーでいいじゃん」
「いやよ。一香ちゃんちのパンがおいしいもの。それに、さくら暇でしょ」
母さんは先に朝食を済ませたらしく俺の分を用意するとエプロンを外し、リビングのソファに腰を下ろしてテレビをつけた。
「母さんだって暇じゃん。自分で行ってよ」
「私は少しこれ見たら出かけないといけないから。それに、一香ちゃんはさくらの2次元のお嫁さんよりずっとかわいいわよ」
「母さん、話が繋がってない。あと余計なお世話です」
「はいはい。とにかく食パンよろしくね~」
母さんはすぐにテレビを消すと支度をして出掛けていった。母さんを見送ったあと、クロエが安心してトーストにかぶりつく。俺はクロエの分のヨーグルトを冷蔵庫から出してきた。お礼を言ったクロエが大喜びでヨーグルトを食す。
「うむ。この酸味が絶妙な加減で甘さを引き立てておるな」
「ハハハ。クロエ、将来リポーターになれば? 食レポ向いてると思うよ」
「それも楽しそうだな。しかし職種の選択は精霊階級によって制限があるのだ。それに私は父上と同じ監察官になると決めておる」
スプーンを置いたクロエが真っ直ぐな瞳で静かに答えた。
「ああ、そうだったよな。んじゃ、ヨーグルト食べて片付けしたら、一香んちにパン買いに行くか」
「お~。一香の家はパン屋さんであったか。ワクワクするなあ」
食事を終え食器を片付けてから、ベーカリーを経営する村雨の家に向かった。村雨の自宅は豊明駅の近くで、俺の家から自転車で10分ほど。今日は少し暑いくらいの陽気だ。ペダルを回していると額に汗が吹き出してきた。天気予報では、日中初夏のような暑さになるって言っていたっけ。村雨の家に到着した時にはすっかり汗だくになっていた。店の前の駐車場の隅っこに自転車を止める。『ベーカリーヴィレッジレイン』と店名の書かれたドアを開いた。
「いらっしゃいませ~。って、何だ、さくらじゃん!」
白色のコックシャツを着て黒いエプロンを身に着けた村雨がレジに立っていた。
「お客に向かって何だとはなんだよ!」
「はいはい。へい、らっしゃい、らっしゃい!」
「魚屋かっ!」
俺がツッコミを入れると同時にクロエがレジの台の上に飛び降りた。
「ベーカリーの制服もかわいいぞ、一香」
「クロちゃんありがと~」
「さくらの母君のお使いで食パンを買いに来たのだ」
「あ、いつものね。ちょっと待ってね。お母さーん」
村雨は母親を呼びながら店の奥の厨房に入っていくと、しばらくして食パン1斤を抱えた母親と共にレジに戻ってきた。
「いつもありがとうございます。さくら君、久しぶりね」
「お久しぶりです。母がお世話になっています」
村雨の母親にあいさつする。
「お母さん、ちょっと休憩してきていいよね? さくらと話あるんだ」
「いいわよ。お昼には戻ってね。さくら君、好きなパン持っていって召し上がって」
「ありがとうございます」
村雨の発言により半ば強引に引き止めれてしまった俺は、菓子パンにありつけてテンションMAXのクロエと共に2階の村雨の部屋に案内された。きれいに整頓された室内に物は少なく、家具も機能性を重視した感じで俺がイメージしていた女の子の部屋とは違い、可愛らしさは感じられずシックと言うべきであろう。
「何よその顔は。めっちゃ何か言いたげだけど」
「いえいえ。大人っぽい素敵なお部屋ですね」
すかさず褒める。さすが俺、言葉のマジシャン!
「そう、かわいくないってことね。飲み物持ってくるけど、クロちゃん、何がいい?」
「紅茶をお願いする」
「俺は……」
「さくらは、青汁ね」
冷たく言い放った村雨は1階に降りていった。な、なぜだ?言葉って難しい。
「一香の家は良いお店だな。パンも非常においしそうではないか。一香の母君も素敵な人だな」
「ああ、文香さんはいい人だよ。立派なお母さんだと思うよ」
村雨の母、文香さんと俺の母さんは仲がいい。俺が中学1年の5月、授業参観で文香さんと母さんは知り合った。その時はたまたま隣同士で軽く挨拶した程度だった。そして2人が再会したのは、母さんが村雨の家である『ベーカリーヴィレッジレイン』にパンを買いに訪れた時である。母さんに気づいた文香さんが先に声をかけたそうだ。その後母さんは『ヴィレッジレイン』で食パンを買うようになり、ちょくちょく会社の昼休みもランチのパンを買いに通っているのだ。お互いシングルマザーでもあり年齢も同じ、子供は同級生でクラスメイト、そんな理由もあり意気投合したのだろう。たまにではあるが2人で遊びに出掛けることもあり、その仲の良い友達関係は現在も継続している。
「お待たせ~」
村雨が飲み物を持って戻ってきた。クロエの前に紅茶を置き、俺の前に新緑の季節をイメージさせる青臭い液体を差し出した。
ゲっ、マジで青汁持ってきた!
「バスティは外出中か?」
クロエがチョココロネをかじりながら尋ねる。
「うん。市内を見ておきたいって。10時半くらいに出てったよ。30分ほどで戻るって言ったからもうすぐ帰ってくると思うよ」
「バスティってそんなに行動範囲広いのか!?」
思わず驚いて大声を出してしまった。市の面積と村雨の家の位置から単純に計算して、その行動範囲は半径5キロにも及ぶ。
「え? クロちゃんも同じじゃないのお?」
「私単体での行動範囲はさくらを中心に、せいぜい7,8メートルといったところだ。というより、それが霊人一体化した精霊の通常行動範囲で、ジャンパーであるバスティが特殊なのだよ。」
クロエは説明を終えると紅茶をおいしそうにすすった。
「ウイース! 帰ったぜー」
バスティの前触れの無い帰還に俺はパンをのどに詰まらせてせき込んだ。
「おいおい、大丈夫かボーイ? のど鍛えとけよ!」
「ゲホっ。そういう問題じゃないわっ」
「やあバスティ。お邪魔しているのだ」
クロエが親しげにあいさつする。
「へ~イ、クロエちゃ~ん。今日もかわウィ~ね~」
「バスティうざい。クロちゃんにバカがうつるから黙ってじっとしていて」
村雨が冷たく言い放つ。
「まったく、素直じゃないねえ。でも、そんなツンデレなお嬢の性格も俺は丸ごと愛してるぜ」
ぺシっ!
村雨の強烈なでこピンがバスティの額に炸裂した。吹っ飛ばされた彼はこれで良かったのか悪かったのか、村雨のベッドの上で静かになった。
「バスティも相変わらず調子良さそうだし、一香とうまくやってるようで安心したよ」
「どこがよ。うるさいし動き回るし、落ち着き無くって幼児レベルだよ」
村雨の口調は不機嫌そうだったが、表情は明るくどこか楽しげに見えた。
「で、バスティも帰ってきたし、話あるんだろ?」
「おっと、まずは俺からしゃべらせてもらうぜ」
ベッドから瞬間移動したバスティが村雨の左肩に腰を下ろして語り始めた。
バスティはギルドに加入する前、精霊界で物流の仕事に就いていた。精霊界の物流は空間移動能力、飛行能力を有する下級精霊が一手に担っている。バスティの両親は彼が15歳のときに、上級精霊部隊とギルドの抗争に巻き込まれて死亡。その後アカデミーの中等科を卒業したバスティは職に就き3年間を過ごした。バスティがギルドに加入したのはアカデミー時代の先輩に勧誘を受けてのこと。バスティの両親の死は上級精霊に非があることを強調され、戦いに参加すれば不当な扱いや待遇を受けて生活している下級精霊が救われると聞かされた。バスティ自身生活は決して楽でなく、また爵位を有する上級精霊からはたびたび差別を受けて嫌な思いをすることもあった。先輩の積極的な勧誘と上級精霊に対する負の感情が決め手となり、昨年の2月にバスティは下級精霊がマスターを務める小規模ギルドに加入し、反乱軍である新霊界開放軍に加盟する。バスティは攻撃霊術をはじめ、空間系や飛行系の霊術以外を使用することができない。また体術や武器術も不得手であったため、戦場では後方支援がメインだった。しかしギルド加入から2週間が経過した後、戦場の最前線に送られることが頻繁となる。また、情報が皆無である敵上級精霊部隊の陣地内へ奇襲作戦を実行するなど、危険性の高い任務が主体となっていった。3月、新霊界開放軍が精霊界の霊力の泉を占拠したときには、すでに下級精霊は半数以が命を落としていた。下級精霊のジャンパーにいたってはバスティが最後の1人だという。加入当初は使命感に熱い思いをたぎらせていた彼も、徐々に軍に対する不信感を募らせていった。民間出身のバスティでも、解放軍の司令部が下級精霊を捨て駒に使っていることくらい理解できた。彼はギルドマスターに問いただしたが、「革命に犠牲は避けられない」の一点張りで話にならなかった。4月、神霊界に進軍を開始した解放軍は上級精霊精鋭部隊エキスパート1個中隊と交戦。両陣営ともに被害は甚大となったが、エキスパートに対して5倍以上の兵士を有していた解放軍が勝利をおさめた。エキスパートが撤退した後、解放軍はさらに進軍すべく神霊界と精霊界の境界線警備基地を制圧し拠点とした。その拠点でバスティは中級精霊との間にトラブルを起こした。3人の中級精霊が「下級精霊どもはろくに霊術も使えない出来損ないだ」「戦場で俺達の壁になれば十分だ」と揶揄しているのを耳にし、バスティが彼らに殴りかかった。すぐにまわりの精霊達に止められてその場は治められたものの、バスティは拠点内の1室で禁固1週間の処分を受けた。最終的にバスティにギルド脱会を決意させた出来事であった。その数日後、開放軍の地上界光臨作戦が展開される。その先遣隊50名の中にバスティは十八番の瞬間移動で紛れ込み地上に光臨した。
「……でだな、こっからが超重要なんだよ」
バスティは両手を大きく広げて話を続ける。
「昨日、東京で瀬川が精霊の器に執着してただろ。お嬢が俺と一体化した時、『器として使えない』って怒ったの覚えてるか?」
「うむ。覚えておるぞ」
クロエが頷く。
「確かに。拉致された赤羽さんも精霊の器だったな。バスティは何か知ってるのか?」
「俺達下級精霊に光臨作戦の詳細は知らされてない。だけど思い出したんだよ。中級精霊の話をさ。『精霊の器は扉になる、そして霊術を凌駕する兵器となる』そう話していた」
バスティは真面目な顔で話しながら、意見を求めるように俺達の顔を見た。
「扉っていうのは、霊地みたいに地上と精霊界を結ぶ門ということなのか? 精霊の器が兵器になるとかクロエは聞いたことある?」
「扉も、兵器についても全く聞いたことが無いのだ」
クロエが首を横に振った。
「それで次の話になるんだけど」
村雨が話し始める。
「霊地封印を急いだ方がいいと思うんだよね。バスティの話からすると、敵は単に増援を受けて地上を制圧するという作戦ではないみたいじゃない。器である人間が誘拐されたり、周りの人まで巻き込まれて被害に遭ってる。私達の学校だって」
「ああ、そうだな」
少し感情が高ぶり語気の強くなった村雨に対して俺は静かに頷いた。
「霊地を2箇所封印すればエキスパートが光臨して討伐作戦を実行するってアリーが言っていたでしょ? あと1箇所、これ以上被害を出さないために早く行動した方がいいと思うの」
「わかった。俺から炎二さんとアリーに連絡するよ。敵は俺達の戦力情報を 把握してる。こっちもしっかり準備してかからないといけない。スピードも大事だけど、綿密な作戦とチームワークはもっと大事だからな」
「う、うん。だよね。あ、飲み物おかわり持って来るね」
少し冷静になった村雨は返事をすると1階に降りていった。
神様お願いします、次は青汁じゃありませんように。
「ちょいと、ここらでブレークタイムといこうかっ。お嬢のグラビアで目の保養しようぜ、ボーイ」
バスティが村雨の本棚から何やら引っ張り出してきた。
「一香はグラビアアイドルじゃないから残念ながら水着は着ないぞ、バスティ」
「ふっ、甘いなボーイ。これを見なっ。セクスィ~!」
バスティは持ってきた冊子をテーブルの上に開いた。
ん?これは去年の梅坂屋デパートの新作水着カタログだな。あ!村雨だ。そこには4種類の水着を着けて、笑顔でポーズをとる村雨が載っていた。
「見ろっ。この高校生離れしたメリハリバディ! スラッと長くて細い足、くびれたウェストからヒップのラインの美しさ! 若干胸の辺りが寂しさを感じるが、それを十分にカバーできる総合力ハイスペックバディと顔立ち!」
「ハハハ。胸のことは禁句だぞ。また、でこピンされるぞバスティ。本人は気にしてるみたいだから」
村雨を解説するバスティが面白くて吹き出してしまった。さらにページをめくろうとするバスティに悲劇が訪れた。
「ぐはっ!」
俺の背後から静かに伸びた手がバスティの後頭部に強烈なでこピンを放ち、再び吹っ飛ばされた彼は床の上で静かになった。背中に悪寒がする。これまで戦った合一者とは比にならない殺気を感じる。俺は座ったままゆっくりと振り向いた。
「私の胸が~、なんだって~?」
「いやいや。とてもさわやかと言いますか、しかしながら非常に将来性を感じると言いますか……」
「このエロヲタっ!」
バシッ。
「水着姿もかわいいぞ、一香」
「クロちゃんありがと~」
お昼前、不機嫌そうな顔で店に出た娘を見て文香さんが「一香どうかした?」と俺に聞いた。苦笑いしながら首を横に振ると「また遊びに来てね」とお土産に菓子パンを持たせてくれた。帰り際、ふくれ面の村雨と彼女の肩の上で後頭部をさするバスティにクロエが手を振った。
「また明日、学校で」
結局飲み物のおかわりも青汁をご馳走になった俺は、村雨にグーパンチをもらった頭をさすりながら手を振った。
「うん。じゃあね」
「ようブラザー、またお嬢のグラビア一緒に……」
ぺシっ!
バスティがでこピンで吹っ飛ばされるのを見守ってから、俺は自転車にまたがりペダルをこぎ始めた。
帰宅後、さっそく俺は炎二さんに連絡をとった。話を聞いた炎二さんとアリーは村雨の提案に賛同した。今週末までに戦略を立てて司令部に報告し、ゴールデンウィークの間に実行することとなった。そのことを村雨に報告すると「わかった。がんばろーね」と嬉しそうな声で元気に返事をした。村雨がこの戦いに身を投じることを俺は正直快くは思っていない。自分自身が何度も危険な目に遭い、村雨も同じ目に遭うのかと思うと心配で仕方が無い。戦って勝った自分が生き残り、敗北した敵が消えていく時の心を締め付けるような感情を村雨に味あわせたくはない。とにかく今は、俺が村雨を守らなければならないと強く思う。
「さくら、私もいるぞ。共に一香を守ろうではないか」
強く念じられた気持ちが伝わったのだろう。優しい眼差しを俺に向けたクロエが、小さな両手をそっと俺の指の上に重ねて微笑んだ。俺は微笑み返し、「ありがとクロエ」と心の中でそっとつぶやいた。
月曜日、俺は村雨と同じ電車の車両に乗り合わせた。
「おはよーさくら、クロちゃん」
「おう」
どうやらご機嫌は回復している模様。朝っぱらから青汁を飲まされるのだけはカンベンだ。
「モーニン、クロエちゃ~ん。朝からかわウィ~ね~」
「おはようバスティ。今朝は一香にでこピンされなかったのか?」
「お嬢のでこピンは俺への愛情表現みたいなものだからな」
されたんだな。バスティのとばっちりはもう懲り懲りだ。
「懲りない所がバスティの長所だな」
「クロちゃん、そこ褒めるとこじゃないから」
クロエにツッコミを入れたあと、村雨は霊地封印について話を切り出した。それは霊地の正確な場所を特定できないものかという疑問の投げかけだった。場所が特定できれば俺や炎二さんを連れて村雨が霊地に直接ジャンプすると言うのだ。そうすれば敵の隙をつけると。
「そんな長距離も瞬間移動できるのか!?」
「うん。今の感じだと日本国内ならどこでも跳べるっぽい」
村雨が驚愕の事実をサラッと語る。
「それなら東京から帰るとき、新幹線乗る必要無かったじゃん」
「わりいなボーイ。あん時はまだお嬢と一体化したばかりで霊体と肉体が馴染んで無くてよ。今は1回のジャンプで1500キロくらいは跳べるぜ。」
バスティが得意げに話した。
「作戦としては非常に効果的ではある。しかし一香、やはり霊地はその近くまで行かなければ特定はできぬのだ」
クロエは申し訳なさそうに話した。
「そっかあ。めっちゃいいアイデアだと思ったんだけど。でも私がみんなを連れてジャンプするのには変わりないしね。さくらには助けてもらってばっかりだから、私も役に立ちたかったんだ」
話の途中で村雨の声が小さくなったが、しっかりと聞き取れた。クロエがニッコリ笑い、腰掛けている俺の肩をポンと叩いた。
「俺さ、一香を巻き込みたく無いって思ってた。でも、なんか胸が晴れたよ。これからも一香がピンチのときは俺が守る。一緒にがんばろーな!」
「さくら……」
俺を見つめる村雨の目が少し潤んで見えた。
「おいおいボーイ。昨日『胸』は禁句だって自分で言ったのに迂闊な奴だぜ」
バスティの余計な一言で、潤んで見えたはずの村雨の瞳がいつの間にか憎悪と怒りに満ちていた。
「さ~く~ら~っ! このエロヲタが!」
バシっ!
グーパンチをもらった頭をさすりながら電車を降りる。クソっ、バスティの疫病神め。朝から散々だ。こりゃ1日、村雨はご機嫌斜めだな。これ以上の余計なとばっちりを回避するため、村雨から離れて2メートル後方を歩き無事に校門を通過した。下駄箱で上履きに履き替え、教室に向かおうとしたところで村雨が1人の女子生徒に呼び止められた。
「おはようございます。村雨さん、ちょっと待って」
村雨を呼び止めたのは星流館高校生徒会会長、特別進学クラス2年15組の花菱日ノ和だった。村雨と並ぶ本校の2大有名人である。肩まで伸ばした栗色のストレートヘアー、身長は俺と同じくらい、整った顔立ちでキレイ系の村雨に対して花菱さんはカワイイ系だ。そんな見た目とは対照的に、話し方や振る舞いから大人っぽい冷静沈着な印象を受ける。
そういえば、今日から風紀委員会と生徒会による身だしなみ検査の強化週間だった。
「なに?」
さっきから不機嫌な村雨はあからさまにイラついた声で聞き返した。
「村雨さん、肩より髪が長い場合は結ばないと校則違反よ」
「は? じゃ、あんたの茶髪は何? 人に注意する前に自分が校則守りなよ」
スルーした村雨の前に花菱さんが再び立ちはだかる。俺には絶対無理。花菱さんのブレイブハートに心の中で拍手を送りつつ、穏便にことが治まりますようにと祈りを奉げた。
「私の髪は地毛よ。染めているわけではないの。よって、私は校則を守っているわ。あなたを注意しても何も問題ないでしょ。村雨さん、今すぐ髪を結びなさい。」
「あのさ、私以外にも髪伸ばしてて結んでない子なんていっぱいいるでしょ」
「他者の校則違反を指摘しても、あなたが違反している事実は何ら変わらないわ。今は村雨さん、あなた自身が注意を受けているのよ」
村雨のキツイ態度をもろともせず花菱さんは毅然と指摘した。村雨は沈黙したまま花菱さんを睨み付けている。いつの間にか2人を囲むように人だかりができていた。なんかやばい雰囲気になってきた。
「はいはい、ちょっとすみませーん」
俺が2人の間に割って入る。
「何あなた? 今、村雨さんに校則に則った身だしなみを指導中なのだけど」
「通りすがりのただのアニヲタです。キリッ。そろそろお時間も差し迫っているようですので、一香には私から言って聞かせます。では失礼します」
俺は花菱さんに会釈して、そのまま村雨の腕を引っ張り歩き出した。
「通りすがりなのに、ずいぶん村雨さんと親密なようね。アニヲタさん」
花菱さんがすかさず俺を呼び止めた。
「訂正します。モデル村雨一香のマネージャー的な追っかけ風のクラスメイト、篠崎さくらだお」
周囲からドッと笑いが起こった。花菱さんが何か言いかけたが周りの声にかき消されてしまう。どさくさに紛れて俺は村雨の手を引き走って教室に向かった。
「ありがと、さくら」
階段を上りながら村雨が礼を言う。
「うまくいったな。もう注意されないように、髪結んどいたほうがいいぞ」
「うん」
「いや~、一時はどうなるものかとヒヤヒヤしたぜ。あのかわいい顔したクールビューティー、気の強さはお嬢といい勝負だな」
目の前に飛んできたバスティが俺とクロエに話しかける。
「髪型まで定められておるとは、地上界の校則は厳しいのだな」
「俺が卒業したアカデミーで校則っていったら、能力や霊術の使用制限とか武器術、体術とか戦闘行為に関するものくらいだったぜ。クロエちゃんもそうだろ?」
「私のアカデミーも同じだな。ただ上級精霊のアカデミーの場合、平日の外出時は常に制服の着用が義務付けられているのだ。身だしなみという点ではそれくらいだな」
クロエが話しながら自分の着ている服を指差した。
「えっ、それって制服なのか?」
「私も私服かと思った。クロちゃんの高校の制服かわいいね」
「うちのアカデミーの制服は女子から人気が高く、評判が良いのだ」
クロエは少し照れくさそうに笑った。
話しながら2年2組の教室がある3階に到着。金、土、日の3日間で校舎の修繕工事が行われたものの、いまだに佐々木先生が襲撃した爪痕は残っている。2年1組は元の教室を使用せずに2階の空き教室を臨時に使用している。トラウマによる生徒の体調不良の発生を未然に防ぐために学校側が配慮してのことだった。実際事件の後、軽傷で済んだものの恐怖からくる精神的なストレスによって体調を崩し、数名の生徒が入院したと聞いた。そういう意味では目に見える傷跡よりも、目に見えない心の傷の方が深刻かも知れない。
「あ、あのさ」
もう教室が目の前という所で村雨が急に立ち止まった。そう言えば、村雨だってあの時危険な目に遭い怖い思いをしたのだった。気分が悪くなったのだろうか?遠回りして奥の階段を使ったほうが良かったかも知れない。
「どうした? 大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫だけど……。教室に入る前に、離してもらった方がいいかも。手握ったままだと誤解されちゃうっていうか。私は別にそういうの、全然気にしないんだけど」
村雨が頬を赤らめながらうつむいた。
「わっ! す、す、すまん。一香を救出するのについ夢中になって忘れてた」
俺は驚いて、今まで握り締めていた村雨の手を離した。
「ヒュ~。はにかむお嬢は超カワウィ~ね~」
「む~、うりゃあ! うっさいバスティ」
冷やかすバスティに村雨がでこピンを仕掛けるも見事にかわされた。
「じゃ、俺は校内をぶらぶらして来るぜ。授業中に俺の女とあんまりイチャつくなよ、ボーイ」
「ぶっ殺す! 戻ったら丸めて捨ててやる!」
バスティは人差し指と中指2本で敬礼するようなポーズを決め、ウインクするとスッと姿を消した。恥らう乙女のような村雨はどこへやら、悪態をついた彼女は不機嫌オーラ全快で教室の扉を開けた。
「こりゃ午前中は荒れた天気になりそうだ。とばっちり食らわなきゃいいけど」
「まさか、バスティが一香を怒らせる能力まで持っていたとはなあ」
「激怒させて瞬間移動とかタチ悪すぎだろ」
クロエに愚痴をこぼしつつ村雨のあとから席に着き、カバンの中身を机の中に移し変えた。1時間目は英語。さて村雨の機嫌を伺いつつ、授業中に指名されないようにお祈りでもしますか。
バスティが戻ってきたのは昼休みになってからだった。机の上に突然現れたバスティに驚かされ、俺はパンをのどに詰まらせた。
「んぐっ。げほっ」
「お帰りバスティ。一香は友達と中庭でランチをしておるぞ」
動じないクロエが平然と話す。
「ああ、それより剣道場でイベント発生だぜ。ほら急げ、篠崎ボーイ」
「何だよいきなり。昼飯くらいゆっくりさせてくれよ」
わけの分からぬままバスティにせかされて、食べかけの焼きそばパンを咥えたまま席を立った。剣道場に向かって飛ぶバスティのスピードが速くて走らないと追いつけない。走りながら飲み込んだパンを再びのどに詰まらせてせき込んだ。朝といい昼といいバスティに関わるとまったくろくな目に遭わないな。
「さくら、これを飲んで回復するのだ」
クロエが両手に抱きかかえていた飲みかけの紙パックのジュースを渡してくれた。
「グッジョブ! クロエさん。ナイスポーション」
「クロエちゃんと間接キッス。超うらやますぃ~ね~」
「ブホッ」
飲み込んだジュースを盛大に吹き出してしまった。こりゃあ村雨も大変なわけだ。
剣道場の入り口には人だかりができていた。窓がある場所にも集まっている。これじゃあ何が起こっているのか全く見えない。
「で、どんなイベントが発生したんだ?」
剣道場の入り口から少し離れたところでバスティに尋ねた。
「クールビューティーと上級生が果し合いらしいぜ」
「クールビューティーって、花菱さん? 大げさだな。そりゃ剣道部なんだから試合もやるだろ。昼練習はいつもやってるみたいだぞ」
「まあ見てろって。ほら」
バスティが指差した道場の入り口から、花菱さんと剣道部部長の野村加奈子先輩が出てきた。野村先輩はギャラリーを押しのけるようにして出てくると、後から出てきた花菱さんと向かい合った。確かに様子がおかしい。二人とも防具を着けておらず、手には竹刀ではなく木刀が握られていた。
「約束通り先に1本取った方が勝ち。敗れた者が退部する。いいわね?」
野村先輩が言いながら木刀を中段に構えた。
「はい。構いません」
先輩に一礼した花菱さんは木刀を構えようとせず、刀を帯刀しているかのように左腰に引き付け右手で柄を握っている。他の剣道部員も道場から出てきたが、誰1人と止めようとする者はいない。
おいおい、防具無しで木刀で試合なんて洒落にならんぞ。
「さくら、動いてはならぬ」
今止めに入ろうとした瞬間、クロエに逆に止められた。
「なんでだよ? こんなの危ないだろ。怪我じゃすまないぞ」
「すでに2人は互いに剣が届く決死の間合いに入っておる。この緊張状態で声をかけたら、それこそ2人とも怪我では済まぬぞ」
低く落ち着いた声でクロエが答えた。
「じゃあ、どうやって!?」
野村先輩が先に動いた。中段の構えからゆっくりと上段に構え直した先輩はジリジリと間合いを詰め、花菱さんの頭部目がけて剣を真っ直ぐに振り下ろした!花菱さんは右手で剣を斜めに振り上げ、先輩の一太刀を止めず滑らせるように受け流す。そして先輩の剣が落ちていくのと同時に体勢を真っ直ぐに戻し、相手の首に向かって剣をコンパクトに振り下ろした。体勢を崩された先輩はとっさにしゃがみ、座った状態で花菱さんの太刀を受け止めた。徐々に剣を力で押し返して立ち上がり、そのまま花菱さんを強引に突き放した。花菱さんと野村先輩が間合いをあけて再び対峙する。2人の剣の動きが速すぎて太刀筋が見えない。野村先輩は力強くて鋭い剛の剣、対して花菱さんは柔軟でしなやかな柔の剣という感じがする。今度は花菱さんが先に仕掛けた。先輩の下がっていた手元に向かって小手を打ちにいく。その瞬間、不自然に花菱さんの剣が弾かれた。先輩の手元が霊術のシールドで防御されていたのだ。やはり、先輩の肩の上に精霊が見えた。剣を弾かれて体勢を大きく崩した花菱さんの隙を逃さず、野村先輩が間合いを詰めて剣を大きく振りかぶった!
「今だっ!」
クロエの叫び声と同時かそれより早く、俺は野村先輩の前に立ちふさがった。突然の乱入者に面食らった先輩が声も出せずに固まった。
「はいはい、ここまで~。私、こういう者です」
ブレザーの内ポケットから出した生徒手帳を野村先輩の顔の前に突き出す。
「職員室にはすでに通報した! 無駄な抵抗はやめ、武器を捨てて速やかに教室へ戻りなさい」
ギャラリーからクスクスと笑い声が聞こえた。次第に笑いが大きくなり、やがて野次馬達はガヤガヤと話し始めた。
「花菱さん、救われたわね。でも忘れないで、次は決める」
そう言い残すと野村先輩は更衣室に向かって歩いて行った。それに続くように他の部員達もその場をあとにした。ギャラリーも「勝敗が決まらずすっきりしない」など勝手なことを口にしながら去っていった――。
「篠崎君、ちょっといいかしら?」
「ふっ。礼はいらないよ、会長さん」
「こっちよ」
俺の言葉をスルーして、花菱さんは道場の中にある剣道部の部室に向かって歩き出した。部室の中はきれいに生理整頓が行き届いており、こういうところはさすが女子と言うべきか。花菱さんが部室の扉を閉めた。ゆっくりと俺に歩み寄る。同じくらいの身長だから目の前に花菱さんの顔がある。かなり近い。
「え~っと、花菱さん。これはどういうことでしょう?」
「こういうことよ」
そう答えた花菱さんの肩の上に精霊が姿を現した!俺はとっさに跳ね退き、クロエが前に出て両手をかざし防御体勢をとった。バスティは俺の肩の上に移動していつでもジャンプできる状態だ。
「驚かせてゴメンなさい。あなたを攻撃する気は無いの。もちろん村雨さんもね」
「大丈夫だから警戒を解いてくれませんか? このままでは話もできない」
花菱さんと共に彼女の精霊は戦う意思の無いことを俺達に告げた。
「お久しぶりです、クロエさん」
「先生!?」
防御体勢を解いたクロエはそう叫ぶと花菱さんの精霊に抱きついた。
「少しお話しましょうか。さあ、篠崎君もここにかけて」
あっけに取られていた俺に花菱さんがパイプ椅子を差し出した。椅子に座るとクロエが満面の笑みを浮かべて俺の左肩に戻ってきた。
「はじめまして。私は下級精霊のアラン・アルベールです。まずは私から、クロエさんとの関係も含めてお話いたします」
アルベールはとても丁寧な口調で語り始めた。
アラン・アルベールは精霊界治安維持軍、東方方面第2師団の武器術指南役を務めていた。中級精霊が8割を占める治安維持軍において、下級精霊がしかも軍の部外者であるアルベールが教官を務めるというのは異例の人事であった。彼は軍で武器術を指導する傍ら、自宅で小さな道場を開いて子供達に剣術を教えていた。クロエが母親に連れられて道場を訪ねてきたのが11年前のことである。公爵家の子供が下級精霊の道場に入門するということは前代未聞であり、アルベールも非常に驚いた。クロエの母親はそんなことは一切気にも留めずに「是非よろしくお願いします」と言い、娘を入門させることを決めた。クロエは人一倍不器用で覚えも悪かったが、根気強く地道に稽古を積んだ。そんな彼女に感心したアルベールは丁寧に熱心に指導した。そしてクロエはアカデミー初等課の6年間、週2日の稽古に1日も休まずに通い続けた。道場で唯一の上級精霊ということもあったが、それよりも休まず道場に通い、誰よりも真剣に稽古に取り組む姿勢に感動し、アルベールの心の中に最も印象強く残った門下生であった。クロエが中等科へ進学するに伴い道場を退会して間もなく、精霊界におけるギルドの支配力は最大に高まり、治安維持軍は事実上解体された。その後下級精霊の兵士を大幅に増員し、大手ギルドを中心にした新霊界解放軍が再編成された。元第2師団長の強い要望により、アルベールは軍に留まり武器術指南役を続けた。やがて戦闘が激化していく中、アルベールにも指令が下され戦地に赴く機会も増えていった。そしてアルベールは地上界光臨作戦の先遣隊に選抜される。花菱さんと一体化したのは一昨日、土曜日のことだった。
「私のことはこれで大体理解していただけたかな? 私としては、精霊の戦いを地上界に持ち込むことは反対でね。無関係の人間達を巻き込みたくないのだよ。だからこの作戦を阻止する構えだ」
「良かった。先生が味方で嬉しいです。俺も同じ考えっていうか、クロエが地上界を守ろうとしてくれていて。だから俺もクロエと共に戦っています。一香とバスティ、それに東京にいる炎二さんとアリー」
味方が増えた喜びを噛み締めつつ、俺はこれまでの経緯を話した。
「それでね、篠崎君。私からお願いがあるの」
俺が一通り話し終えたところで花菱さんが口を開いた。
「お願いというのは?」
「野村先輩には手を出さないでくれる」
「えっ。それはなぜ?」
「私が彼女を斬るから。ただそれだけよ」
「……」
思いもよらない回答に俺は言葉を失った。
「……えっと、まず斬る前に降伏と霊人分離を勧めるのが先だよね? 仮にも同じ学校の生徒なわけで、しかも花菱さんにとっては剣道部の先輩でもあるわけだから。野村先輩を無事に助けるためにも、花菱さん単独で対応するより仲間と協力してことに当たった方が効果的だと思うんだ」
「篠崎君、勘違いしているようだから言っておくわ。第1に私はあなた達の仲間ではない。そして第2に私は精霊の戦争に関係ない。だから関わるつもりも無い。私が行く道を阻む者がいれば斬る、ただそれだけのことよ」
冷静な口調で淡々と話す花菱さんの瞳の奥に、あの日見た親友タクと少し似た雰囲気を感じた。
「少しがっかりしたよ。花菱さんは生徒会活動に熱心だし、ちょっとキツいとこもあるけど会長として学校や生徒のために頑張ってたから……。花菱さんも聞いたかもだけど、今まで地上界は精霊の力によってバランスを保ってきた。俺はさ、その力を得た者には責任があると思うんだ。今地上界は精霊の反乱軍に奪われつつある。そんな危機を救えるのは力を得た俺達しかいない」
「篠崎君、誤解しているようだから教えてあげる。私が生徒会活動をしているのは自分のためよ。そして、生徒会長としての職務をこなすのは当然のこと。それ以上でも以下でもないわ。確かに精霊の力は特別なものかもしれない。でもね、人間の中には天才と呼ばれる種類の非凡人が存在する。そして高い能力を有する者が優位に立つ。地上界の危機だって今さらのことでもないでしょう? エネルギー資源問題、環境問題、それに治安の悪化。上げればきりが無いわ。凡人が精霊の力を得て意気揚々となるのは分からないでもない。でもね、篠崎君がどんなに頑張っても不平等と差別に満ちたこの世界は変わらないし、根本的な地上界の危機を救うことは不可能よ」
花菱さんは相変わらず淡々と冷たい表情で語った。
「花菱さんの言うとおりかもね。でも俺は目の前で困ってる人がいたら力になりたい。1人でも多くの人を助けたい。全員は無理かも知れないけど、0と1じゃまったく意味が違うだろ。俺はさ、この力を自分のものみたいに感じたことは1度も無いよ。これまでの戦いを乗り越えられたのはクロエが力を貸してくれたからなんだ。霊人一体化って精霊の能力を得るってことじゃなくて、人と精霊が協力するってことだと思う」
「……そう。主観の相違ね。私の話は済んだから、これで失礼するわ」
花菱さんが椅子から立ち上がった。
「それにさ、俺は正義のヒーローだから人助けは当然のこと。それ以上でも以下でもない。キリッ」
「フフフ。篠崎君の行動に意見するつもりは無いわ。……あなたは、変わらないのね」
花菱さんは俺に微笑み、ゆっくり撫でるような仕草で髪を耳にかけると部室をあとにした。
アルベールは「もう少し話があるから」と言ってその場に残った。
「最後の、どういう意味だったんだろう?」
「篠崎ボーイはクールビューティーと昔なじみじゃないのか?」
花菱さんの別れ際の発言に首をかしげる俺にバスティが尋ねた。
「違うよ。花菱さんのことは高校に入ってから知ったんだ。ましてや今日まで話をしたことすらない。それはおいといて。先生、話まだあるんですよね?」
「ああ、時間をとらせてすまないね。もう少しいいかな?」
アルベールは俺の顔の前に浮遊した状態で話し始めた。
「さくら君、君に頼みがあります。あの子、日ノ和を救ってくれませんか?」
「!?……あの、先生。花菱さんが俺に助けを求めているようには見えないけど?」
アルベールの予想外の発言に俺は少し驚いた。
「私は彼女と契約し霊人一体化しました。しかし日ノ和は、私に心を閉ざしたままです。信じているのは自分自身だけ。私にはもちろんのこと、一切人に頼ろうとはせず己の力で我を通す。そんなあの子のかたくなで氷のような心が、ほんのわずかにほぐれた瞬間がありました。先ほどの試合の最中にさくら君、君が止めに入った時です」
「うむ。それは私も感じた。殺気がすぐに治まったからな」
クロエが、こくりこくりと頷いた。
「あの時の日ノ和の感情は、喜び、安堵そして懐かしさ。私は確かにあの子の心を感じた。君ならば日ノ和を救ってあげられるはず。無理を承知でお願いいたします。」
アルベールはそう言うと、深くおじぎをして頭をなかなか上げようとしない。
「ちょっと、先生。やめてください。俺、そんな大層な人間じゃないです。花菱さんにはつい見え張って偉そうなこと言っちゃったけど……。まあ、でも花菱さんは同じ学校に通う同級生で、俺と同じ合一者で仲間だから。本人はそうは思ってないみたいだけど。出来る限りのことはやってみます!」
「さくら君、ありがとう! 本当にありがとう」
頭を上げたアルベールは小さな両手で俺の指を握り、何度もお礼を言った。
「なるほどね~。ジャンパーでもないアルちゃんがクールビューティーと離れていられるのはそういう理由か。」
「先生に向かってアルちゃんは失礼だろバスティ」
相変わらず誰に対しても軽いノリのバスティをたしなめる。
「いや、構いませんよ。私もバスティと呼んでもよろしいですか?」
「オフコース! 俺とアルちゃんの仲だ。気軽にいこうぜ」
お前は軽すぎだ!心の中でツッコミを入れたら念が強かったのであろう、クロエが何度も頷いていた。
「バスティの言うとおりです。私と日ノ和の同調率は非常に低い。霊体と肉体が分離している状態に等しい。今は契約の力によって、かろうじて合一者としての存在を維持しています。戦闘においては本来の力の10分の1も発揮できないのです」
「そんな! じゃあ、また野村先輩と戦闘になったら……」
「そうですね。日ノ和の武術は、私の力が無くとも十分合一者に対抗出来得るレベルです。しかし、相手が精霊術を使用した場合は話が別です。あの子はこのままでは確実に敗れるでしょう」
アルベールの声は低く、表情は険しかった。
「そうならないためにも、何とかして花菱さんの心を開いて先生と同調できるようにしないと駄目ですね」
「私もあの子に向き合い努力します。さくら君、よろしく頼みます。日ノ和が心を開いたその時は、きっと共に戦うことができるでしょう」
アルベールは話し終えるとクロエに声をかけ、握手をすると部室から出て行った。俺達もすぐその後に教室へ戻った。昼食を終えた村雨も戻っており、席に座って友達と話をしている。バスティを肩に乗せた俺はなるべく静かに、なおかつ自然に席に座った。同時に予鈴が鳴り、他のクラスメイトも席につく。
「お嬢、今帰ったぜ。寂しい思いをさせてすまなかったな」
「な~にが、すまなかったよ! うりゃ!」
村雨は目の前に飛んできたバスティをすかさず捕まえた。朝にからかわれた恨みを晴らすべく、バスティを握った右手をブンブン振り回している。それを見て笑うクロエにつられて、俺は苦笑いした。バスティご愁傷様。
「あっ。また消えた。この卑怯者。出て来なさいよ。ん? 何よ、話って」
バスティは村雨の中に戻ったようだ。昼休みの一件を話すのだろう。5時間目開始のチャイムが鳴って宮本先生が教室に入ってきた。日直の号令で起立して礼をする。
「なあクロエ、アルベール先生のこともう少し詳しく教えてくれないか?」
「心得た。先生を知れば、日ノ和の心を開くヒントになるかも知れぬからな」
クロエは俺の中に戻ると先生のことを話し始めた――。
アルベールは霊術を全く使うことが出来ず、幼少期から苦労が絶えなかった。霊力の低い下級精霊でも、アカデミー初等科を卒業するまでには大半がある程度の霊術を体得する。また、霊術を使えない者でも生まれつき備わった能力を開花させて伸ばしていた。能力も持たず、霊術も体得できない精霊は非常に稀であり、アルベールは無能のレッテルを貼られてつらい学校生活を送っていた。そんなアルベールに転機が訪れたのは中等科に進学して間もなくのことだった。武器術、体術の授業でアルベールは力を存分に発揮した。その学習能力は飛びぬけて高く、基本から応用にかけて習得するのに時間はかからなかった。アルベールは自身が通っているアカデミー中等科の剣術大会、総合武器術大会、体術大会において1年生でありながら優勝を果たし、3年間その座を誰にも譲らなかった。高等科に進学するとその強さはさらに増し、精霊界アカデミー高等科の全国大会で中級、上級精霊達を圧倒し、3年間トップに君臨し続けた。下級精霊の全国優勝は天界創世以来、初めてのことであり3年連続優勝さらには、剣術、総合武器術、体術の3部門を制覇するという前人未到の偉業を成し遂げた。武術の達人として、アルベールの名は精霊界に留まらず神霊界にまで知れ渡った。高等科3年次には精霊界治安維持軍をはじめ、武術の名門道場、民間の大手警備団体などからスカウトを受けていたがその全てを断り、アルベールはより高みを目指して修行の旅に出る。精霊界の各地を巡り行く先々で名の知れた兵法者と剣を交え、なお無敗のまま10年の年月が経過した。さらにその後、神霊界剣術大会、総合武器術大会に出場し並み居る強豪の上級精霊をなぎ倒し、見事3位入賞を果たす。これもまた異例の成果であり、下級精霊にとって快挙となる出来事であった。神霊界の大会初出場からアルベールは3年連続で入賞を果たす。下級精霊ながら全精霊剣術最高ランク2位、総合武器術最高ランク3位という名誉を得たアルベールは修行の旅に終止符を打った。そして彼は自宅を改装して小さな町道場を開設した。アルベールの実力、実績は申し分無いものであったが、同じ地区に大手名門道場があったことや10人で稽古するのがやっとの狭い道場といった要因もあり、入門者は近所の下級精霊の子供達20人ほどにしか至らなかった。
「……と、私が先生について知っているのはこれくらいなのだ。ちなみに私が入門したのは、先生が道場を開設してから2年目の春のことだ」
俺の中から出て実体化したクロエは、机の上で懐かしそうに少し遠いところを見るような目をしていた。
「びっくりしたよ。クロエの先生、すごい人だったんだな。向こうの世界で剣術世界ランカーってことだろ! それなのに全く俺Tueeeオーラ出てないし、すごく謙虚だし」
「精霊武器術とは武器のみで戦う方法ではなく、精霊術と武器による攻防を合わせた戦闘法なのだ。霊術を使えない先生が霊力の高い上級精霊相手に、剣1つで戦い勝ち抜いたのは本当に凄いことなのだ」
クロエは自分のことのように誇らしげに語った。
「その割には弟子のクロエはポンコツだな。ハハハ」
「なにを~っ。さくらは私の剣術を見たことないではないか!」
怒ったクロエがグーパンチでオレの頬をバシバシ叩きだす。
「痛っ、イテテテ。やめろって。自分で苦手だって言ってたじゃん」
つい大きな声を出してしまった。
「こらー、篠崎。何1人で騒いでる! 寝ぼけてんのか?」
「あ、あの、凶暴な妖精が繰り出すパンチを防ぐのに必死で……。すみませんでした」
立ち上がって宮本先生に謝罪する俺を見たクラスメイトからドッと笑いが起こった。
「何言ってんのよ。バカ」
隣の席から呆れ顔の村雨に小声で叱られた。話を終えたのであろう、バスティも実体化して机の上で笑っていた。
「グッジョブ、篠崎ボーイ。いい腕してるねー」
「しかし今のは笑いを取ったというより、笑われたと言う方が正しいな」
お前のせいだ!と、すまし顔のクロエにツッコみたいのをグッとこらえ、俺は静かに腰を下ろした。
月曜の6時間目はホームルームで、今日は修学旅行の最終的な班決めを行った。班は6~8人の男女混合であることという決まりを除けば、各自で自由に組むことが許されていた。先週男女分かれて仮の班決めが行われ、今日のホームルームで男女混合の班を確定することになっていた。親友がいなくなったクラスで俺は1人、人数調整の駒としての役割を果たすべくその時が来るのを静かに待っていた。
「なぜさくらは1人なのだ? 一香の班に入れば良いのに」
「一香以外とはろくに話したことも無いのに、いきなり入れてもらうのはおかしいだろ」
「そういうものなのか? では今から話しかけて友達になると良い」
ひらめいた!といった感じで天真爛漫に話すクロエに俺は頭を抱えた。実は村雨にも「一緒の班になろう」と誘われていた。正直嬉しかったけど、村雨のグループに入ると俺の浮いた存在のせいで彼女に迷惑をかけてしまいそうな気がして断った。いや、本当は自分が村雨のグループの奴と話をするのが面倒で、自分のために断ったんだ。村雨の班はいつもの男女のグループで構成されてすでに班が出来ていた。
「し~のざき君。まだ決まってないよね? うちの班でいいよね?」
村雨のグループの1人、朝倉真由美さんが声をかけてきた。
「えっ!? いや、俺は……」
「あ、そう。入ってくれる。ありがとー。」
全く人の話を聞く気配の無い朝倉さんにグイグイ腕を引っ張られ、俺は村雨の班に連れて行かれた。
「拉致ってきました、班長」
「ご苦労、朝倉隊員」
班長と呼ばれた武田信二君が朝倉さんに敬礼した。
「お、来たきた~。篠崎ちゃ~ん。ヨロ~」
小田信哉君がいきなり肩を組んできた。
「これで決定でいいよね?」
「おう。じゃあ夏樹、班員名簿書いてくれ。俺出してくるわ」
小川夏樹さんが書いた班員名簿を班長の武田君が委員長に提出した。何がどうなっているのか理解できず、村雨の方を見ると彼女は両手を合わせてゴメンねのポーズで頭を下げた。
全ての班が決まった後、班ごと集まって自由行動の予定を立てた。
「で、で、実際のところどーなの? 篠崎君、一香と付き合ってんの?」
「えっ、えー!?」
自由行動の計画そっちのけの朝倉さんに唐突な質問をされて戸惑う俺。
「マユ、いきなり食い付き過ぎ。篠崎君、めっちゃ引いてるから」
「そうだぞ。まずは軽い自己紹介からいこうぜ。本題はそのあとで」
小川さんと武田君がたしなめる。
「俺、武田信二。班長です。趣味はバイクで普通2輪免許持ってまーす。じゃ、次マユ」
「はーい。朝倉真由美17歳で~す。ミス・ドーナツでバイトしてま~す。なっちゃんとおなちゅうです。次、なっちゃーん」
「マユ、同級生に年教える意味無いし。小川夏樹、軽音部でギターやってます。よろしく!」
「じゃ俺、小田信哉。ダンサーやってまーす。一応プロ目指してるんで応援よろしく!」
4人がそれぞれ自己紹介をした。
「はい、ラスト篠崎ちゃん。どうぞー」
「篠崎さくら、男子です。軽い引きこもりやってます。将来の夢はアニメの力で献血参加者を増やすことです。キリっ」
村雨を含めた全員が吹き出した。
「ははは。篠崎ちゃんノリい~ね」
小田君が俺の背中をバシバシ叩いた。
「ふふふ。やめてよ、篠崎君。お腹痛いよ」
「ひゃはは。マジうける」
お腹を押さえて笑う小川さんの肩に顔をうずめて朝倉さんが笑っている。
「篠崎君の面白自己紹介も聞けたし、本題といきますか。で、一香と付き合ってんの? 本人に聞いてもはぐらかされちゃってさ」
「いや。一香は普通の友達だよ。中学からの腐れ縁で今までずっと同じクラスだったんだ。ちょっとしたきっかけで最近よく話すようになってさ。ただ、それだけ」
「え~、つまんな~い。なんか進展ないのー?」
朝倉さんにブーイングを食らった。
「でもさ篠崎ちゃん、朝、花菱さんから一香を助けたっしょ? けっこう話題になってるし。ほとんどの生徒は知ってるっぽいし」
「そうだな。川村の時もそうだし、篠崎君が一香を救ったのはこれで2回目だね」
武田君が村雨と俺の両方を見ながら話した。
「救ったなんて大げさだよ。どっちも偶然その場に居合わせたってだけのことだから」
「でもね~、川村事件のあとに一香、私達に篠崎君の勇姿を熱く語ってくれたんだよお。すごく嬉しそうだった」
朝倉さんがニヤニヤしながら話す。
「ああ! そう言えば佐々木事件のとき、校舎から一香を連れて来たのは篠崎ちゃんだよな! ってことは、一香救出回数は3回ってことか。やるね~」
「何それー? 私聞いてな~い」
「俺も知らなかったな。篠崎君、詳しく教えてよ」
「もう、その辺にしときなって。篠崎君も困ってるじゃん。あんまり詮索されるの、一香が嫌いなことみんな知ってるでしょ? デリカシー欠落し過ぎ」
小川さんに叱責されて3人はシュンと小さくなった。
「あ、あの、小川さんありがとう。色々聞かれてちょっと驚いたけど、俺は大丈夫だよ。1人余ってたところ班に入れてもらえて助かったし」
「夏樹、私も別に気にしてないからさ。もう怒らないであげて」
小川さんによって正直助かったものの、怒られた3人がかわいそうになり、おそらく同じ気持ちであろう村雨と共に3人をフォローした。
「じゃ、一香と篠崎君に免じて許す。以後、気をつけるよーに」
「イエーイ! 俺、無罪」
「私も私も~。超~無罪」
「無罪判決が出たところで、自由行動の行き先決めよう!」
3人に先ほどのテンションが戻った。立ち直り早過ぎだろ。
机の上に沖縄の旅行雑誌を広げ、各自の希望場所をリストアップしていく。クロエとバスティも村雨がめくる雑誌を覗き込み、2人でなにやら話をしている。ある程度リストアップされたところで自由行動のコース決めに入った。クラスメイトに馴染んでこんな風にワイワイと学校行事に参加するのはすごく久しぶりだった。朝倉さんは明るくて天真爛漫、ムードメーカー的存在。皆からは『マユ』と呼ばれている。小田君はノリが良くてちょっとお調子者。マシンガンのごとくしゃべりまくるけど、人の話もちゃんと聞いてくれる。武田君はすごく博識で頭の回転が速い。マンガもけっこう読んでいて、俺の話にも合わせてくれる。皆の意見を聞きながら上手にまとめる様子を見ると、さすが班長という感じだ。小川さんは几帳面な性格で周囲にも気を配れるしっかり者。たまに暴走する3人のブレーキ役。お姉さんっぽい保護者的存在。そしてやはり村雨はグループの中心的存在。リーダーと言えば武田君かも知れないが、村雨が皆を引き付けているのが分かる。村雨はそれほど多くは語らないけれど、彼女が媒介となりグループの協調性が保たれているように感じる。皆もそれが心地よくて村雨のそばに集まっているのだろう。俺も最初に感じた若干の戸惑いはすでに消え、村雨と同じ班にいることを楽しく心地よく感じていた。
「さくら、ごめんね。なんか無理やり引き込んじゃって」
村雨が小声で謝った。
「いや、助かったよ。旅行中いつ敵と遭遇するかも分からないし、一香と同じ班になれて良かったよ。ありがとう」
「ヒュ~。熱いねえ、お2人さ~ん」
バスティがすかさず冷やかしてくる。村雨が睨み付けるが手出し出来ないことをいいことにバスティは調子に乗っている。
「沖縄に霊地があるということは確実に敵の拠点も存在する。確かに一香と行動を共に出来るということはメリットだな」
そう言うと、一通り旅行雑誌を読み終えたクロエが俺の左肩に戻ってきて腰を下ろした。
「そういうことだ。それに、みんなとも仲良くできそうだし。この班での修学旅行、けっこう楽しみだよ」
「そっか。良かった、さくらがそう言ってくれて。」
村雨の表情が和らぎ、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
6時間目終了のチャイムが鳴った。自由行動のコース決めは次回のホームルームに持ち越された。班の皆が各自の席に戻っていく。
「さくら、今日掃除当番だよね? 花菱さんのこと、話あるから。昇降口で待ってる」
「うん、わかった」
俺と村雨も席についた。担任の佐藤先生が連絡事項を告げて放課後を迎えた。村雨とバスティは俺とクロエに手を振り教室をあとにした。俺は教室の掃除に取り掛かる。一通り掃除を終えると、俺以外の生徒は掃除用具をさっさと片付けて教室を出て行った。前の掃除当番の班でもそうだった。最後に残った俺がゴミ捨てをする。暗黙の了解ってやつだ。別に重労働ではないし、ゴミ捨てが楽しくてしょうがないってわけでもない。しかし結局は誰かがやらねばならないのであって、誰もやりたくないのであれば甘んじてそのお役目、俺が引き受けようって心情ってわけだ。燃えるゴミの袋を縛り、次にペットボトルの袋を縛る。
「1つ持つよ」
後ろから声をかけられ、振り返るとギターケースを背負った小川さんが右手を出して立っていた。俺は縛ったゴミ袋を1つ小川さんに手渡した。
「ありがとう。小川さん、部活いいの?」
「まだ時間あるから」
小川さんはゴミ袋を受け取るとニッコリ笑った。教室を出て2人でゴミ捨て場へ向かう。第1音楽室から吹奏楽部の演奏が聞こえる。廊下の窓からは、野球部、サッカー部、陸上部がグラウンドで練習を始めるのが見えた。
「今日ホームルームの時に篠崎君のこと、みんな苗字で呼んでいたでしょ」
「うん、そうだね」
「一香がね、篠崎君と話す機会があったら苗字で呼んであげてって。名前が女の子みたいなこと、気にしているみたいだからって。みんなに頼んでいたの」
歩きながら小川さんが優しい口調で話す。
「そうだったのか。全然、知らなかった」
「まあ他の人、っていうか女子に名前で呼んで欲しくないってのも、ちょっとあるんだろうけどね」
「ん? なんで?」
「いやいや。それは置いといて。一香はぶっきらぼうでガサツなとこもあるけど、一途で恥ずかしがりで優しい子なんだ。だからさ篠崎君、一香のこと頼むよ!」
小川さんは立ち止まり、俺の目を真っ直ぐに見て言葉に力をこめた。
「お、おう。細かいことは分からないけど、何となく大まかに全般的に任せてくれ」
「ぷっ、ふははは。なるほど~。あの一香がねえ、なんか納得だよ」
「……?」
笑い続ける小川さんとゴミ捨てを終え、手伝ってくれたお礼を言って別れた。小川さんは手を振り、軽音部の練習場所の第2音楽室へ走っていった。教室に戻った俺はバッグを肩にかけ急いで昇降口に向かった。待っている村雨が電話で話しているのが見えた。
「お待たせ」
村雨が電話を切るのを待ってから声をかける。
「ちょっと、夏樹になんて言われたの! 俺に任せろって何をよー!」
村雨が顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。何でそんなに怒ってるんだ?
「えっ? いや、だから一香はぶっきらぼうな所あるけど優しい子だから、これからも仲良くしてあげてみたいな? そんな感じのことを頼まれたはずなんだが……」
「まったく、夏樹の奴まぎらわしい。」
「おいおい、あんまり怒るとかわいい顔にしわが増えるぜ、お嬢」
「うっさい、バスティ死ね!」
村雨とバスティの定例となった小競り合いが始まる。苦笑いする俺を見て、クロエが2人の間に止めに入った。すかさずバスティは瞬間移動で俺の肩に避難してきて、仲裁に入ったクロエはそのまま村雨の肩に腰を下ろした。
「ひとまず休戦ってことで。さあ、歩きながら花菱さんの話、聞かせてよ」
「そ、そうだった。バスティ、帰ったら覚えときなさいよ」
我に返った村雨はバスティを睨みつけ、そして歩きながら話し始めた。
「バスティから昼休みのことは聞いた。さくら、面倒なことに巻き込まれちゃったね。」
「クロエの恩師の頼みをむげにはできないしさ。それに先生、すげーいい人なんだよ。しかも向こうの剣術世界ランカーなんだぜ」
「なんでさくらが、どや顔なのよ?」
興奮して自慢げに話す俺に村雨がツッコんだ。
「それに花菱さんのこと、なんだか他人事に思えなくてさ。俺の力でどうにかなるなら2人を助けたいって思ったんだ」
「さくららしい理由ね。私も出来る限り協力する。花菱さんと先生がうまくいって、私達に加勢してくれれば有利になるし。花菱さんは嫌いだけど……」
「一香は日ノ和と友達ではないのか?」
村雨の肩の上でクロエが尋ねた。
「そんなわけないでしょ! 誰があんな高飛車女と。あ、クロちゃんごめん」
「いや、話があると一香が言ったので、日ノ和について詳しく知っているのかと思ってな」
少し驚いた様子のクロエが村雨をなだめるように言った。
「うん、でも私が知っていることはさくらも知ってると思う。あいつ学校の有名人だから。私が教えたいのは、花菱さんと野村先輩のこと。花菱さんと同じ中学だった子から聞いたの」
「それは俺も初耳だな。花菱さんについて一香が分かっていること、とりあえず全部教えてくれよ。クロエも聞いておきたいだろうし」
「うん、そうだね」
村雨は小さく頷くと花菱さんの家柄の話から始めた――。
花菱さんの家は明治からある旧花菱財閥、現在の花菱グループに当たる。戦後、花菱財閥はGHQの政策により解体されるが、1997年の独占禁止法の改正により、元花菱財閥であった企業は再集結して花菱グループとなった。花菱さんの祖父、花菱平蔵がグループ会長、父親の日出男が副会長を務めている。花菱財閥は日本4大財閥の1つで、高校の日本史の教科書にも載っている。そんな訳で花菱さんの家柄は皆が知っている。花菱さんは小学生まで東京の名門大学の付属校に通っていた。卒業後、愛知の私立名門中学に進学。東京の実家を出て中学の寮に入り学校生活を送った。その中学の剣道部で花菱さんは野村先輩と出会った。野村先輩は2年生ながら、すでに県大会でベスト8に入る実力者であり、3年生も納得する剣道部のエースだった。しかし花菱さんは、部内試合でいとも簡単に野村先輩を負かしてしまう。力量の差は圧倒的で、野村先輩は1本も取ることが出来なかったという。花菱家は光道流という古武術の宗家でもあり、花菱さんは幼少から剣術を厳しく教えられ、さらには合気道や剣道の道場にまで稽古に通っていた。そんな彼女に部活で身に付けた中学生の剣が通用するはずがない。その日から花菱さんが部の中心的存在であり、不動のエースとなった。野村先輩の父親は、花菱グループの関連企業である花菱銀行で課長を務めていた。それが災いし「会長の娘と課長の娘じゃ、やっぱ格が違うよ」と周囲から揶揄されることも多かった。花菱さんが夏の全国大会でベスト4に入り、剣道部は完全に彼女主体の練習になっていった。野村先輩は部を引退するまでの間、常に花菱さん専属の稽古相手として練習に参加し彼女のサポートに徹した。花菱さんは2年生で全国優勝を果たし、さらに翌年は連覇を達成した。彼女は学業も学年トップの成績を3年間維持、推薦で星流館高校に入学した。
「……こんな感じね。花菱グループや剣道全国優勝者っていうのはメジャー過ぎて知ってただろうけど、村雨先輩のことは知らなかったでしょ?」
話し終えた村雨は、少し得意げな表情を見せた。
「ああ、びっくりしたよ。野村先輩が花菱さんと中学時代から因縁があったとは。高校まで一緒になるなんて、そりゃ村雨先輩も嫌になるよな」
「それが違うのよ。私も最初そう思ったんだけどね。村雨先輩は花菱さんのサポートを嫌々やっていた訳じゃないみたいなの。」
村雨の思わぬ発言に俺は驚いた。
「えっ? だってそれが原因で、昼休みの果し合い事件が発生したんじゃないの?」
「ん~、私もそれは分からないんだけど。野村先輩は一言も花菱さんの悪口を言ったことが無いらしいの。中学時代から今に至るまで、2人の仲は良かったらしいのよ」
「は? 今回の事件に話が全然結びつかないぞ。無難に学校生活を送るために、表面的に仲良くしていただけじゃないのかな?」
「少しの間なら可能かもしれないけど、野村先輩は花菱さんと出会って4年目だよ。嘘なら絶対にボロが出るはずだよ。今回のこと、私は精霊の力が影響を及ぼしていると思う」
村雨は厳しい表情で声を大きくした。
「うむ。確かにその可能性はある。降臨した精霊本人が意思を強要することは不可能だが、他の精霊で暗示や催眠、幻術系の霊術を使う者がいれば話は別なのだ」
「なるほど。となると厄介だな。野村先輩の救出も同時にしないと」
「うむ。第1プランは、さくらが日ノ和の心を開かせて私達の仲間にする。そして野村加奈子の救出を試みる。第2プランは日ノ和が心を開かず失敗した場合、一香とバスティが日ノ和を止める。私とさくらが野村先輩にかけられた霊術を解除する。まあ、まずは野村加奈子の状態を確認せねばならぬ」
「クロちゃん、すご~い。まさに頼れる先輩って感じ~」
村雨がパチパチとクロエに拍手を送る。
「今回は第2プランもまともだったな。驚愕の第3プランは無いのか?」
「第3プランは日ノ和と野村加奈子の試合にバスティが割って入り死亡する。そして身をもって命の尊さを伝えたところで、2人をベーカリーヴィレッジレインにご招待。菓子パン食べ放題でお互いの親睦を深めてめでたし、めでたし」
「ははは。いいな、それ」
「じゃあ、第3プランでいこうよ」
村雨と俺が賛同するとバスティはブンブン首を横に振って青ざめた。
「おいおい、悪いジョークはカンベンしてくれよ。俺は先に戻るぜ。信じてるぜ、お嬢」
そう言い残し、バスティは俺の肩からフッと姿を消した。
「ふふふ。バスティには良いお灸になったみたい」
「バスティ、慌てておったな」
村雨とクロエは顔を見合わせて笑った。
帰宅後、俺は花菱さんを救う方法が全く思い浮かばず頭を悩ませていた。アルベールやクロエが話してくれたこと、そして帰りに聞いた村雨の話を頭の中で整理する。花菱さんの心を開き、アルベールとの絆を深めるためのヒントがどこかにあるはずだ。考えれば考えるほど迷宮に入り込み、俺は深いため息をついた。
「いい案が浮かばぬか?」
おやつのたっぷりみかんゼリーを頬張りながらクロエが尋ねる。
「うん、そうだな。みんなの話からヒントを探っているけど、花菱さんのことについては俺も知っていることがほとんどだったからな」
「さくらが知る日ノ和はどういう人物なのだ?」
「帰りに村雨が話していたことと同じだよ。野村先輩のことは知らなかったけど」
クロエが首を傾げる。納得いかないといった表情で俺を見る。
「それは、日ノ和を知っていることにはならぬ。全て情報として得た知識に過ぎぬではないか」
「そう言われてもなあ……。今日、初めてまともに会話した相手だぞ」
「いや、答えはさくら自身の中にあるのだ。さくらしか知らない日ノ和を私はかすかに感じる」
たっぷりみかんゼリーを食べ終えたクロエが、自分の胸に手を当てて静かに語った。
「答えは俺自身の中……? わかった! これだ」
俺は本棚の中からDVDBOXを取り出した。その様子をクロエが不思議そうな顔で見つめる。
「それが答えなのか?」
「ああ。『姫騎士物語』第1期DVD全9巻だ! これしかない」
「……」
沈黙のまま、クロエは刺すような冷たい視線を俺に送った。
「まあ聞いてくれ。舞台は中世ヨーロッパをモチーフにした架空の小国。主人公は国王の娘フランシーヌ。何不自由なく生活していたお姫様がクーデターによって悲劇のヒロインに。隣国に亡命したフランシーヌは祖国再建と父親の敵討ちを心に誓い、身分を隠して騎士学校に入学する。自己中でわがままな性格のヒロインが、騎士学校の仲間と共に成長してゆく姿を描いた作品だ。熱い友情と絆に努力、バトルありラブコメありの超感動作だ。」
「……で、それをどうするのだ?」
呆れたような顔でクロエが尋ねる。
「花菱さんに見せるに決まってるだろ。葛藤するヒロインの姿が自分に重なり、心はやがて開かれるはずさ」
「話にならんな。私が言いたかったのはそういうことではないぞ」
「なんだよ。見てもいないのに否定するのか? やってみなきゃ分からないだろ」
「んぐっ。キモヲタさくらのくせに正論を言うではないか。よし、では見ようではないか。見た上で私が判断するのだ」
そう言うとクロエは机の上のノートパソコンの前に座った。ディスクを入れて再生すると俺も椅子に腰掛け、クロエと一緒に鑑賞することにした。何度見てもやはり最高だ。もはや神の領域に達してるぜ。
「この次、シーザー将軍がクーデターを起こすシーンに入るから」
「うるさいぞ、さくら。解説されてはつまらぬではないか。静かにしてくれたまえ」
クロエは怒りながらも画面からは目を離さない。ずいぶん真剣だ。夕飯の時間もクロエは1階に降りず、ひたすら鑑賞を続けた。俺が部屋に戻ってからも、クロエは置物にでもなったかのようにパソコンの前から動きもせず画面を凝視していた。声をかけると怒るので、夕飯の残りの唐揚げをそっと差し入れして、いつもの時間に寝床に入った。『姫騎士物語』のボリュームが若干大きかったものの、そのストーリーを聞きながら子守唄代わりに眠りについた。
「さくら、さくら! 早く起きるのだっ」
クロエにほっぺをグイグイ押されて目が覚めた。寝ぼけながら時計を確認する。まだ5時じゃないか。
「さくら、『姫騎士物語』が途中で終わってしまったのだ。フランシーヌが2年生に進級してバルザック教官に剣の教えを乞うところで。どういうことだ?」
「ああ、第1期はそこまでなんだ。1年生編でおしまい。って、寝ないでずっと見てたのか!?」
驚いて一瞬眠気が吹っ飛んだ。
「続きは無いのか?」
「あるけど、もしかして今から見るの? 目、赤いけど大丈夫か?」
「今大事なところなのだ。フランシーヌが友情を知り、仲間のために何ができるのかを自分に向き合い、葛藤して答えを導き出したのだ。さあ、いざ行かん。愛と正義の御旗のもとに集いし仲間と共に!」
クロエがヒロインのセリフを声高々に口にした。
「はいはい。今出しますよ」
本棚から『姫騎士物語』第2期DVDBOXを取り出して机に置くと、クロエは慣れた手つきでディスクをパソコンに挿入して再び画面にかじりついた。俺は『姫騎士物語』第2期オープニングを子守唄に2度寝を決め込んだ。
アラーム音でいつもの時間に目を覚ますと、変わらずクロエは『姫騎士物語』に見入っていた。身支度を終えて恐る恐る声をかけると、停止ボタンをクリックしたクロエは起きているのがやっとといった顔で俺の左肩に移動して腰を下ろした。食事中も居眠りをして、何度もヨーグルトに顔面を突っ込みそうになった。
「クロエ、寝るなら中に戻って寝た方がいいぞ。落ちたら危険だ」
玄関を出て自転車にまたがっても、俺の首にもたれたままウトウトしているクロエに声をかける。
「うむ。では少し休ませてもらおう。フランシーヌにも休息は必要だとバルザック教官が言っておったし……」
リアルと『姫騎士物語』の世界がゴッチャになっているらしい。イマイチよく分からないことを言い残してクロエは俺の中に戻った。ずいぶんハマっている様子からして、花菱さんに『姫騎士物語』を見せる作戦は承認ということで良いだろう。『姫騎士物語』第1期DVDBOXが入って普段より膨らんだバッグを自転車の前かごにそっと入れた。
今朝も花菱さんは昇降口を入ってすぐの場所で身だしなみ検査を行っていた。
「おはよう、花菱さん」
「篠崎君、おはよう。今にも破れんばかりの勢いでバッグが膨らんで見えるけれど、私の気のせいかしら?」
花菱さんが俺の抱えるバッグを指差した。
「よくぞ聞いてくれました! 俺のバッグには溢れんばかりの夢と希望が詰まっている。それは何かと言うと……」
俺の話を途中に花菱さんはスタスタと他の生徒のもとに行き身だしなみの注意を始めた。
「ちょっと待てい!」
「篠崎君、私は忙しいのよ。朝からあなたの相手をしている時間は無いの」
「そうでしょうとも! だからこそ聞いてもらいたい。そして見てもらいたい!」
バッグを開けてDVDBOXを取り出した。
「ちょっと、学校に何持ってきてるの!」
「『姫騎士物語』第1期DVD全9巻。全25話プラスTV未放送のOVA第26話だ。キリっ!」
「そんなこと聞いてないわ。なぜそんな物を持ってきたか聞いているの」
花菱さんは両手を腰に当て、仁王立ちで怖い顔をした。
「花菱さんに見てもらうためだよ。とにかく、俺を信じて黙って見てくれ」
「ちょ、ちょっと篠崎君。困るわ。どうするのよ、これ」
突き出されたDVDBOXを花菱さんが思わず受け取った。俺はその両手をギュッと握り締め、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。花菱さんは目をそらしてうつむいた。心なしか顔が少し火照って見える。
「さんざん悩んで必死で考えた俺の答えがこれだ! 受け取ってくれ。あ、でもいつか返してね」
DVDBOXを抱えてうつむき加減の花菱さんに手を振り教室に向かった。教室に入ると村雨と朝倉さん、それに小川さんの3人がガールズトークで盛り上がっていた。3人にあいさつして席に座ると、武田君と小田君が「放課後、みんなで修学旅行の買い物に行こう」と声をかけてきた。予鈴が鳴り、皆がそれぞれの席に戻ったところで村雨が花菱さんのことを尋ねてきた。
「いい案、思いついた?」
「おう。もうすでに手は打ってきた」
「早っ。で、どんな手よ?」
「『姫騎士物語』第1期DVD全巻を見てもらう!」
「……。」
村雨の顔が引きつっている。バスティが村雨の左肩の上でお腹を抱えて笑い出した。
「バカ! さくらのバカ!」
「なんでだよ? アニメの円盤平均売り上げは1万超え、原作コミックスは累計発行部数2千万部の超ヒット作だぞ。クロエも承認済みだ。一香だって単行本持ってるだろ?」
「花菱さんが『姫騎士』見て私達の仲間になると思う? 先生に心を開くと思う?」
村雨は頭を抱えてため息をつき、バスティは机の上でお腹を抱えて笑いながら転げまわった。
「やってみなくちゃ分からないだろ。『姫騎士』は人生を変える力のある作品だからな」
「あ~、もうさくらに任せてらんない。バスティ、15組にジャンプして花菱さんをマークして。動きがあったら知らせて」
「OK。任せな」
すぐさまバスティは姿を消した。
「どうせ、花菱さんがいつ野村先輩と試合をするかも分かってないんでしょ」
「うっ、面目ない」
「ところでクロちゃんはどうしたの?」
「昨日から徹夜で『姫騎士』第1期を制覇して、今は俺の中で寝てる」
「も~、2人して何遊んでんのよ!」
村雨がしかめ面で文句を言う。俺は愛想笑いを浮かべながら1時間目の授業、数学の教科書とノートを机の上に出した。
バスティが戻ってきたのは1時間目の授業が始まって20分くらいしてからだった。
「何かあったの?」
村雨が小声で尋ねる。
「いやあ、ひのちゃん話せばけっこういい子でさ。人間、見た目で判断しちゃいけないぜ、まったく」
ひのちゃん?花菱さんのことか。
「聞いたら教えてくれたんだよ。剣道部の部長さんとの再戦、今日の放課後だってよ」
「そんな! 『姫騎士物語』はどうすんだっ!」
「あんたは『姫騎士』から頭を離せ」
ぺシッ!!
村雨の強烈なでこピンを食らった。
「仕方ない。まずは野村先輩に接触しよう。何らかの霊術で操られていた場合はクロちゃんの第2プランでいくよ」
「精霊とバッチリ同調していて本人そのものだった場合は?」
おでこをさすりながら村雨に尋ねる。
「その場合、私たちが遠慮することもないでしょ。霊人分離を勧めて聞き入れない場合は強制措置をとるまでよ」
「よし、わかった。じゃあ昼休み、野村先輩に会いに行こう」
「そうね。バスティ、今度は3年12組に飛んでくれる?」
「OK、部長さんを見張るんだろ。動きがあったら知らせる」
バスティは机の上で立ち上がり、村雨と目を合わせてからジャンプした。
その後バスティが戻ってくることもなく、3時間目までがいつものように過ぎていった。特に連絡が無いということは、野村先輩に動きが無いということだろう。休み時間は武田君達と修学旅行の話や他愛ない会話をしていたので、野村先輩や花菱さんのことについて村雨と話し合うことはできなかった。クロエは相変わらず俺の中で眠ったまま。まったく反応が無いところを見るとよほどぐっすり眠っているのだろう。俺達が奮闘してるっていうのに全くのん気なやつだ。俺まで何だか眠たくなってきた。4時間目開始のチャイムが鳴った。授業が始まってからさらに眠気が増していく。クロエが眠っていることと関係あるのだろうか?さっきまで全く眠くなかったのに。猛烈な睡魔に襲われた俺はそれに抗うことも出来ず、いつの間にか眠ってしまった――。
ふと気が付くと俺は廊下に立っていた。見覚えはあるが高校の廊下ではない。その証拠に歩いているのはうちの生徒ではなく皆小学生だった。ここは一体?すぐ隣の教室には2年1組と書かれたクラス札が付いている。思い出した!このクラスは俺の小学2年の時の教室だ。と、いうことは夢なのか?確認のため頬をつねってみる。イテテテ。一応リアルに痛いが高校で授業を受けていたもとい居眠りしていた俺が、気が付いたら小学校にいましたなんて夢以外に考えられん。とりあえず2年1組の教室に入ってみる。あ、俺の机発見。窓際の一番後ろ、母さんが縫ってくれた手提げバッグが横にかかっている。教室内を見渡すと当時の2年1組の児童らが話したり遊んだりしていた。時計は12時半を回っている。昼休みだな。教室の後ろの方で1人の女の子が男子3人に囲まれていた。
「お前んち、何で父さんいないんだー?」
「パパは、ひのが小さい時に死んじゃったから……」
「嘘つけっ。」
叫んだ男子に肩を押され、よろけた女の子は尻餅をついた。
「知ってるぞ。お前の母さん社長の愛人なんだろ。うちの母ちゃんが言ってた」
「そうだ、そうだ。だから父ちゃんいないんだ。天海の嘘つきー」
「天海は愛人の子ー。愛人の子で嘘つきー」
3人の男子が、よってたかって罵声を浴びせる。
「違うもん。違うもん。ひのの、パパは……」
女の子はその場にしゃがみこんだまま小さな声で否定した。そして顔を両手で覆い、肩を小さく震わせながら泣き始めた。
「やめろ! 悪者どもー!」
俺は3人の男子を押しのけた。
「なんだよ篠崎。お前も泣かされたいのか?」
「正義のヒーロー、ジャスティスライダー参上! 人の心を食い物にする魔族デーモンの使い魔め! 俺が相手だ」
う わっ。俺、なに言ってんの。超恥ずかしい。あ、でもちょっとカッコいいかも。
「ざけんなっ。ダセーんだよ」
俺は1人の男子に胸ぐらをつかまれたま押し倒された。そいつは馬乗りになって両手で襟を掴んだままグイグイと床に押し付ける。あとの2人が俺の足や腰に蹴りを入れてきた。息が苦しい、背中も痛い。蹴られたところは尚更痛い。俺は必死に抵抗しながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。ポケットの中には何やらビニール袋に包まれたものが。その袋から取り出した小さな包みを馬乗りになっている男子の顔目掛けて投げつけた。それが顔に当たった瞬間、白い粉が少量の煙と共に広がった。
「ゲホっ」
目を押さえながら咳き込む男子を押しのけて立ち上がる。
「篠崎きたねーぞ」
「卑怯者」
「汚い? 卑怯者? 女の子1人を3人でいじめてたお前らはどうなんだ? 正義の裁きを受けるがいい。 ジャスティスショット!」
向かってきた2人に、再びポケットから取り出した包みを投げつけた。
「ハックション!」
「ゲホっ」
顔に直撃を食らった彼らはクシャミとセキが止まらなくなり、戦闘不能となった。
「正義の力、思い知ったか! さあ、天海さん、今のうちだ」
「えっ、うん」
俺は女の子の手を握り彼女を立ち上がらせると教室から連れ出した。そのまま走って体育館へ。フロアでは上級生がバスケットやバレーをして遊んでいる。俺と女の子は入り口のすぐ近くに座り込んだ。
「篠崎君、助けてくれてありがとう。」
「ジャスティスライダーは正義のヒーロー、困っている人を助けるのは当然のことさ」
「ふふふ。そうなんだ。篠崎君はジャスティスライダーなんだね」
女の子が初めて笑顔を見せた。目がちょっとキツい感じだけど整った顔立ち、肩まで伸びた栗色の髪、戦闘に必死で気が付かなかったけれどとても可愛らしい子だ。
「篠崎君すごいね! いつも小麦粉やコショウ持ち歩いてるの?」
「天海さん、あれはジャスティスショット。正式にはホワイトショットとブラックショット。敵の感覚を麻痺させて戦闘力をダウンさせる技なんだ」
「そ、そーなんだあ。私も篠崎君みたいに強くなりたいな。そうしたら、もうあんな風に……」
女の子の表情が再び暗くなった。思いつめている様子だ。
「よし、じゃあ俺と一緒に強くなろう。まずはジャスティスライダーのDVD第1巻を見るんだ。それに、また天海さんがピンチの時は俺が必ず助けに行く!」
「ありがとう。篠崎君、ひのでいいよ。ママも、ひのちゃんて呼ぶんだ」
女の子は嬉しそうに微笑んだ。
ひのちゃん……。そうだ、天海ひのちゃん、小学2年のとき友達になった女の子。よく家にも遊びに来たし、俺もひのちゃんちに遊びに行った。でも3年生になる前にひのちゃんのママが病気で亡くなり、彼女は親戚に引き取られて転校してしまった。何度も手紙を書いたのに全然返事が来なくてがっかりしたのを覚えている。そのうちに、ひのちゃんのことも忘れていって……。
「さくら、さくら。起きるのだ」
耳元で聞きなれた声がする。
「さくらのキモヲター!」
「うわっ」
「やっと起きたか」
大声に驚き反射的に上体を起こすと、机の上に腕組をしたクロエが立っていた。
「何をのん気に居眠りしておる。さくらが全く起きる気配が無いので、一香達は先に野村加奈子のもとに向かったぞ。」
「お前が言うな!」
時計を見ると12時40分、もう昼休みになっていた。4時間目から今までずっと寝ていたってことか。しかし、何で今になってひのちゃんの夢なんか見たのだろう?
「クロエ、俺達も行こう」
「うむ」
クロエが左肩に乗り、俺が立ち上がったところで目の前にバスティが姿を現した。
「おっ、お目覚めかいボーイ?」
「バスティ、一香は? 野村先輩はどうなった?」
「おいおい、落ち着けって。まあ座れ。お嬢はまだ部長さんとトーク中だ。先に戻って、ボーイが起きたら話を伝えるように言われたんだ」
バスティはゆっくり俺の机の上に降りるとそこに腰を下ろした。
「部長さん、それに精霊のヤン・アバロと話をしたんだが、ずいぶんと友好的な奴らでよ。色々と考えがあってヤンは光臨してすぐにギルドから脱会したらしいんだ。もちろん部長さんも俺らと戦う意思は無いらしい」
「意外だな。もっと面倒なことになるかと思ってたのに」
「だよな? 俺だって肩透かしを食らった気分だぜ。」
バスティは意気込みが空回りして力の抜けた声で言った。
「花菱さんとの試合はどうなる?」
「あ~、それは避けられないっぽいな。お嬢も平和的に解決できないかと説得したんだが、そもそもこの件に関して精霊は関係ないらしいからな。ただ、試合で霊術は使用しないと約束してくれた。試合はフェアにやりたいからって言ってた。部長さんは、ひのちゃんが霊術使えないの知らなかったらしいぜ」
バスティが成り行きをおよそ話し終えたところに村雨が戻ってきた。
「あ、やっと起きたか、ねぼすけさくら」
「おう、お疲れ。今バスティから話聞いた」
村雨が席に座った。
「野村先輩なんだけど、部活での花菱さんを良く思ってないみたい。先輩、後輩としての人間関係は悪くないらしいんだけど……。ほら、うちの学校の剣道部って形としての顧問はいるけど、指導できる先生がいないでしょう?だから3年生が中心になって1,2年生を教える形で練習していたんだけど、花菱さんが入部してから一変しちゃったのよ。まさに中学時代の再来ね。先輩達を無視した完全実力主義の方針で、花菱さん主導の剣道部が作られていったってわけ」
「で、花菱さんに不満を持つ部員の代表として、部長の野村先輩が花菱さんに試合を挑んだというわけか。負けたら退部という条件を突きつけ、剣道部から花菱さんを追い出すために」
「そういうこと。野村先輩、すごく落ち着いてたし不審な様子も無かった。操られてるって感じじゃなかったよ。剣道部の件が一段落したら、私たちに協力してくれるって! 仲間獲得だよ、すごくない?」
村雨は興奮気味に早口で話した。
「げせぬな」
今までずっと黙って話を聞いていたクロエがやっと口を開いた。
「クロちゃん?」
「今の話で何か気になることがあるのか?」
「第1にアルベール先生は神霊界にまでその名を轟かせた剣豪。そして先生が霊術を使えないことは精霊ならば誰もが知っていること。第2に野村加奈子はフェアな試合を望むと言いつつ、お互い精霊の力を宿したにも関わらずにルールも定めず試合を行った。そして最後に、その両方の疑問点を指摘されても、『加奈子本人はアルベール先生のことを把握していなかった、ルールは剣道の試合に則ったものであったが精霊のヤンは認識していなかった』と言い逃れができることだ」
クロエは俺達の顔を順番に見ながら真剣な表情で語った。
「少し、考えすぎじゃないか? バスティはどう思う?」
「う~ん、そうだな。部長さんは目立たなくて一見地味な女の子だが、なかなかの器量よし。そして剣道で鍛えられた体に無駄は無く引き締まったバディ。対して、ひのちゃんは目鼻立ちの整った文句なしの美人さん。セミロングの栗色さらさらストレートヘアーがトレードマーク。そして同じく引き締まったバディに高校生離れしたセクシーダイナマイツ! こりゃ、もう好みの問題だぜ!」
「あんたの品定めは聞いてない!」
ぺシッ!!
村雨のでこピンキャノンが火を噴いた。俺の机の上から吹き飛ばされたバスティは、おでこを抱えてすぐさま瞬間移動で戻ってきた。睨み付ける村雨と呆れ顔のクロエにバスティが愛想笑いをふりまく。
「クロエの話も可能性が無いわけじゃない。心に留めておくよ」
「うむ。ありがとう、さくら」
クロエの表情が少しだけ和らいだ。
「野村先輩と花菱さんの試合、放課後だよな?」
「うん」
「俺は試合を見届けるよ。一香はみんなと買い物に行ってくれ」
「分かった。じゃあ、バスティ置いてくね。何かあったら連絡させて。すぐに戻るよ」
話を終えたところで予鈴が鳴った。机の上に英語の教科書とノートを出す。野村先輩のことも気になったが、それ以上にさっき見た天海ひのちゃんの夢が気になり、5時間目の授業に身が入らなかった。
6時間目は政治・経済の早川先生が休みのため自習になった。俺はクロエに夢の話をした。クロエも俺の記憶をたどっていくうちに同じ夢を見たという。俺しか知らない花菱日ノ和を求め、失われた記憶を探った結果に見た夢だと言う。しかし俺の幼馴染の天海ひのと、花菱日ノ和は別人だ。名前すら違っている。クロエにそう告げると、「小学生だったさくらには考えの及ばぬ出来事が起こったはず。復元した記憶に偽りは無く天海ひのと花菱日ノ和は同一人物に間違いない」と彼女は言い切った。クロエを信用していない訳ではないが、確信が持てない。2人が同一人物だという決め手が無い。まだ何かが欠けている気がする。パズルの最後のピース、それが見つかれば花菱さんの心を開くことが出来るはず。
6時間目終了のチャイムが鳴り、戻ってきた担任の佐藤先生が連絡事項を伝える。放課後は予定通り、村雨は武田君達と一緒に買い物へ。
「篠崎君、あとで来られたら連絡してね~」
「名駅の西急ハンズにいるから」
朝倉さんと小川さんが声をかけてくれた。村雨とみんなに手をふり、俺とクロエそれにバスティは剣道場に向かった。
「バスティ、霊質の気配は隠せるよな?」
「おお、もちろん。でも軍人みたく訓練受けてるわけじゃ無いから粗末なもんだぜ」
「それでも構わない。俺とクロエが気配を隠さず相手の意識を引き付ける。道場に着いたらバスティは気配を隠して俺達から離れたところで待機してくれ」
「OK」
バスティは快く承諾すると早速霊力の消耗を最小限に押さえて気配を隠した。
剣道場の入り口に到着する。放課後で生徒は部活や委員会活動、帰宅により今日はギャラリーが1人もいない。道場の入り口は開放されているので、中の様子はよく見える。剣道着に着替えた部員たちが黙々と準備して整列をはじめる。あれ?花菱さんがいない。野村先輩も。って言うか、女子がいない!
「あのお、ちょっとすみません?」
「はい。見学ですか?」
3年生らしき部員がこちらに来る。
「いえ。そうではなくて。今日、女子剣道部はどこへ?」
「中村スポーツセンターの剣道場だよ。いつも道場を半面で使ってるから、週に1回は中村スポーツセンターで稽古してるんだ。」
「ありがとうございました」
俺はおじぎをして走り出す。しまった。全く知らなかった。
「バスティ、中村スポーツセンターにジャンプできるか?」
「出来なくはないが、内部への直は無理だぜ。ジャンプ先が室内の場合、1度も行ったことの無いスペースは不可能だ」
「わかった。スポーツセンター上空にジャンプしてくれ」
「OK」
他の生徒がいなくなった所で、バスティは俺とクロエを連れてジャンプした。一瞬でスポーツセンター上空に移動。バスティがいるから落ちないことは理解しているが、あまりの高さに俺は言葉を失った。
「どうした、ボーイ? 顔色が悪いぜ。高いとこは苦手か?」
「に、苦手ってわけでもないけど……。さすがに生身でこの高さはなあ。ははは」
「ハハハ。すごいぞ、バスティ! 良い眺めだ。気持ちが良いなあ」
歓喜の声を上げて笑うクロエとは対称に苦笑いする俺。
「お嬢は初めてフライングした時、そりゃもう大はしゃぎしてたぞ。3日間の練習でフライングもジャンプもほぼ完璧にマスターしたんだぜ!」
「一香、頑張ってたんだな。すごいな」
「ま、指導者が良いからな。精霊界ナンバー1イケメンジャンパーの俺が教えたんだ。生徒が優秀なのは当然さ。おっと、ランディングはあそこがいいな」
スポーツセンターの人がいないスペースを見つけたバスティは再びそこに向かってジャンプした。センターの中に入って剣道場に向かう。道場は高校の剣道場の2倍くらい広かった。男子剣道部の人が「いつもは半面を使って練習してる」って言っていたから、ここは2面ということになるのかな?まだ女子剣道部は来ていない。俺達は観覧席に移動して身を潜めた。10分くらい過ぎてから、部長の野村先輩を先頭に剣道着に着替えた部員たちが道場に入ってきた。一番最後に入ってきた花菱さんが野村先輩と言葉を交わすが、俺の場所からは聞き取れない。2人は防具を身に付け竹刀を手にすると向かい合い、お互いに礼をすると竹刀を合わせつつ腰を落とした。おそらく3年生の先輩であろう3人が審判の位置についている。他の部員は1列に正座してその様子を静かに見守る。緊張で張り詰めた空気が道場内に満ちていく。静寂の中、竹刀を構えて向き合う2人の息遣いが聞こえてきそうだ。
「始め!」
審判の1人が試合開始の合図を叫んだ。
立ち上がった2人は竹刀を中段に構え、剣先と剣先が触れ合う間合いでほとんど動かなくなった。表面的な動向は無いが、目に見えないし烈な攻防が繰り広げられているのを感じる。相手の呼吸を読み、心を誘導して先を取る、2人はその入り込むタイミングを伺っている。先に動いたのは花菱さんだった。自然に、しかし力強く1歩入り込む。その動きに反応した野村先輩が面を打ちにいく。野村先輩の竹刀が面を打つ前に、花菱さんの面打ちが先に決まった!が、審判の旗は揚がらない。すかさず花菱さんが素早い動作で小手を打ちに行く。野村先輩はそれに合わせて踏み込むと花菱さんの小手を打ち、さらにすぐさま面打ちを決めた!審判の旗が揚がった。野村先輩が花菱さんから1本取った。
「止め!」
審判が試合終了を告げる。2人は向かい合って腰を落とし、竹刀を納めると立ち上がって礼をした。部員達のもとに戻った野村先輩は拍手で迎えられ歓声に包まれた。花菱さんは1人、防具を外すと急ぎ足で剣道場をあとにした。俺も観覧席から離れ、花菱さんを追いかける。試合の一部始終を見ていたが、野村先輩が霊使う様子は1度も無かった。確かにフェアな試合だったと思う。だが、何だろう?何かが心に引っかかる……。
「花菱さん!」
彼女の背中に向かって声をかけた。
「篠崎君! そう、あなた見に来たのね」
「剣道部、やめちゃうの? このままでいいの?」
「負けたら退部。約束だから仕方無いわ。それに私、剣道が好きなわけじゃないし……」
花菱さんは普段どおりの冷静な声で答えた。
「野村先輩はどうするの? 花菱さんは今の野村先輩をどう思う? 野村先輩って、こんなやり方で物事解決する人なのか?」
「人の心なんて本当のところ、分からないじゃない。突然変わったように見えて、実はそれが本来の姿だったり。信じてだまされるなんて世間では良くあることでしょ!」
花菱さんは突然声を荒げてまくし立てた。目には涙を浮かべている。
「は、花菱さん……」
「一緒に強くなろうとか、ピンチには助けに行くなんて言われて信じて期待する方がバカなのよ! 1人で強くなって、自分は自分自身で守ってきたわ! これからだって同じ。もう私にかまわないで!」
そう叫ぶとポロポロ大粒の涙を流しながら、剣道着のまま花菱さんはスポーツセンターを走って出ていった。
「くそっ。バスティ、花菱さんを頼む」
「任せとけ」
バスティは飛行して花菱さんのあとを追った。
ふと後ろを振り向くと、剣道場入り口に野村先輩が立っているのが見えた。彼女は俺と目が合うとすぐに道場に戻った。ほんの一瞬、野村先輩とは思えない異様な形相でニヤリと不適な笑みを浮かべたのが確かに見えた。
「さくら、気を付けろ。この件、まだ解決しておらぬ。そして急げ! 日ノ和の心を取り戻すのだ」
「ああ。もちろんだ」
しかし、一体どうすれば。花菱さんの言葉で、花菱日ノ和と天海ひのが同一人物であることは理解した。しかし俺の中の記憶が今の彼女に結びつかない。
ええいっ、困ったときの母頼みだ!俺は母さんに電話をかけた。
プルルルル、プルルルル。
「もしもし、母さん?」
「私は、オレオレ詐欺には引っかかりません!」
「まだオレって一言も言ってないし。って言うか、着信見れば俺だって分かるでしょ!」
母の第一声にツッコミを入れる。
「では問題です。『姫騎士物語』ヒロインのフランシーヌが2年生の時の教官は誰?」
「バルザック教官!」
「ピンポーン! さくら、本物なのね!」
わざとらしい声で母さんが感動する。
「母さん、聞きたいことがあるんだ」
「え~、母さんまだ仕事中よ。忙しいから手短にね」
お前が言うな!とツッコみたいのをグッとこらえ、本題に入る。
「小学2年のとき、俺がよく一緒に遊んでいたひのちゃん、覚えてる?」
「ええ、覚えてるわ。髪が少し茶色っぽくて、笑顔のかわいい子だったわね」
「ひのちゃん、3年生になる前にお母さんが亡くなって転校しただろ。引き取られた先の親戚の名前って分かる?」
「ごめんね、分からない。でも確か、有名な企業グループの会長さんだって聞いたわ。ほら、あれよ。何だっけ?」
俺が質問したのに逆に聞き返されてしまった。
「花菱グループ?」
「そうそう、それよ」
「あとさ、ひのちゃんが引き取られる前の名前って、『天海ひの』だよね?」
「ん? 『ひの』じゃなくって『ひのわ』よ。お日様の和むって書いて『日ノ和』。天海日ノ和ちゃん。さくら、いつも『ひのちゃん』て呼んでいたから忘れちゃったんでしょう」
「母さん、サンキュー」
思い出した!天海日ノ和。俺が小2のときの幼馴染の女の子。髪が茶色いことや父親がいないことでよくからかわれていた。仲良くなってから、家でアニメ見たりマンガ描いたりしてよく遊んだ。ひのちゃんの転校が決まって、俺は別れる前に腕時計をプレゼントした。当時の人気アニメでヒロインが身に付けていた腕時計と同じもの。アニメとメーカーがコラボして製作した腕時計は小学生にとってはけっこうな価格で、俺はお年玉やお小遣いの貯金を切り崩して購入した。ひのちゃんは「ずっと、大事にするね」と言ってとても喜んでくれた。
「さくら、日ノ和とひのちゃんが繋がったな」
「ああ。完全に思い出したよ」
母さんとの電話を切ってから今度は村雨に電話をかける。今すぐ中村スポーツセンターに来て欲しいと告げると、数十秒後に村雨が走ってスポーツセンターに入ってきた。バスティと同じく人目のつかない所にジャンプしてきたのだろう。花菱さんと野村先輩の試合、そして追憶により甦った過去の記憶について村雨に説明した。
「今から花菱さんの心を取り戻す。一香、協力してくれ。バスティが花菱さんについてる。そこにジャンプできるか?」
「OK。任せて」
村雨が頼もしく答えた。
「なんか一香、バスティに似てる」
「似てるわけないでしょ! 変なこと言わないでよね」
村雨の声は怒っていたが、さほどまんざらでもない様子だった。村雨に腕を掴まれてジャンプする。ジェットコースターに乗って急降下する時の感覚に似ているが、俺はまだ慣れない。というか、正直ちょっと苦手。ジャンプ先はスポーツセンターのすぐそば、中村公園だった。中村公園は神社を中心として、池や自動向けの遊具が置かれた広い公園だ。
「ほら、あそこ」
村雨が指差す先にベンチで1人たたずむ花菱さんがいた。近付くと花菱さんの肩の上でバスティが手を振っているのが見えた。
「花菱さんっ」
うつむいていた花菱さんが無言のままこちらを向く。
「いや、三崎小学校2年1組、天海日ノ和さん」
「篠崎君、あなた……」
花菱さんが目を丸くして俺の顔をじっと見つめた。
「思い出したよ、ひのちゃん。遅くなってゴメン。俺があげた時計、今でもしてくれてたんだね。ありがとう。俺……」
「今さら何? あんなに仲良く遊んでいたと思ったら、私が転校したとたんに音信不通になって。言い訳なんて聞きたくないわ!」
花菱さんが声を荒げる。
「手紙、書いたんだ。何度も書いたけど返事が来なくて……。何回か電話したこともある。でも取り次いでもらえなくって。もっと他に方法があったかも知れない。でも、俺あきらめて……。結局ひのちゃんのこと忘れて」
「そ、そんな……。手紙なんて私、知らないわ。電話があったなんて聞いてない!」
花菱さんは動揺して声が震えていた。
「あんたさ、さくらばっかり責めてるけど、自分は何も努力してないでしょ。どうせ、転校しても友達でいてもらえるか自信なくて、相手に期待して依存してたってオチね」
「あなたに何が分かるの! 唯一の理解者である母を亡くし、引き取られた父の家ではうとまれ、学校では愛人の子とさげすまれ、自分だけを信じて生きてきた私のことを!」
花菱さんはベンチから立ち上がり村雨に詰め寄った。
「分かりたくもないし。理解する気も無いから。あんた全部が受身なんだよ。自分から行動しなくちゃ、信じられる仲間なんて出来るわけないじゃん。それに、あんた自分だけを信じてって言ったけど野村先輩はどうなのよ?」
「……人の心なんて、分からないものよ」
花菱さんはとても寂しそうな目をした。
「そんなの当たり前でしょ。見えないんだから。その人を信じるか、信じないかの問題だって言ってんの! あんたはどうなの? 野村先輩を信じてんの?」
「そ、それは。私は……」
「これだから試合に負けたのよ。今のあんたになら私でも勝てるよ」
村雨がわざとらしい声で挑発した。
「今の発言、撤回しなさい。しなければ……」
「しなければ、何? じゃあ私に勝てるって証明してよ。勝負しようよ」
「お、おい、一香。やめろって。なんか、あらぬ方向に話が進んでるぞ」
「さくらは、黙って見ていて」
花菱さんは無言で竹刀袋から竹刀を2本取り出し、1本を村雨に渡した。
「村雨さんは私の防具を着けなさい」
「いらないから、あんたがすれば?」
「そう、怪我しても知らなわよ」
プライドを傷つけられた花菱さんは闘志むき出しだ。それに対して一香は涼しい顔をしている。
「おいおい、止めたほうがよくないか? バスティ、武器術は?」
「前にも言ったが苦手さ。知ってるだろうが、俺の技量はお嬢に影響しない。だが俺の知識や経験から判断するに、今のお嬢の剣術は残念なレベルのはずだぜ」
「考えあってのことであろう。一香を信じようではないか」
不安げな俺と苦笑いするバスティにクロエは力強い声で言った。
花菱さんと村雨が向かい合い互いに礼をする。花菱さんが中段の構えをとった。対して村雨は……!?
「おい一香、それ『姫騎士』でフランシーヌがやってた構えじゃんか! お前、剣道やったこと無いだろ!」
「う、うっさい! いいのよ、これで。さくらは黙って見てろ」
一香は左足を前に出し肩幅ほどに開き、片手で竹刀を持ち肩に担ぐようにして構えている。それに対して全く動じない花菱さんがジリジリと間合いを詰めていく。次の瞬間、村雨の手からフッと竹刀が消えた。そして花菱さんの頭上30センチくらいの位置に現れた竹刀が落下する。
パシっ!
「痛っ!」
竹刀が頭を打つ軽い音がして、花菱さんが声を上げた。
「はい、私の勝ち~」
「ちょっと、村雨さん卑怯よ!」
花菱さんが村雨に食って掛かる。
「私、勝負するとは言ったけど、剣道の試合をするなんて一言も言ってないし~」
「ぐっ、く~」
花菱さんが悔しそうに下唇を噛み締めた。
「竹刀で良かったわね。真剣だったら頭真っ二つに割れてたよ。私たちが向き合ってるのはこういう戦い。何でもありの、常に死と隣り合わせの世界。だから私は仲間を信じ、バスティを信じてる。あんたはアルベール先生の声、ちゃんと聞いたことある? 自分の気持ち、伝えたことある? 試合で相手に勝利するには、まず自分自身に向き合って自分に勝たなきゃいけないんじゃないの?」
村雨は静かに落ち着いた口調で話した。花菱さんは立ったまま無言でうつむいた。
「日ノ和、君は十分に強い。剣術、体術を総合して見ればおそらく同年代、いや大人の実力者でも君に勝つのは困難だろう。」
浮遊したアルベールが花菱さんの前に来て、優しく語り始めた。うつむいていた花菱さんが顔を上げてアルベールを見る。
「私も君と同様、強さに憧れ渇望し、ひたすら追い求めた。16歳から12年間、何千回と試合を重ねて尚無敗。現在、精霊で私の右に出る武器術使いは2人しかいない。試合において、相手が亡くなることもめずらしくはなかった。もちろん重症を負わせ、障害が残ることも。勝つということは己が生き残ることであり、それが強さと信じていた」
「あなたは、間違ってはいないわ」
黙っていた花菱さんが口を開いた。
「そうだね。しかしね、間違ってはいないが正しくもない。最後に出場した神霊界剣術大会の初戦、私が倒した相手が亡くなってね。会場に応援に来ていた彼の奥さんとお子さんが号泣する姿を今でも忘れられない。横たわる彼の体にしがみつき、とめどなく涙を流す2人に私は声をかけられなかった」
「そ、それは仕方のないことでしょ。剣の道を歩む以上、覚悟の上でしょう?」
花菱さんは少し驚いた様子を見せたが冷静に振舞う。
「日ノ和、剣とは何か? 強さとは何か? 試合に勝つことか? では、負ければその道は価値を失ってしまうのか?」
「それは……」
「勝利することは、強さの定義や解釈の1つではあるだろう。しかし、剣の道がその全てあるとしたら何と小さきことか、何と狭き世界か。私が幼き頃に憧れた剣とは、力強くそして、しなやかで美しい、見る者の心を魅了し活力を与えてくれる夢であり希望であった」
「……希望」
花菱さんが何かを思い出したかのように呟いた。
「私は剣に出会ってそれまでのつらい人生が変わった。君にも覚えがあるだろう? 剣は人生を変える力、人を幸福にする力、間違いを正す力があるのだよ。相手を斬り、傷つけ、負かせるためだけの道具として使うとは、何ともったいなきことか! 君には私と同じ過ちを犯してほしくないのだよ。」
「アルベール……」
花菱さんはアルベールをじっと見つめたまま涙を流した。手で拭うこともせず、声も上げずに泣いている花菱さんの頭をアルベールはそっと撫でた。
「偉そうなことを言ってしまったが、私もまだ分からないのだよ。剣とは何か、強さとは何か。日ノ和、私と共にその答えを探してくれないか?」
「うっ、う……。先生、私……」
こらえていた感情が一気にあふれ出したかのように、花菱さんは声を上げて泣きじゃくった。アルベールは頷きながら花菱さんを優しく見守り、頭を撫で続ける。
「うっ、う、ふう~」
「ひのちゃ~ん、アルちゃ~ん。うわ~ん」
俺のそばでクロエとバスティがもらい泣きをする。
「さくら、野村先輩が気がかりだよ。スポーツセンターに戻ろ。バスティ、あと任せた」
「OK。任せとけ。愛してるぜ、お嬢」
「あんたは一言多いのよ。バカ」
口では怒っていたが嬉しそうな表情の村雨に手を握られ、再び中村スポーツセンターにジャンプした。センター内部から嫌な霊気を感じる。それがどんどん増幅していく感じだ。俺達は走ってセンターの入り口に向かった。自動ドアが開き足を1歩踏み入れた瞬間、体に電流が流れるような衝撃を受けて外に押し返された。
「内部に結界が張られておる。おそらく中心は剣道場。一香、跳べるか?」
「入るのは簡単だと思うけど、出るのは無理っぽいよ」
「中には剣道部が残っているはず。他の人だって。結界は敵に解除させればいいさ。行こう!」
俺の声に村雨とクロエが力強くうなずいた。村雨は剣道場から少し離れたスペースにジャンプした。身を隠しながら剣道場入り口付近の様子をうかがう。野村先輩もの部員の姿も見えない。皆、道場の中にいるのだろうか?結界のせいか、野村先輩の気配が分かりづらい。でもかすかに中にいるのを感じる。そして野村先輩とは別の霊質を有する者が1人。こいつが先輩を操っている黒幕かも知れない。俺達はゆっくりと道場の入り口まで近付き、中の様子をうかがった。道着をつけたままの剣道部員たちが1列に整列しているのが見えた。皆、無表情のままうつろな目で一方向を見つめている。その視線の先には、野村先輩と精霊を有する男が1人立っていた。
「そんな所でこそこそ見てないで、中に入って来たらどうだ?」
男がこちらを向いて叫んだ。俺は村雨とクロエにアイコンタクトすると3人でうなずき、道場の中に足を踏み入れた。男は高級感あふれるスーツを着こなし、ピンク色の派手なネクタイを締めている。整髪料をたっぷり塗り込まれた黒髪がテカテカ光っている。年は20代後半だろうか?服装や髪型からは貫禄を感じるが、おそらく若い。彼の肩に立つ精霊も若い男性だった。俺がクロエを見ると、彼女は首を振った。精霊の素性は分からないらしい。おそらく向こうは俺達の情報を持っているはずだ。ノーデータの敵と正面から向き合うっていうのは、いきなり不利な戦況に陥ってしまった。
「私は奥田博之。精霊はトニー・アダン。よろしく。えっと、篠崎君と村雨さん? 確かそうだよね?」
「そうですって言ったら、剣道部を開放して結界解除してくれんのか?」
「ハハハ。マスターから聞いたとおりだ。面白いね、君」
奥田はお腹を抱えて笑いながら、俺に向かって指差した。
「こっちは何もおかしくない。応じなければ強制措置を取らせてもらう」
「いやいや、ちょっと待て。まずは話を聞け。うちのマスターが是非に君たちをギルドに迎えたいと言っている」
「あんた、いい年してバカじゃないの? リアルでマスターとかギルドとか、キモいんだけど。仲間とか絶対ありえないし」
「お断りだ!」
マスターとかギルドとかリアルに憧れちゃってる俺は、村雨の発言に軽いダメージを受けつつも奥田の誘いをきっぱりと断った。
「ふ~ん、そうか。うちのマスターが三浦タクミだと知っても?」
「!?……う、嘘だ。でたらめ言うな!」
「まあ、君の答えがどちらにしても、連れて来るように言われているから関係ないけどね。トニー!」
奥田が叫ぶと同時に彼の精霊が俺に向かって両手をかざし、開いた手をグッと握り締めた。
「うっ」
俺の体はどす黒く光る太いロープのようなもので拘束され、その場に倒れて身動きが取れなくなった。きつく締め付けられてうまく呼吸ができない。苦しい。奥田が近付いてくる。しかし村雨の手が頭に触れたのを感じた瞬間、俺は剣道場の外に移動していた。村雨が俺だけを避難させたのだ。ここからかろうじて村雨と奥田が見える。
「ちっ、力がうまく使えない。結界のせいね。でも、さくらは私が守る!」
「やめろ、一香! 逃げろおおお!」
村雨は走って奥田に向かっていった。奥田はポケットに手を突っ込んだまま余裕の表情を崩さない。トニーが手をかざした瞬間、村雨は奥田の背後にジャンプして彼の背中に触れた。奥田は道場の天井近くに跳ばされ、床に向かって落下する!が、彼の腕に巻きついた太く黒い光のロープが天井に向かって伸びてゆき、床に叩きつけられる寸前で奥田は天井にぶら下がった状態となり落下を回避した。
「ヒュ~。これがジャンパーの戦闘スタイルか~。やるねえ。じゃあ、こういうのはどうかな?」
村雨に向かって剣道部の部員たちが竹刀を構え、いっせいに襲い掛かかる。竹刀が振り下ろされる前に村雨は道場の壁際にジャンプした。
「同じ学校の生徒を傷つけるわけにはいかないよな~。さあ、いつまで逃げられるかな? ハハハ」
奥田は今の状況を楽しんでいるかのように高らかに笑った。追い詰められた村雨が苦悶の表情を浮かべる。
「クロエっ、これ外せないのか?」
「すまぬ。この拘束、結界による霊的な作用をもたらしておる。私も力が出せぬ」
クロエが俺の体に巻きついている黒い光のロープを引っ張りながら、力の無い声で答えた。
「くそっ。このままじゃ一香が……」
村雨が剣道部員のさらなる追撃を受ける。ふたたび瞬間移動でかわしたところに、トニーの放った暗黒のロープが村雨の両腕を捕らえた。
「くっ、跳べない!」
「結界リストレイントの中で拘束された者はその霊力、能力さえも自由にはならない。君の負けだよ」
奥田は、確信した勝利の味に浸りながら村雨を見下した。剣道部員の竹刀が村雨に襲い掛かる。
その刹那、突如現れた花菱さんが剣道部員の竹刀を弾き返し、今度は村雨が俺のそばに姿を現した。
「待たせたぜ、ボーイ! お嬢、クロちゃん大丈夫か?」
バスティが俺と村雨の拘束を解除してくれた。
「かたじけない」
「サンキュー。助かったよ、バスティ」
「遅いっ。もっと早く来い、バカスティ!」
村雨が怒りながら涙ぐむ。1人で戦っていた緊張から開放されたせいだろう。 村雨の頬をつたう涙をバスティが小さな手でぬぐっている。
「俺が来たからもう大丈夫さ。泣くな、お嬢」
「うっさい! 泣いてないし」
村雨が強がりを言っているうちに、花菱さんはすでに剣道部全員を気絶させていた。1つも怪我を負わせず、的確な位置に竹刀で打ち込んでいく一連の動作に無駄は無く、流れるかのごとく華麗だった。
「邪魔者がっ。君は俺のパーティには招待していないはずだが?」
「招待されたくもないわ。でもせっかくお邪魔したことですし、ぶち壊してから失礼いたします」
いつもの花菱節が復活していた。
「アドルフ!」
奥田が叫ぶと、肩に男の精霊を乗せた野村先輩が花菱さんに斬りかかった。手には薄く光を放つ日本刀が握られている。
バシッ!!
花菱さんが小手を打ちながら振り下ろされた刃をかわした。
「花菱さんっ」
俺達は再び道場に入り、花菱さんのすぐ後ろに駆け寄った。
「篠崎君、村雨さん、遅くなってごめんなさい。野村先輩は私に任せて。2人はあの男をお願い」
「分かった。行こう、一香」
「やだ。」
村雨がプイッとそっぽを向いた。
「えっ、え~。こんな時に仲間割れするなよー」
「って言うか、仲間じゃないし。なんでこの冷血女の言うこと聞かなきゃいけないのよ。バスティ、さくらについて。」
「おうよ! ボーイのサポートは俺に任せとけ」
笑いながらバスティが答えた。なるほど、そういうことか。花菱さんを1人にしないために憎まれ口を叩いたということか。
「ありがとう、村雨さん」
花菱さんが村雨に礼を言う。
「うっさい、バカ。戦いに集中しろ」
「ええ、そうね」
素直に礼を述べる花菱さんに面食らったのであろう、村雨は乱暴な言葉で照れ隠しした。
「敵精霊が実体化している間は君の光道流で捌けばいい。奴が野村加奈子の中に戻ったら『滅却刀法』を使いなさい。」
そう言いながらアルベールは1本の刀を花菱さんに手渡した。花菱さんが受け取ると刀は白い光を発しながら竹刀と同じくらいのサイズに変わった。アルベールの目を見てうなずいた花菱さんは右足を後ろに引き、顔の横で刀を真っ直ぐに立てた状態で構えた。野村先輩が猛スピードで直進してきた。真っ直ぐに花菱さんの胸に向かって剣を突く。花菱さんはそれをかわさずに後ろに引いていた右足を大きく前に踏み出し、顔の横に構えていた剣を斜めに切り下ろして突きを弾いた。さらに下方向から右斜め上に向かって剣を振り上げる。
「ブークリエ!」
キーン!
先輩の肩の上で精霊アドルフが霊術で防御する。野村先輩がすかさず一歩踏み込み、花菱さんの額めがけて剣を振り下ろした!再び花菱さんはかわすことはせず、正面から剣を受け止めた。野村先輩がグイグイと剣で押していく。動かざること山の如し、花菱さんは動じず真っ直ぐに野村先輩を見つめる。
「グッ、ウウウ」
野村先輩が苦しそうにうなり声を上げた。両手がブルブルと痙攣し、合わさる刀身がカチカチと音を鳴らす。何かの力に逆らうように、野村先輩は1歩ずつゆっくりと花菱さんから離れた。
「ひ、のわさ、ん。にげ、て。は、やく」
かすれた声で必死に伝えようとする野村先輩の目から一筋の涙が流れた。
「ちっ、しぶとい女だ。戻れ、アドルフ! 女を制御しろ」
奥田が叫ぶと同時にトニーが花菱さんに向かって両手をかざした。
「バスティ!」
「おう」
バスティが俺とクロエを連れてジャンプして、トニーと花菱さんの間に割って入った。
「アンパクト!」
クロエの放った衝撃波がトニーと奥田に命中し、彼らを吹き飛ばし道場の壁に叩きつける。
「ウアアア!」
野村先輩が悲痛な雄叫びを上げる。中に戻ったアドルフが心と体を支配しているようだ。叫びながら胸をかきむしるようにしてうずくまった野村先輩は、静かになると剣を拾い上げ再び立ち上がった。その顔はあの時俺が一瞬見た、別人にしか思えない異様な形相をしていた。
「花菱さ~ん、あなたしつこいわよ~。昔から気に食わなかったのよ。お高くとまって偉そうにして、人を見下して。目障りだから殺してあげる」
「先輩は、私を苗字では呼ばない。日ノ和さんと名前で呼ぶ。先輩は嘘をつかない正直な人。私の良くないところは注意してくれた。本音で話してくれた。お前は野村加奈子先輩ではない!」
花菱さんが剣を構える。右手で柄を逆手に握り、左手を柄の先端に添えて刀を横向きにして剣先を相手に向ける。刀身の光が輝きを増していく。
「私は先輩を信じている! 私が先輩を救う!」
「フハハハ。出来るものならやってみろ、人間。斬ればこの女は死ぬ。こいつもお前も救われないさ」
野村先輩を支配したアドルフが嘲り笑い、剣を振りかざして花菱さんに襲い掛かる。
「滅却刀法裏鎧通し!」
アドルフが振り下ろした一刀を花菱さんは前進しながらスレスレでかわし、背後をとった。そのまま振り返らずに後方、アドルフの背中に向かって突きを入れる。背中から入った刀身が胸を貫いた。しかし一滴も流血は見られない。刀からまばゆい閃光が放たれる。
「うおおお! なぜだあ。何で俺だけがー」
アドルフの苦痛の咆哮が響く。野村先輩の中から出て実体化したアドルフの体は、光が散るのと同時にパッと消滅した。
「対精霊用に鍛えられた霊剣による一撃必殺の滅却刀法。人の肉体に傷1つ付きはしない」
アルベールが静かに語った。
「先輩、しっかりしてください」
花菱さんが野村先輩を抱き起こし、声をかける。
「日ノ和さん、助けてくれてありがとう。ごめんね」
「良かった、良かった。先輩」
目を開けた野村先輩を泣きながら花菱さんが抱きしめた。
「いや~、アドルフがやられるとは誤算だったよ」
倒れていた奥田がゆっくりと立ち上がった。
「クロエ!」
「オウガメント! アクセレラシオン!」
俺は奥田目掛けて突進した。目の前に立ちふさがったトニーが暗黒のロープで俺の体を拘束する。
「うおおお!」
クロエの霊術で強化された肉体全身に力をこめてロープを引きちぎり、強く握り締めた拳を奥田の顔面に向かって打ち込んだ。
「ファンタム!」
トニーの声が聞こえた瞬間、拳に当たったはずの奥田がフワリと消えていなくなった。周りを見回して警戒する。
「私はお先に失礼するよ。君たちはゆっくりしていくといい。運がよければまた会おう」
どこからか奥田の声が聞こえた。その矢先、徐々に結界の崩壊が始まった。剣道場の景観が失われ、異次元空間に飲み込まれていく。
「みんな、倒れてる剣道部の子たちを体が触れ合うように1箇所に集めて。急いで!」
村雨の指示に従う。
「結界から脱出するから、2人とも私に触れていて。私がいいって言うまで手を離さないで。バスティ、やるよ!」
「マジかよ? この大人数を1度に運ぶのか? 結界内からのジャンプはただでさえ霊力消費するってのに。外出たら今日はもう跳べないぜ」
「文句言わない。往復する時間なんてないでしょ。1発勝負でおしまい。霊力無くなっても今日はもう跳ぶ必要無いんだから」
バスティをたしなめると村雨は剣道部員の1人に触れて目を閉じた。集中しているのが分かる。バスティも一言も話さず、村雨の肩の上でじっとしている。グッと村雨に引き寄せられるような感覚のあと、いつものジェットコースターの急降下を体感して元の剣道場に戻っていた。部員たちも目を覚ましはじめた。花菱さんをその場に残し、俺達は一足先に撤収した。剣道場を出た俺と村雨に向かって、花菱さんとアルベールが深くおじぎするのが見えた。花菱さんはアルベールに心を開き、無事に同調できた。そして野村先輩との絆も取り戻した。俺と花菱さんは……。まあ、それは置いておこう。とにかく全員が無事に生還できたことが一番喜ばしいことなのだから。
翌日、電車で一緒になった村雨と共に登校した。村雨は相変わらず朝から元気全開で、クロエとスイーツの話で盛り上がっている。対照的にバスティはめずらしく口数が少なかった。昨日の疲れが残っているっぽい。
「ふ~」
「どうした、バスティ? 大丈夫か? 昨日は大活躍だったもんな」
ため息をつくバスティの様子をうかがう。
「泣いてるひのちゃんもカワイかったな~。マジ恋しそうだぜ」
「そっちかよ!」
「バカスティ、マジ死ね」
村雨の毒舌にクロエが大笑いする。どうやらバスティもいつも通り絶好調のようで安心した。下駄箱で上履きに履き替えたところで身だしなみ検査中の花菱さんがやってきた。
「皆さん、おはようございます。昨日は本当にありがとうございました。皆さんのおかげです」
アルベールが改めて礼を口にして頭を下げた。
「皆さん、ありがとうございました」
続けて花菱さんが礼を述べた。
「先生、無事に同調できて良かったですね。これからよろしく頼む、日ノ和」
「ひのちゃ~ん、今日も朝から超カワウィ~ね~」
「バスティうざい」
クロエが挨拶して、バスティと村雨が日常風景を披露する。花菱さんが俺を見つめる。
「間違いもあったし、失ったものもあったけれど、また大切なものを見つけたわ」
花菱さんは左腕を上げ、小2のとき俺が贈った腕時計を見せてニッコリ笑った。
「で、これからどうすんの?」
ぶっきらぼうに村雨が尋ねる。
「私、剣道部は退部したし、あなた達の部活に入ってあげてもいいわよ」
花菱さんはいつもの高飛車な物言いをした。
「ぷっ、フハハハ!」
俺は思わず吹き出してしまった。つられてクロエとバスティが笑い出す。
「な、なに? 私何かおかしなこと言ったかしら?」
「あんたね、私らが部活動で集まって、精霊や合一者たちと戦っているわけないでしょ」
村雨が呆れ顔で額を押さえた。
「わ、分かってるわよ。し、知ってるわよ、そんなこと。私が言いたいのは、仲間に入ってあげてもいいってことよ。勘違いされては困るわ」
花菱さんは顔を真っ赤にして村雨に弁解する。恥ずかしそうに慌てて話をする花菱さんをアルベールが優しく見つめていた。
「まさかの天然キャラが仲間になるとは、クロちゃんも驚愕の第4プランね」
「ちょっと村雨さん、人の話をちゃんと聞きなさい。だから違うって言ってるじゃない」
逃げる村雨を花菱さんが追いかける。これはまた賑やかになりそうで何よりだ。
こうして学校に登校して1日が始まる。今まで全く気にも留めなかった日常の風景が、尊く愛おしく見える。このごく普通の世界とそこで生きる人々を守りたい。俺も花菱さんとおんなじだ。間違って、失って、でも大切なものに気が付いて。一見退屈に感じる当たり前のような平和な日常こそが幸福なのかも知れない。俺とクロエは顔を見合わせ静かにうなずくと、教室に向かって駆け出した――。