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第2話 強襲

 タクミと喝上げグループの事件から1時間後、帰宅した俺はベッドに寝転がりずっと考えていた。タクミのこと、彼が示した恐るべき力のこと……。

そして俺の顔の隣で、スマホを使ってネットサーフィンしている20センチくらいの金髪碧眼少女のこと――。

「って、おい! いつからそこにいる? あの事件のあと散々悪態ついたかと思えば消えていなくなるし。お前、一体なんなんだよっ?」

「ハア。君の顔に付いている眼球は装飾品か? それとも君は、そんなに視力が低いのかね? 容姿端麗、頭脳明晰、性格は寛大にして温厚、見れば十分理解可能なはずだが」

 小さな――まさしく美少女フィギュアのような――女の子は偉そうに言った。

「いや、容姿端麗はわかるが、あとのは見て分からんし性格は大いに訂正すべきではないか? じゃ、なくって。何者なんだよ? あんた妖精?」

「君、人に物事を聞く前に、まずは自分から名乗るのが筋というものだろう。篠崎さくら」

「俺の名前、なんで!? あんた、タクが言っていた精霊なのか? あの時、俺を助けてくれたのって、あんたなんだよな! なあ、今何が起こってんのか説明してくれよ!」

 非日常的な出来事に困惑しつつ、何も分からないことへの苛立ちから俺は大声を出していた。

「あー、騒々しい。もっと静かに話したまえ、さくら。私の名は、クロエ・モンフォール。神霊界上級精霊だ!」

 小さな女の子は両手を腰にあて、胸を張って名前を名乗った。

「あんた精霊!? クロエっていうのか」

「好きなものは、スイーツとかわいい物。苦手なのは、辛いものとオタクだ!」

「そんな情報はいらんっ。あと、さりげなく俺を嫌うな。精霊って他にもたくさんいるのか? 何でタクを乗っ取ったんだ?」

 タクの話は本当だったんだ。精霊は存在して、タクはその力で恐喝グループの男達を――。

「今、さくらが住むこの世界、地上界に光臨している精霊はおそらく約50体。すべてこの日本の地にいるはずだ。それから君の友人タクミだが、乗っ取られたという表現は誤りだ。霊人一体化したというのが正しい」

 クロエは真剣な表情で静かに語った。

「言い方なんてどうでもいんだよ! 要するに、今のあいつはタクじゃなくってクロエが言う精霊なんだろっ!」

 俺は怒りが込みあがり、怒鳴り声を上げた。

「違うな。タクミは本人自身だ。霊人一体とは精霊が人の霊体と同一化した状態であり、本人の意思と精霊が同調した上で成り立っている。つまり意識は、君の友人タクミであり精霊エミルでもあるということだ」

「そんな! じゃあタクが自分の意思で人を殺したってことなのか? 俺を殺そうとしたってことなのか!?」

 信じられない。タクが平気で人を傷つけ、殺めるなんて――。

「精霊は人に己の意思を強要できない。それ以前に、波長が合わなければその者と一体化すらできない。精霊の霊格が影響を及ぼす部分もあるが、意思と決断の根源的な部分は人間の、そのものなのだよ。残念だが、君の友人タクミは屈折した心と凶暴性、冷酷さを奥底に秘めていたのであろう」

 クロエは悲しげな目で俺を見つめた。

「うそだろ、タクがそんな……」

 その時だった。階段を上る足音が聞こえてくる。

「さくらー? 誰かお友達来てるのー?」

 母さんの尋ねる声が聞こえた。

「ヤバっ。クロエ、早く隠れろ!」

「ん? なぜ隠れねばならぬのだ」

 動揺する俺とは対照的にクロエはのん気に悠々と構えている。

 ガチャ!

 母さんが俺の部屋のドアを開けた。

 もう駄目だ、見つかった。そ、そうだ。新しいフィギュアだって言い張れば何とかなる。俺の友達、今一押しアニメの超絶美少女エルフ、クロエ・モンフォールで押し切ってやる!

「さくら……」

「あ、母さん。これはさ――」

「やだ、誰もいないじゃな~い。さくらが誰かと話してるみたいだったから、お友達が遊びに来てるのかと思って。あ、お友達なら机の上にたくさん並んでたわね。母さん夕飯の買い物行ってくるから、小さい美少女のお友達と仲良く留守番していてね」

 パタン。

 母さんは、クロエにまったく気づかずに部屋を出て行った。

「フ~。心臓止まるかと思ったあ」

 緊張感から開放されて溜め息をつく。

「なるほど。私が母君に見つかると、またしても美少女フィギュアを購入したのかと勘違いされ、怒られると思ったのだな。愚息の低次元な趣味も寛大に受け入れる、理解ある良い母君ではないか」

「そっちじゃないわっ!」

「冗談だ。分かっておる。精霊の姿、声は霊人一体化した者、あるいは霊人合一の器に値するごく一部の者にしか認識はできぬ。ちなみにさくら、君は私と霊人一体化している。よって精霊が見える」

 クロエがサラッと驚愕の真実を述べた。

「はあああ? クロエと俺が! 何でだよっ!」

「エミルの攻撃霊術を受ける寸前で契約を結んだではないか。よって、さくらの肉体は私の物でありまた逆に、私の霊体はさくらのものでもある。君を助けたとも言えるが、私自身を守ったとも言えるな」

 クロエは胸の前で腕を組み、俺に説明しながらうなずいていた。

「最悪だ~。クロエが俺の相棒ってこと? デレが無かったらツンデレとは言えないんだぞ! あんた何キャラだよっ!」

 クロエに的確なツッコミを入れつつも、自分の身に起こったことを俺はまだ信じられずにいた。

「美少女キャラ以外の何者でもなかろう。ちなみに私の嫌いなものは、アニヲタさくらだ!」

「おいっ! キッパリと具体的な固有名詞を上げるな!」

「しかし、君の母君だが……。いや、私の勘違いか。気にするな」

 クロエは視線を下に落とし、難しい顔をして少し考え込んだ。

「何だよ。言いかけてやめるなよ。気になるだろ」

「む~むむ。私は少々疲れたので休ませてもらう。あとはよしなに」

ちょっとダルそうにつぶやいたクロエは、徐々にぼんやりと薄くなり消えてしまった。

「何が、あとは適当にだよ。まだ聞きたいこと、山ほどあんのに……」

 もう姿は見えないクロエに向かって、俺は不満の気持ちを込めてつぶやいた――。


 再びクロエが姿を現したのは夕飯を終えた後、ネットで精霊について検索している時だった。机の上、マウスの横がユラユラとぼんやり明るくなり、徐々にクロエの姿がはっきりと見えてきた。

「やっと出てきたか。今まで何してたんだクロエ」

「ム~ム。やあさくら、ごきげんよう。まだ君の体に馴染んでないものでな。眠りについていた」

 クロエはまだ眠そうに小さな手で目をこする。

「さあ、話の続きだ。何であんたら精霊が俺らの世界に光臨したのか聞かせてくれ。」

「フム。私も君に伝えねばならぬことがある。精霊界のこと、光臨した精霊の目的。順を追って話そう。少し長くなるがかまわぬか?」

「ああ、頼む」

「……寝たらツネルぞ」

「寝ねーよ!」

 そしてクロエは真剣な眼差しで静かに語り始めた。


 世界は神界、神霊界、精霊界、幽界、地上界で構築されており、精霊は神霊界と精霊界に居住している。精霊にはそれぞれ職務があり、地上界の管理もその1つである。地上界におけるすべて物質の根源は霊質(霊細胞)であり、精霊が霊力によりそれらを正常な形に保ち、淀みなく存在させている。また、精霊は人間の守護霊としての役割も果たしている。精霊の生命と動力は霊力によるものであり、それは霊力の泉から放出され、1人の精霊王が媒体となり各精霊に供給を行い管理していた。いつの頃からか、精霊王は一部の上級精霊にのみ多量の霊力を供給しているという噂が流れ出し、それに反感を持つ中級、下級精霊を中心とした反乱分子が生まれていった。本来、供給される霊力量は身分と家柄、職務で果たした功績により決められ、また霊力の高低により格、身分、職務の昇級、降級が行われていた。反乱分子はそれぞれの思想をもとに、いくつかのギルド(コミニュティ)に分かれ、そしてクーデターを引き起こした。精霊王はその戦乱により崩御し、また精霊界もほぼ壊滅状態に陥った。戦乱の火種は、上級精霊の居住区である神霊界にまで及んだ。そして、反乱軍は霊力の源である霊力の泉を奪取して支配下に置き、地上界を新たな拠点にすべく光臨を開始したのだった――。


 話し終えたクロエは静かに目を閉じ、ため息をついた。

「……思ってた以上にヘビーな話だな。でも何で精霊は人間と一体化するんだ?」

「精霊が地上界で永続的に活動することは不可能なのだ。地上は物質の世界だ。霊体である私たちが存在し続けるためには、肉体が必要なのだ。また、精霊術も霊体のままでは具現化できない。そのための霊人一体化なのだよ」

「あ~、あの呪文唱えて出した魔法みたいなやつね。でも、なんで俺やタク、あんなことできたんだ? 呪文も自然と出てきたぞ」

 今思い返してもとても不思議な感じだ。知らないはずの言葉を俺は当たり前のように口にしていたのだから――。

「それは知の泉の恩恵だ。こちらの言葉で言うとそうだな……情報のデータベースだ。精霊は知の泉から波動を受け取り情報を得る。だから私はこちらの言語、文化、習慣などが分かる。また、さくらは私を介して、私が習得した霊術を術式詠唱により具現化できるということなのだよ」

 クロエは少し考えながら言葉を選ぶように話した。

「なんとなく話見えてきたわ、俺。で、クロエはその反乱軍を鎮圧する部隊の1人ってわけだろ?」

「……だいたい合っている」

 クロエは俺から目をそらし、小さな声で答えた。

「なんだよ? だいたいって」

「部隊の1人ではない。私、1人だけだ」

「……は? 今なんて言った?」

 俺は自分の耳を疑った。確かに1人と聞こえたが、自分の予想した状況とあまりにかけ離れており、つい聞き返してしまった。

「戦力は私1人だけだ。甚大な被害を受けた上級精霊は、神の恩恵を受けて神霊界の聖地と神界に非難している」

 クロエの声が低く暗い。彼女は視線を下に向けたまま答えた。

「そんな、じゃあこっちはどうなんだよ! 神様は何もしねーのかよ!」

 あまりの理不尽さに腹が立った。精霊の戦争に地上界まで巻き込まれるなんて――。

「神が創った理というものがあってな……精霊が人に対して意思を強要できないように、神もまた同じ。神が精霊を直接裁くことはできない」

 クロエが力の無い声で答えた。

「……そっか」

「さくら、すまない。隠していたわけではないのだ。このことも、ちゃんと話すつもりだったのだ。ただ、私と共に戦ってくれるかどうか不安で……。私が1人ぼっちだと君が知れば、きっと士気が下がるだろうと思い言い出せなかった。許してくれ。本当にすまない」

 クロエは、その小さな碧い瞳に大粒の涙を浮かべ、必死になって謝った。

「あ~。あんた1人で調度よかったわ。俺も友達いなくて今ぼっちなんだよ。とりあえず俺ら、友達にならね? んで、友達が困ってるときは全力で助けるのが俺のモットーだからさ。一緒に考えようぜ。な、クロエ!」

 クロエの顔に明るさが戻った。涙をぬぐってニコニコ微笑む。

 笑顔がとても可愛らしい。うん、やっぱクロエ美少女じゃん。

「さくら、ありがとう。これからよろしく頼む。ちなみに私は、神霊界に友達100人はいるぞ!」

「ちょっとは遠慮せいやっ!」

 ツッコミを入れる俺を見て、クロエはお腹を抱えて元気に笑っていた。


 翌朝、1階ダイニングで母さんの焼いてくれたトーストをかじる。昨夜はクロエの話を聞き、色々な考えが脳内をめぐってあまりよく眠れなかった。あくびが止まらない。

 この分じゃ、1時間目から睡魔と激闘を繰り広げる展開だな。

「はむ。ふぁくらあ、ふぉのはんは、ほへもおいひいど」

 クロエがリスのようにホッペを膨らませて理解不能な言語を発した。

「食べながら話すな。何言ってるのかさっぱりわからん。って、おい! 何してる!」

「モーニングトーストをいただいているところだ。うむ。このイチゴジャム、さわやかな甘さとほのかな酸味が絶妙なハーモニーをかもし出しているな」

「おい、やめろって。母さんいるんだぞ」

 母さんに見つかりはしないかと俺はヒヤヒヤした。

「昨夜も言ったではないか。人には精霊は見えぬ。安心したまえ」

 小さな体のどこにあれだけの量が入るのか、クロエはトーストを1枚たいらげてしまった。

「食べるの早っ! っていうか、俺のトースト食うなっ!」

「さっきから何をブツブツ言っているの? はい、トーストおかわり」

 クロエが完食すると同時くらいに、母さんが焼きあがったトーストをお皿に乗せてくれた。

「え? ああ、ありがと」

 いつも1枚しか食べないのに、今日は母さん何でもう1枚焼いてくれたんだ?それに何だかニコニコして、ずいぶんご機嫌みたいだけど。

「ほら、早く食べなきゃ。遅刻するわよ」

「あ、うん。母さん、今日何か嬉しそうだけど、いいことあった?」

「フフフ。ちょっとね。お父さんのことを思い出したの」

 母さんは、大急ぎでトーストにかじりつく俺を優しく見つめながら静かに答えた。


 いつもより少し遅くなった。クロエが俺のトースト食べるから。電車、間に合うかな。全力で自転車のペダルを回す。

「さくら、遅刻は良くないぞ。急いだ方が良い」

「お前が言うなっ」

 クロエはいかにも他人事のような口ぶりだ。悪びれる様子も皆無である。

「うむ、仕方のない奴め。オウガメント!」

「うわあっ!」

 こいでいたペダルが突然軽くなった。グングンとスピードが加速していく。

「軽くなったのでは無い。さくらの脚力を増強したのだ」

 クロエが得意げに話す。

「今クロエ、術式詠唱しなかったよな?」

「私の思念で術式を圧縮し、必要最低限度の言霊ことだまを用いて霊術を発動したのだ」

「ハア、ハア。そんな便利なシステムあるなら、わざわざ俺が詠唱する必要無いじゃん」

 ペダルを思い切り回し、息を切らしながら声を出す。

「私が圧縮した術式と、さくらが詠唱した術式ではその力と効力に大きな差があるのだっ。圧縮術式はあくまでもインスタントだと理解してくれたまえっ」

 強い風を受けながら坂道を下る。クロエは少し大きな声で言った。

「ふ~ん。でもクロエのおかげで電車、間に合いそうだ」

「うむ。私の力ばかりに頼らず、遅刻を回避するために余裕をもって登校することを強くすすめるぞ」

「だから、お前が言うなっ!」

 クロエにツッコミを入れて、今度は上り坂でペダルをフル回転させる。坂を上ると駅はもうすぐだ。いつも混雑している駐輪場に自転車を停めて、駅の階段を駆け上がる。足がすごく軽い!霊術の効果がまだ持続されているようだ。

 何とかいつもの電車に間に合った。いつものことながら通勤ラッシュ、これは慣れない。ギュウギュウ詰めってわけじゃないけど、この車内でこの人口密度、体に毒だ。東京の通勤ラッシュなんかもっとひどいのだろう。あ、でも東京はアキバがあるし、どっちか選ぶとすると悩みどころだな。

 くだらないことを考えているうちに駅に到着した。

「なあ、クロエ、反乱軍との戦いだけど、クロエには勝算のある作戦ってあるのか?」

「かなり厳しく、困難ではあるがな」

 クロエの表情がとても険しい。

「成功確率0パーセントじゃなきゃあ、十分だよ」

 駅のホームを出て学校に向かう道すがら、俺の左肩に腰掛けたクロエはその戦術を語り始めた。

「まずは、霊地の封印を行う」

「霊地って?」

 初めて耳にする言葉について俺は聞き返した。

「霊地とは霊力の泉と同様、霊力を蓄え放出している場所のことだ。東京、大阪、沖縄の3箇所に存在している。この3箇所を封印すると、精霊界から地上に光臨することは不可能となる。その逆もしかり。さらに地上における霊力の供給が断たれることにより、精霊の力を実質無力化することが可能だ!」

 クロエの解説に力が入る。

「なるほど。反乱軍の援軍を阻止して、なおかつ地上部隊の戦力をも無力化するってことか。でも、それだと俺たちの霊力も無力化されないか?」

「私たちの霊力は地上界の霊地からではなく、神霊界の聖地にある霊力の泉から供給されているから心配無用だ」

 クロエは笑いながら答えた。

「そっか。あと、この作戦が成功した場合クロエはどうやって帰るんだ? 霊地封印しちゃったら戻れないんだろ?」

「それも心配ない。再度、開放術式をほどこせば霊地も元に戻るからな。あと、封印や開放の術式は上級精霊にしか扱えない。よって1度封印してしまえば、敵が霊地を開放することも不可能なのだ」

 クロエが自慢げに答える。

「何か以外にしっかりした作戦で驚いた。クロエのことだから『私の美しさと神々しさで敵を圧倒するのだ!』なんて言うかと思ったよ。ハハハ」

「うむ。それは霊地封印が失敗した時の第2プランだな」

「おいっ!」

 驚愕すべきクロエの第2プランを聞かされながら学校の正門を通過する。クロエに何度がキレの良いツッコミを入れているうちに、俺のクラス2年2組に到着した。俺の通う私立星流館高校は、10年前に開校したばかりの新設校だ。普通科と、難関大学進学を目標とする特別進学科の2つのコースで構成されている。普通科は1~10組で特進クラスは11~15組のいわゆるマンモス校である。去年も今年も、奇跡的にタクミと同じクラスになった。それなのに、あんなことになるなんて。

 教室に入り席に着く。空席のタクミの机についつい目がいってしまう。あいつ、今どこで何やっているんだろう――。


 1時間目、現代文の授業。

 しまった!教科書忘れちまった。

「なあ、クロエ。知の泉に古典の教科書って無い?」

「さくらよ、知の泉は図書館ではないぞ。隣の女生徒に見せてもらえばよかろう」

 クロエが呆れた顔で俺を見る。

「それが嫌だから聞いいてんの!」

 独り言にしてはつい大きな声を出してしまった。

「おい、篠崎っ!教科書も開けないで何ブツブツ言ってんるんだ。忘れたなら隣に見せてもらえ。で、25ページ、3行目からお前、朗読しろ」

「えっ、ああ、はい」

 先生に注意され、おまけに指名までされて俺は立ち上がった。

ついてねーなあ。隣から突き刺すような視線を感じる。ウワっ、にらんでる、にらんでる。

 村雨一香は、教科書を俺の机の上に投げつけるようにして渡した。村雨とは中学から今までずっと同じクラスの腐れ縁だ。アニヲタでぼっちの俺とは対照的に、ルックス、スタイルともに高レベルで友達もたくさんいる。モデルの仕事なんかもやっていて、いわゆるイケてるグループの中心人物だ。

 クソっ、リア充がそんなに偉いのか!?ゴキブリ見るような目でアニヲタを見るな!

 俺は世界のアニヲタ代表として、心の中で村雨に敢然と抗議しながら現代文の教科書を朗読した。

「よーし、そこまで。篠崎、教科書忘れんなよ。次、朝倉」

 フーっ。ため息をつき、腰を下ろす。気が重いなあ。

「村雨、ありがと」

「キモい。話しかけんな」

 村雨は、俺の手からひったくるように教科書を受け取った。

「おい、さくら。顔が憎悪に満ちているぞ。人間相手に攻撃霊術の使用はいかんぞ」

「わかっとるわ!」

 マジメな顔で進言するクロエは本気なのか冗談なのかいまいち分かりづらい。

「おい、さくら」

「もう、クロエがボケても俺はツッコまんぞ。今そんな気力は無い」

「違う。校内に精霊がいる。しかも霊人一体化したやつだ。霊術で私達を探知しておる。もう相手は、私達の存在に気が付いたぞ。私が実体化していると場所まで特定される可能性が高い。私は一時さくらの霊体の中に戻る。会話は念話、思念による会話が可能だがそれも今は控えたほうが得策だ」

 クロエは口早に告げるとぼんやりした光にその身を包み、やがて姿を消した。

 校内に敵が入り込んでいるなんて最悪だ!やっぱタクミと同様、殺人も平気な奴なのか。クソっ、ほんと気が重いな。


 クロエが俺の中に避難して会話もしないまま時間は過ぎ、特に変わったことが起こる事も無く4時間目終了のチャイムが鳴った。敵のことが気になり全然授業に身が入らなかった。

 ハア、なんか食欲無いな。でも何かあった時のために食っとかなきゃ。備えあれば憂いなし。よし、購買で焼きそばパンでも買うとしよう。

 教室を出て、階段の踊り場で村雨とすれ違った。あと、村雨の腕を掴んで強引に引っ張っていく川村と。

「ちょっと、やめてっ!」

「いいから、来い」

 川村は抵抗する村雨を怒鳴りつけ力任せに引きずっていく。

「嫌だって! 離せよ!」

 あ~、あれだ。痴情のもつれってやつか?これだから3次元はまったく。2次元は、裏切らない。あ、今俺いいこと言った。川村よ目を覚ませ!そして開眼して2次元サイドに来い!

「1回遊んだくらいで、何勘違いしてんのよ! あんたに気なんか無いっつうの!」

 引きずられながらも村雨は毅然とした態度を崩さない。

「そうか、じゃあ俺がお前を調教してやるよ。俺を好きになるようにな!」

 おいおい、何物騒な発言してんだよ。アニメの見過ぎか!? あ~、めんどくさ。こっちは敵のソナーにビクビクしてるっていうのに。

 俺は2人のあとを追って屋上へ向かった。屋上では10人くらいの生徒がお昼を食べていた。

「おいっ、見せモンじゃねーっ! お前ら帰れっ。ボコられてー奴がいるんなら残ってろ!」

 川村が怒鳴った。俺、このままだとボコられたい奴、若干1名になっちゃうな。ハア。

「なんだ篠崎、聞こえねーのか? あぁ?」

 1人だけ残った俺に川村が早速因縁をつけてきた。

「いや、聞こえてる。が、ボコられたいというわけではない」

「ハアっ?」

 川村の強面がさらに怖い形相に変化していく。

「村雨が困ってるっぽい雰囲気なんで、やめてあげない?」

「お前にカンケーねーよ。俺と一香の問題だ」

「いや、川村の思考と行動の方が問題かと……」

 なるべく丁寧に謙虚な感じで進言してみる。

「篠崎、あんたもういいよっ! 早く帰んなよ。何でも無いから。平気だから!」

 さっきまで川村に対して気丈に振舞っていた村雨が不安げな声を上げて取り乱した。

「テメぇ、ぶっ殺す!」

 川村は眉間に青筋を立て、両手の拳をギュッと握り締めて俺に近づいてきた。身長180センチオーバー、格闘技マニアのヤンキー超大迫力っ!

 俺はスマホを取り出し電話をかけた。

「もしもし。2年2組の篠崎さくらです。今、2年5組の川村こうじ君が村雨一香さんを無理やり屋上に連れて行って乱暴しています。はい、今すぐ来てください。では」

「テメエ、今どこに電話した?」

 俺の胸ぐらを掴んで川村が尋ねる。

「職員室に決まってるだろ。先生が来るまでに、やりたきゃ俺をボコれば?」

「ざけんなよっ! 覚えてろっ、篠崎っ!」

 フッフッフ。まんまとひっかかりおった。脳みそ筋肉ヤローめ。

 俺は微笑みながらダッシュで退散する川村の背中を見送った。

「キモい。あんた何しに来たの?」

 俺に対して毒舌を浴びせるいつもの村雨が戻ってきた。川村に掴まれていた腕が痛むのか、右手で左手首をさすっている。

「あー、景色もいいし、気持ちが良いからな屋上は。俺と違って。ハハハ」

「別にあんたに助けてもらわなくても、平気だったし……」

 村雨は小さな声でつぶやいた。

「よし、景色も見たし、教室帰って飯でも食うかな」

「篠崎、ほんとキモい」

 村雨は両目を手でこすると、背中まで伸ばした黒髪をなびかせながら、うつむき加減に走っていった。


 午後からもクロエは沈黙を続けていた。と、いうことは、敵は今もソナーを張っているということだ。

 しつこい奴だな。確実に女にはモテないタイプだな。

 クロエがやっと話かけてきたのは放課後、学校の正門を出てからだった。俺の顔の前でフワっと光り、実体化したクロエはちょこんと俺の左肩に腰掛けた。

「ん~む。実に執着心の強い、粘着質な相手だな」

 疲れた声でクロエが言う。

「俺達の教室、バレなかったかな?」

「うむ。特定には至っていないはずだ。しかし午後からは、さくらのクラスを含めた3つの教室に絞り込んできていた。特定されるのは時間の問題かも知れぬな」

 クロエは腕を組み思案する様子を見せる。

「なあクロエ、俺達が先に相手を見つけて先制攻撃ってのは駄目なのか?」

「うむ。確かに奇襲は圧倒的に攻撃側の有利になるだろう。しかしな、攻撃霊術を得意としない私にとって、この戦術は致命的なのだ。さくらも何となく、私の霊術体系がどんなものか気づいているだろう?」

「ああ、まあ何となくは。サポートとか防御っぽい感じなのかなあ……と」

 クロエと一体化して初めて霊術を使った時はタクの攻撃を防ぐものだった。そして今朝クロエが俺にかけた霊術は、肉体を強化させるものだった。霊体と肉体を共有して間もないが、クロエのことが俺には何となく分かる。

「うむ。その通りだ。しかし私は、霊術以外に体術、武器術といった戦闘技法も学んできた。よって、私と一体化したさくらも同様の戦闘技法を身に付けていると言っていい。とはいえ、攻撃霊術で劣る私たちから仕掛けるというのは不利に変わり無い。ここは、相手の出方を見極めるのが賢明に思う」

「うん。俺達に合った戦い方ってのがあるもんな。まずは、じっくり観察といくか」

 得体の知れない敵を相手にすることに、正直言うと不安はあった。でもそれ以上にクロエの存在は頼もしくまた、地上界を守るためにたった1人で光臨した彼女を助けたいという強い気持ちが不安を打ち消した。

クロエと作戦会議をしているうちに駅に到着した。

 ポン!

「うわっ!」

 いきなり背中を押され、よろけた俺はその場にコケる。

「も~、大げさだなあ」

 起き上がって振り向くと、なぜか満面の笑みを浮かべた村雨が立っていた。

「イテーな。いきなり何すんだよ」

「あのさ、私、今日撮影あるんだけどそれまで時間あるんだよね。ちょっと付き合ってよ」

 村雨は悪びれる様子も無くニコニコしたまま勝手な発言をする。村雨が俺に対して笑顔で接するなんて気持ち悪い。何か裏でもあるのか!?

「丁重にお断りいたします。では、ごきげんよう」

 俺の感はよく当たるんだ。被害をこうむる前に速やかに撤収しよう。

「よし、じゃ行こっか! 駅地下の喫茶店のクレープ、マジやばいんだって」

「お、おいっ。会話が成立してないだろっ!」

 村雨に腕を掴まれ、駅地下の喫茶店に引きずられていく。早く帰って新作アニソンをチェックしたいのに……。結局俺は、村雨の時間つぶしに付き合わされるはめとなった。村雨は俺の分まで勝手に注文するし、ほんと今日は気が重い――。

「ほら、篠崎も食べなよ」

 マジやばいらしいクレープを前にして村雨はご機嫌だ。クレープの横でよだれを垂らしたクロエが切なげな表情を浮かべている。

 我慢だクロエ!お前の分はちゃんとテイクアウトしてやるからな。

 俺はクレープを勢い良くほおばり、アイスティを一気飲みすると立ち上がった。

「ご馳走様でした。割り勘でいいよな? 俺、用事あるから帰るぞ」

 良からぬイベントが発生する前に撤退せねば!

「うわっ。感じ悪っ。篠崎の用事ってどうせアニメとかゲームとかでしょ」

「ううっ。どうせ言うな! オタクは文化だ! クールジャパン!」

 俺を悪く言うのは構わんがアニメをバカにする奴は許せん!

「あのさ……あの時さ、篠崎わざわざ助けに来てくれたの?」

 俺は再び椅子に腰掛けた。ん?昼休みのことか。

「ただの、通りすがりのアニヲタだ」

「プっ、フハハハ」

 村雨は吹き出し、爆笑した。

「村雨さ、余計なお世話かも知れないけど、あまり男子に勘違いされるような素行は控えた方がいいと思うぞ。お前モテルし、モデルやってたりもするから妬んで悪く言うやつもいるみたいだしさ」

 村雨は昔からとにかく目立つ。美人でスタイルも抜群だ。身長165センチの俺より少し高いのだから分けて欲しいくらいだ。いつも人の輪の中心的存在で、男女問わず友達も多い。が、やはりアンチも存在する。夜遊びがひどいやら男好きやら、一部の人間にそういった噂を流されているのも事実だ。

何だか俺が村雨を心配しているっぽい雰囲気になってしまった。

「言いたい奴には言わせとけばいいし。私、別に川村と2人きりで遊んだわけじゃないし。何にも後ろめたいことなんて無いから」

 村雨が俺の目をじっと見てキッパリと答えた。

「お、おお。村雨がいいなら、それでいいんだ。俺がとやかく言う筋合いも無いしな」

「篠崎は、私のことどう思う? 中学の頃から、あんたには嫌な態度とってたし……」

 キツい感じの村雨の表情が変わり、少し恥ずかしそうに小さな声で尋ねた。

「え~っと……お、女の子だと思う!」

 予想外の問いを投げかけられ、とんちんかんな回答をする。

「……嫌い、だよね?」

「えっと……まあ苦手というか、アニヲタの天敵というか」

「何で助けに来てくれたの? 男友達も気が付いてた奴いたけど、ビビッて知らんふりしてた。篠崎は怖くなかったの?」

 村雨は大きな瞳で俺を見つめながら、返答をせかすかのように早口で尋ねた。

「まあ、怖いと思うのが普通だろうし、俺的にはビビッて何も出来なかった奴を責める気にはなれんな。ただ、一見ひ弱ボーイが実はすんげー能力者で、不良に拉致られた超絶美少女を助け出すバトルありのラブコメ展開に乗っからないわけにはいかんだろ!」

「な、何それ。意味わかんない。プっ、プハハハ。篠崎、キモ~い」

 少し張り詰めていた表情が和らぎ、村雨はお腹を抱えて笑った。

「ああ、村雨はそれでいいんだよ。そのままで。そして俺はアニヲタでいいんだ」

 笑いながら俺のことをキモいと言う村雨になぜだかほっとした。見たこの無い人の1面を知ると俺は少し怖くなる。タクの事件のせいだと思う――。

「よし、じゃ帰ろっか」

「おお! って、おい、撮影は?」

「今日休む。篠崎と一緒に帰るから。電話するから、ちょっと待ってて」

「は? 何でそうなる」

 村雨は、体調不良を理由に撮影を休ませてもらいたいと電話をしていた。

まったく、何を考えているのやら。最近のJKは分からん。

「さくらよ、私の分のクレープを忘れてはおるまいな」

 村雨と会話している間、お預けを命じられた犬のようにジッと辛抱していたクロエが口を開いた。

「はいはい。良く我慢できました。ちゃんと買って帰りますよ」

「うむ。良い心がけだな」

 よだれを拭きながら威厳を見せるかのような発言をするクロエが可愛らしかった。


 村雨と一緒に電車に乗り隣に座る。

 ちょっと近いな。肩当たってるぞ。ん?いい香りがする。シャンプーか?香水か?いかん、いかん。これがあれか!?3次元定義にリアル要素を取り入れた4Dってやつの技術力か!しっかりしろ、俺。突き進め!2次元一筋16年。

「今日から私と篠崎、友達ね」

「ええっ。そ、そうなの?」

 3次元と2次元の狭間で葛藤する俺は村雨の言葉に驚いた。

「そうなの。これから、さくらって名前で呼ぶから私のことも名前で呼んで」

「えーっ。俺、名前で呼ばれるの嫌いなんだけど……」

「いいのっ。友達なんだから。さくら」

 村雨と話しているうちに俺が降りる駅に到着した。

「じゃあな、村雨」

「……。」

 村雨が俺を睨む。

「じゃあな、一香」

 村雨はニッコリ微笑むと、胸の辺りで小さく手を振った。


 俺は駅の駐輪場に停めてあった自転車に跨り、家に向かってゆっくりとペダルをこぎ始めた。坂を下って坂を上る。三崎池公園の桜もすっかり散って、今では新緑の季節を猛烈アピールしている感じだ。今日の風は気持ちがいい。

「なあ、クロエは軍人っぽい感じの職業なのか? クロエが言っていた格闘技とかも上級精霊の部隊で教わったのか?」

「いや、私は学生だぞ。さくらと同じだな」

 俺の顔のすぐそば一点に留まって浮遊するクロエが、風でなびくブロンドの髪を押さえながら答える。

「ええっ! そうなの」

 思いもよらぬ回答に俺は驚きの声を上げる。

「うむ。私は神霊界聖心学院高等科の3年だ。上級精霊のみを対象としたアカデミーだ。ちなみに、精霊界には各階級別のアカデミーと下級・中級精霊共学のアカデミーがある。私はアカデミーで、精霊術、体術に武器術を学んだ。どれも学科では学年主席の成績をおさめておるのだぞ。エッヘン!」

 クロエは胸を張って、わざとらしく咳払いした。

「で、実技はどんな感じよ?」

「うゥ~」

 クロエは苦しげに小さく唸った。

「残念な子というわけか」

「残念言うな!さくらにだって苦手な科目はあるであろう?」

「まあね。スポーツはからっきし駄目。理数系もな。そんなわけで文系クラスを選んだわけなんだが、英語はいまいちだな」

 クロエと勉強の話をするとは思いもしなかった。

「うむ、お互い様ではないか」

 クロエは何だか嬉しそうな声で言った。

「だな」

 正直言うと英語以外の文系科目も得意と呼べるものは1つも無い。物理や化学よりはマシという理由で文系を選択した。それに比べてクロエは本当に優秀なのが分かる。詳しく話を聞かなくても、霊人一体化した俺にはそれを感じる。クロエも俺が出来の悪い生徒だってことは感じているはずだ。でも、俺を見下すことも無く、仲の良い友達のように接してくれるクロエはすごくいい奴なんだと思う。

「少し話したことだが、私が学び習得したことはさくらの中にも蓄積されておる。霊術、体術、武器術はさくらも自然に出来るようになっておる」

「でもさ、クロエの残念実技じゃ使い物にならないんじゃないの?」

 ふと疑問に思い単純な質問をする。

「むっ! 残念言うなっ。体術、武器術において、私の技量はさくらに何ら影響は及ぼさぬ。あくまで私の知識と経験のみが、さくらに反映されておるからな。それに霊人一体化したことにより、身体的能力は常人をはるかに凌ぐ高さになっておる。日常生活では気づかぬであろうが、こと有事に際しては絶大な力を発揮するはずだ」

 少し怒った様子のクロエは俺の耳元で大きな声を出した。

「んー、何か実感無いな。で、霊術はどうなの?」

「精霊術においては、私の霊力と能力が大きく影響している。今、さくらの霊体の主体をなしているのは私自身だからな。面目ない。すまぬ」

 さっきの勢いから一変し、シュンとなったクロエは小さな声で答えた。

「何で謝るんだよ。クロエの霊術のおかげで俺、助かったんだ。命の恩人だよ。俺はクロエの霊術、すげーと思うよ」

「そ、そうなのか。さくらがそう言うのなら、そうなのかも知れぬな」

 クロエは俺から視線をそらして自信無さそうにうなずいていたが、少しだけ嬉しそうにも見えた。


 午後5時を過ぎて帰宅。母さんが台所で夕飯の支度をしている。

 あ~いい香り。これはハヤシライスだな。

「お帰りなさい。今夜はハヤシライスよ」

 ほ~ら当たった。霊人一体化した身体能力向上による嗅覚パワー、なんてね。

「母さん、これお土産。クレープ」

 駅地下の喫茶店でテイクアウトしたクレープをテーブルに置く。

「あら、めずらしい。今日って母の日?」

「違うから。帰りに友達と食べたからさ。母さんにも」

「ありがと。食後のデザートにいただくわ」

 母さんは嬉しそうに微笑んだ。

 2階の自分の部屋に上がり、俺に物欲しげな視線を向けているクロエにクレープを差し出す。

「待っておったぞ」

「お待たせしました、クロエ様」

「うむ、苦しゅうない」

 クロエは相変わらずな勢いでクレープを制覇していく。クロエとほぼ同じサイズのクレープはあっという間に彼女の胃袋に収まった。

 すげー勢いだな。その食い意地と大食いが俺に反映されなくて良かったよ。

「ムっ! さくらよ、精霊の性格や天性の才は人間に反映されぬぞ」

「なっ、何だよ急に」

「いや、先ほどさくらの心の声を聞いたような気がしてな。ちなみに精霊術式の圧縮も精霊生まれつきの才能だ。よって、さくらには出来ぬ」

 クロエはクレープ最後の一口を味わいながら解説した。

 

 母さんに呼ばれ、1階に降りて夕飯にありつく。俺のスプーンに乗ったハヤシライスをほおばるクロエ。

 その小さい体のどこにそんだけ入るんだ?あ、またにらまれてクロエのお説教じみた解説が始まるといけないから、あんまし見ないでおこう。

 食後に母さんは、俺の買ってきたクレープをおいしそうに食べていた。俺は母さんが剥いてくれたリンゴをかじる。けっこう甘いなこのリンゴ。クロエも同意見らしく、うなずきながらかじってる。

 テレビのニュースでは、県知事が右翼団体に襲撃され死亡したことを大きく取り上げていた。

「何だか最近物騒ね。先週、市長さんが通り魔に刺されて亡くなったばかりなのに」

 母さんが不安げな声でつぶやいた。

「あー、そう言えばそうだ」

「ほら、それに4人の男性が行方不明だって。失踪事件っていうの? 最後に目撃されたのが、さくらが良く行くアニメのお店の近くだってニュースで。さくらも気を付けてよ」

「あ、うん。そうだね。母さん、俺、風呂入ってくるわ」

 風呂の中で母さんの話を思い出していた。男性4人の失踪事件。あのあと、2人だけでもどこかで無事でいてくれればと希望を持ってはいたものの、いまだに消息不明ということは……。

 風呂から上がり寝巻きに着替えた俺はベッドで横になり、クロエに話しかけた。

「ニュースでやってた県知事襲撃事件、精霊と関係あるかな?」

「うむう。事件の詳細、テレビの映像からだけでは判断しかねるな。実際にその場に居合わせたなら、精霊が関わっていたとすれば感知できたと思うが……」

 クロエが難しい顔をする。

「そっか。でも実際、最近になって県内、市内でいろいろな事件が起きてることも事実なんだ。今日のニュースみたいな政治家の事件や事故、あと企業や銀行での横領とかさ。急に増えた感じなんだ」

「たしかに地上界における事故や犯罪は、今に限らず精霊が関わっているケースも多い。精霊本来の職務を放棄し堕落して、己の欲望のままに霊人一体化した精霊を邪霊と私たちは呼んでいる。たしかに、最近の事件が反乱軍の画策という可能性は高いと思う。なるべく迅速に霊地封印を行う必要があるな」

 真剣な表情のクロエから緊張感が伝わってくる。自分の住む町が反乱軍の精霊達に侵されていると思うと、俺はいても立ってもいられなくなった。

「ああ、週末、学校が休みになったら作戦実行だ。で、3箇所のうち、どっから行く?」

「うむ、特に優先順位があるわけではないのでな。日本の地理に詳しいさくらに一任するぞ」

 そうか。クロエは地上界の地理に詳しくないんだった。

「霊地の正確な場所は分かってるんだよな?」

「うむ、把握している。さくらにその近辺まで案内してもらいたい」

 クロエがうなずいた。

「えっと、飛んだり瞬間移動とか可能な霊術ってある?」

「それなんだがな……公共の交通機関をご利用ください!」

「何だよそれ、駐車場が大変混雑しております的なご案内はっ!」

 俺の嫌な予感が的中した。敵との戦闘の前にまさか移動手段という分厚い壁が行く手を阻むとは――。

「うむ。私には空間移動、飛行といった体系の霊術、能力は皆無である!」

「威張って言うな。しかし、東京、大阪はなんとかなるけど、沖縄はなあ……。そうだ!修学旅行。行き先、沖縄だ。5月の3週目なんだけど、大丈夫?」

「うむ、問題ない。では、まずは東京、大阪からだな」

 沖縄行きの問題が無事に解決した。クロエの言葉に俺は胸をなでおろした。

「おお。早速今週末に作戦決行だ。東京と大阪、どっちから行くかな……。ところでさ、鎮圧部隊でもない高校生のクロエが、何で反乱軍を止めるために1人で地上まで降りてきたんだ?」

 クロエが俺と同じ高校生と聞いた時から不思議に思っていた。俺がクロエと同じ立場だったら、自分の危険をかえりみずに異世界の人々のために戦うなんて絶対出来ないだろう。クロエには戦う大事な理由があるのではないだろうか――。

「その事だが、今回のクーデターとは別に、ちょっと個人的な理由もあってな……。少し長くなるが、かまわぬか?」

「ああ。いいよ」

「……寝たらツネルぞ」

「それ、流行ってんのか!?」

 寝転がっていた俺は体を起こし、ベッドの上で座りなおした。クロエは俺と向き合ってチョコンと腰を下ろし、ゆっくりと語り始めた。


 クロエの父、ルイ・モンフォールは、幽界と地上界における下級、中級精霊が職務を真っ当しているかどうか評価を行う監察官だった。通常職務の監査以外に、地上界で発生した事故や事件に邪霊が関与していないか調査を行う調査官の職務も兼任していた。今から13年前、ルイは地上界である事件の調査をしていた。当時、日本各地で同時期に発生した小学生誘拐事件。皆共通していたのは、犯人からの身代金要求等が無かったこと。その事件数は20を超えており、目撃証言を元に警視庁が中心となって大々的に公開捜査が行われた。防犯カメラに残された映像から、犯人が使用していた車も判明しており、警察捜査員の誰もが逮捕は時間の問題と確信していた。それにも関わらず、犯人の行方が全くつかめずに捜査は難航を極めた。しかし事件発生から約1ヶ月後、各地で開放された小学生たちが全員無事に保護されたのだった。結局犯人逮捕には至らずに誘拐の目的、理由も分からないまま捜査本部は年々縮小されて現在に至る。保護された当時、被害者の小学生全員の健康状態はすこぶる良好で、それぞれの証言から精神的また肉体的にも危害を加えられるようなことは無かったことが確認されている。また、この誘拐は組織的な犯罪であり同一犯であると捜査本部は見立てていたものの、被害者小学生の証言から1人で軟禁されていたことが分かり、同一犯説も有力ではなくなった。ほぼ迷宮入りとなった小学生連続誘拐事件だが、被害者小学生全員が共通して「妖精に会った」と口にしていた。ルイは、職務放棄した数名の中級精霊が事件に関与したと見て調査していたが、その途中に地上界で行方不明となった。精霊界で精霊王にまつわる悪い噂が流れ始め、反感を持つ反乱分子が生まれ始めたのがルイ失踪からすぐのことであった。クロエはアカデミーの高等科に進学した日に母親からこの話を聞き、精霊界や神霊界で自分なりに父と事件のことを調べていたそうだ。その後、中級、下級精霊の反乱軍は精霊界をほぼ掌握し、神霊界にまで進軍した。さらに拠点を地上界に移すべく、先遣部隊50名が光臨し現在に至る。


「そっか。クロエは、お父さんが今回のクーデターに関係する事件を調査し、行方不明になったと推測してこっちに来たってわけだな」

「私は、父上が無事だと信じているのだ。私が絶対に探し出してみせる! 母上にもそう約束してきたのだ。そして幼き頃、父上に約束した。大きくなったら父上と一緒に地上界を守ると。邪霊から人間を守ると。今、父上はそばにおらぬが……」

 クロエの瞳から頬を伝って一筋の涙が零れ落ちた。

 行方不明の父親を探すため、その父親との約束を守るためにたった1人でクロエは地上に光臨したんだ。俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。

「クロエの父さんはきっと生きてる! どっかで反乱軍に抵抗すべく奮闘してるはずさ。俺がクロエと一緒に地上界を守る。人間を守る。クロエだって守る。心配すんなよ! 俺ら、友達だろ」

「ありがとう、さくら。」

 いつになく力強い口調で語りかける俺にクロエは少しびっくりした風で、大きな碧い瞳をさらに大きくさせていたが、すぐに嬉しそうな可愛らしい笑顔を見せてくれた。

 学校に現れた精霊とその一体化した奴も気がかりだけど、まずは霊地を確実に1つずつ封印していかないとな。明々後日は土曜日。よし、たまにはアニヲタ活動以外も頑張ってみるか。

 クロエは俺の霊体に戻って眠りについた。少し話し疲れたのかも知れない。

 ちょっとは安心してくれたかな?俺も寝るとするか――。


 木曜日、今朝は余裕をもって家を出た。母さんが初めからパンを2枚焼いてくれたのだ。母さんが台所にいることをいいことにクロエはジャムトーストをしっかり完食した。

 まったく、大食いクロエめ。

「さくらの母君は優しくて気が利くな。さくらは幸せ者だぞ」

 自転車のペダルを回す俺の顔のそばで浮遊するクロエが言った。

「クロエのお母さんはどんな人なんだ?」

「母上は優しく強く、そして賢い人だ。よく、『精霊階級は差別のためにあるのではない。各々が自分を正しく見極め、その与えられた職務を責任持って遂行するためにある』と教わった」

 クロエは母親の声色を真似ながら話した。

「立派な人だな」

「うむ。母上は神霊界中央府といって、神と精霊からなる行政機関に勤めておるのだ。ちなみに、私と同じくらい美しさにおいて非の打ち所が無いぞ!」

 自信たっぷりに言うクロエの自意識過剰にもだんだん慣れてきた。

「さりげなく自分を褒めるな。クロエは性格において非の打ち所ありすぎだ!」

「ムっ!」

 ギュ~っとクロエが俺の左耳をつねる。

「痛っ! 何すんだよ。危ないだろっ」

 クロエはふくれ面でプイっとそっぽを向いた。クロエは性格の悪さを指摘され怒ったのか、電車の中でもだんまりを決め込んでいた。

 何だよその弁護士が来るまで何も話しません的な態度は。

 結局そのまま学校の正門を通り、教室に入ってからもクロエは沈黙したままだった。

 ああ、そーですか。話したくないなら話さないで結構ですよー。

「おはよーっ。さくら」

 村雨にバシッと背中を強くはたかれ、ゲホゲホと俺は咳き込んだ。

「もー、大げさだなあ」

「お、おはよう。むら……いや一香」

 自然な感じでフレンドリーに接してくる村雨に俺は面食らった。

「朝から何冴えない顔してんのよ」

「いや、この顔は生まれつきだから気にするな」

「あのさ、昨日はありがとね。まだちゃんとお礼言ってなかったからさ」

「お、おお。」

 村雨は終始笑顔のまま俺に話しかけながら、カバンの中の教科書やノートを机に入れている。

 人ってこんなに変わるもんかね。昨日まで睨むか、キモいしか言わないアンチアニヲタギャルだったのにね。笑顔はけっこうかわいいじゃん。

「何ニヤニヤしてんの? さくらキモい」

 キモいは言うのね……。

「うむ。ニヤけ過ぎだぞ。キモヲタさくら」

 机の上でクロエが腰に手を当て毒舌を吐く。

「やっと口開いたかと思えば、第一声がそれかい!」

 クロエへの鋭いツッコミに村雨が驚き凝視されてしまった。

「さくら? いきなし大声出して、どうかした?」

「あ~、ごめん。昨夜見た駄作アニメを回想していて、ついツッこんでしまっただけ。ハハハ」

 苦しい言い訳で切り抜ける。無理やり過ぎるが仕方ない。

「そ、そーなんだ。さくららしくて、キモいね」

「それ、褒めてないよね? けなしてるよね?」

 村雨とのやり取りの最中、クロエが念話で話しかけてきた。

 俺の霊体に戻ったのか。まったく、話すなら初めからそうしろよな。

(さくら、昨日の奴がまた私たちを探している)

(マジか!? 朝っぱらから執念深い野郎だな。じゃあ今日もおとなしくしてなきゃダメか?)

(うむ、昨日と同様さくらの霊体の中で気配を消すことに徹する。念話も必要最低限度にする。ではな)

(了解)

 クロエとの念話を終えて、村雨の話に気を戻す。

「でさあ、週末仕事で東京なんだよね私。さくらにもお土産買ってきてあげるよ」

「おお、頼む」


 1時間目数学、敵が校内にいること、俺とクロエを探していることを考えるとそのことが気になり、やはり授業には身が入らなかった。クロエからの念話も無く時間が過ぎ、普段通り午前中の授業を終えた。

「さくらって、昼はいつも購買で買ってるよね?」

 村雨がバッグから弁当箱の包みを取り出しながら俺に話しかけた。

「ああ。一香はお弁当だよな」

「うん。いつもお母さんがバランス考えて作ってくれてる。仕事のときもね」

「そっか。モデルだからな」

 俺も高校に入学したばかりの頃は母さんに弁当を作ってもらっていた。でも、働きながら家事もこなす母さんの負担を少しでも減らしたくて1年の夏休み前に弁当はやめた。母さんには「タクも昼は購買のパンだから」って理由を言ったけれど、本心でないのは分かっていたと思う。こんなことを言うとマザコンっぽいけど、いつも弁当を作ってもらってる村雨がちょっと羨ましかった。

「あのさ、良かったら一緒に食べない? 友達も一緒だけど」

「人と一緒というだけでも難易度MAXなのに、女子の中で昼飯なんて拷問でしかないぞ」

 村雨の唐突な申し出に俺は驚いた。正直これは迷惑だ。

「違うよ。男子もいるから大丈夫だよ。昨日さ、みんなに話したんだよ、さくらのこと。川村に拉致られた時助けてくれたって。みんな驚いてたし、感心してた。篠崎すげーって言ってたんだよ。さくらってさ、独り言しゃべったり、アニメとかの話しなきゃ別にフツーだし、背は高くないけどルックスだっていい方だと思うし……。もっと空気読むっていうか、周りと協調した方がいいよ、絶対。私も協力するからさ」

 いつになくマジメな顔で俺をさとすような口調で話す村雨。

「……。」

「さくら?」

「俺がみじめに見えたのか? かわいそうに思ったのか? 俺がオタクのせいで誰かに迷惑かけたのか。誰かを傷つけたのか? 攻撃して、疎外してるのはそっちだろ! 少数が何で多数派の趣味や思考に合わせて発言したり行動したりせにゃならん? 理解してもらいたいなんて思ってない。不当に扱われたくないだけだ。昨日の話は無し。村雨は俺の友達じゃない。ただのクラスメイトだ!」

 興奮気味に口早に話し終えた俺は席を立ち、そのまま購買に向かった。

「さくらっ、私そんなつもりじゃ。」

 村雨は俺の背中越しに声をかけたが後を追っては来なかった。

(さくら)

 1時間目から沈黙していたクロエが念話で俺に声をかけた。

(クロエ、敵のソナーは大丈夫なのか?)

(うむ。昼休みになって5分ほどで敵の霊術は解除されたようだ。昨日は放課後まで粘着しておったのにな。それより、一香のことだが……)

(ああ、わかってるよ。村雨は何も悪くない。俺のこと心配してくれたんだよな。で、自分の友達にも俺のこと話して……)

 村雨が俺を気遣ってくれたのは分かっていた。タクがいなくなってから自分が孤立していることも承知だし、俺がそれで良しとしているのだから他人にとやかく言われる筋合いは無いと開き直っていた。そんな俺が村雨を助けて人と関わりを持った。村雨は友達として純粋な気持ちで俺を心配してくれただけだ。価値観は人それぞれで趣味や思考も十人十色。友達だからといって自分の価値観を肯定してもらおうなんて思いはおこがましい。お互いが共有して楽しめることを探す努力も必要なのかも知れない――。

(では、さくらは一香の友達だな)

(ああ、友達だ。教室戻ったら謝るよ。仲直りしてもらうよ)

(うむ。それが良い)

 クロエは、まるで自分のことのように嬉しそうに答えた。が、それもつかの間、クロエが緊迫した声で叫んだ!

(さくら、急いで戻れ! 敵が臨戦態勢でさくらの教室の方に向かっている!)

(そんなっ! 俺達ばれたのか?)

 俺は全速力で廊下を走り出す。

(所在は認識されていないはず。敵はおそらく、絞り込んだ3つのクラスを1つずつ無差別に攻撃するつもりだろう)

(クソっ。こんな堂々と攻めてくるなんて)

 教室では半数以上のクラスメイトが昼食をとっている。村雨だって残っている。俺の脳裏にタクミと恐喝グループの事件がフッと浮かんだ。午前中までの退屈で平和な時間が一変してしまった。学校でカオスや惨劇なんて――。

実体化したクロエが俺の左肩、いつもの定位置につく。3階への階段を駆け上がったその時だった。

 パーン!ガッシャーン!!

 俺のすぐそば、2年1組の教室の窓ガラスが粉々に割れて飛び散り、その爆風で俺も吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

「うっ、痛ー」

「さくら、大丈夫か? すまない。反応できなかった」

 横たわる俺の顔の横でクロエが心配そうに謝った。

「俺は大丈夫。クロエ、教室の中は? 生徒は?」

 クロエが2年1組の教室を確認する。教室から1人の男が出てきた。見覚えのある背格好にスーツ姿。

「ここでは、なかったか。次に行くとしよう」

 そんな、古典の佐々木先生!彼のそばに精霊も見える。確定だ。まだ俺とクロエには気づいてない。

 さっきの爆音に驚いた生徒たちが教室から出てきた。

「何だ、今の音?」

「1組のガラス、全部割れてるよ」

「先生呼んだほうが良くない?」

 俺のクラスからも野次馬が廊下に出てきた。その集団の中に村雨の姿もあった。

「邪魔な人間のガキどもが。吹き飛べ! ラファール!」

 佐々木の精霊が霊術を放った。

 いきなり突風が廊下を吹き抜ける。廊下の窓ガラスが飛び散り、吹き飛ばされた生徒たちは天井、壁、廊下に叩きつけられた。皆、ガラスの破片で傷つき手足や顔から血を流している。

 村雨は?

 彼女は教室の扉に精一杯しがみついたまま、しゃがみ込んでいた。無事だ。

「ほ~。こしゃくなガキが一匹残ったか。佐々木、吹き飛ばせ!」

「我は古の血を受け継ぎし者。風の力を宿す者なり――」

 佐々木の術式詠唱が始まった。

 クソっ。

「村雨ー。逃げろっ! 走れー!」

「さ、さくら? 無理。立てない」

 村雨は恐怖で声が震えていた。

「クロエ、先に村雨を助ける! サポート頼む!」

「了解した。オウガメント!」

 クロエが俺の体全体に強化霊術をほどこす。

 グンっと一気に加速し、佐々木のすぐそばを低い体勢で走り抜けて村雨を両手で抱きかかえる。

「――精霊王の末裔の力、ここに顕現せん。ラファール!」

 佐々木が詠唱を終えると同時に再び突風が襲い掛かる。

「クロエっ、着地頼んだ!」

 村雨を抱きかかえたまま、3階の窓から飛び降りる。

「ポワソヴァール!」

 地面から数10cmのところでフワッと体が軽くなり、ゆっくりと柔らかに着地した。すでにグラウンドでは、避難した生徒達が先生の指示に従って整列し点呼をとっている。3階に取り残された生徒が心配だ。早く戻らないと……。

「一香、大丈夫か? ケガしてないか?」

「う、うん。多分、大丈夫。びっくりして動けないだけ」

 村雨は抱きかかえられたまま、両手で俺のYシャツをギュッと握り締めている。

「今、みんなグラウンドに避難してる。一香も避難してくれ」

 抱きかかえていた村雨をそっと離す。村雨はゆっくりと立ち上がったものの、まだ俺のシャツを握ったまま離そうとしない。

「さくらもっ、さくらも行こう。一緒に行くよね?」

 村雨が今にも泣き出しそうな顔で同意を求める。

「俺は……戻らないといけない」

「何で? さっきの佐々木、見たじゃん。危ないよ。何で戻るの? 私、怖いよ。さくらが、佐々木に……。」

 弱々しく話す村雨の体が震えている。

「なあ、一香。さっきはゴメン」

「え、何のこと?」

 村雨が目をパチクリさせる。

「一香がせっかく昼飯誘ってくれたのにあんな言い方して怒って……。許してもらえるなら、また友達になってくれるかな?」

「う、うん。もちろんだよ」

 村雨が嬉しそうにうなずいた。

「じゃ、ちょっと行ってくるわ。怪物化した教師を俺の超絶パワーの霊術でぶっ飛ばして、仲良くなったクラスメイトの美少女モデルに恋愛フラグ立ててやるゼ! キリッ!」

「プっ。何それ? さくらキモい」

 村雨に笑顔が戻った。そしてグランドに向かってゆっくりと歩き出す。

「さくら、助けにきてくれて、ありがとう。必ず戻ってきて」

 村雨は振り返り、そう俺に告げるとグラウンドまで駆けていった。

「クロエ、行こう!」

「うむ」

 助走をつけてジャンプする。そのまま3階の窓から廊下に入る。さっきと同じ場所、2年1組の教室前に佐々木は立っていた。

「篠崎、君だったとはなあ。ずいぶん探したよ」

「先生、全部理解した上でこんなひどいことやったんですか?」

 信じがたい状況に直面しながら、俺は毅然と佐々木に向き合った。

「ひどいとは? 君も含め精霊と一体化した私達は、この地上で神にも等しい存在となった。今、私達はこの地上の頂点に君臨しているのだ」

 佐々木は流暢に話しながら自分の台詞に酔いしれるかのように笑みを浮かべている。

「先生さ、そんだけはっきり話せるなら古典の授業でも頼みますよ。まあ俺は今のあんたより、声小さくて滑舌悪いけど、人が良くって気さくだった古典の佐々木先生の方が好きだったけどな」

「佐々木、俺の言った通りになっただろう。ノコノコ殺されに来やがった。おいお前、エキスパートから何人光臨した?」

 佐々木の精霊が威圧的にクロエに質問した。

「貴様に話す必要は無い。すみやかに臨戦態勢を解除し、霊人分離を行い投降しろ!」

 クロエは毅然とした態度で、凛とした表情で言い放った。

「お前、新兵か? 分かってないようだから、俺が力の差ってのを教育してやる。佐々木っ!」

「我は古の血を受け継ぎし者。風の力を宿す者なり――」

 佐々木が術式詠唱を開始した。

「さくらっ、詠唱完了前に間合いを詰めるのだ。離れていては私達に不利だ。オウガメント!」

「わかってますよ! それっ」

 強く踏み込み、一気に佐々木との間合いをつめる。この距離なら蹴りが届く。自然と体が動く。佐々木の顔面めがけて上段の蹴りを入れたその瞬間。

「ヴァンドブークリエ!」

 佐々木の精霊の防御霊術により風圧で蹴りが跳ね返され、そのまま俺は吹き飛ばされた。

「さくら、大事無いか?」

「イテテテっ、くっそ。やば!」

 佐々木が詠唱を続けている。

「精霊王の末裔の力、ここに顕現せん――」

 まずい、あの突風がくる。

「クロエっ、強化増幅頼む!」

「ルドゥーブル オウガメント!」

 俺は素早く起き上がり、佐々木の足元に渾身の力で拳を叩き込んだ。

 ドッゴーーーン!

 廊下の床が抜けてそのまま2階廊下に崩れ落ちる。佐々木は体勢を崩して落下し体を殴打した。チャンスだ!俺は倒れている佐々木のみぞおちに鋭い突きを入れた。

「ウグっ。ウ~」

 佐々木が苦悶の表情を浮かべて腹を抑えながらうなり声を上げた。

「さくら離れろ!」

 クロエが叫んだ。

「トゥルビオン!」

 やばっ!人体を物理攻撃しても、精霊にはノーダメージだった。

 俺の体は強風に押し上げられ、グルグルと風の渦の中でなすすべなく傷つけられていく。刃物で切り付けられているかのようだ。

 クソっ、出られない。

 佐々木がゆっくりと立ち上がった。佐々木の胸の前に奴の精霊が浮遊してあからさまに嘲笑している。

「そのまま風の中で切り刻まれたくはないだろ? お前らの戦力と戦略を教えろ! 素直に吐けば、トゥルビオンを解除してやる」

 佐々木の精霊が勝ち誇ったように得意げに叫んだ。

「ぐ~っ。さ、さくら、大丈夫か? すまない、私の判断が遅れたせいで……」

「クロエのせいじゃないっしょ。クソっ、クロエこそ大丈夫か? 霊術は精霊にもダメージあるだろ」

 クロエの小さな体も傷だらけだ。彼女は歯を食いしばって痛みに耐えている。

「なんの、これしき。私は、まだまだこれからだぞ!」

「俺と同じ意見で嬉しいねっ。んじゃ、まずはここから出るとしますか!」

意識を集中させ、霊力を統一させて術式詠唱する。

「吾、光の盾を求めて来たらん。聖なる光流れいる。邪なる気を祓い、悪しき力を清め給う。レフレクシオン!」

 ブワーン!!

 クロエと俺を包んでいた風の渦が消え、廊下に着地する。2人とも傷まみれの血だらけだ。体中が痛いし、関節もギシギシいっている。足もガクガクだ。

「篠崎、もう抵抗はよせ。私達と君達とでは力が違い過ぎる。十分に理解しただろう。そもそも彼ら、下級、中級精霊は不当な扱いを受けてきたのだ。そして平等と自由のために戦っている。そんな彼らに器として選ばれた私達は、崇高な存在だ。精霊と一体化した者、霊人合一者はこの地上界を正しく管理する責任がある。そのためには、多少の犠牲は仕方のないことだ。それに比べて篠崎、君の精霊はなんだ? 正義感ぶって口先だけの非力な偽善者じゃないか。真の弱者から目を背け、愚かで無知な人間を擁護するとは邪霊に等しい!」

 傷だらけのクロエの顔が悔しさでゆがんだ。小さな両手の拳を握り締め、グッと歯を噛み締めている。

「おいっ! お前もう黙れ。合一者が地上を正しく管理する? 横暴に支配するの間違いだろっ。俺はバカだし、オタクだし性格も曲がってる。けどな、クロエは賢いし勇気もあるし、この世界を弱い人間を守るために真っ直ぐなんだよ!」

 俺は佐々木に向かって吼えた。

「篠崎、残念だ。君を裁かねばならない。甘んじて裁きを受けなさい」

「言ってろっ! 中二病教師が!」

 一気に後退して佐々木との間合いをあける。

「さくらっ、離れてはいけない。霊力も残りわずかだ。霊術もあと1回が限度だ。近距離で体術を使って押さえ込む以外に方法は無い」

 佐々木の詠唱が始まった。

「クロエ、残ってるありったけの霊力使ってさっきの反射の盾出すぞ! 賭けだけど、この廊下とこの距離、多分直線的な攻撃霊術がくる。それを跳ねっ返して奴らにぶち当てる!」

「うむ、私はさくらを信じる!」

 クロエの真っ直ぐに見つめる瞳に強い意志を感じた。俺は急いで詠唱を開始する。

「吾、光の盾を求めて来たらん。聖なる光流れいる。邪なる気を祓い、悪しき力を清め給う。レフレクシオン!」

 かざした両手を中心に、俺の身長よりも高い白銀に輝く楕円形の光が現れた。

「我は古の血を受け継ぎし者。風の力を宿す者なり。精霊王の奥義の力、ここに顕現せん。マキシマムヴァン!」

 佐々木の詠唱が完了した。俺の体が一瞬ふっと吸い込まれるように引っ張られたかと思うと、けたたましい轟音と共に廊下や壁、天井をえぐりながら強風が迫ってきた。見えない風が光の盾に衝突する。すごい威力だ。かざした両手が弾かれそうになるのを必死でこらえる。

「さくらっ。頑張れ!」

 クロエが小さな両手で俺の手を支え、必死になって風の力を押し返す。

 そうだ!頑張るんだ!こんな奴らに負けられない。クロエを負けさえちゃいけない!

「ううりゃあああ!」

 ゴゴゴゴゴオォー!

 佐々木の霊術を押し返す。跳ね返った風の力は勢いをそのままに、佐々木とその精霊に襲い掛かった!

「何っ!」

「ヴァンドブークリエ!」

 佐々木の精霊がとっさに防御霊術を発動させるも、強風の勢いに飲み込まれて壁を貫き中庭に落下した。

「クロエ、俺達やったのか?」

「うむ、命中だ。さくら、すごいぞ!」

 クロエが俺の手をパシパシ叩いて喜びをあらわにした。

「ああ、行こう」

 傷ついた体を引きずりながら階段を下りて中庭に出る。佐々木は赤ちゃんがハイハイするように、地面を這って学校から離れようとしていた。佐々木の精霊の姿がぼんやり霞んで見える。消えかかっているのか?

「待てっ、佐々木!」

 俺が叫んだその時だった。

「フランム!」

 どこからか聞こえたフレーズと共に、佐々木とその精霊は大きな炎に包まれた!もがき苦しむ2人。俺はボロボロのYシャツを脱ぎ、バタバタと佐々木の体に当てて火を消そうと試みる。

「クロエっ、火が消えない!」

「無理だ。霊力は使い切った。私達の生命維持がやっとだ!」

や がて炎の大きさは増し佐々木とその精霊の姿は消えて無くなった。2人を焼き尽くした炎が徐々に小さくなり、そこから1人の男と精霊が姿を見せた。

「ふう。目立ち過ぎだ。まったく。あれだけ隠密に遂行しろと命じたのに……」

「下級精霊なんて、所詮こんなもんでしょ。風の精霊王の霊質を継いでいるって聞いたから期待してたけど、がっかりね」

 男とその精霊が俺たちに視線を向ける。

「お前ら、なんで佐々木を殺した? 仲間じゃないのか?」

「はじめまして、篠崎君とモンフォールさん。僕はギルド、『ブランデファンス』のマスター宇崎清二。こっちはリナ・モロー。よろしくね。あ、佐々木は僕の部下だから気にしなくていいよ」

 男は平然とした様子で自己紹介を始めた。

「部下でも、仲間でも同じだっ! 殺していい理由なんて無い!」

 こみ上げる怒りをそのまま宇崎にぶつける。

「怒らせちゃったみたいだね。話はまた今度にしよう。じゃ、また近いうちに」

 宇崎は俺達に向かって手を振ると、フワッと空を舞い彼方に消えていった――。

「さくら、今はとりあえず他の生徒達と同様、避難場所のグラウンドに移動しよう。もう警察やレスキュー隊も来ている。先ほどの男、宇崎清二のことはまたあとだ」

「ああ、そうだな。クロエ、ありがとう。クロエのおかげで何とかなったよ」

「さくら、見事な戦いぶりだったぞ!」

 俺とクロエはお互いの顔を見合わせ、ニッコリ微笑んだ。


 グラウンドはパニックに陥った全校生徒と、それをなだめようと必死な先生達でゴチャゴチャになっていた。俺のクラスメイトの集団を見つけてさりげなく入り込む。日ごろから教室でひっそり生きてきたステルス機能がここで役立つとは思っても見なかった。

「さくらっ!」

 村雨が走ってきた。

「ほら、ちゃんと戻ったろ」

「うん。でもさくら、傷だらけだよ」

 目に涙を浮かべながら村雨は心配そうに俺を見つめた。

「大丈夫。かすり傷だ。どうよ? 恋愛フラグ立てちゃった? ハハハ」

 俺は大げさに笑って見せた。

「フフフ。バカ」

 村雨は涙を溜めながらも、ちょっと嬉しげに微笑んだ。

 ん?村雨、もしかして照れてる?

「あのさ、さくら。教えてほしいんだけど……」

「ああ、佐々木先生のことは、ちゃんと説明するよ。今ここじゃ無理だから、別の日に……」

 信じる、信じないは別として村雨には本当のことを話さなくてはならないと思う。きっとクロエも理解してくれるはずだ。

「いや、それもそうなんだけど……」

 いつもはっきりとした物言いをする村雨にしては歯切れの悪い話し方をする。

「ん?」

「さくらの左肩に座ってめっちゃニコニコしてる子って、誰? っていうか、何?」

「へっ? えええ!」

 驚きの声を上げながら、俺とクロエは傷だらけの顔を見合わせた――。



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