第二話 優しい死神
魔王という名のセイレーン
優しい死神
1
『魔王…』
声が聞こえた気がして、青年は辺りを見回す。
後ろを振り向くと、猫がいた。
「にゃあ」
猫が鳴く。
振り向いた青年の鼻立ちは、端正なものだった。
「こいつ…」
思わず独りごとのように呟く。
しかし、それは呟きではなく猫に向けたものだった。
答えるように、猫ももう一度鳴いた。
「あれ、シュベルツ」
もう一人、青年がそこに現れた。
「ミュージ」
「どうしたの?こんな町外れまで」
「ミュージこそ。今日は雨だから平気ですよ」
「うん、でも遅かったから、そしたら猫が」
「…にゃあ」
猫は鳴くと、町の家というにはおおよそ遠い、家に入っていった。
「今の猫がね、ここに連れて来たんだ」
「ここに、ですか…」
端正な顔を持つ青年は、家を見る。
「どうしたの?シュベルツ」
「同業者の匂いがしたんです」
「猫、が?」
「ええ…猫も、この家も」
「同業者って?」
「…気にしすぎかもしれません。帰りましょう」
来た道を戻る、二人の青年。
その様子を見ている、一匹の猫。
『見つけた…あの子を救える、魔力を持つ者…』
2
「シュベルツ」
私は名前を呼ばれ、声のする方を見た。
青年が、ピアノのイスから立ち上がり、こちらに来るところだった。
「ミュージ、どうかしました?」
「これ、新曲。歌ってみて」
私は楽譜に触れると、文字を読むことなく歌い始めた。
声が、家の空気を震わせていく。
ミュージは目を閉じて、その歌を聞いていた。
私が歌い終わると、ミュージは少し考えて言った。
「こっちはどう?」
もう一枚楽譜を出して、私に渡す。
私はやはり、寸分迷わずに声を出す。
「…さっきの方が歌いやすい、ですかね」
「うん、わかった。ありがとう」
ミュージは二枚の楽譜を私から受け取ると、さらさらと書き込みをした。
「にしても…羨ましいね」
ミュージが私を見つめる。
「譜読み、必要ないんだもんね。セイレーンとは言え…まだ不思議」
私はそれを聞いて苦笑いをした。
3
私は、魔王と呼ばれていたセイレーンだ。
ミュージは私の契約者…マスターだ。
ミュージが私の封印を解き、契約を交わしてから少し経つ。
それと同時に、ミュージが私の以前のマスターの子孫だと知った。
契約を交わしたものの、ミュージは特に私に命令することなく過ごした。
ミュージはそれでも私を必要としてくれた。
私もミュージとのこの生活が好きだった。
「…あれ?」
私が物思いにふけっていると、ミュージが何かを見つけたようだった。
「シュベルツ、また来てるよあの猫」
「え?」
窓の外を見ると、確かに猫がいた。
一週間前朝の散策で見かけた猫で、あれから何度か猫はこの家にきた。
外は雨雲で暗くなりつつあった。
「入れてあげようか…ひと雨来そうだし」
私はこの猫を家に入れることに、反対していた。
この猫に初めて会った時に感じた『同業者』の匂いを気にしていた。
しかし、今日はこの天気だ。
「そうですね…仕方ないですね」
ミュージがドアを開ける。
それを分かっていたかのように猫はドアの前にいた。
猫と目が合った、その時だった。
『やっと会えたな、魔王』
「!」
「シュベルツ?」
「こいつ…やはり」
ミュージにはその声は聞こえていないようだが、私には分かった。
この猫の、言っていること、そしてその正体も。
『俺の名はタナトス。…死神』
4
「死神?」
僕がそれをシュベルツから聞いたのは、猫の訪問からしばらく後だった。
シュベルツと猫はしばらく何かを話していた、ように見えた。
正しくは、猫はにゃあにゃあと言っているだけだった。
シュベルツは普通に、人間の言葉で猫に話しかけていた。
シュベルツはうなずき、言葉を続けた。
「ええ、この猫は死神。名前はタナトスです」
「…にゃあ」
「死神…って、誰かを殺しに来たってこと?」
おそらく違うと思いつつも、一般的なイメージを言う。
「人間の世界ではそう思われてますね。でも」
シュベルツは猫をイスの上に乗せる。
タナトスと呼ばれた猫は器用にテーブルに前足をかけた。
「にゃあ、にゃあにゃあ」
「それは人間の勝手な妄想、実際はただ、死を知らせに来るだけ」
「…って言ってる?」
「まぁ…実際、私たちの世界でそういう存在でしかないですね」
「じゃあこの猫…タナトスも」
「にゃあ」
肯定するようにタナトスが鳴く。
「でも、死ぬのは別にミュージじゃないですよ」
「ああ…そう」
ちょっと安心した。
ふと、この猫を見た時に、辿り着いた家のことを思い出した。
「もしかして、あの家」
同じ町外れでも、正反対の町外れだから気にしたことはなかったけれど。
そう言うとやはりタナトスはにゃあと鳴いた。
5
(人がいるような気配はなかったけど…)
「あの家には、誰がいるの?タナトス」
タナトスは少し黙る。
「にゃあにゃあ…」
「あの家にいるのは」
シュベルツが話す。
「にゃあ」
「重い病の娘」
「娘、女の子?なんであんなところに?」
「にゃあ…」
タナトスの鳴き声が少し寂しそうになった気がした。
思いついたことは、二つ。
(感染…あるいは)
「見捨てられた…」
そうではないだろうと期待を込めつつ言った。
僕がここに住むのと同じように?
そんなこと…悲しすぎる。
けれどタナトスは、黙ってしまった。
それは肯定としか思えなかった。
「そうなの?シュベルツ」
「ええ。残念ながら」
「そう…でも、何故うちに?」
「ああ、それは…」
6
「私は過去に、流行り病の人々を眠らせることが出来ました」
ミュージと契約を交わした時に、ミュージが調べてくれた話。
前のマスターの力と私の力を合わせて、出来たこと。
ミュージも契約を交わした時に同じ力を持っていると知った。
「じゃあ、それで僕たちに?」
ミュージが納得したように言った。
『あの子は痛みで満足に眠れていない。それに孤独だ』
タナトスが言った。
私は魔物という性質上、病の苦しみは分からない。
けれど、傷つく痛みは嫌というほど知っている。
孤独という痛みも。
しかし…。
「ミュージの力がないと私は…」
ミュージを巻き込むのは、正直気が引ける。
けれど、ミュージがいないと私はその子と話すことすらできない。
(私は…セイレーンだから)
悩んでいると、ミュージは言った。
「シュベルツは…どうしたい?」
少女の、孤独と苦痛を消せるなら。
「行きたいです。一緒に来てくれますか?ミュージ」
ミュージはそれを聞いて、にっこりと笑った。
7
タナトスの先導で、私とミュージは病の娘の家に向かった。
私は万が一にでも言葉を発しないようにミュージのマフラーで口を隠した。
家は、一週間前に見たときよりも、随分とボロボロに見えた。
ミュージがドアを開ける。
ベッドには思ったよりもずっと幼い娘が眠っていた。
タナトスがベッドに近づくと娘が眼を開ける。
「ノワール…お客さん?」
「にゃあ」
「えっと、クランちゃんかな?」
「はい。あなたは?」
「僕はミュージ。こっちはシュベルツ。タナトスに呼ばれて」
クランという娘は疑問詞を顔に浮かべる。
「あ、タナトスじゃなくて…」
「この子はノワールよ。真っ黒だから…っ」
ゴホゴホとクランが咳をした。
咳をした後も、顔が引きつっていた。
クランの体を痛みと苦しみが襲っているのが分かる。
(咳のしすぎで鎖骨もいっているかもしれないな…)
タナトス…もといノワールはクランから離れ、薬のシートをくわえ戻った。
「ありがとうノワール」
そう言って受け取った薬のシートは何枚もあった。
(こんなに多くの薬を飲んでいるのか)
「いつもこんなに薬を?」
ミュージも同じことを思ったのだろう。
「はい…これは気管支を広げる薬、これは咳止め、これは痛みどめ…」
カラフルな錠剤が並ぶが、ちっとも綺麗に見えなかった。
クランは薬を飲んでしばらくすると、うとうとし始める。
姿勢を変える度に苦痛に顔が歪んでいた。
ミュージと私は顔を見合わせて、私は歌い始めた。
8
僕とシュベルツがクランの家に通うようになって、数週間が経った。
最近は、日差しが強くなければシュベルツ一人で行くこともあった。
たった数週間。
なのに、クランが衰弱しているのは手に取るように分かった。
シュベルツ一人で、というのは僕が喋る必要がないことが多くなったから。
シュベルツが家に行くと、ほとんどクランは眠っているらしい。
そして、やはり苦痛に襲われているようだった。
タナトスはしばしば僕らの家に来て、僕らがいない間の様子を告げる。
回復の兆しは見られないが、眠りは深くなっていると言っていた。
タナトスは僕らに感謝をしていた。
深い眠りをもたらすだけでなく、孤独を薄めてくれたことに対して。
けれど、少しでも死に関する話題はだんまりを決め込む。
それが、クランに直接関係なくても。
今日もシュベルツはクランの家に行っていた。
カタンとドアの開く音。
「シュベルツ、おかえり。タナトスも一緒だね…ん?」
シュベルツとタナトスの様子がなんだかおかしい。
「どうかした?二人とも」
シュベルツは赤い目をしていた。
涙をこすった痕だ。
タナトスの耳は垂れていて、やはり悲しそうだった。
「今日、私が歌っていたら、クランが眼を開けて…」
「…にゃあ」
「タナトス?シュベルツ…タナトスはなんて?」
「クランが…殺してくれと言いました」
9
「え…」
僕が黙っているとシュベルツはふらふらと歩き、イスに腰かけようとした。
しかし、上手くいかず、シュベルツは床にしりもちをついた。
「シュベルツ!大丈夫?」
シュベルツには痛みよりも、悲しみの方が勝っているようだった。
タナトスは、悲しそうだが、来るべき時が来たという感じだ。
ただ、早すぎる気がした、とシュベルツが訳してくれた。
「クランは、私が人ではないと分かっているようでした」
「でも、シュベルツが歌っていれば、眠りが深くなるんでしょ?」
「もう…それだけでは、抑えられないんです」
「だから、殺してって?」
沈黙が、重い空気が家の中に充満していく。
「…にゃあにゃあ…」
その場には普通ではおよそ似つかわしくない猫の鳴き声
「タナトス!それは…私には…」
「シュベルツ、タナトスはなんて?」
シュベルツは、何度も言いかけて、何度も首を振った。
「シュベルツ、言え」
僕が滅多に使わない命令口調。
それは、契約の発動。
「タナトスは、『魔王』なら可能だろうと…」
「魔王ならって…セイレーンのシュベルツってこと?」
「私の死に誘う力で…眠るように、殺せと」
10
「そんな…」
「私には、出来ない!クランを殺すなんて!」
私の叫びに、ミュージも顔を曇らせた。
『けれど、クランはそれを望んでいる』
タナトスが言うと、私はクランの言葉を思い出した。
『もう助からないって、分かってるの…』
『だから、苦しいのはもう嫌…』
『殺して…ください。死神さん』
私は何も言えなかった。
その言葉は、毒だから。
涙を流すしか…出来ない。
『泣かないでください』
細い指が私の頬に触れる。
力の無い、とてもとても細い指。
(クラン…)
「第一…本当に眠るように、殺すなんて出来るのか」
『やってみなくちゃ分からないな、こればっかりは』
タナトスがにゃあと鳴いた。
「やってみなくちゃ?って?誰に、試せるって言うんですか?」
思わずタナトスに怒鳴ってしまう。
段々と、冷静でいられない自分にもイライラしてきた。
私の指が、自分の手首を掴もうと動く。
ミュージがそれを察していち早く私の手を止めた。
「シュベルツ、自分を傷つけるのは止めてっていったでしょ?」
「しかし…」
ミュージは少し考えて、楽譜を取った。
「これ、歌ってみて」
「これは…子守歌?」
「うん。それでね…」
11
ミュージの手が私の両手を握る。
いつもより熱い。
それに、震えている。
「ミュージ?」
「僕を…殺すつもりで歌ってみて」
「そんな!出来ません!!」
「シュベルツのセイレーンとしての魔力が僕には効きづらい」
「けれど…失敗したら?」
「大丈夫。僕の歌なら」
それに…とミュージは続ける。
「この曲ね、安心して眠りについてって想いを込めた曲なんだ」
ミュージの歌が特別な力を持っているのは知っている。
しかし。
それでも。
けれど。
「絶対に、大丈夫…歌え」
私の頬を汗がつたう。
汗をかいているのに、酷く寒く感じた。
12
「シュベルツ…お疲れ」
家から出て来たシュベルツに、僕は声をかけた。
その目の周りはまだ赤い。
「にゃあ…ん」
タナトスもシュベルツに何かを言ったようだ。
「謝ることはない…あの子は、クランは笑顔です」
僕が家の扉をそっと開けると、あどけない少女の抜け殻がそこにいた。
まるで静かに眠っているかのようだった。
もう、苦痛に顔をゆがめることはないのだ。
「…葬ってあげなくちゃね。タナトス、どこがいい?」
「にゃあにゃあ」
「花畑が、少し歩いたところにあるそうです」
「じゃあ、そこにしようか」
「…ミュージ」
「ん?」
「何故、歌を変えたんですか?」
僕は、手を動かしながら、答えた。
「さっき…シュベルツの歌で、見えたものを、歌にしたんだ」
「私の、歌で?」
「そう」
もう冷たくなった少女の体を毛布でくるんで、僕は担いだ。
少しよろけてしまったのは、今言った、シュベルツの歌のせいだろう。
よろけるほど、重くはない。いつもならば。
シュベルツがそれを見て、クランの体を僕から取った。
クランを担いだシュベルツは、やはり言った。
13
「軽いですね…」
「うん…軽いよ」
「魂も、もうここにないから…それが、分かってるから余計に」
「そうだね…」
無言で僕らと一匹の猫は花畑に歩いていった。
いつもならば、綺麗と感じるだろう一面の花畑も色あせて見えた。
軽すぎるその体を、花で覆う。
「クランはね、星になったんだ」
僕がポツリと言うと、シュベルツが僕に続いて言った。
「星になる…さっきの歌ですね」
「うん。シュベルツのおかげで、幸せで逝けたと思う」
「…」
「あの歌ね、あの子が星になっても、僕らは大丈夫だよって歌」
シュベルツはさっきの歌を思い返しているようだった。
「ミュージ」
帰り道でシュベルツは改めて僕に聞いた。
「さっきの私の歌で…何を見たんですか」
14
『ミュージ!しっかりしてください!』
『にゃあにゃあ!にゃあ…っ』
『ああ…だから私は…』
『う…シュベルツ…?』
『ミュージ!大丈夫ですか?』
『う…ん、大丈夫』
『良かった…あなたを失ったら私は…』
『さっきの楽譜…』
『え?』
『楽譜取って!』
『にゃあ』
『ああ、ありがとタナトス』
『ミュージ、何を?』
『これは…こうするんだ!』
15
「死の淵って、何かこう…場所があるのかなぁって思ってた」
「死の淵…」
「でもね、ただ何もないところに、投げ出された感じ」
私はミュージの話を聞いていた。
私の死を誘う歌を聞いて、倒れこんだミュージが見た景色のこと。
何を、思ったのか。
私は死んだことはないから、分からないけれど。
「で、何を思ったかっていうと…シュベルツのことを思った」
「私?」
「うん。シュベルツ残して、シュベルツはどうするのかなぁって」
「私、は…死ねません、が」
思わず口ごもった私を見て、ミュージが焦った。
「ああいい、そういうことを聞きたいんじゃないから」
「…すみません」
死ねない体で死ぬことを考えるなんて、ナンセンスだ。
想像もつかない。
でも、ミュージを失ったら。
「私も…死にたくなるでしょうね」
ミュージが少し驚いた顔をした。
「?」
「あ、ごめん。あの子…クランも同じようなこと心配してたから」
16
「それって…」
「知り合ってそれほどでもないのに…僕らのことや、家族のこと」
あの小さな細い体で、重いものを背負って。
それは病だけではなかったのだろう。
家族は、あの子を見捨てたのに。
僕らは、あの子を殺すのに。
「それとね、シュベルツに伝言」
「伝言?」
「ありがとうって。いつも歌ってくれて…殺してくれて」
「殺してくれて、って…」
思わず私は目に手をやった。
「泣かないでよ、シュベルツ」
「な、泣いてません!」
「そうかなぁ…あ」
ミュージが上を見上げると、雨が降ってきた。
「空が泣いてるみたいだ…」
「はい…私の、代わりに」
「やっぱり泣きたいんだ?」
「え、あ、あの」
「いいんだ…僕も、たまには泣きたい」
ミュージは、うっすらと笑みを浮かべて、空を仰いでいた。
あの子の、最期の顔のようだった。
17
「にゃあ…」
二人の青年の後ろに猫がいた。
「あ、タナトス」
ミュージと呼ばれている青年が振り返る。
「君も、うちに来るかい?」
「ミュージ…いいんですか?死神ですよ?」
「いいんだ。この子は悪くない」
青年は、黒い猫を抱きあげた。
「この子は死を招くんじゃなくて誰かが孤独死するのを防いでるんだ」
「ですが…」
「それに、今更居候が一人増えたって変わらない」
「…!」
端正な顔の青年が、少し顔を赤らめた。
「どうする?タナトス」
「にゃあにゃあ…にゃあ」
猫は何かを言って、去っていった。
「あーあ、行っちゃった。最後、なんて?」
「お前たちに死の影は似合わない…それと」
「それと?」
「不思議と、死の匂いがしないと言ってました。セイレーンなのに」
「ふーん…そっか。帰ろうか、シュベルツ」
ミュージという青年は、猫を見送り、また道を歩き始める。
端正な顔立ちの青年も、それを追って道を歩き始めた。
優しい死神・完
2010年6月24日