2::殺気なきプレッシャー
呼吸も乱さずに長い階段を上りきった少女は、目の前にある大きな門を見上げていた。
珍しく雲一つない青く突き抜けるような空に、真っ白い鳥が、門出を祝うように美しく舞う。
城壁のように存在感のある学園の門が、少女の前でゆっくりと軋んだ音を立てて誰もいないのに開き始める。
――――果たして、この門は、牢獄か天国どちらへの入り口だろうか?
ふと、少女の小さな問いにを口にする。しかし、この場には少女以外の姿は見受けられない。答える者はいない問いはただ空中に溶けていく。
「それじゃあ、任務開始と行きますか……」
少女は、特に気負うことなく、赤い髪を風になびかせながら学園の門をくぐっていった。
朝の騒がしい教室に、規則正しい鐘の音が響く。
学生の一日の始まりの音とともに、がたがたと慌てて席に着く生徒の姿は、どこでも変わらない。チャイムの後に廊下から担任教師の靴の音が、響く。すでにクラスメイトは、皆席についているにもかかわらず教室の前で止まる足音が二つあったことに、少年は他の人に気が付かれない程度に怪訝な顔をする。少年は、自分の兄も同じように不思議に感じているのをかすかな身動きの気配で感じた。
一枚の扉を隔てた向こう側から、感じ慣れた教師の気配のほかにもう一つある。少年の知らないその気配は、やけに存在感を放っているように感じ、少し気になった。
「編入生をお知らせします」
扉を開き教室内に足を踏み入れたのは新緑色の髪を後ろで一つに束ね、グレーのスーツを着こなしたまだ若い女の担任教師。教師は、「おはようございます」などの挨拶をなしに、邂逅一番そう生徒に告げると廊下にいる編入生の名前を呼んだ。どうやら、廊下にある気配は編入生のものらしい。
「クォルツさんはいりなさい」
廊下からやってきたのは、この世のものだとは信じられないような美しい少女だった。
長くつやのある髪は、ドキッとするほど鮮やかな赤。肌は雪のように白く、唇は血のように赤い。紅玉をそのままはめ込んだかのように真紅の瞳を真正面から見た誰もが呑み込まれそうになるだろう。
顔立ちは可愛らしいというより凛々しい。
対鬼学園の黒色の生地に銀色のふちの制服は、まるで彼女のためにデザインされたかのようによく似合っていた。
スカートからのぞく、すらりとして長い手足。そして、制服という布越しでもわかってしまうくびれのある引き締まった身体。赤いリボンが結ばれた胸元は、大きすぎず小さすぎずちょうど良い。
どこか人形めいた非現実さを匂わす美しき少女。
彼女は、カナリアの鳴き声のように美しく澄んだ声で自己紹介をする。
「リコリス・クォルツです。」
あまりにも短かったとはいえ、そこまでは普通で常識の範疇だった。
そこまではただ美人の女の子だった。
少女は前に一歩踏み出した。それは何気ない動作であり、優雅な動作であった。思わず見とれてしまう程…
次の瞬間、異変が起きた。
ビリッ
空気が震えた。
教室の窓ガラスが音を立てて割れて砕け散るような錯覚すらする。
リコリスのプレッシャーが二のE を襲う。
少女の殺気なきプレッシャーに少年たちは、おののき震えた。
この平和ボケした学園の中、久しく感じたことのない感覚は、少年―――ラディ・アスタンとその兄―――レヴィ・アスタン―――世界の敵、暗部に染まった自分たちを少女は震えさせた。
思わず臨界体制に入ってしまったほどだ。心が反応する前に勝手に体が動いていた。条件反射のソレは、生き残るために体に叩き込んだものだ。
それを目ざとく見つけた編入生はその美しい顔に、うっすらと狂気の乗った笑みをたたえる。
「みぃつけた」
少女の唇は音もなくそう確かに動くのを、レヴィは読唇術で読み取った
こうしてラディとレヴィは、彼女と出会った、
リコリスという少女と、もしこのときであっていなかったらラディたちは何もないままの空っぽの心のまま生涯を終えていたのかもしれない。
もしこの世界に神様がいるとするのならば、このとき彼女がレヴィを見つけたことに感謝したい。
☆
考えるのはやめた。リコリスの流儀じゃない。
思ったままに感じたがままで動く。
そうするのが一番効率的であることを知っているので考えるという思考を放棄する。
リコリスは、名乗ってそしてある程度の実力があれば感じられるプレッシャーを放ってみた。
「「「……!!!!」」」
さぁ、どうする。
有能な生徒があふれるこの教室の中で、リコリスが発する気は実力のほんのわずかだけ、いったい何人がこの気に反応することができるかしら? 本気で発したらどうなるかな? 何人か自殺でもしてしまうかな? そんなことしたらさすがに怒られるから、やめておくけどさ。嬉々として教室内を視界に収め反応を確認する。
リコリスの本気の気にあてられて正気が保てるかは謎だし、そもそも、反応できるやつがこの平和な学園の中にいるのか不安になってきたわまぁ、いいわ。一番反応の良いものをリコリスのパートナーにしよう。
ビリリッ
空気が震える。
リコリスの隣にいた担任の教師はどうやら気にあてられたようで座り込んでいる。さすがは、教員ってところね。こんなに若いのに、これをしっかりと感じられさらに手加減されていることをちゃんとわかっている。本当の強さを今漏れ出したプレッシャーから軽く計算して、恐ろしくなったようね。まぁ、この反応ができるってことはなかなかやるってことね。こんど手合せしてもらえないかしら? さて、生徒は、どれくらい、いい反応してくれるかしら? 値踏みするような視線をそれとなく気が付かれないように生徒にむける。
席に座っていた三分の一の生徒が、ごくりと息をのむのがわかる。この子たちは、まだまだ伸びるわ。まぁ、本人たちはこの気があたしから発せられていることにも、これがなんだということもわかってないでしょうけど。感じられるということは、それだけ生存できる確率が増えるということだ。
また三分の二近くは、気に気が付かない。この子たち本当に戦場に出していいのかしら? 「死ぬわよ」とぼそりと心の中でつぶやく。
そして残った数人生徒は担任の教師と同じように椅子の上に座っていられずに床へとへたり込む。この子たちなら戦場に出てもなかなかいい線行くかもしれない。一番大事な部分ができているわ。恐怖心を感じられるのはいいことだ。残念ながら、リコリスの恐怖心はわけあって焼き切れてしまっている。
そして、廊下側から二列目一番後ろの席にいる銀髪に青い目の少年。彼は、リコリスの気に気が付きそしてへたり込まず、臨界体制にすぐさま入った。
その動きの流れはすごくきれいで素早かった。体に染みついた動作を自分でも気が付かないうちにしているのだろう。
そしてその身にまとう雰囲気は―――――――――こいつ実践慣れしている?
威嚇するように彼がまとうのは、殺気だ。「いい!」と思わず口に出してしまいたくなる衝動を間一髪で抑え込む。
リコリスが手加減していたとはいえ気にふれたというのにへたり込まずに反撃しようとしてくるなんて、すごいことだ。少なくともこのクラスで一番強いのは間違いなく彼だ。完全に不意打ちだった今のを受けて実力を隠す方が難しい。こういうやり方は、上弦が入隊志望者相手によくやっているのだ。それをなんとなく真似てみただけだけど結構人材を見極めるのに使えるようだ。こんど会うことがあったら、今回のことを酒のおつまみの一つとして提供しよう。
(この子がほしいわ)
リコリスの気に耐えられて反撃してこようとする銀髪の見目麗しい少年。
見た目もいいし判断力もありそうだし、それに何より体も精神も鍛えているように見受けられる。
あいつの頼みで仕方なく、学校生活を送ろうとしていたけれど、学生生活を送るのも悪くないかもしれない。
あいつの言う通りこういう学校には意外といい人材が眠っているものね。
リコリスはこれからのことを思い、とろけるような甘い微笑みを浮かべた。
その微笑を勘違いした、クラスの男子の数人の顔が赤くなったことには、リコリスは最後まで気が付かなかった。
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★☆★次回予告☆★☆
無事に?対鬼学園の生徒になったリコリス。
気になる生徒を見つけたリコリスは、偶然にもそいつと隣の席になる。
そして、彼女の何気ない一言が、ひと波乱を起こす。