南アフリカから来た先生
FIFAというのでしょうか、その競技が南アで開催された年ですから、去年の話ですねぇ。
僕は毎朝、バスで職場まで通勤してる。
僕の降りるバス停には有名な進学校もあって、出勤のバスのほとんど全員の乗客が高校生である。しかも身動きも、ままならぬ満員状態。
その日は夏休みということもあり、車内はガラ空きであった。
バスの中、ひとりの金髪、青い目の外国人女性がいた。
丸まると太り、決して美人ではないが、愛嬌のある顔立ち、というか‥‥
どんなことにも笑顔で対処するんだろうなぁという印象。
感じ、あくまでも感じであるが、インドの血も多少は流れているのではないか。
降りる時、彼女も降りたので、英語で、「英語の先生?」と聞くと、「はい。あなたは高校の関係者?」「いいえ、違います」
と、別々の方向に歩いていった。
翌々日の朝、バスに乗ると彼女がいた。
「先日はどうも」
「こちらこそ」
「いつ来日したの?」
「先週です」
「じゃあ、日本語は?」
「ほとんどダメです」
「僕も学生のころ勉強したんだけど、それでも会話なんか下手で困ってる」
「いや、なかなか上手ですよ」「で、どこから?」
「南アフリカから」
「ほう、ダイヤで有名な‥‥」
「そうです。買って、くれます?わたしに」と笑顔を浮かべる。
「はは、お名前は?」
「ミッセル」
「ああ、ビートルズの曲にありますね」
「そうです」
「僕、音楽が大好きなんですが、あなたは音楽、どんなものを聞いてますか?」
「クラシクル」「その中では、どの作曲家がお気に入りなんですか?」
「チャイコフスキーとビーソーベン」
「『白鳥』なんてマイナー・キーばかりで作ってあるし、すごいですね。ムーンライト・ソナタも知ってますよ」
と言ってるうちに互いが降りる高校に着き、別れた。
翌週の朝、また会った。
彼女は鞄からA4の紙を取りだし、「自己紹介、書いてみました。読んでください」と言われた。
見ると、彼女の直筆の日本語で、「南アフリカは、景色が非常に美しく、その国からやってきました。明るく、楽しい女の子です」と書いてあった。
「僕、ジャズも好きで‥‥ホリー・コールって、知ってます?」
首を横にふる。
「彼女の曲に『ネオン・ブルー』ってあるんだけど‥‥」
彼女は目を閉じ、曲名を二度くりかえし、目を開けた。
「すごくいいタイトルですね」
「僕が疑問に思ってるのは、どうして『ブルー・ネオン』と言わないかということだけど、何か理由あるのかな?」
確かな返事はなかったように思う。僕のヒアリングが至らなかったのかもしれない。
以来、彼女の顔を見かけることは、なくなった。
僕はいささか行きすぎた洋楽ファンであり、英語に関する疑問点は、実は毎日発生している。
彼女に質問したいが会えない日々が続き、意を決して高校に電話してみた。該当する先生はいないと知らされた。
やがて秋も深まりかけた頃の夕刻、仕事を終え、住む街のバス停で降りたら、彼女が歩いてた。どこか緊張感が見てとれた。
後で知ったことだが、インフルエンザや、それによる学級閉鎖などの影響で、勤務先の変更を伝えられていたようなこともあったらしい。
オフということで化粧っ気もなく、少し浅黒い顔色に見えた。
僕は早口で、「翻訳物の探偵小説も読むのですが、ワシントン、という名前なら黒人らしいということは最近わかってきましたが、他にそのような、黒人に典型的と思われる名前、ありますか?」
彼女は、しばらく考えて、ジョーンズとか、自分には黒人の友人もいて、彼の名はローズであり、南アでは多いと教えてくれた。僕は、これから質問したいこともありそうなので、メルアドを教えてほしいと頼み、応じてくれた。
その夜、デボラ・ハリーの『ブロンディの呪い』を聞き、「ハイホ、ハイホ」という掛け声(?)が気になった。どこかで聞いたことはあるのだが思い出せない。
また自分で書いていた長編小説に、ドアーズの『20世紀のキツネ』を取り上げたのはいいが、歌詞カードによると、「クールな王女」でも、僕には「冷酷な王女」に聞こえたり‥‥
彼女に聞いたメルアドに僕は、「届きましたか」とだけ打ったのだが、返事は来なかった。
数日が経過し、職場の近くのコンビニで昼の弁当を買った帰り、偶然にバスを待つ彼女を見かけた。
「ハイホ」の答えが判った。それで短編小説が一本できた。ずいぶんと下品な作品になったけど。
彼女もドアーズは知っており、調べて返事をくれると言ってくれた。
だけれども、その日を境に彼女とは会ったことも、メールが来たこともない。
風の噂、高校の英語教育方針が変わったと聞いた。
他の高校でもネイティブの先生を1年なり、2年なり続けるケースはないようである。
そう言えば、「日本に来て、何か困ったこと、ありますか?‥‥収入なんか、どうなんですか?」と聞いたら、僕のヒアリング能力を越える英語を話していたが、ニュアンスとしては、ラクな生活ではないことが偲ばれた。
余談をひとつ。彼女のメルアドは末尾がZAであり、SAではない。
メモした時は気づかなかったが、携帯に登録しながら、疑問に思った。
おそらくはSAはすでに他の国が登録してあり、ZAにしたのではないかと推定してみた。
最後に会って話した時、その質問もしてみた。
南アで最も有力な種族では、ザウスアフリカと発音し、そのことも理由のひとつであるらしい。
南アに行って、向こうの人と友達になったら、最後の一文は、ご存じですね。