街での出会い
「昔々、ドロームの地には恐ろしい怪物がいた」
広場に集まる子供達に向かって老婆が語りを聞かせはじめた。大人たちはまたかと眉を下げて笑っている。
「怪物はこの地を全て支配していたのさ。ここには沢山の食べ物があった。私達草食動物はなんとかこの地に入れないかと夢見たけど、怪物が恐ろしくて近付けもしなかった。そんなある日、食べ物を探して三匹の山羊がドロームの地にやってきた」
「えー!」
「だいじょうぶなの?」
すっかり夢中になっている子供達は心配して声を上げた。それに微笑んで老婆は続ける。
「最後までお聞き。ドロームの地に入るには、怪物が見張っている橋を渡らなければならなかった。でもね、橋は古くて、ぎしぎしうるさい。だから三匹一緒には渡れない。三匹は考えて、最初に一番小さい山羊が橋を渡っていった」
「かいぶつにやられちゃうよ!」
「ふふ、そうだね。その小さな山羊が渡ると橋はかたこと音を鳴らした。怪物はすぐに気付いて言ったのさ。『おれの橋を揺らすのは誰だ』ってね。小さな山羊は震えながら『それはわたしです』と言った。怪物は恐ろしい目で山羊を見つめると、『おまえを食ってやる!』と口を大きく開けた!」
老婆が怪物の口に見立てて腕を動かすと、子供達は悲鳴をあげて驚いた。それを見た老婆はケタケタと笑っている。
子供達が落ち着くと、老婆はこほんと一つ咳払いをして言う。
「小さな山羊はね、震えながら言ったのよ。『わたしは小さすぎやしませんか? ほら、この先には沢山の草がある。ちょっと食べさせてもらえればすぐに太ります。そうすれば腹の足しにもなるでしょう?』と。それでも怪物が唸るから、山羊は『わたしの後にもっと大きな山羊が来ます。わたしが太る間にそいつを食べてください』と付け加えた。もっともだと思った怪物は、小さな山羊をドロームの地に通した」
「あぶなかったぁー」
山羊の無事に安心したのか、子供達は一息ついて顔を綻ばせる。そんな彼らに向かって、老婆は鋭い声をあげた。
「安心するにはまだ早いよ! この後に二番目の山羊が来た。彼が橋をかたんことんと揺らすと、怪物は獲物が来たぞと待ち構えた」
子供達の怯えた顔に、老婆は勢いづく。
「『おれの橋を揺らすのは誰だ』! そういう怪物に、その山羊は小さな山羊よりも大きな声で言った。『ぼくだよ』。それを聞いた怪物がその山羊を食おうと襲いかかった!」
「きゃー!」
「……でも、その山羊は口がまわった。『おっと! ぼくを食べるのはまだ早いんじゃない? ぼくを食べ終わるくらいの時間で、あの小さな山羊が太るかな? ぼくの後に来る大きな山羊を食べて、ぼくらが太るのを待ってた方が退屈しないんじゃない?』。その言葉に怪物は小さな山羊を思い出した。あれはとっても小さかったなと思った怪物は、その山羊をドロームの地へ通した」
「良かったぁ……」
「そして!」
「わぁっ!」
勢いのある老婆の語りに、ある子は腰をついて転んでしまい、ある子は隣の子につかまった。
「最後に残った大きな山羊が、橋をがたんごとんと鳴らした。その音はどうにもうるさくて、怪物が嫌な顔をするほどだった!」
先程まで怯えていた子供達は、すっかり目を輝かせていた。
「そんなにおっきいの?」
「かっこいい!」
「そうさ! なんてったって、一番大きな山羊だからね」
老婆は更に勢いづく。
「怪物は『おれの橋を揺らすのは誰だ!』と怒鳴り上げた。すると、「おれだ!」と、同じくらい大きい怒鳴り声が帰ってきた。怪物はその山羊の大きさに驚いたが、こんなに大きいのなら、食べ終わる頃にはあの山羊達も太っているに違いないと思った。『おまえを食ってやる!』と怪物が構えると、大きな山羊は硬い蹄を鳴らした。『さぁ、来い! この槍で串刺しにして、この石で踏み潰してやる!』と、大きな山羊は怒鳴った」
「やりといし?」
「ツノとヒヅメだよ。山羊だもん」
一人の子供が首を傾げると、隣にいた子がこっそり教えてやった。
老婆はそれを見届けてから、立ち上がって腕を振り上げた。
「大きな山羊はたちまち怪物の目を貫いて、骨を踏み砕いてバラバラにし、怪物を谷底に放り投げた! そして二匹の山羊の元へ行き、三匹でたらふく飯を食った」
「おぉー! よかったぁ」
広場にいた子供達は大盛り上がり。周囲の大人は老婆の語りの勢いに苦笑しつつも、温かい眼差しで見守っていた。
そんな中、街をそそくさと移動する二匹の草食動物がいた。小さい方は広場の語り部と小さな聞き手達を一瞥すると、大きい方に尋ねた。
「なぁ。あれは何をやってるんだ」
「あぁ」大きい方は答えた。「あれは話を聞かせているんでしょう。老人がその地域の子どもたちによくやるんです」
「おれも聞きたい」
「えっ? ダメですよ、目立つんですから」
子供を慌てて引き止める。大きなマントを着せ、フードを深くかぶるように言っているが、その下には年齢よりも大きな体と角がある。毛並みも良いので、輪の中に入れば目立つ事は避けられない。
「今日は国民達の暮らしを見学しにきたんですよ。万が一のことがあってはならないので、私から離れないでくださいね。わかってますか? テオドリック王子……いや、ディルくん」
「……ふん。わかってる」
いつもはしっかりした子なのだが、まだ六歳の彼は時々見た目よりも幼い言動を見せる。そんな彼の正体は、この国の第一王子にして軍事を担当する王の息子、テオドリック・スリー・グラフヴォイスだ。今日は勉強のために牛の従者を連れ、初めて街に出てきたのだった。
「さて。ここまで街を歩いてなにか気付いたことは?」
牛のカーターが問うと、ディルは考えるように俯いた。
「……王宮よりうるさい、とか? 匂いも変だな。色んなのが混ざってる。あと砂埃」
「そういうものではなく……」
カーターは苦笑したまま膝をつき、ディルの肩に左手を置いた。
「あれを見てください」
カーターが指差したのは商店街の方だ。
「あそこにいるのが商人。売る側です。そして、あれが買う側の農民。どちらが裕福そうですか?」
「農民だな」
即答するディルに感心する。まだ幼いが、やろうと思えば出来る子供だ。意図を理解し答えを導く力は、同年代の子供より遥かに上回っているだろう。
「そうです。つまりどういうことですか?」
「わざわざおれに聞くって事は、この前やった商いが発達してないとかいう話と結びつけて考えた方が良さそうか?」
「正解です! この国は商いが弱い。食料の自給率は高いですが、物の流通なんかは発達が遅れている。こういう話は王宮で学んだでしょうが、こうして自分の目で見る事で実態を掴んでいただくのが今日の勉強ですよ」
「なるほど、そういうことか。わかった」
こうして具体的な例を出せば、もう答えがさっぱりわからないということもないだろう。カーターは立ち上がると踵を返した。
「では、王都から少し離れた所も見てみましょうか」
「うん」
ディルはカーターに置いていかれないよう、まだまだ小さな蹄を必死に動かし始めた。
王都の喧騒から遠ざかると、長閑で、しかし貧しい風景が現れる。襤褸布を着た国民を見たディルは、カーターの裾を握ってきた。
王宮育ちの彼の目には異質なものに見えたのだろう。見慣れないものを見れば誰だって驚くのが当たり前だ。カーターは小さな子山羊の心情を悟り、努めて優しい声で言う。
「貧しい地域では珍しいものではありませんよ。むしろ、王宮にいる人々の方が少数派なんです」
「そうなのか?」
「えぇ。毎日沢山の食事が出て、綺麗なお洋服やベッド、広い家に紙、インク、本なんかがあるのは恵まれている証です。平民の家に当たり前のように置いてあるものではありません」
「噂程度に聞いたことがあるが、その話は本当なんだな。知らなかった……」
ディルは興味深そうに国民の姿を見た。王宮育ちの彼からすれば随分見窄らしい格好に見えるものだろう。しかし、彼の目に蔑んだ様子はない。
「農作業を頑張ると土がつくから汚れるのか?」
「そうですよ」
「そうか。なら、あの人は頑張ってるんだな」
そう言ってディルは歩きながら辺りを見回した。もう恐怖心はなくなったらしく、むしろ興味と尊敬を持って小さな蹄で進んでいく。その様子にカーターも感心する。
気ままに歩き出すディルにカーターがついていく。しばらく歩いていると、二匹の耳に小さな声が届いた。
「お花いりませんか? 一本五リーフですよ」
ディルの視線が声の方へと移った。そこには白い子山羊の少女がいる。小さなカゴには野花が入っており、通行人に売っているようだ。
「あれは……」
「あぁ、花売りですね。あの年齢で売っているなら随分貧しいのかもしれません」
カーターはそう言おうとしたが、ディルが走り出してしまったせいで言い切ることはなかった。
「ちょ、ディルくん!」
カーターの制止を無視し、ディルは少女の前までやってきた。
白い毛はふんわりとしており、ディルより身長が高い。獣人の中でも獣の要素が近い系統だろうか、長い毛に覆われている顔は見えにくいが、そこから垣間見える目は大きくて可愛らしい。
少女は目の前の子山羊を見つめた。
「な、なに? お花いるの?」
「なんで花なんか売ってるんだ?」
ディルは人見知りをしない子どもだ。いや、人見知りをしないと言うよりも王族特有の偉そうな態度があると言った方が正しい。
「だって、農作業は作物を作って食べたり、売って金にしたりする。それはわかる。食べ物だし、必要だからな。でも、花は食べないし、この辺りの通行人は花をなにかに使うような職を持っていない。商売をしたいなら花を選ぶのはおかしい」
カーターは焦った。ディルは世間知らずの子山羊であることに加え、あまり俗世に出入りすることのない王族だ。知識はあるが、全くと言って良いほど常識を知らない。偉そうで見当違いな物言いに少女の眉が顰められる。
「なによ生意気ね! お花買わないならどっか行ってよ!」
高圧的な態度に負けず言い返してくる彼女に、ディルの目が丸くなる。
「な、生意気?」
「そうよ。小さいくせに生意気!」
「そ、そんな……生意気なのはそっちだろ!」
王宮では冷静な物言いをする彼がめずらしく必死になっている様子は、カーターとって新鮮なものだった。普段は平民と接する機会がなく大人に囲まれている彼は、当たり前のように王子として扱われる。教育係から指導を受けることはあるが、それでも王族として敬われ尊重される。それに慣れきった彼にとって、平民の少女から言い返されることは驚くべきものらしい。
二人の言い合いに熱が入ってくるので、カーターはディルの肩を引いて後ろに下がらせ、少女に笑顔を向けた。
「申し訳ありません。まだ小さくて知らないことが多いのです。私から言っておきますのでどうか気を悪くしないでください」
カーターの紳士的な振る舞いに毒気を抜かれ、少女の目が丸くなる。
「あら、私こそごめんなさい。ついカッとなっちゃって」
「いえいえ、お気になさらず」
カーターの対応を見たディルは、首を傾げて彼の裾を引いた。
「なんで花なんか売るんだ?」
これは説明してほしい時の顔だ。彼は信頼しているカーターが謝ったのを見て、自分がおかしいと結論付けたらしい。
「花は綺麗でしょう。だから好む者は沢山います。でも、例えばわざわざ欲しい花を探しにいけるような時間がない者もいます。そんな時、なにかの用事の帰り道で花を売っていたら、花を探しに行かなくても手に入れて愛でることができる」
ディルはそれを聞いてすぐに口を開いた。
「じゃあ、探しにいく手間代みたいなものか」
「今の例でいえばそうですね」
なるほど、と納得すると、ディルは少女の方を見た。
「すまなかった。お詫びに全部買う」
「えっ⁉︎」
あまりに驚いて、彼女の声は高くつり上がった。一方ディルはすまし顔。
カーターはため息をついてディルに耳打ちする。
「いけません。民の商いに王族が介入するべきではありません。しかもこんな個人的なことで、たった一人に」
謝罪のつもりで宣言したことを止められるとは思っていなかったのだろう。ディルは困った顔をした。
子供特有の甘えた表情になり、本当にだめなのかと上目遣いが語りかけてくる。
どうしたものかと考えていると、二人の間に少女の声が割って入った。
「全部は申し訳ないから、一本だけ買っていって。それで、また今度買いにきて」
ディルはカーターの顔を見上げた。彼の顔に笑顔が浮かんだのを確認すると、ディルは慣れない手つきで小さな財布を取り出した。
「五リーフ、五リーフ……よし、これで良いか?」
差し出された金額を確認すると、少女はカゴから花を一本取り出し、ディルの手に握らせる。
「はい、どうぞ。また来なさいよ」
「ふん」
小さな小さなマーガレットを手に、ディルは鼻を鳴らして踵を返す。カーターは少女に一礼して彼の後を追った。




