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永遠の帝国

作者: 田中鈴木
掲載日:2026/02/16

 天幕を通して薄灰色の光が私に届く。目を開くと、いつも通りの薄汚れた布地が広がっていた。掛けていた毛皮をよけて起き上がる。狭い天幕の中は荷物でいっぱいだ。この十六年間、毎朝の変わらぬ光景。

 帝都を追われたのは十三歳の時だった。三百年の永きにわたり続いた帝国は、その巨体を支えきれずに中心から崩壊した。人民による政治を叫ぶ者共が軍隊を抱き込み革命を起こし宮城を襲撃し、皇帝をその刃にかけたのだ。皇后も、皇太子とその妻も殺された。皇帝一族が上から順番に処刑されていき、いよいよそれが孫の代、私達に及ぼうとした時に使者が封書を携えやってきた。


『偉大なる始父帝の命に従い新たな地を得たり』


 実に百年ぶりの、始父帝四軍からの使者だった。捺された印影は間違いなく始父帝賜印であると確認された。使者は近傍の大藩国の者で、その大藩国もさらに外周にある大藩国から封書を託されたという話だった。


 始父帝は三百年前、この大帝国を一代で築いた英雄だ。戦となれば無敗。近傍の国々を次々と攻め滅ぼし、その全てを奪い尽くし吸収していった。その性は苛烈。群雄割拠の様相であった大陸を制覇し海を越え山を越えてさらに攻め続け、逆らう者は躊躇いなく殺す。ありとあらゆるものを呑み込み膨れ上がる火焔のようなその生涯を閉じる時、始父帝は四つの軍団を組織しこう命じたという。


『それぞれが東西南北に進め。地果て海尽きるところまで、その全てを奪い尽くし帝国とせよ』


 それぞれの軍団が天幕を広げる姿は、都市がそのまま移動しているようだったと伝えられている。四つの軍団は皇帝の命令を忠実に守り、前へ前へと進み続けた。その進路にある国々は全て奪い尽くされ、完全に破壊されていった。そして帝都には文が一つ送られてくるのである。


『偉大なる始父帝の命に従い新たな地を得たり』


 その文が届くと、帝都からは官僚が派遣される。王も文化も経済も破壊された土地で、官僚達は一から帝国式の統治を始めていく。現地の者達は反発を感じても軍団の恐ろしさが身に染みていて従うしかない。そうやって始父帝の死後も帝国は拡大し続けていった。

 やがて帝都から官僚を派遣しようにも人材が払底するようになり、統治を委任する藩国の制度が生まれた。一定の自治権を持つ藩国が代わって政治を進めるようになり、藩国が拡大して大藩国となり、さらに外周の藩国を束ねるようになる。百年が過ぎる頃には、帝都の官僚達にも帝国の全貌が掴めなくなっていた。

 帝都で革命が起きる前、私は博士に尋ねたことがある。


『帝国はどこまで広がっているのか?』


 博士は答えた。


『帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております』


 そう言って博士が広げた地図は、四方に未知の空白が延々と広がっていた。


 話を戻そう。

 革命が起きたとき、皇帝の孫であった私は幽閉されいずれ処刑される運命にあった。そこに歴史の彼方に消えたと思われていた始父帝四軍からの文が届いたのだ。まだ成人もしていない子を殺すことに抵抗のあった革命政府は、これを皇族追放の口実と捉えた。


『始父帝の血に連なる者の責任として、始父帝四軍に親書を届けよ。今も進み続ける軍団に追い付き、直ちに侵略を中止するよう命じるのだ』


 私の他に三人の孫が選ばれ、親書を押し付けられて東西南北に向けて帝都を放逐された。許されたのは馬二頭に積めるぶんの私物のみ。帝国と革命政府の正式な使節としての身分を与えられたので藩国の協力を求めることはできるが、どこかで勝手に野垂れ死ぬことを期待されているのは伝わってきた。ともかく、そこから私の長い長い旅が始まったのだった。


 最初、子供だった私は絶望と一緒に少しの期待を胸に抱いていた。博士の見せてくれた地図には帝国直轄領の外側に広がる大藩国と藩国が記入されていた。皇族として帝都で生まれ育ち、想像するしかなかった帝国各所をこの目で見ることができるのだと思うと、どこか旅行のような心地にもなるのだった。

 政庁に辿り着き身分証となる指輪を見せると、当座の路銀を得ることができた。帝都の政変を知ってか知らずか、出会う官僚達の対応は事務的だった。さらに外側の藩国について尋ね、どこまでが帝国なのかと聞くと彼等は揃ってこう言った。


『帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております』


 一年が過ぎ、二年が過ぎる。外へ外へと続く私の旅は、私の予想に反してまるで終わる気配がなかった。大藩国を出て周辺の藩国に入り、内海を越えてその先の大藩国に辿り着く。そこの政庁に行くと、変わらぬ対応が返ってくる。また藩国を通り過ぎ、砂漠を挟んだ大藩国に辿り着く。そこでも私の帝国使節としての身分は問題なく通用した。大森林を越えて海の側に広がる藩国に辿り着いたとき、そこで同じ質問をしてみた。どこまでが帝国なのかと。私とは目の色も肌の色も異なる彼等は、海の向こうを指差してこう答えた。


『帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております』


 五年が過ぎ去り、一人の大人として振る舞う年齢となった私はまだ旅を続けていた。馬は海や砂漠を越えられず、何度も乗り換えた。帝都から遠く離れるにつれ、革命が起きたことを知る者はいなくなった。政庁で指輪を見せると、誰もが私の旅の話を聞きたがった。遥か遠く、いつしか私自身にも異世界の物語に感じられるようになった帝都の話を、私は求められるままに語った。何一つ私と共通するところのない外見の人々との間でも、訛りは強いが帝国の共通語が通じた。

 私は彼等に同じ質問をした。どこまでが帝国なのかと。そうすると彼等は決まってこう答えた。海を、森を、山を、さらに遠くを指差しながら。


『帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております』


 十年が過ぎた。一人前の男として家庭を持つ年齢の私は、まだ一人で旅を続けていた。新たな藩国に辿り着き、町に辿り着くたび、何度も自問する。この旅を続ける意味はあるのかと。どこかに腰を据え、そこで所帯を持ち、生計を立てる術を得ても良いのではないかと。幸いなことに、私には他の誰にも成し得ない経験がある。遥かに遠い世界、十年の歳月をただひたすらに進み続けなければ辿り着けない土地の知識がある。帝都がもはや夢幻のように感じられるようになっても、帝国の共通語は通じた。ただ、この辺りまで来ると私が帝国古語として習った言葉に近付いてきていたが。ここには革命政府が持っていたような銃も大砲もない。時間を遡っているような奇妙な感覚に軽い目眩を感じながら、私は彼等に聞く。どこまでが帝国なのかと。そうすると彼等はあらゆる方向を指差して言うのだった。


『帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております』


 そして今。もうじき三十歳になろうという私はまだ一人で旅を続けている。すっかり輝きを失った指輪は革紐で首から下げている。親書を入れた錫製の筒は荷物の中に入ったままだ。封をされたそれの中身がどうなっているのか、もはや私にも分からない。

 何度も海を越え山を越え砂漠を越えて、季節も星の巡りも異なる世界を旅してきた。まるで見た目が異なり身振り一つですら通じ合えない人々との間でも、相変わらず帝国古語だけは通じた。使節の証は擦り減りどこの政庁に行っても通用しなくなっていたが、遥か遠くの世界の話をする私は宿と路銀を得るのには苦労はしなかった。人々は私の旅を詩人の語る夢物語のように楽しみ、気が済むまでゆっくりしていってくれと頼むのだった。


 私は旅を続ける。私はもう先に進むことしか知らない。あらゆるものは過去に置いてきてしまった。どこかで立ち止まっていれば別の人生が待っていたのだろうか。分からない。帝都では既に皇帝が討たれ人民政府が統治しているのに、どこまで行っても終わりのない帝国。その果てを目指して私は進んでいく。




 よく夢を見る。私が進む先に砂塵が見える。私が近付くにつれ、それの姿がはっきりしてくる。地平線を埋め尽くすように天幕が広がり、軍馬が蹴立てる土埃がもうもうと空を縁取る。果てしない旅の末、始父帝四軍に追い付いたのだ。私は使節の証となる指輪を高く掲げ彼等に近付いていく。兵士が私を一際大きな天幕に案内する。そこで私は豊かな髭を蓄えた将軍と出会う。私が捧げる親書を受け取り、将軍は思案顔で私に問う。


『帝国はどこまで広がっているのか?』


 私は仄暗い朝の光を瞼の向こうに感じながら答える。


「帝国の威光は遍く広く、世界の果てまで広がっております」

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