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「オペレーショントモダチ」(その22/END)

海兵隊員(女性黒人・アン・フジムラ中尉)

海兵隊員(白人男性・エリック・モーザー軍曹)

高校体育教師(30代後半・東京出身・橋本公生)

奴・吉村君子(28・気仙沼出身・スポーツジムインストラクターのバイト)

高校英語科三年生担当教務主任教師(女性三十代・沖縄出身・浦添泰子)

海兵隊将校(白人・フィル・シューバッハ中佐)

JSG・Japanese security guard(仲宗根(日本人警備隊長・男性・四十代後半・沖縄出身・)

弓削田・地元テレビ局ディレクター

橘・同カメラクルー

河村校長。

岩本警部



(プロローグ)

(なれそめ)

(東北行)

(アフガニスタン2010)

(沖縄)

(岩国)

(岩国警察署)

(浦添泰子)

(アン・フジムラ)

(震災三日目)

(奴・吉村君子)

(ジョン・シューバッハ)

(イングリッシュ)

(岩国基地)

(県立岩国高校)

(基地内の高校)

(首相)

(岩国2)

(地元放送局の動き)

(新展開)

(霞が関・中央の思惑)

(岩国基地にて2・愛宕ヒルズ)

(政治)

(ステディー)

(なし崩し)

(政治2)

(気づき)

(霞が関2)

(気づき2・続き)

(岩国3)

(気づき3・続き)

(地元放送局3)

(思惑)

(枷)

(展開)

(親しく。「テッパンヤキ」)

(イコール)

(三沢へ)

(両親)

(プラクティス)

(プロム)

(反響)

(Differences)

(プラグマティスト達)

(エフェクト)

(良い結果)

(逡巡)…その22

(フィクサー)

(政権)

(エリック・モーザー軍曹)

(エピローグ)…その22

(逡巡)

七月第一週の金曜日、今日中に方向性を決めなければ、七月末のプロムか?

学園祭か?いずれにしても準備は間に合わなくなる。

学校の授業が終わると、早速、浦添は、校長室に行き河村の意見を確認した。帰り際、車を使いなさいと“キー”を渡された。

彼女は、アンとエリックとも話し合いを済ませ、もうプロムの方向で進める決意をしていた。

しかし橋本は、まだ迷っていた。

梅雨の間も、世界遺産に選定された“時”以上に、内外の観光客を岩国は、呼び寄せていた。それは、この事が世界的な話題に成っている事を意味していた。

前にも増して、異常に混み合っている、いつものお好み焼き屋で、会う事は憚られた。生徒達も観光客や、市民の目を意識した行動をこの頃から執る様になって行った。

自然と生徒達は、一般観光客が立ち寄れない岩国署の道場が、集合場所に成っていた。岩本も、その辺は心得ていて、署長の肝入りも有って、集会室を午後からは何時も開放していた。

橋本は、それが解るだけに、“大人しい落とし所”と言う判断を捨て切れずにいた。

又、意外だったのは四国で教員生活を始めた吉野の意見であった。

彼女は、すっかり体制側に染まっている様で、学園祭をして世間の喧騒を沈める側の意見に与していた。

SNSと言うモノがここの処、生徒達の間でも一般化していて、橋本とアンは、それも観察していた。

そこでも生徒の意見は真っ二つに分かれていた。

ただ、直接指導をしている分には、そのような感じは受けず、発表の為のダンスでは無く、普通に楽しむためにダンスをする高校生達が、そこには居た。

あくまで授業の一環だから最終日をどうするか?は指導しなければならない。

生徒で多数決を取れば、多分プロムに成る雰囲気が授業には溢れていた。

PTAに図れば、学園祭の前倒し案で有ろう。

教育委員会は?校長や副校長の存念は?彼の悩みは深かった。

悩みながら、バイクをいつもの様にアンのレジデント前に止めていると、エリックが自転車を漕いで、大汗をかいてやって来た!もう気温はすっかり夏に成っていた。

程なくして浦添の車の音が聞こえた。

ここでは三対一で、プロム派が優位なのは解っていた。

しかし教務の担当は、自分なのだと云う責任感が、ビールを勧めるエリックの手を断り、水を一杯飲み、喉を潤す行為に成った。

「ありがとう。でも今はこっちにしておくよ」

彼は。台所の蛇口のレバーを倒しコップも使わず一口水を含んだ。

「どうした?(What’s up?)」

エリックは橋本に声を掛けた。

アンはそんな様子を目にしながら、浦添に声をかけていた。

「先生」

「どうしたのアン?」

浦添もその模様は、目に入っていた。

「橋本先生の事?」

助け船を出した。

「そう、Kimioが、ここの処、考え込んでしまって」

アンの言葉に浦添は、姉の様に優しく答えた。

「そうネ橋本先生は、悩んでいる様ね。でも最初の“結論”ありきなのよ」

浦添は、既に岩本、河村校長と話を煮詰めていた。

又、河村から、弓削田が、テレビ局(番組)をその方向に誘導する旨で演出して行く事を考えている事も、事前情報としてレクチャーされていた。

妙な、変な、例えだが“挙国一致”。

フィクサーは、どうも校長先生の様で、岩本が一丁、深くこの企みには、噛んでいる、故に心強く、今や、もう一人の妹の様な、吉野の言葉を借りるならば『この波に乗ろう』と、浦添は、決心を新たにしていた。

唯、この様な感想を橋本に話せば、彼の純粋な気持ちは“変節”するかも知れない。

だからか?伏せておく事は、校長と岩本から伝えられていた。

あくまで、エンジンは浦添と橋本、そしてアンとエリック。

及び、主体は、感受性の高い生徒達でなければならない。

「先生!」

浦添は橋本に声を掛けた。

「未だ悩んでいらっしゃるようだけれど、どうなの?」

「はい」

弱々しく橋本は答えた。

「自信が持てないのは、今、何かを決めなければいけないとお考えだからじゃありません?でも、その様な必要は無くってよ。」

浦添は諭すようにきっぱりと話し続けた。

「海兵隊では無いけれど、米国の陸軍日本人部隊の有名なセリフに“Go for Broke”と言う言葉が有るのは御存じ?これは無防備に“当たって砕けろ”と訳されているけれど、やるだけの準備をしたら、後は、運を天に任せるしかないと言う意味が、本当の意味なのよ。明日は、明日の風が吹くのだから。主体は私達では無くて、生徒達。彼等の希望は“プロム”で終わる事」

浦添は一息付いて一気に話した。

「ならば、私達の出来る事は、それを最大限サポートして、世間様の波風から彼等を守ってあげる事では無くって?」

「やらずにウジウジしているより、やってしまって、後悔するのが先生の流儀でしょ?」

浦添は、微笑みながら語りかけた。

アンは、この言葉を聞いて繋いだ。

「Kimio、貴方が吉野さんに会いに行った時、今の私達の事を考えた?私は、今の貴方が好きよ」

アンのセリフは非常にストレートだったが、橋本には“効いた”。

少し赤ら顔に成りながら、エリックが手で持っていたせいか?外気で温められていた、もう一本のビールをむしり取ると、彼は一気にそれを飲み干した。

浦添は、優しい笑みをたたえていた。

「おいおい日本語で何に話したんだ?」

エリックはカヤの外にいる様だったが、なんとなく橋本が元に戻ったようで嬉しかった。

さあプロムへの段階をどう生徒達に踏ませるか?具体的な戦術会議が始まった。


(フィクサー)

相対的に自身を省みれず、自分本位な二人を如何に手懐けるか?に腐心をしてきたが、そろそろ、どちらかを?潰す“潮時”と、河村は考えていた。

両方とも潰せるが、そうなると“次”の“化け物”を再び、手懐けている時間は、無い。勝ち馬に乗り、価値の有りそうな“彼”を懐柔して、片方の息の根を止めるのが最善手だ。

彼は“外堀”を上手く埋める事に成功しているように見えた。

それは、弓削田の口ぶりからも確認は、取れていた。

本丸を焼き尽くすには、自らの手で火を付けさせるのが“最善”な事は歴史的な教訓が示していた。

さて、そう、“どうやって”自刃に追い込むかが思案の“し”処で有った。

自刃(政治的自殺)は、彼の様な、無意味なプライドの塊の死は、後腐れを残さないので、片方にとっても、都合は良いはずだ。

唯、味方からの裏切りを出さぬため、味方の要である、岩本と、愚かにも私を慰留した、県のトップ達には、抑えの“念”をしっかり通しておかねばならない。

すっかり自分が政治をしている事に、河村は少し飽きていた。

『最後の御奉公』妙な言葉をつぶやきながら、綿密な指示用のメモを作り上げて、鞄に仕舞い込んだ。この様なモノは、消える事。

即ち、口頭で、念入りに、説明しなければならない事。

絶対に証拠となるモノは、残してはいけない事を彼は、以前の経験から熟知していた。


弓削田は、上司から、このままいけば今年の『ギャラクシー賞』や海外の引き合いから見て、へたをすればアメリカの『エミー賞』も夢ではない事、そうなれば、一地方放送局にとって最高の栄誉である事は、間違いない。

と“浮かれた言葉”を掛けられていた。

そんな事は瑣末な事で、彼は、今、地元だけではなく、東京の街を歩きながら、今更ながら自身の番組が、勝手に育って行く様を見て、慄いて(おののいて)いた。

しかし、この波から自身で、ワイプアウトする気は、更々無かった。

巷では硬派なメディアや番組から、軟派なティーン向けの雑誌や、若者を中心に、すっかり情報伝達基盤に成っているSNSで、プロムの特集が組まれていた。

曰く、どの様な事をするのか?から始まり、服装や、ダンスの曲の内容迄、あらゆる事が、話題に上がっていた。

又、硬派な雑誌や媒体では、米軍基地の有り様の変遷が、左側からは、その瑕疵が、右側からは、その意義や、仮想敵国からの攻撃に対する脆弱性が、突かれていた。

この盛り上がり方は、弓削田にすれば、ある種“人為的”な“臭い”を感じざるを得なかった。が、上司は、そんな様を見て『ブームが来た』と浮かれていた。

その様な環境が、整いつつある中で、七月の初旬、三年生の父母を対象とした説明会が、両校の講堂で別々に開催されていた。

アメリカ側としては、父母自身が若い頃経験し、国内で普通に実施されているプロムに準拠した事を日本の高校と合同でする為の手順。

その説明会と言う事で、さほど混乱は、生じなかったが、日本側は、そうは、いかなかった。

半数の親は漠然と、自身の優秀な子息による、男女交際。

しかも基地の米国籍の高校生とのダンスパーティーと言う行事が、学校公認の単位の絡む授業に、組み込まれている事に、積極的賛意を持てずにいた。

その中でも、エキセントリックな集団は、受験を前にした自身の子供達が、その様な事に“うつつを抜かす”事を学校が勧めている(様に見える)事に、猛烈に抗議の意を内包していた。

副校長の案は、そう言った父母達を落ち着かせる為の妙案で有ったし、教務担当で、今や、誰もが知っている“教諭”の橋本が、その意見に与している事が、意識的にリークされた事で、この父母会は、開催に持ちこめていた。

しかし一方の生徒達は、生徒会を中心に、この“プロム”の実行を強く学校側に求めていた。

そして、同高以外の、日本中のかなりの若い世代の世論が、SNSと言う、若者が、まずモノにした、当時、最新の交流手段を駆使して、それを強く後押ししていて、既存の“旧“メディアはその後塵を拝しながら、詳細を報道していた。

又、地元警察や学校自体は、どちらかと言えば生徒に好意的だが、表向きには、どちらでも『お好きにどうぞ!』と言う曖昧な態度で、実は、いつでも(プロムが)実施可能な“鉄壁の体制”を執っている事が、弓削田の放送で喧伝されている事が、一部の過激な父母達に動揺を与えていた。

六月の終わりに、広島と福岡側から『この様な“ハレンチ”な授業を許容する岩国市に天誅を下す!』と喚いて来た右翼団体の街宣車は、山口県警の力で、完膚無き迄に“追い返され”、広島、福岡の、両県県警により、首謀者には、それこそ法的に“天誅”が下されていた。

勿論、岩国市内は、基より、山口県内の右翼団体は、そもそもの話しの発端が、県の生んだ、為政者=彼等の実態としての、バックの発案による、と言う事で、静観を決め込んでいた。

左翼政党から見ると“青天の霹靂”の様な、この警察の“リベラル”な態度は、左翼政党を支持していた、自称進歩的な父母の気持ちを“ざわつかせ”ていた。

その様な環境下で、最初で、最後の三年生の父母に拠る父母会が、一般メディアの取材申し込みを断り、弓削田のチームが、記録する(独占する)形で週末に開催された。

出席者は、学校側から三年生の橋本、浦添を含む担任全員と、校長、副校長、社会科と英語科の、本授業に関わった教員。警察を代表して岩本が、そして米軍側からは、アンとエリック及び基地広報管が、参加していた。

生徒達は、受験が推薦等で、既に“進学先”が決まっている一部の生徒を中心にして、学校に残り、雰囲気をその他生徒に、携帯経由で逐次報告する体制が整えられていた。

最初の説明に登壇したのは、橋本で有った。

「本日は御多忙の中、御集り頂き有難うございます。早速、米国側の基地内の高校と合同で実施しているダンス授業の御説明を本科目担当の、私(橋本)からさせて頂きます。」

周囲に咳払いが、一部散見されたが、型通り穏やかに始まった。

「授業の進行は、皆様の後方で構えている放送局の報道の通りで、非常に友好的、且つ、地域商工会や地元、県自治体の、所轄警察、米軍関係者の御理解と御協力の下、滞りなく、且つ、ダンス授業にも関わらず英語科や、社会科の授業も要素に取り入れ、日米両国の生徒が等しく戦後日本の歩みや、(在日)米軍とのあり方を考える。と言う。思わぬ“成果”を上げていると自負しております」

父母からの反応は、まばらだった。

「当初、生徒の希望も有り、私達、担当教員や、米軍関係者も、全く手探りだった、本教科に対する、生徒達のモチベーションの維持を如何に図るか?という考えの下、受験前の最終月で有る七月最後の授業で、合同のダンス会を実施する事に同意しておりました。」

この言葉を合図に、一部、父兄から、ざわめきが生じ始めた。

「しかし先ほども述べさせて頂いた、両校両国の生徒が、考える、内容を、このダンス授業の中に取り入れた事で、彼等は、単に異性や、異文化に対する興味本位の付き合いから、真に友人として居るには、どう或るべきか?と言う、考えの極みに達する事が出来たと自負しております。しかも、わずか三ヶ月、時間にして十五時間に満たない時間の中で、彼等は、その関係性を深める事が出来ました」

「ジェンダーの違いだけでは無く、異文化のエイリアン=外人同士でも無く、人間同士として、相互に興味を持ち、知的好奇心から来る、相互を知ることの重要性を学びました」

再び、橋本の迫力に押されたのか父母達は、静まり返ったが、河村は静かに笑みを湛えていた。

「この様に、僅か短期間で人間的に大きく成長した生徒達の考え…成果は、当初考えていた皆様への発表と言う形をとらせて頂くよりは、生徒の自主性に任せ、我々教員や、周辺環境は、それを支える裏方に回るべきではないか?と言うのが、本学及び、ペリー校担当教諭陣の一致した考えでございます。以降、父母皆様からの御質問を、時間が許す限り、私共、関係者一同で承り、お答えし、ご理解とご賛同を得たく考えております。」

橋本は、一気に話し終えた、そう彼は、プロム肯定派として、この場に登壇していた。又、基本、学園祭を前倒しにして、そこを発表の場、と考えていた副校長も、事、ここに至っては、賛同派に宗旨替えをせねばならない事を自覚した。

早速、学内で成績の一~二位を争う生徒の父親から挙手の手が挙がった。

「はいどうぞ」

「あ。私…3年・・・」

「ちょっとお待ちください、言い忘れましたが、ここに御集りの皆様は、皆、名札を下げていて、生徒の御父兄である事は、存じ上げておりますので、お名前は、頂かなくて結構です。その分、自由に御意見をお聞かせ下さい」

橋本は、父母からの忌憚のない意見が聴きたかったので、発言に対するハードルをぐっと下げた。(つもりであった)

しかし教務主任で有り、父母と接する機会が、橋本より“かなり多い”受験科目の担当である、浦添や、社会科の教師は既に、誰が、誰の父母か。そして、どのような職業についていて、どの様な考えを根底に持っているのか?と言う情報は、頭にしっかり入っていた。そして、その事情をこの最初に発言をした父親も、自覚していた。

「ハイでは、改めて、先生に御質問させて頂きます。私も、テレビ報道や、雑誌などで本学のこの授業は、肯定的に捉えております。家に帰りましても、子供から、この授業が有った日は、授業の話を楽しそうに致します。しかし、頭では理解が出来ているのですが…生理的に、どうしても、親として、父親として、未成年の娘が、黒かったり、耳にピアスをしている金髪の男の子と手を取って踊る事が、授業の一環と言うのは、我慢、理解、いや許容できないんです・・・済みません、保守的な考えで。ですが、信頼して学校に通わせている親の気持ちを、少しでも“汲んで”頂けたらと思います。以上です」

周囲は一瞬の沈黙が支配した。エリックの横で通訳をしていたアンも、この父親の発言の、最後のセンテンスの訳で、躊躇した。この意見が、日本の人種差別の根底にある発言であることは明らかであった。

浦添が“すくっと”立ちあがって、誰が制止する訳でもなく登壇し、橋本のマイクを奪った。

「お父様の御意見は、もっともだと思います。実を申せば、橋本先生と、ここに出席頂いているモーザー海兵隊軍曹との間で、お父様のお考えに近い論争が、春先にございました。番組には、成っていませんが、昨年の春、橋本先生の率いる剣道部の花見の宴席に、このモーザー軍曹が落ちてきたのが二人のなり染めでした。暫くして、もう既に放送で、ご存知の様な経緯を経て、彼等は、非常に近しい関係を築き上げた。と思いましたが、ある事件をきっかけに、彼達の関係は、突如、険悪になりました。それは日米、いや、日本の、本土の人と、それ以外の“文化の違い”から来る違和感が“原因”でした。端的に言えば“入れ墨”です。日本の本土の人、また、一部の教養の高い白人の間で、刺青。タトウは、罪人やアウトローの証な事は、常識です。しかしこの常識“刺青”は、例えば、私の地元、沖縄では、婚姻した女性の(しるし)で有ったり、色々な地方、民族の方々には、成人男子の印で有ったりします。モーザー軍曹の場合も、戦場で散った幼馴染との“友情の証”でした。しかし、その様な事情は、その様な文化を持たない人間。橋本先生には、関係なく、生理的に、罪人やヤクザな人種の(あかし)以外の何物でも有りませんでした。只、私達が介在出来た事も有って、橋本先生と軍曹の間が、再び、元通りに成るのに、時間は、そう掛かりませんでした。それは元々が“ウマの合う友人”だったからです。文化や習慣の違い、色々な見た目の違いは有ります。それが現実です。ですから、その違いを認め、いや認められなくても、認識し、許容し合うためには、どうあるべきか、を考えて下さい。どうかご参加の御父兄の皆様、生理的に受け付けない事が有っても、それを直ぐ許容しろとは、申しません。唯、御子息達、生徒達の気持ちを理解しようとする“態度、姿勢”を御自身に強いて、持って頂きたく、お願い申し上げます。まずは、そこから始めて見ませんか?親子なのですから、友人関係以上に密度は濃く、近さは、近いと思います。僭越ですが、教務主任として、生徒指導を担う教師として、お願い申し上げます。」

浦添は、壇上から来場者に向かい、深々と頭を下げた。

父親も深々と頭を下げ、座り込むと同時に、教師側から始まり、拍手が周囲に湧いた。

横にいた、橋本も圧倒される演説で有った。

岩本が拍手の中、登壇してきた。

「あ、呼ばれてもいないのに済みません。岩国警察署の岩本と申します。一部、御来場の方は、既に御存じだと思いますので、詳しい自己紹介は割愛して手短に申し上げます。既に御存じの様に、県警及び両側の広島・福岡県警とも協力体制は既に構築し、外部からの無用な挑発が起こらない体制は、整えておりますが。お父様が御懸念されている様な事態も起こらぬような体制も、岩国署及び岩国基地の警務組織と共に全県内で、既に、相談済みで、調整段階に入っておりますので、ご安心ください。当日夜の市内の繁華街や、該当施設には、警邏を通常の倍の体制で巡回させる計画に成っております。」

岩本は、来賓席にいた県教育委員会の担当者と制服姿で来ていたJSGの仲宗根に軽く会釈をして壇上から下がった。

仲宗根と教育委員会の担当者が岩本から受けた会釈を介した姿を見た参加父兄からは、安堵の表情が表された。が、講堂の外で聞き耳を立てていた一部生徒からは、猛烈な落胆の声が上がった事は、想像に難くはなかった。

一連の主催側の報告後、橋本は他の父母からの発言を促した。しかし、浦添の発言と岩本の発言は強力で、挙手をして質問をする父母は居なかった。そこで橋本は、予め取ってあった父母からのアンケート用紙を引っ張り出してきた。

これは想定の行為で、これを使いアンやエリック、そして管理する側=来賓者の発言を一通り引き出す算段で有った。

「では予め今回、御都合が悪く、来られなかった父母の皆様も含めたアンケートの中から、私が任意で、ピックアップさせて頂いた、質問に対してお答えさせて頂きます。宜しいでしょうか?」

まばらな拍手が起こった。それを聞いて橋本は続けた。

「開催時間のお問い合わせ。これが一番多かったのでお答えします。我々としてはあくまで授業の一環と、考えておりますので、昼過ぎから遅くとも午後6時で終了帰宅を促す予定です。7月の6時ですからまだ、日が有る内に、終了となります。何かご質問は有りませんか?」

何も質問は起こらなかった。

「次に会場ですが、基本本校の講堂(ここ)を予定しております。」

「飾り付けや機材の設置は、生徒の自主性に任せるつもりです。生徒には、翌日の清掃も負担してもらいます。重機や音響機器の貸し出し、及び、レンタルか、持参なのか、自主的に運営してもらいます。が、什器類の全リストの提出は、求めるつもりです。詳しくはアメリカ式に準拠するのが簡単なので、フジムラ大尉とペリー高校の先生に登壇して頂き、説明して頂きます。どうぞ。」

アン達の説明は滞りなく終わったが、見た目が黒人のアンのよどみない日本語通訳は、テレビ放送を通じて知っていたとはいえ、実際に彼女の姿を観た、会場の父母達を少し驚かせた。

「次に岩国署とも話し合ったのですが、米国側のプロムでは女子生徒を男子生徒がエスコートして会場入りするのが普通なのですが、この際16歳で免許が取れる、アメリカ式に、車で家に向かい、エスコートする訳には、日本の法律上できませんので、ペリー高校の生徒にはスクールバスで本校に来て頂く事に成ります。又、壁の花や、あぶれる生徒が出なない様に、組み合わせなどは、慎重に致します。只、基本は、生徒達の意思を尊重する形をとらせて頂きます。又、服装は、基本自由です、ただ一定のドレスコードがございますので、御参加の御父兄に於かれましては、その点、ご理解とご協力をお願い申し上げます。なお市内の貸衣装屋や、ホテルの貸衣装部門には、既に本校と、教育委員会から依頼書を出し、学割の適応が、適う様に、県(教育委員会)とも合意ができておりますのでご安心ください」

会場には、ドレスコードを説明したチラシが配布され、それを見た父兄からは含み笑いや。賛同の意を表す驚嘆の声が上がっていた。

「最後に会場内の飲食に関しては、酒類や喫煙は、勿論、禁止しますが、それ以外は、日米の生徒の自主性に、任せたいと考えております。費用の負担も、彼等のこずかい、費用は、自己負担で、と言う形に成ります。又、生徒を御父兄がお見送り、お迎えになさる場合は、校庭を開放しますので、そこを、駐車待機スペースとして開放します。御家族で、その辺は、話し合ってお決めください。これらの、合同の生徒同士の話し合いを来週の金曜午後の授業に組み込みます。その模様も、多分テレビでは放送されると思います。(橋本は、来賓席の隅にいた弓削田の方をちらっと見た)そして、そこで、最終決定し、我々教師側の承認を得た、実施事項は、御両親及び、我々に議事録として、日米両御家族に日本語と英語で製作し提出致します。何かご質問はないでしょうか?」

『このモデルは、今後の国内教育機関の高等学校と、在日米軍基地内の隊員子弟に対する、教育施設であるの高校の国際交流基準の一つのガイドラインに成る試みであった。』

この回の放送では、ナレーションは、こうして締めくくられた。



(政権)

この年、アメリカの大統領は、ぐっと良く言えば非常にビジネスライクな、悪く言えば、より自己中心的でワスプ第一主義的な、人間に代わっていた。

ただ、彼らのチームは、アジア地区の重要性を認識しており、中国との関係は、ビジネス上の阻害要因、故に、日本人に期待して意識的に、前政権が取っていた、対日経済規制を緩める方針を採っていた。ただ、彼等の居るワシントンは、大西洋に面しており、太平洋には面していなかった。そして支持者の多くが、アメリカの主たる白人が信奉する、キリスト教福音派の教義に従順な輩であった。

対日重視政策の一環で、沖縄の基地問題に関しては、現日本政権を刺激しない方向性で縮小する為に、そして勿論、新政権は、無制限に肥大化の一途を辿っている軍事予算の縮小のための手段を真剣に、模索し始めていた。その様な情勢判断が、情報当局から上がって来ている環境下で、この番組が、彼等の目に飛び込んで行ったのは、為政者達にとって、想定外の事態では有った。


あちらさんの意向は、ともあれ、我々は、日本全体が、この様な、ベクトルの考えに、諸手を上げて賛同している訳ではない事を早急に、かつ効果的に、彼等に知らしめなければならない。彼は、執務室の中で思案に明け暮れていた。

しかし、彼の直属の部下で、現実的な考えの持ち主である人物は、全く異なった見解を持っていた。

このチャンスに中国とアメリカの間で、均衡ある立ち位置を構築する事が、そして払わなくても良い防衛予算。流す必要性の無い若者の血は、可能な限り削減し、福祉(国内政策)に回した方が良いし、鉄砲をぶら下げた姿を見せる相手に、素手で立ち向かって行く程、隣国は御人好しでも、劣等感も、今や、無い。

そう第一次大戦後、経済的にも、先進国の仲間入りを果たした我が国が、その劣等感の裏返しで、優越感に浸り、やたら武器をかき集め、周囲を見下し、結果、傲慢で、自己中心的な、見通しの下、愚かな戦争に突入して行き、完膚なきまでに叩きのめされた。

その“叩きのめされる”一歩手前の優越感の塊の様な、心情に、今、彼等(隣国)は居る。ただ一方、こちらが、戦争回避の為に一方的にナチに譲歩した、英国のチェンバレンの様な甘い相手では無い。事も認識している。

『何とかも、おだてりゃ木に登る』

(武力的な)力のある此方が、素手で、頭を下げて行けば、会話の糸口は有る。

紛争の解決手段は、外交。要は、力の裏付けがある此方が、理を通して説得する事のみが解決策と言う、我が国の過去の経験に照らした法則。

そして経済界、要は、我々の『最大、かつ最良の支持者達の希望で有る』事を叩き上げの彼は熟知していたし、今がその環境にある事は、はっきりしている。

この岩国の高校生達の姿が、沖縄の基地負担の軽減、プレゼンスの減少に繋がる、目に見えて、その方向が、図れるならば、上司が、何を騒ごうが、彼の目に見えない形で、無視と非協力を貫く。

結果、自国は、アメリカと中国の間に立てる。と信じていたので、彼自身に余計な仕事を作り、NSAには、市井の民が、大好きなスキャンダルを捏造させ、彼の上司と、その妻の目を逸らす事に腐心した。

一方、祖父の代から、強固な岩盤を引き継いだ3世で、愚かな戦前の指導部の構成員でも有った祖父に、感化された『アナクロな理想主義』、要は、自衛隊の世界基準で国力に見合った軍隊化。

それを通して米国と、頼れる同盟国になり、対等なパートナー関係を再構築し、日本の過去の栄光を取り戻す事を理想とする、彼とは、その点で“全く相いれない”ものが有った。

が、彼の上司は、その様な、部下の実態を知りもしなかった。

担ぐには“見栄えの良い神輿”で有る事は、間違い彼。

自分の様に、冴えない風貌の人間は、表に立つべきでは、ない事も、熟知している。そう彼は、偏に、現実主義者なのである。そして彼の紹介してくれた、河村なる一介の学校長のアドバイスが、彼の琴線には、ひどく響きが良かった。



(エリック・モーザー軍曹)

「最後に、本日ご出席を頂き、実際この授業に多大なる貢献と助力を頂いたお二人の海兵隊員を改めて御紹介します」

橋本は、出席する父母達の安堵の表情を睥睨しながら、アンとエリックを壇上に招いた。浦添と岩本は、その様を橋本と共に眺めていたので、降壇する機会を失った処へ二人は颯爽と登壇してきた。壇上は少し賑やかであった。

「右から、皆様もうテレビ等で御存じだとは思いますが、エリック・モーザー軍曹。そしてアン・フジムラ大尉です」

「何か話す?」

橋本は、アンに囁いた

「特に?」

アンは答えたが、エリックは、待ってましたとばかりに、橋本のマイクを奪った。

勢いアンと浦添は、聞き耳を立て通訳をする羽目に成った。

「KON-NICHI-WA。MINASANN。」

エリックは陽気な口ぶりで切り出した。彼は、この来場者諸氏の、かなりの人間が、橋本程度に英語を理解する事は、想定していた。そこで、ゆっくりと、丁寧に話し始めた

「私と橋本先生の出会いは、御存じの通り錦帯橋のふもとでした。私は当時少し荒れていました。と言うのも、戦争から帰る直前の事故が、その原因でした」

アンはゆっくり訳した。

「私と、私の友人が、その事故に遭遇した時、その爆弾のスイッチを押したのは、あどけの無い顔を残した美しい若い娘でした。」

「ほんの一瞬の事でした、色々な戦場で、戦闘を経験しましたが、私は、信じられなかった・・・我々兵士は、戦場に送りこまれる前に、簡単な紛争地に関するレクチャーを受けています。そこでは、女性は、顔をベールで覆い、素顔を表に見せる事はない。と言うものでした。ですから、あどけなさが残る美しい少女の顔が新鮮だったのです。故に、事故以降、同じアジア系の屈託のない顔に、何か違和感を持っていたのかもしれません。」

「横にいる浦添先生は、その様な、心の傷を持ち、その傷が癒えていない兵士が多くいて、その兵士達が犯した、沖縄での痛ましい事故を多く見てきた経験から、私達、黒人のアメリカ兵に対して、違和感と嫌悪感を少なからず、彼女や、沖縄、いや日本の多くの方は、抱いている事を教えてくれました。ただ一方で、今、通訳をしてくれている大尉は、幼い時から住んでいるここ、日本では、我が国の様な、あからさまな人種差別の経験が無かった事を教えてくれました。彼女の差別の経験は、アメリカに帰ってからの物でした。」

「しかし橋本先生は、日本には、もっと厭らしい差別が、厳としてある事も、私達に教えてくれました。それは悲しい事です。ですから、今回の授業では、その様な“差別や区別“を若い時に捨て去る事を私達は、願って、このカリキュラムに協力させて頂きました。」

「ダンス、護身術や武術等のフィジカルコンタクト、これは、人を区別や差別する事を忘れさせてくれる最良の方法です。男とか、(ジェンダー)とか、黒人とか白人とか(レイス)、キリスト教徒か、イスラム教徒や、仏教とか(リリジョン&カルチャー)、は、ダンスや武術の前では、関係は有りません。日本の武術に於いては、その体格差も関係ない事を、横にいる岩本警部から学びました。それはダンスもそうです。日本の武術や、ダンスは、そもそも、競い合う為の運動では無く、楽しみ、自身の成長を促すもので、その様な、差を意識する事は、ナンセンス。在り得ないのです」「岩本さん、そして、ここには来ていませんが、岩国署の皆さん有難う。」

少しアンが、通訳に詰まった処、浦添が通訳(その作業)を助けた。

岩本は、少し俯いて照れた。

エリックは、二人を見て、続けていいか?合図をした。

そして彼女達は、微笑み返し頷いた。

「この様な経験をもっと多くの、日本の若者に積んで欲しいと思います。私は、この様な機会を得て、この様な素晴らしい友人ができ、非常に感謝しています。彼ら学生達が真の友人や、皆さんには、不愉快かも知れませんが、恋人同士に成って、より深くお互いに興味を持ち理解し合い、許しあえる関係を築けば。世界から少しは争い事が無くなり。我々が、失業できるかもしれません。我々が要らない社会が理想です。どうか皆様の温かいご理解と、ご協力をお願い申し上げます。神の御加護を」

エリックは、静かにマイクを置いた。と同時に万雷の拍手が沸き起こった。

橋本は、静かに彼に近き、二人はハグをしていた。それが全てであった。

河村は、この軍曹は、浦添や岩本たちとの交流を通して、成長したし、しっかり教養を身に付けたようだと感じた。

それくらい彼の英語は、教養溢れた高邁なスピーチであった。



(エピローグ)

プロムの成功を見届けて、エリックは帰国した。

除隊後、地元の大学に入学したそうだ。

第二外国語は、しっかり日本語を選択したと噂には聞いている。

帰国前、岩国署主催のお別れパーティーは、八月の市の祭りの日と重なり、プロム以上に、市内が盛り上がった事を付け加えておこう。

夏休み中と言う事も有って、参加者が、教員や生徒達やその父兄だけでは無く、非番の機動隊員、警官と海上自衛隊員と海兵隊員は、ほとんど、参加した。

有る種、市を挙げての村祭りの体であった。

そして、例のお好み焼き屋は、貸し切りになった。

彼は、既に市内では、すっかり有名人に成っていた。

彼の、お別れパーティーの、かなりの、費用を負担したのは、大佐と河村校長で有ったが、その二人も、すっかり意気投合して、家族ぐるみの付き合いが継続してた。

この冬休みは、大佐のアメリカの自宅と彼が教鞭を執る大学を見学するそうである。


問題だったのは、アンと橋本である。両親に迄、紹介していたので、橋本は、すっかりアンは自分と結婚する気でいるものと確信していた。しかし彼女は迷っていた。

プロム後の夏休み期間に、彼女は、吉野を呼び出し、浦添姉さん。そう。今や、彼女は、浦添を先生ではなく“姉さん”と呼んでいた。

浦添は、その呼ばれ方が満更嫌では無く、彼女もアンを実妹の様に扱っていた。

そして吉野は、何時の間にか?ガールズトークをする際の“格好の相手”に適っていた。吉野は、橋本より頻繁に夏休み期間は彼女のレジデンスにいた。

エリックのサヨナラパーティの数日後、橋本は、お好み焼き屋に呼び出されていた。

そこには、浦添、吉野、そして、岩本が待っていた。

曰く『彼女は本国に戻って“大尉”飛行小隊長としての訓練。要は新機種のライセンス取得の方が、橋本に対する感情に、勝っている』事を橋本に納得させるために儀式であった。

唯、だからと言って、橋本が嫌いな訳でも、嫌いになった訳でもなく、その後、必ず戻って来るから待って居て欲しいと言う事を橋本が、納得できるか?否か?の審問会であった。

橋本としては、納得せざるを得なかった。

只、この夏休み中に、もう一度、その事を橋本の両親に説明する機会が“欲しい”事をアンの口から聞けた事は、彼を安心させた。

しかし、この訓練期間が、どの程度かかるのか?は、アン自身も、勿論、参加者の誰もが“口にはしなかった”が、気には、なっていた。

そして案じていた通り、二学期に入ると、生徒や事情に詳しくない同僚教師や、副校長からは、橋本が、アンと破局した噂が流れ。

全員が彼を“イタワル”素振を見せながら、面白がった事は、想像に難くはなかった。せめてもの救いは、道場の警官諸氏には、岩本を通して正確な情報が流れていた事であった。了

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