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「オペレーショントモダチ」(その19)

海兵隊員(女性黒人・アン・フジムラ中尉)

海兵隊員(白人男性・エリック・モーザー軍曹)

高校体育教師(30代後半・東京出身・橋本公生)

奴・吉村君子(28・気仙沼出身・スポーツジムインストラクターのバイト)

高校英語科三年生担当教務主任教師(女性三十代・沖縄出身・浦添泰子)

海兵隊将校(白人・フィル・シューバッハ中佐)

JSG・Japanese security guard(仲宗根(日本人警備隊長・男性・四十代後半・沖縄出身・)

弓削田・地元テレビ局ディレクター

橘・同カメラクルー

河村校長。

岩本警部



(プロローグ)

(なれそめ)

(東北行)

(アフガニスタン2010)

(沖縄)

(岩国)

(岩国警察署)

(浦添泰子)

(アン・フジムラ)

(震災三日目)

(奴・吉村君子)

(ジョン・シューバッハ)

(イングリッシュ)

(岩国基地)

(県立岩国高校)

(基地内の高校)

(首相)

(岩国2)

(地元放送局の動き)

(新展開)

(霞が関・中央の思惑)

(岩国基地にて2・愛宕ヒルズ)

(政治)

(ステディー)

(なし崩し)

(政治2)

(気づき)

(霞が関2)

(気づき2・続き)

(岩国3)

(気づき3・続き)

(地元放送局3)

(思惑)

(枷)

(展開)

(親しく。「テッパンヤキ」)

(イコール)

(三沢へ)

(両親)

(プラクティス)…その19

(プロム)

(反響)…その19


(Differences)

(プラグマティスト達)

(エフェクト)

(良い結果)

(逡巡)

(フィクサー)

(政権)

(エピローグ)

(プラクティス)

最初の授業は、ペリー高校の生徒が、こちらに来て、ダンスの授業を共にするということから始まった。

名刺交換よろしく双方が簡単な自己紹介の後、橋本は、相手高の担任、そしてアンを介添え役にして、お互いのダンスを見せ合う形式にした。

曲は生徒の選択に任せ、ダンス五分以内という取り決めで双方から、男子生徒、女子生徒のグループとペアーで三〜五組ずつ、を一時間の授業で披露し、踊らなかった生徒は、次回以降で、計五回の授業を双方の体育館で、全員が一通りダンスを披露した。双方の往復には、黄色いスクールバスの提供が、アメリカ側からなされた。

最初、岩国高校の体育館でラジカセの音がバックだった時は、ぎこちなかった生徒達も、二度目ペリー高校の授業会場=ジムの音響の素晴らしさを経験し、三回目は丁度、終了後がランチタイムだったこともあり、すっかり打ち解けて、双方から声が、片言の英語、日常で聞き覚えた日本語で話し合うようになっていたし、六月も後半になると、双方の生徒たちは、どこで自主練をしているのかは?分からなかったが、一丁前に、しかも、お互いに、音楽に合わせて、人に見せられるレベルのダンスを披露できる様に、なっていた。

教師要らずだった。

六月後半から七月に掛けては、ここに社会科の教員が、双方の教室で、教鞭をとった、しかし日本側は、どちらかいえば教鞭という形であったが、米国側は、事前に渡した資料を通して生徒同士でディベートさせる形式を採り、教師は、それを巧くリードして行った。

この方式は、浦添が、英語教師として通訳の介在に入った事もあり、日本側の社会科教師を大いに刺激し、また、アンも時間を見ては、プラスして、コミュニケーションの補助に着くことが、いい意味でプラスに働いた。

毎回、その模様は、弓削田達が、マイクとカメラをセッティングした後は、完璧に黒子に徹し、決し、双方の生徒の眼前に姿を晒さなかった事で、生徒達は見られている意識がなく、思っている事、今迄、漠然と感じていた事以上に、自由に話し合った。そして未知の世界を貪欲に吸収していった。誤解や偏見も含め、基地内の中の環境に関して話も率直に語り合っている。その事は、アンだけではなく、アメリカ側の教師にも新鮮な驚きであった。

思わぬ収穫だったのは、教師同士も、双方のメールアドレスや連絡先を交換し、時に、市内でアフター五を共にすることもあったが、その際、いつも、時間に遅れ気味の日本側の教師の作業量に関してアメリカの若い教師達から出る率直な疑問は、あれほど、この授業に反対していた組合側の教師にとって、意外、且つ、新しい見方を与えた様で、副校長の懸念は瓦解し、積極的なサポートを自主的にするきっかけとなった。

日本側の教師全体が、一致して、この授業に積極的に取り組むきっかけにもなった。

授業の進捗は、双方が自由にテーマを煮詰めていく事で内容は、超速の進歩を遂げた感じがした。

最終的に教師は、話題を提供し、生徒同士がそのことをディベートし合う形に授業は収斂していった。

この模様は、しっかりビデオで撮影され、その日の内に、無修正でコピーが弓削田からアンのレジデンスへ送られていた、エリックやアンと見ながら、社会科の授業では、浦添も混じって、その進め方の根幹が、ぶれていないかをチェックし、次回の進め方の方向性を討議するのが、夕方から夜の日課になっていた。

そして、ここには、たまに時間が合えば、スカイプで、吉野や日米の担当の教諭が、加わる事もあった。

この内容は、レジュメにして、次回の授業前の教材研究資料として、各担当教員や、校長・副校長、そして教育委員会や、校長経由。

正確には、校長の自宅での晩酌で、岩本の目でも閲覧され、六月の後半には、岩国高校の全職員や県、市の教育委員会が閲覧する資料になっていた。

わずか三ヶ月の授業ではあったが、非常に実りの多い時間になった。


(プロム)

そしていよいよ、七月の最終日、夏休み前に実施されるプロムの具体的な進行方法に関して、話し合いの場が、七月に入って岩国署で持たれた。

これは単に、六月中からの準備期間から、学校の会議室が手狭になる位、関係者の出席が、徐々に増えていったので適当な場所として基地内の会議室か警察署の会議室。そしていずれのアクセスが便利かという判断で決まったことであり、一切政治的恣意は働いていなかった。

この頃には、当初、反対または懐疑的な眼差しを送っていた県内の組合系の英語科や社会科教員達も、徐々に、その内容を知るにつけ、協力的な態度に変わっていった。

当然このニュースの県内や域内視聴率は、他の同時刻の他局の同様なニュース番組を凌駕していった。

しかし、ここは日本、世間の耳目を集めるが故に、アメリカの高校生との政府や自治体肝煎りの合同授業とはいえ、アメリカ映画のように未成年の男女交際に繋がる行為を学校が推奨するような、プロムは、なかなか理解を得る事は、難しくなっていった。

学校に父兄から賛否の声が滔々と寄せられ始めていた。

しかも、船頭、いや関係各所の指導的地位にいる人数=船頭の数は、増えて行った。

この事を取り上げた、ローカルニュースは、数字を上げ、あっという間に全国放送のニューストピックから、中央キー局の特番に格上げされていき、それに伴い、弓削田と、そのクルーの東京滞在は、頻度を上げていった。

彼の思う壺には、成った。この岩国高校と基地内のスクールの話を裏から支持したのが、彼だという事がばれるのに、そう時間は要しなかった。

結果、社会現象にした立役者としての彼の政権の支持率、及び在日米軍の好感度は、自衛隊に対する好感度の上昇と比例して過去最高の水準に達して行った。

そして、この事は、とうとうアメリカの当局経由で大統領の耳にも入る事態へとなっていった。

しかし、この事で各関係者のプロフィールが深掘りされていくにつれ、九五年の沖縄の事件や、未だ遅々として進まない普天間の移設問題、辺野古崎への強制移転問題が全国規模の話題として、直接、この事に関与できない同業他社の手により、再びクローズアップされて行った。

結果、本件と無関係な、普段は、ローカルメディアで収まっていた、沖縄県民の声までも広く世に届く事態となっていった。

弓削田は、その様な周辺事態を見越してか、一切他局の(関連)報道には触れず、黙々と作業を進めていった。

要は、彼のスタンスは、基地のある高校時と基地の中にある高校生の交流、それに関わった大人たち。という一線を絶対に超えなかった。

しかし、彼にとっては、好感度の上昇、故に、比例して、この枝葉の問題が、クローズアップされていく事態に、不快感と問題意識を募らせていった。

まして、今や、彼のアメリカ側のカウンターパートの耳に現状が面白可笑しく伝わっている事は明白である。

最悪なのは、それが彼(達)にとって“だけ“都合よく解釈される事である。

彼は、日本の基地の維持費が、自国にとって割が合わないと勘違いしている。

しかし、自身の支持者達に正当な理由で税金を還元させる為には、これらの基地をこのままの状態で、数、規模で、存続させる事が必要条件で有る。

この件で、河村に電話をして、迂闊に教えを乞う事はできない事も解っていた。

彼(河村)は、そもそもが、沖縄だけでなく、日本国内の米軍や自衛隊の基地は、無くなる。少なくとも大きく縮小削減されて欲しいと願う側に、いたからだ。

かといって、外務省や、国交省・経産省の優秀なキャリアでもある秘書官や官房は、自身や出身官庁にとって権益を増やす結果に繋がるこのブームに、ケチを付ける事は、無いと思えた。

要は、国内米軍基地の縮小に伴い、自衛力の向上を目指したいのが『彼の気持ち』それを壊す提案しか言ってこない。そして、その提案を聞かされた場合は“頷く”しかない事も明白である。

しかしその様な、官僚の提案を野党、いや国民に説明する立場の彼にとっては、この件に於ける事実をそのまま詳らかにする事は、自身の目論見(気持ち)を破棄する事に繋がり、できなかった。

唯一、女房役の官房長官と。自党のライバルであるミリオタならば、自身の考え(志向)とは、真逆の、国民か、官僚受けがする、良い提案が出来るだろう事は、分かっていた。

故に、ここは孤独に、自身の頭をフル回転させるしかない。と言うのが、彼の中での結論であった。故に先に思考が進まない状態に、体質的に、酒に逃げられない彼は、「詰将棋だ!」

と自室でうめくしかなかった。どのタイミングで世論の反発を受けない形でブレーキをかけ消火、しかも、巧みにフェードアウトするように完全消火させるか?

それが問題だった。

まず頭に浮かんだのが、『ぶら下がりの時に、このプロムに関して少しネガティブな発言をして様子を見る。という事だろう。そこからだ全ては。』という事だった。

仕込みのため受話器を取って(私設の第一秘書である)政策秘書官を呼んだ。



(反響)

ここまで世間が騒ぐことは、橋本も、浦添も想定外だった。

今や、岩本警部やエリックも含め関係者は皆、市内で顔を知らない者は“いない。

“ちょっとした”有名人状態になっていった。ミーティングで、使っていた、お好み焼き屋は、連日の聖地巡礼者で、満杯状態。

学校前のレストランも同様で、学校周囲も、通常より人目が多く、署内の武道教室は、英語と、護身術を学べる。ということで盛況を博していた。

市内アーケード等での高校生のプライベートなダンス練習には人集りができ、それは他校や小中学生の中にも広がりを見せていた。

また県下進学塾では、県下で上位の進学校である公立の岩国高校を目指す生徒が、他の進学校に増して相対的に増えていった。

勢い授業内容の打ち合わせに関与する教師は、外野からの声を授業に反映させたくはない。

従って会議は、河村校長の居間(応接)で、通訳として副校長以下英語教師も参加して双方の教師同士だけで、と云う形に、収斂されて行った。

唯、担当教師である橋本、浦添そしてリモートで参加する吉野と基地当局、要は、アンとエリックの話し合いだけは、アンのレジデンスで、今まで通りに行われた。

この頃になって、河村の導きも有り、双方の社会科教師達が、日本における基地問題に関して、日米の子供達同士で、自由に話をさせる、ということで教科内容を収斂して行った。

それは浦添をはじめとした、組合側は是非にも入れたいイシューでもあった。

意外だったのは、航空機ミリタリーマニアでもある、非組合系の社会科教師も、積極的に組合系が参加する企画に参画して来たことだった。

ただ、彼の問題意識は専門的な部分からであり、教育的な観点は欠落していた。

要は、浦添が、数ヶ月前の卒業式の時、昨年度の卒業生のミリオタ君から聞いた内容と同じで、在日米軍基地は、現状米国が想定する仮想敵国の武器の前では、無用の長物であり、その存在自体が、彼らをして、そこに攻撃を加える口実になるだけで、あって抑止力足り得ないこと。

そして、此処に対する、彼等の攻撃は、彼等にとっての自衛権の行使。と云う大義名分の下、国際的な理解が得られてしまう。と云う事なのだが、その様な方向に、授業をリードする事は、とても米国側の教師の理解を得られないし、それは教育ではなく政治問題である。ということで、意外な事に、河村校長に“断固一蹴“されてしまった。しかし、その内容は、双方の教師の脳裏に残って行った。

此処迄、世間の耳目を集め出すと、問題は、米国側の教師ではなく、日本の“上”の天からの意思、意向であった。

ややもすると、この教師が指摘した方向性は、お上の方向性に敏感な部分でもあったので、下手を打つと、この授業自体が、上から潰される『懸念』を橋本以上に日本側教師達は、意識して行った。

僅かな救いは、県内野党が、組合教師の働きかけもあって、この授業に対しエキセントリックな反対の態度をとっていない事。

又、意外な事に、アメリカ側教師は、それは重要な事実。として教材(素材)に残す事を希望した事であった。

又、県内野党の態度が、静観。故に、中央の野党も静観を決め込んでいて、唯一、政府の考えや、表明された考え方のプロセスの開示が無い事に、苛立ちを示していた。

この様な状況下、例のぶら下がりリークにより“彼”の御意向が、突如示された。

が、この事に対する野党の質問は、丁度、彼の外遊日程と言う表向きの大義名分が重なり、国会が開催出来ない状態にあり、この状況をして、折角、劇的に好転していた彼の支持率は、再び蕎麦屋問題の時と同じ勢いで、急降下し始めた。

この授業の先行きは、いきなり暗くなって行った様に、橋本にすら思え、事情が理解できるアンは、逐一、大佐に、その状況や観方を報告していた。

河村は、彼から…このイベントが公になり彼の関与が詳らかにされて行くに連れ…彼からの、電話やコンタクトが全く無くなっている事態で、彼の意向は、認識出来ていたが、少しだけ、テコ入れの、必要性は感じていた。

あくまで黒子として。携帯電話を取って、彼のスポークスマン。即ち官房長官に電話をした。

「もしもし、あ!官房長官お忙しい中、恐縮です。いや驚きましたが、あの発言。予めご存知でしたか?」

これだけで、この問いに対する反応だけで、彼のポジショニングは確認出来る。

シラを切り、当然知っていた。と言う回答にも、何か、白々しさを感じた。が、ここは相手のメンツを忖度し巧く木に登らせる必要性が有る。

この手の人種は煽てられる事には慣れている。

「あの方が、考えていらっしゃる方向性とは、少々、異なる方向に進んでしまい指導を少し利かせようと思いまして。」

おだて、て、尋ねなければならない。

此の方には。厭。此の方は、隣国との関係に対しては、上の方よりは、柔軟な発想を持っている事を知っていたので、そこを軽く突いてみた。

「ハイ、隣国が安心するには、保険が当地に残っている方が何かと」

そう、彼の年下の上司は、日本から米国基地が無くなる。少なくとも占領されている“(てい)”では無くなり、自国の安全は、自国で守る形を整える、見た目だけでも、対等な腕力を持つ事が、祖父の代がそうだった様に、彼にとっての“自国の理想とする形”なのだ。

しかし彼は、もっとプラグマティックな人間だった。

翌日、午前の官房長官の定例会見(談話)では、前日の、ぶら下がりに関する質問は、完全に黙殺された。

火消しは成功した。

弓削田は、官房長官談話を聞きながら、“このまま進めて構わないと言う事か“と得心した。

と同時に、他局の批判的な報道や、沖縄問題を掘り下げる様な報道は、嘘のように、掻き消え、タレントの不祥事や他愛も無い話しが、一斉に、ワイドショーや週刊誌上を飾りだしていた。

所詮、許認可を握られている日本のメディアは、戦前から変わらず、“大本営発表“を垂れ流すだけの、去勢された媒体に過ぎないのである。

ダンスの授業のドキュメンタリーは、既に、ゴールデンの特番に、格上げされていた。日米関係に深く関与する、地元の自動車メーカーや、国際的な金融機関のスポンサーが、十分満足する数字を上げていた。

弓削田の企画は、まんまとハマり彼は、いっそう上司や、在京キー局でも意見が通る様になって行った。


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