プロローグ
七夕の時期にX(旧Twitter)に投稿した短編に加筆したものです。
『今夜は七夕。全国的に晴れ。天の川……』
バイトの終わりに確認したSNSには七夕の話題がちらほら踊っていた。
私はブラックな待遇の悪い飲食業に勤めている。今日も二十二時の閉店までのシフトだった。後片づけをすまし店から出ると深夜といって差し支えのない時間となる。これから酔客の多く乗った電車を使い、一人暮らしのアパートに帰らなければならない。若い女性という属性は面倒だ。犯罪に巻き込まれる危険性を常に考えておかねばならない。疲れ切った体で、帰路を急ぐ。家の近くの駅から出ると、街灯の明かりこそついているものの、静まりかえった住宅街が広がっていた。家賃の低さを重視して決めたアパートは駅からしばらく歩かなければならない。やがて駅で一緒に降りた人々の姿も消え、家もまばらになってくる。薄暗い竹林のそばを歩きながらふと空を見上げると、見事な天の川が見えた。
私はあの世界で仲間と星を見上げたことを思い出していた。
♦︎♦︎♦︎
「あ、流れ星!」
森の中での野営だった。木々の間の暗闇は深く、焚き火の周りの空間だけが把握できるような状況だった。
木々の隙間から星がみえた。日本で見るのとは違う星空だった。地上の明かりが非常に少ないため、空には星々が輝いていた。
「魔女さま。流れ星とは、星が堕ちることをさしていますか?」
おそるおそる長いローブを着た聖女に聞かれる。私と同じ年頃の彼女の長い黒髪はローブに隠れている。幼いころに聖なる力を見出され、教会でずっと育ったと話す彼女は戒律で髪を長く伸ばしてる。彼女は家族の顔は覚えていないという。教会で聖なる力を増幅させるための修行を長年積んできたそうだ。それは、すべて魔王を倒すためだった。
「星が堕ちるのは、不吉の象徴だぜ? 魔王との戦いの前に見るとは俺たちも運がない」
焚き火の調整に枝をさしていた、筋肉隆々とした戦士が鼻で笑った。
「あちらでは、流れ星を見つけて星が見えなくなるまでに、三回願い事を唱えることができれば願いが叶うと言われていたよ」
私がそう伝えると、戦士は肩をすくめた。
「まぁ……ほんとうに魔女さまのお住まいだった世界は私たちと違うのですね」
「なんだっけか? 夜も明るく、人々は遠くに住んでいる者同士でも一瞬で文字で連絡が取れるどころか、話も出来るとか。そんで移動も早いんだろ?」
「うん……こことはいろいろ違う」
私はもう一度夜空を見上げる。
「すみません。私たちの世界を救うにはどうしても魔女さまのお力が必要だったので」
「召喚のことはたくさん謝ってもらったからもういいよ」
実際、この世界の人々は私のことを魔女と呼び丁重にもてなしてくれた。日本での扱いよりずっと大切にしてもらった。
それは私が世界を渡ることで、異能が顕現したからでもある。この世界の魔王との戦いに私はなくてはならない人物として召喚された。大学受験のための塾の帰り道、バスに間に合うために暗い路地裏を歩いていた時、私はまばゆい光に包まれた。眩しさがおさまり、目を開いたときにはこちらの世界の教会にいたのだ。たくさんの白い服を着た人々が私を囲み、彼らは私を「魔女」と呼んだ。召喚はこの世界を救うためだったと説明を受けた。日本ではただの女子高生で、厄介者で何者にもなれなかった私は、召喚された異世界で英雄扱いされた。それは魔王に対抗する異能を、この世界で私しか持っていなかったからだ。
聖女と戦士と、そして少し遠くで見張りをしている勇者。この四人が魔王を倒すパーティだった。
「無事に魔王が倒せますように」
私はもうとっくに流れてしまった星に両手を合わせて祈る。聖女が見よう見まねで真似をしている。彼女が普段行う祈りとは違う、日本式の祈りの形だ。彼女は自身の教義に目を瞑り、私の行動をこうやって尊重してくれた。戦士は「ケッ」とそんな私たちを腐した。
「祈ってどうなる? 魔王を倒すのはこの俺様の腕さ」
パンと、自信満々の仕草で心配するなというように戦士が自身の腕を叩く。彼の家族は魔物に殺されたそうだ。だから彼は魔物の元凶となる魔王を憎み、鍛え強くなりついに勇者パーティに選ばれた。
「まぁ……祈りとは神聖なものですよ」
聖女がプリプリと怒っている。でも私もこの世界の一神教の理を聞いたけどあまりピンとこなかった。かわりに自分たちの育った国では自然に神が宿っていると考えると説明したが、この世界の人々にはあまり伝わらなかった。私は思想とはかけ離れすぎるとお互い分かり合えないのだと思ったものだ。
「そろそろ交代してくれ。明日からは魔物の強さも段違いになるぞ」
「へえへえ」
勇者が焚き火の近くに戻ると、戦士が立ち上がった。魔王退治の旅はもう数か月続いている。旅の中では、かわるがわる見張りをしながら私たちは短い睡眠をとる。細身の体に大きな両手剣を背負った勇者は遅めの食事、乾パンと薄い野草のスープに手をつけながら、私たちに睡眠を促した。魔物の夜襲にも警戒しなければならないし、休める時に休まないと次の休憩がいつになるかわからないのも真理だった。
「おやすみなさい」
短い挨拶を交わし、私と聖女は先に眠りにつく。私たちの見張りは明け方だ。伝説の聖剣に選ばれたという勇者が、優しげな表情で私たちを見守っているのがわかった。
♦︎♦︎♦︎
命を賭して、あの世界を守るため共に戦った彼らの生死は私にはわからない。
魔王との戦いの最中、私だけ日本に戻されてしまったからだ。
すべての生き物が死に絶えた森の奥、魔王と呼ばれた何かは闇の塊だった。人語を解さず、ただ生物を飲み込みながら進むそれは確かに災いだった。瘴気が凝った物だと青ざめた聖女が呟く。魔王の周りにはいろいろな物が腐った匂いが充満していた。魔王が進むたびに木も草も小動物も腐り、闇に飲み込まれていく。底のみえない深い穴のような魔王の闇に、戦士の自慢の右腕は飲み込まれ聖女の浄化の光は届かなかった。勇者のこの国に代々伝わる聖剣すら魔王を切ることは叶わなかった。回復を担う聖女が力尽き、勇者が膝をついたとき、私は闇に向かって魔女の杖を構え、禁呪と言われる術を唱え始めた。全てはこの終わりの象徴のような闇を止めるだった。この国の人々の住む領域に闇を解き放ってはならない。幾多の命が闇にのまれてしまうだろう。
「やめろ!」
遠くで私に向かって制止する勇者の声がする。彼はこの呪文が私の命と引き換えだと知っている。
(ありがとう、その言葉だけで十分だよ)
「……フォービードゥエクス!!」
まばゆい黄金の光が魔王と私を包んだ。
♦︎♦︎♦︎
禁呪を放った後、しばらくなんの音も聞こえず見えなかった。しばらくはこれが「死」というものなのかと思ったほどだ。覚悟した死の苦しみはなにもなかった。
そして。
突然、私は暗い場所に立ち大きな雨粒に全身を叩かれていた。バタバタバタと大きな音が響いている。あちらの世界とは違う、生暖かい湿気に私は包まれていた。
日本の知らない場所に私は立っていた。夜中で大粒の雨が降っていて、私はあちらの魔女の服のままずぶ濡れになった。
「うそ……だって、さっきまで」
混乱し唇が震えたのがわかった。濡れたあちらの服が重くただ気持ち悪かった。人気のない片田舎の車道しかない道を歩き、コンビニの暖かい明かりをどうにか見つけたとき、本当に日本に戻ったことがわかったのだ。私には行方不明の届けが出されていたらしく、大騒動だった。異世界で過ごした時間と同じ分だけ、私は日本でも行方不明になっており、その間のことを私は異世界いたと大人に話した。みんな私の言葉を困った顔でうんうんと聞いてくれたが、すぐに精神科にかかることになった。受験のストレスによるという、なにかの病名が私にはついた。ストレスの少ない生活がなによりも大事だと両親は説明を受け、体面を気にする両親は、私をカウンセリングに毎週通わせた。大人たちはだれも私の話を正面切って否定しなかったが、だれも信じてはいなかった。
表面上、私が異世界に言ったという話を信じている精神科の病院のカウンセラーが訊く。
「異世界の人々はなんにためにあなたを呼んだんでしょう?」
「魔王を倒すため」
「でもそれならもっと体力のある男性の青年を呼んだがよかったはずだ」
「そこまでは私にはわかりません」
うつむいて答えながら、私はうすうす気づいている。聖女が幼いころから両親と引き離れて修行しか許されなかったように、異世界のあの国の大人たちは、魔王を倒すために子どもを使うことに慣れ切っていた。命と引き換えに、魔王を倒す禁呪を使える異世界の魔女。少しちやほやするだけで喜んで身を投げ出すあちらになんの縁もない子ども。彼らはきっと私を禁呪の生贄として呼んだのだ。
こうして私は日本で、作り話をする変わり者のただの女子高生に戻った。これが異世界で魔女と呼ばれた私の、なにかに化かされたみたいな顛末。
だけど仲間の三人と一緒に旅をした数か月、私はたしかに誰からも必要とされていた。日本で暮らした十数年と比べても、ずっと大事にされたのだ。
七夕の夜、星に願う。どうか一緒に旅をした優しい彼らが、いまも無事に生きていますように。彼らの暮らすあの世界が救われていますように。魔王が倒せていますように。どうか、お願い。
このあと日本で弟子が押しかけてくるローファンのプロローグ的な話になりますので、一応連載にして、完結にしております。が、他にも書きかけの話がたくさんあるので、続きはいつになるかわかりません!ごめんなさい。