異世界葬儀屋は弔いの歌をうたう ~魂の未練、お晴らしします~
黒檀の杖が石畳を「コツン」と鳴らす。
俺の仕事はいつだって街の喧騒が届かない、静寂の中から始まる。
人々が忌み嫌い、けれど誰かがやらねばならない仕事『葬儀屋』。それが俺の生業だ。
この世界では強い未練を抱いて死んだ魂は行き場をなくして現世を彷徨う。
やがてそれは「怨霊」と化し、生者に災いを振りまく。そうなる前に魂を浄化し、安らかに次なる世界へと導くのが俺たち葬儀屋の役目だ。
俺には生まれつき特殊なスキルがある。
『魂魄対話』。
死者の魂に触れ、その最後の想いや記憶の断片を映像として視ることができる。
この力のおかげで俺は他の誰よりも深く、魂の未練に寄り添うことができる。だが、それは同時に死者の苦しみや悲しみ、怒りや後悔を自分のことのように追体験するということでもあった。
心の摩耗と引き換えに魂を救うための鍵を探す。
それが俺のやり方だ。
今日の依頼主は最近急成長していた豪商、アルマン・ケンドリック氏の遺族。
公式の発表では視察に向かう途中の崖道で馬車がバランスを崩し、転落した事故死、ということになっている。
壮麗な屋敷の広間には富の象徴のような立派な黒曜石の棺が置かれ、高価な喪服に身を包んだ親族たちがいかにも悲しそうな表情を浮かべていた。
だが、その瞳の奥に宿る感情は悲嘆よりも、安堵や計算高い欲望の色が濃いように見えた。
俺は慣れた手つきで祭壇の準備を整え、魂を鎮めるための浄化の香を焚く。清らかな煙が揺らめき、空間に満ちていく。
そして、静かに棺に手を触れ、意識を集中させた。
『魂魄対話』
目を閉じると冷たい闇の中に、ぼんやりとした人型の光が浮かび上がる。アルマン氏の魂だ。彼は激しく揺らめき混乱しているようだった。俺は静かに語りかける。
「アルマン・ケンドリックさん。私は葬儀屋のノア。あなたを安らかなる場所へとお導きします。どうか、心を安らぎに委ねて……」
しかし、魂から叩きつけられたのは安らぎとは程遠い、燃え盛るような怒りの感情だった。
「違う……違うッ!事故などではない! 俺は…俺は殺されたんだ!」
脳内に直接と言って良いほどの魂の叫びが響く。
同時に断片的な映像が嵐のように流れ込んできた。
ガタガタと激しく揺れる馬車の内部。
長年信頼していたはずの御者の能面のような冷たい横顔。
ゆっくりと開かれる扉。
抵抗する間もなく突き飛ばされる瞬間の内臓が浮き上がるような不快な浮遊感。
崖下へ落ちていく間際に見えた誰かの袖口で鈍く輝く『獅子のカフスボタン』。
そして途切れ途切れにフラッシュバックする。
屋敷の書斎で一人娘の肖像画を愛おしそうに撫でる生前の温かい記憶。
「……っ!」
俺は思わず棺から手を離し、数歩後ずさった。
額にびっしりと冷や汗が滲む。
今のビジョンはなんだ? 事故なんかじゃない。
彼は、殺されたんだ。
この強烈な怒りと未練……このままではアルマン氏の魂は確実に怨霊と化してしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「……失礼。少し、魂がお荒れのようだ」
俺はそう呟き、儀式を一時中断する。
怪訝な顔をする遺族たちを一瞥し、俺はアルマン氏の一人娘だという少女に声をかけた。
亜麻色の髪を持つリリアと名乗った彼女は父親とは似ても似つかない、ガラス細工のように儚げな印象の少女だった。
「リリア様。恐縮ですが、故人の魂を安らかにするため、いくつかお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「……父の魂が、荒れている? あなたのような方に父の何が分かるというのですか。死者の懐を探って金品を漁る、ハイエナのような輩だと聞いていますけれど」
リリアは俺を汚物でも見るかのような目で睨みつけた。葬儀屋に向けられるありふれた侮蔑の言葉だ。
俺は傷つきもせず、ただ静かに頭を下げた。
「ええ、何も分かりません。だから知りたいのです。故人が最後に見ていた景色を、感じていた想いを。それが私の仕事ですので」
俺の真摯な態度に何かを感じたのか、あるいは他にすがるものがなかったのか。リリアは少しだけ警戒を解き、屋敷の別室へと通してくれた。
「父の部屋で、何か気になるものでも?」
「ええ。書斎にあったという、あなたの肖像画を」
リリアに案内された書斎は主を失った今も整然としていた。壁にかけられた肖像画の彼女は今よりも少し幼く、幸せそうに微笑んでいる。俺が鑑定した通りアルマン氏はこの絵を、娘を、心から愛していたのだ。
「父は、強欲で、冷たい人間だと皆は言います。……私でさえ、そう思っていました。いつも仕事の話ばかりで、私のことなど見てくれていないのだと。でも、あなたは……父の魂に触れたあなたは、違うと言うのですか?」
リリアの声は震えていた。
「魂は嘘をつきません。アルマン様はあなたのことを深く愛しておられた。それが彼の魂の核にある、一番温かい記憶です。そして……彼は事故死ではありません。殺されたのです」
「なっ……!」
俺は彼女に、魂から視たビジョン。
御者への不信感と『獅子のカフスボタン』について話した。獅子のカフスボタンはケンドリック商会で幹部の地位にある者だけが身に着けることを許された特別な品だという。
容疑者は複数人いた。
最初は父の死の真相に怯えていたリリアだったが父の本当の愛情を知った今、彼女の瞳には強い意志の光が灯っていた。
「分かりました。……父の魂が、安らかになれるというのなら。私が協力します」
翌日、俺はリリアと共にまずは事故現場へと向かった。
鬱蒼とした森を抜ける崖道。
馬車が転落したという場所にはまだ生々しい轍の跡や、折れた柵が残っていた。
俺は崖の縁に立ち再び『魂魄対話』を試みる。
今度は場所が同じせいか、より鮮明なビジョンが流れ込んできた。馬車から突き落とされる瞬間のアルマンの視界。犯人の袖口。
そして鼻をつく微かな『鉄錆の匂い』と馬が何かを嫌がるように嘶く声。
「リリア様、この辺りで鉄製品を扱うような場所は?」
「いいえ、ただの森道ですわ……。ですが、そういえば昔、猟師が罠を仕掛けていたと聞いたことがあります」
その言葉に俺たちは周辺を注意深く調べ始めた。
すると、草陰に隠れるようにして古びた獣避けの罠が打ち捨てられているのを見つけた。おそらく犯人はこの罠を馬の通り道に仕掛け、馬が暴れた一瞬の隙を突いてアルマン氏を突き落としたのだ。用意周到な計画殺人。
屋敷に戻った俺たちはリリアの手引きでカフスボタンを持つ幹部たちに一人ずつ話を聞いて回ることにした。
最初に会ったのは、古参の経理部長だった。
彼は心底同情したような顔で語る。
「アルマン様のやり方はあまりに危険でした。何度も諌めたのですが、お聞き入れになられなかった。このままでは会社が傾くと、皆が心配しておりましたよ」
彼の言葉はもっともらしく聞こえたが、事件当日のアリバイを尋ねると、曖昧に言葉を濁した。
次に会ったのはアルマン氏が最近重用していたという、新進気鋭の事業部長だ。
「会長は偉大な指導者でした。彼の後を継ぎ、この商会を更に大きくするのが私の役目です」
彼は野心を隠そうともせず、その袖口からは見せつけるように獅子のカフスボタンが覗いていた。
そして最後にアルマン氏の実弟で、商会のナンバー2であるヴァレリー叔父に話を聞いた。
「兄の死は悲しい。だが、リリア、お前のためにも我々が会社をしっかり守っていかねばな」
彼はリリアの肩を優しく叩き、冷静に振る舞っていた。だが、俺が事件現場の状況を話すと、彼の瞳の奥が一瞬、鋭く光ったのを俺は見逃さなかった。
聞き込みを終えて屋敷を出るとどこからか情報が漏れたのか、俺は街の男たちに絡まれた。
「おい、見ろよ、葬儀屋だ」
「死神がうろついてやがるぜ」
「人の不幸で飯を食うハイエナめ!」
罵声と共に小石が飛んでくる。
俺は避けようともせず、ただ受け流そうとした。
慣れていることだ。だが、その時だった。
「おやめなさい!」
リリアが、俺の前に立ちはだかり、両腕を広げて庇ってくれたのだ。
「この方は私の依頼人です! 父のために尽力してくださっている方を侮辱することは許しません!」
彼女の毅然とした態度に男たちは気圧されて散り散りになっていく。
「……ありがとうございます」
「いいえ。……今まで、私も同じように思っていました。でも、違う。あなたは、誰にもできない、尊いお仕事をしているのですね」
彼女の言葉がささくれ立っていた俺の心に温かく染み渡った。
その夜、ヴァレリーからの報復はすぐにやってきた。
宿屋に戻る途中、路地裏で屈強な男たちに囲まれたのだ。
「少し、嗅ぎ回りすぎたようだな、葬儀屋」
俺は抵抗する間もなく殴られ、蹴られた。
彼らは俺の商売道具である黒檀の杖をへし折り、高笑いしながら去っていく。
薄れゆく意識の中で、俺は逆に確信していた。
犯人は焦っている。真相はもうすぐそこだ。
偶然路地裏を通ったリリアに発見され、献身的な介抱で意識を取り戻した俺は彼女にあることを頼んだ。
「ヴァレリー様の行動に、不審な点は?」
「叔父様……? そういえば、父が亡くなる少し前、父の書斎で酷く口論しているのを見ました。父が何かを厳しく詰問していて……」
その言葉が最後のピースだった。
俺はリリアに父の書斎をもう一度徹底的に調べるよう依頼した。俺は魂からヴァレリーが追い詰められていたことを視ていた。その原因が必ずそこにあるはずだ。
リリアは父の書斎を調べ直し、隠し棚の奥から一冊の秘密帳簿を見つけ出した。
そこにはヴァレリーが会社の金を長年横領し、自身の失敗した投資の穴埋めに使っていたという動かぬ証拠が克明に記されていた。アルマンはそれに気づき、弟に自首を迫っていたのだ。
全ての準備は整った。
俺はまだ痛む体を引きずり、リリアと共に親族たちが集まる広間へと向かった。そして皆の前で静かに口を開く。
「アルマン様の魂が最後の言葉を伝えたがっておられる」
ざわめきが起こる。
俺はヴァレリーの前に立ち、彼の目を見据えた。
「アルマン様は、事故現場で鉄錆の匂いを感じておられました。そして、あなたの弟を想う心も」
そしてリリアが秘密の帳簿をテーブルの上に叩きつける。
「叔父様、これは一体どういうことですの!」
ぎょろっとした目が大きく広がる。
そして彼はそれが何なのか把握した後、小刻みに震え、観念したようにヴァレリーは膝から崩れ落ちた。
「どうしてそれが……」
「もう……終わりにしましょう」
彼は俯くと、ポロポロと自白し始めた。
「そうだ……。兄さんは、俺の不正に気づいていたんだ! 全てを公にし、自首しろと……。そんなことをすれば、俺の人生は終わりだ! だから、やるしかなかったんだ…!」
動機は会社のためなどという大義名分ではない。
卑劣な自己保身だった。
ヴァレリーの絶叫が響く中、衛兵が彼を連行していく。騒然としていた広間がやがて静寂を取り戻した。
だが俺の仕事はまだ終わっていない。
一番大切な儀式が残っている。
俺は再び、黒曜石の棺に手を触れた。
アルマン氏の魂は犯人が捕まったことで怒りは鎮まっていたが、今は深い哀しみに満ちていた。
たった一人の弟を自分の手で断罪しなければならなかった後悔。そして、娘に何も伝えられなかった無念。
俺はその想いを静かに自分の声に乗せて紡いでいく。
それは弔いの儀式であり、魂の代弁であり、まるで歌をうたうようだった。
「『最愛の娘、リリアへ。お前を誰よりも愛している。いつも仕事ばかりで寂しい思いをさせたな。不器用な父親で、すまなかった……』」
「『そして、愚かな弟、ヴァレリーへ。なぜ一言相談してくれなかったのか。お前のことも家族だと思っていたのに……』」
俺の言葉を聞きながらリリアは「ううん、お父様……知ってたわ。知っていたのに、素直になれなくて……」と声を上げて泣き崩れた。
彼女の純粋な涙がアルマン氏の魂を優しく包み込んでいくようだった。
その瞬間、棺からまばゆい光が放たれた。
アルマン氏の魂が満足したように微笑んでいるのが俺には見えた。
憎しみも、怒りも、哀しみも、全てが浄化されていく。魂は光の粒子となり天へと安らかに昇っていった。
……弔いは、終わった。
数日後、街から出ようとする俺の元にリリアが訪ねてきた。彼女はケンドリック商会を正式に継ぐ決意をしたという。その表情は以前の儚げな少女ではなく、父の愛情を胸に未来を見据える指導者の顔つきになっていた。
「ノアさん。本当に、ありがとうございました。あなたは、父だけでなく、私の心も救ってくれました。これはほんの気持ちです」
彼女は金貨が詰まった重い袋を差し出したが、俺はそれを受け取らず、代わりに折れた杖の代わりに拾った、ただの木の枝を手に取った。
「私の報酬は、魂が安らかに眠ることだけです」
リリアは驚いた顔をしたが、やがて優しく微笑んだ。
「……あなたは、本当の葬儀屋さんなのですね」
俺は何も言わず、ただ小さく頷いて背を向けた。
英雄ではない。救世主でもない。誰に感謝されることも、称賛されることもほとんどない。
それでも、この仕事には意味があると信じている。
新しい杖代わりの木の枝で地面を一度だけ打ち、俺は次の弔いの地へと歩き出す。
どこかでまた、救いを待つ魂が、俺の弔いの歌を待っているはずだから。
お読みいただきありがとうございました。
他にも連載中の作品などあるのでぜひお読みに来てくださいね。