子供と神様と
その男の子はまだ七つほどに見えた。
まだ学校の授業も少ない小学校低学年の子供達に混じっていたから。
「ほら。鬼さんこちら。こっちだよ」
その子は鬼ごっこが得意だった。
公園にゲームを持ってきて遊ぶような現代っ子達を言葉巧みに誘って結局皆で汗まみれの泥まみれになってしまう。
「あぁ、夕焼けのチャイムが鳴った。鳴っちまった」
その子はとても大人びていた。
「さぁさぁ、おっかぁやおっとぅが待っているよ。帰った帰った」
まだまだ遊びたいと愚図る子供達を追い返すように見送って。
「また、明日も遊ぼうなぁ」
そして子供が居なくなった公園でぽつり一人でブランコに乗って歌い出す。
大人の私でさえ知らない歌を。
私はずっとあの子の事が気になっていた。
それはきっと、私が児童相談所で働いているからだろう。
あの幼い子は何故、家に帰らないのか。
何故、両親が心配して探しに来たりしないのか。
だから、私はある日その子に声をかけた。
「君。もう夜の七時だよ」
「あぁ、本当だ」
私の声掛けに男の子はブランコに乗ったままにっこり笑う。
「帰らないの? きっと君のお母さんやお父さんも心配しているよ」
「へぇ。心配してくれるの?」
「そりゃそうだよ。お姉さんさ。時々この公園を通るけど、君はいつも夜遅くまでここに居るじゃない」
すると男の子は笑みを深めて言った。
「嘘吐き。毎晩ここを通っているじゃないか。疲れているだろうにお休みの日だって律儀にさ」
「えっ?」
「お嬢さん。君はとても優しいね」
男の子はブランコを降りる。
「お嬢さんみたいな人がいるとさ。嬉しくなるんだ。人間ってなんのかんの優しいなって」
そう言うと男の子は手招きをして歩き出す。
私が無言で彼についていくと公園の端っこで男の子は屈みこんだ。
「これ、見える? これが私の家」
そう言って指差されたのは大きな石だった。
サッカーボールより一回りほど小さいそれを見つめている私に彼は言った。
「ここ。小さいけど社があったんだよね。だけど、取り壊されちゃってさ」
男の子は伸びをする。
「信仰なんかも得られなくなって後はもう消えるばかりなんだけどね。これでも神様の端くれだから、せめて消えてしまうまでは子供達をこうして見守っていくつもりなんだ」
滑稽な話だ。
そう思おうとした刹那、その子はあっさりと消えた。
まるで自分の話した事を証明するように。
「あなた。子供が好きなの?」
石に。
あるいは彼の家に私は尋ねる。
すると頭上から声がした。
「そりゃ勿論」
頭上を見上げると木の枝に座り込んだ彼が居た。
そんな彼を見上げながら、私はたった今、思いついたことを口にした。
「なら、協力してほしいことがあるのだけれど……」
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「安心して。落ち着いて。ゆっくりと深呼吸をしよう」
そう言って一人の青年が優しく少女に話しかけていた。
すると先ほどまでは私の声を両手で耳を塞いでまで拒絶していた少女が恐々と耳から手を離す。
「何も言いたくなければ何も言わなくていい。だけど、息を止めるのは苦しいから深呼吸だけはしてみようね」
穏やかに笑う青年の表情と声に少しずつ、本当に少しずつ少女は警戒を解いていく。
「……なさい」
不意に少女が私を見る。
「えっ?」
驚く私に少女が言った。
「無視しちゃって……ごめんなさい……」
自分を守るために耳を塞いでいただけなのに、その行為さえも後ろめたく思う少女に私は胸を痛めながら微笑んだ。
「無視だなんて……そんなこと思っていないよ」
泣き出してしまった少女の背中をそっと撫でる。
「一つずつ。本当に一つずつでいいから話してごらん」
数時間後。
どうにか笑顔を取り戻した少女を見送りながら青年がぽつりと呟いた。
「幸せな子供ばかりじゃないんだねぇ」
「そうね。むしろ、今の時代は不幸な子供の方が多いかもしれない」
「お嬢さん、それじゃもしかして僕の事もそんな子供だと思ったのかい?」
青年の言葉に私は頷いた。
彼の家、つまりあの石を職場に置いてからもう随分と経つ。
信じてくれる人や感謝してくれる人が増えたせいか、彼はもうあのような小さな子供の姿ではない。
「これじゃあ、おちおち消えてもいられないな」
「ええ」
私は頷く。
「だから、これからも私達に力を貸してね。神様」
「そりゃもちろんだよ。僕は子供が幸せな顔をしているのを見るのが好きだからね」
人々から忘れられかけた神様は今日も私と一緒に子供達を一人でも幸せにするために生きている。