06:2度目の初ライブ①
赤坂駅の改札を出た優花は当たり前のようにまっすぐ進み、ある所で足を止めた。
「わぁー、懐かしい」
駅から赤坂DLITZへ向かう途中には、3分で自分の惑星に帰ってしまう某ヒーローが立っている。
前回のバンギャ人生で何度も訪れたこの会場では、このヒーローの前で記念撮影するのが定番だった。相方やファンの友達と、何枚も写真を撮ったものだ。
鞄から取り出した使い捨てカメラのフィルムを巻きながら、優花は周囲を見渡した。彼女の耳には「カリカリ」という音が響く。
──あっ! あの人にお願いしよう。
ヒーローのすぐ近くで、携帯をいじりながら一人で立っている全身真っ黒な装いの女性。
見るからにバンギャという見た目の彼女は、友達を待っている様子でたまに顔を上げては周囲を見渡している。
そんな彼女に、優花は少し弾んだ足取りで近づいた。
「すみません。シャッター押してもらえますか?」
いじっていた携帯から目を離したそのお姉さんは、微笑んで心よくカメラを受け取ってくれた。
「後ろも入れた方が良いですか?」
「はい。お願いします!」
「はい、チーズ」
とっても親切なそのお姉さんは、念のためにと言って二枚も写真を撮ってくれた。
彼女の胸には、苺のペンダントが揺れている。
きっと、一檎のファンだろう。
彼女にお礼を言って別れると、ゆっくりと階段を登りDLITZ前の広場に立つ。
すでに開場時間を過ぎているので人もまばらだが、まだ入場していないバンギャさんたちがいる。
座って何かを食べている人。
仲間で写真を撮っている人。
寄せ書きみたいなものを回して、真剣に書いている人。
誰かを待っている様子の人。
などなどだ。
懐かしい独特の雰囲気に頬を緩めた優花は、会場前でも手の空いていそうなお姉さんに写真を撮ってもらい入場した。
入口のカメラチェックで使い捨てカメラを預け、ドリンク代の五百円を払ってコインをもらう。
懐かしいそのコインを指で軽くなぞりながら、大切そうに財布に入れた。そんな彼女の顔には、柔らかい笑みが広がっている。
──そういえば、前回も初ライブの記念に、このコインを持ち帰ったっけ?
そんなことを思い出しながらトイレを済ませて、開いているドアからフロアーに足を踏み入れる。
客席前方はギュッと詰まっているが、後方には人が少なく余裕がある。
会場中を軽く見渡した優花は、後方の見やすそうな場所に向かい、PHSを開いて時間とマナーモードになっているかを確認した。
7月20日 18:55
あと5分で開演予定だが、ライブが始まるのは30分後くらいだろう。
平成後期には、開演時間から15分後にはスタートするのが当たり前になっていたライブ。
この頃は、30分くらい押すのが当たり前だった。
後ろの方が好きだった優花は、ソールド……いわゆる、チケットが全て売り切れていない公演では、開演時間の15分後くらいに会場入りしていた。
たまに、早くスタートする公演にぶち当たった時は焦ったものだ。
入口でチケットをもぎってもらっていると、中から曲を演奏している音が聞こえてくるのだ。
心の中で「やっちまった」と青ざめたことは、一度や二度じゃない。
そんな風に昔を懐かしんでいると、少しずつ人が増えていき、開いていたサイドの扉がパタリと閉じられた。
スモークはすでにステージを覆い、わずかに照らされた照明の灯りの中でうごめいている。
独特のその匂いに懐かしさを感じ、胸の奥でバンギャの血が騒ぎ出す。
それから程なくして流れていたBGMが止まり、真っ暗になる会場。
「「「「「キャーーーー」」」」」
一斉に上がる、悲鳴に近いほどの黄色い歓声。
それと同時に、ステージを目がけてファンが殺到し、客席前方がギュッと詰まって大きくうごめく。
「璃桜様」「璃桜」「璃桜様」
「一檎」「一檎」「一檎様」
「ヒマたま」「ヒーマー」「太陽」
「紫苑様」「紫苑」「紫苑様」
「牡丹」「牡丹」「牡丹様」
青い照明がステージを照らしてSEが流れ出した瞬間、あちこちで始まったメンバーコール。
可愛い声。
低いがなり声に近いデスボイス、通称デスボ。
ほとんどが女性の声だが、中には男性の低い声もいくつか混じっている。
様々な音色の声があちこちで上がり、会場内の熱気がどんどん上がっていく。
それを耳にするだけで、優花の心臓は飛び跳ねるように踊り出す。
前回は人生で初めてのライブということもあり、会場後方の端っこでこの盛り上がりに目を丸くして圧倒されていた。
しかし、100本以上のライブに参加してきた優花。
オバンギャと呼ばれてしまう歳まで通い続けたライブ会場のこの熱気は、優花の中のバンギャ魂に火をつけた。
今すぐにでも暴れ出したい衝動を抑えてステージを見つめていると、一人のメンバーが出てきた。
青い光を包んだスモークが、ステージを妖しくうごめくなか。
シルエットだけが見えるそのメンバーは中央にあるお立ち台に登ると、右手に持ったスティックを掲げた。
「「「「「「キャーーーー」」」」」
大きな歓声が上がったあとは……
「「「「牡丹」」」」
「「「「牡丹様」」」」
ドラムの牡丹を呼ぶ声、一色に染まる会場。
そうして、客席のファンから見てステージの右側にあたる上手ギターの一檎。
ステージの中央からやや左側、下手寄りでプレイするベースの紫苑。
ステージの一番左手。下手ギターの太陽。
次々とメンバーが登場し、会場の熱気はどんどん上がっていく。
最後に手にマイクを持って颯爽と登場し、お立ち台に上がった璃桜様。
彼の姿が見えた瞬間。
会場は爆発するほどの、熱い璃桜様コールに包まれた。
その声に混じって優花も大声をあげて璃桜様の名前を呼び続けていると、ステージが突然明るくなった。
さっきまでシルエットしか見えなかったメンバーの姿が、バーンと瞳に飛び込んでくる。
「「「「「「キャーーーー」」」」」
一段と大きな歓声が上がると共に、打ち鳴らされるドラムのカウント。
そして一斉に始まる演奏。
一曲目は、インディーズ時代の名曲『Ice Doll』だ。
メジャーに上がって曲数が増えていくにつれて、ライブで聴くことが少なくなってしまった『Ice Doll』。
イベントで配布したデモテープにしか収録されておらず、一部のファンしか音源を持っていない。
この曲をライブで聴いたことがあるというのは、ファンにとってステータスの一部だった。
インディーズから青薔薇を支えたファンは、それを自慢してマウントを取り。
マウント攻撃を浴びたメジャー以降のファンは、心の中で歯ぎしりする。
そんな両者の間では、何度も不毛な争いが繰り返されたものだ。
年に数回だけ、ライブでやってくれた『Ice Doll』。
かなりの本数のライブに通っていた優花でも、数えるほどしか聞けなかった名曲だ。
そんなレアな曲から始まったライブ。
一檎のウィーンというギターの音の後に、璃桜様が歌い出した。