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25/27

25:1回目③

 翌日。

 ホテルを出た優花と楓は、ゆっくり歩いて武道館へ行った。


 看板も外されて、昨日の跡形がなんにもない。

 そんな武道館を見て、本当に終わったんだなと感じる。


 二人は無言のまま、しばらく武道館を見つめていた。



 ♪ ♪ ♪



 それから、優花は普通の日常に戻っていった。

 食欲がない日が何日か続いたが、一週間後には普通にご飯も食べるようになった。


 バイトにも行き、普通に喋って、普通に笑う。

 武道館のライブの前と後で、彼女が一つだけ変わったのは、音楽を全く聴かなくなったことだ。


 毎日、青薔薇の曲ばかり流していたCDラジカセは、あのライブの後から置物のように動かない。

 ふらっと入ったコンビニで青薔薇の曲がかかると、優花は逃げるようにコンビニを出るようになった。



 表面上、優花は日常生活をきちんと送り、元気に見えた。

 しかし、あの日から……ずっと。彼女の世界の酸素濃度は、低いままだった。


 肺いっぱいに空気を吸い込んでも、どこか苦しい。

 その苦しさが、わずらわしい。

 それから解放されたくて、思いつく限りの楽しいと言われることをしてみた。


 遊園地。映画館。花火大会。祭り。海。

 飲み会。お洒落なカフェでの女子会。


 休みのたびに、どこかに出かける。

 ツアーを回っていた時と変わらないくらい、忙しい夏だった。


 それでも、青薔薇のライブに行った時のように、幸福で全身が満たされるようなことは一度もなかった。


 どんなに笑ってみても、どんなにはしゃいでみても。

 優花の中にある息苦しさは、消えないままだった。



 そして、あっという間に夏が終わった。


 秋になり、金木犀の香りがすると。

 璃桜様がこの香りを好きだと言っていたことを思い出した。


 冬になり、吐く息が白くなると。

 寒い中、薄着で二の腕をさすりながら歩いた、会場までの道を思い出した。


 春になり、桜が咲くと。

 メンバーがしていた花見の話を思い出した。


 夏になり、蝉が鳴くと。

 全国を駆け巡った、夏ツアーの日々を思い出した。


 晴れた青空を見れば。

 楓と「青薔薇の青だね」と言って見上げた空を思い出す。


 雨の匂いを嗅げば。

「雨の匂いが好き」と言っていた、璃桜様を思い出す。


 雪が降れば。

 札幌のライブ後に、雪にみんなでダイブしたことを思い出す。


 季節が巡るたびに、天気が変わるたびに。

 璃桜様を、青薔薇を、ファンのみんなを、思い出した。


 そのたびに、実感する。

 これからやってくる全ての季節に、青薔薇がいないということを。



 そんな風に、一年が過ぎ。二年が過ぎて……。

 少しだけ、優花は息を上手にできるようになった。


 そんな、ある日。

 あの日から止まったままの優花の心を救ったのも、彼女が避け続けた音楽だった。


 たまたま、見ていたTVで、デビューしたばかりのバンドが歌った瞬間。

 優花の瞳から涙がこぼれた。


 母も弟もいる食卓。それなのに、涙が止まらない。

 優花は顔を隠して泣いた。

 家族は、そんな優花に気がつかない振りをしてくれた。



 その数日後、久しぶりに入ったCD屋さん。

 最後にこの店に来たのは、青薔薇の解散ライブのDVDが出た時だ。


 なんとなく、V系コーナーに向かった優花は、様変わりしている売り場に衝撃を受ける。

 見たことのない若いバンドのCDが、目立つ場所に置かれている。

 青薔薇のCDは、「ふ」から始まるアーティストの棚に、一枚置いてあるだけだった。

 それを見た時。寂しさとともに、時間の流れを感じてしまった。



 家に帰り、買ったばかりのCDを再生する。

 久しぶりにCDを回したラジカセから、音が流れた。

 TVで聞いた曲のサビがかかるなり、優花はまた泣き出した。

 歌詞なのか。メロディーなのか。

 何が優花の琴線(きんせん)に触れたのかは、わからない。


 このCDの一曲目の曲を聞くたびに、優花はなぜか泣いた。




 久しぶりにライブハウスに行ったのは、それから少し過ぎた頃だった。


「紫苑が新しいバンドを組んだんだ。東京でイベントに出るんだけど行かない?」


 楓からそんな電話がかかってきて、行ってみることにしたのだ。

 紫苑が新しく組んだバンドは、HERALD。

 五人組のバンドで、パンク寄りの音楽だった。

 紫苑が、青薔薇以外のメンバーと同じステージに立っている。

 それが、なんだか不思議な感じがした。


 それから、優花は楓に誘われて何度かHERALDのライブに行った。

 正直、HERALDの音楽にはハマらなかったが、楓や、青薔薇ファンのみんなと会いたくて、遠征もするようになった。


 HERALDが出演したのは、いくつかのV系バンドが出演するイベントばかり。

 その中で、結成したばかりだという若いバンドの輝きに、優花の心が惹かれた。


 歌も、演奏も、パフォーマンスも、(つたな)い。

 それでも、ステージの上の彼らは抜群に輝いていた。

 対バンで見るたびに、動員が増えている。その勢いに目を見張るとともに、心が惹かれるのを優花は止められなかった。


 青薔薇以外のバンドに。

 璃桜様以外のボーカルに。


 惹かれたくなかった。

 心を動かされたくなかった。


 青薔薇や璃桜様と過ごした時間が、過去に変わっていくみたいで、嫌だった。

 青薔薇や璃桜様と過ごした時間が、嘘に変わっていくみたいで、嫌だった。


 それでも、どうしようもないほど惹かれてしまった。

 優花は浮気でもするような後ろめたさを感じながら、そのバンドのCDを買い、ワンマンへ足を運んだ。

 何回もライブに通ううちに、ライブを見ながら、心から笑うようになってしまった。


 そして、HERALDが野外のロックフェスに出演したことをきっかけに、V系以外の音楽も聴くようになっていった。



 そんなある日。

 優花は、ようやく覚悟を決めた。


 青薔薇の解散ライブのDVDを見ることにしたのだ。


 まだ封すら切っていなかったDVDを開けて、再生ボタンを押す。

 青いステージを見ただけで、胸がギュッとした。


 SEが終わり、演奏された一曲目。

 画面の中のメンバーを見つめる瞳は真剣そのものだ。


 一曲、一曲が懐かしくてたまらない。


 懐かしさと切なさを感じながら画面を見つめていると、ライブは中盤に差し掛かっていた。


 曲が終わり、初めてのMC。

 画面に映った璃桜様のアップを見て、優花は息をのんだ。


 そこには、ステージの下の優花には見えなかった、璃桜様の姿があった。


 画面の中の璃桜様は、時折、短く息を止めて呼吸を整えながら言葉を発していた。

 いつもと同じように笑いながら、いつもと同じ明るい声で話している彼の瞳は潤んでいる。

 そんな璃桜様が、優花には今にも消えそうな少年のように見えた。


 二歳年上で、いつも大人に見えていた、璃桜様。

 ステージの上で、いつもカッコよかった、璃桜様。


 優花の瞳に映る璃桜様はいつも大きくて、偉大な存在だった。

 しかし、今の優花はDVDの中の璃桜様の歳を超えている。


 そして、優花は思った。

 璃桜様も優花と同じように、普通の人だったんだ、と。

 二十五歳の普通の男の人だったんだな、と。


 二十五歳の優花がそこまで大人じゃなかったように、彼もきっとそこまで大人じゃなかったんだ、と。

 二十五歳の優花がそこまで強くなかったように、彼もきっとそこまで強くなかったんだ、と。



 そのことに気がついた瞬間。

 優花の瞳から、涙がこぼれ落ちた。

 それは、拭っても、拭っても、止まらない。


 優花は涙でぐしょぐしょになりながら、画面の中の璃桜様を見つめた。

 最後の曲である、『青い糸』の前。

 曲が始まると同時に、璃桜様の瞳にうっすらと涙が溜まるのが見えた。

 それを振り払うかのように、走り出した璃桜様。


 あ。あの時。

 走らなければ、璃桜様は最後の曲を歌えなかったんだ。


 なんとなく。

 そう思った。


 青薔薇の解散ライブから五年後。

 初めてこのDVDを見て、優花の心にストンとなにかが落ちてきた。


 この日。

 優花はやっと青薔薇の解散を受け入れられた。


 そして、優花の世界に酸素が戻ってきた。

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