24:1回目②
開演時間から30分後。
流れていたBGMが止まり、客電が落ちた。
「「「「「キャーーーー」」」」」
一斉に上がる、悲鳴に近いほどの歓声。
「璃桜様」「璃桜」「璃桜くーん」
「一檎」「一檎様」「一檎」
「ヒマたま」「太陽」「ヒマー」
「紫苑様」「紫苑」「紫苑様」
「牡丹」「牡丹様」「牡丹」
青い照明がステージを照らして、壮大なSEが流れ出した。
それと同時に、あちこちで始まったメンバーコール。
優花たちの周りでは、すでに泣き出している人もいる。
「璃桜様―! 璃桜様―! 璃桜様―!」
「紫苑! 紫苑! 紫苑!」
優花も、隣の楓も。
大きな声をあげて、自分の推しを呼ぶ。
そして、最初のメンバーが出てきた。
青い光が照らす暗いステージを、ゆっくりと歩くシルエット。
最初に出てきたのは、ドラムの牡丹だ。
彼は中央にあるお立ち台に登ると、右手に持ったスティックを掲げた。
「「「「「「キャーーーー」」」」」
「「「「牡丹」」」」
「「「「牡丹様」」」」
悲鳴のような歓声とともに、ドラムの牡丹を呼ぶ声、一色に染まる会場。
続いて……一檎、紫苑、太陽。
次々と、メンバーが登場する。
紫苑が出てきた時、優花は隣にそっと視線を向けた。
楓が潤んだ瞳で紫苑を見ながら、彼の名前を呼んでいる。
その表情を見て、鼻の奥がツーンとする。
優花は何かがこぼれないように、慌ててステージに目を戻した。
次々とステージに出てくるメンバーを見ても、優花の胸は重苦しいままだ。
息を吸っても、吸っても。
酸素で満たされない肺。
ライブが始まる前の熱気は、確かにそこにある。
最後だからこそ、思いっきり楽しみたい。
そんな想いがあるのに、心は沈みこんだままで、上がってきてくれない。
いつもとは全く違う。
そんなライブの始まりに、優花は戸惑っていた。
自分の心をなんとか浮上させようと悪戦苦闘しているうちに、SEの曲調が変わった。
それと同時に、璃桜様が両腕を広げながらゆっくりと出てきた。
会場からあがる歓声が、いっそう大きくなる。
それを浴びながら、璃桜様が真ん中に立ち、マイクを持った。
それと同時に、牡丹がスティックを叩き、カウントを取る。
そして、演奏が始まるのと同時に、ステージが明るく照らされた。
全員。インディーズ時代のような、真っ黒な衣装を着ている。
そんなメンバーの近くには、一輪の青い薔薇が置かれていた。
ギターとベースの三人は、全員、アンプの上に。
璃桜様は、ドリンクを置いてある台の上に。
牡丹はドラムの近くに台があり、その上に。
バンド名でもある、青い薔薇。
彼らの象徴でもあるその花が、ステージに置かれている。
そんなことは初めてで、これが今までとは違うライブだということを実感する。
彼らが最後のライブの一曲目に選んだのは、インディーズ時代の名曲『Ice Doll』だ。
最近では、あまりライブでやらなくなっていた久しぶりの『Ice Doll』に、会場から大きな歓声があがる。
そして、一曲、一曲、ライブが進んでいった。
その全てが、ライブで聞く最後の曲だ。
曲が始まるたびに、優花は歓声をあげて。
それと同時に、これが最後だと思って切なくなる。
大好きな曲が聞けて嬉しいはずなのに、最後だと思うと、どこかノリきれない。
最後だからこそ楽しみたい気持ちと、それができないもどかしさを感じながら、ライブは進んでいく。
時折、隣を見ると、楓が泣きはらした真っ赤な瞳で紫苑をじっと見つめている。
そんな楓の顔を見て、泣きそうになり、優花は唇をギュッと噛んだ。
あっという間に本編が終わり、メンバーがステージからはけた。
ステージの上からメンバーが全員消えると同時に、あちこちでアンコールを呼ぶ声と手拍子が鳴る。
「アンコール……アンコール…………」
「……アンコール……アンコール…………」
「アンコール……アンコール…………」
「…………アンコール……アンコール…………」
最初はバラバラだったその声も、前の方からすぐにまとまっていき……
「「「「「……アンコール……アンコール…………」」」」」
揃った大きなひとつの声に変わった。
会場中の想いがこもったかのような、熱いアンコールの声。
それは濁流のようにファンの想いを飲みこみながら、会場を揺らした。
優花も大きな声で「アンコール」と叫びながら、大きな流れに身を溶かしていく。
視線の先のステージでは、何人ものスタッフが行きかっている。
その様子をぼんやりと見つめていると、炊き直したスモークでステージがいっぱいになっていった。
青い闇の中で、モクモクとうごめくスモーク。
その独特の匂いは、優花にとってライブの匂いそのものだ。
嗅ぎ慣れたその匂いの中にさえ、最後を感じてしまい優花の胸はギュッと締め付けられる。
その痛みに思わず胸を押さえると、ステージがライトで照らされた。
その瞬間。
大きな歓声とメンバーを呼ぶ声がそこら中から上がった。
その声に混じって「やめないで」……そんな声も聞こえる。
それは、口に出さなくても、みんなが思っている心の声だ。
牡丹、一檎、紫苑、太陽、璃桜様。
順番に出てきたメンバーは、グッズの黒いTシャツに着替えている。
MCから始まったアンコールのステージ。
メンバーが一人ずつ、ファンへの言葉を話す。
それを聞く、他のメンバーの表情は柔らかい。
太陽、紫苑、牡丹、一檎の順番で話した後。
最後は璃桜様のターンだ。
「日本武道館―! みんな、今日は来てくれてありがとう」
そんな言葉から始まった、璃桜様の最後のMC。
所々、言葉を詰まらせながらも、彼は静かに自分の想いを語った。
「……それでは、聞いてください。『天使~Angel~』」
そう言って始まった、アンコール一曲目は『天使~Angel~』。
間奏の終わりには、ドラムの前にメンバーが全員、集まった。
笑顔でお互いを見つめてから、同じタイミングでグルンと回る。
夏のツアーから、この曲をやる時にドラムの前にメンバーが集まらなかったり、グルンをやらないことがあった。
それが、今日は五人全員が瞳を合わせて笑った。
それを見れただけで、胸がいっぱいだ。
瞳の奥が熱くなり、何かがこぼれそうになる。
それを、優花は必死で押さえ込んだ。
アンコールの二曲目は、『キミが消えた街』。
インディーズ時代に出した曲で、彼らをメジャーへ引き上げたと言っても過言ではない、青薔薇の代表曲だ。
アンコールの三曲目。
そして、このライブの最後の曲となったのは……彼らのデビュー曲でもある『青い糸』。
「Blue Rose。最後の曲です。聞いてください……『青い糸』」
そう言い終わると、璃桜様は上手側へ走っていき、ステージから飛び降りた。
大きな歓声を浴びながら、ファンの前を駆け抜ける。
少しずつ、璃桜様が近づいてくる。
それを優花はドキドキしながら、必死で見つめた。
そして……優花の目の前に来た時。
一瞬だけ、璃桜様と視線が交わった。
それが、優花が璃桜様からもらった最後のファンサだった。
あっという間に曲は終わり、最後は……終わらせたくないかのように、楽器隊がかき鳴らす音が続いた。
そして、メンバーのジャンプに合わせて、最後の音が鳴った。
一瞬、静まり返った会場。
すぐに客席全体から、大きな拍手が沸き起こる。
メンバーを呼ぶ声に混じって、「ありがとう」という声が聞こえる。
そんな中。
メンバーが中央に集まり、手をつないで深く頭を下げる。
ツアーの最終日に、いつもやる挨拶だ。
それすらも、最後だと思うと寂しくて仕方ない。
彼らは手を離すと、ステージを歩きながら、ピックやスティックを投げ始めた。
璃桜様はステージの中央にあるマイクスタンドへ向かい、まっすぐに歩き出した。
マイクをスタンドに戻すと、しばらくその場所に佇んだ。
優花の位置から見えるのは、俯いている彼の背中だけだ。
まるで、一緒に歩いてきた相棒と最後の別れをしているかのようなその姿に、優花の胸が絞めつけられる。
相棒との別れを終えた璃桜様は、青い薔薇を手に取った。
微笑みながらステージを軽く歩き、客席に手を振っていく。
その唇は「ありがとう」と動いているように見えた。
会場の隅から隅まで、手を振り終えた後、彼は自分の定位置であるステージの中央に戻った。
そして、客席に深く頭を下げる。
顔を上げると、手に持っていた青い薔薇をステージの真ん中のお立ち台に置いて、静かに背を向けて歩き出した。
いつもは、最後までステージに残る璃桜様が、最初にステージを降りた。
そんなことは、初めてだ。
優花はその後ろ姿を見つめながら、感じていた。
……きっと、もう。璃桜様がステージに立つことはないだろうな、ということを。
そうして、青薔薇の最初で最後の日本武道館のライブは幕を下ろした。
♪ ♪ ♪
ホテルに戻り、部屋に入ってからも、二人はしばらく無言だった。
楓の目は泣きはらしていて、真っ赤である。
「飲むか」
優花のそんな小さな声に顔を上げた楓。
「おう! 飲もう!」
二人は缶を開けると、少しだけ笑って乾杯した。
「終わっちゃったねー」
「本当。青春が終わったって感じ」
普段はホテルでお酒は飲まない二人だが……この日は袋一杯のお酒を買い込んだ。
「やけ酒だー」
「朝まで飲むぞー」
コンビニでお酒を選んでいる時は、そんな威勢のいいことを言っていた二人だったが、ほとんど缶には口をつけずに虚ろな目をしている。
「信じられないね」
「本当。全部、夢だったらいいのにって思う」
そんな話をしているうちに、楓の瞳に涙が溜まっていく。
「もう、あのステージにあった青い薔薇、泣かせにきてるよね」
「あれは、やばかった。見た瞬間に泣きそうになった」
「優花、泣いた?」
「ううん。なんか、こらえちゃった」
「青薔薇、やっぱり、いいバンドだよね」
「本当。青薔薇以上に好きになるバンドはないだろうな……」
泣き出した楓の髪を撫でながら、優花は静かな声で話す。
その瞳に涙の跡は無い。
優花はこの日。
絶対に泣かないと決めていた。
「笑顔が可愛い」
握手会で、何度か璃桜様が言ってくれた言葉だ。
これが璃桜様に会う最後の日になるのなら、最後まで笑うと決めていた。
最後に璃桜様の瞳に映る自分は笑顔でありたい。
そんな、くだらない、小さな意地だ。
バンギャは女優である。
推しの前ならば、辛くても笑う。そのくらい、朝飯前なのだ。
優花は、この日一滴の涙もこぼさずに、最後まで笑い続けた。
そのせいか、心が凍ったように動かない。
目に映る全てが、自分の感覚の全てが、どこか遠く感じる。
この日、ホテルに戻ってからも。
優花は、一滴の涙も流さなかった。




