17:夢を叶える②
8月の中旬。
優花は多くの観光客や家族連れでごった返す、那覇空港にいた。
『めんそーれ』
頭上に見えるのは、沖縄の方言で『ようこそ』という歓迎の言葉の書かれた、ウェルカムボード。
空港は、至る所に南国の花が飾られている。
空港内を歩く人の服装もリゾート感があり、南国に来たって感じだ。
実は、優花。
沖縄、初上陸である。
前回の人生。この夏ツアーの少し前に、ケーキ屋を辞めた。
このツアーから遠征の本数を増やし始めたのだが、沖縄のライブには行けなかった。
理由は簡単。旅費だ。
夏休み。お盆。土曜日。
そんな三拍子揃った日に、青薔薇の沖縄公演はあった。
旅費は同じ時期のハワイ旅行の、二倍から三倍。
仕事を辞めたばかりで懐が大変寂しかったということもあり、沖縄は遠征の候補から早々に消えた。
しかし、今の優花は違う。
ホワイト企業にはボーナスという、素晴らしい制度があるのだ。
優花はそれを夏ツアーの資金に、ドーンとぶちこんだ。
ホワイト企業、様様である。
ガイドブックを片手に、空港から一歩外へ出ると……東京の夏とは違う、熱帯のモアッとした空気が体を包む。
視界の先にある木も、南国の木だ。
「わー、沖縄って感じする」
南国に来たー、っていう気分を感じて辺りを見渡せば……。
周りにいる観光客も口々に似たようなことを言い、浮かれた表情をしている。
バス乗り場を探してキョロキョロしていると、年配のタクシー運転手が声をかけてきた。
「お姉さん、どこまで行くの?」
全国各地を回っている優花だが、これは初めての体験でビックリである。
少し迷ったが、優花はちょっと強引な運転手に負けて、タクシーに乗ることにした。
初めての沖縄。
初めての電車の無い土地ということで、不安もあったのだ。
「お姉さんは観光? どこから来たの?」
「東京です」
「おじちゃん、東京には一回行ったことがあるよー」
陽気な運転手は、終始ご機嫌でのんびりとした口調で話している。
ホテル近くの美味しいお店とか、お勧めの観光スポットとか……。
那覇のホテルに着くまでに、たくさんのことを教えてくれた。
その日の夕方。優花は宜野湾に来ていた。
宜野湾ヒューメンステージで、青薔薇のライブがあるのだ。
優花の最初のプランでは、那覇から宜野湾まではバス。
宜野湾に着いたら、タクシーを拾って会場に行くつもりだった。
少しでも、交通費を節約したかったのだ。
しかし、電車移動には慣れていても、バスはチンプンカンプン。何周もバスターミナルをグルグルする羽目になった。
こういう時、スマホが恋しくて仕方ない。
結局、優花はバス停で出会った青薔薇ファンのお姉さんと一緒に、那覇からタクシーに乗ることにした。
大阪から来たという一檎ファンのお姉さんも、優花も。
バンギャっぽい服は着ていなかった。
それでも、バス停で目があった瞬間。お互いにバンギャだとわかった。
黒服とか、コスとか。髪の色とか、メイクとか。
ひと目でバンギャってわかる恰好をしていなくても、なぜかバンギャは同志だとわかってしまう。
いつも不思議なのだが、これは、どういう原理だろうか……。永遠の謎である。
お姉さんとは会場前で別れて、一人で会場に入った優花。
宜野湾ヒューメンステージの中は、半分も埋まっていないくらいだった。
会場を見渡すと、遠征組がいつもより少ない。
来ているのは、地元の人がほとんどのようだ。
──やっぱり、この時期の沖縄……旅費が高すぎるよね。
優花の友達も、沖縄に来ているのは二人だけだ。
その友達は定位置の上手側の前の方にいて、嬉しそうに優花に手を振っている。
開演時間から15分過ぎた頃。
客電が落ち、会場が真っ暗になった。
それと同時に、一斉にメンバーを呼ぶ声があがり、客席前方にファンが押し寄せる。
いつもより押しは少ないものの、優花の目の前にはごっそりと隙間ができた。
一曲目は、セカンドシングルの『Believe』。
イントロが流れるなり、客席から歓声があがった。
優花の少し前にいる高校生くらいの地元の女の子二人組が、手を取り合って飛び跳ねながら喜びあっている。
遠征組のバンギャが一斉に手扇子を始めると、彼女たちは見よう見まねで手をあげた。
優花は懐かしそうに目を細めた。
彼女たちを見ていると、自分がバンギャになったばかりの頃を思い出す。
青薔薇を好きになったことをきっかけに、ライブハウスデビューした優花。
ライブのノリなんてものは、全く知らなかった。
最初の数本のライブは、ただ見ているだけ。
いわゆる、地蔵の状態である。
そんな優花もライブに行くにつれて、みんながやっている「手をヒラヒラするやつ」をやってみたい、という思いが強くなっていった。
手をヒラヒラするやつのことを、手扇子という。それを知ったのは、だいぶ後の話だ。
やってみたい。
そんな思いが芽生えてしまえば、心はどんどんそこへ向かっていく。
優花は、バンギャの先輩たちの動きを必死に見て、覚えた。
……そして、遂にその時がやってきた。
『青い糸』のサビに入ると同時に、優花は勇気を出して……手を上げた。
全然、上手くない。下手っぴな手扇子だ。
サビ以外は振りなんかもあって、優花にはレベル不足でついていけなかった。
それでも……楽しかった。
たぶん、優花はこの時にバンギャっていう、生き物になったのだと思う。
手を上げる時、手が震えるほどドキドキしたこと。
間違えたりしながらも、手扇子ができたことが嬉しくて仕方なかったこと。
終演後。誇らしい気持ちで会場を出て、駅まで歩いたこと。
全部、全部。覚えている。大切な思い出だ。
それから少しずつ振りを覚えていって、全ての振りが完璧にできた時。
飛び上がるほど、嬉しかった。
そうやって優花は少しずつバンギャの経験値を貯めていった。
今では、初めて見るバンドの初めて聴く曲でも、ある程度はノレる。
レベルアップしまくりの、高レベルのベテランのバンギャに育ったのである。
二曲目は、『キミが消えた街』。
インディーズ時代の名曲で、青薔薇ファンはもちろんのこと、V系好きにも絶大な人気のある曲だ。
「「「「「キャー!!!!!」」」」」
客席からは、一曲目の時よりも大きな歓声が上がる。
それは、悲鳴に近い歓喜の声だ。
──キャー! セトリ変わってる!
そんなことを思いながら、優花は両手で口を押えて、黄色い声をあげた。
今回の夏ツアーが始まって、数本ライブに行っているが、『キミが消えた街』を演奏するのは初めてだ。
久しぶりの『キミが消えた街』に、ぶち上がった優花。
勢いよく手を上げて、振りを始める。
全国ツアー中。こうして、たまにセットリストが変わることがある。そういうライブに行けると、遠征してよかったな、と思ってしまう。
そして、どんどんライブの本数が増えていき、気がつけば全通している。
こうして、全通という沼に落っこちてしまうのだ。全通沼はとっても危険な魔物である。
MCやメンバー紹介を挟み、本編のラストは、この夏にリリースした新曲『天使~Angel~』。
イントロがかかるなり、優花は少しだけ体を堅くした。
いつもはステージの璃桜様ばかり見ている瞳は、前方のファンに向けられている。
実は優花、過去に戻ったことで、困っていることがある。
それは……新曲の振りだ。
新曲の場合。ライブでやり始めた頃は、メンバーも客席もお互い手探り状態だ。
青薔薇の振りが決まっていくのは、こんな感じだ。
いつも前の方にいる……いわゆる常連と呼ばれる人たち。
その中に、振りに熱心なグループが何組がある。
新曲が披露されると、まずは彼女たちが客席前方で、それぞれに考えた振りをする。
それを見た後ろの人が、気に入った振りの真似をする。
その後ろの人も、前の人の振りを見て、気に入った振りの真似をする。
そうやって、伝言ゲームのように、前の方から少しずつ振りが広まっていく。
自分たちが考えた振りが採用される。
それは、バンギャのステータスの一つでもある。
振りに命をかける派のバンギャは、自分たちの振りを広めようと必死だ。
たまに、メンバーが途中から振りを決めてくる時もある。
その場合は、それが即採用だ。
そうしてツアーが進むにつれて熟成されていき、ツアーの終盤頃に新曲の振りが完成する。
そんな風にして決まった振りも、ツアーを重ねていくなかで、さらなる進化をしていくことがある。
青薔薇で一番多かったのは、メンバーが曲をアレンジして演奏が変わったことによる、振りの進化だ。
演奏がガラリと変わると、音を取る場所が変わる。
曲の印象が変わると、曲に合う振りも変わる。
そんなわけで、曲に合わせて振りも変わっていく。
久しぶりにライブに来ると、振りも曲も別物状態で「???」状態になることも、しばしばだ。
そして、優花の体に染み付いている振りや曲の記憶は……青薔薇の解散前の最終形態のものである。
うっかりすると、変な所で「オイ」などと叫んで拳を突き上げてしまったり、空に大きな十字架を描いてしまったり、大変恥ずかしい思いをするのだ。
ツアーの中盤に差しかかり、この曲の振りも少しずつ決まり始めている。
しかし、熾烈な振り採用合戦は、まだ終わっていない。
今日も前方では上手側と下手側に分かれて、二つのグループが互いの振りを広めようと必死だ。
優花の記憶では、上手側の振りが最終形態に近い。
しかし、この会場で優勢なのは、下手側の振りだ。
優花は下手側の振りもいいもんだな、などと思いながら、今日は下手側の振りを楽しんだ。
こうやって、ツアーが始まって、少しずつ振りやノリが決まっていく。
新しい曲が、そうして育っていくのが、優花は好きだったりする。
客席の後方が定位置の優花。
ツアーの初日にはサビの部分だけ、まばらに上がっていた手。
それが、ツアー最終日には、客席全体から手が上がるようになる。
こうして、少しずつ変わっていくライブが大好きだ。
ちなみに、メンバーのパフォーマンスも、日々進化する。
『天使~Angel~』の最終形態は、間奏の終わりにドラムの前にメンバーが集まり、全員でグルンと回るというやつがある。
優花はこれが大好きである。
メンバーが目を合わせて、笑顔でグルンと回るのがとっても可愛いのだ。
まだまだ、この曲を披露して間もないこともあり、グルンはやっていない。それどころかメンバーは、間奏中は全員客席側を向いている。
それが、少しだけ寂しいと思ってしまう優花であった。
アンコールが終わり、メンバーがステージからはける時。
ドラムの牡丹が投げたスティックが、優花の前に飛んできた。
アンケートを書いていると、ずっと目の前にいた女子高生二人組が優花に声をかけてきた。
「あのーすみません。もしよかったら、牡丹くんのスティックの写真、撮らせてもらえないですか?」
「もしかして、牡丹ファンですか?」
「はい。この子が牡丹くんの大ファンで……」
「はい! 今日、初ライブだったんで、記念にスティックの写真が欲しくて……」
「よかったら、これ、いりますか?」
「えっ! いいんですか?」
とてもいい笑顔で、何度もお礼を言いながら大切そうにスティックを握りしめて帰っていった二人。
彼女たちの後ろ姿を見ながら、優花は微笑んだ。
この日の夜ごはん。
優花はMCでメンバーが食べたと言っていた、タコライスを食べた。
令和にはコンビニでも売っていたり、自分でも簡単に作れるようになったタコライス。
最初は「どうなの?」という思いもあったが、本場は大変「まーさん」であった。
まーさんとは、沖縄の方言で「美味しい」という意味である。




