13:夢を叶える①
年が明けて、1999年1月。
優花の記憶通り。
青薔薇のファーストアルバムが発売された。
それをひっさげての冬ツアーも始まった。
冬ツアーは東名阪……東京、名古屋、大阪の三か所の短いツアーだ。
もちろん、優花は全通である。
このライブで優花はやってみたいことがあった。
それは……ヘドバン。
ヘドバンとは、ヘッドバンギングの略で、ライブなどでリズムに合わせて頭を振る、あれだ。
この時代のヘドバンは、首を縦に上下に激しく振るタイプ。
縦ヘドバンとか、言われているやつだ。
あとは、首を左右に激しく振る、横ヘドバンの人もたまにいる。
このタイプの人が隣になると、注意が必要だ。
ヘドバンをする人は髪をおろしている場合が多いので、髪が顔にバシバシ当たって痛い。
長い髪を結んでいる時は、より危険性が増す。
ムチみたいに髪の束がバチンバチンと顔に当たるのだ。あれは、凶器である。
前回の人生。
優花は首と腰に、ヘルニアという爆弾を抱えていた。
病院の先生から激しい運動は控えるように言われていたので、ヘドバンをすることはNGだった。
そんな優花だったが……一度だけ、ライブ中に軽くヘドバンしてしまったことがある。
案の定、翌日からしびれと激しい痛みに見舞われて、先生からは大目玉を食らった。
それ以降、優花はヘドバンをすることは一度も無かった。
そんな優花だったが、内心ではヘドバンに強い憧れを抱いていた。
暴れ曲で髪を振り乱しながら、一心不乱に頭を振るバンギャ。
なんだかわからないが、これこそバンギャという感じがしてカッコいいのだ。
ヘドバン後に「やり切った」という表情で、気だるげにパサーと乱れた髪をかき上げるのとか、やりた過ぎる。
そんな優花は、今回の人生は元気である。
腰も首も、とっても元気である。
……と、あれば、やるしかないだろう。
そう思った優花は、自宅でこっそりヘドバンの練習をして、ライブ会場へ突撃した。
♪ ♪ ♪
優花が初ヘドバンの会場に選んだのは、名古屋ガイアモンドホール。
大阪から始まった冬ツアーの二公演目の会場だ。
キャパ1000人のこの会場は、後方に一段高くなっているフロアがある。
ステージも見やすいその場所の最前列には、柵があるのだ。
優花は、そこの柵を狙っていた。
ヘドバン上級者のお姉さんたちは、柵なしでもカッコよくヘドバンを決められるのだが……。
バンギャ歴は長くても、優花はヘドバンに関しては初心者も初心者。
インナーマッスル弱弱の民である。柵なしでのヘドバンなど、到底、無理な話だ。
重力とか、遠心力とか、なんかそういう偉大な力から、自分の体を守れない。絶対に、フラフラしてしまう。
ヘドバン初心者の優花には、柵が必須アイテムなのだ。
そんな優花の名古屋のチケット番号は、A9番。
ドセンターは無理でも、センター寄りの柵は取れるだろう。
そうして気合いを入れて臨んだライブで、優花は見事に璃桜様の目の前の柵をゲットし、ヘドバンデビューを果たした。
感想は……というと。
正直、よくわからない、だ。
なんかもっと気持ちいい、とか。
興奮する、とか。
気持ちがぶち上がる、とか。
世界が変わっちゃうんじゃないか、みたいなものを夢見ていたが……よく、わからなかった。
あ、こんな感じなんだ、という感じだ。
青薔薇が、暴れる曲メインのバンドではないからかもしれない。
青薔薇の場合。
だいたい一つのライブで、セットリストに入る暴れ曲は二曲程度。
ヘドバン自体も、会場の半分もしていない。
一檎が頭振れとジェスチャーで煽るので、一檎ファンだけは頭を振っている人が多いが、他のメンバーのファンは振りたい人だけ振るって感じだ。
「インディーズの初期の頃は、会場中がヘドバンの嵐だったよ」
「メンバーもみんな頭振ってたし、璃桜も『頭振れ』って煽ってた」
そう、常連のお姉さんが教えてくれたことがある。
青薔薇のインディーズの初期の頃の曲は、重めのものが多かった。
しかし、バンドが作る曲の変化に合わせて、ヘドバン人口は減っていったそうだ。
この日、やった暴れ曲はニ曲。
その両方で優花は頭を振ってみた。
ヘドバン自体はよくわからなかった優花だが、ヘドバン後にはやりきった顔で髪の毛をパサーっとかきあげた。気だるそうな顔と仕草で。
これは大変気持ちよかった。カッコよかった。大満足だ。
こうして、優花は前回のバンギャ人生で叶えられなかった夢を一つ、叶えたのだった。
そんな名古屋でのライブの翌日は、今回の人生初めての握手会である。
泊まりだった優花は、ホテルで目を覚ました瞬間……叫んだ。
「痛っ!」
首が痛い。
背中が痛い。
腰が痛い。
ついでに、腕も痛いし、足も痛い。
痛い痛い祭りだ。
「ヘドバン、か……」
そう呟いた声は、昨夜飲み過ぎたせいで、少し掠れている。
昨日のライブ後、夢を叶えてテンションの上がった優花は、ご機嫌に居酒屋に突入した。
そこで、ついつい、飲み過ぎてしまった。
手羽先が美味しい有名居酒屋。
そこで、TVで見た手羽先の上手な食べ方をキメたのだ。
手羽先を半分に割って、大きい方を口に入れて、スルンと引っ張れば……面白いように肉だけ食べられるっていう、あの有名なやつだ。
手羽先はスパイシーで、ついつい、ビールが進んでしまった。
そして……この店は、どて煮が本当に美味しい。
思わず白いご飯を追加してしまい、店を出る時にはお腹はパンパンだった。
そんなこんなで、ほろ酔いで、満腹で、ご機嫌にホテルに戻った優花はやってしまった。
ベッドにダイブからの、即落ちだ。
気がつけば、アラームが鳴っていて。
すっかり朝になっていて。
顔も体も、ベッタベタのグチョングチョンで。
全身のあちこちで、痛い痛い祭りが開催されている。
自業自得でしかないが、優花は思った。
「ヘドバン、やばい」
前の時のように変なしびれはないので、健全なヘドバンの後遺症だと思う。
しかし、結構痛い。本気で痛い。
これを、バンギャたちは毎度のごとくやっているのか、と思うと、頭が下がらんばかりである。
2DAYSの時とかに、何度も耳にした。
「もー、昨日、暴れすぎて首死んでるわ」
この言葉の意味がわかった。
確かに、これは首が死んでいる状態だ。
「そういえば……、常連のお姉さん、ドクターストップかかってるけど、やめられないって言ってたな」
前回の人生で仲良くしてくれた、常連のお姉さんがいつも言っていた。
「ヘドバンなんて、しない方がいいよ」
「今はよくても、年取ってくるとくるから」
そう言いつつも、彼女はいつも頭を振っていた。
ライブの翌日に首に湿布を貼っていても、その夜のライブでは、また頭を振っていた。
正直、体に悪そうだなとか、やめればいいのにとか、あの頃は思っていたが……。
青薔薇以外のバンドにもいくつか通って、全力で頭も振ってみて、ひと通りのアレコレを体験した今ならわかる。
お姉さんにとってのヘドバンは、優花にとってのジャンプみたいなものなのだろう。
手扇子。
拳。
振り。
ヘドバン。
ジャンプ。
モッシュ。
ダイブ。
ライブのノリは、バンドごとで色々あるが、この中で優花が一番ぶち上がるのは、ジャンプだった。
璃桜様に「飛べ」「もっと飛べ」「高く飛べ」と言われれば、足が痛くても、酸欠で死にそうでも、飛び続けた。
酸素薄めのライブハウスには、酸素スプレーまで持っていって飛び続けた。
曲と曲の間に、屈んでスプレーを吸う。酸素ドーピング。
はたから見たら、やべー奴である。
友達に「そこまでする?」って、何度も言われたが……ジャンプだけは、やめられなかったのだ。
実際に優花は、腰がやばくても、首がやばくても、璃桜様の「飛べ」には全力で答え続けた。
片足が捻挫した時すら、片足でも飛べるジャンプを編み出して、飛び続けた。
「片足あれば、飛べる」と言う優花に、友達はあきれたように笑ってたっけ。
あんまり考えたことはなかったが、優花はジャンプに命をかけるタイプのバンギャなのだろう。
そのことに気がついただけでも、大収穫だ。
こうして、優花のヘドバンデビューは無事に終わったのである。
全通=ツアーの全ての公演に行くこと




