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46 霊性心から生じるもの

「一つの灯火を掲げて一隅を照らす。そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる」

安岡正篤


本能心からは、喜びや楽しみといった積極的な感情が生まれます。一方で、理性心からは正義や自己肯定といった積極的な感情が生じます。しかし、これらの感情は相対的なものであり、状況が変われば消極的な感情へと変わる可能性があります。


これに対し、霊性心から生まれる意志や勇気、そして思いやりといった感情は、絶対的な積極性を持っています。それらはどんな状況でも変わることがなく、もし消極的に感じられるならば、それは本能心や理性心が表面に現れた証拠です。


本能心は自他を分けて考えるため、利己的な感情や欲求を生み出しますが、霊性心は自他の境界が曖昧であり、利他的な性質を持っています。霊性心は霊魂に由来し、その霊魂は宇宙霊の一部です。もし宇宙霊が心を持つならば、その心はすべての人々に平等に働きかけ、誰か一人を特別扱いすることはないでしょう。霊性心から生まれる思いやりは、他者を自分のように感じ、助けようとする心です。そして、徳のある人とは、霊性心が強く発現している人物を指すのです。


霊性心から生じる勇気とは、どのような状況下でも道理に従い、積極的に行動することを意味します。これに対し、血気にはやるだけのつまらない勇気を「匹夫の勇」といい、道理をわきまえない向こう見ずな勇気を「蛮勇」と呼びます。これらの勇気は、一時的な興奮によって生じるものであり、すぐに消極的になってしまう可能性が高いので、真の勇気とは言えないのです。


江戸時代末期には「志」という言葉がしばしば使われていましたが、「夢」と「志」には何が違うのでしょうか。


「志」とは、日本を異国の脅威から守ることや地球環境の保全といった、利己的ではない動機に基づくものです。対して「夢」とは、大金持ちになり贅沢を享受したい、あるいは世界一の記録を打ち立て名声を得たいといった、自己中心的で利己的な願望を指します。もしあなたの「夢」が利己的なものでなければ、それは「夢」ではなく、世のために立てられた「志」と呼ぶべきでしょう。夢は本能心から生まれ、志は霊性心から生まれるのです。


霊性心を発揮して生きるとは、自他の区別を超え、宇宙と一体となりながら、陰陽の調和を保ち、絶えず進歩と向上を続けることです。霊性心から生まれる意志や勇気は、怒りや欲望をはるかに凌ぐ強い力を持っています。もし、意志や勇気が怒りや欲望に劣るなら、創造よりも破壊が優位に立ち、宇宙はここまで進化を遂げていなかったでしょう。創造の力が破壊の力に勝ることは、宇宙の根本的な法則なのです。だからこそ、強い意志を持つ者は、身体の痛みや心の苦しみに屈することなく、揺るぎない心で前進し続けるのです。


人生で最も重要なのは、真理に従って生きることです。そのためには、日々の鍛錬を怠らず、絶え間なく自己を向上させることが必要です。これは決して苦難の道ではなく、心の在り方次第で、楽しみと喜びに満ちた道へと変わるのです。


人が本能に従い、楽な道を選び続けると、やがて堕落し、その先には必ず苦しみが待っています。しかし、苦しみを楽しみに変え、少しずつ徳を積み重ねていけば、やがて真理の中で生きることができるようになります。その時、人は天と一体となり、造化を支える存在となるのです。 


徳を積むことで運気が上がるというのは、世のために善行を行うことで、無意識のうちに霊性心が働き、宇宙の創造の力が発揮されることを意味します。反対に、苛立ちながら生きると破壊の力が働き、運気は下がってしまうのです。


現代社会において精神的な病が増加している最大の原因は、人間が真理から外れていることにあります。人間もまた、他の生物と同様に宇宙の一部として生まれた自然の存在です。したがって、人間には本来の生き方があり、それにふさわしい理があります。


道と理の関係は、行動と知識の関係に似ています。道とは理の実践であり、宇宙の法則に従って実際に行動することが道なのです。ゆえに、道と理は同じものの異なる側面に過ぎません。道理とは、物事があるべき姿を示すものであり、人間が本来の道を歩むための指針なのです。


この世のすべてには理が存在します。たとえば、言葉には論理があり、心には心理が、生物には生理があります。そして、これらすべてを貫く宇宙の真理が存在します。この理に逆らい、道から外れることは、破滅へと向かうことを意味します。


現代社会が物質的には豊かであっても、多くの人々が精神的な病に苦しんでいるのは、人類がその本来の道を見失っているからです。物質的な豊かさに依存することなく、道理に従って生きることでこそ、真の幸福を手にすることができるのです。


心を積極的に保つことで、私たちは宇宙霊からより多くのエネルギーを受け取ることができます。積極的な精神は宇宙の創造の流れと共鳴するため、楽しみながら物事に取り組むことで、不満を抱えて行うよりも、はるかに良い結果がもたらされるのです。


人間には自然治癒力がありますが、消極的な精神状態では、その回復力が低下してしまいます。破壊という現象は、行き詰まりや再生が必要なときに必然的に起こるものですが、道理に反すると、破壊はすぐに現れます。それは、病気やトラブルとして私たちの人生に姿を現すのです。


すべての人が徳を育み、真理に従って生きることを学べば、人類の未来は明るいものとなるでしょう。積極的な精神を持ち続けることで、宇宙法則に従った進化と向上が促されます。そして、自分という枠を超えて他者を思いやることができれば、戦争のような悲劇は決して起こらないはずです。地球を一つの生命体と考えれば、人間も他の生物も無生物も、本質的に区別する必要はありません。


想いは必ず誰かの心に届き、そこからさらに広がり、他者へと連鎖的に伝わっていきます。テストで満点を取るには、地道な努力を積み重ねて一歩一歩成績を上げるしかないように、想いも少しずつ広げていけば、今は実現不可能に思える未来にも、いずれ到達できるでしょう。私たちが真に戦うべき相手は、他人ではなく、自らの私欲や怠惰なのです。


もし、世界中の人々が真理を学び、それを日常の中で自然に実践するようになれば、世界は目に見えて変化するでしょう。地球を一つの生命体と見たとき、人類がその「脳」となり、地球を救う存在になることを願います。そして、人類が地球にとっての「がん細胞」とならないことを祈りましょう。


善いことをする人ではなく、善い人であることを目指しましょう。少々の過ちがあったとしても、本質が善であれば、その善は必ず外に表れ、周囲にも伝わっていくものです。しかし、本質が悪であれば、どれだけ善い行いをしても、その正体はいずれ露見します。悪人であっても、表面的には善い行いをすることができますが、いくら善行を積んでも、本質が変わらなければ、真に善い人間にはなれません。だからこそ、周囲の目を気にせずに、自分が善いと思うことを誠実に実行すべきです。


そのためには、自己評価にも囚われる必要はありません。人は本能心や理性心というフィルターを通してしか自分を見られず、自分自身に対しても「こうあるべきだ」と決めつけがちです。難しいことを考えず、心の底から善いと思える行動を取り続けることが、最も重要なことなのです。


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