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こわい夢を見ました。

あたしの殺人者






「なにしてんの?」

 ――しっとりした空気、ほんのちょっと降ってきた雨。

 傘を差し掛けてくれたのが玲さんで、それがあたし達の出会いだった。




「玲さん、今夜もお仕事?」

「うん」

 玲さんはローテーブルの上に置いた鏡へ向かって、かすかに顔を傾けたり、微笑んだりしている。生地の下側がよれたブラジャーはそれでも白い。玲さんは頻繁に、洋服を漂白する。下着でもなんでも。

 玲さんはゆっくりと、紅筆を掴んで、キャップを外し、紅筆のお尻にキャップをはめる。まばらになった紅筆を、玲さんは絶対に捨てない。

「お得意さんが来るからさ……」

 玲さんはすでにくりだしておいた口紅を、鏡へ目を向けたまま慎重に紅筆で掬う。紅筆が玲さんの口許へ移動し、唇の上を滑る。ほんの少しオレンジがかった赤は、目に鮮やかだ。


 あたしはそれを、部屋の隅の壁に体を預けて眺めている。いつもの玲さんの出勤前の身支度だ。

 彼女はこうやってお化粧し、お化粧がうまくできたらしゃれたスーツを着て、なにがはいるのかわからないような小さなかばんを持って、錠を下ろして出て行く。

 あたしがそれを見ているのも、いつも通りだ。玲さんのちょっとくらいい色の肌のせなかや、せなかの中程までのくらめの金髪を体の左側へ寄せていること、その金髪がぱさつきがちなこと、玲さんはお化粧をばっちりするのにネイルにはあまり興味がないこと……あたしは玲さんのことを、よく知っている。彼女をずっと見てるから。


「ちゃんと戸締まりして、寝てて」

「うん……」

「それか、夜食でもつくっててくれない? 起きてなくていいから、戻ったら食べたい」

「うん」

 玲さんはあたしを振り向いて、しっかりお化粧した顔で笑った。あまりよくはない歯並びが、ちらりと覗いた。




 あたしは玲さんの家に居候している。

 ほんとは、高校生だから登校しなくちゃいけないんだけど、玲さんのところに来てからは学校には近付いていない。家にも。あたしは目下、家出中である。

 家族に対しては、あたしは不満だらけだった。だった、じゃない。不満だ。あたしはとにかく、家に帰りたくない。


 家出から数日後、どこかで適当に野宿でもしようと思っていたのに、その日はどの公園もベンチが埋まっていて、ネットカフェへ泊まるお金もなくて、明るかったから自販機の傍でうずくまっていた。

 そこに、ひらひらした赤の、うすっぺらいワンピースを着た玲さんが通りかかって、あたしに傘を差し掛けてくれた。それが出会いだ。

 玲さんはあたしの事情を察してくれたみたいで、くわしい話は聴かずにその日、泊めてくれた。その次の日も、その次の日も。

 それからずっと、あたしはこの部屋で寝起きしている。


 厳密に云えば、これは誘拐なんだろう。

 でも、あたしのケータイには親からの連絡はない。ついでに、捜索願が出された様子もなかった。一応、女子高生だ。ニュースにくらいなっていいけど、そういう話はテレビで見ない。玲さんにおんぶに抱っこなのは申し訳なくて、最近近くのコンビニでバイトをはじめたが、そこでもそういった話は聴かないのだった。

 親も薮をつついて蛇を出すのはいやなんだろう。正直に、いい家じゃない。




 玲さんはいいひとだ。あたしの気持ちをわかってくれてる。

 玲さん自身、家出同然で上京したらしい。それからずっと、ひとりで生きているそうだ。ありがたいことに仕事があるからね、と、煙草とお酒で機嫌がいい時にそんなふうに云っていた。


 玲さんは煙草を()む。お酒を呑む。

 でも、とみこちゃんは辞めといたほうがいいよ、と云う。どっちも体にいいものじゃないからさ、と。あたしが居る場所ではあまり煙草をとりださないけれど、ベランダや外で喫んでいる。お酒はあたしが居ても居なくても沢山呑んでいるみたい。


 玲さんはおめかしして出て行く。酔って帰ってくる。夜食を食べて、お化粧を落として、きがえて耳栓をして眠る。玲さんは耳栓が好きで、沢山持っている。うるさい音が聴こえなくなるんだよ、と。

 お酒を出すお店で、接客しているのだ。どこのお店で働いているか、あたしは知らない。気にはなるけれど。


 玲さんが出て行って、あたしはしばらくテレビを見ていたけれど、ふいと思い付いて玲さんの部屋へ行った。

 といっても、あたしの寝室でもある居間と隣り合っている四畳半の部屋が玲さんの部屋で、仕切りもなにもないようなものだ。部屋へ這入ることも禁じられていない。

 玲さんの部屋はたたまれた布団とその上の枕があり、居間から遠い角っこにかばんが積み上げられている。玲さんはかばんが好きみたいで、小さなものを何個も何個も置いてあるのだ。それも、山積みにしてある。

 あたしは玲さんの部屋のおしいれを開け、そのなかにあるカラーボックスのなかを覗いた。やっぱりある。

 そこには輪ゴムでまとめられた札束がある。幾つも。




「とみこちゃん、昨夜ありがと」

 玲さんはちょっと掠れた声で云い、缶コーヒーを飲む。玲さんはインスタントコーヒーがきらいで、コーヒーを飲む時はこのアパートのすぐ外にある自販機で買う。

 あたしは玲さんにもらったカフェオレの缶を開けた。

「たいしたものじゃないよ」

「んーん。とみこちゃん料理うまいよ。わたしと違って見た目も綺麗にできるし。映えってやつ?」

 玲さんはくすっと笑う。彼女はまだ三十手前だと思うのだけれど、SNSの類はしないし興味もないらしい。

 あたしは首をすくめた。昨夜、あまっていたものを適当にサンドウィッチにしたのだ。たしかに、人参だとかきゅうりだとかを詰め込めるだけ詰め込んだから、色合いは鮮やかだろうが、映えるものでもない。

 でも、玲さんなりに誉めてくれたのだ。あたしはそれが嬉しかった。

 玲さんには、あたしが喜んでいるのがわかったんだろう。微笑んでくれた。「ねえ、昨夜のお礼ってことで、ちょっといいとこに食べに行かない?」


 玲さんの云う「ちょっといいとこ」は、バーみたいなところだった。

 カウンタがあって、その奥にはお酒の壜がずらりと並んでいる。だから、バーで間違いないんだと思う。

 朝はやくからもうやってるのか、と思ったけれど、おそらくまだ閉めていないが正しい。昨日からのんでいると覚しい数人が、奥のソファ席で眠っていた。

「柳さん、ワッフルとハムエッグ、ふたり分ちょうだい」

 カウンタの奥に居る、分厚いレンズの眼鏡をかけた女性が頷いた。……女性……だと思う。


 あたしと玲さんは並んで座り、表面がかりっとしてバターの香りが豊かなワッフルと、分厚いハムのハムエッグを堪能した。柳さんはなにも喋らない。

 ワッフルもハムエッグもなくなると、玲さんがパフェを注文した。柳さんは魔法みたいにパフェをつくってくれた。緑と赤、両方のメロンをつかったパフェだ。

「ここに来て、パフェでしめるひとも多いんだよ」

「へえ」

「ああ、とみこちゃんにはまだはやいね」

 玲さんはふふっと笑って、あたしの頭を軽く撫でる。玲さんはあたしを特別扱いしてくれているのかもしれないし、みんなにこういう態度なのかもしれない。あたしはパフェも全部食べて、コンビニバイトへ向かう。

 柳さんは最後までなにも喋らなかった。




 玲さんはたまに、札束を数えている。

 うとうとして、ふっくらした羽毛布団にくるまっている時に、それを見ることがある。

 玲さんは煙草をふかしながら、ひょいひょいと札束を投げるみたいにする。カラーボックスをひきだして、そのなかへ。どこから持ってくるのかわからないけれど、玲さんはたまに、ブランドもののボストンバッグに札束をつめて戻ってくるのだ。それを、ひと束ずつ数えている。

 一枚ずつじゃない。ひと束ずつだ。

 水商売ってそんなに儲かるんだろうか。


 あたしはお金に興味はない。でも玲さんには興味がある。

 あたしを助けてくれたひと。

 あたしがはじめて、自分から積極的に関わりたいと思ったひとだ。




「とみこちゃん、こっちに這入った?」

「え……」

「いや、いんだけど、危ないからかばんは触らないでね」

「危ない」

「崩れちゃったら面倒でしょ、もとに戻すの。とみこちゃん、怪我するかもしれないし」




 玲さんは本当に水商売をしてるんだろうか、と、ちょっと思った

 玲さんはたまに、ケータイで誰かと喋っている。でも、愛想がいい感じではない。はいとかいいえとか云って、それで切ってしまう。お電話ありがとうございますとか、また来てくださいねとか、そういう言葉はついぞ聴かない。

 そもそも、電話営業かけなくていいんだろうか。この認識が古いのかな。ただ、玲さんはSNSをしていないから、お客さんとそっちで連絡をとってるってことはないと思う。

 人気がない、としたら、あの札束は?


 あたしは玲さんのあとをつけることにした。玲さんがどこのお店で働いているか調べて、そのお店をネットで検索してみるつもりだった。

 玲、というのは本名なのか、その名前とこの辺りの地名をいれて検索をしてみても、見付からなかったのだ。お店がわかれば、ホームページでキャストを見て、その源氏名で検索をしてみたらいいと思った。どんなホステスなのか、人気なのか……。


「ちゃんと戸締まりしてね」

「うん」

「とみこちゃん、明日なに食べたい?」

「特に……」

「とみこちゃんってあんまり、これを食べたいとか飲みたいとか、ないよね」

 玲さんはそう云って、心配そうにこちらを見た。「とみこちゃん、欲望って大事だよ。生きる力になるから」


 玲さんが出て行って、あたしはすぐに部屋を出た。ちゃんと施錠し、外階段を成る丈音をたてずにおりる。

 玲さんはまだ、敷地内に居た。階段の途中でそれに気付いて、あたしは慌てた。

 玲さんはハイヒールの具合をたしかめていたみたいだ。すぐに、駐車場から出て行く。あたしはそれを、静かに追う。


 玲さんはあしがはやかった。ちょっぴり肉感的な脚をすばやく動かして、人波をかきわけ、すいすい歩いていく。あたしは玲さんを見失わないように必死で、いろんなひとやものにぶつかった。

 玲さんはくらい金髪を結っていないから、それを目印にすればいい。

 きっと、美容室で髪をセットしてもらってから、お店へ行くのだろう。そう思っていたら、案の定、玲さんは美容室へ入っていった。

 あたしは向かいにある本屋へ這入って、玲さんが出てくるのを待つ。もし見付かってしまっても、本を買いに来たんだといいわけがきく。

 玲さんは三十分ほどで出てきた。髪はきっちり結いあげられていた。


 玲さんは繁華街へ這入る。

 あたしはそれを追う。

 ふたり組の男が玲さんに声をかけた。

 玲さんはにっこり笑い、なにがはいるのかわからない小さなかばんから名刺をとりだした。お店へ来て、と営業しているんだろう。名刺なんて見たことないけど。

 玲さんは小さなスナックへ這入っていった。古ぼけた看板と、すすけた外壁の店だ。名前を控え、外観を写真に撮って、あたしは逃げ帰った。


 お店のホームページはなかった。このお店の名前をSNSで検索してみたら、かなり昔からやっている規模の小さな店だとわかった。そのお店で撮られたという写真も数枚、出てきたけれど、玲さんははっきり映っていない。

 どの写真も、後ろ姿だったり、半分しか顔が映っていなかったり、煙草の煙で顔がはっきりしなかったり、だ。玲さんは、人気のあるホステスではない、みたい。あんなに素敵なひとなのに。あたしだったら玲さんしか指名しない。




 あたしは玲さんのことが気になっている。

 玲さんが名刺をとりだしていたことを思い出した。

 かばん。

 かばんのどれかに、名刺がはいっている。いや、全部のかばんにはいってるってこともありうる。玲さんは気まぐれに、かばんをかえるから。

 あたしは玲さんが出ていったあと、玲さんの部屋でかばんをあさった。かばんのなかにはいろんなものがはいっていた。クリップで留められたお金、ちぎれたネックレス、ゴム、携帯灰皿、一本だけ煙草がはいっている箱、ワインのキルク、耳栓。

 それに小さな、おもちゃみたいな銃。




 それはたしかに銃だった。

 重さが違う。小さくてもずっしりしていた。

 持ち手のところに綺麗な模様がはいっている。象牙か象牙に似たプラスチックだ。




 クラッカーの十倍の音がした。それも二回、連続で。

 はっと目を覚ます。妙な夢を見たのだと思った。玲さんのかばんから小さな銃が出てくる夢。そのあと、どうしたらいいかわからなくて、遅い時間だったし眠った、という。

 違う。夢じゃない。どうしたらいいかわからなくて、明日考えようと思った。見なかったことにして、このまますごすか、玲さんにこれはなにと尋ねるか。


 眩暈がしている。耳が凄く痛かった。

「とみこちゃん、起きてる?」

 ぼわっとひろがるみたいな声がする。玲さんが戸口に立っていた。髪は下ろしている。外からの逆光でも、ある程度は見える。玲さんの左手にはつやのある白のなにかが握られていた。

「玲さん」

「ごめん、ちょっとまずいことになっちゃって。お金の位置わかるよね? 一番大きいかばんにつめてもらえる?」

 あたしがおしいれのなかを見ていたことに、玲さんは気付いていたのだ。

 玲さんは苦笑いした。おそらく。

「今のなし。二番目に大きいのにして。一番目は使い途ができてたんだった」

 あたしはなにも訊かなかった。玲さんの足許には、なにかがあった。人間のような大きさのなにかだ。


「ほんと、ごめんね」

 玲さんは耳栓を外し、銃をしまう。それからこちらを見る。「ああ、暴発はしないよ。これ、二個までしかこめられないから。さっき、どっちもつかったし」

 玲さんはそう云い、足許を見て溜め息を吐く。

「さってっと。とみこちゃん、手伝ってもらえる?」

 あたしは快諾した。




 玲さんは車を運転している。

 あたしは助手席に居る。

 車は山へ向かっている。

「危ないけど、割のいい仕事だから、なかなかやめる踏ん切りがつかなくて」

 玲さんは煙草をふかしている。運転席の窓は全開になっていた。腑に落ちたことがある。かばんを危ないと云っていたこと。弾をこめてある銃は、ほかにも沢山あるんだ。


「単純なもんだから。撃ってきてって云われたら撃つ。それだけ」


「わたしってほんとに酒ものめるし、丁度いいんだよね、ホステスって。隠れ蓑として」


「とみこちゃんを見た時にさ? あ、なんかわたしみたいな子、って思ったの。失礼かもだけど」


「とみこちゃん、わたしのお金、少しもとろうとしないよね」


「ねえ、とみこちゃんならこの仕事できると思うよ。わたしと組まない?」




 大きなかばんを土に埋めた。物好きでなければ調べないだろう場所だ。

 疲れを見せずに玲さんが煙草をぷかぷかやっている。

 あたし達は車へ戻り、まちへもどる。

 あたしは玲さんの銃を、ひとつもらうことになった。銃の扱いはたいして難しくないそうだ。






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