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憧れの異世界だが死神が憑いてくる  作者: くすのき はじめ
第一章「王都を目指して~楽しい異世界~」
9/10

第9話~背反~

ーーー

「ふわぁ~よく寝た。」

シオンは日の出のと共に実が覚めた。アムルダもエリも、ギュレンもまだ眠っている。

鳥のさえずりと山脈から吹き下りてくるひんやりした微風が心地良い朝。深呼吸をすれば、木々の香りや草花の朝露の香り、自分の体臭の臭い、それらが一気に鼻腔に入り込み心が落ち着く。五感が刺激され目が覚める。

かなり体が痛い。修学旅行から帰ってきた朝、校内マラソン大会の翌日、そんな疲労感。睡眠で脳みそは元気になったのに体の方はひたすらに重たい。シオンは腰を抑えながら寝床から立ち上がる。

「イテェ…いや一番大変だったのはギュレンか。」

シオンがふっと寝ているギュレンに目線を落とすと、人間の顔になっていることに気づく。昨日アムルダからされた差別の話を思い出し、シオンは少し心が痛くなった。

シオンが徐々に明るくなる空を見ながらぼーっとしている間に皆も次々起きだす。珍しくシオンが一番に起きていたので、皆少し驚いていた。

それからそれぞれ身支度をざっと終え、いざ王都へ出発というところでギュレンがここからの計画の大枠を話してくれた。

「俺たちはようやく王都諸領土へたどり着いたわけだが、ここからは関所が無いも同然だ。だから今までよりも動きやすくなると思う。」

「なんでですか?てっきりどんどん厳しくなると思ってました。」

シオンは不思議に思った。国の中心部に近づいていくのだから警備は厳重になると思うのが当然だろう。ましてや、昨日まさに厳しい警備を避けるためにギュレンの背中にしがみついてやっとの思いで関所を突破したばかりなのだ。

「通常の国ならそう然るべきなんですが、特段ゾルバルク王国に関しては先日も説明した通り東西南北を自然要塞と厳重な関所で固めています。つまり、この王都諸領土にはゾルバルク管轄の人間しかいないということなので、部外者による平和の乱れを考慮する必要はないのですよ。」

アムルダがわかりやすく説明してくれたのでシオンも大きく頷き納得できた。

「そして俺はここからはずっと人化した状態で行く。王領にバードエルフが侵入したなんてなったら種族全体の問題だからな。そうなりゃもう大変だ。最悪戦争…はさすがに無いか。」

シオンは戦争という言葉を聞いて少しビビる。

「え、じゃあ、もしバレちゃったら大変なことに?」

「シオン、バードエルフが人化できることを知ってる人間なんて少数、いやお前ら含めても滅多にいねぇよ。そもそもバードエルフが領土にいるとか、部外者が山脈超えるとかっていう発想が国側にまずねぇわな」

ギュレンの声が弾んいるようで少し得意気に聞こえる。

「戦争って、ギュレン大げさよ。それにね!このマグワイア伯が娘、六女エリス・マグワイアがついているんだから多少はなんとかなるわよ!」

「いやぁ六女では弱いですねぇ」

「何よ!アムルダはいざという時助けてあげないわよ!」

エリとアムルダが何かまた言い合っているが、そんなことより

ーエリ、身元についてすげぇ事をさらっと言ったな?ー

とシオンはエリの素性が気になって仕方がない。

「え、エリはなんか偉い的な?身分?令嬢?」

「そうよ!私一応貴族なのよ!」

エリが自信あり気に胸を張り顎を浮かせる。

「貴族!?すご。え、貴族がなんでこんな野蛮で危険な旅を?」

シオンは純粋に貴族という言葉から連想される優雅や高貴という印象に引っ張られた質問をエリに投げかける。

「そりゃあ!…まぁなんていうの?貴族として?世の中を知る的な…」

エリは急に自信が無くなったように声量が尻すぼみになった。

「なっなによ!貴族が旅しちゃいけないって言うの!?」

「いやそういうつもりで聞いたわけじゃないよ。ごめんって。」

シオンはエリが答えづらそうにしたので、事を済ませることにした。

「エリが久しぶりに親の顔を見たいっていうから、王都の方向とは若干寄り道にはなるが、マグワイア領の方にまずは向かうぜ」

シオン達はまず自分たちが昨日降り立った丘を下っていき、近くの小川で体を拭いたり、顔を洗ったり、水分補給をして準備を万全にした。山脈から流れ出る水は雪解け水であり、非常に冷たく口当たりなめらかで疲れた体を癒すには最高だ。ただ、あまりに冷たく綺麗すぎるので水生生物の生息は確認できない。色とりどりの小鳥達が水際で水遊びをしている姿はなんとも癒される。シオンは小川を全部飲み干すがごとくがっつきごくごく飲んだ。しかし実のところ、真の目的はエリの水浴びから目を反らすことにあった。もちろん水自体すっきりのど越し爽快でびっくりするくらい美味ではある。しかし、シオンは気を緩めれば数日前に聞いたギュレンとエリの濡れたサウンドが脳内で再生されてエリに対して邪な思いを抱きかねない。いや、実際抱いた夜もあったが、ギュレンとエリの関係を知ってしまった以上二人を祝福する他ない。エリも多少は気を使っているのか、体の前方向、つまり女性の魅力的な部分が多い側を向けてはいないが、我々紳士が配慮をしなければさながらストリップの様になってしまう。

ーあぁ見たい、見たいすぎる。ちょっと、ちょっとこう、遠くを気にするかのように…ー

シオンが水から顔を上げるタイミングで、エリのいる川下へと顔を半分だけ向ける。視界の端に辛うじて捉えることが出来た艶やかな尻の輪郭。それ以上首を向ければ今まで構築してきたエリとの関係性が一気に自分の中で壊れるような気がしたので、シオンは自分の下腹部の膨張を朝のせいにしてまた川に頭をつっこみ、むせるほど水を飲んだ。

 それから、その小川の5キロほど下流にある一番近くの村まで行き、何食わぬ顔で門をくぐる。軽く食事をとり、そのままシオン達はこの村には滞在することなくどんどん歩みを進める。山脈の前と後では明らかに変化を感じる。道があって歩きやすい場所が増えた。関所は無いし、村と村の間隔も近い。それに旅人や商人とすれ違うことで和やかな気持ちになることもある。時には商隊を見かけることもあり、珍しい果実のジュースやちょっと甘さが強いバターロールみたいなパンをギュレンからご馳走になることもあった。それらを皆でおしゃべりをしながら食べる時間がシオンは何よりも代え難い幸せに思えてならなかった。皆のことを常に気をかけてくれるギュレン、いつも明るく話をしてくれるエリ、エリとギュレンをからかいながらもいつも後ろから皆の足取りを見守っているアムルダ。山脈を超える前後で物価が倍近く違うのは多少気になるが、シオンはそんな道中が楽しくて楽しくてたまらなかった。

 小規模の村を3つ過ぎ、シオン達は今、街と言っても差し支えない規模の村を訪れてる。村の景色が目に入った瞬間シオンは体中がむず痒くなるような、全身が細かく震えるような感覚になった。

ーそうそうこれこれ!!ー

ようやくシオンが見たかった”異世界の村”という様相が眼前に広がる。明らかに今まで通ってきた村とは違う。行き交う村人の数、家の大きさと軒数、路地の入り組み具合、商人の活気、市場の有無、馬の往来。さまざまな要素がシオンの期待値を大きく上回る。夜に村に入り、ギュレン曰く翌日は1日休みを取るとのことだ。日数的には山脈を超えてから1週間が過ぎようとしていた。

一夜明けシオンは皆と朝食をとったあと、宿屋の自室で久しぶりに一人でゆっくりしているとギュレンが部屋に訪れた。

「シオン、休憩中悪いな、今から買い物に行ってくるけどお前もくるか?」

「買い物?何か、買い足すものでもあるんですか?」

「大きな村だし何かおもしろいものでも売ってんじゃねぇかなってな!エリもくるし、何かご馳走してやるよ!」

シオンはエリも来ると聞いて気が変わる。

「あっでもちょっと僕食後で眠くなっちゃったので寝ますね!」

「おぉそうか、ゆっくり休めよ。アムルダが2つ隣の部屋にいるから何かあったらあいつに言ってくれ」

ギュレンはそのまま部屋を後にしたが、何かシオンはギュレンの誘いを足蹴にしてしまったような気がして罪悪感が少し湧いた。ギュレンとエリの邪魔をしたくないという気持ちと、なんかカップルに挟まれるというのは多少気まずい気もしたからだった。

断ったシオンだが、眠るのではなくアムルダの部屋を訪れた。ノックをし、一言添えてから入室する。

「アムルダさん、ちょっと話があって…」

「シオン君。ここで話すのもあれですし、我々も市場にでも出かけましょう」

アムルダは笑ってシオンを誘ってくれた。

村の市場は活気に溢れていた。日本にも商店街がある街はあるにはあるが、シオンの地元には特に活気に溢れた商店街があるわけではないので、異世界的市場というだけではなく、ただ活気のある市場というだけで貴重な体験であるのと同時に楽しい体験だった。。シオンとアムルダは市場を歩いていく。

「シオン君、私はこの旅が楽しいですよ。ギュレン達と出会ってからずっとそうです。」

「僕もすごく楽しいです。最初は本当に辛いこともあったけど、今は慣れてきました。僕のいた世界ではこうやって旅をすることはあまりないので」

「そうですか。シオン君との時間はギュレンやエリとの時間よりも短いですが、私は彼らと同じくらいシオン君のことを大事に思っています。」

アムルダはとてもやさしい口調で話している。

「敢えて言うのも恥ずかしいですが、こういうことは言わないと伝わらないのでね」

シオンは胸がキュッと締め付けられるような切なさと温かさを感じた。この人たちはこんな僕をなぜここまで思ってくれるのか。

「僕だって、皆さんにこんなに優しくしてもらえて本当に嬉しいしありがたいと思っていますよ!」

アムルダは大きく笑ってくれた。

「……私のいたアギオスバーグ聖王国は我々が信仰している創造主信仰ヴェーダ・アスタの聖地でね。その中でも私のいたバーサガート修道院は優秀な聖職者を輩出している名門で、私はそこで聖典を学び、聖職者としての修行を積みました。」

シオンは珍しく自分の素性について語るアムルダの言葉に耳を傾けて真剣に聞いている。

「シオン君にこんなことを言っても仕方のないことですが、そこでの生活は退屈極まりなくてね、私もこうやって旅をすることに憧れていました。」

「それでギュレンさんやエリと旅をするようになったんですね」

「私も最初は驚きました。聖典では禁忌とされる人とそれ以外の交わり。私は聖職者ですが、本当にそれでいいのかと聖典に疑念を抱いてはそれを否定しての繰り返しでした。しかし、聖典や書庫の書物を読み込んでいくうちに疑念は確信に変わりつつありました。」

アムルダの言葉は優しく静かだが、確かに熱が籠っている。

「この世界の創造主を信仰するということはこの世界の種族全てを信仰することに等しいと。そこで現れたギュレンとエリという世界の歪。疑念は確信に変わりました。彼らは神が遣わした真実なのだと。それで私は国を捨て、ギュレンとエリに全てを捧げると決めたのです。」

ここまで聞いてシオンは少し不思議に思ったことがあった。

「え、でもアムルダさん、何かその聖典を多少裏切る形になったのに奇跡は使えるんですね?いや少し不思議におもっちゃって」

アムルダはふふと笑って答えた。

「シオン君、聖典と神々は似て、非なる存在ですよ。」

シオンにはアムルダが何を言っているのか、ちゃんとは理解できなかった。

「アムルダさん、言いたかった話なんですけど、僕もギュレンさんとエリに、その話をしたいと思いました。」

アムルダはゆっくり頷きながらシオンの方を向いて言った。

「私もその話だろうと思い、シオン君に私の経緯を話しました。」

「アムルダさんは、なんでもお見通しですね」

「いつまでも知っているのに知らないふりは辛いですよねシオン君も」

シオンはアムルダの落ち着いた問答に安心感さえ覚える。

「二人がその関係を気にしてるというのなら、僕もその理解者の一人になりたいと思いました。だって、二人は僕の大切な仲間なので。」

「この村を離れて我々だけになった時に話ましょう。」

そのままシオンとアムルダは市場をぐるっと歩いた。すると前方から知っている人影が近づいてくるのに気付く。

「あれ~?ちょっとシオンとアムルダじゃない!どうせ市場くるなら二人も一緒に来れば良かったのに!」

「デケェ村には色々あるもんだな」

一通り買い物を終えたギュレンとエリだった。

「宿屋でぼーっとしているのも性に合わないですから、シオン君を誘って市場を散策してました。ギュレン、何か買えましたか?」

「ああ、ほら、二人にお土産があるぜ」

ギュレンは腰のポーチから二つブレスレットを取り出した。綺麗な緑色をした小さな石が装飾されている。

「4人でお揃いだぜ。柄じゃねぇがたまにはな!」

シオンはギュレンから受け取ったそのブレスレットを左腕に付けた。

エリはブレスレットを髪留めに使っているようだ。

「私は高いからいいって言ったのよ。ギュレンがどうしてもって言うから」

「ギルド勲章みたいでかっこいいじゃないですか。ギュレンもたまには粋なことをしますね。」

そのまま4人は市場で売っている食べ物を持ち帰り、宿屋の食堂で夕食を取る。所謂テイクアウト飯である。食事を一通り終えた後、ギュレンは今後の計画を話始める。

「このまま街道沿いに行けばシニトス領を通ってエリの故郷のマグワイア領には着く。ただ、それじゃあ多少遠回りだ。だからこの高地を突っ切って真っすぐ抜けようと思う。」

ギュレンは市場で買ってきた地図をテーブルに広げて指を指しながら説明をしている。しかし地図と言っても大まかな地形の配置と領土の名前しか書いていないので、この村とこの村はいくら離れているとか、この山の大きさはこれくらいだとかという正確な情報は載っていない。温泉街の簡素な観光マップ程度のちゃちな物である。

ーなんだこれ、これが国公認の地図だと言うなら少し地理的感覚に危機感を持った方がいいレベルだなー

シオンはそんなことを思いながらギュレンの説明を聞く。

「これじゃあせっかく王都諸領土に入ったのに今までとさほど変わらないですね。」

アムルダがギュレンの大胆なショートカットに呆れている。

「僕らにとってこれくらいなんてことないですよ!」

シオンはアムルダの発言に対し思わず励ましの言葉が溢れた。

「お?シオンも頼もしくなったじゃねぇか!最初はしんどそうにしてたが、こんだけ俺らと旅すりゃ麻痺もしてくるってもんだぜ!」

ギュレンがシオンの旅の感覚の成長に言葉を弾ませた。

「麻痺ってなによ麻痺って。シオンには私を超えるくらいにはタフになってもらわないと!まだまだよ」

エリがギュレンの言葉選びにつっこみを入れシオンには激励を送った。

「いやそれはさすがに」

シオンも、エリが自分を超えろなんて言うからすかさず否定する。

「なによ、私が頑丈女だっていいたいわけ?」

「いやエリが先に!」

「冗談よ、私もシオンが成長してくれて嬉しいわ」

シオンもエリもお互いに冗談交じりの会話をして楽しんでいる。

「これを成長といっていいものか私は甚だ疑問ですよまったく。シオン君も彼らほどタフになられたら私一人では制御がききませんよ」

「アムルダも素直じゃないわねぇ、顔にやけてるのがバレバレよ」

「なにも私はシオン君がタフになって嬉しくないとは言ってませんよ」

皆仲良く笑いながら旅の予定を話し合った。またしばらく村には寄れないので、明日の朝、保存食の確保を市場にて日常必需品を雑貨屋で買いそろえることになった。

次の日の朝シオン達は村を出る。街道からは逸れてまた道なき道を歩いていく。まずは村の東側にある林を迂回してその奥にある高地を抜けていく予定だ。シオンも最初は川を渡ったり、草をかき分けながら草原を進んだり、大岩が点在する丘を越えたりすることにーおいおい大冒険かよーなんて思っていた。しかし今はなんてことない、慣れたものだ。ただ、これは冒険成れしているギュレンとエリのルート選択、サバイバルの知識、食料の確保、食材の処理、アムルダの奇跡などなどがあってのことだということをシオンは十分理解していない。さながら家事の手伝いをちょっとやっただけで一人暮らしを俺は出来ると勘違いしている実家暮らしの子供ようである。

 シオン達が丘の麓の草陰で夜を迎えようとしていた時シオンはアムルダに耳打つ。

「そろそろあの話を切り出してもいいですか?」

寝床の準備をしていたアムルダが手を止める。

「そうですね、皆の寝床の準備が一通り済んだら私が場を整えます。二人ににはシオン君の言葉で話してあげてください。私からは何も言わないので。」

「わかりました。」

準備を終えたアムルダが、ギュレンとエリを焚き火の周りに呼んだ。

「どうしたアムルダ、ふかふか草足りないか?」

ギュレンがシオンに優しく声をかける。

「ギュレン、エリ、シオン君が二人に少し話があるようなので聞いてあげてください。」

ギュレンとエリは互いに顔を見合わせ少し困惑したような表情でゆっくりと頷く。シオンがぎこちなく会話を始める。

「え、ええと…もう結構村から離れましたね。村の明かりも全然見えないし…」

「…まぁここら辺はまだ山脈近いからな、起伏が激しくて村も人も多い方じゃないな。」

ギュレンは不思議そうな顔をしながらもシオンの話に耳を傾ける。シオンは慎重に言葉を選ぼうとしている。ここでシオンの思いが何か一つでも向こう側に間違った解釈で伝わってしまえばここまで築いてきた皆との絆が崩壊してしまう。自分の気持ちを言語化する難しさにシオンは眉を顰める。

シオンは考えながらゆっくり話し始める。

「…ギュレンさんとエリはその、付き合ってるんですよね…?えっと、旅の仲間という意味ではなく、恋仲として。」

ギュレンとエリはシオンの発言に驚いた顔をしてアムルダの方を見た。アムルダはゆっくりと首を横に振った後に言った。

「私があなた達二人を差し置いて軽率にシオン君に話したりしませんよ。ただ少し二人がそういう話をしていた所をたまたまシオン君が垣間見ただけです。私からは何も。」

それを聞いてギュレンとエリ二人の表情は曇った。

数秒の沈黙の後、エリが話し始める。

「ご、ごめんねシオン、嘘ついてたみたいになっちゃって。私たちは、そう、シオンが言うように恋仲なの。」

エリの声は震えていた。エリはシオンの目を見て話すことができていない。

「シオン、お前いつから知ってたんだ?」

ギュレンはシオンに対して質問をする。ギュレンの声はいつになく低く聞こえる。

「いつから…?えっと、山脈を超える前にアムルダさんが言ったような感じで。」

ギュレンは「そうか」と一言だけ言った。

エリの太ももには涙がぽたぽた落ち始めた。

「私たち、ここでお終いね。い、嫌でしょ?シオンも、バードエルフと人間のカップルと一緒にいるの…。シオンだってそれが気になって今日言ってくれたのよね…?」

ギュレンとエリの精一杯の歩み寄りだった。世界の異端として存在している自覚はある。であれば、異端を拒み、受け入れられない者に対してできることは引き止めることなく、ただ離れ、関わらないでいること。

「えっ?」

シオンは変な汗が全身からぶわっと出るのを感じた。

ーあ、いやこれ俺が思ってた方向と全然違う方向に話が進んでるなー

エリはギュレンの腕を強く掴んで話す。

「…どうせ、どうせ最後だし、シオンには言っておくわ。私たちね、結婚するの!そのために旅して…こんな私たちでも幸せになれるところを目指して、ね…」

ギュレンの顔は曇りに曇っている。エリはぽろぽろ涙を流している。シオンの想像よりも遙かに事態は深刻なようだった。何よりも二人の仲を気にしていたのは外ならぬギュレンとエリの二人だった。まさか人間とバードエルフの恋仲という関係が祝福されるはずがない、バレたらお終いだと。ただシオンには解るはずもなかった。シオンには信じる聖典も無ければ、この世界で生きてきた訳でもない。ましてや人間とその他種族の関係性なんて知る由もない。ただ目の前には互いの事を想い、愛し合っている二人。しかし現実には、世界の柵に飲まれ、逃げるよう、隠れるように旅を続ける二人。いつもはあんなに頼りになり弱音一つ吐かないギュレンの曇り切った顔と体を震わしてギュレンの腕にしがみ付きながら静かに泣くエリを見て、シオンの中で留めていた「上手に話そう」や「誤解のないように話そう」「しっかり相手の話も聴こう」といった綺麗ごとが一気に吹っ切れる。

「俺はッ!!!二人を軽蔑したくて話してるわけじゃない!!!」

シオンは、気付いた時には、勢いのあまり立ち上がり、思いの丈を吐き出していた。

「俺はこの世界のことは何もしらないし、人間とかバードエルフとか良くはわからない!!だけど!!自分の考えが及ばないながらも二人の関係を知った時!100%純粋な気持ちで!歓迎して!祝福して!応援しようって思ってたんだ!!!

二人がそんな暗い顔で、張り詰めた声で、俺を置いて行こうとして!!

二人が二人を一番祝福しないでどうするんですかッ!!!

そんなんじゃ……俺まで悲しくなりますよ…」

シオンは瞳に涙を貯めながら必死に訴えた。エリはシオンの話を聞き、もう涙が止まらなくなっていた。ギュレンは顔をシオンの方から反らし親指で目を拭い、シオンにゆっくりと歩み寄り肩に手を置き話す。

「シオン。すまなかった。勝手にシオンのことを決めつけて、勝手に分かったような気になっていたのは俺たちの方だった。シオンはもうとっくに仲間なのに、自信をなくしてしまっていたのは俺たちだった。俺は、そんな俺たちを分かろうとしていたシオンからも逃げようとしてしまった。失望が、軽蔑が、怖かった。本当に申し訳ない。そして、ありがとう。」

シオンは鼻をすすり、肩に置かれたギュレンの手の甲を握りしめて言う。

「いえ、僕の方も、強い言い方をしてごめんなさい。それでも、ギュレンさんとエリさんがどんな思いで旅をしてきたかと思うと、僕までつらくなってしまって。僕が本当に二人を応援したいと思ったので…。」

「シオンお前…ありがとう、嬉しいよ」

アムルダが泣きべそをかいているエリに話しかける。

「いつまで泣いているんですか。日が昇ってしまいますよ」

「だ、っだってぇ…嬉しくてぇ。シオンとここでお別れだって思ったり、ギュレンと私を認めてくれると思ってなくてぇ」」

ギュレンは涙で顔がぐしゃぐしゃなエリの隣に座る。

エリはギュレンの肩にもたれ掛かり、火を見つめながらギュレンの言葉に耳を傾ける

「嬉しいな、エリ。俺たちは祝福されてるってよ」

「…うん」

「シオンが仲間になってくれてよかったな」

「うん」

シオンは感情の発露に疲れてその場に座り込んだ。そんなシオンを見て、アムルダが微笑を浮かべてゆっくりと近づき話しかけてきた。

「シオン君、いい演説でしたよ」

「…からかうのはやめてくださいよ。僕だってこんなことになるとは…アムルダさん分かってて僕に全部任せたんですね?」

「からかっているわけではありませんよ。事が事ですのでね。シオン君に委ねて良かったなと思いました。私が淡々と説明しても良かったんですが、それではあまりに事務的でシオン君の気持ちが伝わらないと思ったので。こんなに気持ちの良い夜は久しぶりです。」

「僕もずっともやもやしてたし、色々言えて良かったです、本当に。」

「さて、そろそろ寝ましょうか。…寝床のふかふか草は足りてますか?」

「僕はちょっと硬いくらいが好きなので大丈夫です。」

アムルダはシオンの顔を見てふふと笑っていた。

みな呼吸を整えまだまだ続く明日のため就寝の準備を進める。

シオンは自分の寝床をきれに両手で均しながら、ふと目の前の丘とは逆側にある山々へと目を向ける。夜になると朝とはまた違った冷たい風が吹き下りてくる。シオンは風の中に不自然な生温かな肌触りを感じて風上を見たのだった。ちょうど海水浴の時に海の中に周りより少し温い部分を見つけたような感触を風に感じた。シオンは何か気のせいだと思い、元の作業に戻るが、シオンだけではなく、皆同じような不自然さを感じている様子だった。

「ギュレン、今日はここで夜を明かすのは止めにしないか」

アムルダがギュレンに対して提案をする。

「アムルダ、俺も今それを考えていたところだ、エリも問題ないな」

「もぉ、今丁度ふかふか草がいい感じにまとまったところなのにぃ。まぁ夜道を歩くのも悪くないわ」

一つ一つの判断が旅の明暗を分ける。

シオンは思い出していた。ーそういや俺がまだギュレン達に会って間もないころにギュレンの機転で寝床をずらして地滑りから逃れたんだっけなー

シオンは自分もその違和感の一旦を感じることができたことに一人でにんまりする。

「シオン!悪いが今日はもう少し移動することになった」

「ぜんぜん問題ないですよ。僕もなんかいやな感じするなって思いました!」

全員意見が合致したので、皆急いで荷物をまとめ場所を移動する。

山脈を超える時以来の緊張感を感じ、シオンはそわそわした。

「ギュレンさん、あれ見えます?」

いざ移動となったとき、シオンが山の中腹あたりを浮遊する何かに気付きギュレンに意見を求める。

「どれだシオン、具体的にどの…あっ」

ギュレンはシオンの言った浮遊する何かに気付きアムルダの元へ駆け寄った。

「エリも見える?コウモリの群れか何かかな」

「ん~?私あまり夜は目が…えッ」

エリの顔は真剣なものになり、ギュレンとアムルダは大きなため息をついた。

「黒靄か…まさか本当に存在するのかよ。こっちに向かってくるか?……アムルダ!!エリ!!シオン!!荷物は持ったな?!走るぞ!!」

ギュレンの叫び声に一瞬びっくりしながらもシオンは言われた通りギュレンに走って付いて行く。あまりに急な出来事に何も理解できていないことがシオンの恐怖心を煽る。何から逃げているのかもわからずに必死にギュレンについて行く。ー後ろはアムルダとエリが走ってきているから大丈夫だー

そう思いながらギュレンの背中を必死に追っていると自分たちの頭上を黒い塊が通り過ぎるのを視界の端で捉えてしまう。先頭を走るギュレンの10メートル程先に黒い塊が停止した。『黒靄』それは災いの兆候。それは迷信でもおとぎ話でもなく、この世界の理として存在する不吉な象徴。報告例は少数。それがなぜかシオン達の前に現れた。

ギュレン達は立ち止まり、臨戦態勢を取る。

「みんな、落ち着け、何が起こるかわからない。エリ、もう荷物はいいから剣だけに集中。アムルダもいつでも奇跡を放てるようにしておいてくれ、シオンは俺の後ろについてろ、絶対に離れるんじゃねぇぞ」

ギュレンは矢を弓につがえ、エリは最も愛用する剣を抜き取り、アムルダはどんな奇跡でも施せるように集中を高める。

ギュレン達が臨戦態勢を取る間に黒靄がゆっくりと晴れていく。どんなものが現れるのか、みな緊張を最大に保ちながら見つめる。

「ふぅ~……あれ?てっきり王都の中心にでもついたと思ったんだけどな。」

拍子抜け。どんな怪物が現れるのか、はたまた発光や爆発の類。予想していたどれもが外れる。現れたのはフードを被った黒い衣装に身を包んだ女が一人。女がフードを外す。月明りに照らされ顔が見える。心臓に直径20㎝はあろうかという木の杭が突き刺さっている。ギュレンがそれに気づくや否や躊躇いなく矢を放つ。夜の暗闇を切り裂いて女へと一直線に飛んで行き、脳天に矢が突き刺さる。女は着弾の衝撃で大きく頭がのけ反り草原へ倒れた。生物なら絶命を免れぬ一撃。それでも女はゆっくりと立ち上がりこちらへ話かけてきた。

「……意味ないよ。あたしはもう死んでるから。あまり時間は残されていないけれど…。いい危機感ね。威力も申し分なし。大抵の生物ならこれで一撃。かなり手練れのバードエルフの弓術ね。」

言い終わるのと同時に次は両ひざと肩に計3本の矢が突き刺さり地面に転がった。ギュレンは出てきた女をもう人だとは思っていない。容赦なく急所を確実に射抜いていく。確実に行動を不能にする3本だ。

「自己紹介の途中で攻撃なんて無礼もいい所じゃないか。」

女は何もなかったかのように立ち上がりこちらを睨みつけてきた。

「アムルダ…どうする、言葉を発してはいるが会話でどうにかなる相手じゃねぇことは見てわかる。」

ギュレンがアムルダと意見をすり合わせる。エリが今にも斬りかかりに行きそうなのでギュレンはエリを制止する

「エリ、動くな、近づくんじゃねぇ、どうせ斬ったって裂いたって意味ねぇ。俺から離れるなよ」

「ギュレン、逃げましょう。正常な意思疎通は図れないと私も思います。攻撃への反応を見る限り明らかに人ではないですし、矢で多少足止めができるなら近くの村まで行って数で押せばなんとかなる気がします。」

アムルダも女との戦闘は得策ではないと踏み、逃げることを選択する。

ギュレン達はすでに女に構うことなく逃亡を開始し走り始めた。

「逃げるのね、それは賢明。私は冥王復活を望む者。だけどもそれはもう叶わない。本当は最後の力で王都をめちゃめちゃにするはずだったんだけど…まぁもういいや。クソ。」

女は独り言を一通り言い終えた後、その場に跪いた。

『嬉々として血祭、有耶無耶の呼び声…………?

いたのは3人じゃ無かった!?」

女は途中で詠唱を止め、ゆっくりと視線を逃げて行くシオンへと向ける。

「ッ!!!見つけた!見つけた!!」

女はシオンを確認するとシオン目掛けて猛烈な勢いで突っ込んで行った。ギュレン達が逃げていた距離を一瞬で縮め、弾丸の如くシオンにぶち当たった。鈍い衝突音と共にシオンは大きく前方に突き飛ばされた。女は転がって行ったシオンを追いかけて横たわる彼に覆いかぶさり涎をまき散らしながら叫ぶ。

「お前!!マナがゼロだ!!探したぞ!!ようやく報われるッっ!!我らが冥王の復活を!!!!」

ギュレンは横を走っていたシオンが突然吹っ飛んだので、びっくりしながらも冷静に女にむけて矢を放ちシオンを救出する。すかさずエリがシオンを担ぎギュレン達のもとへと運ぶ。

「シオン、大丈夫か?」

「ずみまぜん…あいつマナがどうとか言ってました…っ痛ぇ…しばらく立てそうにないです…」

シオンは口から血を吹き、右腕は反対に曲がってしまっている。体に力が入らない。背後からの衝撃。当たりどころが悪ければ症状はもっと酷かったかもしれない。

「シオン君、今痛みを和らげる奇跡を施します。」

アムルダのおかげで痛みは和らいだが、怪我が治ったわけではない。依然シオンは重症を負ったままだ。

「エリ、アムルダ、ここであいつを迎え撃つ。」

ギュレン達は逃亡を諦め腹をくくって女との戦闘を選択する。

「もう~ちゃんと避けないと~」

「…いやムリだろ」

エリがシオンの応答にえへへと笑い腕を応急処置してくれた。

ギュレン達は臨戦態勢を取り女に全集中を向ける。

「……時間が来る!!…せっかく、せっかく見つけたのにッ!!!クソックソッ!!!」

女は自らの肩を抱いて蹲りさっきとは比べ物にならない程の声量で詠唱を開始した。


『嬉々として血祭!!!有耶無耶の呼び声!!!刻まれるは臙脂の渦!!!

成れ果て召喚!!!喪異堕螺入道!!!!』


仰向けに倒れこんだ女の体が大きく震えたかと思うと、女の口の中から巨大な足が伸び上がった。まさに電柱のように見上げる程大きく太い足。それから女の体の中から破るように怪物が這い上がり、怪物の全容が明らかになる。

6メートルは超えようかという巨体。足を屈曲させ不気味な顔を前のめりにしてこちらを凝視してくる。どんな怪物が来ても一瞬のうちに矢を打ち込み、どんな怪物が来ても剣を振りかぶり、どんな怪物が来ても二人を支援するつもりだった。戦意喪失。一瞬だけだったが、本能が逃走を思わず選択させてくる恐怖がそこにはあった。


「…オ…オ…オ」


ギュレン達が想像を絶する怪物に狼狽えたのは一瞬だ。もし運命の分岐点が存在すると言うのであればその僅かな隙間だったかもしれない。ギュレンが矢を放つのと同時にギュレンの右腕が弾け飛ぶ。エリがギュレンの方に気が逸れた一瞬、エリの剣が砕け散る。ギュレンの治療、エリの援護、アムルダが判断を一瞬迷った瞬間、アムルダの肩が抉れ血が噴き出す。化け物の口から螺旋状の衝撃波が飛んできているのが後ろで見ていたシオンには辛うじて分かった。

「痛ってぇな…。とんだバケモンだぜ…」

「…こんなことなら…予備の剣をもっと持って逃げるんだったわ」

「…ギュレン…今、奇跡を…」

壊滅。弓使いはもう弓を引く腕が無い。剣士は武器が壊れてしまった。聖職者は奇跡を施す体力が辛うじてあるかないか。

シオンは化け物に対し、いつものような器用で華麗で綺麗な勝利を期待していた。彼らならやってくれる。そう信じて疑わなかった。しかし、現実はそんな妄想を容赦なく塗り潰していった。

「ぼ、僕のことはもういいです…!!皆さんだけでも逃げてください!!!

僕は、別に、後から旅に付いてきただけです…エリもギュレンさんもアムルダさんも逃げてください!!!!」

シオンは涙ながらにギュレン達の背に訴える。もう勝ち目なんてない。満身創痍。逃げるなら素晴らしい目的がある、未来があるギュレン達に逃げて欲しい。そもそも自分は転移してきた時に彼らに助けてもらわなければそこで終わっていた命。シオンは最期を仲間のために死んで行けるなら、良いと、自分なんかそうで然るべきと思った。

「はぁ…シオン、おめぇなにか勘違いしてねぇか?俺たちはまだ負けてねぇよ。それに、逃げるならお前も一緒に決まってんだろ。4人で仲間だってな、シオンが仲間になったあの酒場からなんにも変わってねぇって」

ギュレンは敵に背を向け、シオンの方を向き、肩に手を乗せて笑って話す。

ギュレンの息はもう絶え絶えだ。玉汗が全身から溢れ出ている。

「ギュレン…血が…血が…」

シオンはギュレンの右腕から止めど無く流れ出て、もう二度と戻ることの無い大量の血液を両手で受け止める。手のひらから伝わる血液の温かさが、ギュレンから生命が流れ出ていることを嫌でも理解させられる。

「そうよ!シオンもそんな顔してんじゃないわよ。ちょっと先手取られただけでしょ?あんな奴ちゃちゃ~っと倒して先に進むわよ」

エリはギュレンの腕を応急処置しながら前向きな発言をする。

「シオン君に心配されているようでは私たちもまだまだですね。強くなりましたねシオン君。私たちも成長の余地ありってことです」

アムルダの肩からは鎖骨らしき白が飛び出している。それでもアムルダはシオンとエリに加護を施しながらシオンへ笑みを向ける。

「…え?」

シオンは気付くと真白の光に包まれていた。

「シオン!!後のことは任せたぜ!!」

「シオン!王都でも上手くやんなさいよあんた!!」

「シオン君!どうか!未来へ向かってくださいね」

シオンは光に包まれて地面からどんどん離れていく。さっきまであった苦しい内臓の痛みが消えていく。真逆になっていた右腕の骨折が元通りだ。体が光に包まれ宙へ浮き、見る見るうちに体の痛みが癒えていく。

「ギュレン!!エリ!!アムルダ!!そんな!!!嫌だ!!!!」

どんどんギュレン達の姿が遠ざかっていく。

シオンは真白に輝く光の塊に包まれて転送された。

突然現れた怪物。化け物の攻撃がギュレンの左腕を確かに貫いていた。エリの剣が砕けるのも見た。あのエリでさえ化け物の攻撃を反射的に剣で受けるのが精一杯だった。アムルダの右肩が削がれるのも見た。化け物登場から初手の攻撃にて致命傷。そのような光景のどこに勝機があるというのだ。アムルダの奇跡によって自分だけが逃れることができた。逃れさせてもらえた。逃れさせられた。なぜ自分なんだ、どうして皆一緒じゃないんだ、逃げる時はみんな一緒だって。

シオンを包んでいた光が無くなるとシオンは綺麗に敷かれた石畳の上にいた。大きな通りの真ん中に放り出されたようだ。後方には月明かりに照らされた白き王城が聳え立っている。シオンは王都へと転送されたのだと気づく。

「…あぁ…あああ…」

自分だけたどり着いた。

シオンは半ば放心状態でよろめきながら立ち上がる。華々しいこの王の都でシオンは行く当てもなく彷徨い続ける。何日も何日も空虚に過ぎていく。シオンにとって今、生きている理由は彼らが残した言葉だけだった。

「シオン!!後のことは任せたぜ!!」

「シオン!王都でも上手くやんなさいよあんた!!」

「シオン君!どうか!未来へ向かってくださいね」

何度も何度も脳内で反芻される彼らが残した最期の言葉。思い出す度に臓物が震えて吐きそうになる。

行く当てもない、頼れる仲間もいない。変化を起こし、再起を図ろうという気にはとてもじゃないがなることはないし、貧困街で堕ちた者として犯罪を働きながら生きていくこともできない。

気づけばシオンは大通り脇から延びる狭く薄暗く不衛生で人通りも無い路地でただ俯くだけになってしまった。風通りが悪くジメジメと湿った空気が滞っている。壁際をドブネズミが走り抜け、石畳は割れ、割れ目には苔と節足昆虫が蠢いている。落魄れた浮浪者でさえ寄り付かぬ酷い路地だ。

「俺に出会わなければ…」

シオンは自分を責めに責めている。この世界に来てシオンがやったことは、ギュレン達におんぶにだっこで旅紛いのことをして、何か仲間になったかのような感覚になり、最後は皆に庇われ惨めに逃亡。

シオンはもう自分が嫌で嫌でたまらない。生きている価値なんて無い。いない方がましだ。果ては、いなくなるべきであるとさえ。

「もう、もう終わりたい…」

この世界では、自分はそもそもいてもいなくても同じなのだから、どこかで死んでしまうのもありなのかもしれない。それで彼らをある種見殺しにした罪が赦されるならばそれで良いとも思った。なんどもそれを実行しようとはしたし、時には周りの全てを破壊してしまい、人として終わってしまいたい衝動に駆られることもあった。

それでも、彼らに何かを託されたような気がして、毎日毎日泣き、街の隅で蹲り、現状を留め続けるという選択している。

精神への過剰な負荷、ストレス、後悔、自己嫌悪、卑下、悲愴。

こんなに心が重くて、体が重くて動かないのに、脳だけはあの時の全てをずっと思い出させてくる。

絶望の底で何日経ったろうか。シオンは変わらず路地で俯き続けている。不意に一瞬だけ頭痛と耳鳴りで音が聞こえなくなった。座っているのに目眩で視界が朦朧とする。路地の奥から冷たい凍えるような風が吹いてきてシオンは異質な雰囲気、空気感に包まれ思わず顔を上げた。

「なんだ…?」

路地の奥の暗がりからゆっくりと歩みを進め、大通りの方へ向かってくる者が1人。シオンの感覚器官のすべてが歩いてくる者へと向く。石畳を踏みつける足音、風が運んでくる冷たい香り、下敷きで体中を擦られているかのように鳥肌が立つ。歩いてくる者から目が離せない。紺青のローブを纏い頭深くまでフードを被っている。右手には大鎌。妖艶で重厚で異質。シオンはついにお迎えが来たのだと思った。見た目はまさに死神そのものだ。しかしフードが振れる度に垣間見える顔は骸骨や亡霊のそれではない。薄暗いので良くは確認できないが、短髪の若い女だということだけは分かった。シオンは彼女に明らかな敵意が無いと判断すると彼女への興味はすっかり失せ、また顔を伏せた。

彼女は何やら独り言を言いながら一歩一歩こちらへ歩みを進めている。

「商人と来客で賑う市場、大通りで遊ぶ子供、それを微笑ましく見守る大人、王に忠誠を誓う騎士、国を治める王。明るく栄えた理想的な国だね。」

彼女の足元をまた冷えた風が通り抜けていく。遠く薄らいだ空を見上げて彼女は続ける。

「何からも見放され体くらいしか価値が無くなった少女、弱みにつけ込み何もかもを奪わんとする悪漢、彷徨う浮浪者、飢えに飢える子供。」

彼女は深く被っていたフードを脱ぎシオンの横にて一度立ち止まった。

「そして、私の傍には絶望を体現したような顔をして項垂れる青年。幸福と絶望。優遇と差別。どこへ行こうが大して変わらぬ人の世さ。」

彼女は右手に大鎌を携えて、どこへ行こうというのか。ここまで来る間に誰か、市民や衛兵に止められはしなかったのだろうか。彼女の独り言はより一層大きいものとなる。

「私は、いつでもできたのだ。終わらせることなど簡単に。諦めとはこんなにも悲しく、悔しく、虚しく、嬉しいものか。青年。君の絶望も、もうすぐ終わるさ。」

彼女はそう言い残し、シオンの隣からゆっくりと離れていき、路地から抜けるところに差し掛かる。

「あなたは、何をそんなに諦めたいんですか?俺は、ずっと待っています。そう言われたから。」

シオンは俯きながら相手に聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で反応した。

彼女はシオンからの返答に驚いたのか、後ろからでもわかるくらい全身が強張っている。そうして、困惑の表情を浮かべて、何かを確かめるようにゆっくりと振り返った。

「…君は今、私に話しかけているのかい?」

シオンは膝を抱えたままやつれきった顔で彼女を下から睨みつけ返事をする。

「お前以外に誰がいるんだ。俺は、あれからどれだけ時間がたったかもわからない。全てを忘れて新しい道を歩むことだってできるはずなんだ。でも、毎晩ちゃんと涙が出てくる。だって分かっているから。だって、みんなは…!!」

ーもう疾くの疾うにー

シオンは言葉が詰まった。それを言ってしまえば本当にそれが現実になってしまうような気がして。シオンは気付けば両目に涙がいっぱいになり、立ちどころにあふれ出していた。

「拭いても拭いても出てくるんだ、何の涙かさえももう俺もわからない…」

そんなことはない。何のための涙か、誰のための涙かはシオンが一番良く理解している。シオンは涙声で目の前にいる女性に今までため込んでいた感情を吐き出している。

シオンの顔をじっと見つめていた彼女は持っていた鎌をその場に落としシオンの方へおもむろに歩み寄る。項垂れているシオンと目線を合わせて両手でシオンの右手をそっと持ち上げシオンの目を見て言う。群青色の眼でシオンの目を優しく見つめた。

「一人は淋しいね。…でも、独りはもっと淋しいよ。」

そう言うと彼女は、シオンを優しく抱きしめた。

冷たく、冬そのものに抱きしめられたかのような抱擁。触覚ではなく心がそう感じる。

シオンは一瞬何が起きたのかわからなかった。

シオンにしてみれば、たまたま通りかかった女性に話しかけられ、返事をして、急に抱きしめられる。

何の所以もない奴から慰められても感情を逆撫でされているような感じがするし、一種の恐怖さえ感じる。

「なんなんだよ!お前!!」

シオンは突き放そうと腕で彼女の体を押し返す。がしかし、彼女の体は微塵も動く気配はない。

「あぁ君の心の冷たいね。誰かを抱きしめれば温かいのかと思っていたが、そういうことでもないらしい。」

彼女はシオンを抱きしめたまま独り言をつらつら語っている。シオンはただただ不気味で怖いので体が固まってしまう。

「すまない。久しぶりの感覚なんだ。少し、会話の仕方を忘れてしまった。急に抱擁をしてしまい、申し訳無かったね。」

彼女はゆっくりと体をシオンから離した。

ーなんだ、こいつはー

意外にも冷静な態度で謝罪をされたので、恐怖は過ぎ去り、ただこの女性に対する不審感と困惑だけが残る。彼女は狼狽えているシオンの目をじっと見つめた。

「君、ほとんどマナが、いや、ほとんどなんて愚か、一切のマナが内に滞留していないね。」

「あいつも…そんなことを…どうしてそれを?」

「…わかる者にはわかるさ。」

シオンの意識に電流が走る。さっきまで怒りと悲しみと疑いでグチャグチャになっていた感情が一つの方向を向く。”今すぐここを離れろ“という脳からの命令が神経を駆け巡った。今までその事実に気づいた者は一人。ギュレン達を壊滅に追い詰めた憎き怪物。今度は戦ってくれる人も逃してくれる人もいない。

シオンは抱きしめられて傾いた体を起こし全力でこの場から逃げ出そうとするが、それに気づいた彼女はシオンの上から覆いかぶさり、口元を鷲掴みにしてきた。

「うぐぅ!!」

シオンは必死に抵抗するが、彼女は重たい岩のようにびくともしない。

「少し、じっとしていてくれ。上手く、入らない。」

彼女は懐から豆粒大の漆黒の球体を取り出した。この世の暗闇全てを一箇所に圧縮したかのような黒い塊。彼女はその物体を3秒ほど凝視したかと思うと、シオンへと目線を落とし口目掛けて突っ込んで来た。

「うむぅ!!!」

シオンはそんな訳の分からない気色の悪い物体を絶対に飲み込んでたまるかと喉を固く締めるが、口腔内に入り込んだそれはあまりに異質である事に気づく。

ー重たい!!でもなんだ?!重量だとか質量だとかそういった物理法則の類の重さじゃない!!ー

物体はゆっくりと、しかし確実にシオンの喉の奥へ奥へと落ちていく。

「うぐいいぎぎ」

シオンはただもがくことしか出来ない。女は万力の力で自分を抑えていくるし、異物は舌で押し返そうとも喉を固く閉ざそうとも体内へと着実に入り込んでくる。シオンの心は再び恐怖でいっぱいになっている。体中からは汗が止まらない、さっきとは意味が全く違う苦しい涙が出て、口からは涎が垂れ流れる。

「ごくん」

ついに飲み込んでしまった。神経を剣山か何かで強く擦られるかのような衝撃的な痛みが全身に訪れる。体がそんな痛みに耐えられるわけはない。シオンの身体は雷に打たれたかのように数回波打ち、そのまま気を失い動かなくなった。

「ふぅ…」

彼女は一呼吸置き立ち上がる。彼女は左手を落ちている大鎌のほうへゆっくりと伸ばした。

「戻りなさい、レピーダ・ドゥレパーニ」

そう彼女が言うと石畳に横たわっていた大鎌は綺麗に横回転をしながら吸い込まれるように彼女へ一直線に飛んでいき黒い靄となり彼女の腕に吸収された。

「行こうか、青年。」

彼女は死体の如く微動だにしないシオンを両の手で抱き上げ、光が差し込んでくる明るい通りのほうへ歩き出す。

ーーー

第一章 終わり

第二章へ続く


第一章終わり。

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