第3話ーエンドロールー
ヨットで世界一周って憧れますよね。
完全に日が落ち、幾本かの松明の明かりのみが頼りだ。
奇跡はそう何回も連続で発動できるのもではない。
だからこそ、慎重な聖者と優秀な指揮官が戦場には必要不可欠だ。
多勢のグール相手にアムルダとギュレンはそれを成し遂げた。
しかし、それで終わりでは無かった。
風が止んでいる。
真っ暗な草原で傭兵、冒険者、と若者一人は、グールの体の中から現れ、傭兵一人を殺した”それ”
に対し臨戦態勢を崩さない。
「こいつはやべぇな…迂闊に近づくんじゃねぇぞ」
ギュレンが皆に警戒を促す。
ークソ…なんで何もしてこない…
1人殺しておいてそれから突っ立って…
どこ見てやがる…!!ー
ギュレンは奴の様子を伺いながら弓を射るのを躊躇っている。
最初の1人は剣を引き抜き襲われた。だとすればこちらが何もしなければ
まだ襲われない可能性がある。今はとにかく
一旦体制を立て直す時間がほしい。少しでいいから。
「お前ら俺の周りに集まれ!!一旦体制を立て直しt…………ッ!!」
ギュレンが話すのを止めた。
怪物の口が信じられないほど開いている
「ギィャアアァァアアアアアアアアアァアアアァァァアァァアアア!!!!!!!」
怪物は大きく口を開けたかと思うと想像を絶する大声で叫んだ。
叫び声は女性の声のようにも聞こえた。あまりにも悲しく、虚しく、それでいて怒りに満ちた異様な
声。
攻撃を阻止することはおろか耳を塞ぐことさえ出来なかった。
声はあたりの空気を揺らし、この場にいる全員の耳から脳へと致命的な攻撃を繰り出した。青年は
涙が溢れて止まらなくなった。
ー涙が…?身体が動かない。自分の無力さ、無能さ、不甲斐なさ
その全てが心を支配している…助けて。誰か助けてと叫びたくてたまらない。誰か助けて助けて助け
てー
青年は心の全てが悲しさに支配され立っていられなくなった。
震えが止まらず、青年はその場でうずくまってしまった。
怪物が怖いからじゃない。異世界が嫌になったからじゃない。
あの叫び声を聞いたからである。
化け物の叫び声一つであたり一帯は地獄と化した。
膝から崩れ落ちる傭兵。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん母さんごめんなさいごめんなさいと許し
を乞い、首に剣を突き立て自害しようとする傭兵。白目を剥いて倒れる傭兵。失禁し、震えが止まら
ない傭兵。
化け物は身動きの取れない傭兵たちを頭を握り潰すように骨を砕くように皮膚を引きちぎるように前
から一人ずつゆっくり殺し始めた。
ギュレンたちはそれを黙って見ていることしか出来なかった。
ークソッ!!身体を動かしたくても心が、精神が、動くことを拒否している!!弓を引き絞ることがで
きない!心が怒りでどうにかなりそうだ!!
ああ!!クソッ!!!アムルダッ!!…エリ…ー
ギュレンは何もできないことに絶望して憤ることしかできない。
心と精神を支配する叫び声。
それは一声で部隊を壊滅させるほどの力がある。
ー慣れ果てー
怪物はそう呼ばれている。この世界に現存する書物の中でも古い叙事詩くらいにしか記載が無い。
記載されたその容姿や能力から実在したかどうかさえ怪しいと言われていた。
しかし、それが今、目の前に現れた。
アムルダは神に遣える者。実力もあり、位も高く、知識も豊富で優秀な聖職者だ。古い聖典の一部
に、慣れ果てについての記載があったのを思い出し、この場で唯一慣れ果ての存在を知っていた。
しかし、そんな断片的な情報で咄嗟に耳を塞ぎ、なおかつ周りに奇跡を施すまでの行動はできるは
ずもない。
知識があるアムルダでさえも、例外なく叫び声の餌食になった。
彼らはこのまま慣れ果てに蹂躙され無残に終わるだろう。
ーーー
ネゼル・ベゼルの神々よ、
私の傲慢をお許しください。私の願いをお聞きください。大切な仲間を守るため私の身がどうなろうと
構いません。どうか、どうかお力をお与えください。ネゼル・ベゼルの神々に捧げます
ウダーラーカハ聖典第伍章
壱節 炎天の再臨
弍節 栄華の蔓延
参節 大狼の帰還
ー奇跡ー『寵愛の生贄 眼玉と耳 』
ーーー
アムルダの体が一瞬小さく黒く光る。
アムルダの右目が膨れ上がる。目の玉が穴からはみ出し、みるみる膨らんでいく。ぶちぶちと音を立
てて目の穴から血を噴き出しながら眼球は膨張を続ける。左耳には何度も釘を打たれるような鈍い
衝撃が走り続ける。痛いなんてものではない。
「グワああぁァアア」
アムルダが苦痛の声を上げる。その声を聞いて心配してくれる人は誰もいない。ただ一人。その身を
神に捧げ、苦痛に耐える。
右目の膨張が限界に達し眼球は弾け飛び、目の穴から血が噴き出す。
それと同時に左耳の鼓膜が破裂し耳からも血飛沫を上げる。成し遂げた。
アムルダは自分自身に『影の奇跡』を施し、慣れ果ての精神の支配から無理やり脱した。
そしてアムルダから血が噴き出すのと同時に
傭兵達、エリ、ギュレン、青年の体が黄金に輝き出した
ー奇跡ー快溂の光輝ー
さらにアムルダ自らの身体を供物として捧げることで
連続での奇跡の使用を可能にし、そして
光の奇跡の中でも上位の奇跡をこの場にいる全員に施すことに成功した。
この数分間、ギュレン達の身体は痛みは消えぬが決して傷つくことはない。
アムルダは倒れる。
あとのことは信頼する仲間に任せて。
「…ギュレン…やれ…」
「アムルダこいつッッ!!!」
精神の支配から復活したギュレンは目と耳から血を噴き出しながら倒れゆく
アムルダを見て、状況を一瞬で理解したギュレンが叫ぶ。
「エリッッ!お前ら!!加護がある今だ!!一気に叩けッ!!!」
肉体と精神、その両方に加護がかかった今の状況でその号令に躊躇する者は
誰一人いない。
勝利を確信していた化け物は瞬間に全員が復活を遂げ、反応が遅れる。慣れ果ては今一度叫び声
をあげ、再びこの場を地獄に変えようとし始める。
奥の見えぬ暗黒の口腔が徐々に徐々に開いていく。まだ化け物に剣は届かない。「クソッ!!まだ
距離があるッッ!!」
その時傭兵たちの僅かな隙間を疾風が通り抜けるが如く弓矢が貫き通る。
矢が3本化け物の口に正確に命中する。同じ失敗は繰り返せない。
「二度目はねぇよ!!」
ギュレンの弓矢が叫びを阻止した。先頭の傭兵が化け物に剣が届く距離に辿り着く。化け物が矢で
怯んでいる隙に剣を叩き込む。しかし、化け物の回復が一瞬速い。化け物は矢の衝撃によろけなが
らも大きな手を傭兵の頭を鷲掴みにし地面に叩きつけた。人間の頭が割れる時、こんなにも鈍い音
が出るのか。傭兵の頭蓋骨が割れていく音が響く。
「畜生ッッ!!」「やめろッ!!」「腕だ!!腕を切り落とせ!!!」
傭兵達は化け物の唯一の物理的な攻撃手段である二本の腕を切り断とうと飛び掛かる。化け物は
再び傭兵に掴みかかりに入り腕を振り上げるがギュレンはそれを逃がさない。一瞬出来た隙に傭兵
は化け物の腕にしがみつき、動きを止めようとする。振り払おうと暴れる化け物の爪が傭兵の腹を裂
いていく。しかし出血する気配はない。上位の加護がかかった身体は
裂かれていく箇所を瞬時に縫合していく。治りはするが痛みは消えない。
裂ける体の痛みに耐えながら傭兵はしがみつき続ける。残りの傭兵が駆けつけ腕の付け根に剣を
叩きつける。しがみついていた傭兵は腕を引っ張り、引きちぎった。
化け物はもう立てない。
左右のバランスが崩れ地面に倒れ込む。
このチャンスにエリはすかさず剣激を叩き込む。
「アムルダの仇よ。あんたも同じものを差し出すのね。」
エリは化け物の目に刃を突き立て何度も突き刺した。
「ギュィヤアアアアア!!!!カッ!!カッ!クゥアッ!! カッ……カッカ…ァ…… 」
慣れ果ては、断末魔を響かせ、息絶えた。
「 ハァ…ハァ……ッ…ハァ 」
脅威を打ち倒し、危機は去った。しかしそこに、喜びは無かった。
人が傷つき、人が死んだ。たとえそれが今日あったばかりの見ず知らずの傭兵同士であったとしても
悲しく、悔しい。
「……怪我人の手当てと、死体の処理だ。やるぞ、みんな。」
ギュレンは冷静に、的確に指示を出す。次、何が起きるかわからない。
すぐにでもこの場から立ち去らなければならない。
ギュレンとエリはアムルダの側に駆け寄り膝をついた。
「…アムルダ、無茶しやがって。こんなになるかよ目も耳も。」
アムルダの右目と左耳はポッカリ穴が開き
暗い空洞ができてしまっている。
「アムルダのバカ!!!自分が犠牲になれば良いってもんじゃないのよ!わ…私がもっと、ちゃんと
みんなに……。」
エリは涙を溜めながら言う。もう決して取り戻せない代償に憤ることしかできない。
「エリ、お前のせいじゃない。誰のせいでもない。お前はよくやってくれた。異常な事態にもかかわら
ず先陣を切って戦ってくれた。」
ギュレンはエリを抱き寄せて慰めた。
「アムルダも流石だ。気絶する前に、自分には治癒の奇跡をかけて止血している。息は浅いが心臓
は動いている。大丈夫だエリ。村に帰って回復したら目を覚ますはずだ」
アムルダは気を失う間際、自分にもわずかな奇跡を施していた。
彼の覚悟と行動がこの部隊の全滅を防いだのである。
傭兵たちとギュレンたちは着々と撤退の準備を進めるが、
青年は呆然と立っているだけだった。
ー何が起きていたんだ。人が死んだのか。
今、目の前で起きた事全て夢なんじゃないのか。
ずっと見たかった光景、ずっと聞きたかった異世界的な用語、ずっと異世界に憧れていた。でも。こう
いうのが見たかったわけじゃない。誰かの犠牲を見たかったわけじゃない死にゆく人の声を聞きた
かったわけじゃない。
もっと楽しい世界だと信じたかった。こんなにも生々しく、犠牲になって死ぬー
青年は現実を受け入れられない。まさかこうなるとは思ってもいなかった。何もできなかった。何かが
できるわけじゃない。何かができたわけじゃない。青年が頑張ればこの状況を救えたわけじゃない。
最悪。最悪。最悪。気持ち悪い。青年には何も責任がなかった。あるはずない。ギュレンには仲間を
導く責任。エリには先陣で戦い抜く責任。
アムルダには奇跡を最適に行使する責任。
傭兵たちにもそれぞれ背負った責任があるだろう。
青年は悲しむに悲しめずこの状況を悔しがる理由もない。
ただ目の前でアムルダが傷つくのを見て傭兵たちが死んでいくのを見ていた。死体のグロさ、死体の
臭い、目と耳が弾け飛んで失神しているアムルダ。何のためにいるのかわからない自分。
感情が途切れ、青年は、吐いた。
ギュレンは、嘔吐した青年をじっと見つめて、一息ついて言った。
「…おい、お前、死体を村まで運んでいく。お前は、あれだ、担ぐの大変だろ。エリの剣を持ってやっ
てくれ」
「私はこのくらい別に大…丈…b……」
エリはギュレンからの何かを察してすぐに剣と体を結んでいるヒモをほどいた。青年はエリから剣を
受け取る。
「死体も重いし剣は邪魔だから助かるわ」
「悪いな、村まで運んでくれ。エリの大事な剣だ。2本とも頼むぞ。」
ギュレンは青年の肩に手を置きながらそう言い残すと
皆に号令をかけ、歩き出した。
青年は、少し、救われた気がした。
皆の悲しみや悔しくさには到底及ばないくだらない感情だとは理解している。しかし、その剣の重み
は、今の青年にとって、何よりもありがたく救いに思えた。
『エンドロール』それが流れるなら、今でもいい。
仲間の死体を担ぐ傭兵たちとエリ
満身創痍のアムルダを担ぐギュレン
彼らは返り血や自分の怪我で血だらけだ。
そんな勇者たちの背中を見て青年は、そう思った。
あたりはすっかり暗く、わずかな月明かりだけが
自分達の足元を照らしてくれていた。
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第3話ーエンドロールー
どんどん読んでください。