第10話~深奥~
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ゾルバルク王国、王都ルゼンダール。大都市だ。
『探し物がルゼンダールに無ければそれは世界の何処にも無い』
外から来たもの、内に住むもの、その双方から忖度無しにそう謡われる。それは王都に住む者達の自負であり、自尊心ですらある。民の思いを象徴するように王都北側には白き王城が聳え立つ。
そんな王都の隅で青年シオンはどこの誰かも分からない女性に抱きかかえられ、運ばれている。この場合、攫われていると表現した方が適切だろう。太陽は真上に差し掛かる少し手前。彼女はシオンを両手に抱えたまま街中を静かに歩いていく。
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シオンは見知らぬ部屋で目覚めた。綺麗に整えられたベッドの上だ。
「…?どこ?」
シオンは気絶する前の記憶を思い出し激しい頭痛に襲われる
「ッ!!そうだ、俺は」
死別、孤独、遭遇、気絶。
「にっ逃げなきゃ」
シオンは自分が何者かに襲われたことを思い出し、すぐに逃げようとする。しかし体が思うように動かずそのままベッドから転げ落ちてしまった。
「っ痛!」
物音に気付き、隣の部屋から人が入ってくる。ゆっくりと扉が開くとそこには、自分に黒い物体を飲み込ませて気絶させた張本人が立っていた。
「おはよう。ようやく目覚めたね。待っていたよ。」
路地では暗くてよくは見えなかった容姿が今でははっきりとわかる。ショートカットの綺麗な栗色の髪の毛が扉の閉じる風圧でゆらりと動く。路地では紺青のローブを着ていたが今は脱いでいるようだ。
シオンは体が動かせずに無様な姿で床に転がっている。彼女はゆっくりとシオンを抱き上げ、ベッドの背もたれへと置いた。彼女は部屋の真ん中にポツンと置いてあるイスに腰かけた。
「無理に動こうとしない方がいい。君は3日ほど眠っていたのだからね。」
「3日…」
「そう。ゆっくりでいい、ゆっくりでいいから、君のことが知りたいな」
シオンは彼女の優しく丁寧な話し方にだんだんと落ち着いていく。
「この3日間、俺を見ててくれたんですね」
シオンはその事実がある時点で、もうすでにこの人は悪い人じゃないという事実を理解せざるを得なかった。
「もう少し長く眠っていると思っていたが、存外早く目覚めてくれて嬉しいよ」
彼女はそう言ってシオンに優しく微笑みかけた。
「路地での事を覚えています。…何を俺に飲ませたんですか…?」
シオンは恐る恐る聞いた。この人との最初のコミュニケーションで一番重要な問答だということは両者とも分かっている。
「…そうだな、それについてはもう少し後になってから話そう。今話しても君が混乱するだけだし、急を要することでもない」
「それじゃあ。ここはどこですか?あなたは誰ですか?」
シオンは質問を変えた。まずは自分のいる所、そして目の前の怪しげでありながらも美しい女性のことを知りたいと思ったからだ。
「うん、まずはそこからだね。ここは…うーんどこだろう、王都のどこか空き家だよ。」
「えっ」
「なぁに心配することはないさ。ここ10年家主は帰ってこないし、管理も杜撰。私が多少綺麗にしたから居心地は良いはずだよ」
10年?彼女の見た目は自分と同じくらいだ。彼女は幼少期からここで暮らしているというのか?一人で?ますます疑問が浮かんでくる。しかしシオンは目覚めたばかりで疲弊している。彼女に次々と質問をする気力はなかった。
「はっはっは!君は分かりやすいな。言葉に発さずとも君の疑問は手に取るようにわかるよ。まずは…自己紹介からだね」
彼女はおもむろに立ち上がる。後ろにかかっているローブを手に取り、身に纏った。彼女が手を真横に伸ばすと手の先に深い紺色の靄がどこからともなく現れた。彼女は靄の中から鋭く光る大鎌を取り出すと部屋の中央で名を名乗った。
「私の名前は『フレヤ・エヴィ』。『死神』だ」
彼女の周りには黒く淀んだオーラが漂う。何かパワーを感じて肌がピリピリする。
「……あっ…死神…」
シオンは思いもしなかった自己紹介に言葉が出なかった。
死神は前かがみになりシオンへとにじり寄った。
「さぁ、君の名を教えてくれないか?」
シオンは目の前で行われた、妖艶でなおかつ優雅な自己紹介に呆気にとられる。この世界の常識というものをシオンは知らない。知る由もない。
見知らぬおじさんについていってはいけない。行列の順番を抜かしてはいけない。雷雨の時は木の近くに立ってはいけない。特に言葉にして意識することはないけど、一般に常識として世間に伝播している暗黙の知識。それは幼少期から教えられたものか、社会生活の中で身に着けていくものか様々である。それはどこの世界にもあるだろう。
『死神に自ら名を名乗ってはいけない』。そんな常識は、シオンにはない。
「俺の名前は…シオン。イノウエ シオン…です。」
死神フレヤは満足そうな笑みでシオンに近づき、シオンの顔を至近距離でみつめた。
「シオン。君はシオンと言うのか。これからよろしく頼むよ。シオン」
フレヤはシオンの名前を確かめるように何度も名前を呼びながらシオンの手を取った。
シオンは急に女性の顔が近くに寄り、さらに女性に手を触られたので思わず身を引こうとしたが、思うように体は動かないし背もたれに寄りかかっているので結局フレヤとの距離が変わることはなかった。結果シオンは情けなく赤面したままモジモジするしかなかった。
「あぁ、悪いね。人との物理的な距離感というものは難しいものだ。驚かせてしまってすまないね。」
フレヤはシオンの異常を感じ取り謝辞を述べながら体を遠ざけた。
「…なんか、ごめんなさい。」
シオンはフレヤの独特な感情の機微としゃべり方に困惑する。
「さて、契約も済んだし、君は目覚めたとはいえあと2日ほどは動けないだろうから私が引き続き面倒を見るよ。」
「ん?契約?俺は契約なんて何も交わしてないですよ?」
「ん?何を言っているんだ君は。死神に自分の真名を述べたらそれは契約の証だという事は…絵本、伝承、親からの冗談、様々な形で人々に知れ渡っていると思うが。君はそれを承知で名を名乗ったのではないのかい?」
シオンは自分の体温が急激に下がるのを感じた。顔から血の気が引き、脳内ではまだ整理がついていないが、漠然と”まずい”ことになったと気づき、鼓動が速くなる。
「えっえっ?いや、その、契約とかなしです!!第一そんなこと知らないですし、まず『これは契約だ』とか言うのが常識というかそういうものじゃ!?」
シオンは何とか得体のしれない契約というものを抹消したい。
「それは無理だよぉ。もう契約は完了してしまったし、こちらも死神と名乗り私も自分の真名を君にバラしているのだからこの場合君と私は契約を交わす上で対等だよ。」
「じゃっじゃあ契約の内容とか聞いてないのでだめです!」
「それはシオン、君が聞かなきゃぁ。事実、契約書を良く読まなくてもサインはできるのだし。それは通らないよ」
ー終わったー
シオンはもうすでにどうにもならないことを悟り、嫌な脇汗と脱力感で天を仰いだ。
「そんな顔しないでくれよ。私が悪者みたいじゃあないか。」
「いや悪いでしょ!!契約が破棄できないどころか内容も知らないんだから!!」
シオンはすべてが間に合わないことを理解していくうちに焦りが怒りに代わり、声を荒げた。
「そんな、怒鳴らないでくれよ。私たちはこれから行動を共にするのだから仲良くしよう。別に契約の内容は今からでも言うよ」
「いや怒鳴ったわけじゃないけど。じゃあその契約の内容ってのは?」
フレヤはにやりと片方の口角を上げ、楽し気に話し始めた。
「シオン、君はこのネゼル・ベゼルにどれくらいの種族が住んでいるか知っているかい?」
「分からないし、ネゼル・ベゼルとかいうのも知らないよ」
フレヤは不思議そうな顔をした。
「…?君は孤児か何かかい?あまりに常識がないじゃあないか」
「孤児ではないけど。その、どこから説明すればいいのかなぁ。異世界転移って言われてわかる?」
「異世界転移?なんだいそれは?古代禁術の類かな」
「俺も詳しくは知らないんだけど、その、別の世界からこの世界に飛ばされるって言えば簡単かな」
フレヤは驚きと興味の表情を浮かべている。それからシオンはいろいろ異世界転移について自分知っている知識、というものただのサブカル知識をフレヤに話した。
「へぇ!それじゃあ君は本当にこの世界の住人ではないんだね!!…なるほど!どおりで!…理解したよ」
「だからいろいろこの世界の常識みたいな話はわかんないっすねぇ」
シオンはフレヤが納得してくれたので少し得意気になった。続けてフレヤが話す。
「でもまぁ今から君に話す事は、この世界にいる人でも知らないことだから大丈夫だよ。」
フレヤはゆっくりとした口調で話し始めた。
「さっきの問題の答えだ。この世界には8つの種族が暮らしている。どの種族も誇り高く、善良な者達だよ。人間もその一つだ。」
「8つ、多いんですかね?」
シオンは自分が知ってるファンタジーの種族というものを頭の中で思い浮かべている。
「ここからずっとずっと東の方角には、誰も寄り付かず、ただただ瘴気が漂い続ける腐った土地があった。そこはかつて『ガロス<腐土>』と呼ばれていたんだ。特に誰も気にも留めない死んだ土地だよ。ある日そこから魔物が溢れ出した。もともと人が住んでいる土地とは離れに離れた場所だ、みんなが気付いた時には魔物は軍団となり、善良な者達を襲い始めた。」
シオンは思ったより壮大な展開の話を真剣に聞く。
「何か神話というか伝承みたいな話だ。」
「そう。そこで善良な者たちは『世界の平和を脅かす強大な敵が現れた』この事実を8種族の共通認識として連合軍を結成した。悪意と正義がぶつかった。激闘の末、正義は、負けた。違うな…正義は手も足も出なかった。悪意がこの世界を支配する。それだけは阻止しなければならない。戦いでは負けたが最後の手段として連合軍は封印という形をとることにした。」
「封印できたんだ」
「一応ね。封印とは名ばかりのちんけなものさ。未来と残されたものたちに問題を丸投げしたんだ。おおよそ3000年前の話、これがいわゆる『天と地の戦い』と言われる神話だよ。」
シオンはフレヤの言い方に違和感を感じた。
「丸投げって、負けちゃったけど、封印できたからまだいいんじゃないんですか?」
「そう、もちろん、復活しなければね。」
「あ」
シオンは何かを感じ取った。これは魔物たちが復活したということだと悟る。
「復活したってことですか?」
「復活しそうだっていうことだね」
内容は理解した。しかしシオンは首をかしげる、それと俺とは何が関係あるのかと。
「シオン何か自分は関係ないような顔をしているようだけど。君と私が、この戦争の要だよ。」
シオンはますます眉を寄せる。そんな壮大な話のどこに自分が入る余地があるだろうか。
「魔物たちを完全に消滅させる。そのために私と旅をする。これが君と私とのざっくりとした契約内容だ。旅をしよう。シオン、私と来てくれないか。」
ーえ?ー
「いやぁ長くしゃべったから喉が渇いちゃったね、ひさしぶりにお酒でも飲もうかな」
そう言ってフレヤは一旦部屋の外へ出て行ってしまった。
「は?」
シオンはただひたすらに困惑している。
ー何をしゃべっていたんだ?何かとんでもないことに巻き込まれたのでは?ー
体の疲労か、目覚めて間もないからかシオンは猛烈な睡魔に襲われた。
ー…あぁあぁ無理だ、体力が持たない。なんだこの眠気は…ぁー
シオンは体力の限界が訪れそのまま眠ってしまった。シオンが完全に眠った後、フレヤは片手に酒瓶を持って帰ってきた。
「おや、気絶してしまったかな。目覚めてから無理に話を進めすぎてしまったね。すまない。シオンも喉が渇いたろう、飲むと良い」
フレヤは自らの口に含んだ液体を眠っているシオンへ口移しで与えた。フレヤのお酒で濡れた艶やかな唇とシオンの唇が触れ合う。シオンは無意識の中ゆっくりとお酒とフレヤの体液が入り混じった液体を飲み込んだ。
ーーー
シオンは深い眠りの中で抽象的だが、感じる景色。
血みどろ、痛み、叫び、覚悟、最期、意地、惜別。一種のトラウマが何度も悪夢となって反芻される。救いは無かった。誰にでも訪れるような別れではなかった。自分ではどうしようもなかった。ギュレン達の死体が目の前に広がる。夢か、幻覚か、実際に起きた光景か。あたかもお前のせいだと言わんばかりにシオンの足元に彼らの亡骸が横たわる。
「うわぁああああああ!!!!!!!」
シオンは叫び起きる。
「はぁ…はぁ…はぁ」
シオンの体は汗でびっしょり濡れていた。息が整わないままシオンはベッドを出てふらふらと立上がる。
叫び声に気付いたフレヤが慌てて部屋に入ってきた。
「シオン!無理に立ち上がらない方が良い。」
フレヤはふらふらとしているシオンの肩を持ち上げ支え、イスに座らせた。
「あれからまだ半日しか経ってないが、君の回復の速さには驚くよ。私の看病が良いのかな。」フレヤはふふふと笑い話した。
「…」
シオンには未来を見る希望も生きていく気力もない。昨日はある意味興奮をしていたので、正気を保てていた。しかし、過去は消えない。ギュレン達を失った悲しみと苦しみはほんの数日で癒えるものではない。
「ごめんなさい…俺は…旅に出ることはできない…」
シオンは自分の手のひらを見つめながらか細い声で言った。
「そんな気力や心からの元気はもう湧く気がしない。このまま消えてしまいたい。」
フレヤは震えているシオンをじっと見ている。
「そうか。君は大事な人たちを失ったようだね。私は死神だ。魂からその波動を感じるよ。君は一人なんだね。」
シオンは黙っている。
「よし、君にいいものをみせよう。この旅の肝となる大いなる秘匿だよ。もしそれでも旅に出ないというのなら、それでも良い。契約の破棄は両者の同意を以って実行されよう。」
フレヤの淡々とした話方がシオンは自分の感情、悲しみ、悔しさ、無力さ、不甲斐なさを馬鹿にされ、自分のギュレン達に対する感情を逆なでされた気がして怒りの表情でフレヤを見た。シオンは何か言おうとしたが、言葉がうまく出ずのどが詰まる。
「シオン、少し、体をこちらへ向けてくれないか?」
そういうとフレヤはシオンの胸へと両手を押し当て言い放った。
「私が君に埋め込み、託したのは、深奥タルタロスの核だよ。深奥の底知れぬ暗黒に、君はどこまで応えてくれるかな」
そうフレヤが言うとシオンの胸から黒い靄が噴き出しみるみるうちに自分たちを覆った。
「さぁこの世の底へ参ろうか」
シオンは自分たちが沈んでいくのを感じた。足元には漆黒の穴が大きく口を開きシオン達を飲み込んでいく。シオンは慌ててそこから逃げようとしたが、フレヤが肩を強く掴み身を引くことはできなかった。
大穴にすっかり全身が飲み込まれるとシオンは自分が高速で暗黒の中を落下していくのを感じ始めた。しかし重力や風の抵抗という物理の現象を一切感じない。ただ体が下へ下へと誘われるようだ。落下していく最中、シオンはフレヤしか確認できず、それ以外はただただ黒いだけだった。
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「シオン、見て」
フレヤの呼びかけにシオンはハッとし、気づいたときには足に地面を感じていた。
「いつ?いつ着いた?」
「私もわからない。深奥までの間はいつもそうだよ、本来死んだ者たちが来る場所だからね。何か理由があるんじゃないかな」
シオンは不思議そうな顔でフレヤを見た。
「でもフレヤは死神なんでしょ?」
「なぜ死神だからと言って私たちも死んでいると思うの?」
問いに対しフレヤもまた不思議そうな顔でシオンを見返した。
「まぁいい。ごらん、ここが深奥タルタロスだ」
シオンの目の前には暗闇の中に仄かに発光する玉座がぽつんと一つあるだけだった。
「狭いだろう。深奥タルタロス。シオンはもっと壮大で荘厳な何かを想像したと思うが、これが今のタルタロスだよ。」
シオンはーいやもっとそれこそ地獄的な炎とか荒れた土地とかそういう感じのを想像してたなーと思った。
「ここはね、本来もっと広いんだ。深奥はね、上の世界で生を全うした魂が集められるところでね、もっと魂で溢れかえって賑やかなはずなんだ。でもね、今はこのさまだよ。」
フレヤはゆっくと玉座へと近づきどっかり座った。
「そして何よりも、玉座が空だ。」
シオンは自分が今何を聞かされいるのか理解できていない。だからなんだというのだ、自分が旅をする理由はどこにも見当たらない。
「集められず、彷徨う魂はどうなると思う?」
「?」
シオンは急に自分へと質問が投げかけられ答えに困った。
「そのまま天国にでも行くんじゃ」
「天国?はっはっは!君はおもしろい、やはり異界の発想は突飛だね。」
シオンは答えろと言われたのに、答えたら笑われたので少しムカッとした。
「さっきも言った通り魂はすべてここに集められると言ったろう。肉体という依り代を無くした魂は、上をさまよい続ける。魂には死神の導きが必須だ。」
フレヤはシオンに迫り続ける。
「そして、魂を導くことが出来る死神という存在は今現在に私一人しか生き残ってない。つまり、上では無数の魂が放置されているわけだ。私一人ではとても処理できない帯びたたしい量の魂がね。」
シオンはフレヤが淡々と話す内容をどうも理解できていない。
「彷徨う魂はやがて、世の中の悪意を吸い、再び何かに宿る。そう、例えば、死にかけのグールなんかが一番宿りやすい。」
シオンは思いだす、グールというワードとその状況を。
「彷徨える魂は長い時をかけて『成れ果て』に堕ちる。それは人にとって二度目の死と言ってもいいだろうね。」
シオンはフレヤの言葉を受け取り、その文章の意味することを理解した。シオンは体中の血液が頭に集まるのを感じる。
「二度目の死?」
シオンはフレヤの言葉選びに違和感を感じ聞き返した。
「そう。本来魂は清く無垢なものだ。それが悪意と憎悪に塗れた成れ果てになる。これほど魂に対する冒涜もないだろう。」
シオンはギュレン達との一度ならず二度目の別れが訪れることを感じ取る。
「君の大事な人の魂は今、ここタルタロスにはないみたいだ。どうするシオン。君は絶望にかまけて大事な人の”魂まで”殺すつもりかな。」
シオンの怒りが弾けた。
「…何が言いたい?」
シオンは全身が震えている。
「………」
シオンの感情が溢れる。それは一種の怒りだった。
フレヤの言葉によって、シオンの沈んで絶望に冷え切った心に怒りという熱が返ってくる。
「俺がどんな思いで!!どうして俺の悲しみと悔しさをどうして何度も掘り返すんだ!ギュレン達は死んだ!!!俺の!!目の前で!!!魂がなんなんだ!!死神の都合なんて!!俺には知ったこっちゃない!!!魂を救う?じゃあ魂を救えばギュレン達は!!!エリは!!!!アムルダは戻ってくるのか!!だったら!!今すぐ助けろよ!!!全部!!!全員!!!助けてくれよ!!!!!」
シオンの渾身の魂からの叫び。全くの無力だった。全くの救いがなかった。だから絶望できた。だから諦めて絶望の中で生きていく選択しかなかった。しかし今、目の前で語られた言葉には救いがあった。悲しみは今、怒りになった。シオンはフレヤへとにじり寄り睨みつけた。
「……君の気持ちも良くわかるよ。私だってそうしたい。できることなら全部の魂を救いたい。でもね、生憎、私の仲間はみな、死んだ。殺されたと言った方が君には適格に伝わるだろうか。導いてやりたいのは山々だが、もう今となっては私独りではどうしようもないんだよ。」
シオンはフレヤの発言にハッとし、もうすでに自分の怒りのやり場がここにはないことに気付いて悔しさから膝から崩れ落ちた。
「なんでだよ……」
フレヤは目の前で膝をついたシオンを見下ろす
「君も知っての通り『成れ果て』は強いよね。私だけでは勝てそうにない。実際勝てなかった。それに、これからどれほどの数の成れ果てと相対していかなければならないか分かったものではないよ。上を漂う魂は消えることはない。つまり、成れ果てが次々やってくる。復活する悪魔どもとも戦わなければならない。」
シオンは枯れた声でフレヤを見上げ答える。
「俺は役に立たない。それで見殺しにしたんだ。大好きだった、大事だった、ずっと一緒に居たかった、最高だと思える仲間たちを。」
シオンは泣いている。思いの丈を打ち明ける相手をようやく見つけた。
「私も失ったよ。最強だった、戦友だった、最高だと分かり合えた仲間たちを。私は残された。だから私だけまだ、生きている。生きてしまっている。」
フレヤは膝を折りシオンの肩に手を乗せた。
「私たちは生かされた。その意味はいつ果たせる?復讐は、弔いは、何を以って終了する?怒りは、消えない。消えるはずがない。全ての元凶、悪意の塊が復活するんだ。止めなければならない。葬らなければならない。再び悪意が世界を覆いつくす前に。大切で尊いものを二度と失わないために。」
フレヤの目は本気だ。まっすぐにシオンの目を見つめている。
「一度負け、最期に逃げた私だが、一緒に旅をしてくれないか、シオン。お願いだ。誰でもいいわけじゃない。君だからいいんだ。」
シオンは困惑する。誰でもいいじゃないか。自分じゃないといけない理由なんてない。なぜなら自分はどこにでもいる一般人で凡人だから。役立たずだから。そんなことはシオンが一番分かっている。
「どうして、俺なんだ…俺は役に立たない。」
「私は君を役立たずなんて思ってないよ。それは君次第だし、役立たずかどうかは旅の終わりに決めればいい。」
フレヤは膝をついているシオンを立ち上がらせ、仄かに輝く玉座へと座らせた。
「……私の思った通りだ。死神以外で何も問題なくこのタルタロスの玉座に座ることが出来る君は、正真正銘『特別』なんだよ。」
フレヤは玉座の前に片膝をついて頭を下げた。
「これより深奥タルタロスの主は君だ。死神どもの王。屍山の君主。あの時、君に飲み込ませた黒い塊はそれに至るための証だ。これで君はただの一般人からは想像もできない強大な力を得た。使いこなすには時間がかかるだろうが、それを覚醒に導くのも私の役割だと思っているよ。」
フレヤはそう言い終えると、すくっと立ち上がりシオンへと優しくほほえんだ。
「それじゃあ『上』に帰ろうか。」
シオンは自分の腹のからくる生暖かさを感じ、困惑の中気を失った。
ーーー
気付いた時にはシオンは草原の中に立っていた。王都からは少し外れた場所のようだ。シオンの真後ろに王城が見える。シオンが状況を整理できずに困惑していると後ろから声が聞こえてきた。フレヤの声だ。
「シオン、私はここだよ。早くいこうか。いつまでもぼやぼやしてたら日が暮れるぞ。」
シオンが声の方へ振り返ると夕日に照らされるフレヤがいた。シオンはフレヤの横顔を見て、再び生きる理由を見つけた気がした。
ーーー
前の話をすっかり投稿し忘れていました。
かわいい子と旅したいよね。