白い影
曇りガラス越しに、白いものが横切っていく。
猫だ。
真っ白い毛並みの猫。
曇りガラスの向こうを、音もなく、すうっ、とやわらかな白い影が通り過ぎていく。
窓を開ければ、そこには古いブロック塀がある。
住宅街に肩を寄せ合うように建てられた家と家との狭い隙間。
人ひとりも入ることのできないその隙間に、縫うように建てられた古いブロック塀の上は、この街で暮らす猫たちにとっては公道と同じだった。
多い日には、二桁近い数の猫が窓の外を横切っていく。
曇りガラス越しに分かるのは、猫の色くらい。
黒、白、三毛、キジトラ、灰トラ。
みな、塀の上をふらつきもせずに滑るように通り過ぎていく。
柔らかく、滑らかな毛玉。
通る時間をそれぞれが決めてでもいるかのように、猫同士鉢合わせたり、けんかしたりすることは不思議となかった。
他はどうあれ、窓枠に切り取られたブロック塀の上は、いつも平和だった。
だが、そんな感想も、あくまでこの室内で曇りガラス越しに得られるわずかな情報から想像したことに過ぎない。
一度不用意に開けて猫を驚かせてしまってから、もうなるべくそちらの窓は開けないことにしていた。どうせ開けたところでブロック塀と隣家の壁が見えるだけなのだ。
退屈で刺激のない日々に、時折通り過ぎていく猫たちの姿は微かな潤いを与えてくれた。
この世界にいるのは自分一人だけじゃない。
そんな風に思うだけで、心がじんわりと温かくなる。
けれど。
ちらり、と時計を見る。
いつもの時間。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる、白い影。
白い影、とは矛盾した言い方だが、そうとしか言えない。
生まれ変わったら、猫になりたい。
君の言葉を思い出す。
柔らかい、白い毛並み。
白い影が、そっと窓枠からフレームアウトしていく。
十分に時間を取って、それから静かに窓を開ける。
ふわりと漂う、懐かしい香り。
それは君のつけていた香水の匂いのような気がする。
けれどすぐに薄れて分からなくなる。
君の生まれ変わりの、猫。
塀の先に、その姿はもう見えない。
それでいい。
そっと窓を閉める。