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5.再会

 

 ……何だろう。

 硬く張りつめた何かの上に、頭が寝かされている。


 何度か寝返りを打つものの固さは変わらない。

 俺は枕に鉛でも入れたんだっけ? ……んなわけあるか。


「すみません。今の私の膝枕では、寝心地が悪いですね」


 言葉とは裏腹に、悲しそう……という感じではなくて。

 ちょっと楽しそうな声色が聞こえたと思えば、額のあたりを撫でられる。

 前髪をやさしく梳くような感触は、どこか懐かしいような気がして――


 俺はその感触に引き寄せられるように、ゆっくりと目を開ける。


「……う゛ぇー……り……?」


 目の前にあったのは、とびきり色っぽい美女の顔。

 艶のある黒髪がカーテンみたいに垂れていて、俺はその中で微睡んでいて。

 俺が起きると、彼女は慌ててそっぽを見ていたフリをしてから……「ようやく起きたか、まったく重くて敵わんな」なんて憎まれ口を叩くのだ。


 そんな日を記憶している。

 俺は彼女のことをよく知っている。

 ――はず、だったんだけど。


「お目覚めですね、魔王様」


 …………あ、あれ?

 爽やかな笑みを浮かべているコイツ、は――誰?


「ご安心ください、先ほどの魔物は倒しておきました。たんこぶの方には回復術も施しましたが……痛みはないですか?」


 肩まで伸びたストレートの銀髪。

 それに落ち着いた翡翠色の瞳。

 見たこともないくらいきれいに整った顔立ちをしている美青年だ。

 …………オトコ?


「す、すみません。ちょっと人違いしてました、ハイ」


 俺は慌てて身体を起こそうとする。

 しかしその肩をそっと、逆方向に押し返されてしまった。

 またもその人物の――太腿の間にすっぽりと、頭が収まってしまう。筋肉質なその太い腿の間に。


 いやいやいや……何がどうなってんの!?

 何で俺は見知らぬ男の人に膝枕されてんだ?!


「いえいえ人違いではありません。今「ヴェーリ」って私のこと、呼びましたよね」

「よ、呼びましたよ。でもヴェーリは黒髪の美女のハズで」

「おや」


 ぽっ、と青年は頬を赤くした。なになにナニ?


「美女だなんて……生前はそんな風に滅多に口にしてくださらなかったのに。今世の魔王様は随分と素直ですね」

「だって美人って言うたびアイツ顔真っ赤にしてどっか行っちゃうから――って、ハ!?」


 待て。たった今、見逃せない発言を聞いた。

 顔を硬直する俺を見下ろしたまま、その人物は――にっこりと笑う。


「そうですよ魔王様。私は魔王軍幹部ヴェリミリナの生まれ変わりです」

「う゛ぇ……う゛ぇ?」


 ぱくぱくと口を金魚みたいに開閉するしかできない俺に、さらに続けて。


「そしてあなたは偉大なる我が殿下――魔王デスティアの生まれ変わりです」



 +     +     +



 凶暴な魔物も居るらしいと分かった以上、森の中に長居するわけにはいかない。

 お互いの意見が一致したので、俺は戸惑いつつも、青年を連れて自宅に戻っていた。


 道中は何の会話もなかった。

 俺は単に距離感に迷って黙って、ずっと考え事をしていたのだが青年の方は違ったらしい。

 ニコニコと、ずっと嬉しそうな笑みを浮かべていて、ふいに目が合うとその顔をさらに明るく輝かせる。

 俺は慌てて顔を逸らす。その繰り返しだった。


 家に着くと、まだ両親は畑から戻っていなかった。

 俺が撒き散らした水の跡はといえば、すっかり乾いている。

 今度召喚したときは水魚精霊(ウンディーネ)に謝っておかないとな……。


「そういえば――あの精霊、大した触媒も使わずに喚び出すとは。相変わらずの腕前ですね魔王様」


 汚れた外套を脱ぎつつ、青年は呑気に話しかけてくる。

 この世界に存在する剣や魔法は、精霊を傷つけることはできても、殺すことはできない。

 しかし、俺は思わず険しい口調で問うた。


「暴力は振るったり――してないよな?」

「嫌ですね、ちょっと退()()()()だけですよ」


 何やら不穏な言い回しだったが、藪を突くのも危険な気がする。ここは沈黙しておこう。


 俺は席を勧めようとして、はたと気がつく。

 ……コイツと居間に居るところを、両親と鉢合わせした場合の言い訳が思いつかん。

 俺はとりあえず、青年を自室に連れて行くことにした。


「に、二階に行こう。俺の部屋があるからさ、そこでならゆっくり話せる」

「ま、魔王様のお部屋……ですか」


 なんだそのぎこちない照れ笑いは……。

 冷や汗を掻きつつ、共に二階へ。

 俺の部屋には客人を招く準備などあるはずもないので、寝台に腰掛けるよう勧めたら笑顔のまま床に座られてしまった。

 仕方ないので俺が寝台に腰を下ろす。様子を確認すれば、青年はまじまじと部屋を見回していた。


「ここが魔王様のお部屋……魔王様が呼吸し、笑い、勉強し、眠り、お腹を掻き、いびきを掻いた部屋……」


 面倒なので放置しとこう。俺は腕組みし、うーむと唸る。


 考える問題は山ほどある。

 つい先ほど、俺に起こった問題はシンプルなのだが、その中身はといえばとんでもなかった。


 自分が召喚した岩石で頭を打ち、その衝撃で前世の記憶を思い出した。

 ――なーんて世にも奇妙でバカっぽい話だが、事実なのだから致し方ない。


 俺の前世。魔王デスティア。

 魔王軍を束ねていた、ガル魔国の統治者にして――三十年前、勇者アイリスによって討伐された男。


 俺の……マオ・イーベルの前世が!


「くうう……」


 俺は頭を抱え、しばし身悶えた。


 天職【勇者】の俺が、よりにもよって魔王だったとか。

 しかもその父親と母親が、かつて勇者と共に世界中を旅していた"闘争王"と"聖女"って……偶然としては性質が悪すぎるだろ。


「あながち偶然でも無いと思いますよ。魔王様は"闘争王"たちと、何度も刃を交わしていましたし」

「心読むのヤメテ! って、戦争してた相手のとこに生まれてくるのはおかしいだろ」

「いいえ。魔王様と彼らとの間にはそれなりの縁が出来てしまったということです。畏れ多くも魔王様を倒したのが勇者アイリスだったのも、繋がりをより強固にしてしまったのかも。私も仕組みを解していれば、もっと早く馳せ参じましたのに……」


 後半は顎に指を当て、ブツブツと呟くみたいにしている。

 俺はまだ何か呟いている彼に向かって呼びかけた。


「ヴェーリ――」


 じゃない。

 俺がデスティア、なんて仰々しい名前じゃなくてただのマオであるように、ヴェーリもきっと前世とは名が変わっているのだ。

 俺が躊躇っていると、青年は察したのか軽く居住まいを正した。


「ああ――現在の私の名前は、ヴェイン・アムス。王都生まれの二十六歳です」


 アムス?

 どこかで聞き覚えのある家名だが――それよりも告げられた年齢の方に意識が引っ張られる。


「に、にじゅうろく……」

「はい」


 それが何か? というように微笑まれる。

 この騎士然とした佇まい。優雅な物腰。

 ヴェインにいちばん歳の近い知人っていえば頭に浮かぶのは、五年前に実家を飛び出した実の兄だ。

 今頃は二十九歳になっているはずのラウだが……こんなにも違うもんか? と驚かされる。兄にはキレられそうだけど。

 ……じゃない。今はそれより、聞きたいことがあるのだ。


「ヴェイン、な。確認したいことがあるんだけど」

「はっ。何なりと」


 俺がそう呼びかけると、ヴェインは地面に片膝を突き頭を垂れた。


 か、格好良い……。

 じゃなくて! 見惚れてる場合じゃなくて!


 俺はここに来る間に考えていた、簡単な推理を口にした。


「お前――つまり、ヴェーリなんだけど。ヴェーリは新しい魔法を生み出すのが得意だったよな」

「ええ、嗜み程度には」

「でさ。俺――つ、つまり魔王が死ぬ直前に見た稲妻――アレって、魔法発動のエフェクトだよな」

「魔王様がそう仰るならそうなのかもしれません」

「お前――ヴェーリ――、さては()()って、全部お前の仕業なんじゃないのか?」


 結局慣れの問題で最後はヴェーリと呼んでしまった。

 特に気を害した様子もなく、はっは、と軽く笑うヴェイン。


「その通りです」

「その通りなのかよ!」


 アッサリ認めちゃったよ。もっと誤魔化されると思ったのに。


「私が編み出したばかりの転生魔法を用いて、死に行く魔王様を転生させました」


 悪びれなく言い切るヴェイン。

 俺は身体を、握った拳を震わせた。


「――あの日、こっそり魔王城に隠れてたんだな?」

「はい」

「……それで俺に、転生魔法とやらを使った」

「はい」

「――自分にも、使った?」

「はい」

「…………自死したのか?」


 ヴェインは唇を開きかけ――そのまま閉じた。

 頷きはしなかった。

 ただ、にこっと、作り笑いめいたものを浮かべる。


 俺は何と言ったものか分からず顔を覆ってしまった。


 いや……だとしても、俺に彼を……彼女の選択を責める資格は、無い。

 無いのだ、これっぽっちも。だったらこれ以上、問い詰めることはできない。


 頭を切り換えよう。

 そもそも今回の件、常識的に考えるなら、まず怒られるべきは俺なんだよなー。

 側近だった幹部たちをまとめて旅行に送り出して、留守は任せろなんて言っておきながら。

 その間にひとりで無残に勇者にやられちまった。王として最低の最低。


 だったら。

 ……怒られないだけ、俺にとってはラッキー、か?

 うん、そうだよな。そういうことにしとこっと!


 俺はそれ以上考えるのをやめた。

 そうしないと、たぶん、抑えきれなかった怒りとか、込み上げた感情とかで――自分のやらかしたことを棚に上げて、怒鳴ってしまいそうだったから。


 ゆっくりと、顔を覆っていた手の平を剥がしてから。

 俺はジト目でそいつを見遣る。


「というか……ヴェーリ、男になってんじゃん。どういうこと?」

「そりゃあ勿論、私の転生術は転生先についての細かい指定なんて出来ませんからね。そもそも未完成な魔法でしたから」


 ヴェーリ――じゃない、ヴェインはフゥと溜息を吐く。


「苦労しましたよ。何せ魔王様がいつ、何に転生するのかも分かりませんから。何十年もあなたを探して、虫やペットや魔物や魔族や人間や紙クズや粗大ゴミに話しかけてきました。『あなたは魔王様ですか?』って」

「後半ゴミばっかじゃねぇか。それじゃあ……うん? 俺の家に来たのも偶然だったの?」

「偶然というか、このスフでも一軒一軒の家を訪ねようと思っていたのです。そこで道ばたの子どもたちがマオがどうこう、"闘争王"や"聖女"がどうのこう……と話しているのを聞きまして」


 ヴェインが言っているのはおそらく、タンやユージのことだろう。そして彼らが俺の家の場所を教えたのだ。

 想像に難くなかった。こんな、物語の中から飛び出してきたような素敵な兄ちゃんが話しかけてきたら、あいつらでなくとも意気込んで聞かれてないこともぺらぺら喋ってしまうに違いない。


「そっか。俺は転生前とほぼ顔も体格も一緒だもんな、それで一目で分かったのか」

「……いいえ。例えあなたがどんな姿になっていても、私があなたを見間違えることはありませんから」


 ハッキリ言い切るヴェインに、ぽりぽりと頬を掻く。無論、照れ隠しだった。

 その言葉に嘘はないだろう。何せ俺を追って、転生なんかしでかしちゃうヤツなのだ。


「――って、だから俺の話じゃない、お前のことだよ」

「え?」

「性別どころか、性格もだいぶ前と違うような気がするんだけど」


 魔王軍幹部の中でも、彼女以上に名を知られ、人間たちに恐れられた存在はおるまい。


 "蟲毒女帝"――ヴェリミリナ・クォーケンフルム。


 濡れたような漆黒の長い髪に、血を零したような紅い眼をした女。

 鮮やかにして蠱惑的な美貌と肉体。残忍な行いを好み、求めた男の妻や愛人には、あらゆる手を駆使して苦痛を与え、命を奪う。

 そして欲しいままに贅沢な財宝を、富と権力を手に入れては、飽きっぽい性格でその全てを毒の沼に沈めてきたことから、傾城の美女と呼ばれることもある。

 この世すべての男、あるいは死者であろうとも、彼女の誘惑からは逃れられない……なんて風に言い伝えられたのが、ヴェーリという女性なのだ。


 しかしそのときの面影は、目の前のヴェインにはほぼ、皆無だった。


「そうでしょうか? 自分ではよく分かりませんが」


 はて、と不思議そうに小首を傾げるヴェイン。

 そもそもヴェーリ、そういう気の抜けた仕草をしたことないんだよな……。


 彼女を幹部にスカウトしたのは実は俺なのだが、魔王城にやってきてからもヴェーリは黒いドレスの裾を揺らして、艶やかな振る舞いをしていた。彼女に惚れて使い物にならなくなった軍人は数十、いや、数百に及んでたかもだ。

 魔王の俺と幹部のヴェーリは当然近しい間柄ではあったが、いつも彼女はつっけんどんとした態度で、先代を継いだばかりの頃は「甘い」とか「緩い」とか「アホ」とか注意されっぱなしだった。


 ちゅーか死ぬ前日も「旅行楽しんでこいよ」と微笑む俺をなぜか睨みつけ、「アホのバカ」とか詰ってた気がする。アホのバカってどういう悪口?

 たった一度だけ、機嫌が良かったのか膝枕してくれたこともあったけどな……。


 思い出せば思い出すほど、ヴェインとヴェーリのイメージはうまく結びつかない。

 ヴェーリがすっかり毒気を抜かれたら、こんな感じになるんだろうか?

 なんて言っても、毒気を抜かれたらそもそもそれはヴェーリじゃない。つまりそんな妄想は成り立たない。


「どうかしましたか、魔王様」

「…………いんや」


 でも、他の誰かじゃない。

 ヴェインは、ヴェーリ以外の誰かじゃない。

 性別が変わって、顔かたちも変わって、おまけに性格まですっかり変わってしまったけど、ヴェインはヴェーリなのだ。

 ヴェインとは出会ったばかりなのに、何となく俺はそう信じ切っていた。


 魔王デスティアは、少年マオに。

 魔王軍幹部ヴェリミリナは、青年ヴェインに。


 物語の中でも有り得ないような奇跡で、俺たちは再会を果たしたんだ。


 ――そして俺にはもう一つ、確認したいことがあった。

 ちょっとそわそわしつつ問いかける。


「ところでヴェイン。あの勇者……アイリスも俺たちと同じように、転生してたりすんの?」


 今でも憶えていた。

 俺が……というか魔王デスティアが命を落とす直前、アイリスが呟いた言葉を。


 ――『なら、アナタがもしも冒険者になるっていうなら、私は……』


 しかしヴェインは首を横にブンブン振った。

 顔はにこやかな笑顔のまま。


「いやいや、ソレは無いでしょう。何であのクソ女が」

「……お前何か知ってない?」

「知りませんよ、何も。知ってたとしても忘れました、今」

「ふぅーん……」


 めちゃくちゃ怪しかった。

 しかし問い詰めても口を割りそうもないので、俺は諦めて話を切り上げた。

 何せ他にも話すべきことは多い。時間がどれだけあっても足りないくらいだ。


 ――そのときの俺はもちろん、知りようもなかったが。

 ――たった数日後、俺はその答えを知ることになるのだった。



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