2.赤毛のマオ
今から十六年近く前のこと。
イーベル家の次男として生まれたばかりの赤毛の子どもを、両親であるギドとマルゥはいそいそと教会へと連れて行った。
生まれ月に教会にて【天職】の神託を授かるのが、セヴィレト王国の習わしなのだ。
長男のラウは「農家向きである……かなーり農家向きであーる……」と地味めで意外な神託を受けていたため、ふたりは次こそはと次男には並々ならぬ期待を寄せていた。
夫婦が両手を組み懸命の祈りを捧げる前で、その有り難き言葉は告げられた。
「――神託は下った。この子供は、いずれ復活するであろう、邪悪なる魔王を討ち滅ぼす――」
「キャアア!」と思わずふたりは手を合わせて狂喜乱舞した。神父の言葉に、お約束の文言がはっきりと組み込まれていたからだ。
「魔王を滅ぼす――つ、つまり、この子の天職は【勇者】ってこと……!?」
「やったなマルゥ! 勝ち組ルート直行職だ! これでご近所にドヤ顔で触れ回れる。もう出来婚と駆け落ちの件で後ろ指を指されることもないぜ!」
「そうね! うれしい! って思ったけど……」
はた、とそこで夫婦は気がついた。
「……そうだった。もう魔王は敵じゃないんだった」
「ああ……」
次は世も末とばかり、よよよと泣き崩れる。忙しい夫婦だった。
そう、魔王は悪、勇者は正義、などという時代はとっくに過ぎ去ったのだ。アーク王がそんな風に、国の思想を少しずつ塗り替えていったではないか。
今も魔王を目の敵にしているとされるのは、この原始教会や、それに居るらしいと噂されるアーノイド前国王の残党くらいのもの。
以前は憧れの職業堂々の第一位に輝いていた【勇者】は、今や見る影もない。
七大元素すべてに適性を持つ超有能クラスにも関わらず、アーク王の演説によって若干、風評被害を受けたような形で人気が落ちたのだ。
「で、でも――でもダンジョン探索に勤しむ冒険者はこのセヴィレトでは、昔よりかなり多いからな。【勇者】が優秀な職業なのは間違いないんだし……いずれ絶対、脚光を浴びるだろう。うんうん」
「そ、そうよね。……あら? 待って、あなた。まだ神父様が……」
しかしマルゥが気づいた通り、まだ神父の言葉には続きがありそうだった。
「……む。むむ? こ、これは……?」
ふと、歪む神父の表情。神聖なる白杖を天に向けて掲げる両腕が、ぶるぶると震えだしている。
「アル中か?」
「やだもう。あなたじゃあるまいし……」
そんなことは初めてだったので、すっかりふたりは困惑していた。
設置された台座に寝かせられた、毛布にくるまれた赤子だけが、すぅすぅと健やかな寝息を立てている。
息を呑んで夫婦が見つめていると、やがて神父は震える唇を開いた。
「……魔王を滅ぼすっていうか……魔王……魔王? え? 魔王……」
「し、神父様……?」
「いずれ復活……もう復活しちゃってる? 魔王を滅ぼす……じゃないなコレ、ま、まおう……まお……」
「わ、分かったぞマルゥ!」
そこでギドが柏手を打った。美しいマルゥは「どういうこと?」と困って首を傾げる。
「さっきから神父様は、「まお~まお~」と繰り返している。これは天職の神託の続きなんだ」
「え? つまり……?」
「決まってる、名付けの神託だ。本来、名付けは別料金のはずなのに、この人ってやつは……」
鼻の下を擦るギド。マルゥは口元に手を当てた。
「【勇者】のこの子を祝福し、神父様は名前まで授けてくださったのね……! 『マオ』と!」
「そういうこった。いやぁ、今日は良い日だ。スフに帰って夕食の準備をしよう。今夜は焼き肉だ!」
「そうねあなた! さぁ行きましょうマオ。私たちのかわいい息子!」
「――――な、なるほど神よ。つまりこの子どもこそが復活したまお……アレ? イーベル夫婦?」
――と、神父が気づいた頃には既にふたりの姿は無かったと言う。
天職というのは、その人間の生まれ持った能力に最も見合うとされる役職のことだ。
例えばギドは剣士。マルゥは回復術士。教会で言い渡される天職の種類は多岐にわたるが、その中でも最優と名高いのが【勇者】である。
伝説の勇者アイリスの天職も、もちろん【勇者】。神をも恐れぬ実力者であったアイリスのことをよく知っているギドとマルゥは、これもきっと何かの運命だろうと思っていた。
「あのときはアイリスに悪いことしたもんな。急にパーティ抜けたりして……」
「結婚報告の翌日に姿を消したと思えば、ひとりで魔王を倒して帰ってきて驚いたわよね……」
あの後もいろんなことがあって……国民たちからの、パーティを途中離脱したふたりへのバッシングは酷いものだった。
マルゥの母方の実家があるスフに身を寄せていなければ、今頃どうなっていたことか。
スフは山と森に囲まれた超がつくタイプのド田舎なので、何かと苦労することも多かったが、長男のラウは十三歳に成長していたし、こうして年の離れた次男のマオも元気に生まれてきた。
マオが【勇者】の天職を得たのは、きっと空の上からアイリスが、自分たちのことを見守ってくれているからだろう――。
なんて涙を拭いつつ、ギドとマルゥは子育ての日々に明け暮れた。
そしてそんなふたりの願いの通り、マオはすくすくと育っていったのだった……。
……なんて言っても。
【勇者】の天職を授かり、十六年近く過ごしてきた俺――マオ・イーベル本人から言わせてもらえれば、両親のことはともかく……正直、アーク国王のことはちょっぴり恨んでいたりする。
だってそうだろ?
『――我々の時代に勇者は要らない。もう無益な血を流すことも、流させることもしない』
って。言ってることは格好良いし、正しいと思うけど。
「勇者は要らない」なんて言い回しは、そりゃあ、誤解される。モチロン王様は実際に【勇者】職が不要だ、なんて言ったつもりはないだろう。国同士で争い合う時代を否定しただけだ。
でも国民の多くは違ったのだ。
勇者は要らない。毒殺された勇者アイリスも要らない。時代遅れだ。そういう風潮で、排他的に捉える人も中には居た。
元々勇者のパーティに所属していたという父さんと母さんは亡くなった勇者以上に、冷たい目で見られることになった。
兄に聞いた話によると……父さんはもともと勇者とわりと良い感じだったのだが、母さんが父さんを奪い取り、出来婚に持ち込んだとか。
勇者と母さんの間で板挟みになった父は、魔王城から帰ってきた勇者には目もくれず、母さんを連れてスフに逃げ込んだ……とか。
両親は俺にはそのあたりの真相を語りたがらないので、どこまでが事実かは分からないが……昼ドラ並みにドロドロした、そんな出来事があったとか無かったとか。
そのせいか、両親は周辺住民からの嫌がらせなんかも受けていたようだ。俺からは隠そうとしていたようだが、バレバレだった。
魔王軍と戦っていたときは英雄として讃えられていたのに。人なんて勝手なものだ、と俺はつくづく思う。
俺はといえば面と面向かって、「【勇者】なのに魔王みたいな名前なのね、恥ずかしい!」なんてご近所のオバサンに言われたこともある。そういう空気を敏感に感じ取って、近所の子どもたちは真似をするのだった。
これが田舎町のスフだからこれくらいで済んだものの、他の土地、例えば王都に近い地域だったらと思うとぞっとしない。
そんなことを考えながら夕暮れの道を歩いていた俺は、気がつけば家の前に着いていた。
迷わず玄関のドアを開く。
「あら、お帰りなさいマオ。もう帰ってきたのね」
夕食を作りながら温かく迎えてくれる母は、年を感じさせない美貌の持ち主、"聖女"マルゥ。
「毎日近所の子どもたちと楽しそうだなぁ。今はどんな遊びが流行ってるんだ?」
ソファで新聞を読んでいる父は、ひとたび剣を振れば勇者に劣らぬ腕を見せつけたという"闘争王"ギド。
『王魔戦争』では魔王や魔王の仲間たちを散々に苦しめた、国内最高峰の実力を持つ剣士と回復術士。それが俺の両親だ。
――今や牙を抜かれたふたりの姿は、フツーの、どこにでも居るような子ども思いの夫婦にしか見えないけど。
「今日はえーっと、母さんに借りた魔術書を読んで、それからタンとユージと鬼ごっこしてた。シルフも召喚して」
「し、シルフって……冗談だよな? 最高級の魔術結晶を触媒に用意しないと召喚できないはずじゃ……」
「本にはそう書いてあるけど、俺が喚ぶと木の葉一枚ですんなり応じてくれるんだ。何でかな」
「……な、何でかな? 誰に似たのかなぁ……」
父が顔を引き攣らせている。母は少しだけ嬉しそうだった。
「こういう常識知らずなところは、何だかアイリスに似てるわよね。同じ【勇者】同士、通じ合うところがあるっていうか」
「お、勇者の話?」
俺が目を輝かすと、母はすぐ「しまった」という表情をした。
咳払いすると、何事もなかったかのように「もうすぐごはんだからね」なんて言ってくる。ちぇっ、と俺は口を尖らせた。
魔王デスティアが勇者アイリスによって討たれたのは、今や三十年も前のこと。
その後、両親はスフへと身を隠すようにして引っ越した。そこで俺の兄であるラウが生まれ、その十三年後には俺が生まれた。傍から見ればどこにでも居る、仲の良い四人家族だ。
魔族と人間の戦争はといえば――俺が生まれるずっと前に、終結している。
それも人間側の勝利としてだ。
圧倒的に強力な魔王軍を、どうやって弱い人間たちが倒したのか?
答えは簡単だ。強い勇者が魔王を倒した。絵本よりも簡単な答え合わせだ。
前国王だったアーノイド・ル・セヴィレトによって毒殺されたという、勇者アイリス。ときどき彼女の話を両親から聞くのが、俺には堪らない楽しみだった。
人間味のない伝聞や伝記とは違う。アイリスと共に旅をした両親は、伝説としてではなく、ただ一人の女性としてアイリスを思い出し、語ってくれる。
私生活にだらしなくて、洋服を畳むのも苦手だったとか。
寝相がすこぶる悪くて寝台からよく転がり落ちたが、絶対に目を覚まさないとか。
強すぎる故まったくモテず、たまに夜な夜な愚痴を漏らしてきたとか……どうしようもない、そんな話を、俺は頷き、笑いながら、何度も聞いていた。
でも最近は、母はすっかりアイリスの話をしなくなっている。
その理由は明らかだった。でも……。
俺はちょうど良かったので、ふたりに向かって言い放った。
「分かってると思うけど――俺、四日後にスフを出るから」