34.コイツが噂の魔神さん?
嫌ってなんかいない、と。
そう呟いた、クールで無愛想設定のはずの彼女の口元が――ほんの少し緩んでいたのを、俺は見逃さなかった。
「それに、前にも言った。ニコも、ヤミも――面白いことがいちばん好き」
「ヤミ……」
「面白いから、ついてく。それ以外の理由は、別にいらないの」
長い外衣を引きずるように歩きながら。
そう仄かに微笑んでみせた魔術師の少女に、もしかすると俺はほんの一瞬……見惚れていたのかもしれない。
そこでようやく、彼女の言葉への思いを返せた。
「……ありがとな」
「なに。お礼なんて」
「なんつーか……その。旅立って一番始めに逢えたのがお前で、良かったよ」
ヴェインはノーカンである。そもそも、一緒にスフから旅立った相手だし。
そこで急にヤミが立ち止まった。
一拍遅れて、俺も慌てて止まる。
何か変なこと言ったか? と少しばかり心配していると。
ヤミは仮面を貼りつけたような無表情で、ぼそっと唇を開いた。
「ヤミの こうかんどが ちょっと あがった」
てってれー、って効果音つきだった。
「置いてくぞー」
「あっ。ま、待って待って」
呆れて先を行くと、ヤミが小走りしてくる。
今のところ、特に変化なしの土色の壁を見遣っていると、すぐにヤミがまた口を開いた。
「あと……ヤミもアナタに、言い忘れていたことがある」
「ん? 何だ?」
「……さっきは助けてくれてありがとう」
あまりに素直な感謝の言葉に。
次は俺の方が立ち止まり――かけたが、小っ恥ずかしいなと気づき、そのまま次の一歩も踏み出した。
そっぽを見ながら、いかにも雑っぽい口調で返す。
「そんなの当たり前だろ」
「でも、驚いた。ヤミが天井が崩れているのに気づく前に、アナタは走り出していたから。……うれしかったけど」
しかし――。
ヤミは明らかに誤解していた。事の次第というヤツを。
このまま黙っておくこともできたが……そんなことしてもいずれバレるだろう。
というわけで、俺は正直に白状することにした。
「あー、あれは……違うんだよ」
「違うって、なにが?」
首を傾げるヤミの表情は、ニコと同一人物とは思えぬほど純真無垢そのものである。
若干迷いつつも、俺は説明をすることにした。
「左の道の先に見えたんだよ、魔神の姿が」
「魔神……? 演説に出てた、あの鎧武者?」
「そう。まさに鎧武者。みんなでどっちに進むか話してたとき、一瞬、鎧武者の姿が見えた。それで思わず走り出したんだ」
「――つまり、ヤミを助けようとしたわけではない?」
「……そうなるな。結果的には助けた、わけだけど……」
しばらく、俺たちの間を気まずい沈黙が流れた。
やがて、どこか先ほどより低い声でヤミがナレーションする。
「ヤミの こうかんどが とっても さがった」
0が1になったかと思えば速攻で-1になったみたいな感じだろうか。
なんかちょっと悲しい。ヤミ相手なのに。
「悪かったって……」
「……むー」
頬を膨らませたまま、ヤミはさっさと歩いて行ってしまう。
俺はそんな彼女を頬を掻きつつ追いかけようとして――
「――止まれ! ヤミッ!」
思わず、叫んでいた。
「ッ?」
あまりの音量に驚いたのだろう。
ヤミがぎくりと肩を震わせて立ち止まる。
俺はそんなヤミを突き飛ばし、庇う形で前に出ると同時――片手剣の鞘ごと、攻撃を受け止めた。
今まさに、ヤミに向かってまっすぐ振り下ろされかけていた、その刀剣を。
「くッ――!」
歯を食い縛り、後ろ足の踵に強く力を入れ、思いきりその一撃を跳ね返す。
後方に飛び退ったそいつは……しかし間合いを取ることもなく再び、俺の懐へと飛び込んできた。
「ッ!」
反射的に鞘から刀身を抜き取る。
それと同時。
ガキイイイインッ!
激しく目の前で火花が散る。
だが下がるわけにはいかない。後ろには守るべき人間が居て、いま剣を振って戦えるのは俺だけなのだから。
そう――突然仕掛けてきた、鎧武者相手に。
「コイツ、噂の魔神……? でも……」
背後のヤミがそこで唇を噤む。
言いかけた言葉は、だいたい俺にも予測できた。
そもそもアーク王の演説通りならば、魔神は今やガル魔国の代表というだけでなく、セヴィレト王国にとっても賓客のような立場にある。
しかしそんな魔神が――王国内にあるダンジョンで、探索していた同国の冒険者たちを一方的に襲うなんてことは、本来あってはならないことなのだ。
もしもこんな行為が明るみに出れば、両国の関係は三十年前より一層……険悪になってしまう。
また、大勢の血が流れるような事態に陥るかもしれないのだ。
だとしたら――
「お前……、誰だ!?」
コイツは、魔神ではない。
なぜなら彼女は――勇者アイリスの生まれ変わりである魔神は、王国民たちに向けて語ってみせたではないか。
――『魔神アイリーンは……平和を望んだ魔王デスティアの、意志を継ぎ、アーク王と協力し、今後の活動に取り組み、ます。一所懸命、頑張り、ます』
俺はそのぎこちなくも懸命に語られた言葉を、一切の疑いなく信じている。
そして魔神を信じて活動しているシスカや、他の"八架連"たちのことだって信じ切っている。
だったら導かれる答え一つだ。
目の前のこいつは間違いなく、魔神アイリーンの名を騙った――偽者だ。
「魔神の格好なんかして、俺たちを襲って……何が目的だ!?」
『…………』
しかしそいつは、ただ沈黙するだけだった。
兜の合間から覗く、異様に赤い二つの眼。
その物言わぬ瞳だけがただ、俺のことを観察するかのように至近距離で開かれている。
状況が動いたのはその一秒後だった。
息をもつかせぬ鍔迫り合いを、大人しく見ているほど――ヤミという魔術師は凡庸ではなかったからだ。
「ダークヴェイル!」
中級闇魔法【闇覆気】。
相手の身体能力を若干だが下げる、支援魔法の一種だ。
ニャー杖にぶら下がる猫の仮面。
その口元からブワワワッ、と吐き出された黒い霧が、鎧武者へと纏わりつく。
『ッ!』
そこでようやく、反応らしい反応を偽魔神が見せた。
また後ろに逃げようとした偽魔神が、長い刀身の剣を浮かせたその一瞬――俺は真下から跳ね上げるようにして、剣に力を込めた。
「っりゃ!」
動作としては単純で、読みやすいものだったはずだ。
しかし術の回避に集中していた魔神の注意は明らかに逸れていた。
成功するという確実な予感があった。
ズガッ!
偽魔神の手から離れた得物が、狙い通りに天井の土壁に突き刺さる。
もともと、この限られた空間で、そんな馬鹿でかい剣を振り回すのは無茶なのだ。
どんな使い手だろうと、いつもと違う環境では扱いに無理が生じる。……なんて、今頃気づいても遅いけどな。
『!』
慌てて柄に手を伸ばしかける偽魔神だったが、そこで俺は前に踏み出し追撃する。
紙一重で突きを躱したそいつは、また大きく後退したが……そこでガシャッ! と大きく、その身に纏った鎧が嫌な音を立てた。
そこでようやく気づいたらしい。
斬り合いの間に自分が――背後の壁際まで、追い詰められていたことに。
前を見据えたまま動かなくなった偽魔神に向かって、俺は片手剣を構えゆっくりと距離を詰める。
「お前……ちょっと斬り結んだだけでも分かる」
『…………』
「大して、強くねぇな。アイリーンを語るには程遠い」
『…………ッ』
俺の言葉に。
ほんの僅かな動揺が、見えたような気がした。
俺はそのチャンスを逃さず、前に飛び出す。
自分から正体を明かす気がないのなら……無理やりにでも、その仮面を剥ぎ取ってやる。
「うおらああああッ!」
開いていた距離を、瞬きの間よりも速く、詰める。
音をも超えてやる。気合いだけなら光でも。
『――!』
たぶんそいつの見開かれた目には。
俺の顔が唐突に、目の前に迫っていたようなそれくらいの体感だったはずだ。
そして回避の暇を一切与えず肉迫した俺は、握った刃を一直線に振り下ろした。
バキンッ! ――と。
そのご立派な兜が、真ん中で砕け。
その中身が音を立てて、開かれた。




