33.ラッキーでスケベな気配
「ッ……」
ドガアアアァンッ!
俺は身を伏せ、その衝撃に耐える。
――揺れが収まり、土埃が晴れた頃、ようやく俺は起き上がろうとした。
「うぅ……」
そのとき腕の中のヤミが、小さく呻いた。
「ヤミ? だいじょ――」
ふいぎゅっ。
と何やら柔らかいような固いような絶妙な感触を右手に感じたような気はしたが俺は超光速でその手を素早く持ち上げた!
何故ならこちとら人生二度目の元魔王。
ラッキースケベの気配にうはうはするほどガキではないからなッ!
「ごめんヤミ! 何か今ちょっと事故で想定していなかった触れ合いが生じてしまったかもしれないが俺は先に謝っておく! ごめんな悪かったわざとじゃないぞ!」
そしてここで土下座! ……完璧な流れだ。
主に、ヴェインからシスカが継いだ土下座の流れを俺が踏襲したあたりがパーフェクトである。
するとやがて、ヤミが身動きをする音がした。
どうやら体勢を直したらしい。俺は恐る恐ると顔を上げる。
「…………」
無言で、土下座する俺を見下ろしているヤミ。
しかしその表情には、あるべき「憤怒」や「羞恥」の感情は一切浮かんでいなかった。
一言で例えるなら、それは「きょとん」である。
目の前の人間が何に対して謝罪しているのか、まるでよく分かっていないというような。
えっ……まさか。
……気づいて、ない……?
そう確信した俺は、思わず安心して肺に溜め込んでいた息をゆっくりと吐く。
「――そうか。あんなに小さな胸を触られたところで、気づくはずが無」
俺は頭に強い衝撃を受け、そのまま意識を失った。
+ + +
「………………はッ」
覚醒した。
がばっと勢いよく跳ね起きると同時、額のあたりに激痛を覚えて悶絶する。
「イデデ、何なんだよ一体……」
額を擦りつつ、顔を上げると――すぐ目の前にヤミが突っ立っていた。
「…………」
喋り倒しのニコに比べると、沈黙を尊ぶ(らしい)性質のヤミは、その紫色の瞳を限りなく細め、むっと唇を尖らせている。
そしてその手には、黒猫の仮面をぶら下げたいつもの魔法杖が握られている。
……それでようやく、額の痛みの意味を理解する。
「まさかニャー杖か?」
俺はどうやら、キレたヤミにぶっ叩かれて意識を失っていたらしい。
にしても怖いのは、正面から殴られたにも関わらず、その残像すら追えなかったという点である。
これが前にニコが言ってた「ニャーニャー」なる技か? 猫パンチなのか?
「……パンチではない。どちらかというと猫キック」
「お前まで俺の心を読むな」
ヴェインもそうだけど何これ。特殊スキル【読心】とか覚えてるのかこのふたり。
「マオ様ー、ヤミー、大丈夫ですかーッ!」
「あっ」
ふと、聞こえてきた。
壁を隔てて遠くから響いてきたようなヴェインの声に、俺は慌てて現状を思い出す。
そうだった。
振り返ると同時、予想通りの光景が飛び込んでくる。
天井が崩落し、降ってきた大量の岩石によって、別れ道の先端は閉ざされている。
隙間から覗こうにも、一分の隙もないほどビッチリと砂と岩石に覆い尽くされているその壁からは、ヴェインたちの様子を確認することはできなかった。
つまり完全に――分断されてしまったのだ。
「マオさーん! ヤミさーん! 大丈夫ですかあぁ!」
ヴェインの声に次いで、シスカの甲高い声が叫ぶように言う。
「おう。俺もヤミも無事だぞー!」
叫び返しつつ、俺は岩石の山を途方もない気持ちで見渡した。
「魔法で瓦礫を移動させるのは」
「やめたほうがいい、と思う。……危険」
背後のヤミの言う通りだった。
それに崩落なんてものが起こるくらいだ。風魔法なんかで瓦礫を動かせば、おそらく、またどこかの地盤が緩む。
こんなところで生き埋めエンドなんてのは遠慮願いたいところだ。よってその案は無しだろう。
それなら選択肢はひとつしかない。
「ヴェイン!」
「はい、マオ様!」
「俺とヤミはこのまま先に進む。ヴェインもシスカと一緒に、さっきのもう片方の道を進んでくれるか?」
返答までは、数秒の間があった。
「はい、承知しました!」
しかしヴェインは頼もしくそう応じてくれる。
その後ろではまだシスカが、不安なのか「うう……!」とさめざめ泣いているような声が聞こえているが。
「あたし、このスコップで掘ります……! 瓦礫を掘り尽くせばきっとおふたりに再会できるはず!」
「お願いなのでやめてくださいシスカ! この場面でスコップ使用は明らかに死亡フラグなので!」
それを必死に食い止めているらしいヴェインに「がんばれ!」と心の中で呼び掛け、俺は再び後ろを振り返った。
そこにはちょこん、と佇んだままのヤミの姿がある。
「それじゃ、行くかヤミ。こっちは魔物が居る可能性も高いし、危険だけど」
「……承知した。問題ない」
相変わらずのクールな顔つきと声音で応じるヤミ。
そんな彼女と並び、俺は歩き出した。
とりあえず魔法鞄からは愛用の片手剣を取り出し、右手に構えておく。
さっきまでは重戦士のヴェインが居たので、近接戦闘のことは考えていなかったが……パーティが分断されてしまった以上、魔術師のヤミを守りつつ、俺は前衛として戦う必要があるからだ。
そして俺が確かに目にしたはずの、探し人の姿はといえば――どんなに歩いて行ってもその痕跡もなかった。
すると見間違いか? そうは思えなかったけど……。
でも、今さらヤミに話すのもな。怒られそうな気がする。何となくだけど。
土壁の曲がり角を横切るたびに同じような道が続いていて、先ほどまでとは異なり探索できるような扉もない。
いよいよ飽きてきた俺は口を開いた。
こんなときくらいしか、聞けないようなことだったというのもある。
「そういえばさ、ヤミはこれで良かったのか?」
「? 何が?」
「ほら、俺とヴェインと今まで通りパーティ続けてさ。……俺たち、一応、元魔王と魔王軍幹部だからな」
俺がそう言うと、ヤミはしばらく黙り込んでしまった。
やはり答えにくい話か、と思うと同時、俺は素直に話してほしいとも思っていた。
パーティを抜けたいと思うなら、正直に明かしてほしい。
俺たちに言いたいことがあるなら、はっきりと口にしてほしい。
しかしその後にヤミが発した言葉は、俺にとって意外なものだった。
「……この国の人間は、マオが思うほど、隣国の人々のことを嫌ってはいない」
「え?」
「アーノイド前国王がどんな策略を巡らせても――結局、それはあまり変わらなかったと、思う。アナタにとっては、ひどい話だと思うけど」
「…………」
次に黙ってしまったのは俺だった。
俺もそれを――知っている。少なくとも魔王だった頃から、ずっと。
そして俺はそれを知った上で、三十年前のあの日……死んだ。
否、勇者アイリスに、殺されたのだ。
死ぬべきでないのかもしれないと自覚しながらも。
たった一つの目的のために。
魔王デスティアは――死んだのだ。
「ッッ……」
思考が引き摺られかける。
決して浅くはない、前世の深い記憶を辿ろうとしたからだろう。
忘れたことはもちろん、一つもない。何もかもを覚えている。
後悔は去らないし、過去は変わらない。
それでも、魔王デスティアとしての自分を意識して思いだそうとすると――こんな風に時折、マオ・イーベルが消えてなくなりそうな予感が過ぎることがある。
「つまりヤミも……このヤミも、ニコも、あなたのことを最初から、嫌ってなんかいない」
だが、その恐ろしい予感は、続くヤミの言葉によって消え失せていた。




