プロローグ.魔王、死す
本日より投稿させていただきます。
前作に引き続き毎日更新でがんばってまいります。どうぞよろしくお願いいたします!
わりとピンチなので、今の状況を一言で簡単に説明しようと思います。
勇者さんに大剣でブッ刺されました。
……それ以外も以下もないよ。刺された。俺の現状そんだけだった。
ブスーッと、情け容赦なく一突き。鋭い刃の感触が腹から背中をまっすぐ貫いている。
信じられないくらい痛かった。前に刺されたのは数ヶ月前だけど、そのときの五倍くらいは痛かった。
たぶんきっとアレの所為だ。斬り掛かってくる前に、魔を討ち滅ぼす聖剣デュランダルの力がどうのこうのって口上、言ってたもん。もう間違いなく聖剣パワーだろうネ。むしろそうとしか考えられないよネ。
「グオオ!」
俺は叫んだ。目の前の勇者が警戒したのか一気に剣を抜くが、別に激昂したとかじゃなくて。
単にものすごく、ものすごーく痛かったのだ。そりゃ痛いだろ腹刺されたら誰だって痛いわ抜かれたときも半端なく痛いです控えめに言ってもう泣きそうです。
本音言うと「いってぇー」って叫びたかったけど、俺も魔王の端くれとして、最終局面のこの状況で「いってぇー」って叫ばないくらいの矜持がある。
というわけで今のは、ヤケクソ我慢の「グオオ」である。知性の欠片もない悲鳴だが許してほしい。
「光よ、勇者アイリスが呼びかけに応じよ。聖なる浄化の輝きをもって、今こそ悪しき闇を焼き払え……ライトニング・エンペラー!」
しかし勇者は勇者で必死だ。ヤツには微塵の容赦もなかった。
「グオオ」の二個目の「オ」のあたりから、俺がトマトの次に苦手な光魔法を唱え始めていたのだ。
俺はどうにか避けようと必死に後退するものの、無駄だった。上級光魔法【天上皇帝】は、何と敵を自動追尾し、その頭上に寸分違わず光り輝く超巨大な十字架を振り落としてくるという殺人級に性質の悪い魔法なのだ。
頭の上にピカーっと後光刺す十字架が浮かんだ途端、俺は大慌てで防御の術式を唱える。
「ダークシェルター! ダークシェルター! ダーク、シェル、タァ~~ッ!」
三重展開の中級闇魔法【闇防陣】。
空中に浮かび上がった暗黒の紋様が重なり合い、溶け合い、やがて大きなドーム状の膜を張る。
光と闇は属性でいうなら、相克関係。
いわばお互いが弱点属性なのだが、しかし――それでも、勇者の魔法を防ぐには役不足だった。
十字架はドームを少しずつ、しかし着実に破壊し、やがて木っ端微塵にたたき壊すと――俺の背中にドスッ、と突き立った。
「うぐぅッ……!!」
アホか、というくらい猛烈な光魔法の効果が全身を広がり、駆け抜ける。
熱! 熱熱熱! それこそ鉄板の上に転がされ皮膚をミディアム通り越してウェルダン! に灼かれるような痛みに俺は悲鳴を堪えることしかできない。
……散々俺を苦しめてから、魔法で創り出された十字架はじゅわっと蒸発して消滅した。
その頃には背中はすっかり焼け焦げていた。見なくても分かる。真っ赤っか通り越して、真っ黒に炭化してるに違いない。
(ま、マジでやべぇ……なんつー猛烈な魔法使いやがる、この勇者サマ……)
お抱えの鍛冶師に三ヶ月かけて作ってもらった特注の鎧を貫通する光魔法って、もう反則級の強さじゃない?
ていうかもはや、腹とか背中どころの騒ぎではない。腕も肩も脚も、剣やら魔法やらで貫通されてボロボロなのである。
そんな所行を気持ち良く決めてくれた勇者は、鎧兜の下に覗く眼光をより鋭くした。
「……これを喰らっても、まだ立っていられるなんてね。さすが魔王といったところかしら」
さすがに息は苦しそうに上がっているが、きれいな、聞き取りやすい声だった。
しかし「うるせえ」って感じだった。褒められてもちっとも嬉しくない。
「実際に、かなり追い詰められているのよ? あなた一人でここまでやるとは思わなかった」
「……そちらこそ。まさか単身のこのこ魔王城にやって来るとは思わなかったぞ」
「それもこっちの台詞よ。どうして部下が誰もいないの? ご自慢の"八架蓮"はどうしたの?」
馬鹿正直に、こちらの事情を話す意味も理由もない。それこそ本当に。
俺は動かすのさえ辛い身体に冷や汗を掻きつつ、黒いマスクの下から威厳ある声を放つ。
「……く、クク。あいつらは慰安旅行中だ。有休を強制的に消化させる算段よ。もちろん旅行の経費はすべて我が負担している。お土産代もな」
「うわ、悪ッ……って思ったけど、そうでもないわね。勇者が派遣業なことに比べれば、むしろ破格の扱い……」
勇者って派遣職だったんだ……。
「……コホン。まぁそんなことはいいの、そろそろ決着をつけましょう」
「そ、そうだな。うむ、時は来たり……」
俺は慌てて頷いた。
余力は、一応まだある……が、もうこのあたりが潮時だろう。
この決闘形式の戦いを始めてから、形態変化も三回くらいやったし。羽もツノも増えて、ついでにマントの裾も長くしちゃったし。
頑張ればあと一~二回くらいは形態変化できるけど、さすがにそこまでしつこいと勇者もウンザリするだろうな。「変化する前が一番フォルム的にマシじゃなかった?」とか言われたら、俺は泣いてしまうかもしれないし。
それにどう足掻いてももう、俺はコイツに勝てない。
……俺はそのへん空気が読める魔王だ。引き際は心得ている。
ここが俺の、魔王としての終わりなのだろう。
「この聖剣デュランダルの輝きをしかと目に焼きつけよ! そして滅せよ魔王、はぁあ――ッッ!」
勇者が両手に握りしめた大剣を胸の前に構え、叫ぶ。
凄まじい裂帛の気合いと共に放たれた一撃は、狙い通りに――俺の身体を、今度こそ打ち砕いた。
「ぬぬぬっ、ぬ……グア……」
ごふ――っと勢いよく、口から呼気が洩れる。
いや、洩れたのはそれだけじゃなかった。大量の血を吐血して、俺は玉座の椅子へとそのまま、倒れ込んだ。
「うっ……」
俺に引きずられるようにして、勇者までもが倒れてくる。
最終的に俺は愛用のふかふかの椅子ごと、ブッ刺されたみたいな形になってしまった。な、なんかイヤだな。これ以降は意地で動こうとすると椅子ごと持ち上がっちゃうぞ、これだと。それはちょっと恥ずかしくないか?
……まぁ、もう起き上がる気力もないけどさ。
「はぁ……、はぁ……」
勇者は、俺を貫いたままの聖剣からそっと手を外した。
興奮によるものか震えながら数歩、後ろに下がる。そこでぺたんと尻餅をついた。
その弾みに、素顔を今まで覆っていた鎧兜が、外れる。
――中から現れたのは、長い金髪の、青色の目をした美人の顔だった。
「はは……。やった。ようやく魔王、倒せた……」
勝ち気そうなつり目がふにゃんと緩んで、双眸から涙が流れ落ちていく。
泣き笑いみたいな、緊張から解放されて安心しきった表情。
そこに居たのはただの、どこにでもいるような人間の女性だった。
俺はなんだかそんなことに、ひどく……安心したのだった。
「……なあ、勇者。戯れ言と思って聞いてくれるか」
「え……?」
勇者アイリスが涙を拭いながら、目を見開く。
そんな天敵に、俺は話す。この機会を逃したら、誰にも言えない夢の話を。
「我は……いや、俺さ……もし生まれ変わったら、冒険者になりたいんだ」
「……ぼう、けんしゃ? 魔王が?」
「おかしいだろ。おかしい、だろうけどな。ずっと憧れだったんだよ……」
遠くを見るように呟くと、勇者はふらふらと立ち上がり、半歩だけ俺に接近する。
もしや追撃されるかも、と俺は覚悟していた。怒り出すと手がつけられないタイプの勇者なので、ちょっと機嫌を損ねたら滅多刺しにされそう。怖い。
「……何故、勇者にそんなことを?」
しかしまだ、俺の話は聞くつもりはあるらしい。
俺はぽりぽりと頬を掻く。魔王らしい強面マスクの下は赤面していたのだが、それを見られる心配はないので安堵。
「いや、こんなこと、言えないじゃん……今まで一緒にさ、王国相手に命賭けて戦った、大事な仲間たちにはさ。そんなさぁ、今さらさぁ、ただの冒険者になりたいなんてねぇ」
小さい頃から本当は、世界を混沌に陥れる魔王じゃなくて。
本の中の冒険者――もっと言えば、勇者の方に憧れていた。
世界中を旅して、いろんなものを見て、いろんな発見をして……使命を果たしながらも、頼りがいのある仲間たちと自由に、楽しそうに冒険するそんな姿に。
しかし俺の父は――先代の魔王は、ある日突然失踪してしまった。
噂によると俺の教育方針で母と喧嘩になり、魔王城周辺一帯の地形が変わるほどのドンパチをやらかした挙げ句、逃走したらしいのだが……詳細は百年経った今も謎のままだ。
おかげで俺は居なくなった父の代わりに五歳の頃から家業を継ぎ、魔王なんてのをやらされている。もっと学校で勉強したり、友達と遊んだりしたかったのに、魔王になったばかりに厳しい修行やら、帝王学やら習わされたのだ。良い迷惑すぎる。
もちろん辛いことばかりじゃなかった。仲間にも恵まれたし。
楽しいこともたくさん、あったけど。
でも――今も俺は、子どもの頃に抱いた……勇者に憧れる気持ちを捨てられずにいる。
「分かる」
「……えっ?」
「分かるって言ったの、その気持ち」
「……えっ、分かる?」
しみじみ話してたら、ちょっと意外な方面に同意されてしまった。あれ? 分かっちゃうの?
戸惑う俺を見下ろしたまま、勇者はぺらぺらと話し出した。
「私も実は、勇者やってて思ったんだけど魔王軍のほうが和気藹々としてて楽しそうだなって……。なんか勇者パーティのはずなのに裏切りとか平気で横行するし、それに最終ダンジョン――つまりこの魔王城に来るちょっと前なんだけど、ウチの剣士と聖者の女子がさぁ、出来ちゃった結婚したんだよね。信じられなくない? 私は剣士とくっつくつもりで今までさんざん貢ぎ物とか頑張ってきたのに……最終ダンジョン直前に二人とも離脱。しかも出来婚。「生まれてくる子がいるのに魔王との戦いには行けない」「平和な世の中を作りだしてくれ」じゃねーよ、独身者なら魔王に殺されてもいいってか? 私これ魔王倒した後の平和な世界で何すりゃいいの? 婚活?」
「あ、その二人って一年前の『イノプス荒野の死闘』で魔王軍の西軍を完膚無きまでに叩きのめしてきた? "闘争王"のギドと"聖女"マルゥ?」
「そうそう、その二人。よく知ってるわね」
「知ってるってそりゃ、こっちはずいぶん苦しめられたし。そっかー、今日いないの有り難いなって思ってたけど、あのふたり結婚してたかぁ。めでたいなぁ」
「確かにめでたい! めでたいわよ、でもタイミングってものがあるでしょ。絶対に今じゃないでしょ」
「あれ……それでもしかして今日は一人で?」
「そーよ、他の仲間も全員放置して、独りで来てやったのよ。腹いせで道場……城破りに来たってわけよっ」
たぶんそれが本来の姿なのだろう、勇者は仁王立ちのポーズをしてふんっと鼻を鳴らしてみせた。
つまり本日、いつにも増して憤怒に満ち溢れた様子だったのは、その八つ当たりだったかららしい。俺は思わず苦笑を零すが、それは何とも破天荒な逸話に事欠かない、勇者アイリスらしい話だった。
「でもさ、それでも投げ出さずにアンタは魔王倒しにきたんだろ? それってすごいと思う。なかなか他の人にゃできないよ。立派だよ」
俺がそう言うと、勇者は目を丸くした。
「……そんな風に言われたの久しぶりだわ。みんな、勇者は頑張っててフツーって言うから」
「そう? 俺が生まれ変わったら冒険者になりたいって思ったのは、アンタが格好良かったからだよ。目標に向かってまっすぐ走ってる姿って、傍から見るとすごく格好良いんだぜ」
マスクの下で俺は笑っていた。
勇者もくすりと柔らかく笑ったから、しばらく俺たちは笑い合っていた。嘘みたいに和やかで、温かな時間が流れていく。
「ねぇ、アナタは本当に私の両親を――」
「え?」
言いかけた言葉に自ら首を振るようにしてから、勇者は苦笑を落とす。
「私、もうちょっと早くアナタと、こんな風に話してみたかったな」
……ああ。俺も同じことを思ってたんだ。
不思議と気分が落ち着いている。魔王にとっては仇敵であるはずの勇者が目の前に居て、殺される直前だってのにこんなこともあるのか。
もう少しのんびり話していたかったが、そんな時間も残されてないのは、自分が一番よく分かっていた。
「――よし、それじゃ……お別れだ、な」
マスクの下。
大量の血に噎せながら、俺はそう伝える。
勇者は笑みを消すと、ほんの少し眉を下げた。俺を見下ろしたまま、ぽつりと呟く。
「……今までいっぱい刺したり、光魔法で襲いかかってゴメン」
「いいって。それは言わない約束だろ? じゃあな勇者。俺が言うのも何だが壮健でな」
俺はそれきり、ゆっくりと目を閉じる。
次第に感覚が薄く、遠くなっていく。意識が沈んでいく。不思議と恐怖は感じなかった。
そのせいか、あまりに柄にもないことを口走ってしまった。
「もしも俺が生まれ変わって、いっぱしの冒険者になれたらさ……そのときはアンタに顔見せに行くよ……勇者サマ」
俺の掠れ声は何とか届いたらしく。
最後に、声が聞こえた。
…………なら、アナタがもしも冒険者になるっていうなら、私は…………。
暗く澱んでいた視界に不意に、ピカッと、稲妻のような一瞬の煌めきが走ったのを最後に。
そこで、俺の――魔王の記憶は、途切れた。