11.がんばる魔神さん
『――我が名は、アイリーン』
突如として響いたその声は、アーク国王のものではない。
彼は口を閉ざし、黙って横の人物を見つめていたからだ。
つまり……いま発言しているのは、先ほどまで沈黙していた鎧武者。
音声は変えているのか、性別や年齢はどうにも断定しにくい声音だ。
『アーク王から紹介頂いた通り……ガル魔国の、新魔王……』
そいつはボソボソと、聞き取りづらい口調で話していたが……そこでまた、しばらく黙り込んだ。
何となくアーク国王も、出来の悪い子どもを見守るように、笑みは浮かべているがちょっぴり眉を下げている気がする。
しかし再び、言い淀んでいた鎧武者が、また言葉を続ける。
『否、我は、魔王ではなく――魔神、である』
ま、魔神?
聞き覚えのない名称に、俺は目を白黒とさせる。
「ま、魔神……?」
「アイリーン?」
ザワつくクルクの街の人々。
きっとセヴィレト王国全土の国民が、同じように不安な顔つきをしているに違いない。
『魔神アイリーンは……平和を望んだ魔王デスティアの、意志を継ぎ、アーク王と協力し、今後の活動に取り組み、ます。一所懸命、頑張り、ます』
口調が急に作文ぽくなってるけど……カンペか? カンペ読んでるのか?
『あと、三十年前に魔王軍幹部を務めていた"八架蓮"も、召集してます』
生温かい目で見ていた俺は、そこでゴホッと勢いよく噎せた。
周囲もかなりざわついたおかげで、目立たずに済んだが……は、"八架蓮"? この魔王とやら、今そう言ったのか?
『今のところ集まったのは、六人、なので、どっちかというと"六架蓮"ですが、今後は彼らとも協力して、魔神は平和的に、精一杯、頑張り、ます』
語り口はどこまでもアホっぽかったが、こうなると信じないわけにはいかない。
かつて俺の傍で、俺を支えてくれた彼ら――"八架蓮"。
彼らの名前が出るってことは、間違いないと見ていいだろう。
――この魔神とやら、本物だ。
その実力に関しても、存在に関しても……本当に魔王を継ぐべき存在として、ガル魔国に認められている。
それに隣のアーク国王は相好を崩していない。軽く頷いたり、笑みを深めたりはしているが。
つまり、この演説内で王魔戦争の主役級たる武闘派集団"八架蓮"の名前を出すのは予定通りだということ。
その程度のことで国内に不和は生じないと確信した上で、国王がカードを切ったということだ。おそらくは他国への牽制として。
気がつけば俺は笑みさえ浮かべて、鎧武者の姿を見上げていた。
『最後にひとつ』
カンペを読み終えたのか、また魔神の口調が切り替わる。
先ほどよりもずっと滑らかに、言ってみせる。
『――私には昔から、夢がありました』
「…………?」
『魔王になる、という夢です』
「…………!」
『私にはとても頑なな時があって、たくさんの過ちも犯しました。取り返しのつかないことも、してしまいました。おかげで、まぁこうして、びっくりするような形で夢も叶ったわけですが』
魔神が何を言い出したのか。
大多数の人間にとって、その意味するところは分かりかねただろう。
だが俺は違った。
ひとつの確信が、胸の内に灯っていた。
『だからこそ……魔王と、勇者が、手を取り合う。そういう時代もあっていいんじゃないか――私は、今はそう思っています。
なので、もしもあなたが勇者ならば、すぐに私に顔を見せにきてください。私はずっと待っています。……以上』
『魔神よ、ありがとう。ただいまの発言については、つまり、魔王と勇者をそれぞれ有していた魔国と王国も、今後は手を取り合って発展していけるという……』
これは物議を醸すと判断したのか、アーク国王がそれっぽい解説をしている。
でもその声は次第に、俺の意識からは遠くなり、やがて聞こえなくなっていった。
それよりもずっとずっと大切な言葉が、頭の奥に響いていたから。
――『もしも俺が生まれ変わって、いっぱしの冒険者になれたらさ……そのときはアンタに顔見せに行くよ……勇者サマ』
死に逝くとき。
魔王デスティアはちょっとふざけた口調で、そんなことを言った。
今まで誰にも言えなかった、俺の夢――それを笑わないでいてくれた彼女とは、もっと、語らいたい言葉がたくさんあるように思えたから。
たとえ一方的な感情だとしても。
今度こそ笑われてしまったとしても。
どうしても伝えたかった。それで必死に、言葉を紡いだのだ。
そして俺が命を落とす直前に、彼女はこう答えた。
――『なら、アナタがもしも冒険者になるっていうなら、私は……魔王にでもなっちゃおうかな』
イタズラっぽく、くすりと笑って。
アイリスは……そう、俺に言葉を返してくれたんだ。
「何で魔神ってヤツは顔を隠してたんだ?」
「本当に信用できる人なのかしら……」
「それより"八架蓮"よ! 最強と名高い魔王軍幹部!」
「全員死んだとか言われてたけど、やっぱり生きてたんだぁ」
「勇者なら顔を見せにきてってどういうこと? やっぱり魔国は勇者を恨んで……?」
「違う違う。国王が言ってただろ? あれは両国の関係を進展させるための言葉の綾で……」
いつの間に演説自体も終わっていたらしい。
その内容について熱く語らいつつ、波が引くように去って行く人々には乗らず……俺はその場に突っ立ったままでいた。
隣の男も同じだ。
俺は彼の方を向いた。
「……ヴェ・イ・ン?」
「私は何も知りませんでしたよ」
白けた顔つきのヴェイン。
やっぱりな、とそれで確信する。この前は散々否定してくれたが……
「お前――事前に知ってたんだな? あの魔神だかのこと」
「さあ」
「あれ、アイリスだろ?」
俺がそれでも諦めず、じーっと見つめていると、根負けしたのかヴェインが肩を竦める。
「……魔王城、今から七年ほど前に有志によって建て直されたんですよ」
……ん? 何の話だ?
「魔王様と勇者の決闘でだいぶ損壊してましたからね、王国側も援助して建て直したんです。
で、ここに魔王様がいる可能性もあるなと思い、私も関係者のフリをして忍び込んだんです。そこで見知らぬ魔族の子どもが、ちょこちょこ歩いてまして……」
「それが……アイリーン?」
ヴェインは溜息を吐いた。
普段は穏やかな翡翠色の瞳が、恐ろしいまでにギラついている。
「見た瞬間に分かりましたよ。ああ、あの女だと」
な、なんか声に篭もっている殺意がものすごいんだけど。
思わず俺が黙り込むと、ヴェインはこほん、と咳払いをする。
「……私が転生魔法を魔王様に掛けたとき。どうやら傍に居た勇者にも、思いがけずその効果が宿ってしまったようなのです」
「ほ、ほう」
「効果はすぐ切れるはずでした。しかしその数日後にアーノイド国王によって毒殺されたため、彼女にも転生魔法が発動してしまった、と。つまりはそういうことですね」
「ほほう……」
セヴィレト王国にて魔王デスティアが、勇者マオに生まれ変わって。
隣のガル魔国では、勇者アイリスが、魔王ならぬ魔神アイリーンに生まれ変わった――と。
そんな偶然あるか? とツッコみたいのはさておき。
やっぱり俺は、嬉しかった。
けっこう感動していた。
別に信じてないけど、もし神サマってヤツがいるのなら――そいつは二人分の願いを、充分すぎるくらいきれいに叶えてくれたってことになる。
それって大層、粋な計らいなんじゃないか? なんて……ちょっと、浮かれすぎかもしれないけど。
だってアイツは、顔を見せにきてと言った。
――俺のことを、待ってくれている。きっと、あの頃と変わらない真っ直ぐな眼差しで。
だったら迷う理由なんて、ひとつもありはしなかった。
「決めたぜ、ヴェイン。俺は――魔神に会う」
「……はぁ」
「もちろん、以前のアイツに負けないくらい勇敢で立派な勇者に育ってから、だ。そしたら魔神に会いに行く。合わせて幹部のみんなにも挨拶しにいくっていうのが理想だ」
「……それがあなたの、新しい夢ですか?」
「そうだ。付き合ってくれるか?」
笑顔で見上げる。
ヴェインは呆れたように嘆息する。
そもそも魔神の存在を演説前から知っていた様子のヴェインだ。
今まで俺に隠していた時点で、乗り気ではないんだろうが……。
でも彼がどう答えるのか、俺はそれを聞く前から一片の疑いもなく知っていたし、信じていた。
観念したように、ヴェインはその美貌を苦笑の形に歪める。
「――もちろんですとも。ヴェリミリナとヴェインの行く先は、あなたの御心のままに」
「おう。ありがとな!」
冒険者としての第二の人生楽しみたい! とかぽわぽわしてた夢は、こうしてこの日、より具体的になった。
魔神に会う。
魔王軍幹部のみんなにも会う。
駆け出し冒険者どころか、まだ冒険者登録すら済んでない俺だけど――その夢は光り輝くみたいにして、胸にすとんと落ちてきた。
よっしゃ、やってやる!
「……あの、さっきから何の話してるの?」
とか拳を突き出してる最中に渋い声に言われ。
立ち聞きしていたニコを誤魔化すのが大変だったのは、言うまでもなかった。




