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花の色は うつりにけりな いたづらに  わが身世にふる ながめせしまに 1

                ◇◆◇◆◇◆


「聞いたぞ。君、彼女と文を交わしているそうじゃないか」


春の暖かな日差しが庭に降り注ぐ穏やかな光景に足をとめていると、背後から声をかけられた。


「これは、在五中将(在原業平)殿。彼女、というと…」


振り向くと、在原業平が三日月のように目を細めて立っていた。

会釈した後、彼の言う相手が誰のことかわからず康秀は首をかしげた。


「ただの雑談だ。とぼける必要はないだろう。彼女だよ、彼女。絶世の美女と名高かった」

「あぁ…」


業平にそこまで言われて康秀の脳裏に小野小町の美しい文字が浮かんだ。


誰にも話していないのに、相変わらず情報に通じている方だ。

いや、むしろ今日まで彼女とのやり取りが漏洩しなかったことがすごいのだろうか。


康秀は苦笑した。


「在五中将殿も、彼女とはよく文を交わしていたと伺っておりますが…」

「昔ね。あの優美な文字と歌には心浮きただされたものだよ。まぁ最近は筆不精になっているけれど」


時というものは残酷だね、と微笑んでみせる業平は相変わらず匂いだつような美しさを保っている。


そのお綺麗な表情のまま、業平は「実際のところ、彼女はどうだったんだい」と問いかけた。もちろん、もう夜に彼女の部屋へ赴いているのだろうという含みに気づいた康秀は、ぱたぱたと手を横に振って否定した。


「勘違いされていらっしゃるようですが、私は本当に文を交わしているだけで」

「…なんだって?」

「加えて申し上げますと、文も季節の徒然な事柄を綴ったもので、中将殿が予想されている色めいた歌等は全く…」

「なんだって」


業平は目を丸くした。


「…つまり…君、君は…」


歌にも話術にも優れていると名高い業平が言葉をなくしている様に、康秀も驚いた。そんなに意外だっただろうか、と。


「私はいち下級官吏です。あの彼女を口説くなど驕る真似ができるはずもございません。むしろこうして長期間に渡り文を交わしていることも恐れ多いことです」


かつて彼女が文を交わしていた高位の貴族である在原業平や良岑宗貞と比べるまでもなく、分不相応な身である。


「…全く、驚かされたよ。幼子でもあるまいに、通うどころか恋の歌すら贈っていないなんて。しかし、それで本当に良いのか?確か近々三河国に赴任することになっただろう」

「流石よくご存知でいらっしゃる。良いのです、私などが恋歌などおこがましい」

「確かに、彼女は数多の男性を袖にしてきた理想高き女性だけれども。今は昔の話だろうに。女房たちの噂によると、この間も時の無常を嘆く歌を詠んでいたようだし」


業平がついっと視線を庭に移した。

桜の花は満開の盛りをとうにすぎている。先日までつづいた雨により、花はほとんど散ってしまい、今はせいぜいが地面を染め上げる花びらを楽しむくらいだろうか。


「花の色は うつりにけりな いたづらに  わが身世にふる ながめせしまに」


業平が静かな声で歌を詠んだ。


桜の花が、春の長雨が降っている間にむなしく衰え色あせてしまったように、私の美貌もむなしく衰えてしまいました。

私が恋や世間のことなど、日々の暮らしの中で物思いにふけっている間に。


「その歌を…彼女が?」

「そのようだよ。何とも物悲しくも、切ない美しい歌だろうね。歌の意味もさることながら、技法も機知に富んでいる。流石は、といったところだろうか」

「そう…ですね」


相槌を打ちながら、康秀は彼女の秋風の歌を思い出した。


「諸行無常は何も彼女に限ったことではないから、私も人事ではないけれども。小野宮(惟喬親王)の件が、ね」

「あぁ水尾帝(清和天皇)の…」

「容貌のこともだけれど、そういう時勢のことも先の歌には込められているのだろうな。彼女は小野宮の乳母でもあったから」


そう告げた業平はどこか哀愁を漂わせていたが、すぐに微笑みをたたえた表情に戻した。


「少し口が滑りすぎたかな。…ともかく、悔いのない行動をとった方がよい。なに、少しばかり失敗してしまってもどうせ近いうちに都を離れるんだ、というほどの心持でいれば気楽に物事に挑戦できるだろうさ」


君はもう少し不真面目なぐらいで丁度いい、と軽く康秀の肩を叩いた業平は軽い足取りで去って行った。


「花の色はうつりにけりな…」


康秀は庭の地面に散らばっている花に視線を落とした。

口ずさんだ小町の歌は、しんと地面に溶けて消えてしまった。

・在五中将=在原業平

・小野宮=惟喬親王

・水尾帝=清和天皇


名前をそのまま登場させるのに違和感があったため、上記の呼び方にしています。

当時どう呼んでいたのかわからないため…。

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