採用担当者の思い
「どうだった?控え室では?」人事部長(こっちは本物の『人事部長』だ)が、ニコニコしながら聞いてくる。午前の部面(部長面接)が終わり、学生達が帰ってリクルーター達が残っている控え室に入って来て、午後の面接に向けてリクルーターみんなの出前の注文を率先して行いながら聞いて来た(人事部長は天とじ丼だったが、もう胃が疲れているリクルーター達は、ほぼうどんかそばだった)。
「1番目は他に本命がいそうですね。2番目は礼儀正しかったけど、少し大人しかったかな?3番目は元気でしたし、4番目はウチに乗り気そうで、積極的に色々聞いてきました。5番目は・・・あんまり印象に残ってないですね」義之は答える。
「確かに、1番目は時計を気にしていました。2番目は少し緊張していただけで、スタッフなんかにはいいと思います。3番、4番は同感。5番目はどこかに内定貰っていて、内定数を稼ぎに来ている感じでした」スズッキーも答えた。
「岡田君と篠原君、加藤さんはどう?」
「最初会った頃は1番目はいいと思っていたんですけど、どんどん粗が見えてきました。買っていたので、少し残念です」岡田君は水を口に含んで洗面台に捨ててから言う。
「でも、2番目の子、私にはすこしおっとりですけど、丁寧に話をしてくれましたよ」紅一点の加藤さんの答え。
「おんなじ感じです。僕なら3番>4番>2番で、1、5は外します」と、篠原君。
「だそうです、部長」越谷『人事採用課長』は青木部長に伝えた。
「越谷君の意見は?」
「同じ感じですね」
「そっかそっか。なら、3、4で2番は保留って感じでいいかな?」
「スタッフ枠が必要なら、4番の前に2番でしょう」
「そっか、まぁ東京と相談だな」
そこで出前が入ってきた。
「部長の判断は?」遠慮なくうどんをすすりながら越谷『課長』が儀礼的に聞く。
「ないしょ、って言うか、そんな感じだったら、そうなんだろ」天とじ丼をかき込みながら青木部長は答える。
義之とスズッキーは、課面(課長面接)が始まった当初は驚いていたが、今は慣れっこになっていた。
15分程度の面接で、課長も部長も分かる事は殆ど無い。特に課長は実務の合間に面接する為、殆ど事前情報は無く、履歴書に目を通しながら一通りの志望動機や大学でしてきた事、会社に入ってしたい事なんかを形式的に聞いていると、あっという間に10分程が過ぎ、後は、学生からの質疑応答を求めたら時間だ。
履歴書を見ながら名前を呼んで質問はしているが、5人も会うと殆ど1番最初の人の名前なんか憶えていない。ひどい課長なら、最後に面接した相手の名前すら覚えていない。
そんな事より、頭の中は自分の仕事に奪われているのだ。
結果、実は、『面接』は、面接室で行われているのではなく、『控え室』で、リクルーターによって行われている。
構えられた、僅か15分程の面接で、分かる事なんて殆どない。面接の前の緊張をほぐす様に優しく接するリクルーター。そして面接が終わってほっとした学生達。
それを実はリクルーター達は、優しい言葉を掛けながら、冷静に、いや、冷徹に「見て」いる。
何気なく、どんな会社を回っているか、どこまで進んでいるか、ウチの会社をどう思っているか、採用されたらどうする積りか、それらを聞き、リラックスした控え室での彼らの人となりを「見て」いる。
それが、採用の、上の面接に上げるかどうかの判断になっているのだ。
最初は何の気無しに答えていた義之とスズッキーだったが、面接が進むにつれて、自分達の言葉がその通りになっていくのが恐ろしくなっていた。
採用活動当初から関わっている岡田君達は、ある意味色んな学生に会い過ぎて、感覚が鈍くなっている。
ある程度絞り込まれた学生を見た義之やスズッキーの言葉が正しく採用に直結しているのだ。
それを岡田君達はこの数か月で熟知したのか、ニコニコとした笑顔で学生と会っているのに、さりげない会話をしているのに、最上階にある「採用室」に戻ると、凄く冷めた感想を述べあう。
それに気付いた義之もスズッキーも、さりげない笑顔でさりげない会話を学生と接しながら、そんな自分達がつくづく嫌になりながらも、笑顔の仮面の裏に鷹の様な眼を光らせて、学生達を見る事が出来る様になっていた。
人事部長として何年も採用活動を経験している青木部長も、それは重々承知。だから、面接が終わって学生達が帰った控え室にわざわざやって来て、リクルーター達の感想に耳を傾ける。名前でなく、面接の順番で感触を聞くのも、人事部長だから学生個々人の履歴書や、そこに書かれたリクルーターや課長のコメントは熟知しているが、敢えて名前という個人的情報でではなく、順番の符号で感情を排する為に行っている。
「で、2番は、大学どこだっけ?」天とじ丼を平らげた青木部長は、食後のお茶をすすりながら、越谷課長に聞いた。
「国立のKです」青木部長が分かっている事は承知だが、越谷課長は答える。
「ふう~ん・・・なら、3、2、4になるかもね」
その言葉に義之は胸が痛くなる。
確かに自分もその大学出身だ。でも、こんな風に判断されているとは思っていなかった。
まぁ少しは「やっぱ有名大学は就職に有利だよな」と何となく思っていた。
実態はそれ以上にえげつなかった。
岡田君達に聞いた。特に加藤さんが憤慨しながら語ってくれた。
「国立大学(勿論、上位3大学だけで、後はほぼ100%と言っていい程、履歴書の入った封筒を開けられる事も無い。第一、「リクルート活動などまだ行っていない。政府が公にしている通り、『採用解禁日』は『7月1日』から」なのだから)の人なら、少なくとも1回は電話をかけるように言われてる。最低、留守録には声を入れる。
でも私大(これも勿論、選ばれた2大学のみ)は生徒の数だけでも沢山いる。そして、国立大学から優先されるから、どうすると思う?もうくじ引きみたいなものよ。沢山ある履歴書の中から無作為に選ばされ、それ以外は「保留」の箱へ一直線。そうして運よく選ばれた履歴書も、半分以下は保留箱入り。私たちも最後の頃には麻痺しちゃって、何を基準に選んだのかわからなくなっちゃった。もう、『この人達も、無作為に、どこでもいいから「入れる会社」を求めて履歴書を出しまくってるんだ。だから私たちも無作為に選んでもおかしくないんだ』なんて思い始めちゃって・・・毎晩、一人の部屋で自己嫌悪に陥っていたわ。男の人達はいいわよね、毎晩居酒屋で反省会しているそうじゃない。私も茨木の独身寮に泊めてくれた方が、どれだけ嬉しかったか・・・」
「会社案内で、『採用担当者の声』みたいなコーナーがあるじゃないですか?あの人なんかは、殆ど理系の大学院採用に駆けずり回っていて、文系の方は、GWが終わってから漸く少しこっちに顔を出しただけ。実際、担面(担当面接)までの人物を選んでいるのは、越谷さんと僕ら、そして、応援に来てくれている山田さん、スズッキー(何故だか鈴木は、その人柄のせいもあるのだろう、「スズッキー」と呼ばれていた)の同期です」篠原君は静かに続ける。
複雑な表情をしながら、それでも笑顔でスズッキーはその会話を見ていた。
スズッキーはは東京、そちらでも私立は野球の定期戦で有名な2校が殆どを占められており、他の有名私立でも各大学1人位しか採用されない、言ってみれば、今、話題になっている大学よりも、更に厳しい大学から選考され、採用されたのだ。聞いていて嬉しい話である筈がない。
「おい、加藤」それを察したのか、岡田君が、話を続けようとしている加藤さんを小さく制した。
「いいよ。僕がどこの大学出身かは、勿論知っているだろう事は分かっているよ。だから、こうして採用活動に関わって、どんな事が行われているか知って、驚いた事はあったけど、それは仕方ない事だって事も分かっている。だって、繊維業務課で仕事をしていて、付き合いの大きい会社を優先して加工を依頼し、結果、余裕があったり、加工生産量が過剰になった時だけお願いする、本当に仕事が欲しい零細企業に仕事を回せない事がままある。どれだけ仕事を上げたくても、大手の加工会社にそっぽ向かれたら、ウチのテキスタイル事業は成り立たないからね。
だから、君たちの話も気にならないよ」そうスズッキーは言うと、彼の魅力の笑顔をみせた。
まぁ、仕方ないのだろう、義之もそう思わざるを得なかった。
本当に勉学を求めて、一流と呼ばれている大学に入る奴もいるが、殆どの人が、次の、社会でのレールに、よりしっかりとしたモノで、そこにより簡単に乗る事を求めてその大学に入学する為、努力している。
それは、採用する側にも如実に見られる。
矢張り、入試と言う競争に敗れた人、安易に入学出来る大学を選んだ人は、残念ながら実社会の競争でも敗れやすく、安易な道は無いのだ。
人事部長も面接の結果を自分の中で熟考してはいるのだろうが、殆ど結果はリクルーターの考えと一致している。別に日和見してリクルーターの意見に委ねている訳ではない。
現に、ニコニコ笑っているが、眼は冷たく光っている。
誰それがカッコ良かったとか美人だったとか、どうでもいい情報に関しては、口には出さないが、眼が「何、意味ない事言ってんだ?お前ら、人事部ってのがどういう部署かわかってるだろ?お前らの人事権も最終掌握しているんだ。報告は簡潔に短く、的確に、と部署で指導されていないのか?それも知らない奴に、希望の仕事を与えられると思うか?希望される部署ってのは、競争過多なんだよ、分かっているよな?」と、長ったらしいが、兎に角、「簡潔な報告も出来ないバカは、会社にいらねぇよ」と、はっきり語っている。
それが普段からの会話から分かっているので、義之達も本気で学生と接し、結果、ほぼ部長の判断と、控え室でさりげなく、でも冷徹に学生達を見ている義之達との意見は殆ど割れる事はなかった。
念の為の確認と、追加の情報を得る為、こうやってリクルーターの義之達と話をしているのだ。
そこに、会話にあった通り、大学によって考査の順序が変わるのは、それでもやっぱり義之には合点がいかない部分もある。それは自分がその大学だったからかも知れない。
結果、役員面接(これが実質最終面接で、社長面接は、最終的な学生の意思確認の場だった)に向かわせたのは、3,2で、取り合えず4番は保留となった。
「なんでですか!昨日、あの娘にしようと確認したじゃないですか!だから、昨晩、加藤から電話させたんですよ!」
6月も後半に差し掛かる頃、思わず義之は青木人事部長に声を荒げてしまった。
男女雇用機会均等法が制定されて10年にも満たない。まだ各企業も女性の総合職の対応に苦慮していた。
だから先ず、男の採用枠をほぼ決定してから女性の採用となる。それも一応人数は決まってから、男の枠が増えたら、女性で採用人数を調節する。男性の採用人数がほぼ確定的になってからなので、女性の採用は短期決戦だ。何とか電話や喫茶店での面談で繋ぎ止め、男性枠のほぼ確定後、一気に担面、課面、部面と進めていく。
「大学の友人の男の子から、御社の部長に会ったとのお話を耳にしたのですが」と、喫茶店で聞かれる事もあった。内心冷や汗をかきながら、
「ごく一部、進んでいる人で、そういう人がいる事は認めます。でも、それはごく、ほんの少数の、限られた人です。でなければ、こうやって会っていますか?」と答えて、なんとか納得して貰って、繋ぎ止めていた。
そして、ようやく6月15日に採用統括から女性の本格的採用へのGOサインが出て、何とかここまで繋ぎ止めてきた娘達に連絡し、担面、課面、部面と進めた矢先の事だった。
正直、義之には辛い時間だった。本音で言うと、女の子の方が応対もしっかりしていて、自分の考えを持っている。そして何より、時折ジャブのように繰り出す厳しい質問にも怯えず答えてくる。「あんな冴えない男採るんだったら、女もっと採れよ」と義之は思っていた。
特に、女性唯一のリクルーターである加藤さんは、もっとそう思っている事だろう。
一昨日、昨日で絞り込んだ女子の学生の部面を20人一気に行った。そして、その中から5人(これでも1/4。東京枠と加えてその中から選考されるのだから、女性が如何に就職するのが厳しかったか分かるだろう)、何とか選び、青木部長も納得し、役員面接へ臨んでもらう電話をしたのが昨夜だ。それでも1人は「他社で内定を頂きました」と答えられ、急遽、次点の女の子を選んで、5人を役員面接に上げられるように出来た。ほっとしていた。
男子なら何とか説得して繋ぎ止めようとするが、女性には素っ気なかった。そうする様に指示されていた。女子の求職は幾らでもある。無駄な時間を割くな、との指示だった。
何とか、この娘達を採用して欲しい、リクルーター6人、全員そう思っていた。
なのに今朝になって、青木部長から急に、リクルーター一同全員が、この娘がダントツ一番、絶対この娘を取りたい!と言い、青木部長も同意していた女の子の役員面接は断るように、との言葉を聞かされたのだ。
「そうです!あの娘を採らないで、誰を採るんですか!私だったら、あの娘が採れればほかの娘は要らないとまで思っています!」矢張り、加藤さんも声を荒げた。
・・・
青木部長から言葉がなかなか出て来ない。
漸く、
「・・・あの娘の履歴書は見ただろう?」と言う言葉が、絞り出されるように発せられた。
「そりゃ、みんな、真剣に全ての女の子の履歴書は特に読んでいます。時間もありましたし、何より選考枠が少ないですから。上げる娘の履歴書は、特に目を通していますし、なんなら空で読み上げましょうか?」普段は温厚なスズッキーも抑えながら、震えた声で言っている。
「・・・なら・・・(青木部長が言い淀んでいるのは、はっきり分かった)・・・彼女が『在日』だって事も知っているよな?・・・」
「それは承知で部長も納得したんでしょ!」加藤はもう叫んでいた。
「そうだ・・・でも、会社全体の意思として、『在日』は採用出来ない、『在日』を採用すると、お客様からどんな印象を持たれるか分からない、との判断だ」
「なら、せめて役員面接をして、断ればいいじゃないですか!・・・そうすれば!」加藤の声が部屋に響く。
「・・・無駄に断る娘の面接をしている時間は、役員の方々にも無い。そんなお手間を頂戴する事も出来ない・・・」
「つまり、どんなにいい人材でも、『在日』なら採用しない、って事ですね、我が社は」
それまで黙っていた越谷さんが、他の誰もが言いたくない言葉を、責任者として言った。
「・・・これ以上は言わせないでくれ・・・ともかく、あの娘を役員面接に上げられない、って事を、事だけを承知して、代わりの娘を急いで選んでくれ。後、そのため、役員面接日が3日後になる。明日の予定だったが、人数確定と、役員の方々の都合だ。お願いする」
そう言うと、青木部長はそれ以上何も聞きたくないと、眼を背けて部屋を出て行った。
「仕方ない。後1人の枠を誰にするのか相談と、その娘に連絡。後、他の娘に日程がずれる事を伝えないと」越谷さんが、沈鬱とした雰囲気を振り払おうとしたのか、妙に陽気な声でみんなに言った。
「・・・女、だからですか?『在日』、だからですか?その両方だからですか?・・・男だったら『在日』でも許されるんですか!」加藤さんはこぶしを握り締めながら、声を絞り出していた。
越谷さんにも答えられる訳がない。
「・・・そう決定されたんだ。今は前を向いて動かないと、折角の人材も採用出来なくなるじゃないか」
「決定されたら、それは絶対命令なんですか!なら、『死ね』と言われたら死ななきゃならないんですか!」
「加藤、極論を持ち出すな」岡田君が諭す様に言う。
何より一番最初に彼女に会い、履歴書に花丸を書いたのが岡田君だ。悔しくない訳がないだろう。
ふと義之は大学1回生の時を思い出していた。
同じクラスに面白そうな奴がいた。
そいつと結構遊んでいた。
ある日、学食で少し遅い昼食を食べた後、中庭のベンチに2人腰かけた。
そいつ(何故だか名字が思い出せなかった)は、周りに人がいない事を確認して、こう言った。
「山田だから言うんだけどさ、俺って『在日』なんだよね・・・だから、多分有名な企業には就職出来ないと思うんだ・・・だから頑張って勉強して大学院に入るか、公認会計士になるしかないんだよね。多分」
漸く、そういう事か、と、6年越しに、本当にその言葉が分かった気がした。
その後は淡々と事務手続きみたいに事は進んだ。新しい女の子を選び、電話をする。
他の女の子達に、面接日時が変更された事を伝える。
ただ、誰も『あの娘』に、断りの電話を掛ける事は出来なかった。深夜、終電前の12時過ぎになっても出来なかった。
翌日、加藤さんは真っ赤な目をして部屋にいた。聞かなくても分かる。昨夜は眠れず、泣き明かしたのだろう。その時までは、「泣き明かすって言葉はあるけど、本当に泣いて眠れないってあるのかねぇ。普通、疲れて寝ちゃうでしょ」と思っていたし、公言もしていた義之だったが、彼女の顔を見て、初めて本当の事だと思った。
義之達も、昨晩は茨木駅を降りて屋台村で、本当にしこたま痛飲し、思いっ切り叫んでいた。
「越谷さん、高いものから順番に注文していいですか?」酔っぱらっている岡田君が言う。
「ああ、今日はどんどん頼め!残してもいいぞ!全部、全部人事部持ちだ!予算?知ったこっちゃねぇよ!」越谷さんも採用部屋ではかしこまって青木部長の言葉に、後輩たちの怒りを抑える立場に回っていたが、きっと胸中怒りが溜まっていたのだろう。『採用課長』の肩書は持っているが、義之達のたった3年先輩だ。まだ若いし、本当は感情を抑える事は出来なかった筈だ。いや、青木部長も、きっとそうだったんだろう。
「あのさぁ、『在日』ってだけでダメなんだったら、身体障害者のホーキング博士なんか、ウチの会社、絶対講演会にも呼ばねぇよな」
「で、黒人も採用しない、と。あ、俺、大トロ買ってきますわ・・・え?大トロない?なら中トロでもいいや。ウニはない?ウニ」
「そういやSONIは大学不問で採用しているらしいじゃないですか?あれ、本当なんんですかね?信用出来なくなりましたよ」
「まぁ、あれ位の有名企業なら、それで人材が集まるだろうし、何より財閥系の旧態依然とした会社じゃないしね。やっぱ、ウチのお偉いさんは古いって事だ。あ、マスター、全員に一番高い日本酒!銘柄?どうでもいいよ、とにかく一番高いの!」
どれが誰の声かも分からなかった。
多分、加藤さんはそんな憂さ晴らしも出来ず、一人で泣いていたのだろう。でも、
「今日は内定者への確認の電話と、内定者が辞退した場合の予備の人達との面談。そして夜は明後日の女子の役員面接への確認の電話。お仕事が大変でしょうがお願いします」と、義之達に頭を下げた。
義之は部署に戻ってルーティンの仕事をしながらも、気もそぞろだった。
あの部屋で、何を思って加藤さんは、内定者に電話をしているのだろう。目薬を差して充血した目を誤魔化し、腫れぼったくなった瞼をメイクで隠して面談しているのだろうか。
気がかりだが、こっちも月末に向けて売り上げを何とか確保しなきゃいけない。アポも取らなきゃいけないし、月末恒例の丸刈りも準備しないと。
結局、午後8時になって、やっと義之は「採用部屋」に向かえた。
「あぁ、山田君・・・残念な知らせだ。2番目に本命だったあの娘、煙草会社に内定貰ったってさ」
「え?あの娘もですか!そしたら採りたい娘、ほぼ持って行かれたじゃないですか!」
「・・・そういう事になる・・・この2人が採れればいいと思っていたのに・・・加藤さんが頑張ってくれたんだよ。本当に必死に。でも、本当にどっちか悩んでいたんだって・・・でも、自分は女だから、先に内定を貰えた方に、と決めていたんだって・・・」
「・・・はぁ・・・ほんと、ウチの会社って、バカっすよね・・・」
「もうそれは言うな」
午後11時を過ぎ、最後の仕事が残っていた。あの娘への役員面接の断りの電話だ。
前日の電話は失礼だ。相手も予定があるし、それによって会社の印象が悪くなる事もある。
だが、誰も言い出せない。終電も近づいているし、何より、もう相手に失礼な時間だ。
「私が電話をします」
そう言うと、加藤さんは、越谷さんにも誰にも何も言わせず、暗記していたのだろう、電話番号を押して、もうコール音を聞いていた。
誰も何も言えなかった。
・・・
「はい、○○(会社名)です。××さんですか?・・・申し訳ありませんが・・・」その後の言葉は聞こえなかった。聞きたくもなかった。
「申し訳ありません」「そうではありません」そんな言葉が何度も続き、静かに受話器から耳を外し、加藤さんは電話のフックを指で押した。
「終わりました・・・」加藤さんは小声でつぶやく様に言った。
「ごめん!本当は俺がしなきゃいけない事なのに!」越谷さんが頭を下げる。
「・・・いいんです・・・これは同姓がするべき仕事だと思っていますから・・・ただ・・・」
「ただ?」
「今日は・・・今日だけでいいんです。一緒に茨木の屋台村に連れて行って、寮に泊めて下さい!もう一人はいやなんです!」涙声だった。顔は見る事が出来なかった。
「・・・分かった。バレたら責任は俺が取る」越谷さんはきっぱりと言った。
終電1本前の電車で茨木駅へ向かう。加藤さんは、堪える様にじっと黙っていた。
酔っぱらった親爺達がだらしなく寝ていたり、機嫌よく喋り合っている、今は騒音に聞こえる声が耳に入らないみたいに、加藤さんはじっと、暗い中に時折見える灯りも気にせず、ずっと車窓に視線を向けていた。
茨木駅に着き、駅前のロータリーを右手に入り、春日商店街の手前に屋台村がある。
義之達にとっては、毎晩の行きつけの店。義之も、嫌いな椎茸以外は、気が付けば殆ど注文していた。
一番馴染みの串カツ屋のカウンターに座る。今日は6人だ。
「別に串カツじゃなくてもいいけどさ、美味しいんだよ。加藤さん、何が好きかな?なんでも頼んでもいいよ」
「・・・シングルモルトのウィスキーありますか?」
「えっと、確かグレンフィディックならあったと思うけど?」
「それ、ダブルのショットで下さい」
「大丈夫?」
「・・・お願いです・・・」
「わ、分かった。みんなもそれでいいかな?」
誰も反対する奴などいる筈がない。
「僕が注文してきます」岡田君が言った。
「いや、これは俺にさせてくれ。あ、お盆がなければ、グラスを運ぶの、手伝ってくれないかな?」
「分かりました」
結局、酒屋のマスターが、丁寧に持ってきてくれた。有難い事に、ウィスキーもグラスもキンキンに冷えている。もう6月も終わろうとしている。夏が近づいている。
「じゃあ、お疲れさんって事で乾杯でいいなな?」その越谷さんの言葉を掻き消す様に、
「カンパイなんかじゃないです!」そう言うと加藤さんは一気に飲み干して、
「私・・・私・・・こんな事で・・・こんな事の為に・・・」
後は言葉にならなかった。
ただ、カウンターに顔を埋め、泣き続けていた。号泣していた。肩が震えていた。
誰も、何も言えなかった。
無言でストレートのウィスキーで、ちびりちびりと唇を濡らすだけだった。
一人の夜が余程辛かったのだろうか。今日の2人への応対で気疲れしたのだろうか。
暫くすると、鳴き声は小さくなり、やがて寝息に変わっていった。
閉店の午前3時まで、みんな黙ってお酒だけを飲んでいた。平日の深夜だから、客も殆ど自分達だけだし、料理を注文しないと大きな音もしない。
閉店の時間となり、越谷さんは会計を済ませると、加藤さんをお姫様だっこして、寮までの20分程の時間を、加藤さんを起こさないようにゆっくりと歩いていく。
義之達も無言で歩いていく。
時折電灯の明かりで見える加藤さんの表情は、物言いたそうだが、少し、ほんの少しだけ、誰かが傍にいてくれる安堵感が見える気がする。
それだけが、義之にとっては気を安らげてくれた。
きっと、みんなもそうなのだろう、そう思える夜だった。