仮3
目覚めた時、そこが病室だと気付くまでかなりの時間が掛かった。
「起きたか?」
ベッドの横にいたのは祖父だった。
「? 爺ちゃん? なんでここに?」
「……お前の所属する特別清掃社の班がかろうじて小樽を脱出したあと、旧軍の退役軍人会から連絡を受けてな。テロの後始末をして来た帰りだ」
「9班の皆は……?」
後部ハッチから車外に放り出される3人の顔が浮かぶ。
目覚めたばかりでまた嫌な汗をかく。
しかし祖父は顎で俺に反対側を見ろと指示しただけだった。
「!!」
首を動かしてとなりのベッド見た俺は驚く。
こちらに背中を向けているが、見間違えもなくそれは河乃のデカイ尻。
病室は六人部屋で、その奥に静かな寝息のオオシタが寝かされている。
俺の正面にモリサ。
そのとなりにアッキーと熊主任。
「なんで? 爺ちゃん……」
「お前は札幌人の逞しさを知らんでここに赴任したんだろうな。確かに運の良さもあるが、今回のテロで北方特別清掃社9班は一名の欠員を出しただけだ」
「……それでも誰かは死んだ……痛っ!」
祖父が俺の頭を小突いた。
「馬鹿かお前は……小樽市は三万二千人の死者を出したんだぞ? 狂人病研究が進んでおらねば、もっと死者は多くなっていたんだ、胸を張れ!」
「そんなこと言われても……」
「二十五年も戦争を続けていると、疲弊した国が出て来て、時折こういう馬鹿な作戦で挽回を図ろうとする。それくらいのことは士官学校で習っただろうが。北海道が狂人病研究で世界一だったこと。お前たちがいち早く気付いて通報したこと。たまたま儂を含めた退役軍人会の部隊が札幌を訪問しており、即応出来たこと。これらが重ならなければ、被害は札幌百五十万市民に及んだのだ。死んだ者たちには悪いが、三万二千で済んだのだから、良しとせねばならん」
「……爺ちゃん。9班で死んだのは誰だい?」
「儂はお前の職場の人員名簿までは知らん。確か七番だ」
不二雄だ。俺と同じく軍人落ちで、誰かと喋っていないと不安という障害を抱えていた。一週間しか付き合いはなかったが、何かと話しかけて来ては、バカ笑いする男だった。
「全ての責任は私にあるわ」
そう言いながら入室して来たのは社長だ。
「おう、香由貴。今日も来ておったか?」
「ええ、御老体と同じで暇人ですから……」
胸につけたネームプレートの社長の文字の上から、油性ペンでバツが書かれている。
「社長?」
「ごめんね。社長は交代したの。今の私はただの受付嬢兼4班主任よ。昨日までに交代人事は殆ど終了して、社長には富士村くんが就任したわ」
「……爺ちゃん。俺は一体何日眠っていたんだ?」
「昨日も起きてはおったがな。小樽市内の指揮車内で気を失ってからという意味では、一週間じゃな。狂人病ワクチンの後遺症で、普通に目覚められるようになるまでそれくらいはかかるものじゃ」
「それでもアッキーの応急処置が遅ければ、9班は全滅するところだったわ。班員に必ず一人狂人病研究者を混ぜておいたのは功を奏したけど、清掃社の被害は社長退任ではペイ出来ないくらい酷いものよ」
「不二雄が死んだんですね?」
「ええ、あなたもだけど、不二雄は先月9班に配属になったばかりで、予防接種を受けていなかった。河乃と付き合い始めたばかりだったのにね……そのショックで河乃は辞表を出したわ。それと、ベッキーが精神を病んでしまってリタイヤよ。彼は軍人出身ではないから、清掃には向いていたけれど、戦場やテロ現場には向いていなかった。そのベッキーと付き合っていたアッキーも辞表を提出して受理されたわ」
9班内での恋愛は特に禁じられていないが、こういう被害が出た場合、連鎖的に辞めてしまうのは頷けた。
「副主任と喜多川、ナオミの姿が見えませんが……」
「……あの子は無傷……ごめんなさいね。親バカだわ……」
祖父に肩を叩かれ、元社長は俯いてしまった。
「クニちゃんも無事じゃ」
「……クニちゃん?」
俺の疑問符と同時に喜多川が入室して来た。
「あ? お爺ちゃん、鈴板主任、こんにちは。野洲舵さん起きたんですね?」
頭に包帯を巻いているものの、元気そうだ。
「お爺ちゃん?」
「ええ、この一週間ですっかり仲良くなりまして……」
一週間意識がなかっただけで、世の中は進むものなんだな。
この気難しい祖父を手懐けてお爺ちゃんなどと呼ぶ喜多川は天才じゃないだろうか。
「ところで剣」
「ん? なんだい爺ちゃん」
「お前はどうする? 儂としては9班というのがベストメンバーであったので、空軍から落ちたお前を香由貴に預けたが、この先どうなるかわからん。他の仕事を用意することも可能じゃぞ?」
「……ここへの出向を命じたのは爺ちゃんだったのかよ?」
「まあ、儂の一存ではないがの。弘史と和江からも強く要望されたのでな。空で訳のわからん、見えもせん敵に跡形もなく吹き飛ばされるよりは、陸地で死体くらいは残って欲しいと思う親心じゃよ」
「……爺ちゃんや両親より先に死ぬ気はないよ。新社長が俺を必要だと言えば残るし、クビだと言えばそれまでだ」
「富士村くんは君のことを気に入っているわ……」
「そうですか、それではこれからもよろしくお願いします」
暫く歓談したあと、祖父と元社長は帰る。
他の班員が起きることはなかった。
一人残った喜多川は祖父が使っていた椅子に腰を下ろす。
「野洲舵さんのお爺さんは面白い人ね」
「ああ、あの爺ちゃんのモットーは『人生冗談』だからな……小樽でのあのあと、一体何がどうなったんだ? 爺ちゃんの話では札幌に戻れたみたいだが、車外に落ちた河乃とオオシタはどうして無事……でもないが、生きていられたんだ?」
「私も気を失っていたからあまり知らないけれど、天狗山の中腹まで来て安全を確認した主任と副主任が回収したみたいです。不二雄くんも遺体の回収は出来たんですよ。二人が指揮車を離れている間は、ナオミが一人で守備してくれたんです」
「そうか……不二雄は残念だったな……主任からある程度命の危険がある仕事だとは説明されたが、二度目の出動でこんなことになるとは思っていなかった。俺の考えの甘さに腹が立つ」
実際、特別清掃社の仕事を俺は甘く見ていただろう。
動かない遺体の山を片付けることはあっても、生きている人間、しかも一般市民に襲われるなんてことは想定していなかった。
「しかし……副主任の報告書を読んだ時は半信半疑だったんだが、狂人病のワクチンなんてものが実在したのには驚いた。軍でも正式採用されていない薬だよな?」
「ええ、それは……その……」
喜多川が珍しく口籠る。
未認可の薬を製薬会社でもない特別清掃社が持っていて使用しているというのは確かに問題があるだろうが、彼女の態度はそれ以外を示しているように思える。
「それは僕から説明するよ」
左腕に点滴針をさした姿の副主任が入室して来た。
「狂人病に感染しない人間がいるんだよ。全世界で十三人だけね。その一人がたまたま北方特別清掃社の社員で、研究対象になり、ワクチンの開発に成功したんだ。それでも感染によって零コンマ零何某パーセントの細胞は死んでしまうんだけどね。今回は処置が早かったから、犠牲は最小限で済んだって話だよ」
「……確かにそのお陰で、俺はこうして生きている訳だが……俺の観察眼で見られない気がする副主任という存在が、その狂人病に感染しない人間と関連するのか?」
「……そうなるかな。そういう意味で僕は、全世界に十三人しか確認されていない狂人病にかからない人間で、普通とは言い難い。だから剣の鷹目でも観察しにくいんだと思うよ」
二週間経って初めて明かされる大伊豆副主任の正体。
ある種の特殊能力による妨害で俺の観察眼を曇らせていたんだとは思っていたが、確かに俺の観察眼は『普通』の人間に向けられるもので、特別な人間を観察するようには出来ていない。
「二年前の清掃業務で、今回と似た状態になったことがあるんです。あの報告書に書かれていた被験者Aは私です」
「……喜多川は今回が二回目の感染で、アッキーの処置してくれたワクチン注射が妙に早く効いたのもそのせいか?」
「はい」
「あの時はまだ僕がそういう人種だとは誰も思っていなかったからね。今も全世界で猛威を振るう狂人病の特効薬はないとされているんだよ。零コンマ何某でも、脳にダメージは与える訳だし、その薬で脳細胞が復活する訳でもないから、完全に治せるとは言い難いんだね。発見は偶然だった……その時の車両班は僕と喜多川さんとアッキーだったんだよ。アッキーは元々その手の研究者だから、未認可の薬とか使って予防していたし、僕は狂人病に感染しないのは運が良いからくらいにしか思っていなかったんだ。今回と同じで防護服を着用していなかった車両班で喜多川さんが発症してしまい、アッキーを吹き飛ばして僕に襲いかかって来た。僕はその時運転手でね。アッキーが副主任だったんだ。発狂状態の喜多川さんが僕の頭に噛みついた……今でも歯型は残っているかな……」
11歳の小学生に運転手をさせているのもどうかと思うが、車の免許事体は札幌のローカルルールで小学生にも取得可能だ。
「頭に噛みついた時に、僕の髪の毛を数十本噛み千切って食べたんだ。それが劇的な効果を生んだ。今まで発症したが最後と言われていた狂人病が、僕の髪の毛を食べて治ったんだよ」
「そういえば、俺がアッキーに注射されて動けなくなったあと、副主任は自分の髪の毛を抜いて俺の口に押し込んだな……どこの呪いかと思ったが……副主任の髪がいつも短いのはその実験に髪の毛を提供しているせいか?」
「まあね。僕自身髪を伸ばしたいとも思わないんだけど、実験に必要な量は毎月会社に提出しているよ」
「そうか……」
頷いてから、ちょっと思い当たることがあり、俺は考え込んでしまった。
「野洲舵さん、大丈夫ですか? まだ無理は出来ませんから、横になって休んでください」
喜多川が俺の顔を覗き込む。
「いや、違うんだ。別に具合が悪い訳じゃなくて、爺ちゃんが俺を9班に送り込んだ理由を思い付いたんだよ」
「か……元社長に頼まれたからじゃなくて?」
「ああ、それもあるんだろうが、本当の目的は俺の観察眼で見抜けない副主任の首改めだ。そう考えれば、全滅した空軍パイロット落ちの俺をここに送り込んだ理由がわかる。俺に副主任の予備知識を与えなかったのは、そういう意味だったんだ」
「首改め? なんの為に?」
「俺が副主任を見通せないからだ。喜多川には話したかも知れないが、俺の観察眼は万能じゃない。爺ちゃんは俺が副主任を見通せないことを確認させる為に俺を9班に送り込んだ……」
「……僕を見通せない。イコール狂人病にかからない人間を判別出来るって寸法? でも、それは随分確率が低い確認方法なんじゃない?」
「だが、藁にもすがる思いなのも確かだ。ちなみに副主任と同じ力を持つ他の十二人は日本人なのか?」
「いや、日本人は僕一人だね。他は同盟国の人間ばかりだよ」
「日本人では副主任一人……爺ちゃんは旧軍の頃から軍人で、今も退役軍人会の会長なんだが、二十五年前からの戦争で多くの狂人病感染者を殺して来た……それは勿論味方も含めての話だ」
その祖父が妻である俺の祖母を殺した本人でもある。二十年以上祖父は祖母の死を抱えて来た。
見た目ではわからないが、祖父は狂人病を心の底から憎んでいる。
戦争がそれだけで起きている訳ではないが、狂人病を排除出来れば、世界の紛争の半分はなくなるだろう。
そこに光明とも言える情報、つまり副主任の情報が入った。
祖父はその情報収集を始め、現在も進行中。
だが、思ったよりワクチン能力者の数が集まらない。
現在どこかの紛争地域で殺し合いをしている兵士や一般人の中にも、ワクチン能力者がいる可能性があるのに、見分ける術がない。
そこで登場するのが孫である俺という訳だ。
俺の観察眼能力の出来ない部分を使って、ワクチン能力者を見分ける術を確立することに情熱を向けているとしたら……
俺はそこまでで考えるのを止める。
いや、考えてしまったのを後悔する。
祖父が俺を北方特別清掃社に出向させる目的で謎のFPA部隊を送り、俺の同僚たちを屠ったのではないかと考えてしまったからだ。
確かに、今回の件でも小樽で三万二千人の死者が出たらしい。
でも、札幌百五十万市民に被害はなかった。
その考えを当てはめると、たかだか十五人のパイロットの死で、全世界の紛争が解決するなら安いものじゃないか。
「それはダメだよ」
気付くと副主任が俺の頭を抱き締めていた。
その上から喜多川が抱き締めている。
「……俺は声に出していたか?」
「うん。剣のお爺さんがその考えを持っていたとしても……それを剣が思ってはダメだよ」
「野洲舵さんのお爺ちゃんがそのようなことを考える筈がありません!」
二人に両側から抱き締められるのはちょっと恥ずかしいな。
喜多川、胸が肩に当たっているぞ……胸?
俺は顔を動かして副主任の位置を確かめる。鼻の辺りに平らだが明らかに男のものではない膨らみと柔らかさを感じる。
13歳だったよな。
ノーブラってことはないんじゃないか?
「副主任、スマンが離れてくれ……その……俺は副主任の胸に顔を埋めた状態だ……」
「僕は気にしない……それに、今更女扱いしないでくれるかい?」
こうまでされないと気付けない俺の目ってなんだよ。
観察眼が聞いて呆れる。
俺の包帯だらけの頭に、滴が数滴落ちて来た。
喜多川がぐずっている。その涙らしい。
こうして、ちょっとした祖父への猜疑心を持ったまま、俺は9班に残ることを決めた。
更に二日経過。
この病室は清掃社の中にあるらしく、辞表の受理された元社員を別の病院に移すことが決定され、河乃とオオシタのベッドが病室から消えた。
オオシタは最初に狂人病を発症し、指揮車内をパニックにしてしまったことと、更に彼女を抑えつける為に犠牲になった不二雄に責任を感じてしまったようだ。
代わりと言ってはなんだが、アッキーは辞表を取り下げた。
ただし、現場班への復帰は無理だと判断され、9班付きのラボ要員になった。
「一気に五人減ったか……寂しいものだな」
ナオミと喜多川に執務用の机を運び込ませた熊主任は、ベッドの上にやっと起き上がれる状態だ。
残った9班の中で最も重傷は熊主任だった。
「取り敢えず人選は元社長に任せてあるが、当分は出動要請が来ても動くことが出来ん状態だ。補充社員が入るまでの間に、いくつかやっておくことがあるので、全員に集まってもらった」
この場にはアッキーもいるが、ラボ要員に転属になったので欠員扱い。
番号で言うと一、三、六、七、八が欠員になった。
「まずは番号を少し詰める。俺の主任と大伊豆の副主任は変更なしだ。ナオミを一番とし、野洲舵はそのまま二番、三番を喜多川、四番をモリサとする。五番以降は新人が入った順番にしようと思う。少なくとも現場班がもう一人入るまでは出動要請はない。それぞれ怪我を治し、訓練を継続してくれ」
「ベッキーの復帰は無理ですか?」
ナオミが心配そうに訊く。
熊主任は首を振った。
「ショックが大き過ぎたようだ。今は普通の社会人に復帰するのも無理な状態だと主治医から報告を受けた。清掃人としての腕が良かっただけに残念としか言えん。そんな訳で現場班は訓練が主になるが、指揮車班は活動可能な範囲で動ける。軍や警察から今回の小樽でのテロの情報も入っているから、その処理と整理を頼む」
「了解」
「俺が富士村さんの班の副主任から昇進して9班を立ち上げてから、随分色々なケースのハプニングに巻き込まれたが、今回の衝撃は大きかった。9班創設以来のメンバーは俺とモリサだけになっちまったな」
「ああ、あんたとは長い付き合いだ。札幌防衛戦の市民軍に参加した時以来だからな」
モリサはいなくなった班員を含めても最年長で42歳だ。出身は旭川方面だと聞いた記憶がある。
札幌でうどん屋を開業してすぐに侵攻戦に巻き込まれ、妻と子供を失ったらしい。
ナオミはその札幌防衛戦の時は9歳の子供で、両親を失って兄弟と逸れたところを熊主任に拾われた。
熊主任の育て方が良かったのか悪かったのかは別として、三年前まで陸軍に所属して各地を転戦していたという。
比較的軽傷軽症だった俺と喜多川、副主任は、小樽で壊れた指揮車の清掃と新規機材の搬入を行い、車だけならいつでも出動出来る体制づくりに精を出した。
「これで指揮車に運び込むものは終わり?」
流石に大型機材に関しては俺一人で運び込むことが出来ず、ナオミとモリサに手伝ってもらった。
こういうのもどうかと思うが、力仕事に副主任も喜多川も向いてはいないからな。
同じ女性でもナオミは陸軍に所属経験がるから、力仕事に向いている。
「ああ、ありがとう。助かったよ」
「あ、ナオミさん。この前言っていた軍払下げ品の中にあったコンピューターソフトの件ですが……」
喜多川がナオミに話しかけている。
9班の生き残りは皆気丈に振る舞うことの出来る連中だ。
「ああ、あれね。使えそうだった?」
「はい。四十年前のソフトでしたけれど、現行軍にはないシミュレーションソフトが内蔵されていて、我が社ではかなり使えそうです」
言ってなかったかも知れないが、喜多川はそっち方面のプロだ。
俺と副主任は運転席と助手席に別れてモニターのチェックと新しいソフトのインストールを担当し、喜多川が拾いものだと表現した四十年前のソフトとの互換を調整した。
指揮車のガラス面は全て対砲弾用防弾ガラスに変更され、その作業はナオミとモリサが担う。
「理論上の装甲は小樽に出動した時の倍以上。ちょっと『鼻』が長くなっているのは、対砲弾使用だから、運転しにくいかも知れないけれど、慣れてね」
「ああ、『鼻』の長さなら戦闘機の方が長いから、すぐに慣れるよ」
「そうか、そう言えば野洲舵くんは空軍のパイロットだったんだな」
ナオミと一緒に作業を終えたモリサが話しかけて来た。
「ええ、もう落ちちゃいましたけどね」
「君のような若く優秀なパイロットを手放すとは、空軍も落ちたものだな」
「……モリサさんは空軍に知り合いでもいるんですか?」
「ああ、札幌防衛戦の頃知り合った人がいる。俺の妻と息子の遺体を回収してくれた恩人だ」
「パイロットが市民の遺体回収をしていたんですか?」
「ああ、あの頃は軍人も一般市民も区別なくそういうことをしていたんだよ。俺が札幌に出店したうどん屋は清田区にあってな。千歳と恵庭を攻略した敵軍が北広島を拠点にして真っ先に攻撃して来た地域だ。攻撃が始まった時俺はデリバリー車で配達途中だった。真駒内方面から旧軍の戦車隊が来てすれ違った時には、もう俺の店は吹っ飛んで無くなっていたんだ。勿論店の中には妻と息子がいた……」
モリサがこういう話をするのは珍しいらしく、皆作業の手を止める。
「俺は無我夢中で、デリバリー車を味方の戦車隊に追突させてまで店に戻ろうとしたんだが、戻ることは出来なかった……妻と息子を探す為にボランティアの避難所で手伝いをしている時、その空軍パイロットに出会った。名前は確か……川塚剛志空軍大尉だったな……」
「……現在は二階級特進して川塚空少将です……」
俺の発言が意外だったらしく、皆の視線が俺に集中してしまう。
「亡くなられたのか?」
「ええ、俺がここに出向した原因は知っているでしょ? 俺が生き残ったあの空戦で、俺に編隊を離れて上空監視を命じた部隊長は川塚中級空殺佐でした……」
「そうか……惜しい人を失くしたな……コーンパイプの似合う日本人離れした人だった」
「ええ、そうでした……その川塚さんが札幌防衛戦に参加していたのを俺は知りませんでしたよ。どんな活躍をしたか聞かせてください」
「ああ、彼は津軽海峡戦で被弾し、緊急で札幌に運ばれた怪我人だったんだが、ヘリの操縦が出来るということで、臨時の物資運搬パイロットになったんだ」
それも俺は知らなかった。
「俺は応急救護の免許を持っていたから、そのヘリに同乗することになってな。激戦の北広島市と白石区の間を行ったり来たりさ。何度も清田区の上空を通り、大尉とも家族の話をするようになった。俺の家族はあのガレキの中に眠っているという話だ……その話を聞いた大尉は随分と他人の為に泣いてくれてな……ある晩、単独でヘリに乗って清田区の俺の店だった跡地に飛んでくれた……」
「遺体って……清田区が攻撃されてからどれくらい経っていたんですか?」
「ああ、あれは奇跡だった。攻撃が始まったのが真冬だったせいでもあるんだが、ひと月経っているにも関わらず、妻と息子の遺体はたいした損傷もなく、氷漬けで回収されたんだよ」
「あたしが主任に拾われた頃ね?」
「ああ、その後俺は御通田と知り合い。札幌防衛戦を市民軍として戦い抜き、戦場の後始末をするこの会社の立ち上げにも参加した。俺のような思いをしている人々に、一人でも多くの遺体を届ける為にな……遺骨もなく葬式を出すというのは、遺族にとって辛いものなんだよ」
成程、それはそうだろう。
俺は川塚家で行われた葬儀には参列出来なかったが、棺の中に骨のひと欠片さえ入っていない寂しさはわかる気がする。
「そうか……そういう理由があってモリサさんは9班に入ったのか……」
モリサという心優しい男は、その辛い目に遭っている遺族の為にこの特別清掃社にいるんだ。
……では、俺がここにいる理由はなんだろう?
部隊長を含めた十五人の空軍パイロットの仇討ちの為ではない。
防空司令の辞令に従って出向しただけの落ち武者状態。
俺がここにいる理由は特にない筈だ。
祖父の計略のひとつである首改めの役目といっても、俺が望んだことではないしな。
大体、その考えは駄目だと副主任と喜多川に注意されたばかりだ。
「ナオミはどうして9班に来たんだ? 俺は新入りで皆の素性もろくに知らない……」
「あたし? 徴兵の期間が切れて、主任に相談したら、9班に空きがあるから入れと言われただけかな……」
北海道の守備隊には徴兵制度がある。
現行軍にはない制度だが、確か十年前からだ。
ナオミは現在22歳の筈だから、16歳の時に徴兵にかかったんだろう。六年前は女性の年だったか。
十年前と九年前は男だけだった徴兵だが、八年前から毎年男女交互に徴兵されるようになった。
所謂男女雇用機会均等法だが、数十年前とは意味合いは変わってしまったかも知れない。
半独立国家状態の北海道は、中学三年までに日本でいう高校までのカリキュラムを終え、卒業と同時に社会に出るシステムが構築されている。
全ての公立中学が士官学校と同レベルということだ。
ナオミの今の発言に嘘はないが、隠していることを俺の目は見抜いていた。
それは熊主任への気持ちだ。
9歳で熊主任に保護され、育てられた義父としての尊敬を勿論感じるが、それだけではないだろう。
ミーティング時の立ち位置はいつも熊主任の横。
本当にフィットネスジムも兼ねている主任オフィスに在室している確率。
二度の出動経験しか俺にはないが、現場班で熊主任と分けられた時のちょっとした表情。
これは養父の言うことを良く聞く利口な義理の娘というイメージではない。
そうだな。
これは『恋する乙女』目線を熊主任に出しているとしか言いようがなく、今の作業中も熊主任がいなくて寂しそうにすら見える。
しかし、それはナオミ本人が気付いていない可能性もあるので、俺は敢えてツッコミを入れなかった。
こう言うのもどうかと思うが、熊主任がナオミの気持ちに気付いていない可能性の方が高い気がする。
「徴兵制度か……所属は陸軍だよな?」
俺は頭で考えていることとは別のことを口に出す。
「うん。本当は18までいれば兵役終わるんだけど、一年延長して19までいたよ」
「じゃあ、喜多川が入社したのと同じ頃に9班に来たのか?」
「そうですね。私が入社してひと月後にナオミさんが入社して来ました……」
「喜多川はどうしてこの特別清掃社を選んだんだ?」
「……私の年は徴兵が男の年ですし、義足が今のものよりわかり易い義足でしたから。どの道徴兵には撥ねられたんですよね。18の時にコンピューター関連の仕事に就き、その後鈴板元社長にスカウトされました……正直に言いますと、障害者扱いされない会社を探していたんですよ。前にも少しお話しましたけれど、私はそういう扱いをされるのを嫌う癖がありますから」
喜多川の左足は彼女の精神に大きく負担をかけている。
「そうか……アッキーはどうしてこの会社にいる?」
丁度ラボと指揮車のコンピューター互換調整にアッキーが来たので訊いてみる。
「あたし? そうだねぇ……簡単に言うと『バス爆撃爆発』が原因かねぇ……」
どこの早口言葉だ?
「簡単過ぎて言っている意味がわからねぇ……」
「あたしは十三年前中学卒業してさ。旭川の実家飛び出して札幌でバスガイドしてたんだわ」
今の白衣姿のラボ要員からは想像出来なかったが、声の質といい、アッキーはそういう仕事に向いている気もした。
「結構色々あってねぇ……当時付き合っていたバスの運転手といっつもラブラブ観光バス運行していたんだけどさ。開戦初日に千歳から観光客乗っけてたんだわ」
少しさっきの早口言葉の意味がわかって来た。
「人間ってのは、こんなに簡単に国際条約破るんだと思ったねぇ……一般客しか乗っていない観光バスに爆撃しちゃうんだからさぁ……丁度恵庭に差し掛かる所だったねぇ。あの辺りはさほどガイドする喋りもない所でさぁ……いっつも一曲歌っていたんだわぁ」
アッキーは少々北海道の方言が強い。
「そしたらあんた。爆撃機が『なまら』飛んで来てさ。バンバン爆弾落としてさぁ……」
『なまら』とは沢山とかそういう意味だった筈だ。
「一瞬でバスに直撃さ。あたしだけ後ろ向きだったから、そのまんまフロントガラス突き破って車外に放り出されちゃってねぇ……運転手のカレシもろともバス炎上さ」
「よくあの爆撃を生きて札幌に戻れたな……」
モリサが感慨深げに言う。
「もう無我夢中さ。高速道路の脇から飛び降りて、森の中を一昼夜逃げ続けたんだわ。そしたら旧軍の人に会ってね。なんとか札幌まで運んでもらったんだけど、会社も爆撃直撃で吹っ飛んでいるわ、同僚バスガイドも皆死んでいるわで大変だったんだぁ……避難所に逃げ込んだんだけど、そこも危ないって言うからさ、比較的安全だと言われていた西警察署に逃げて、そこで香由貴ちゃんとばったりさ」
「……元社長はバスガイドだったのか?」
「別の会社の花形だったんだわ。歌は下手だったんだけど、元スッチーってのがウケ良くてねぇ。誰だか知らないけど、旦那って人が一目惚れしたらしいよぉ」
俺は思わず副主任の表情を確認してしまった。
視線に気付いた副主任は、首を横に振る。
モリサは副主任の出生の秘密を知っているらしく、ちょっと視線をアッキーから外している。
「まあ、そんで電撃結婚してガイドの仕事は退職してたんだけどさ……お腹に子供もいて、お腹パンパンだったしね……それでもその旦那とかと一緒に市民軍率いて戦っていたって言うんだからすごいよねぇ」
「アッキーはその市民軍には参加しなかったのか?」
「そったら15やそこらのガキンチョバスガイドがいても邪魔だべさ? その時のあたしに出来たのは、札幌の被害を写真に収めてネットに流すことくらいさ。それが精一杯のあたしの反戦運動だったね」
「反戦運動?」
「そ。真っ黒焦げの元人間の写真とかさ、モザイクなしでネットに流すのさ。そういう写真見て興奮するバカばっかりの世界なら、あたしももう人間辞めたかったけどねぇ。悲惨な写真を見て一人でも多くの人間が世界の現状を知り、一人でも多くの人間が持っている拳銃を捨ててくれたら……立派な反戦運動だべさ?」
成程。
「そのパソコン作業をコソコソやっていたんだけどさ。ある日香由貴ちゃんに見つかってね、三時間説教されたあと、それをメインに会社作らないかって誘われたんだわ……」
「それが特別清掃社の母体?」
「そうだよ。香由貴ちゃんと富士村社長、熊ちゃんとモリサ、あたしとウレちんが代表になって作った会社だからね」
意外な展開で出来た会社だったんだな。
「ウレちんとはあのピザとパスタの店のマスターか? やたらと牛乳を勧める……」
「うん。反戦思想の違いでウレちんはすぐに辞めちゃったけどねぇ」
「ん? そんな会社の立ち上げに協力したアッキーとモリサはどうして主任クラスじゃないんだ?」
「そりゃあ、そうなれたら良いとは思ったけどねぇ……人間には向き不向きがあるって話さ」
「そうだな。俺は市民軍に参加していたが、後方支援だった。戦場の勝手を知っている富士村や香由貴さんや御通田が上にいるのに疑問はなかったな」
適材適所というやつだな。
アッキーもモリサも現場班だが、俺が来てからの二回の出動で目立ったことはなかったからな、そう言えば、反戦運動が北方特別清掃社の社訓の中に入っていたことを思い出した。
「ところで、剣ちゃんはどうしてこの会社への出向を断らなかったんだい? 空軍の上級殺尉って言えば、幹部候補じゃない?」
アッキーに痛い所を突かれた気分だ。
班員に喋らせておいてなんだが、俺にはそんな大層な理由がない。
「……実はよくわからねぇ」
言葉にしてみたが、あとが続かなかった。
俺の実家は確かに軍人一家で、少々普通とは言い難いが、同じ戦中の国に育って、こんなにも考え方が違うものなんだろうか。
それとも俺が自分の意見を持たなさ過ぎなのか。
「……剣ちゃんの鷹目はすごい能力だと思うけど、少し自分を観察してみた方が良いかもねぇ」
これも痛いな。
アッキーがラボに戻り、俺たちは作業に戻る。
俺の頭からはアッキーの言葉やモリサ、ナオミ、喜多川の言ったことが渦巻いていた。
「剣」
副主任に声をかけられたが、俺は少し黙っていたようだ。
「ん? ああ、スマン。皆の話が俺にはすごく羨ましくてな……呆然としてしまった」
「……人の生き死にの話だよ、自慢話じゃない。それに、人の考え方は千差万別って言うでしょ? 賛同出来る話もあれば、思いもよらない話もある。か……元社長や主任にも言われたと思うけど、この9班は変わり者の集まりだから、あんまり真剣に考えない方が良い。今まで空軍にいた剣を僕は知らないけれど、ここに来てからの剣は余計なことを考え過ぎていると思うよ」
そうだろうか?
今まで両親や祖父の言うことを忠実にこなして来ただけで、アッキーが言うようにもう少し自分を観察すべきなのかも知れないと思ってしまっている。
「……先程の話で俺は副主任のことを訊かなかったが、訊いても良かったのか?」
「僕のこと?」
副主任は俺の発言が意外に聞こえたようで、作業の手を止めた。
「……特筆するような事柄はないと思うよ。下手すると基本的なことは剣の方が知っているんじゃないかな?」
「いや、基本的な身体データの話ではなく、どうしてこの会社にいるのか? とか、どうして一人称が僕なのか? とかな……俺が気になっていることは結構あったりするんだ……」
なにを言い出しているんだろう?
「そうか……そう言えば剣は僕が女であることも見抜けなかったって言っていたもんね。答えても良いけど、それ以前に、剣は本当に僕に興味があるのかい? ただの清掃人の方が何倍も楽に生きられる可能性を捨ててまで、僕の正体を暴きたい?」
「……副主任の正体? なんかヤバそうな話だな……興味がないと言えば嘘になる。9班の皆が知っているのに、俺が知らないという事柄だけで頼みたいな」
「僕の報告書を見たでしょ? 僕は見たままのこと……ありのままの事柄を文書にする能力しか持っていない。だから、まとめられないし、なにか重要なことだけ包み隠す方法がよくわからないんだ」
「成程……それもそうだ。当人に訊くより俺の観察眼をもう少し信じるとしよう。副主任は俺の上司で元社長と現社長の子で、女の子で13歳。副主任の表現をそのまま使わせて貰うと、まとめられない異常に長い報告書を制作する癖があり、清掃現場でのモニタリングと指示能力は子供とは思えない。狂人病ワクチンを作れる体を持ち、その体を持つ人間は同盟国内に十三人しか確認されていない。狂人病にかかってしまった9班員を救い、俺の命も救ってくれた恩人だ……ここまで間違えないよな?」
「……か……元社長と現社長に大事にされているのは事実だけれど、僕は二人の正式な子じゃないよ? そりゃあ生まれた瞬間から二人が両親だとは思っているし、二人とも僕のことを本当の子供のように扱ってくれている……でもね、ここは今も戦時中の札幌なんだよ。主任とナオミみたいな例がたくさん転がる、人間の命が妙に軽い街。それを忘れちゃいけないよ?」
「そうか……アッキーが言った元社長の妊娠イコール副主任だと思ってしまっていたようだ。スマン。」
「ああ、あれは紛らわしい表現だよね。現社長の妹のことは知っている?」
「……ああ、大伊豆と言う名の市民軍に参加した富士村社長の友人の妻にして妹……成程、最初から答えは用意されていたのに……俺の目はここに来てからどんどんバカになっているようだ……」
「まあ、僕もその大伊豆夫妻のことを資料でしか知らないんだ。剣の鷹目が壊れた訳じゃないさ。他は基本的に合っているけどね。この前の小樽の時は9班員を助ける為に小樽市内で一般市民を主任と一緒にかなりの数殺してしまったからね。命の恩人はやめてくれよ」
「俺が気を失ったあとの話か……ナオミを指揮車防衛に残して熊主任と狂人病者の群れと化した小樽市内に戻ったんだったな……それも意外だった。こう言うのもどうかと思うんだが、副主任が人を殺すのに向いているようには見えない」
「……それは僕の最大の秘密でね。それを知ってしまうと、剣はもう後戻り出来なくなるよ?」
副主任は少し自嘲気味に笑い、助手席での作業に戻る。
俺はその秘密を知ってしまっても良い気分だったが、その質問を口に出すことが出来なかった。
9班の補充要員が来たのはそれから三日後。
元社長が厳選したという新しい9班員はまたもや変わり者が多かったとしか言いようがない。
「……どうして?」
そう呟いたのは副主任だ。
それもその筈、熊主任に連れられてオフィスに入って来た連中は、俺も見たことのある副主任と同じ学生服を着た四人だった。
「大伊豆には紹介の必要もないかも知れんが、皆は知らんから紹介だけ簡単にしておくぞ? 鈴木野から自己紹介しろ」
「はい。班員番号五番を拝領しました、鈴木野14歳です」
「同じく班員番号六、須藤有子です。」
「七番北嶋有紀、十五歳です。よろしくお願いします」
「俺は八番、睦木ッス。皆からはロッキーって呼ばれてます。よろしく!」
「……誰も呼んでないって!」
熊主任の説明によると、四人は副主任と同じ学校の生徒で、更には副主任が所属する生徒会メンバーなんだそうだ。
生徒会長北嶋、副会長須藤、書記鈴木野。
ロッキーとやらは雑務担当で北嶋を崇拝する恋多き男だそうだ。正式には生徒会メンバーですらないという。
喜多川とナオミが少々ひく程の若さを持つ班員が補充された。
元社長の目論見は一体なんだろうな?
熊主任の回復力は流石だが、左腕はまだ完全とは言えず、暫く訓練も兼ねた清掃業務が行われた。
現場は俺の時のような大規模なテロ現場ではなく……そうそうそんな大きなテロが起きても困るんだが……殺人現場や交通事故の処理が多かった。車両班は変わらないが、現場班はナオミとモリサを筆頭に三人ずつの班に別れて研修を行った。
「流石に俺が行かない訳にはいかんだろう……指揮は大伊豆に任せるが、監視役くらいはせんとな」
そう言いながら指揮車に熊主任が乗り込む。
今日は俺にとっては十度目の出動となる現場で、少し規模が大きい。
副主任の先輩にあたる4人の新人は流石に札幌生まれ札幌育ちとしか言いようがない。
人の死に馴れているという意味だ。
「死者八、重軽症者八十二、行方不明四。犯行は昨日正午頃。犯人グループは外国人籍の四人で、在住は白石区。警官隊との銃撃戦の末、一人を除いて死亡を確認」
「……最後の一人は?」
「逃走中とのことです」
喜多川の読みあげる資料に目を通しながら、俺は指揮車を高速道路に向けた。
モニターが指揮車のフロントガラスと連動しているので、運転しながらでも読めるようになった。出動時間までの車両班ミーティング時間短縮を図る為なんだそうだ。
「夕張の銀行になんの用があったんだろうな?」
「金銭目的にしては稚拙ですね」
「……あそこの銀行はお金をあんまり置いていなかったけれど、僕の記憶では地下金庫にちょっとしたお宝が預けてあったと聞いたことがあるよ」
「宝? なんだそりゃ?」
「ずっと前の戦争で使われた銃だと聞いたかな?」
「ああ『池田銃』じゃありませんか?」
「池田銃?」
「ええ、随分前の戦争で戦車隊の連隊長が戦死する間際まで使っていた銃です」
「その連隊長の名前を取って池田銃か……そんな博物館クラスの古い銃がどうしてお宝なんだ?」
「対人に関してその銃は伝説的な命中率を誇ったからだとなにかの資料で読みました。別名『十発九中銃』とも呼ばれているとか……」
なんて胡散臭い話なんだ。
「一応気にはなるな。喜多川、その銀行からなくなった物のリストを照会してくれ」
「はい」
「……しかし、なんでまたそんな名銃が北海道の地方都市銀行に保管されているんだ? 今名前の出た池田なる人物の出身地かなにかなのか?」
「僕もそこまで詳しくないけれど、連隊長さんの従者が持ち帰って、暫くは札幌に保管されていたんだよ。まあ、そういう博物館とか美術館とかは札幌に集中していたし、開戦直後に攻撃されて焼失しちゃった物も多かったから、焼け残った物を地方都市に分散して保存したんじゃないかな?」
「そうか……」
祖父に訊けばなにかわかるかも知れないが、先日の考えが完全に消えた訳でもなく、仕事中に電話をかけて訊くのも気が引ける。
そう思っていると、ラボのアッキーから連絡が入った。
『熊ちゃん。ちょっと問題発生したから、高速の出口付近で待機してくれる?』
熊主任の顔色を窺うと、停まれと目で合図された。
指揮車を減速し、高速道路の脇に停車。
「何があった?」
『この前の小樽の件でちょっとした新事実が判明してね……乗り捨てられた潜航艇の中から指令書と思しき焼けた文書が見つかったんだけどさ。熊ちゃんたちが出動したあと復元作業が終わってね、そっちの言葉が読める人間探して訳してもらったのよ。そしたらさぁ、今熊ちゃんたちが向かっている銀行強盗バカと指令書の内容が一致しちゃったんだわ』
「……それは、小樽市内で狂人病ウィルスによるテロ以外の指令があったということだな?」
『そうなんだわ。小樽のテロが防衛隊の目をくらます囮作戦で、本命は夕張の銀行だってさ』
熊主任に喜多川が銀行からなくなった物のリストを渡す。
受け取って眺めた熊主任の顔が蒼ざめた。
「池田銃とやらが確かに紛失物リストにあるな……成程……こいつはマズい」
副主任と俺が見ているモニターにもそのリストが映し出され、全員が熊主任の言葉を受けて視線を移す。
「!!」
「そんなっ……!?」
「これは我々の業務ではないな……」
『流石は副主任と剣ちゃんだねぇ。もう紛失リストに辿り着いてたかい? 小樽で大規模なテロを行って防衛軍の視線をそっちに集中させ、正規のルートで入国したスパイ四人が夕張で行動を起こすのが目的だったらしいよ。数年前から疲弊を隠せなくなった某敵国が必死に探していた物らしいんだわ』
「……池田銃は遺跡級のFPA装備品である……だと?」
FPAがデラックスな宇宙服だと説明したと思うが、その表現は曖昧で『服』ではなく『鎧』だと表現も出来る。そもそもFPAは単品ではなく、熊主任の携帯電話のように『人間の体の中に内蔵、或いは手に持って使用する物』なんだ。
池田銃もその類だと紛失リストには書かれている。
つまり、体内に隠しておけるコンパクトさと、持ち主の考えを反映して即応出来る性能を持ち、空軍の戦闘機より早く動き、撃墜されることなく戦場を去る。人間そのものが兵器であるというコンセプトで作られた宇宙用の鎧なんだ。
これは一見しただけでは武器だとわからない。姿形は人間だからな。
空軍の所属部隊が俺を残して全滅した時、俺は地上を歩く人影を見ている。
だが、それがFPA当人なのかという区別はまったく出来ていない。
俺が低空飛行で見た人影は、こちらに銃を向ける兵士ではなく、どこかに逃れる為の避難民の列だった。
「……狂人病ウィルスとFPA。どちらもこの大戦が始まってからの物だと思われがちだが、開戦前から存在し、研究対象になっていたことは軍部でも有名だ……百年以上前の戦争の遺物でも、使用可能と敵国は判断し、狙っていたということか……」
「……地上でのFPA使用を敵国は容認していると?」
「長い戦争で疲弊しきった敵国が、国際条約を守らず、一般市民を巻き込んだ狂人病テロを起こした。国際世論は勿論こちら寄りで、かの国は窮地に陥る。更なる戦局打開に選ばれたのが、この国が保管する使用可能なFPA装備品の奪取と使用だとしたら……」
「……FPAは個人装備だから、生きている人間から奪うことは殆ど不可能だね。それなら遺跡級でも使用可能な死人の体から剥ぎ取ったものを奪う方が研究するより何倍も早い」
「アッキー、防衛軍に通報しろ。生き残りの一人がその銃を使う可能性があるなら、俺たちは夕張には入れない。特別清掃社の装備で対抗出来る事件ではないからな……それと、鈴板4班主任に連絡し、札幌在住のスパイリストを早急に作らせてくれ。大都市攻撃と占領が目的ならば、北海道で最も危険なのは札幌だ」
『そうみたいだね……』
モニターに映るアッキーの視線が通信室の窓の方に向いた。
続けて、小さいが爆発音をマイクが拾っている。
「アッキー!? どうした!?」
『……緊急避難警報だわ……トリプルAクラス……情報収集室もかなりのパニックみたいだよ。今ここから見える範囲では『テレビ塔遺跡』が半分に折れたのが見えている……なんて破壊力だろうねぇ……』
「主任!! 警察で追跡していた犯人はどこまで追えているんです!?」
「こちらに来ている情報では、俺たちが通って来た高速道路の反対車線を逃走中だとあったが……それは一時間前の情報だ……」
『これはヤバいかな……あたしはラボ預かりになっているベッキーを地下の避難シェルターに移すから、あんたらはそこで命令通り待機してたらいいさ……ありゃ? 1班と4班が出動する気だよ……』
「富士村主任と鈴板主任が!?」
「相手がFPAならあの二人でしか対抗出来まい……」
「主任。どういう意味です?」
俺の問いに熊主任は口をへの字にして黙ってしまう。
モニターの先にいたアッキーはラボの人員をまとめて退避準備。
「俺たちはここで待機しているしかないのか……?」
副主任は黙ってモニターを操作し、ラボでの大騒ぎではなく、他の市内を見渡すカメラ映像に切り替えている。
「ふう……札幌百五十万市民の命か……」
ため息と共に副主任は呟き、俺の方をチラッと見た。
「主任……」
「おう? どうした、大伊豆?」
「僕と剣を残して、全員引き連れて夕張に行ってくれるかな? 札幌が戦場になっていても、仕事は片づけなきゃダメでしょ? バイトくんたちのトラック一台借りたいんだよね……」
今回の清掃業務は久し振りに少々大きいので、アルバイトを雇っている。
俺の指示に従ってそのトラックも指揮車の後方に二台停まっているが、副主任の考えが見えて来ない。
「待て。札幌は社長と元社長に任せておけば大丈夫だ。お前が行く必要はない……」
「……武器の性質上、FPA同士の戦いでは数が多いから勝てるという訳ではないよ」
「FPA同士だと?」
俺は副主任の方を見て訊ねる。
副主任が初めて普通の女の子に見えた。
俺から視線を逸らし、もじもじしている。
「主任、後生だから……僕と剣の二人にしてくれないか?」
「……わかった。全員降車! 喜多川は簡易端末を持って向こうのトラックで指揮、他は防護服着用でアルバイトたちと一緒に移動だ! 早くしろ!!」
「了解!」
「了解!!」
熊主任の圧力に全員が準備し、指揮車を降りて行く。
全員の降車を確認した熊主任が、最後に運転席と助手席の間から顔を出し、副主任に一言苦言を呈す。
「お前は親に似て本当に馬鹿野郎だ……」
俺はなんだか展開がよくわからない。