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(俺が)巫女服好きだと!?  作者: 大久保ハウキ▲
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仮1


「野洲舵上級空殺尉。本日をもってその任を解き、北方特別清掃社への出向を命ず」

 上級空殺尉か……昇格した時は結構感動もあったんだがな。こうなっちまうと、その大尉より上の位が邪魔だよな。

先週の空戦で死んでいれば、俺は二階級特進で中佐になっていた訳だが、今の宣告はわかり易く言うと、クビだから天下れという意味だ。

殆どの若い男が軍に志願する時代だからな、定員オーバーは空軍だけじゃない。

軍上層部は、増えすぎた兵士の階級を細かく分けた。

俺の階級は上から数えても下から数えても15番目の位だ。

つまり、切り捨て易い階級ってことだ。

まあ、一般の会社に出向だから、天下りとも言えないか。

「ハッ!」

 俺は防空司令である中級殺佐に敬礼し、オフィスのドアをなるべく静かに開け廊下に出た。

沸々と湧く怒りをなんとか抑え、所属飛行部隊の倉庫まで歩く。

倉庫内では、俺より先に呼ばれた部隊員や作業員たちの撤収作業が既に始まっている。

俺より後に呼ばれる隊員はおらず、一様に表情が暗い。

俺のように出向を命じられる兵士がいないからだ。

現在残った部隊員中俺が最上位で、その俺が出向という扱いであるから、それより下の兵士はリストラ対象だろう。

先週の空戦で、俺以外が全滅するという失態を起こした部隊の解散は時間の問題だった。

とにかく、空軍兵士は余る程居るからな。

部隊を解散させる理由を上層部は欲しているんだとしか思えん。

その空戦で俺は一発も撃てず、敵を一機も見ないという屈辱を味わった。

撃墜される寸前の同僚からの通信で、敵が国際条約違反のFPA部隊だったことは判明しているが、国籍の特定には至っていない。

俺はその時、部隊長の命令で編隊の上空2000メートルを飛んでいた。

俺が雲に入った瞬間に地上から飛び立ったFPA部隊の急襲を受け、雲から出て救援に向かった時はもう空に誰もいなかった。

焼け焦げた戦闘機燃料の黒いような茶色いような煙を残して、俺の所属部隊は全滅した。

俺が生き残った最大の理由は敵機視認の為に部隊を離れていた為だ。

現在倉庫には俺の機体と予備の二機があるが、一昨日からパーツを抜かれ、飛ぶことも不可能になっている。

親に会わせる顔がねぇ。

意気消沈の部隊員の肩を叩きながら、俺は部隊長のオフィスに入る。

先週まではノックをしてからの入室が当たり前だった場所だ。

そこに、あの陽気なコーンパイプを咥えたオッサンの姿はない。

腕の良いパイロットだったし、人望も厚かった。

だが、戦場はそんな面白いオッサンに簡単に死を与える。

「戦争なんてそんなもんだ……俺も沢山撃墜して、敵のパイロットを簡単に殺して来たじゃねぇか、いつか逆になることなんて考えていたら、軍になんか入らねぇよな」

 呟いて言い聞かせるが、納得する訳もない。

生き残ったパイロットが遺品を片付け、遺族に手紙を書くという慣例があり、俺は全滅したパイロット全員分の遺族に手紙を書き終えていた。

字はぐちゃぐちゃだが、かろうじて読めるだろう。

それをまとめて郵便ボックスに放り込む。

あとは当番兵が配達してくれる、最悪の郵便配達任務だ。

俺が自らの足で配って歩けと言われるよりマシだと思わなきゃ、やってられねぇ。

この一週間で一生分の片付けをした気分だ。

十五人分の片付けだからな。

生き物を飼う趣味の奴が部隊にいなかったのは、不幸中の幸いだと思わねばならん。

「それでも……生きている限りは、糧を得ねばならん……か」

 部隊長の椅子に座って、部隊の思い出に浸っている俺の視界に見慣れない物が見えた。

俺宛ての封書が机に乗っている。

司令が口にした会社のパンフレットだ。

言われてみれば、北方特別清掃社は名前しか聞いたことがない。

俺のような軍人崩れの行きつく先のひとつだという認識しかなかったので、詳しい業務内容を知らない。

まさか空軍除隊後まで考えて軍人になった奴なんていないよな?

俺もその一人だ。

ぱらぱらとめくってみる。

「…………エグイ会社だな」

 そんな呟きが思わずこぼれる。

特別なんて文字が付いて、軍人崩れが採用される理由は、パンフレットを開いてすぐに理解した。

見開きで不発弾処理の様子と、どう見ても遺体の写真が載っているんだからな。

ただの掃除屋じゃないとは思っていたが、想像以上だ。

 更にページをめくると、パンフレットを作った奴の精神を疑いたくなるようなグロテスクな写真が踊っていた。

「つまり、戦場の後片付けがメインの掃除屋って訳だ。俺みたいな空軍落ちが居られる場所とも思えんが……」

 20歳で上級空殺尉に任命されることは殆どないんだが、今までは運良く生き残り、職業の変更を強要されることはなかった。

つまり、パイロット以外の仕事をしたことがない。

そして空戦の場合、相手の遺体を片付けるなんてことはまずない。

空中で粉微塵になった機体とパイロットを片付ける必要もないからだ。

「これは、陸軍落ちの行く場所じゃないのか?」

 15歳の時、初めての空戦で六機撃墜し、中尉扱いで空軍に配属された。

その六機のパイロットには悪いと思うが、俺はその行く末を見てもいなかった。

脱出装置を使わせなかったのは記憶に残っている。

つまり、俺は敵兵の死を視認したことが一度もない人殺しだ。

 このパンフレットを作った人間は仕事と割り切って写真を掲載しているんだろうが、俺は人間の死体に慣れている訳でもないし、それを見て悦に入る人間でもない。

 どう考えても人選ミスとしか思えなかった。

更にページをめくると、赤ペンで丸が乱暴につけられている個所を発見する。

『指揮車両運用者』

 これが俺の配属先らしいな。

成程、指揮車両の運転手か……そこに車両の写真と運転席の写真がある。

戦闘機に比べると簡単な操作パネルだが、普通に運転する車とは言えない。

ハンドルの横にトリガーがついているからな。

指揮車とは名ばかりの戦車、或いは装甲車と考えて良いだろう。

それでも、他のページにある死体の山に比べれば、マシな写真に思える。

「……はぁ……行くしかないか……」

 俺はパンフを閉じて、自分の荷物を片付けた。

 これで俺の夢であった、十六機の編隊を指揮する佐官への夢は断たれた訳だが、生きて行くには仕方がない。

ここに配属された俺より下っ端の兵士は、職探しをせねばならんのだから、職業安定所に並ぶよりはマシな扱いだと感謝しなくてはならないだろう。

俺が生まれる前くらいから、この世界は戦争だらけだ。

 ルールの決められた人殺し合戦は、二十五年前から行われている。

一.ヒロシマ級以上の核爆弾の使用禁止及び、首都及び大都市圏への空爆禁止。

二.大規模戦闘の場合、その戦闘開始を正午とし、七十二時間以内に戦闘を終了する事。

三.戦闘終了後、ただちに勝敗を算出し、戦勝した国は戦場の回復を全て国費にてする事。

四.人間外能力者の戦闘投入禁止。

五.地雷機雷の設置禁止。広範囲殲滅型爆弾の使用禁止。

六.対人戦の場合、自動小銃及び拡散弾の使用禁止。

七.対人対空戦における、FPAの戦闘参加禁止。

まだあるんだが、俺が覚えているのはこれくらいだ。

これらのルールを決めた当時の世界首脳陣がアホだと思うのは当然だ。

確かにこのルールにより、一般市民の犠牲は減った。

だが、戦争が日常と化し、或いはゲームとなり、終わらなくなったのも事実だ。

そんな開戦二十五年目の春、俺は空軍を強制的に除隊する羽目になった訳だ。

釧路からの上陸許可を貰った俺は、軍服のままで釧路港の岸壁に降り立つ。

津軽海峡は現在敵勢力下に落ちており、仙台石巻から択捉島に渡り、そこから国後島経由の定期船で船旅になった。

昔は北方四島などと呼ばれ、旧軍より更に前の軍が敗戦したあと別の国が占拠していたが、五十年程前に日本のものとして返還されている。

そんな話し合いで済んでいた時代は、遠い昔だ。

 春先の筈だが、釧路は流石に寒い。

駅の傍で屋台ののれんをくぐり、妙に真っ直ぐな麺のラーメンをすすり、清掃社の本部がある札幌まで中国からの輸入新幹線を使って行く。

 青函トンネルを破壊され、津軽海峡を封鎖された為、北海道は独自に新幹線を同盟国の中国から輸入運用している。

一応ここも日本ではあるが、首都東京よりも北海道は人種が多く感じられる。

 港から駅までの移動に使ったタクシー運転手はロシア人だったし、新幹線のとなりの席は中国人だった。真札幌駅から特別清掃社までの地下鉄車内にも、多くの外国人の姿を見た。

 十三年前、札幌は当時の敵対国家に攻め込まれ、中央機能を失っていた時期があった。

 函館、室蘭、苫小牧、小樽からの同時侵攻に、道内各地の旧軍は果敢に挑んだが、奥尻島を占領し足掛かりにした敵軍の猛攻に耐えられなかった。

 唯一小樽に本部を置いていた海上保安警察とかいう部署の連中が、ほとんど非武装にも関わらず捨て身の作戦を展開し、敵軍の上陸を阻止した。

 これに関しては国際条約さまさまとしか言いようがない。

 陸海軍の装備と警察の装備はほぼ同じだからな、戦車にさえ気をつければ、互角に戦うことも可能なんだよ。

バランスの狂った敵軍を本土からの応援が来るまでの間、西、北、手稲の各警察署に立て篭もって凌いだ話は、俺が小学生だった頃に美談として教科書に載っていたくらいだ。

 現在も津軽海峡は敵軍に封鎖されているが、上陸した敵は全て撤収させている。

軍属でもない警察官や一般市民が拳銃片手に大立ち回りをしたのは、敵にとっても意外だったようだ。

 この街には、その戦闘の名残と、気風が色濃く残っている。

なんといっても、軍服の俺がまったく目立つことがない。

 そんな札幌の中心部、旧札幌駅のタワー内に北方特別清掃社がある。

受付で事務服の女性に軍からの紹介状を渡す。

ずり下がったメガネが妙に印象的な艶っぽいお姉さんだが、顔の前で手を組み、俺の顔を見つめると、おっとりした感じがなくなる。

俺は思わずその豊満過ぎる胸につけられたネームプレートを凝視した。

『北方特別清掃社。受付係兼社長兼4班主任。鈴板香由貴』

「……失礼しました。パンフレットに社長の名前は書いていなかったもので……」

 思わず敬礼してしまう。

俺を見つめる彼女は、優しいともキツイとも言えない不思議な表情で、俺を上から下まで観察する。

「思っていたより童顔ね? 入行証を作るから、そのけったいな空軍の帽子を取りなさい」

 そう言って、受付の席に座ったままで携帯電話のカメラを向けられる。

「言っておくけど、一度作ったら、二度と写真は変わらないからね。あなたの自信のある表情をしなさいよ?」

 帽子を脱いで崩れた髪を元に戻す暇さえ与えてくれない。

そして、手元にある端末をいじり、アッと言う間に入行証を作ってしまった。

「さて、この入行証を持って十階に行きなさい。それから、明日からは私服で出社して、出来れば毎日違う服で、冬場は違うコートでの出社が望ましいわね」

「はい」

 入行証を受け取り、怪訝な表情をしただろうか。

鈴板社長は男なら誰もが一撃で撃墜されそうな極上の頬笑みを作った。

そして、簡単に出入り口付近にいる背広の男を指差す。

こういうのもどうかと思うが、俺の視認能力は結構良いんだ。

背広の男は俺が振り向いた瞬間に自動ドアの前を離れ、身を隠したように見えた。

「今隠れた人がどうしたんですか?」

「へぇ、履歴にあった通りの目の持ち主ね」

 感心した顔も美しい。

これ以上この社長と喋っていると、どうにかなりそうだぜ。

「今の背広の男はね。某国の雇っているスパイよ」

「は?」

「日本製のちゃんとしたブランドのスーツ上下に、これまたフジ美メガネのちゃんとしたフレームのメガネ。整えられた髪、ちゃんと剃ったヒゲ。どこからどう見ても普通のサラリーマンにしか見えない風貌。一見その辺の商社にでもお勤めって格好よね?」

「ええ、そう見えました……」

「でもね、この会社から15キロ圏内に、彼の勤め先はないの。毎昼休み時間、15キロ以上離れた場所を散歩コースにしているサラリーマンは、東京にもいないでしょうね」

「……近くに住んでいる自営業者という可能性はないんですか?」

 そう質問すると、社長は親指と人差し指で丸を作った。

「ゼロよ。私はこう見えてもね、札幌に出入りする全ての人間の顔を瞬時に覚えられるという特技の持ち主なの。少なくとも、正規の手続きを踏んで入国した人なら、全てここに入っているのよ。向こうは私のその能力にすら気付いていない、三流以下って訳」

 頭を指差す社長の仕草に惚れそうだ。

しかし『陸』にはとんでもない人間がいるもんだ。

「しかし……どうして北方特別清掃社を海外のスパイが見張るんですか?」

 俺は尤もな質問をしたつもりだったが、社長は呆れたように微笑し、椅子から立ち上がり背伸びして俺の頭を小突いた。

「国際条約の第三項は知っているでしょ?」

「……戦闘終了後、ただちに勝敗を算出し、戦勝した国は戦場の回復を全て国費にてする事」

「そう、だから……その第三項を破らせるには、どうすれば良いかしら?」

「……清掃社人員の暗殺或いは会社本体へのテロ攻撃……しかし、民間扱いの清掃社への攻撃は第八項以下の条約で禁止事項の筈ですし、大都市圏への攻撃も禁止事項のひとつなのでは?」

「そうね、だからスパイが必要なのよ。ただ、某国にはスパイ運用のマニュアルが欠落しているのね。情報操作能力も三流、諜報能力も三流、実行能力は流れ以下よ。この街はね、十三年前からいまだに戦中なの。三流以下のスパイが泳がされずに闊歩出来る街ではないのよ」

 つまり、俺がちらっと見た背広男は社長に泳がされていることに気付いていない三流以下って訳か。

恐ろしい街に来たんだな。

「それから……」

 社長がメガネを元の位置に戻し、表情もおっとりした感じに戻す。

「はい……」

 この代わり身の素早さに驚嘆しながら、俺は思わず固唾を呑んだ。

「私の事は社長室以外では香由貴と呼んでね?」

「!!」

 あまりに可愛いので、思わず抱き締めたくなる衝動が俺の頭を走る。

 この人にハニートラップなんぞ仕掛けられたら、俺は一撃で撃沈だ。

 その旨承知し、俺は足早にエレベーターに乗る。

十階のオフィス9が俺の職場であるらしい。

仕事の詳細は主任に聞けと言われた。

エレベーターから降りると、受付にいた社長とは別の意味で、奇妙な人間に出会う。

いや待て。

この会社では人物像で評価するより先に、ネームプレートを確認した方が良さそうだ。

『特別清掃9班主任。御通田熊』

 熊?

「おう。お前さんが新入りだな?」

 外は春先だが、まだ上着が必要な程寒い。

これは俺が内地から来たからか?

 しかし、その恐ろしくたくましい胸板と先程の社長のウェスト程もありそうな二の腕を惜しむことなく剥き出しのタンクトップはどうだろう?

「ええ、野洲舵です。よろしくお願いします。」

 心で思ったこととは別のことを口に出来るようになったのは、空軍勤務のお陰だ。

「おう。まずは顔合わせと行くか。出入りも激しい職場だから、顔覚えた瞬間に蒸発しちまったりするけどな」

 やっぱり、壊れ気味の人間が多いんだな。

戦闘後の戦場処理なんて役目を請け負う会社だから、まともな神経の持ち主に務まる訳もないか。

 エレベーターを降り、左側の全てのフロアが9班だった。

「よぉーし! 9班全員集合だ!!」

熊主任が左手を耳にあて、大声で集合の合図を送る。

掌にスピーカー、手首にマイクを埋め込んでいるんだ、これは軍でもよく見る光景だ。

この十年で携帯電話は小型化を重ね、今では頭に埋め込む技術もあるという。

ただ、体に機械を入れることに抵抗のある人間はいまだに携帯電話を持っている。

香由貴社長は携帯電話を持っていたことから考えるとそういう世代だろう。

女の年は見た目じゃわからんな。

各自に割り当てられている部屋から廊下にわらわらと人が出て来る。

タンクトップは熊主任一人だ。

熊主任のオフィスは突き当りにあり、俺の周りを囲むように班員たちがついて来る。

思ったより女性が多い。

男は殆ど戦場勤務なんだから、当たり前か。

左側にいる女性は社長と同じくらいの身長で、かなり筋肉質。

後ろからついて来る班員はまだ確認していないが、一人目立って太い人がいたな。

主任オフィスは、フィットネスジムにしか見えなかった。

主任は事務机の上に腰掛け、他の班員は思い思いの場所に腰を下ろす。

軍隊であれば、全員運動場二十周は言い渡されそうな態度だ。

「まあ、楽にしてくれ。ここは空軍でも陸軍でもないからな」

「はい……」

 そう答えたが、俺は軍隊での生活が長いので、足を少し広げて『やすめ』の姿勢に移行するのが精一杯だった。

「ん? 大伊豆はどうした?」

 熊主任が見渡し呟く。

俺のとなりを歩いていた筋肉質の女性も同じ仕草をした。

俺はネームプレートをチェックする。

『9班の5。ナオミ』……遂に名だけになったか。

 5は班員番号か。

欠番がないならば、彼女は9班の五人目という扱いになるんだな。

「まだ来ていませんね。トイレで考えごとじゃないですか?」

「まったく……ベッキーと大伊豆は遅刻が多過ぎるぞ」

「熊ちゃん、俺はここにいるぞぉ! それに俺はこのひと月で五回しか遅刻してねぇ」

 ベッキー? 男じゃないか。

しかも、整った顔ではあるが、どう見ても日本人だ。

視界には入っているので、ネームプレートをチェックする。

『9班の1。別記重行』

 成程な。

しかし、ひと月で五回の遅刻でよく会社勤めが務まるな。

 そう思っていると、オフィスのドアが開き、無言で一人入室して来た。

「……」

 その姿に絶句する。

 どう見ても子供だったからだ。

これがもう一人の遅刻常習犯大伊豆か。

その胸にネームプレートもない。どうにもゆるい会社だ。

「大伊豆! 新人に示しがつかんだろ? 『副主任』のお前が遅刻するな!」

 は? この子供が副主任?

 ここにいるメンバーで多分俺が最も年下だと思っていたんだが、副主任は想像を超える程の子供だ。

幼く見えるという問題ではない。

 確かに戦中である札幌は、特例で中学生を兵役につけることが認められている。

それに当てはめれば、この子供が中学生で働いていることに問題はないんだが……

「ごめん。トイレで考えごとしてたよ……」

 そして、この子供の性別が俺にはよくわからなかった。

声は低めだが、男の子には見えない。

かと言って、女の子だと断定も出来ない。

妙に中性的な顔立ちで、身長は140センチくらいだろう。

超美形の子役ですと言われれば、信じてしまいそうだ。

「まあ良い、これで全員そろったな。資料は先日配ったものを読んでいるだろうが、新しい指揮車運用係だ」

 敵視以外の視線を集めるのは、あまり得意とは言えないが、視線は俺に集まっている。

 俺の身体的特徴から、経歴、顔写真、全身写真までファイルしているその資料を持っているのに、何か言わなきゃ駄目かね。

 そう視線に込めて熊主任を見る。

「まあ、挨拶なんてガラじゃないよな? 空軍出身者は今までもそんな感じだったもんな」

 俺の横に立ったベッキーがそう言いながら、上等なタバコを差し出している。

戦闘機パイロットは高高度までの飛翔が可能な機体を与えられている為、酸素マスクを地上に降りるまで外さない規則がある。

だから、地上にいる間はこの毒煙製造機が俺の好物だ。

空の上で大気とは違う奇麗な酸素ばかり吸っていると、こういう癖がついてしまうんだよ。

「ありがとう。一服させてもらう」

 素直に受け取るが、非喫煙者がいた場合は吸わないことにしているので、ポケットにしまう。

 全員吸いそうだが、一人子供が混ざっているので遠慮してみた。

「僕に気遣う必要はないよ。両親共にヘビースモーカーだし、ここで吸わないのは僕だけだ」

一人称は『僕』ね……それでも判断に迷うな。

「一応、決まりごととして酒は駄目だぜ。河乃とアッキーはノンベだが、ここでは我慢している。酒は勇気もくれるが、判断力の低下を招くと社長からの厳命でな」

 河乃、番号六。さっきから視界に入っている人の良さそうな太い人。苗字は新屋。

 アッキー、番号三。本名不明。小柄だが、気の強そうな印象。どちらも女性だ。

 顔と名前くらいは一致させておかないと、指揮車両の運転のみしていれば良いという訳でもなさそうだからな。

空軍に女性兵士がいない訳じゃないが、人数比にすれば微々たる数しかいなかった。

この職場は女性票の方が多い場所だと認識する。

「主任、副主任に番号はないと考え、この場に俺を除いて十人いるから、俺は九番か?」

「いえ、先月欠番を出しましたので、野洲舵さんは二番です。」

 答えたのは一人だけ地味な印象の女性で、四番の喜多川と書いてある。

他が全員私服なのに、彼女だけスーツ上下きめているからそう感じるんだろう。

社長が特徴のあり過ぎる美人なら、喜多川は特徴のなさ過ぎる美人だ。

 女性はあと一人いる。

八番のオオシタ、漢字と名はわからず、妙に細い印象。

 発言のない男性が更に二人。

七番の不二雄、こちらは苗字が不明で、少々目つきが悪いが、悪人という印象でもない。

 ラストは九番のモリサ、顔のデカイオッサンだ。

熊主任の年齢はイマイチ不明だが、この中ではモリサが最も年上に見える。

「9班というのは俺も含めて十一人なのか?」

「ああ、基本社員はこの十一人だ。あとは現場状況に応じて臨時バイトを雇う。その際はバイト番号で識別するから、特に覚える必要はない」

「まだ仕事内容はイマイチ飲みこめていないんだが、他の班との連携等はあるのか?」

「それは随時社長が判断するが、社長の率いる4班以外と仕事を共有することはほぼないと言って良い。ただ、社長の班と連携する場合は気合い入れろよ? 4班はヨゴレ中のヨゴレ仕事と言われる程、ハードな内容が多いからな。お前の前任も4班との連携作業中に死んでいる」

 熊主任はそう言いながら、壁に貼られた写真を一枚指差した。

写真の左角にボールペンで2と書いてある。

その周囲には百枚近い別の写真が貼ってあり、全員が殉死者という事だろう。

「毎年三人くらいは死ぬ。酷い時は十一人全滅の場合もあるからな。近い所で言えば、先月3班と8班が主任を残して全員死亡した」

「……随分最近じゃないか」

「国際条約違反なんて国は、この国も含めて結構あるもんだ。俺が主任になってからも、年に二人は死んでいるか……とにかく、人間の命は軽い。そんな時代なんだ」

 確かにな。

空軍でもそんなことは日常茶飯事だ。

「熊ちゃん、仕方がねぇって。軍人は兵士を殺すのが仕事、俺たちは後片付けが仕事じゃん? 分業分業! 割り切らないと務まらないぜ?」

 ベッキーは流石に一番だな、熊主任のフォローが上手い。

 こうして俺は十人の仲間と共に、やった事もない戦場処理の仕事についた。

支給された武器は拳銃一丁と万能ナイフ二本。指揮車両の人員は俺と副主任と喜多川、他のメンバーは現場班と呼ばれ、主任が率いている。

副主任と喜多川に一週間程仕事のレクチャーを受け、俺は実務に入ることになった。

札幌での生活は悪くなかったが、この一週間が正直辛かった。

 どう見ても子供にしか見えない大伊豆副主任の特訓を受けていたからだ。

 車両運用マニュアルを五冊も読まされ、整備マニュアルも五冊読まされ、これまで9班がして来た仕事内容の文書と戦場跡地の映像を見せられた。

この映像を見るのが最も嫌だった。

 どうやら俺が車両から降りて何かをすることはほぼないらしいんだが、車両から降りる現場組の補助はしなくてはならない。

 ちなみに、俺の前任者は車両運用のプロだったが、負傷した現場組アルバイト班員回収をしようと車から降りたところを狙撃されて死んだ。

自動小銃と拡散弾は国際条約で使用禁止だが、狙撃銃は可だ。

戦場跡地にはそういった撤収し損ねた敵兵が潜んでいる場合が多いんだそうだ。

国際条約に引っ掛からない程度に、わざとやっていると副主任は断言する。

 なんとなく同じ車両組の喜多川にも確認したが、答えは同じだった。

 一週間の終わりである土曜に初の現場仕事に出向く。

これは俺が素人だから用意された仕事のようで、車両組三人と現場組四人の組み合わせだった。

 現場は札幌郊外のショッピングセンターで、二日前に爆弾テロが起きた場所だ。

死者三十三人、行方不明者十六人、負傷者三百五十人。

警察の現場検証と犯人特定は昨日のうちに終わり、逃亡中の犯人グループを警察が追跡している最中だそうだ。

 つまり、現場に犯人はおらず一応安全だと確認出来たので出動となった訳だ。

 熊主任とベッキー、ナオミ、不二雄の四人は車内で防護服に着替え、左手に消毒剤散布用のノズル、右手に拳銃を持って車外に出る。俺は指揮車を運転してショッピングセンターの駐車場まで運んで来ただけだ。

「なれて来たら僕の仕事を少し分担してもらうけど、まずは現場に馴染んでくれ」

 言葉少なく副主任は言い、ヘッドセットをつけて助手席にあるモニターを睨んだ。

運転席側にもモニターがあるので、俺もそれを見る。

画面は四分割されていて、それぞれの班員が頭につけたカメラからの映像を受信していた。

画面左上に『主』『1』『5』『7』の文字が表示されおり、これは班員番号だ。

「主任と不二雄は二階倉庫に行って。それから、ベッキーとナオミは一階を調査。車両は裏手の荷物搬入口に移動」

 ショッピングセンターの詳細な図面は社長が用意してくれている。

俺は無理矢理頭に叩き込んだ図面を思い浮かべ、ショッピングセンターの裏手に指揮車を移動させた。

そこには軍払下げのトラックが二台停まっていて、中にはアルバイトたちが三十人程待機している。

「喜多川さん、主任からゴーサインが出たらバイトくんたちに作業内容を説明して内部清掃を始めて。剣はこのままモニター監視」

「了解」

 剣は俺の名前だ。

この一週間で副主任はすっかり俺の名前を呼び捨てにしていた。

 しかし、不思議と年下の子供に呼び捨てにされても腹は立たない。

空軍にいた時も俺は一番年下で、部下からも呼び捨てにされていたので気にならないだけかも知れない。

『大伊豆、こちら御通田。そっちのモニターでこれは映っているか?』

「うん、よく見えるよ」

 二階の倉庫で熊主任が何か見つけたようだ。

 俺もモニターを見ているが、熊主任が手に何か黒い物を持っているようにしか見えない。

「警察は『人間の形』を残した物以外は結構見落とすんだよ」

 え?

『炭化する程焼け焦げているから、倉庫内の商品が燃えたカスにしか見えんかも知れんが、これは『人間の足首』だった物だ。爆発は四か所で起きたそうだから、ここでも起きたんだろうな。床が抜けているから、爆撃弾と同威力の爆発があったと考えて良い』

「DNA鑑定に回しますから、その一帯の物を回収してください」

『こちら不二雄。副主任、こっちの壁にもそれらしい痕跡を発見、マーキングしておくからバイトくんにでも回収させてちょーだい』

 不二雄はそう報告して、暗い倉庫の壁に夜光スプレーで丸を描いた。

「了解。喜多川さん、バイトくんを二班に分けて一組目を二階へ派遣よろしく。ベッキー、ナオミ、一階はどうだい?」

『こちらベッキー、爆発中心部から爆風で将棋倒しになった商品棚を南側に向かって検索中』

『こちらナオミ、同じく北側に向かって検索中、天井の抜けた個所の真下がペット売り場だったみたい。焼け焦げた小動物の死骸だらけ、人間が混ざっていてもこれではわからないわ』

「了解。二階の回収が終わったら、一組目を一階に回し、二組目は捜索を終えた個所から消毒作業と片付けをよろしく」

 俺は車両組で良かったと思った。

熊主任もベッキーもなれているんだろうが、こんな現場には入りたくない。

モニターを見ているだけで具合が悪くなりそうだ。

 郊外型のショッピングセンターの駐車場半分を埋める程のゴミを、アルバイトたちは無言で運び続け、昼過ぎにゴミの山を燃やし作業は殆ど終了した。

燃えカスは熊主任が借りて来た重機を使い運搬用トラックに積み込まれる。

昼を挟んだが、誰一人昼飯を要求する者はいない。

回収された元人間の一部は、厳重な保管箱に入れられ、自前の車に乗ったアッキーが回収しそのまま会社に隣接するラボに運ばれた。

 会社に戻ると居残り組だった三人が厳重装備で出迎え、一人ずつ念入りに消毒液をふきかけられる。

車両組は現場に降りていないが、同じ扱いだ。

 それが終わると大きな乾燥室みたいな部屋に入り、服が完全に乾くまで温風をあてられ、それから各自の部屋に一旦戻り、私服に着替えて主任オフィスに集合となった。

「ご苦労さん。今日は野洲舵の訓練も兼ねた『簡単』な作業だったが、割と収穫はあった。十六人の不明者のうち、十二名分の『何か』は発見出来たからな。殆どが即死だっただろうが、中には生きながら炎に包まれた人もいた筈だ。彼等の冥福を祈ろう」

 三十秒の黙祷。

「主任。私は本日の業務日当を計算し、アルバイトに配給しますので、これで失礼いたします」

「おう、お疲れさん」

 言い残し、喜多川がそそくさと部屋から出る。

 不思議に思っていると、ベッキーが熊主任に声をかけていた。

「熊ちゃん。ご苦労さん会やろうぜ。野洲舵が来てからまだ皆で飲み会とかやってねぇじゃん?」

 ひとつの任務が成功し、皆が無事だった場合、空軍でも近くのバーを借りきって朝まで飲み会というのがあったな。

下戸の隊員はなにかと理由を述べてその飲み会を回避していたのを思い出す。

つまり、こいつらは相当な酒飲みで、喜多川は下戸なんだろう。

「僕は未成年だし遠慮するよ。今日の報告書は『か』……書いて社長に提出しておくから、皆は遊んで来て大丈夫だ」

 副主任は勿論やんわりと断る。

「ああ、俺は先約があるんで、付き合えない」

「おいおい。お前が来ないんじゃ歓迎会にならんじゃないか?」

「ああ、スマン。ちょっと社長に呼ばれていて、一緒にメシを食う約束をしているんだ」

「ほぉ……香由貴さんが……」

 一同に驚かれる。

副主任のみ平常を装っているのがわかったが、俺は敢えて何も突っこまない。

出動前に副主任には断ってあったからな。

「それに俺、酒はダメなんだ。体質でさ」

 これも本当の事だ。

「へぇ。剣ちゃん強そうなのにねぇ……」

 アッキーはいつの間にか俺の事を剣ちゃんと呼ぶようになっている。

「じゃあ普通に反省メシ会やろうや。熊ちゃんと俺と不二雄とナオミ。モリサさんと河乃とオオシタも来るだろ?」

 ベッキーはアッキーの名前を飛ばした。

その理由は多分ラボにあるだろうと予想する。

「はいはい。あたしはラボに明日まで籠りきりですよぉーだ」

 アッキーはDNA鑑定のプロで、研究者でもある。

今日回収した人間の残骸を明日までに解析する任務があるらしい。

「ところで、ひとつ質問してもいいか?」

 そんな和気あいあいの9班員たちに俺は訊いてみた。

「失礼なことを訊いたなら許して欲しいんだが、喜多川は時折左足を引きずっているように見える。足が悪いのか?」

 皆が顔を見合わせた。

これは知らないという意味ではなく、言って良いのか判断に迷う表情だ。

「よく気付いたな」

 一人感心顔の熊主任が答えてくれる。

「喜多川は幼少の頃、今日の現場と似た爆弾テロに巻き込まれ、左足の膝から下がない。あれでも本人は努力して義足だとバレていないと思っているようだ」

「ああ、そうか。それはやはり失礼なことだったな……スマン」

 謝って、オフィスを出る。

後ろから副主任が追って来た。

「ここに来て一週間でそれを見抜いたのは剣が初めてだよ? どうしてわかったの?」

「……俺のお袋もそうだったからさ。まあ、お袋は爆弾テロじゃなく、戦場で方足を失ったんだがな。椅子から立ち上がる時にどうしても『生きている』右足に力が入るし、技術の上がった義足でも、どうしても感覚がずれて引きずる。喜多川の左の靴底が変にすれているのも気になった。それだけだ」

「その観察眼は『鷹目』ってやつ?」

「そんな上等なものじゃない。パイロット以外の生活では、なんの役にも立たん能力だ」

 確かに副主任の言う『鷹目』を俺は有している。

だが、空軍以外で役に立ったことは本当にない。

小学生くらいの時はその観察眼の鋭さが同級生に気持ち悪がられていたのも事実だ。

「ねぇねぇ。3組の野洲舵くんって知ってるぅ?」

「ああ、ちょっとシニカルな顔した人でしょ?」

「あんたちょっと目がおかしいんじゃないのぉ? 彼の噂話知らないのぉ?」

「噂?」

「そう、あの人さぁ。転校してきて一週間で全学年、全クラスの人の名前と顔を覚えたんだよぉ? それだけじゃなくてねぇ……言ってもいないのに、誕生日や血液型まで言い当てるんだってぇ」

「超能力者なの?」

「なんかよくわかんないけどぉ……観察眼っていう能力らしいよぉ」

「気持ち悪いね……」

「そう、キモいよねぇ……」

 と、いうような会話が同級生の間でよくかわされていた。

 気持ちはわかる。

俺もこの能力に関しては気持ち悪いと思っていたからだ。

一人の人間であれば、一週間も観察せずとも、一時間も見ていれば大概のことはわかる。

それは士官学校に入学しても変わらず、空軍に配属されても、陸に降りた今でも変わらない。

「……嫌なのに、どうして口を開いてしまうのか? とか考えているでしょ?」

 確かにそう思っていたが、俺はそんな表情をしていたか?

 思わず副主任を見つめ返してしまう。

 そして、副主任の表情を読めなかった。

「副主任はなんでもお見通しか?」

「いや、僕はなにも知らないさ。『か』……社長が剣をスカウトした理由を聞いていただけだよ。班員は皆剣の能力を知っているけど、実際観察されていることに関して半信半疑だったから、驚いたとは思うよ」

「成程。披露すべきではなかったか?」

「ううん、それは大丈夫。ウチの班員は皆優秀だからね。最初は驚くけど、慣れるのは普通の人間の数倍早いから安心して良いよ」

「そうか……」

 この9班にいる限り、俺は浮いた存在にはならないようだ。

俺を見つけてくれた社長に感謝せねばなるまい。

副主任と一緒に廊下を歩きながらそんな会話をした。

 報告書を作成する為に自室に入る副主任を見送りながら、俺は少し不思議に思っていたんだ。

 ──大伊豆副主任を観察しても、重要なことは何も出て来ない──

 このちょっとした疑問が、副主任を主人公に相応しいと思った最大の理由だ。

 いつの世も、謎の人物というのはそれだけで魅力があるものだからな。

 その謎を抱えつつ、俺はエレベーターに乗り込み、社長の待つ一階に向かった。

 受付には、すっかり普段着に着替えた香由貴社長が待っている。そのとなりには熊主任をも凌ぐ巨体の人物が立っていた。1班の富士村主任だ。

「お、来たかルーキー」

 気さくそうには見えるが、この人もこの世界では有名人だ。

 十三年前の北海道防衛戦の時、壊滅状態にある旧軍を指揮した一般人。

小樽への敵軍上陸を阻止し、そのバランスを崩した張本人。

本土からの援軍が来るまで、札幌を守り抜いた軍神とあがめられる生き神。

その軍神が何故北方特別清掃社の1班主任なのか俺は知らないが、観察するまでもなく、強いことだけは理解出来るし、小学校の教科書に写真が載っている。

 そして、北方特別清掃社にいる理由はすぐにわかった。

あくまで予想だが、副主任と違いこの人はわかり易い。

 社長と二人でメシを食うとは思っていなかったが、すごい大物が一緒になってしまった。

 旧札幌駅の地下道を通り、ススキノまで歩く。

戦中の札幌は地下街の方が活気のある街だ。

 俺が赴任してからの一週間で空襲警報が鳴ることはなかったが、市民の頭には、常に敵軍が国際条約を破ることが想定されている。

「いつもの店でいいかしら?」

「ああ、任せる」

 俺は無言で二人のあとをついて行く。

 ──成程──

 頭の中で北方特別清掃社の相関図が大体まとまった。

俺がどれくらいの期間この会社に留まれるかは別として、人物相関図の作成はやっておいて損はない筈だ。

「野洲舵くんはイタメシ好きか?」

 イタリアメシなのか炒めたメシなのかで返答に迷うが、どちらでも構わない。

空でチューブを通して食う代用食に比べると、陸で食うメシはなんでも美味い。

「ははっ、まだ空の感覚が抜けていないようだな」

 社長が先頭で入った店は、ピザとパスタの専門店だった。

「お? 香由貴ちゃん。いらっしゃいっ!! 富士村くんも一緒かい? 珍しい……」

 大衆居酒屋みたいなノリのマスターが一人でカウンターを仕切る店で、元は和食店なのではないかと思わせるアジアンな雰囲気の小さな店だった。

「そうだったかな? 確かに一緒に来るのは久し振りかもね。上の個室借りるわよ?」

「へい、毎度っ! 注文はどうするね?」

「野洲舵くんは羊肉大丈夫?」

「……ええ、ラムなら……」

「じゃあ、味付きジンギスカンパスタ『4つ』とビール『2つ』、私は『ガラナ』、野洲舵くんお酒は?」

「体質上飲めません。あればで結構ですが『牛乳』でお願いします」

「おおっ! お兄ちゃん素晴らしい選択だ! 牛乳は北海道の宝だからな!!」

 なぜかマスターに褒められた。

富士村主任は体格上二人前いるんだろう。

料理と飲み物がそろったところで、俺の初任務成功の乾杯となった。

「それで? 北方特別清掃社の感想はどう?」

「ええ、陸での生活も悪くないと思いましたよ。まだ一週間ですけどね」

「そうだな、今日の任務は割と簡単だし、危険も少なかったからなぁ……9班についてはどうだ?」

「基本的に変わり者の集まりかとも思いましたが、俺も人のことは言えないですし、面白く観察しています。特に不満もありませんね」

「そうか、それは良かった。別班のことは言いたくないが、あの班はちょっと変わり者も多いからな……」

「それはお二人の『お子さん』も含めての話ですか?」

 社長と富士村主任の箸が同時に止まった。

 あれ? まさか秘密だったか? 俺はまた観察し過ぎたか?

「いつ気付いたの?」

「説明はし辛いのですが……初日の顔合わせで御通田主任のオフィスに遅刻して入って来た時に違和感がありました。中学生くらいの子供が働いている状況は戦中の札幌ならアリなのかとも思ったんですがね。それとはまた違う感覚です。主任も含めた他の班員の態度も気になりました」

「流石に君が連れて来たルーキーだな。俺たちが過去に夫婦だったと気付いたのはいつだ?」

「それはエレベーターを降りて、受付前に富士村主任を視認した時に気付きました。確信はありませんでしたけど、この店に来るまでの会話から、お二人が夫婦ではないかと思いました。表現はし辛いのですが、お二人の見えない信頼感のような物を感じ取ったんですよ」

「全員苗字が違うのに、どうしてあの子が私たちの子供だと思ったの?」

「……一週間副主任から特訓を受けていましたが、時折社長のことを語る時に『か』という文字が入り、言いなおす癖があります。単純に『母さん』と言いかけているんだと思いますよ。それに、この食事に誘われた時にも違和感がありました。確信に至ったのは、御通田主任に社長から誘われている旨を話した時、その場にいた全員が意外そうな顔をしたからです。俺のことをどれくらい買ってくれているかはわかりませんけど、社長と富士村主任の行きつけの店に新人ルーキーで車の運転しかしていない俺を連れて来てくれるのも疑問だったんです。そして遠まわしに9班のことを訊かれた時に、これもなんとなくですけど、お二人が夫婦で、ある特定の人物の心配をしていることに気付いてしまったという訳です。小学生の時教科書に出ていた情報と図書室で見た資料しか俺は富士村主任のことを知りませんでしたが、釧路までの船旅の最中に丁度『札幌制圧作戦失敗ス』という本を読みまして、その中に札幌防衛戦の際、富士村さんを筆頭に、鈴板、大伊豆、御通田という名の仲間がいたことを知りました。札幌に到着し、その本のことは殆ど忘れていたんですが、最近読んだ本に出て来た名前が次々に出て来るので、注意していたんです。もうひとつ気になっていたこともありましたし……」

「なに?」

「小学校の最終学年になった年、教室で担任を含めて議論になったことがあったんですよ。札幌防衛戦の英雄、D・富士村はなぜ突然最前線から姿を消したのか……確かそんな議題です」

「……今時の小学校はそんな議論をさせるのか?」

「八年前ですけどね。本土からの援軍が来て、日本が優勢を取り戻した時、富士村主任はすでに防衛軍にいなかったという記述が教科書にあり、それを教材に担任が俺たち生徒に問題提起したんですよ。俺の意見を最後に聞いたのは、担任なりに俺の観察眼能力を認めていたからでしょうが、俺はその時、担任の考えなかったことを考えてしまったんですよ」

 気持ちがちょっと沈む。

 社長と富士村主任に訊かれたので話始めたが、俺にとってはトラウマになりかねないくらい、突飛なことをその時発言したんだったと思い出したからだ。

 本土からの援軍が来たので、一般人であった富士村は一線から退いた。

 この意見が最も多かったが、そのあとも札幌の市民兵は本土からの援軍を迎え入れ、一緒に戦っている。

答えとしては不充分だろう。

 次に多かったのは、富士村が被弾して怪我をしたのではないかという意見だ。

 しかし、それは想像妄想の類であり、教科書や図書室にある資料からも富士村が被弾した記述は見つけられなかった。

 俺が考えたのはその想像妄想を更に飛躍させたものであり、担任を絶句させてしまったんだ。

「野洲舵。君はどう思う?」

 今考えれば、訊かないで欲しかった。

 ただでさえ俺は、クラスメイトからも奇異の目を向けられている変人扱いだから。

 でも、後悔するのはいつも後日で、訊かれたことに答えない俺はいない。

 俺は黒板に進み出て、チョークを手に取った。

「……さきに断っておくけど、これは俺ならこういう理由があった場合、指揮官であることを放棄するって話だからな」

 一応前置きしたが、小学6年生の同級生何人に通じただろうか。

「仮説だが、彼は一般市民で、当然軍人以外の職業を持ち、家庭を持っていた筈だ……」

 クラス女子から非難の声が上がるが、担任はそれを黙らせた。

別にエロ話をしている訳じゃないからな。

「図書室の資料を読んでいて、このD・富士村が今から五年前、三十二歳だったということはわかっている」

 静まり返った教室で、俺は喋り出したことを後悔しながら、続いて板書した。

「三十二歳の健康な男性で、妻がいて、家庭があったならば、子供がいて可笑しくはないだろ?」

 富士村の横に妻と書き、その下に線を引っ張って子供と書いた。

「最短十八歳で結婚したと考えて、その子供は十四歳だ。十四歳と言えば、俺たちより二歳年上なだけのガキだろ? 敵軍に攻め込まれ、一般市民にも多大な犠牲が出た札幌防衛戦で、この子供と妻が無事であった確証はない。俺の仮説は彼がどうして札幌の為に立ち上がったかというところから推測したもので、それは彼が最前線から去った理由と同じだと考えた」

 俺の言いたいことを理解しているのは担任だけになったかも知れない。

「つまり、彼は『妻と子供を守る為』に立ち上がったんじゃないかということさ。彼が警察官や海上警備隊の連中や生き残った旧軍の兵士をまとめた最大の理由は、札幌を守ることではなく、家庭を守ることだったんじゃないかと思うんだ。これは、彼が少なくとも公務員ではなかったという記述を図書室で見たからだよ。五年前まで世界各地で戦争は起きていたけど、日本は前の大戦から少なくとも百年は戦争を放棄していた筈。一般市民だった彼に国を守るなんていう考えはなかったんじゃないかと思うんだ。じゃあ、どうして彼は戦ったのか? 今の俺の頭で考えられる最も単純な動機は『家族』だ。個人以上の最小単位を考えた場合、それは日本国でも北海道でも札幌市でも区でも町村でもなく、妻子と両親。それを守るべく彼は立ち上がり、守り切れなかったか、守れる状況ではなくなったから、軍を去ったのではないかと考える」

「大体正解だが……小六のガキが言うことかよ?」

 俺の話を聞いていた富士村主任は、俺の過去話を感心するやら呆れるやらという表情で聞いていた。

「俺の実家は曽祖父から軍人一家で、多少普通の子供とは教育の仕方が違ったもので……」

「それで、私をその妻、大伊豆を子供と仮定したのね?」

「ええ、特に悪気はありませんが、空軍にいる時も基地にいる全員の観察は欠かしたことがありません。今回こちらに出向が決まり、社長の特殊能力の話を聞いた時から、その癖は始まっていたようです」

「そして、鈴板がメシに誘い、俺がついて来たことで、確信しちまったか?」

「はい」

 ふたりは肩をすくめ、降参というポーズだ。

「小学六年生、野洲舵くんの見解はほぼ正しいわ。富士村くんは私の夫で、私とお腹の子供の為に立ち上がり、実の妹の夫である大伊豆くんが死んだ時点で防衛軍から身を引いたのよ。実際問題として、プロの軍人が援軍に来たから、身を引いたというのも正しい見解だけれどね」

「そうだな、あの時大伊豆が死んで自暴自棄になった俺は、援軍司令部に出向き函館への突撃進軍を申し出て『野洲舵中将』にぶん殴られた」

「……援軍の司令はウチの爺ちゃんでしたか」

「あら? 知らなかったの?」

「ええ、野洲舵の家では軍事的な会話が禁止されていましたから……婆ちゃんは陸軍戦車隊初の女性指揮官で俺が生まれる前に死んでいますからよく知りませんが、爺ちゃんは海軍特殊上陸部隊指揮官、父は現行海軍上級殺将、母は特別野戦病院看護兵長(大尉扱い)でしたから、家でもそんな会話が成り立っていると信じられているようですが、戦術論はもちろん、作戦内容に関わることを喋る人たちではありませんでしたよ」

「そうか……では君がこの会社に引っ張られた理由も知らなかったのだな?」

「ええ、爺ちゃんには数年会っていませんからね。俺が空軍に仕官した時点で絶縁しちゃったみたいです。爺ちゃんは俺を立派な海軍士官に育てたかったようですしねぇ……そこまで深く考えたことはありませんでした」

「つまり、今の野洲舵くんの考えは、すべて頭の中で作った考えなのね?」

「ええ」

「なあ、鈴板。これはひょっとして、とんでもない『宝』を安く買い叩いたんじゃねぇか?」

「そうかも……私の名前で打診した時はそんな重要なことだとも思わなかったけど……」

 その会話の意味を考えていると、牛乳缶を両手で抱えたマスターが入って来た。

「ウチの嫁さんが別海で仕入れた搾りたて生乳だ! 食べてみてくれ!!」

「ああ、ウレちん。俺はビール大ジョッキ二杯追加な」

 その後、殆ど夜が明けるまで付き合う羽目になった。

 それでも結局、大伊豆副主任が二人の子であり、十三歳であること以外は判明しなかった。

 昨晩は吐くほど濃い牛乳責めに遭い、正直休みたいくらいだが、仕事をさぼる癖はない。

 出社するとにこやかな受付嬢を演じる社長が出迎えてくれる。

俺にあわせてソフトドリンクを飲んでいた社長だったが、日付をまたぐ頃から別人のようになり、楽しい酒を飲む人に変わった。

つい数時間前までベロンベロンに酔っぱらっていた人と同一人物とは思えん。

 エレベーターの中で富士村主任とも一緒になったが、大ジョッキを二杯ずつ頼み水のように飲み干す酒豪に昨日の酒は残っていないようだ。

 出社して熊主任のオフィスに出向く。

副主任が行方不明だったからだ。

「ああ、多分トイレで考えごとだろう。お前もなれて来たなら、報告書の作成もしてもらうことになるだろうが、ウチの報告書はこんなんでな……」

 熊主任の後ろの壁が開き、資料室が現れる。

死んだ班員の写真の貼られた壁が動く機能は初めて見た。

 その中から一冊取り出し、机の上に置く。

 その厚さに俺は驚いた。

今時レポート用紙に手書きだったことにも驚いたよ。

「これを一晩で?」

「大伊豆が副主任なのは、もちろん能力の高さもあるが、俺も含めてこんなに細かく報告書を書ける人間に出会ったことがないからでもある。昨日のお前の観察眼もなかなかのものだが、大伊豆も負けてはおらんよ」

 読んだ訳ではないがパラパラめくると、その手書きの文字は計ったように均一で、乱れがまったくなかった。

こういう書式のワープロソフトがあるのかも知れないが、どう見てもボールペン字だ。

「おはよー……」

 オフィスにアッキーが現れる。

その手には机に乗った報告書の半分以下の報告書を持っていた。

多分これでも徹夜作業だと思える厚さはある。

 続いて喜多川。

こちらはたっぷりと睡眠をとった様子で、昨日のアルバイトたちの給料支払い報告書を持参。

ふたつ併せても副主任の書いた報告書に届かない。

「おう、ご苦労さん。今日は清掃の仕事もないから、二人とも帰って良いぞ」

「よかったぁー……ちょっと仮眠してから帰るわぁ……剣ちゃんおはよー、そしてお疲れぇ」

「ああ、おはよう。お疲れ様」

「それでは私も今日は病院ですので、失礼します。野洲舵さん、お疲れ様です」

「ああ、お疲れ様……病院?」

「ええ、私の足は義足ですから、定期メンテナンスがいるんですよ……」

「おいおい、喜多川。それは暗黙の秘密じゃないのか?」

 驚く熊主任に向かい肩をすくめる。

「気付いていない人の前で無用に喋り、障害者扱いされるのが私の最も嫌いなことです。なんなら車両班ではなく、現場班も出来るところをお見せしても良いくらいです」

「いや……気に障ったのなら謝るよ。スマン」

 俺は素直に頭を下げた。

昨日の質問の件を副主任辺りが喜多川に喋ったのだろう。

 喜多川は怒っているようには見えない。

本人が言ったように、片足がないことを知られるより、障害者として憐れまれるのが嫌なのだろう。

「いえ、謝らないでください。野洲舵さんの能力に関しては資料をいただいていましたから、すぐにバレるとは思っておりました。ただ、私に関することは私本人に訊いていただきたかったのです」

「成程……俺も陰でこそこそ悪口を言われるのは嫌いだ。自分が嫌いなことを無意識に他人にしていたということか……以後気をつけるよ」

「はい、それでは失礼いたします」

 アッキーと喜多川が出て行って、俺は改めて副主任の書いた報告書に視線を落とす。

「主任、この報告書を借りても良いですか?」

「あ? ああ、社外に持ち出さなければ構わんよ。ところで、昨日の社長との食事会はどうだった?」

 考えて見れば札幌防衛戦で富士村主任の仲間と書かれている男だ、知る権利はあるだろう。

 俺はかいつまんで口頭で報告する。

とてもじゃないが、副主任のような報告書は書けない。

「成程……」

 報告を聞き終えた熊主任は、腕組みして何か考え込んだ。

「香由貴さんが富士村さんまで呼んであの店にお前を連れて行ったということは、かなりお前を買っているようだな……ウレちんの店は社長と以外では絶対に辿り着けない不思議店だし、なにより元夫の富士村さんを呼んだというのが凄いことだ……」

ぶつぶつと呟く熊主任の話を半分聞きながら、俺は報告書の表紙に書かれた文字に釘付けになっていた。

『対狂人病者殲滅戦における弊社の役割』

 取り敢えず狂人病について説明しておく。

 簡単に言うと、数十年前に牛に流行した病気の人間版だが、症状が少々違う。

 狂牛病は牛の脳がすかすかのスポンジみたくなる病気で、原因は究明され、予防法も確立されている。

犬を飼ったことのある人間なら、狂犬病も聞いたことがあるだろう。

こちらは文字通り犬が狂ったように暴れ、見境なしに噛みつく病気だ。

 どちらも自然発生する病で、狂人病の名前の由来くらいには使われていると推測出来るが、この病気は人工的に作り出された病だ。

 そう、人間が作り出した病原菌。

 二十五年前に世界各地で戦争が始まるきっかけの病気なんだ。

 原産国は日本だ。

旧軍の中将であった祖父はその事実を公表しようとして更迭、左遷された経歴がある。

 北海道という土地柄は、侵略と蹂躙と嘘の約束と無視という四つの言葉で表せる島で、青函トンネルを破壊され独自の自治を行うまでは、捨てられた大地だった。

そう考えれば、左遷場所として札幌防衛戦の司令に祖父が任命されたのも頷ける。

話が逸れた。

狂人病を作った科学者チームの一人がサンプルを持ち逃げし、日本と険悪だった敵国に持ち込んだまではありそうな話だが、その敵国の研究所がボロ過ぎてサンプルから漏れ出した病原菌を外部に出したなんて間抜けは信じられない。

だが、その目に見えないウィルスを吸い込んだ敵国国民は、完全に冷静さを失った人間になり、日本に宣戦布告もせずに攻め込んで来た。

これは日本だけではなく、周囲にある国で同盟国だろうがなんだろうが構わず攻め込んだんだ。

まさに狂人となり、暴れに暴れた敵国民の遺体を検査した結果、脳が狂牛病の症状で、暴れる原因が狂犬病と診断された。

その恐ろしい病は攻め込まれた国でも発症者を出し、内戦が多発。

またたく間に世界中に広がり現在に至る。

二十五年前から戦争が終わらない最大の理由なんだ。

発病したが最後、死ぬまで暴れ続け、治す方法はいまだに見つかっていない迷惑な病気。

これは大戦勃発後に生まれた俺にも当然潜伏する病だ。所謂キャリアという奴だな。

発症してしまえば敵味方関係なく攻撃するようになるので、発病者を殺すしか対処法はなく、この迷惑な病のお陰で、地球に住む人類の平均寿命が一気に7歳縮まったとされる説もある。

熊主任は俺の話をもう少し聞きたそうだったが、俺の興味が報告書に向かっていることに気付いたようだ。

自室での待機を命じられる。

その分厚い報告書を片手に廊下を歩いていると、副主任に遭遇した。

「あ、剣。おはよう」

「ああ、おはよう副主任」

 この一週間で初めて見る格好の副主任。

 それは学生服だ。

 ただ、それはわかり易い学ランではなくブレザーで、ついでに言えば下がズボンだ。

 益々副主任の性別が判断出来ない格好だった。

 昨晩あれだけ酔っぱらった社長と富士村主任の口からは『あの子』『大伊豆』という言葉しか引き出せていない。

一週間も傍にいて、性別さえ区別出来ないのは初めてだった。

「昨日言い忘れたんだけど、僕は今日登校日だったんだよ」

「……日曜なのにか?」

「うん、僕の通う中学は普段自宅学習で、月に一度登校日があるんだ。仕事を持つ人も多いからね。日曜に指定されることが多いんだよ」

「そうか……じゃあ、今日は訓練なしで、俺は報告書の勉強の為に借りて来たこれを読んでいていいんだな?」

 俺が借りて来たものと似た厚さの報告書を副主任は持っていた。

昨日の報告書だろう。

「え? うん。良いよ……随分前の報告書を借りて来たんだね。ちょっと見せて」

 副主任はそう言って、返事を待たずに俺から報告書を奪い取り、今書きあげて来たらしい報告書を押し付けた。

 パラパラめくって苦渋の顔。

「うーん。誤字脱字が多いなぁ……これ書いたの二年前だしな……これで役に立つと思うかい?」

「ああ、俺は空軍にいた時も報告書は書いたことがないからな。充分だ」

「そっか、それなら良いや。僕が帰るまでに読むことは可能?」

「……自信はないが、何時に帰るんだ?」

「そうだな。今日は生徒会活動もないし、夕方には帰れるよ」

 生徒会活動までしているのか、流石は社長と富士村主任の子供。

「では頑張って読んでみよう。読み終わっていなかった場合はスマン」

「まあ、書式等の勉強に使うのだから、読み終わる必要はないけどね。ネタがネタだから、ちょっと剣の感想くらいは聞きたかったんだよね」

「ああ、わかった。なんとかするよ……ところで時間は大丈夫なのか?」

「あ! やばいぜ! じゃあ、後でね!」

 そう言って副主任は一度熊主任オフィスに入り、報告書を提出してからすぐに駆け出して来た。病院に向かう為の喜多川が乗ろうとしたエレベーターに駆け込み、俺に向かって手を振る。

 手を振り返しながら、思うことはひとつ。

 やはり性別がわからん。

 喜多川に言われたことも思い出す。

こういう場合は本人に訊くのが早い。

 だが、俺は聞きそびれたまま、暫く過ごすことになる。

 ここは戦中の札幌で、俺の仕事はその後片付けだからだ。

そんな私的なことを副主任に質問する時間は与えられていないのが現状だった。


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