狐神の願い
本作はTwitterの
#イラストを投げたら文字書きが引用RTでSSを勝手に添える
より生まれました。
絵は海咲さんが描いてくださいました!
ホントに絵が素晴らしい!
昨晩の雨で少しだけ土が柔らかくなっていた。淀みを一切感じない澄み渡っている空。そんなある日。一人の青年がわたしの家である小さな社にやってきた。
恐らくは迷い込んだのだろう。そうでなければおかしい。
わたしは神だけど、狐神。稲荷神にすらなれなかった無能。そんなわたしにご利益なんて一切ない。彼には何一つ得がない。
誰にだってわたしの姿は見えない。そのはずだった。
「えっ? コリン様?」
「こ、コリン……? それにわたしが見えるの?」
「見目麗しいお姿が見えないはずがありません!」
彼は灰色の着物が汚れるのなんて構わずに地面に膝をつく。
それがわたしと彼の出会いだった。
彼はそれ以降、毎日毎日やって来てくれた。色んなお話をしてくれた。他に誰もやって来なくても、彼さえいればそれでよかった。でも、時の流れは残酷だった。
ある日、彼はパタリと来なくなった。どうしてかわからない。わたしのことが嫌いになったのか、好きな人ができたのかわからない。ただ、来なくなった。その事実だけがわたしの心に重くのしかかる。
それから少しすると白い鳩が一羽飛んできた。わたしの前に降り立つと、ジッとこちらを見てくる。その子の足には何かが結ばれていた。取ってくれた言われているような気がしたので、足から結ばれていたものを取った。
どうやら手紙のようだった。妙に開かなくてはいけない気がしたので、恐る恐る開く。同時に白い鳩が青空に向けて飛んで行った。
『コリン様へ
まずはすみません。あなたのところへ行けなくて。
私はこの度、最近流行りの病にかかってしまいました。治療法もなく不治の病のようです。どんどん力が入らなくなっていて、とうとう呼吸もし辛くなっております。
きっと、この手紙をお読みになさっている時に私は既に亡くなっているでしょう。
ですが、必ず会えます。生まれ変わってでも会いに行きます。私がいる限りお一人にはさせません。
少し待っていてください。ただし、泣くのではなく笑っていてください。あなたの笑顔は可愛いのですから。
あなた様の一介の信者より』
手紙はそれで締めくくられた。
雨でも降り出したのか、手紙にしずくが落ちた。そのせいで彼のキレイな字が、ジワリと消えていく。
やめて! 降らないで! 彼の最初で最期の手紙だから! これ以上、濡らさないで!
願い、空を見上げる。でも、空は果てしなく青い。雨なんて一切降っていない。なのに頬が濡れていた。
アレ? なんだろう?
目頭が熱い。だから、まぶたに触れてみた。手が濡れた。
「うっ…………」
唇を噛み締めて、なんとか声を出さないようにする。
「うわあああああああああああああああ──っ!!」
意味がなかった。声が出てしまう。悲しみを感じているようだ。涙が止まらない。手紙が濡れ続ける。
人間というのは儚くて弱い。簡単に亡くなってしまう。わたしたち神は些細なことならば、亡くならない。でも、人間は耐えられなくて、亡くなってしまう。
どれくらい経ったかわからない。
涙が枯れて出なくなっていた。
大事な、とても大事な手紙を懐にしまう。そうしないとなくなってしまう。わたしの中から溢れてくる彼への気持ち。今のわたしの気持ち。
全て大切なこと。彼を忘れない。絶対に。
あの日から何百……いいや、何千も年を開けた。今もわたしは変わらない。あの日から彼のことは一度たりとも忘れない。そもそも、誰もここには来ない。こんな森の中にある社になんて。
人間たちは発展し続けた。そのために何億……もしかすると何兆もの命を奪った。いずれわたしがいるこの場所の命も奪われる。そうなると住む場所もなくなる。残るのはわたしという霊体のみ。
今はまだ小鳥のさえずりも、風の音も、近くにある川のせせらぎも聞こえている。それらで心は落ち着くが、その安らぎもいずれは奪われる。
安らぎが消えると、ささくれている心が現れてしまう。彼という存在は精神を乱してしまう。それほど彼はわたしの中で大きな存在。
今気づいたけど、今日の土はあの日と同じ。昨晩の雨で柔らかい。そして、空模様も全く一緒。淀みを一切感じさせない、澄み渡っている空。今まで幾度となくこういう日が訪れていた。その度に彼がやってくるのを待っていた。しかし、未だに来ない。
きっと生まれ変わり、幸せな人生を送っているのだろう。わたしが幸せにしたいけど、いなくても彼が幸せなら構わない。
ただ、もう一度だけ顔を見たい。話したい。会って安心したい。
彼が幸せなら、願いはそれだけでいい。
今日のような日はいつも、そう思ってしまう。
そんな時に人の足音を耳が捉えた。その足音はこちらに近づいてくる。
密かにあの青年だと期待する。どうせ別人なのだから、期待するだけ無駄なことは知っている。でも、期待せざるおえない。
「っ!!」
現れた人の姿を見た瞬間にわたしは彼に向かって走り出して、飛びついた。彼は……彼と瓜二つの彼を押し倒すことになったけど、そんなこと気にしない。
「会いたかったっ! ずっと待っていたっ!」
やっと会いたかった人に会えたっ!
「き、君は……ん? 亜麻色の髪に、同色のキツネの耳。赤い美しい丸い瞳に桃色で花柄の着物。そして、小柄な体。もしかして……コリン様?」
「っ!?」
見たこともない格好をしているが、同じ顔の同じ声でもう一度、名前を呼ばれた。それだけで心臓が大きく脈打つ。
「はじめまして。僕は神谷美鶴です。先祖代々、あなたのことを受け継がれてきました。ですから、どうか泣かないでください」
神谷美鶴という名なんだ。昔の彼の名前が知らないせいかな? ピンと来ないな。ううん! そんなことよりも泣いたらダメ!
「そんなゴシゴシと擦ると目に傷ができますよ」
彼は長くてキレイな人差し指を折り曲げて、拭ってくれた。それだけなのに急に温度が上がった。
「あの……コリン様。一つお願いがあるのですけどいいですか?」
「どうしたの? なんでも言って」
「ありがとうございます。でしたら、お願いいたします。僕と一緒にいてくれませんか?」
「えっ? どういうこと?」
「実はあまりにも色々とできなさすぎて、家から追い出されました。今は帰る場所がないのです。そのためバチあたりですが、帰る場所になって欲しいのです」
「そうなの? わたしでよければ、喜んでなるよ」
「ありがとうございます! それでしたら僕のことは美鶴とお呼びください」
「わかったよ。美鶴」
彼の名を言うだけで、心が躍る。
「ありがとうございます! お礼と言ったら何ですけど、僕なんかでよければ何でも、お話致しますよ」
「うん!」
その後に彼と色々な話を聞いた。様々なことを聞いた。とても一日では話し終わる量でなさそう。
彼が今着ているものは、じゃーじという運動に適しているものらしい。
人の世界はわたしが知っているような世界ではない。ねっとというものが発展して、人間を管理しているらしい。もう、武士なんてものは存在しないらしい。
色々と興味深い話ばかりを聞いていたので、気がつくと夜になっていた。ここは森なので光源は空にある星と月のみ。そのちょうどいい暗さと彼がいるという安らぎのおかげで、すぐに眠ってしまった。
目を開けると空が水色に染まり始めている。どうやらわたしは美鶴のお腹の上で眠っていたらしい。その甲斐あって頭を優しい手つきで撫でてくれている。
とても気持ちいい。
「あっ。コリン様。おはようございます」
起きていることに気づいた彼は撫でるのをやめた。
「うん。おはよう」
挨拶をすると、なぜかまた撫でられ始めた。
「どうしてわかったの?」
「耳がシュンとなっていたので」
「そ、そうね。耳と尻尾はわかりやすいものね」
わたしの心をわかってくれているわけではなかったので、少し胸が締め付けられる。
「今日は少し出かけるので、ここで帰りを待っていてくれていると嬉しいです」
「わかった。絶対に帰ってきてね」
「当たり前ですよ。ここが僕の帰る場所ですから」
持ち上げられながら言われた。小さな社の屋根にわたしを乗せると、彼は背を向けてここから、いなくなっていく。
彼の大きな背が遠くなる。二度と掴めなくなるような気がする。
「待って!」
気がつくと彼の衣の裾を掴んでいた。
「わたしを置いてかないで。一人にしないで。一緒にいると約束したでしょ」
「そうでしたね。すみません。それでは一緒に行きましょうか」
わたしの頭の上に大きな手を乗せながら言った。彼はわたしが求めているものがわかっていない。
「ギュッと抱きしめて」
「えっ? ですが……」
「いいの!」
「あ、はい」
指示通りに苦しくならない程度にギュッと抱きしめてくれる。でも、恥ずかしいのか顔を背けて、耳まで真っ赤にしている。
ふふっ。かわいいな。もっとイジりたくなっちゃうな。やっぱり彼は彼ではないんだね。昔の彼はカッコよかった。でも、今の彼はかわいい。どっちも好き。
「ねぇ」
「は、はい!」
「ふふっ。声が裏返っているよ」
さらに顔を赤くする。
「あ、暑いですねぇ……。暑い暑い」
誤魔化すように手をパタパタとして、扇いでいる。
「キスして」
「ブッ!! ゲホッ! ゴホッ!」
「だ、大丈夫?」
「だ、だだ大丈夫です! ささっ! 行きましょうか」
「ねぇ! ちょっとキスはぁ?」
「なしです!」
キッパリと言われた。ここまで鮮やかに言われると諦めるしかない。
彼の隣を歩きながら、社から離れようとした。
「きゃっ!」
社が見えなくなるところまで行くとバチンッ! と音が鳴り弾かれて、元の場所に戻された。
「コリン様っ!!」
緩い土のせいで、ドロドロになったわたしの元へと駆けつけてくれる。体が痺れて動くことができない。そのため彼はわたしを抱き起こしてくれる。
「大丈夫ですか?」
「…………」
痺れで口が動かないので、首を無理に動かしてゆっくりと頷く。
「バレバレな嘘はやめてください!」
「…………あ」
声がようやく出た。かすれているけど、これで彼に伝えられる。
「わたしのことはいい……の…………。楽しんで……きてね」
「ですが」
「早く行きなさい!」
「っ!? わ、わかりました。必ず帰ってきますから、待っていてください」
「うん。待っているよ。いつまでも……」
彼は何度もこちらの様子を伺いながら、この森から出て行ったようだ。
まさか……。出られないなんてね。でも、仕方ないかな。狐神だけど力がないんだしね。彼には迷惑をかけちゃったな。一人で行こうとしたところ止めたのに、結局は一人で行かせるなんて。
数分が経つとようやく体を動かせるようになった。
いつまでも汚れてなんていられないし、水浴びしに行こう。
川は社がある場所から坂を下ったところにある。社が見えるからか、弾かれないで済んだ。着物を着たままだと嫌なので、着物を脱ぎ、丁寧に汚れなどを落とした。
わたしの姿は彼以外には誰にも見えないので、お日様が当たるところで自然乾燥をする。愛しの彼がいるということに安心しているせいか、眠くなる。だから、尻尾を抱きしめながら眠った。
起きると太陽が頭上を通り過ぎた辺りにまで昇っていた。さすがに彼以外には見えないとはいえ、このままの格好でいるのは恥ずかしい。だから、着物を着る。その瞬間に不安が濁流のごとく心によぎる。
彼はホントに帰ってくるの? 無事でいられるの? ホントにわたしを必要としてくれてるの? わたしといて幸せなの? ただ、家から生贄とされているだけじゃないの?
不安を消すために慌てて坂を駆け上り、社へ戻る。でも、そこには社しかなかった。彼の姿はどこにもない。昨日までずっと、そうだったのに異常なほどの孤独感に苛まれる。もう、彼なしでは生きられない体になっている。
もし、彼が帰ってこなかったら、わたしはおかしくなる。少し離れただけなのにすでにおかしくなっている。
全身が異様な寒さに襲われる。我慢するしかない。わかっているから肩を抱きしめて耐えるしかない。
「一人は嫌なの。お願い。帰ってきて。あなたがいないとわたしは……」
「っ!? こ、コリン様!! どうしたのですか!?」
幻聴と幻覚が聞こえる。こちらに駆けてくる彼が見える。彼は何も言わずに抱きしめてくれる。触られたところから温もりが感じられる。
「えっ?」
「コリン様。すみません。突然、抱きしめてしまい。ですが、泣いていたのでこうせずにはいられませんでした。祟るのならお好きにどうぞ。女の子が泣いていて放っておくほど酷くはなれないですから」
「美鶴……」
「はい……っ!?」
どうやらわたしは彼ではなく美鶴という人間が好きになったようだ。美鶴と一つになりたい。それが狐神の願い。
美鶴と会ってまだ一日しか経っていないが、好いてしまったから仕方のない。わたしは美鶴の温もりを執拗に求める。合わせた唇から口内へと舌を侵入させる。それを受け入れてくれる。
身長差があるわたしを抱き上げてくれる。
数十秒に息苦しくなったので唇を離す。
「これがわたしの気持ち。美鶴の方はどう?」
「僕の方もあなたのことを好いてしまったようです」
「なら、もうどこにも行かないで」
「それは無理です」
「…………えっ?」
「あなたと少しでも長く一緒にいるためには働かないといけないですからね。それに今はここに移住するために必要なものを持ってきている最中ですから」
「あっ。その荷物はそういうことなのね」
「はい。あと三回ほど家から往復しないといけませんからね」
「うん。わかった。待っているから必ず戻ってきてね」
「当たり前ですよ」
わたしを地面に下ろすと、ニコッと微笑み答えてくれる。その可愛い笑みにわたしの方の頬も緩む。
「あの。お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「いいよ。なんでも言って」
「三回目に帰ってくると『おかえり』と言って欲しいです」
「それくらい当然よ」
「ありがとうございます」
お辞儀をすると、また降りていく。もう、寂しくもないし、孤独を感じたりもしない。
美鶴は必ず帰ってくる。それにいない間は美鶴の荷物があるから匂いを嗅いでいたら大丈夫。不安になったりしない。
それから美鶴が二度帰って来る頃には空が闇に染まっている。
「あとは明日ね」
「いいえ。今からやります」
「えっ……? でも……」
「早く『おかえり』が聞きたいからです」
「なら、今すぐに!」
「それはダメです。いくら自分が欲しくても、約束は守らないとですし、ケジメが付かないですから。次に帰ってきたら、死ぬまでずっと一緒になれるのですから、少し我慢してください」
「…………わかった。でも、できる限り早く帰ってきてね」
「もちろんです。それではいってきます」
「いってらっしゃい」
美鶴は最後の往復を始めた。わたしは彼の匂いに包まれて眠るしかない。だから、目を閉じた。
朝になった。美鶴はまだ帰ってこない。心配すぎてわたしは眠れなかった。
ガサガサと草をかき分ける音が聞こえてくる。そして、美鶴の姿を見た。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
美鶴の声を聞いて、思わず彼に飛びついてしまった。そんなわたしの髪を彼は優しく梳きながら、唇を合わせてくれた。