その4――勇者アリシアはなにかと誉め言葉に飢えている ☆
故郷の町から離れて早くも数時間が経過した。
あれから結構な距離を歩いた筈だけど、かつて世界中を旅して回ったこともある所為か、あるいは毎朝のジョギングが功を奏してるのか、未だに私の体力は底が見えなかった。
気持ち的にはまだまだ余裕だし。呼吸も安定してるし。汗だってひとつもかいてない。故郷の町から延びる街道をひた歩く、私の足取りも順調そのものだった。
思えば、昔の私――初めて旅に出た当時の私にはここまでの体力はなかった。
子供の頃とか、よく男の子に混じって遊んでたから、そこらの女の子よりは体力に自信があった筈なんだけど。でも、所詮は旅慣れしてない女の体力だ。数時間も歩いたら、直ぐに体力の限界が来て、あっさりヘトヘトになってしまったんだ。
おまけにそこへきて、魔物の襲撃を食らったりして。旅の初日から「もうヤダ、お家に帰りたーい!」とか弱音を吐いたりしてたっけ。まったく。旅に出て早々に弱音とか。あの当時の私は根性が足りんな。
もっとも――弱音は吐いたかも知れないけど、それでも決して、あの時の私は旅を続けることを諦めなかった。決して、魔王の打倒を諦めなかった。その絶対に折れない心だけはいまも昔も変わらない気がする。
そう……男に振られまくっても、倒した筈の魔王に付き纏われても、決して、彼氏を作ることを諦めない、その心だけは絶対に折ろうとしない、いまの私と。
あのう、昔といまの私で落差が激し過ぎるんですけどお。
かたや、魔王の打倒を目指して旅をしてたって言うのに。かたや――故郷の町で男に散々降られまくったから、この町の男共にはもう見切りをつけて、他の男を探す為の旅に出まーす!――とか。旅をする目的が恥ずかし過ぎて、昔の私にはとても顔向け出来ないんですけどお。
クソ。私がこうなったのも全部、恋に目覚めてしまったからだ。
どうして。どうして私は恋なんかに目覚めてしまったんだ。恋なんて知ろうと思わなければ、こんなに辛くて恥ずかしい思いをすることもなかった筈なのに。男に降られまくって惨めな思いをすることもなかった筈なのに。
嗚呼……色恋にまったくと興味がなかった、あの頃の私が羨ましい。
『おい――急に立ち止まってどうした? 腹でも下したか? 何か良からぬ物でも拾い食いしたか?』
『アンタの中の私はどんだけ野蛮人なんだよ! 拾い食いなんかするかっての!』
『ふむ……ならば、どうしたと言うのだ? 何か忘れ物でも思い出したのか?』
『いや、なんて言うかその……考えごとしてたら、ちょっとボーッとしちゃって』
『はっ! 何ごとかと思えば、またくだらぬ妄想に浸っておったのか。……やれやれ。現実逃避も大概にしておくことだな。終いには妄想と現実の区別がつかなくなるぞ』
――うっさい馬鹿! 妄想じゃなくて、考えごとだって言ってんでしょうが!
と言うか、私がいつも妄想ばっかりしてるみたいに言うな。男からモテない上に妄想癖があるとか、私はどんだけ残念で可哀想な女なんだよ。妄想は用法用量を守って、ちゃんと程々に留めとるわ。
――まったく!
この野郎、いまに見てろよ。アンタを私の影から引き剥がす方法を、絶対に必ず見つけ出してやるからな。そして、私の影から引き剥がしたアンタの魂を、そこらの案山子かなんかに移し替えて、そのあとでみっちりと私の拳骨を食らわせてやるからな。
『ところで――目的地にはまだ着かんのか? 確か、ラピスとかいう町だったな』
『……ラピスの町はまだまだ先だよ。と言うか、今日中には着かないと思う』
『ほう……ではなんだ、今夜はどこかで野宿でもするつもりか?』
『馬鹿を言うな。こんなにか弱い乙女が野宿なんてするかよ。寝込みを暴漢に襲われたらどうすんだ。――なぁに、ちゃんと当ては考えてあるさ』
『仮にお前が暴漢に襲われたとしても、逆にその暴漢が袋叩きにあっている未来しか見えんがな。――で、その当てというのはなんだ?』
『ここからもうちょい歩いたところにアンザスっていう村があってね。今夜はそこで宿を手配して、一泊する予定なんだよ』
アンザスの村――なんて懐かしい響きなんだろう。
私があの村に初めて訪れたのはいまからもう三年前か。魔王の打倒を胸に旅立った、正にその初日のことだ。歩き疲れと魔物との戦闘でボロボロになった私が――どこか休める場所を求めて、フラフラと千鳥足になりながらも彷徨い歩き、その末にようやく辿り着いたのがアンザスの村だった。
一寸先さえ見えない闇が辺りを包む、底無し沼のような暗がりの中――朧気に浮かび上がる村の灯りを眼前に捉えた瞬間の、嬉しさと安堵と興奮が入り雑じった、あの時の感動は未だに忘れることはない。それまで張り詰めてた緊張の糸がプツリと切れて、思わず、涙を流した程だった。
あれから三年の月日が経過してしまったけど、村のみんなは相変わらず元気にしてるんだろうか。
私の体調を何かと気遣ってくれた、村長さんとその奥さん。余所者の私にも気さくに話し掛けてくれた、おばちゃん達。私によくなついてた子供達。逆に私をからかってばかりいた悪ガキ達。どうせ売れ残りになるからって言って、商品を半額の値段で私に売ってくれた、道具屋と武具屋のオッサン達。そして、口も態度も悪いけど、なんだかんだで私に一番良くしてくれた宿屋のオヤジ。
みんな……みんな、本当に気持ちの良い人達ばかりだったなあ。
『――フン! 随分と嬉しそうではないか。そんなにその村へ行くのが楽しみか?』
『まあね。昔、色々と世話になった、懐かしい人達に会えるってのもあるし。何より――あの村は私にとって、とても思い出深い土地でもあるからさ』
『思い出の土地か……それは随分と興味深い話であるな。お前が一体、その村でどんな粗相をやらかしたのか、大変気になるところだ』
『粗相なんかやらかすか! なんでそうなるんだよ! ……ったく。あの村は言ってみればなあ、いまの私を作った始まりの場所――ただの小娘に過ぎなかった私が、勇者アリシアとしての第一歩を踏み出した、そういう思い出深い場所なんだよ』
『ほう? それはつまり、具体的にはどういう――』
フェレスの言葉が突如、そこで途切れる。
同時に私は平静を装いながらも周囲に警戒を巡らせた。
いま、確かに草むらが鳴った。
風に吹かれてざわつくような、自然的なそれではなく、明らかに不自然で不審な音を立てて鳴った。
発信源は私の右手後方か。距離はまだ、そんなに近くはないな。
『どうやら、アンタとの無駄話はここまでのようだ。お客さん達のお出ましだよ』
『ふむ……みっつ程、気配を感じるな。余程、腕に自信があるのかは判らぬが、気配の殺し方が甘いあたり、獣の類いではなさそうだ』
『ああ。こいつは十中八九、人間――盗賊達の気配で決まりだな。やれやれ。まさか、旅の初日から盗賊に狙われるとは――流石に予想してなかったよ』
『クククッ! だから言ったではないか。それでは盗賊共の格好の的になると』
『ふふっ! 確かにそうだったな。でも、それを言うなら、私だってこう言った筈だぞ。いまさら盗賊に後れを取ることはないって。むしろ、盗賊に狙われるのは望むところだってね』
とは言ったものの、どうしたもんか。
ここは先手必勝――私の方から先に仕掛けるか。さっきよりも大分、盗賊達の気配は私に近付いてきてる。距離にして大体、大人の足で十歩分ってところ。不意をついて一気に距離を詰めれば、たかだか三人程度の相手だ、私なら難なく対処出来るだろう。
でも、もしものことを考えたら、迂闊な行動は控えるべきだとも思う。
もしも――そう、もしもの話として。
あの盗賊達の中にもしも、私の運命の相手がいたとしたら。ここで迂闊な行動を取った結果、私は折角の恋のチャンスをみずからの手で潰してしまうことになる。それだけは絶対に避けなければならない事態だ。
ならば、ここは待ちに徹するのが最善かな。向こうから仕掛けてくるのを待って、それからどうするか行動を考えよう。大丈夫。例え、後手に回っても私ならなんとかなる。
「よう、そこのねえちゃん。随分と大荷物を抱えて大変そうだな。その荷物を運ぶの――俺達が手伝ってやろうか?」
背後から声を掛けられた。明らかにゴロツキって感じの野太い声だ。
ふふふっ。盗賊達め、ようやく仕掛けてきたか。すっかり待ちわびたぞ。
しかし、こちらに襲い掛かる前にわざわざ一声掛けてくるとか。盗人の手口としてはあまり誉められた手じゃないな。まずは得物かなんかで脅しを掛けてから、自分達の要求を相手に伝えるのがセオリーなんじゃないのか。
それをしてこないってことはこいつら――もしかして素人の盗賊か。
まあ、いまはそんなことはどうでも良いか。
素人だろうが玄人だろうが盗賊だろうが、男であることに変わりはないんだ。
良い男であれば問題なし。ただ、それだけのこと。
それにしても、さっきから心臓の動悸がヤバイな。
これからいよいよ、盗賊達と運命のご対面かと思うと、緊張で胸がドキドキする。
どうしよう。こういうのは第一印象が肝心だって言うし。下手なことは出来ないよな。
髪は乱れてないかな。汗臭くはないかな。化粧は崩れてないかな。服装にどこか変なところはないかな。ああもう。出来れば、鏡でバッチリ確認したいのに。でも、いまの状況ではそうも言ってられない。
「おい! ねえちゃん、聞こえてんのか? それとも無視してやがんのか、なあおい!」
うっさいなあ。ちょっと待ってろよ。せっかちな野郎だな。
こっちはまだ、色々と心の準備が整ってないんだから焦らせんなよ。
とは言え、ここであまり盗賊達を待たせ過ぎても、それはそれで私の印象が悪くなりそうかな。男を平気で待たせる女って最悪だよなあ――とか、以前に誰かがそんなことを愚痴ってるのを聞いたことがあるし。
クソ。髪とか服とか色々と気になる点はあるけど仕方ない。
ここは思い切って、恐る恐るといった感じを装って振り返ることにしよう。
「あ、貴方達は一体……? まさか、盗賊……!」
「おっ! 随分と察しが良いじゃねえか。正にその通りだぜ。――まあ、そういうわけだからよ、ねえちゃんがいま持ってる、その荷物と有り金――まとめて全部、こっちに寄越しな。そうすりゃあ、命までは取らねえよ」
「へへっ! ここはアニキの言う通りにしといた方が身の為だぞ。アニキの剣にかかりゃあ、ねえちゃんなんて、一瞬で細切れになっちまうからなあ」
「ひっ……! こ、恐い……! だ、誰か助けて……!」
私は身を縮こまらせて、いかにも怯えてる感じを装いながら、盗賊達の姿をじっくり観察した。
盗賊達はやはり三人組。これは予想した通りだ。
ひとりは長剣を構えた、体格が良くて、ゴリラみたいな顔した男。そして、その男の両隣にはいずれも細身の、ナイフを構えた爬虫類っぽい顔した男と、片手でスローイングナイフを弄ぶ、ニット帽を被った冴えない顔した男が控えてる。
恐らく、中央に立ってるゴリラがこの盗賊達のリーダー格だろう。さっきニット帽の男からアニキとか呼ばれてたし。構えは割りとしっかりしてるから、剣の腕前はそこそこある感じかな。
うーん……だけど、どいつもこいつもあまり私の好みじゃないなあ。
なんだろう。盗賊稼業をしてる所為なのか、こいつら全員、揃いも揃って、なんか目が濁ってるんだよなあ。こういう目をした男はあまり好きじゃないって言うか……私の求める男像からは大分かけ離れてる感じ。
こりゃあ、ちょっと期待外れかも知れないな。
『おい――さっきから、お前は何をしている? こんな盗賊相手に何をそんなビクビクしておるのだ?』
『そりゃあアンタ、この盗賊達の中にもしかしたら、私の運命の相手がいるかも知れないんだ。だから、ここは一応、盗賊に怯える可憐で可愛らしい女を演じて、少しでも第一印象を良くしとかないとな』
『ははあ、なるほどな。さてはお前、救いようのない馬鹿であろう? 色恋に執心し過ぎて、いよいよ脳が萎縮したか?』
『うっさい馬鹿! てか、いま大事なところなんだから、ちょっと黙ってろよ!』
フェレスの馬鹿は放っておこう。いまは目の前のことが大事だ。
でも、やっぱり何度見ても、こいつら、私の好みとはかけ離れてるんだよなあ。
と言うか、気の所為かな、こいつら――前にどこかで会ったことがあるような気がする。
はて、私にこんな知り合いなんていたっけ。
そもそも、私に盗賊の知り合いなんていたっけ。
「ひひっ! た、助けを呼んでも無駄! お、大人しく言うことを聞いた方が良い!」
「そうだぜ、ねえちゃん。無駄な抵抗は止めときな。でないと……その可愛らしい顔に傷がつく羽目になっちまうぞ」
――なん……だと?
私は思わず、目を見開いて息を呑んだ。同時に指先が微かにプルプルと震え始めた。
このゴリラ、いまなんて言った。この私に向かって、こいつ、いまなんて言ったんだ。
「な、なあアニキ。ものは相談なんですけど……。この女、よく見りゃあ、なかなかの上玉じゃないっすか? ちょっと俺、好みかも知れないっす」
「お、俺も! じ、実は俺、金髪フェチなんだ!」
「ああん? いや、まあ確かに綺麗なねえちゃんだけどよ……」
「ねっ! ねっ! こんな美人なねえちゃん、ただ物だけ盗って終わらしちゃあ、勿体ねえと思わねえっすか? アニキも金髪で綺麗な女、好きでしょう?」
「ガハハッ! 俺の好みがよく判ってるじゃねえか! よし! お前等がそこまで言うなら仕方ねえ、このねえちゃんは俺達のアジトに連れて帰ろう!」
「流石、アニキは話が判るっすね! そうこなくっちゃ!」
こいつら、私が黙ってれば、随分な口を利いてくれるじゃないか。
ふふふっ。これはヤバイな。
色んな感情がごちゃ混ぜになって、私はいま、自分の興奮が抑えきれない。
「ね、ねえ貴方達。いま、私になんて言ったのかしら? よく聞こえなかったから、もう一回だけ言って貰っても良い?」
「ガハハッ! どうやら俺達の言ってることが理解出来なかったらしいな。いいか。ねえちゃんはいまから、俺達のアジトに来て貰うんだよ。そんで俺達と色々、楽しもうって――」
「違う! そうじゃなくって! ほ、ほら! さっき私に何か言ってたでしょう?」
「な、なんだあ? このねえちゃん、恐怖で頭がイカれちまったのか?」
――クソ! 察しが悪い奴だな!
私が何を言わんとしてるのか、何を求めてるのか、直ぐに判れよ。まったくもう。
「ほら! さっき、私の容姿について、何か言ってたでしょう? それをもう一回、聞かせて欲しいの!」
「あっ? さっきから何言ってんだ、このねえちゃんは? おい、あんまり俺達を舐めてると、本当に痛い目に――」
「いい加減にしろよ、この野郎! そういうのはホント良いから! さっき、私の容姿について言ってたことをもう一回言え! 言って下さい! お願いします!」
「……な、なあアニキ。ここは言う通りにしてやった方が。この女、なんか恐いっすもん……。俺、足が震えてきたっす」
「お、俺も! か、体の震えが止まらない!」
「そ、そんなこと言ってもよお。なんだ、このねえちゃんが綺麗だとか、そういうことを言えば良いのか?」
「それだ! それだよ!」
「ひっ……!」
綺麗――嗚呼、なんて素晴らしい響きなんだろう。
他にもこいつら、私のことを可愛らしい顔だとか、上玉だとか美人だとか言ってたよな。
これまで男に散々振られまくった所為か、私ってもしかして、自覚がないだけで実は物凄いブスなんじゃないかと、一時期、鏡を見て不安になったこともあったけど。やっぱり、私はそこそこイケてるってことだよな。綺麗とか可愛らしいとか美人とか言われるってことは、そういうことで良いんだよな。
良かった……本当に良かった。私のこれまでの努力は決して、何もかもが無駄じゃなかったんだ。
「ヤベエ。この女、マジでヤベエ。完全に頭がイカれてやがる。アニキ、この女にはこれ以上、関わんない方が絶対に良いっすよ! この女、頭がおかしい!」
「こ、好みの女だけど! あ、頭のおかしい女は無理!」
「お、おいお前等! いつでも逃げ出せる準備しとけ! この女の隙をついて、ずらかるぞ!」
ふふふっ。それにしても、この盗賊達。私の好みとかけ離れてるのは残念だが、私の魅力に気付くとはなかなか見所がある男達だな。彼氏としてはどうか判らんけど、取り敢えず、私はこいつらが気に入ったぞ。
――そうだ!
そう言えば、こいつら――なんか私のことを自分達のアジトに連れて帰るとか、そんなことをさっき言ってなかったか。
ふふん。よーし。本当はアンザスの村に行く予定だったけど、そう言われてしまっては仕方あるまい。今夜はこいつらにとことん付き合ってやろうじゃないか。そして、朝まで私の魅力について語り明かそうじゃないか。
「ね、ねえ貴方達。さっき、私のことを……って。ありゃりゃ?」
おい。どうなってるんだ。盗賊達の姿がどこにもないぞ。
確かにさっきまで、そこにいた筈なのに。クソ。あいつら、どこに行った。
『……おいフェレス。さっきの盗賊達はどこだ? どこに隠れた?』
『ああ、あの盗賊達か。あの盗賊達ならば、お前の常軌を逸した馬鹿さ加減に恐れ戦いて、今しがた、泡を食って逃げ出して行ったが』
『はあ? なんだよそれ? こんな美人で綺麗で可愛らしい女を放って逃げ出すとか――ホント何考えてんだよ! まったく! それでも悪党かよ! 私をアジトまで拐っていくんじゃなかったのかよ!』
『うむ、悪党にも選ぶ権利はあったということだな。まあ、それはともかくとして――取り敢えず、お前はいまここで正座しろ。いまから我輩がみっちりと説教してやる!』